明けましておめでとうございます。
今年もどうかよろしくお願いいたします。
元旦くらいは穏やかな話題をと思いつつも・・
今年もどうか、ポチッとお願いいたしますm(_ _)m
うずうずと書き殴りたい衝動に駆られ・・(おい、年末反省したところではなかったのか・・(^_^;))
昨年末津久井弁護士の所で読んだ「韓国が死刑廃止国に〜日本の国際的名誉は…」、韓国が事実上死刑廃止国のお仲間入りを果たした記事はなかなか意味深いものがあります。
お玉は軍隊を持ってよその普通の国みたいに戦争のできる国になんか日本をしたくない。
でも、こと死刑制度に関してはとりあえず死刑執行を停止して、法整備や議論を尽くして最終的に死刑制度をなくして欲しい。
そして、人権先進国たる「普通の国」への道を歩んで欲しい。
今年はそういう事をきちんと考える年にしようよ、政治家の皆様。
大多数の国民が死刑存続の希望表明をしたとしても、冷静に議論出来る場を作り、廃止した各国の話に謙虚に耳を傾けてほしい。
いままで何度も書いています。お玉は死刑制度廃止を希望しています。
「お前の大切なものを殺されてもか?」と問われれば、確かにぐらつきます。
お玉が殺しに行くかも知れない衝動に駆られるやも知れない・・
でも、それでも死刑制度はなくして欲しい・・・
津久井弁護士の記事より
(1) 全面的に廃止した国
(法律上、いかなる犯罪に対しても死刑を規定していない国)
アルバニア、アンドラ、アンゴラ、アルメニア、オーストラリア、オーストリア、アゼルバイジャン、ベルギー、ブータン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルガリア、カンボジア、カナダ、カボベルデ、コロンビア、コスタリカ、コートジボアール、クロアチア、キプロス、チェコ共和国、デンマーク、ジブチ、ドミニカ共和国、エクアドル、エストニア、フィンランド、フランス、グルジア、ドイツ、ギリシャ、ギニアビサウ、ハイチ、ホンジュラス、ハンガリー、アイスランド、アイルランド、イタリア、キリバス、リベリア、リヒテンシュタイン、リトアニア、ルクセンブルク、マケドニア(旧ユーゴスラビア)、マルタ、マーシャル諸島、モーリシャス、メキシコ、ミクロネシア(連邦)、モルドバ、モナコ、モンテネグロ、モザンビーク、ナミビア、ネパール、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ニウエ、ノルウェー、パラウ、パナマ、パラグアイ、フィリピン、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、ルワンダ、サモア、サンマリノ、サントメプリンシペ、セネガル、セルビア、セーシェル、スロバキア共和国、スロベニア、ソロモン諸島、南アフリカ、スペイン、スウェーデン、スイス、東チモール、トルコ、トルクメニスタン、ツバル、ウクライナ、英国、ウルグアイ、バヌアツ、バチカン市国、ベネズエラ
(2) 通常犯罪のみ廃止した国
(軍法下の犯罪や特異な状況における犯罪のような例外的な犯罪にのみ、法律で死刑を規定している国)
アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、チリ、クック諸島、エルサルバドル、フィジー、イスラエル、キルギスタン、ラトビア、ペルー
(3) 事実上の廃止国
(殺人のような通常の犯罪に対して死刑制度を存置しているが、過去10年間に執行がなされておらず、死刑執行をしない政策または確立した慣例を持っていると思われる国。死刑を適用しないという国際的な公約をしている国も含まれる。)
アルジェリア、ベニン、ブルネイ・ダルサラーム、ブルキナファソ、中央アフリカ共和国、コンゴ共和国、エリトリア、ガボン、ガンビア、ガーナ、グレナダ、ケニア、ラオス、マダガスカル、マラウィ、モルディブ、マリ、モーリタニア、モロッコ、ビルマ(ミャンマー)、ナウル、ニジェール、パプアニューギニア、ロシア、スリランカ、スリナム、スワジランド、タンザニア、トーゴ、トンガ、チュニジア、ザンビア
(4) 存置国
(通常の犯罪に対して死刑を存置している国)
アフガニスタン、アンティグアバーブーダ、バハマ、バーレーン、バングラデシュ、バルバドス、ベラルーシ、ベリーズ、ボツワナ、ブルンジ、カメルーン、チャド、中国、コモロ、コンゴ民主共和国、キューバ、ドミニカ、エジプト、赤道ギニア、エチオピア、グアテマラ、ギニア、ガイアナ、インド、インドネシア、イラン、イラク、ジャマイカ、日本、ヨルダン、カザフスタン、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国、クウェート、レバノン、レソト、リビア、マレーシア、モンゴル、ナイジェリア、オマーン、パキスタン、パレスチナ自治政府、カタール、セントクリストファーネビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、サウジアラビア、シエラレオネ、シンガポール、ソマリア、スーダン、シリア、台湾、タジキスタン、タイ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、アラブ首長国連邦、米国、ウズベキスタン、ベトナム、イエメン、ジンバブエ
お玉な死刑廃止論はここにまとめてあります・・
お玉、FC2政治ブログランキング と 人気ブログランキングに登録してます。いろんな人に憲法と平和を語りたいから、あんまり過激な事は書かないし、むずかしいことも能力不足で書けません・・それでも、お読み頂けましたら、どうかどちらも、↓ポチッとお願い致しますm(_ _)m 二つもあってごめんなさい
死刑廃止論を読ませていただきましたが個人的にも日本は死刑制度は廃止すべきだと思っています。
それと自分は以前は公明を支援していましたが今は護憲の立場です。
ブログも不定期で更新していますが、まだまだ未熟者です・・・
こんな自分ですが、よろしくお願いします。失礼しました。
ご関心があれば、世論調査にぜひご参加をお願いします!
