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90人の国民を救うために10人の犠牲はやむを得ない

なんか、コメントもアクセスもポチも上がってます・・・済みません、こんな書きっぱなしのフォローなしの記事に答えてくださって。せっかくなので、もうちょっとだけ・・


とりあえず、本日もポチッとお願いいたします~~m(_ _)m



この週末更新出来るかちょっと自信がないので・・しかももしできたとしても、明日は全く別の記事をこうしんする予定なので・・


一昨日からの「一億人助けるために一千万人死ぬのは仕方がない・・について。


元々は朝日新聞上での久間さんの発言が原点です。これをもう一度言わなかったのはお玉が悪いね。ゴメンよ。この原文ご存じの方紹介下さい。


山内敏弘龍谷大学教授と対談した久間章生元防衛庁長官のものである(『朝日新聞』2003年6月30日付)。


久間:国民の生命・財産を守るために自由や権利を制限することはある。
   憲法も公共の福祉の名の下にやっている。
山内:憲法上、公共の福祉というのは人権相互間の調製原理だ。
   公共の福祉は国家の独立や安全などという人権を超える外在的な価値ではない。
   特に9条は軍事に公共性を認めていない。
久間:
国家の安全のために個人の命を差し出せなどとは言わない。
   が、90人の国民を救うために10人の犠牲はやむを得ないとの判断はあり得る。

山内:判断の正しさが疑われるときに、
   判断の犠牲になった国民はたまったものじゃない。
久間:それで救われた方は助かる。
山内:そういう犠牲を生まないために戦争をしないことが、
   憲法の要請する政治の責任だ。


職業軍人に犠牲になって頂く話ではありません・・久間さんは9割の国民を救うために1割の人の犠牲はしょうがないといってるのです・・で、この話を元にしているはずなのに、なぜか、ずれていく~~~いったんずれ出すとどんどんずれる~~今お玉は全く頭がこちらを向いてないので、20行以上のしかも連続投稿はだめだってお願いしてるのに、やたらと思いっきり送りたい人がいる~~~~


議論というのは言葉のキャッチボールです。自分の持論をが~~っと書いてくるのではなく、要点を整理して小出しにしてみてね。お玉は常に読み手の事を意識してブログを運営してます。ここはみんなが参加出来るようにして欲しいです。


改憲派のかたの中にも、そこに気遣って下さる方もおられますが、キャッチボールがしにくくなるとそういう改憲派の「良心」も護憲派読者と共にどん引きされてしまうので・・・


お玉基準が「動物的カン」になっている事は歪めませんが、お玉が理解可能な範囲でのコメント欄使用を心がけて下さいませ。(その意味ではとみーくん、最近のあなたはとても分かりやすいです。)


otamaお玉、FC2政治ブログランキング と 人気ブログランキング登録してます。わ~~ただ今大忙しで、書きっぱなしなお玉記事ばっかしでごめんよ~~・それでも、お読み頂けましたら、どうかどちらも、↓ポチッとお願い致しますm(_ _)m 二つもあってごめんなさい


それそれ意見は結構異なるけれど、平和を愛する心でつながる「お玉」が「アブナイ!」「らんきー」「喜八」の応援をお願いします!(喜八さんのお言葉より)



 
Secret
(非公開コメント受付中)

色々と難しいですよね
>軍備で守れるのか
100%は無理でしょう。特に日本は国是として専守防衛を取っていますからね。ナイフや銃を使われても破れないサンドバックを目指しているようなものですから(^^ゞ

>軍隊が国民を守るか
軍隊を指揮し構成しているのは紛れもなく人間です。国民がその人たちを信頼し、軍人はその信頼に応えようと思っているのであれば国民を守ろうとするでしょう。しかし、殊更に持ち上げて神格化すると慢心し、殊更に貶めると捻じ曲がってしまい守れるものも守れなくなってしまうのではないかと思います。

まあ、政治家や官僚も同じようなことが言えるのですがね。その職や地位が偉かったり卑しかったりするのではなく、その職や地位の責を全うすることが尊いのだと皆が思うような世の中だと、憂えることが少なくなるのですが……(じゃあお前はどうなんだ?とは聞かないでください(-_-;))