大阪府知事選世論調査
http://www.yoronchousa.net/vote/3348
政党支持率調査
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回答者の代表性は担保されませんが、様々な考えを持つ多くの方に
参加して頂き、偏りがあったとしてもそれはそれで参考となる
データとしていきたいと思います。
ぜひブックマークもして頂き、調査やアンケートも作ってみて、
お知り合いの方などにもご紹介ください!
世論調査.net - みんなの声!
http://www.yoronchousa.net
お邪魔いたしました。
で、年初早々ですが、こう言う場合はどうなんでしょうか?
俺は人を殺したよ。
なんでだって?だって殺して報復で殺されないからだよ。
それが人権ってもんだよ。殺しても殺されないんだから、法律でそうなってるんだから殺して何が悪いんだ?ええ?
って感じで居直る奴が多発しそうなので、私も死刑には賛成です。
他人の人権を侵害して、他人の人生を暴力で終わらせた者が、公正な裁きの末に死刑を受けるなら、それは人権が守られていると思います。
公正に裁判受けられたんだから文句は無いでしょう。
それとも、裁判の結果の死刑でもなく、リンチ(私刑)で殺された人の人権は無視で、殺した者の人権だけが大事と言う事でしょうか?
公平ではありませんね全く。
ともかく、私がお玉おばさん様の言ってる事で一番引っ掛かるのは、「個人なら許す」「国は許さない」と言うダブルスタンダードです。
殺人は個人がやったから良し、死刑は国が行うから悪い。そう思ってませんか?
ぐだぐだ言うより先に、殺された人の人権は一体何処の誰が償うのかを説明して欲しいですね。
殺された人は暴力、しかも私的な理由と私的な暴力で殺されてます。それは仕方ないが、死刑は国が法律に基づいて行っていますがそれは悪い。
そう決め付ける根拠をお示し下さい。
私は私的な暴力による被害者の発生を防ぐ担保として死刑の存続はあっても良いと思います。
担保としてです。その上で死刑に該当する輩が出た場合には、それは個人の責任でしょうね。
さて・・・
できればお玉が記事の中で提示しているカテゴリー死刑廃止論関連記事 は全部お読み下さい。m(_ _)m(大丈夫ホンノ4つほどの記事です。大した量はないです)
お玉の根拠なんて、どうしようもなく至らないものではありますが・・・たとえ「ダブルスタンダート」といわれてもお玉自身はそうは感じない。もし三輪様がお玉と議論をしようと、お思いならばそれは無理です・・その技術も知性もお玉はあなたに劣るでしょうから・・勝負になりません。
それでも、お玉は「正義のための死刑存続」というものを望まない・・
人を殺した者の人権だけ守られて殺された者のそれは無視される、とお考えですが、僕はこれを人権という架空の概念で考えない方がよいと思います。一般的に、この世に生まれ出た多くの命がさまざまな理由で失われていきますね。それは病気であったり事故であったりあるいは戦争やら暴力やらの人為的なものであったりします。で、われわれ人類はそういう不幸な出来事をできるだけなくそう、防ごうと努力してきたはずです。それが医療の発達であったり科学技術の振興であったりします。しかし、暴力をふせぐ手段だけはなんと、いまだに発見あるいは発明されていません。ごく原始的な、やられたらやりかえす、との観念でそれに対処する人がおおぜいいます。果たしてそれでよいのでしょか。
三輪さんの述べられた死刑存続の必要性も、その延長にあると思います。言いたいことは、本当にそれでしか、暴力を防ぐ、あるいは抑える手段はないのだろうかということです。先に人権という言葉でこれを論ずるのを避けたのは、人の生まれ持つ権利を考えたとき、ただ生きることでなく、幸福に生きること、他者とのよい関係をつくりあげることもまた、当然保障されるべきものではないか、それを単に人権という言葉で言い表すことはできないと考えたからです。
長くなるのを嫌うため簡略に書きますが、極論、人を殺めた者もまた、本来は自分が壊した他者との関係を補い続けていく義務があるはずだと思います。ただこの世から抹消されて済む話ではないと考えます。死刑はひとつの殺人です。それを、国家が為すことだから仕方がないとは思いません。殺す以外に、起きたことを修復する方法はないのか、それを考えるのが人類の未来につながるカギではないかと思うのですが。でなければ、殺し合いを通じて悪化した多くの人々の関係は、未来永劫に修復されないことになります。
う〜ん、死刑云々より、日本自体さらに言えば、ニンゲン自体がさっさと滅びれば良いと思います。
他の動物と比べ、ニンゲンだけが地球にとって最悪のシロモノ、害虫ですから。
そうなれば、殺人(殺すのはニンゲンだけです)なんて起こらないし、社会にとって都合のいい法(死刑とか)も作る必要もなくなるわけです。
と、前置きをして(議論はヘタだし、論理的でもありません)
人権についても、どんなのが先進国でどれが後進国なのでしょうか?
ニンゲンの個を(なるべく)一人でも生かすことが、「社会(集団生活)」にとっては良いことでしょうか?
あるいは、「ニンゲンの個々」にとっては良いことなのでしょうか?
この二つは、相反するものであると思います。
殺してしまった個は、殺された個にとって、死をもって償わなければならないと思います。
しかし、個が個を死(刑)に至らしめるのでなければ、上記は成り立たたせてはいけない、とも思います。
つまり、私が分かること納得できることは、国家(社会集団)が個を殺してはいけないのだろうということ(だけ)です。
どんな死刑廃止論、死刑存続論があろうとも、それは結局どちらかを納得させるためだけの予測不能のお話にしか過ぎません。たかがニンゲン、それも極めて欠陥だらけの一生物が何を言ってるやら、というイヤな感じがするのです。
なんか幼稚っぽい意見で、すんません。
死刑制度は、犯罪を犯した人がいてはじめて行われる制度なのですから、そのような罪を犯す人がいなくなれば制度は残っても実質上ないことになります。
制度をなくすことを主張よりも、犯罪をなくす運動をされるほうが他国から戦争を仕掛けられることを全く考慮していない憲法九条を信奉する人らしくて良いと思うのですが。
ことしも、ちょくちょくお邪魔させていただきます。
基本的にお玉さんの「法整備や議論を尽くして」と同じ考えですが、自分は「死刑」はあっても可なんですよね。
思うに、死刑廃止を声高に唱える人々に不足しているのは、
人一人の、人生・未来・可能性・他者との繋がり等それら全てを、個人の利益・欲望のためだけに「無」にした者への量刑とはどのようにあるべきか?