遅ればせながら
軍備で守れるのか、軍隊が国民を守るかは、また意見が分かれるところだと思いますが、まぜたさんのおっしゃるとおり、JR事故、血液製剤、チェルノブイリなど、綿密に予防措置がとられなかったために被害が出てしまいました。それも、(目先の)利益、コストを追求するために多少の犠牲は無視する姿勢が招いたことといえます。
90人のために10人を犠牲にすることは最後の手段であり、その場合も苦渋の選択であるはずなのに、「90人救うためには10人を犠牲にするのが当然である」という一見筋が通っていそうにみえる冷血に私は背筋が寒くなるのです。


割り込み失礼
>>ヘリオトロープさん
>何も起きていないときから、なにか起きたときには消防士が犠牲になってもしかたないと考えられてしまうことです。

そのためにも政治家には、何かが起きる可能性が1パーセントでもあれば、その事への対応策を考えていてもらわなければならないと思います。

今までにもその何かが起きる可能性があるにもかかわらず、何も対策を講じなかったがために数多の犠牲者が出ています。チェルノブイリ・JR西日本・血液製剤、etc……

んでもって自分は、あらゆる平和的手段を以ってしても日本が戦争に巻き込まれてしまう可能性はゼロではない、と思っています。そして、民間人の犠牲を最小限にするため、さらには日本の自由と独立を守るために軍が必要なのではないかと……


まとめ
私の考えをもう一度まとめて自分のブログに書き、トラックバックしました。基本になる考え方は自分でも確かめておきたかったので...。

(このコメント欄のURLもそのエントリーのURLにしました。)


追伸です
たしかに全員を助けることができないこともあるかもしれません。でも、ここで問題となっているのは、あなたと私の危機管理能力ではなく、原発のたとえで言えば、何も起きていないときから、なにか起きたときには消防士が犠牲になってもしかたないと考えられてしまうことです。チェルノブイリの殉職者は結果であって、最初から想定されていたわけではないでしょう。


ごめんなさい。我慢がたらなくて。


RE:チェルノブイリ
少しつっこみたくなりました。^^;
チェルノブイリでの事故の際、当局は事故処理にあたった兵士や労働者たちに事前の説明をまったくせずに作業をさせました。当然ながら放射能の危険性もなにも、彼らはまったく知らないままで多量の被曝をし、結果としてひどいダメージを受けて次々と亡くなっています。倒れた彼らを看取る家族も、なぜそんなことになったのかわからないままただ泣き別れるしかありませんでした。
 話が急ですが、戦争で亡くなった兵士や一般人の場合も同じようなことだと考えます。たとえ国家のためと言われていても、なぜ大事な家族をこんな目に合わせなければならないのか、人としての感情があれば当然そう思うのではないでしょうか。
 組織や国家の行為はひとりひとりの生身の人間とは次元の違うところで決定されます。それを人間的なレベルで納得のゆくものにすることが、民主政治のつとめだと思います。ちなみにチェルノブイリ事故のような事態は国家の安全保障にかかわるものですから、当時の指導者たちにとって多少の人間の犠牲はまったく視野に入っていなかったと思います。一部の犠牲で多数を、といったヒューマニズムではありえません。


リーダの判断としては、全員死ぬよりは10人の犠牲という判断は
あると思います。100人全員の死を選ぶのは最悪のリーダです。
ただし、より多くの人が生き残るための最大限の努力をした
上での話です。軽々しく決められたらたまりませんので。
当然ですが犠牲になる10人は納得しなければならないという
義務はないので、反対する自由はあります。


田柄さんへ

そういう場合でも一方的に命令するというのには違和感をおぼえます。命の危険があることを説明して志願者を募ります。誰もいなかったらどうするかは難しいところですが。


忙しいからすぐに表に出せないとずっと言ってるのにねえ・・自分以外の投稿を読んで、その程度のコメントを削除したりするわけないって、何でわかんないのかねえ・・・今しがたTB下さったお方へ・・


問題は消防士さんたちに拒否権があるかどうかではないでしょうか?

それは職業をまず選択する段階、そして出来ればいざ火急の事態が発生したときに、自分の自由意思で行動できるかではないかと思います。

無作為に臓器提供者となることを義務付けることはその点で相違がある気がします。


「90人の国民を救うために10人の犠牲はやむを得ないとの判断はあり得る」

企業でのリストラを考えてみましょう。リストラされる人の生活・プライド・人生は大きく傷付くでしょう(傷付く可能性が高いでしょう)。

ではリストラしないで倒産したらどうなるでしょうか。全員が無職になり退職金も出ないかもしれません。

企業経営者としては、リストラなんかしないで良いように、健全な経営をしなければなりません。これは当然の事です。しかし、不幸にして(能力不足で)リストラしなければ倒産する状況に陥ったら、どうしますか。

90人を救うために10人の犠牲を出すなんて事に成らないように努力するのは当然の義務。しかし、陥った時の覚悟~全滅覚悟で頑張るか、10人切捨てるかの覚悟~は普段からしておく必要が有るって事じゃないですかね。

私はリストラされた事がありますが、「リストラする/される」ことを選びます。


ヘリオトロープさんへ
臓器移植の例は、その通りですね。それを認める人や国は少ないと思います。 では、この場合はどうでしょうか? チェルノブイリの事故で、消火にあたった消防士達がいました。彼らは被爆して亡くなっています。
被害を抑え、犠牲者を減らす為に、消防士達に「行け」と命令した責任者の判断を、どう思いますか? もし自分が責任者なら、どうするでしょう? 私なら・・死ぬことが判っていても「行け」と命令したと思います。まさに多数を助ける為に、少数を殺す・・ですね。臓器移植の例では反対なのですが・・


自国の平和のために他国を犠牲にしてもよいという許容的表現の待遇が、

他国を「救う」ため自国が危険になってもよいという積極的表現になりますでしょうか?

他国を犠牲にしてまで自国の平和を求めるべきではないのほうがしっくりしますが

具体的に例示しますと前者ですと飢えた旅人が倒れているとき、自身の最後の食料を差し出すべきだとなりますが、後者の場合はあくまで、自身がその旅人の身ぐるみを剥がすなということのみを主張していることになります

つまり後者では自国の積極的作為により他国をおとしめることは禁止されますが、自国の関与しない他国の窮乏を自国の国益を放棄してまで追究する必要はなくなりますね

これなら国民も納得かと思います


「90人を救うため10人を犠牲にする」は理論上は現実的に見えますが、それはひとりひとりがかけがえのない存在なのだという視点が全く欠けており、国民を数字としかみていないということです。沖縄の洞窟で赤ん坊の泣き声で敵に気付かれるからと兵士や親が殺しました。戦争とはそんなもの、だからこそ避けるにはどうしたらよいのか、という方に比重を置いて考えるべきだと思います。

「90人を救うため10人を犠牲にする」を平気で最初から前提にするなら、ひとり殺して9人に臓器を提供して助けるのが合理的、も成り立ちそうで不気味です。


TOJCさんへ
そうですね。あまりにも極端な書き方でした。ごめんなさい。ただ、何かを手に入れるには対価が必要ですよね? 国や世界の平和を維持するには、相当の対価が必要になります。ここを見ている人達は別ですが、一般の国民は、その対価を考えずに「平和!平和!」と言ってるのでは?と思ったので・・・・その対価を目の当たりにしたときに、国民はどう判断するのでしょうか? 少し心配です






田柄さん
>「自国が大丈夫なら他国が犠牲になってもよい」これを否定すると、
『他国を救うために自国が危険になってもよい』

論理的にはこれは「対偶」と言ってよいでしょう。
原命題が「真」であるなら「対偶」は必ず「真」です。
カークさんは「自国が大丈夫なら他国が犠牲になってもよい」(原命題)を、「偽=真ではない」とみなしていますので「他国を救うために自国が危険になってもよい」というのは「偽=真ではない」と言えるのです。(正確には「救うため」ではなく「犠牲にしない」ですけど)
よって、あなたの仮定の論理はなりたちません、となります。
ちなみにこの「対偶」は、論理学以外に、高校の数学でも出てくる言葉ですよね。