絶対的少数である被害者家族・縁者の無念さ・復讐心をどう晴らすのか。
といった言及が無い、もしくは、取り上げられてない。
また、「無期懲役」という刑が、一般的にはあいまいな印象を与えているのではないかと……
これらのことをもっと議論する必要があると思います。
とはいっても、絶対に民意によって決められるべきとは思ってはいません。民意に背いていようとも、本当に死刑廃止が必要であると政府が認識し、採用した場合でも、それがある程度納得のいく理由が添えられているのであれば、指示することは無くとも非難はしないでしょう。
(例えば、民意として戦争を望んだとしても、政府がそれを選択するべきではないのと同意です)
WOWWOWにて「墨攻」を観ました。「非攻」「兼愛」を唱える墨家は現在の9条に通じるものがある(逆か)と思いましたが、結末はあまりにも不憫でしたね。だからと言ってハリウッド的結末は望んではいないのですが……
2008年スタートしました。
のっけから死刑廃止論とは重たい内容ですが。(笑)
「刑罰」については、「教育刑」と「応報刑」の2つの考え方があり、「文明国の立場」でいえば前者になるわけですが、「人間の感情」からすれば後者になるわけで、この2つの葛藤を踏まえて、人々が理解し納得するプロセスを歩むことが必要となると思います。
死刑存置に対する批判のポイントは、お玉さんはご存知だと思いますので、割愛します。
死刑廃止に向けての最大の問題点、すなわち、「大切な人を殺した人が生きているのが許せない」という人として当然持つ感情の部分を考慮しないままに廃止すると、今度は、「あんな法は守らなくても良い」ということが起こってしまう。
死刑廃止に消極的あるいは反対の立場というのは、このことを怖れているわけです。
よく人権団体等が「世界の趨勢」や「人権後進国」というような表現をしていますが、上記の「許せない」という感情を抱く人にとっては、それこそ『でも、そんなの関係ねぇ!』ですから、死刑廃止運動にはほとんど効果がないどころか、最悪、さらに「だから死刑は必要だ」という感情を芽生えさせる危険性すらあります。
従って、世界の流れとか人権後進とか、そういうのは良くない。「なぜ死刑を廃止するのか。廃止したとき、死刑を求める人をどう昇華させるのか」といったことを中心に論じた方がいいかと思いますね。
一つめは、暴力の抑止を報復によって行うのは、正しいとは思えない。だから死刑制度には反対だ・・
とのことですが、現在、報復以外の抑止力は見つかっていませんね。
では、それが見つかるまでは、死刑を容認できますか?
二つめは、自分が壊した他者との関係を修復する義務がある・・とのことですが
死刑では修復できなくても、終身刑や懲役なら修復できるということですか?
それとも、現行の刑罰自体に反対で、新しい制度を導入すべきってことでしょうか?
三つめは、死刑とその他の刑罰を、明確に区別されているようですが、どんな理由によるものなのでしょうか?
加害者に加えられる刑罰は純粋に法律によって定められるべきもので、被害者遺族の報復感情などという非論理的なものが加害者の刑罰について影響をもたらすべきではない。
犯罪に対しては、それがおきてしまった理由を明確にし、再発を防ぐために対策をとり、加害者を正しく更正させることこそが社会が取るべき方策である。
被害者ないしその遺族が報復したいという感情を持つことはいたしかたない面もあるが、他人を害したいという感情を持つことは精神的に病んだ状態であり、社会の側からの積極的な働きかけによって速やかにそうした感情を解消させる必要がある。
・・・とまあ、死刑廃止論から『国際的標準だから』という理由を抜き取るとだいたいこんなところでいいでしょうか?
(私は『世界標準だから』という理由で死刑廃止をするのは反対なので)
一つ。死刑廃止国では、「俺は人を殺したよ。殺しても殺されないんだから、法律でそうなってるんだから殺して何が悪いんだ?ええ?って感じで居直って復讐殺人を犯す奴」が多発しているところはないということ。
二つ。死刑廃止国で凶悪犯罪の発生率が一律に上昇していることはないこと。
三つ。死刑廃止と凶悪犯罪防止策とは決して矛盾しているわけではないこと。
「死刑って何?何でそんなのがあるの?」
死刑を本当に理解して議論しているのでしょうか。
死刑には社会にとってどんな機能があるのでしょう。抑止だけでなく、宗教や穢れなどもっと深いレベルで。
本当に暴力を抑止するためでしょうか?他にももっと多くの意味があるのでは…公開処刑が娯楽であり、神聖な儀式であったように。
廃止した国は、どうやってそれまで死刑が果たしてきた社会的機能を代替しているのでしょうか。
被害者のケアも含めて、様々な問題があると思いますが、死刑廃止国にそれを聞いた人は?
死刑廃止国に問題は起きていない、と死刑廃止論者がいくら言っても説得力はないです。物事には必ず両面があるはずですよ。
自分なりの答えを以下に。
>現在、報復以外の抑止力は見つかっていませんね。 では、それが見つかるまでは、死刑を容認できますか?
容認したくはないですね。ですけど、現に認められているものを僕ひとりでは如何ともしがたいということは言えます。
>死刑では修復できなくても、終身刑や懲役なら修復できるということですか?
それとも、現行の刑罰自体に反対で、新しい制度を導入すべきってことでしょうか?