カークさんへ
その通りだと思います。
ただ「自国が大丈夫なら他国が犠牲になってもよい」これを否定すると、
『他国を救うために自国が危険になってもよい』
になりませんか?
つまり、平和を守るには相当の覚悟が必要ということでしょう。ほとんどの国民は納得しないのでは?
国民の考える平和とは、個人の平和であって、国の平和や世界の平和ではないのですから。



先程の投稿で、言葉が足りなかった部分を補足しますね。
多数を救うにあたって少数が犠牲になるという事態を想像することそのものが不道徳で不潔かつ全体主義的であるという発想は、セカンドベストとしての「犠牲を最小限に抑え最大多数の安全を図る」という知恵を抑圧することになりかねないという観点から「ナンセンス」と書かせて頂きました。
ゼロリスク以外を排除する潔癖な理想は、容易にall or nothingな判断停止状態を招く虞があるでしょう。

愛国心や(自発的に)犠牲者となる覚悟を大衆に要求する「美しい国」的な官製の貧相なモラルと、セカンドベストの追求との間には、本来何らの関係もありません。そこを混同してはいけない。


この設問、如何でしょう。無意味でナンセンスな問いかけではないですか?

状況を「戦争」ではなく「悪疫」に置き換えて見れば分かります。
高感染率/劇症型/高致死率の疫病の場合、患者の意志と無関係に隔離が強制されます。2次感染によるさらなる被害の拡大を防ぐために。劇症型で高致死率であれば患者は殆ど短期間で全滅するため、有効な治療法が確立されていない場合でも悪疫は終息します。エボラ等の蔓延は主に治療によってではなく、このような手段で沈静化されています。

典型的な「大の虫を生かし小の虫を殺す」事例ですが、事態を戦争に限定して考える発想がナイーヴなのであって、少数の犠牲者と引き換えに多数の生命を守る選択を迫られる可能性は常に存在します。

政治家や識者が大衆に向けて自己犠牲を称揚したり、予め犠牲者の歩留まりを勘定する発言を行なうことが不見識なのは当然で、これは上記の「可能性」とはまったく別個に論じられるべき問題です。


この理論は以下のように成長する
「自分の国が大丈夫なら、他の国が犠牲になっても仕方がない。」と言う考えになる。日本が大丈夫なら、アフガンにトマホークが飛んで行っても仕方が無いとか、
フセインのイラクが攻撃されても仕方が無いとか。
この考え方は結局、戦争を肯定する危険な考え方になるのだと思う。
無理がある?無いよね。


コギトエルゴスム様へ
簡単です。民主党が自公と連立を組む事は、先の参院選で自公政権に代わる新しい選択肢を求めて投票した人達の期待を裏切る事になり、民主党は支持を失います。その人達は連立に参加していない他の政党を当然期待します。


アッパレな人たち
10000000/100000000なんて、ただの冷酷な計算に過ぎません。国を支配している側の人間が言うのならば、まだわからないでもないけれど、支配されている側の人間までがなぜ、それで良いなどと簡単に言えるのか、私にはわかりません。この国の政策を動かしている人々には私等はただの1/100000000という分数にしか見えないかもしれないけれど、その一人一人には、その人だけの、かけがえのない人生があるはずなのですから。

しかし、考えてみれば、このように簡単に己を捨てて国を支配する側の立場に立ってもの考えてくれるお利口な国民ばかりならば、上に立つ人は本当に楽ですね。なぜってそういう人たちならば「国のため、全体のためだ」と言われれば、健康保険の本人負担が5割以上になろうが、消費税が30%になろうが、きっと文句など言わないんでしょうから。それどころか、ぶつぶつ不平を垂れる他の連中に対しては、誰に頼まれたわけでもないのに「あなた方が間違っているのだ」と延々と持論を述べて諭してくれるかもしれない。

お国のためと言われれば、己がバッサリと切り捨てられてることにさえ、いとも寛容になれる人々。思えばアッパレです。なんとも崇高な人たちだ。

しかし、私などはどこまでも手前勝手な卑しい人間なので、最後まで「俺たちを見捨てるな!」とわめき続けることでしょう。


はじめまして
「90人を助けるためにやむを得ないのであれば10人の犠牲を払うことは許される」という主張は、この部分『だけ』を問題にするならばそれ自体は正当なものだと思います。法律も緊急避難という形でそれを承認しています。しかし、「大人数の生命か少人数の生命か」という最悪のトレード・オフは何の前触れも無く現れるものではなく、それ以前の選択の結果として現れるものではないでしょうか。