現行の刑罰では限界があることには、たぶん多くの人が同意するのではないかと思います。これも、上と同じく代替となるものが採用されない限りは如何ともしがたいということです。詳しい知識は持っていませんが、被害者と加害者の間でなんらかの相互理解や感情的合意が可能になるような方法、が存在し、アメリカの一部でそれが行われていることを以前知りました。正確でなくてすみません。
>死刑とその他の刑罰を、明確に区別されているようですが
そのつもりはないですよ。ここでは死刑に関する議論なので、それをポイントにおいただけです。ただ少し言わせてもらえば、死刑は罪を犯した人間の命を奪う行為です。他の刑罰とはその点が違います。ここで他の方の論に言及しますが、命はどれも等価だからひとつを奪ったなら奪われるのは必然だ、との意見には同意しません。そのように数として同じ扱いをするのでなく、ひとつひとつが大事で、だからこそたったひとつでも安易に失われてはならないし、また失われたひとつの命をほかの命で埋め合わせることもできないはずです。被害者遺族の感情を慮った死刑は、埋め合わせることのできないものを無理に埋め合わせようとすることになるように思えます。
MDとともに、死刑の話に反応してしまう私です。
死刑を考えるときに思うのは、付属池田小事件です。
宅間被告は、「自殺してもどうせ生還することは分かっているので、大量殺人をして死刑になろう」という絶望的で自暴自棄的な考えから、附属池田小の児童8人を殺害してしまいました。
この場合、死刑には犯罪の抑止力がないだけではなく、死刑が犯罪の目的になっています。
宅間被告は自分を死刑にしてもらうために、何の罪もない児童たちを犠牲にしたのです。
死刑がなければ、子供たちは死なずにすんだでしょう。
またアメリカで多発し、日本でも佐世保で発生した銃乱射事件では、犯人は自殺することが多く、死刑は大量殺人の抑止力にはなっていません。
追い詰められて自暴自棄になった人間には、死刑は無力だと考えるのが妥当ではないでしょうか。
死刑には犯罪抑止力以外に、もうひとつ冤罪という大きな問題がありますが、それはまたの機会にしたいと思います。
鈴木英司さん(53歳)は今から15年前に、金を貸していた日本人が金を返すと言ったので、初めてフィリピンを訪れた。しかし、結局その日本人と会うことはできなかった。帰国前日に関係した商売女から、「日本に住む友人に渡して欲しい」と箱を預かった。翌日、鈴木さんは空港で麻薬所持の現行犯として逮捕され裁判の結果、死刑となった。
その後、フィリピンでは死刑制度が廃止され、鈴木さんは終身刑に減刑された。フィリピンの終身刑は日本の無期懲役と違い、死ぬまで刑務所から出ることはできない。鈴木さんは「冤罪だ」と主張しているが、日本大使館は「個人の問題だ」として、一切の介入を避けている。
現在もタイや中国などでは、一定量以上の麻薬を所持して逮捕されると死刑になる。
死刑存続論者の皆さん、私と一緒に中国へ旅行しませんか? あなたには、たっぷり保険を掛けてあげる。中国は2006年の1年間だけで6千人以上が死刑になったらしい。しかしこれは政府発表で、アムネスティによるともっと多いとか。
ところで三輪耀山さん、あなたが死刑になって死んだ場合でも、私は保険金を受け取ることができるだろうか? 私は、それが心配で眠れない(笑)
コウトさんの主張は、
死刑反対というより、刑罰反対みたいですね(笑)
終身刑や懲役刑にも反対されるのでしょうか?
犯罪者の命を大切に想われているようですが、
彼らの人生を破壊する刑罰については、どうお考えでしょうか?
よく、『死刑は国家による殺人』だから反対だと主張する人達がいますが、
彼らも『国家による拉致監禁』は認めているようですが・・?
死刑を本当に理解する、ってどういう意味でおっしゃっているのかわからないのです。Chic Stoneさんご自身は死刑を「本当に」理解しているとお思いでしょうか?あるいは、死刑を「本当に」理解した状態とはどういう状態をいうのでしょうか?
「それまで死刑が果たしてきた社会的機能」というのもわかりません。1981年にフランスで死刑廃止を担当したロベール・バダンテール法相の国民議会演説にこういう一節があります。
「国家は市民の命を奪うところまで市民を意のままにする権利を持っているという考えに死刑は由来する。それゆえに死刑が全体主義政体の中には規定されている。」
ここに示されているのは、死刑の社会的機能は民主主義にとってはマイナスのものでしかない、という認識です。逆に、死刑のプラスの社会的機能が何だとChic Stoneさんが考えているのか、私はそれを知りたいです。もし、「犯罪抑止機能」とおっしゃるのなら、あらかじめ、「死刑制度があることによって凶悪犯罪が抑止されているという証拠はないというのが数多くの犯罪研究の蓄積から出た結論である」と申し上げますが、それ以外に「プラスの社会的機能」があるのならそれを知りたいです。
返事は今夜まで待ってください。
犯罪者の命を大事にするというのではなく、悪をなくすのにそれを為す人間の命を奪うだけではダメだと言いたいのですよ。
>Chic Stoneさんご自身は死刑を「本当に」理解しているとお思いでしょうか?
とんでもない。まったく分からないです。
>あるいは、死刑を「本当に」理解した状態とはどういう状態をいうのでしょうか?
それも分かりません。でも少なくとも、「死刑」、そして「刑罰」というのはもっと考えていいものではあると確信しています。
>ここに示されているのは、死刑の社会的機能は民主主義にとってはマイナスのものでしかない、という認識です。
それだけでしょうか?たとえば、「宇宙人の文化人類学者が死刑を見たら」それは古代における生贄、宗教的儀式の残滓とみなすかもしれません。
>逆に、死刑のプラスの社会的機能が何だとChic Stoneさんが考えているのか、私はそれを知りたいです。
わかりません。でも、もしそれほど死刑が無意味なら、なぜ死刑がほぼ全ての国にあったのでしょう。
単純に、脅して従わせるためだけとは思えません。
純粋に脅迫なら、殺すよりも非常に長い時間をかけて公開で拷問し、重度障害を負った状態でさらし続けたほうが有効だった可能性もあります。
僕は宗教的な、「穢された共同体を清めるための生贄」という目的も大きかったと思うのです。他にももっと深い意味が考えられるでしょう。
生贄で刑罰を代替する、賠償で遺族の復讐を抑えるなど様々なシステムが古代社会には存在します…現在の刑罰も、古代社会の残滓という面が大きいのでは?
そして、その非常に深い心理的な面を無視し、代替システムなしに制度を変えるのは危険では?という疑いがあるのです。乱暴に理解もしていない臓器を除去する愚を犯してはなりません。
僕が言いたいのは、物事を簡単に考えたいという誘惑に抵抗し、より深く考えてみようということです。「反民主主義」「国が人を殺してはならない」などの簡単な言葉で思考停止しないでください。逆に「命には命を」というのも「血は血で清めよ」という古代社会の考えだと自覚しましょう。
たとえば…刑罰自体ももっと根本から考えては?なぜ懲役なのか、というのも考えていいでしょう…現在の医療技術なら「後遺症のない純粋な苦痛」も可能なはずです。
そして再犯防止、教育を言うなら、全然未熟ですが薬物や脳手術を含めた人格改造技術を研究してもいいでしょう。
僕は現在あるシステムから考えるのではなく、せめてその「現在あるシステム」を疑う立場からものを考えたいのです。
最も民主主義社会にふさわしい、それでいて「人間」がサバンナの群れ動物であり、かつ個我という厄介なものも持って、文明生活=家畜状態のため慢性精神病状態にある変な動物であることにも目をそらさない、刑罰体系は何でしょうか?
できれば「宇宙人の地球潜入調査員」のレベルまで脳を掃除してから考えてみましょう。
死刑廃止国・廃止州が、死刑を廃止したがために犯罪が多発し社会秩序が崩壊した、と言うようなケースは無かったこと(統計データによるとむしろ死刑廃止州より死刑存置州の方が凶悪犯罪は多いとのこと)などから考えても、死刑の一般予防効は無い、仮に有っても教育・雇用の確保・犯罪捜査能力の向上等の他の要素に比べれば微々たるものに留まる、というのが実情でしょう。
他方、死刑存置に伴うリスクは一般予防効の有無に関わらず生じます。冤罪や死刑執行者のストレスなどがよく挙げられますが、私は死刑が自由な政治活動を圧迫する脅威になり得ることも挙げるべきだと思います。世界的・歴史的に見ても有力者が政敵を威嚇し、排除せんがために死刑を「活用」したことは事実ですし、現に東アジアでは珍しい死刑廃止国となった韓国・カンボジアはいずれも戦後そういった不幸な時代を経てきた国でもあるわけです。
死刑がこのようなリスクを帯びる以上、そのリスクを超える利益がなければ死刑を存置することは許されません。そして前述の通り一般予防効が有るのか無いのかわからないレベルの代物である以上、最大の利益は「犯罪者を殺したい」という応報感情を満足させる、という点に求められることになるでしょう。果たして民主主義の基礎たる自由な政治活動への脅威、冤罪による刑死という個人の尊厳への最大級の侵害と言うリスクを侵してまで、応報感情の満足と言う感情的利益を追い求める価値はあると言えるのでしょうか?
>僕が言いたいのは、物事を簡単に考えたいという誘惑に抵抗し、より深く考えてみようということです。
はい。「死刑には凶悪犯罪を抑止する効果がある」とか「被害者感情を考えて死刑を支持する」とか物事を簡単に考えたいという誘惑に私は抵抗して、より深く考えて自分のブログでも死刑廃止関係の記事を書いています。よろしければごらんください。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-category-4.html
●罪を裁く、許す、償う、罰するなどは本来神の領域では?
●福音書をどう読んでも死刑はもちろん刑罰は全部だめだろうが、なぜあらゆるキリスト教国家に最近まで死刑が?その死刑を容認した当時の神学者の論理は?
●死刑に原始宗教儀式の面は?それがあるなら政教分離規定違反では?
●政教分離で法は神なしでやるならどのように罪を扱える?
●刑罰の主体は国家?共同体?神?被害者遺族?それらは何者か?
●本当に終身刑が最善か?また本当に死刑で十分か…超苦痛刑が可能ならば?現代の技術で可能なあらゆる刑罰・人格改造は?
●多様な被害者遺族にどんなケアができる?
●復讐権をどうする?国が代わって復讐するから仇討ち禁止だ、という契約の破棄には?
●殺人ではないがそれ以上の非道には?
●人間をどんな存在とみなす?
存置論者:生来善悪にはっきり分かれ更正不能
廃止論者:環境次第で犯罪者にも天使にもなるので環境がよければ犯罪はない、犯罪者は適切な指導で確実に更正可能
この考えはどちらにとっても単純すぎる?双方の例外はどう扱う?
(僕はカオス要因が強く、どんな環境・教育でも一定の率で現在ある方法では更正不能なほど邪悪な人間は発生しうると考えています。ただし、精神医学自体今はとんでもなく未発達なジャンルだとも思います)
●更正のためにどんな手段が許される?
●感情は完全に無視していい要素か?