例えば「救命ボートが規定より少ない状態だったが敢えて船を出したところ、天候を読み違えて船は転覆した。乗客全員が乗るとボートは沈んでしまうのでやむなく乗れない何人かは海に沈めた」という事案を考えてみます。殺害行為の部分だけ見ると「少数人の生命Vs多数人の生命」で後者を選んだわけだから仕方が無い、と思えてきそうですが、実のところこれは「少数人の生命(の危険)Vs救命ボート補充・慎重な航行により生じるコスト」で後者を選んだということに他なりません。

「ボート補充等により生じるコスト」を「外交等による戦争回避の努力により生じるコスト」に置き換えてみると久間発言の問題点が少し見えてくるのではないかと思います。

最後になりましたが、私はtrilemmaと申します。今後ともよろしくお願いします。


2つの選択肢を提示されて、どっちか選べと言われれば、その中でマシな方を選ぶしかないように誘導されてしまいますね。
改革か、後退か!?
派兵か、孤立か!?
のような。
本当に2つしかなければ仕方ありませんが、実はそれ以外の選択肢があるんじゃないか?という発想を常に忘れないようにしないといけませんね。


FKさんへ。予想当たりましたね。私はNHKが怪しすぎると思っています。
FKさん>ただ護憲派の人達にとっては、民主党が大連立に参加してくれた方が党勢拡大にプラスに働くと思います。

これはどういう意味ですか? 教えてください?


民主党 連立 拒否
民主党は 連立を 拒否したそうです。

NHKは連立合意に自信満々だったのに、なんかおかしいぞ?


コギトエルゴスム様へ
私は民主党は絶対に大連立に参加しないと思っています。おそらく世論の関心を引き、その上で明確に断り民主党の存在を誇示する戦術のように感じます。

ただ護憲派の人達にとっては、民主党が大連立に参加してくれた方が党勢拡大にプラスに働くと思います。


>カネジさん
>最大公約数から漏れた人

漏れる人がいるなら、それは最大公約数に喩えるのは不適当ですよ。
すべての人に共通する約数を「生命」としますと、最大公約数は「誰も死なない」になるでしょう。


さすがコギトさん早いですね。
連立打診、ニュース速報で流れましたね。

・・・ったく、これじゃズブズブですよ。
とりあえず、民主に反対メールします!


挙国一致で、イラン攻撃か?
8時40分にNHKで、打診のニュースが流れましたね。

小沢さんは持ち帰って相談とか?

もう、大ペテン国家ですね。 


半分スレチです すいません
俺は公正な判断の下、10人の側にまわるなら仕方ないかと思いますよ

客観的状況が100人死ぬか10人死ぬかならね

コメント欄で他人の能力や資質を非難しあうのはやめませんか?

平和について話し合うときいがみ合う必要はないでしょう


連立政権 打診とかいってますよ!
フザケルナ!


問題はここだね。
誰も犠牲になる1割の中に入っているとは思わない。皆残り9割のつもりなんだな。いや、1割で済む保証もあるわけが無い。
犠牲に成るかならないかは、死んで見ないと判らないわけだ。いやいや、良く考えれば、誰もが税金の負担も増えるわけだ。それは犠牲ではない?