〜たしかな野党 支え続けて 上げ潮めざす!〜
僕は、殺人を犯した加害者に死を与えるのは一番簡単な解決法だと思います。被害者の肉親や多くの人々の憎しみを一身に受けて死んでいってくれるのだから、そんな便利な話はない、と言えます。他の方が書いている内容に重なるのですが、こういった凶悪犯罪が行われる背景には何があるのか、または加害者となる人間の人間形成にいかなる問題があるのか、というような「罪」を発生させる原因に目を向ける必要があるはずです。でなければ、起こったことを表面だけで捉えて処理することで社会の安定を図るやり方を、容認してしまいます。要するに、為政者にとって楽な方法であるということです。統治の失敗を失敗とせずとも、問題となった部分を切り離すだけで済ませられる。あれは間違った人間だった、だから排除した後はみな安心して暮らせばよい、といわんばかりです。ですが、問題はそれで終りでしょうか。
死刑を認める人たちの主張にある「応報」の感情は、実はもっと大きな舞台設定の中で裏側から操られる人形を憎んでいるようなものだ、と僕は思います。悪は加害者の心に芽生えたものですが、その人間自体は悪ではない。司法は心を裁いて改心させる機能を持たず、為された過ちに対して社会的制裁を与えるものです。ですから、悪を消し去ることはできず、たまたま悪の誘惑に負けた人間に罰を与えるだけしかできない。ここから先はもう、理屈ではなくて、それは変じゃないか、と思います。
心地よいことの誘惑には誰しも負けてしまいますね。暑い夏には涼みたい、寒い冬には温まりたい、お腹が空けば食べてしまう、きれいな女性には声を掛けてしまう(あれ?)、それと同じように、好ましいものには惹かれ、嫌いなものは遠ざける。憎いものはけなし、または痛めつける。それが高じて「殺す」ところまで行ったときに、それをした人間は死刑を宣告される、というわけ。でも、憎い相手をやっつけてやることは、その人の心にしてみれば自然ではないですか?それが心に素直に従った行いです。ですが、それをしてはいけない、と社会では決められている。その掟を破ったから、罰を受ける。 自分の心に従った行いが法によって咎められたなら、その人は反省すべきなのでしょう。でもどうやって?
つまらないことを長々と書いてしまいました。死刑によって悪は滅びるかという問いを発したら、答えはノーです。刑罰で人の行いを律するのは、やるべからずと脅す効果はありますが、人がその脅しを振り切って行う犯罪に関しては効き目がありません。ガンになるよと脅されても、タバコをやめない人は大勢いますね。喫煙は犯罪ではないのでいいのですが。
えーと・・刑罰には二つの役割がありますね。
一つはコウトさんの言われている『再教育』
もう一つは『犯罪抑止』です。
さらにコウトさんは、刑罰で犯罪を撲滅できるのか?まで考えられているのですね。
ただ、この三つを一緒にするより、一つ一つ考えた方がクリアになるのでは?
私は刑罰の本質は『犯罪の抑止』だと思っています。
コウトさんの言われるように、人間は80点以上の欲望には勝てません(笑)
その時、85点の女性がいたら・・間違いなく手を出すでしょう。
しかし、女性の横にヤクザがいたら?
ヤクザへの恐怖50点がマイナスされ、女性は35点・・手は出さないですね(笑)
刑罰とヤクザは同じ役割です。
死刑も含めた刑罰があるから、犯罪が減っているのは事実でしょう。
もし、違うのなら飲酒運転を厳罰化した意味も無くなりますね。
本来はそれを認めたうえで
『でも死刑は厳し過ぎる』
と主張するのが普通でしょう。
『ヤクザは必要ない。普通の男で充分だ!』
なら同意します。
5点以下の男性では、役に立たないですが(笑)
その場合は厳罰化が必要ですね。
私は死刑廃止の議論をするなら、これが本質だと思っています。
刑罰の中で、死刑だけを特別扱いする主張には、違和感があるんですが・・
さて、これで死刑執行を停止することが必要な事実だということが明瞭なのですが、問題は刑罰の意義・効果ですね?
刑罰は応報感情の実現で「見せしめ」として社会に恐怖を与え犯罪を抑止するというのが応報刑です。端的にいって、「目には目を。歯には歯を。」または、それ以上の質の制裁を実現することです。例えば、腹部をナイフで刺されるという殺人未遂事件があった場合、犯罪者の腹部をナイフで刺すのはもちろんですが、さらに目をくり貫くなど、それ以上の制裁を実現するということです。これが質的な意味での応報刑から見た厳罰化です。
量的な厳罰化は教育刑の範囲になります。つまり、刑務所へ犯罪者を隔離して再教育、医療を施していく時間が長くなったということです。法定刑を伸ばす必要性は、刑務所の更正教育、更正医療が政治、経済、社会的な原因で現状として困難になっているからです。
ゆえに、懲役刑、禁固刑などは応報刑ではなく、教育刑であり、応報による恐怖、やくざの恐怖のごとく、犯罪を抑止するということではないのです。
現状、刑務所内で「見せしめ」的な応報刑的な実態があって問題になっていますね。皮手錠、肛門放水圧死事件、肛門検査による虐待など。このような現状が刑務所にはあるので、法定刑の引き上げを質的な意味でも量的な意味でも厳罰化だといっているに過ぎません。
こうして、死刑の廃止を主張することは応報刑の廃止を意味するが、教育刑の廃止を意味しないわけです。
でも、僕は、死刑の抑止効果はあるとは思うんだけれども、死刑に賛同する人達は、死刑の抑止効果ばかりをあまりに重視して、死刑の抑止効果という面ばかりを過大評価し過ぎているのではないかと思うのです。
死刑に抑止効果があるといっても、それによって起こらなくなる殺人事件は少数だと思うし、それよりも肝心なことは殺人事件がなぜ起こるのかをもっと本格的に追求し、どうすれば犯罪者を更生させ、殺人事件が起こらないような社会にしていけるか?を社会全体で考え、取り組んでいくことではないでしょうか?
やはり原因を取り除かなければ解決しないわけで、その努力がなおざりにされてしまっていることが問題だと思うのです。
死刑の抑止力ばかりを重視して、あまりに過大評価して、死刑制度があるからと人々が安心してしまっていて、殺人事件が起こる社会を変えていこうというもっと本質的な、肝心なことはなおざりになってしまっていて、取り組まないでいるところに現状の問題点があるように思うのです。
死刑廃止については、僕個人は死刑は廃止したほうがいいのではないか?と考えていますが、あくまで民主的な手続きを通過した上で、死刑廃止に賛同する国民が多くなった段階で死刑廃止にするべきだとは思うので、現状で死刑の判決が出ていることは不当だとは思っていないし、現在、死刑が執行されることに対して全面的に反対というわけではないんですが。あくまで将来的に死刑は廃止したほうがいいと思うということで。
だから、死刑の話だと、存置か廃止かという点が議論になるんだけど、それも問題かもしれないけど、それよりももっと問題なのは、殺人事件が起こらない社会にするにはどうすればいいのかということに社会をあげて取り組むことがなおざりになってしまっているのではないか?ということのほうなのではないかと思うのです。死刑制度があることで人々が心理的に安心してしまっていて、そうした面の取り組みがなおざりになってしまっているところがあるのではないか?ということです。死刑に賛同する方たちにも、その点をもっと考えてほしいと思うのです。
いくつか疑問な点があるのですが・・
まず、死刑で殺人が抑止できない・・ですか?
あの・・抑止って完全に無くすってことではないですよ。
年間300件あった殺人が、299件になったら抑止効果ありでしょ(笑)
逆に聞きたいのですが、
終身刑や懲役刑に、殺人の抑止効果があると思われますか?
あと、死刑に殺人以外の犯罪を抑止する効果がありますか?
次に、懲役刑や禁固刑は教育刑だから、恐怖による犯罪の抑止効果は無い・・ですか?
あの・・いくら教育刑と言っても、懲役を受ける人は、失業しますよね?
家族や友人とも暮らせませんよね?
自由な行動もとれませんよね?
そして、これらのことを拒否することも、出来ませんよね?
これが『恐怖』でない!?
正直、ビックリしました(笑)
最後に、死刑は応報刑だから廃止すべきだが、
懲役刑や禁固刑は教育刑だから問題ない・・ですか?
では、終身刑は?
終身刑は認めるのでしょうか?
死刑廃止派の中には、死刑の代替として、終身刑をあげてる人もいますが・・?
これはいろんな人がコメントしていますよ。お読みください。
一つ。死刑廃止国では、「俺は人を殺したよ。殺しても殺されないんだから、法律でそうなってるんだから殺して何が悪いんだ?ええ?って感じで居直って復讐殺人を犯す奴」が多発しているところはないということ。
二つ。死刑廃止国で凶悪犯罪の発生率が一律に上昇していることはないこと。
三つ。死刑廃止と凶悪犯罪防止策とは決して矛盾しているわけではないこと。
[2008/01/02 13:38] URL | 村野瀬玲奈 [ 編集 ] TOP ▲
死刑には犯罪の抑止力がないだけではなく、死刑が犯罪の目的になっています。
宅間被告は自分を死刑にしてもらうために、何の罪もない児童たちを犠牲にしたのです。
死刑がなければ、子供たちは死なずにすんだでしょう。
またアメリカで多発し、日本でも佐世保で発生した銃乱射事件では、犯人は自殺することが多く、死刑は大量殺人の抑止力にはなっていません。
追い詰められて自暴自棄になった人間には、死刑は無力だと考えるのが妥当ではないでしょうか。
[2008/01/02 17:35] URL | MNG [ 編集 ] TOP ▲
死刑による利益の筆頭として挙げられる一般予防効は、各種の統計データによってその有効性を疑問視される段階に至っています。アメリカにおける死刑廃止州・存置州の比較や、ある国での死刑廃止前後の比較において、死刑廃止が原因と見られるような死刑対象犯罪の顕著な増加が見られなかったことが、その根拠として挙げられています。
死刑廃止国・廃止州が、死刑を廃止したがために犯罪が多発し社会秩序が崩壊した、と言うようなケースは無かったこと(統計データによるとむしろ死刑廃止州より死刑存置州の方が凶悪犯罪は多いとのこと)などから考えても、死刑の一般予防効は無い、仮に有っても教育・雇用の確保・犯罪捜査能力の向上等の他の要素に比べれば微々たるものに留まる、というのが実情でしょう。
[2008/01/03 12:52] URL | trilemma [ 編集 ] TOP ▲
。「死刑には凶悪犯罪を抑止する効果がある」とか「被害者感情を考えて死刑を支持する」とか物事を簡単に考えたいという誘惑に私は抵抗して、より深く考えて自分のブログでも死刑廃止関係の記事を書いています。よろしければごらんください。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-category-4.html
[2008/01/03 15:22] URL | 村野瀬玲奈 [ 編集 ] TOP
殺人や犯罪への抑止力は福祉政策、教育政策、雇用政策などの組み合わせです。その一環として犯罪者を隔離して教育する刑罰があるのです。これが教育刑論から言う犯罪抑止力です。福祉政策、教育政策、雇用政策などの組み合わせが犯罪を減らしもするし、無くしもするのです。犯罪・殺人がなくなるという根拠は人間は生まれながらに犯罪者ではないという事実にあります。
刑務所に隔離されて教育刑を受けることは恐怖が恐怖でないかといえば隔離されるわけであり、恐怖ですね。しかし、恐怖が犯罪を抑止しているのではないというわけです。犯罪を抑止するのは恐怖ではなく福祉、教育、雇用政策などの組み合わせなのです。恐怖が犯罪を抑止するというというのは人間を恐怖で支配するということですから、事実無根です。人間は生まれながらに犯罪者でもなければ恐怖で支配できる存在でもないのが事実です。人間は生まれながらに自由だということです。
3:「最後に、死刑は応報刑だから廃止すべきだが、 懲役刑や禁固刑は教育刑だから問題ない・・ですか? では、終身刑は? 終身刑は認めるのでしょうか?」
原則としては仮釈放ありの無期懲役刑です。人間は生まれながらに犯罪者ではなく、社会に原因があるので更正教育によって社会復帰できるというのが原則だからです。しかし、具体的な社会状況の中で、無期懲役の受刑者に更正教育を実施しても仮釈放の基準に到達しない場合のありますので、この意味で終身刑もありうるということです。
う〜ん・・恐怖が犯罪を抑止してるのではない。事実無根だ・・ですか?
つまり、捕まるのが怖いから、罪を犯さない人などこの世にいない・・ということですね。
では、国が駐車違反の取り締まりを止めます!と宣言しても、違法駐車は増えないと思いますか?