「最大公約数の幸福」の追求
以前も書きましたが、軍事的な行動に限らず、あらゆる国家的な行動に求められるのは、国民の「最大公約数的な」利益の追求であって、これは戦争や軍事行動だけが特別ではないわけです。

戦争というものが、最大公約数から漏れた人たちにとって、他の国家行動と比較にならないくらいのダメージを与える危険性があることも理解はしますが、だからこそ、目をそらすのではなく、より真剣に最大公約数を高める努力を国に求める必要があると思うのです。

そういう意味で、お玉さんが引用されている山内氏の「特に9条は軍事に公共性を認めていない」「そういう犠牲を生まないために戦争をしないこと」という考え方は「軍隊や戦争は憲法で禁止されているから、考える必要はない」となりかねない危険性を秘めている気がします。
考えないことが、逆にその状態に陥ったときに、より被害を広げることになりかねないからです。

まあ、自民党の政治家の方々の発言がよく問題になるのは、「国益」をとてもじゃないが「国民の最大公約数的な利益」と考えているように思えない言動が目立つからだとは思いますが。


ひさしぶりにコメントします
おお、「あの」人生アウトさんがこちらでデビュー!!今後のコメント欄の展開が楽しみです。

90人のために10人が犠牲になるというような話は、単なる仮定の話ではなくて、第二次世界大戦でもすでにあったはずです。「日本の国体護持のために」犠牲になった特攻兵、太平洋の孤島の戦場で玉砕させられた部隊、沖縄で強制自決させられた非戦闘員、広島と長崎で爆死した一般市民...。こういった例を直視して、日本側の最終責任が当時の日本軍国政権に帰せられることをはっきり自覚しないなら、「90人のために10人が犠牲になる」話をすることすら許されないと思います。

または、上のような現実の例を直視できない人には、次のような仮定の例はどうでしょう。敵から攻撃されていて、脱出のための90人乗りの飛行機がスタンバイしているが、そこには100人の人がいるとします。そのとき、あなたが「飛行機に乗れない10人の中の一人になるのは嫌」なら、こんな問いを国民に投げかけること自体が許されないでしょう。

政治家ならば、戦争やこのような非人間的な極限状況を非軍事的な手段で回避するあらゆる努力をしなければ価値はない、そういうことだと思います。そういう意味で久間元長官は政治家失格だと思います。


はじめまして
「90人を助けるために10人が犠牲になることもある」というのは、ひとつの理論なのですよね。戦争と平和と国家と経済と家族を、一つの碁盤の上に乗せて論じる。
その理論を追究することで、「95人を助けるために5人が犠牲になる」パターンが組み立てられれば、それは前進でしょう。

ただ留意しないといけないのは、一個人がまるで神のような視点から、理論を弄んではいけないということですね。
誰も捨て石にならず、誰も神にならない。そういう基本を揺るがせにする人は、「90人を~」と語ってはならない。

久間元長官の発言が指弾されたのは、政治家の言としては、上の基本を揺るがせにしている、と受け止める余地大だったからでしょうね。政治家の言は、一般のそれ以上に重みがありますから。



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―地震と原発事故がもたらす 報道の二つの流れ(1)― 原発を考えるとき、ウラン採掘による鉱山労働者の被爆から原発稼動による地域への放射能汚染まで、様々な環境破壊を続けていることを考慮に入れる必要がある。 原発による被害者(自分とは遠い存在に思える
※ この作品は「晴天とら日和」さんより、kimeraがいただいた作品です。有難うございます!***************************22時現在!福田の提案を、今小沢が拒否声明!ざまあ!自民!!!!国民のためよりよい提案を国政に空白を作ってはいけないと心から思って提案しまし
「競艇場から見た風景」さんの12月11日の記事「久間ちゃんが初代防衛大臣?」に、 「有事法制の中で、国民保護法制が議論になったときに、元防衛庁長官だった久間章生氏の発言が、朝日新聞の『対論』に出ています。その中で久間氏は『国家の安全のために個人に命を差し出せ
※ 上記作品は、「晴天とら日和」さんより賜りました、kimera使用許可済みの力作です。*********************荻生徂徠の漢詩「桂林荘雑詠 諸生に示す」<道(いう)ことを休(や)めよ・・・・>引用が適切ではないがこのくだりをイグアナ福田に与えよう!イグアナ福田が
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基本的に愛が感じられないコメントはダメ、 (臨時追記)人が知恵熱だといってるのにばんばん記事違いなコメントをこれでもかと送ってくる愛のないものは、完璧にお玉基準的アウト。お玉基準がわからない人は、文句があればよそで愚痴いってOK !基準に対しての文句は受け付けません~~~ここはお玉のテリトリーだもん。なのでよろしく。/p>

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