捕まるのが嫌で、交通ルールを守っているドライバーなどいないのでしたら、増えないでしょうね(笑)
そして、恐怖で人を支配できない・・ですか?
では、なぜナイフを突き付けられて、財布を渡す人がいるのでしょうか?
恐怖に支配されていませんか?
次は、えーと・・死を覚悟した人間に死刑は無力・・ですか?
無力なのは死刑だけでなく、全ての法律ですね。
何故、無力なのか? それは、死を覚悟した人間には、法の恐怖が通用しないからでしょう。
つまり、一般の人間には恐怖が通用するってことですね。
最後は、死刑を廃止しても凶悪犯罪は増えないから、死刑に意味はない・・ですか?
え〜・・ここに三つの刑罰があります。
死刑、終身刑、懲役刑です。
このうち、死刑を廃止しても犯罪は増えなかったわけですね。
あの・・増えなかった理由は、終身刑(ロングの懲役刑含む)があったからでは?
仮に、死刑ではなく、終身刑を廃止しても凶悪犯罪は増えないでしょう。
それは死刑があるからですね。
そのデータは、死刑が無意味なのではなく、死刑と終身刑が同等の効果を持つことを示しているのでは?
もし、死刑も終身刑もロングの懲役刑も、全て廃止したらどうなるでしょう?
何をしても懲役10年までとなったら、凶悪犯罪は増えないでしょうか?
逆に死刑と終身刑を残して、懲役刑を廃止したら?
窃盗も詐欺も痴漢も、全て死刑か終身刑です(笑)
犯罪自体が減るとは思いませんか?
まさに、恐怖による犯罪抑止ですね(笑)
これがすべてですよ。恐怖が通用するということは人間は生まれながらに犯罪者ではないということです。ですから、恐怖が犯罪を抑止しているように見えますが、実は人間の本性が犯罪を抑止しているんです。人間が生まれながらに自由な存在でなけければ恐怖を与えても抑止できないでしょ?つまり、犯罪抑止が効くのは人間が恐怖によっては抑止できない存在だからです。
ですから、恐怖による抑止ではなく、福祉、教育、雇用政策などの一環として犯罪者を隔離し、その更正を図るのが教育刑です。恐怖によって人間を更正させるのは事実無根だし、恐怖を与える応報刑こそ犯罪の原因だと知るべきです。
また、あらゆる資源が有限であるという事も。
一応言っておきますが、恐怖による抑止力の効果は極めて高いんですよ。
過去にそういった手法で統治を安定させている例は、多数存在します。
私も、おそらくあり得ると思います。一応、事例もあるようですし。
Wikiより。
>犯罪者に対する効果
死刑制度があることで犯罪者が死刑を自覚することで、死刑適用犯罪の抑止に繋がるとの主張は根強いものがある。事実、個別の事件を見ると、闇の職業安定所で知り合った3人が女性一人を殺害した愛知女性拉致殺害事件の後にも犯行を続行しようとしたが、容疑者のうち一人が死刑への恐怖から自首したという例もある。[2]そのため、死刑制度の存在が新たな犯罪の発生と事件の解決に繋がるとの見方も当然できる。この自首制度に対してはたとえ凶悪な犯罪を犯したものであっても捜査機関に協力して「自首」が認定[44]されれば、減刑されるため一種の司法取引との批判もある。また、この抑止効果であるが自分自身の生命すら省みない自暴自棄な者や、殺人による快楽のみを追い求めるシリアルキラーには働かない可能性が高い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C
ただし、「死刑に犯罪抑止力がない」と断定はできないとしても、どの程度目立った効果があるかも定かではなく、結局死刑による抑止効果については、またまたWikiの記事文ですが
>死刑および終身刑にあたる凶悪犯罪が近代国家では少なくないこと、さらに統計では因果関係を明示することができないことから、統計的に結論が出るのは難しいのが現状である。
としておくのが妥当ではないかと思います。
ですから、抑止効果云々はこの問題を考える上で、あまり決め手にはならないのであろうという意味においては、ご意見に賛同いたします(ここまでは補強コメントのつもりです)。
以下は若干の異論です。別投稿にします。
「社会を変えることで個人を変える」という社会決定論的な発想。それを全否定はしませんが、方向性によっては危険な側面があります。
「殺人事件が起こらない社会」にするため、「あげて取り組む」としても、結局は人間の内面的自由や外面的自由(行動の自由)等を過剰に干渉・管理・規制する方向に行きはしまいか?という疑念です。
では、対策として、スウェーデンのような高度な福祉国家的な社会にすればいいのかといえばhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa2095686.htmlのANo.2を見ていただければと思いますが、10万人当りの殺人発生率が目立って低いわけではありません。ところが、日本の殺人発生率は諸国の中でもかなり低い方で、ここ20年の間はほぼ横ばいです。
http://deztec.jp/x/06/05/etc/a_sakuta.html
治安は悪くないのに、むしろ日本は殺人に限らず犯罪一般の防止・抑止に過敏になり、セキュリティを高めようとして「過防備都市化」の道を歩んでいるようです。監視カメラを張り巡らせ、外国からの訪問者に指紋を押捺させ、集合住宅へのビラ配り人を追い払う。それらが市民の「自由や権利」を掘り崩し、みずからの首を絞めかねない危険性を同伴させているというのに。
「殺人事件が起こらない社会」の追求も「社会をあげて」ということより、よくよく慎重に取り組んでいただかなければ、上記のような傾向を助長させかねない危惧を感じます。
原初宗教的な考えで死刑を考えると、実にいろいろな切り口があります。
旧約聖書のモーセ五書を見るだけでも、(ユダヤ教徒は)血を神聖な魔力を持つものとみなしている(だから乳同様に栄養価が高く、家畜を殺さず継続的に採取できる優れた食品である血を食べてはならないタブーがあり、それはイスラム教にもあります)ことがわかります。
血を流された大地は穢れ、もう食物を生んでくれないかもしれません。だから血で清めなければならない、と考えてしまうようです。「魔法」の思考様式です。
応報や抑止より、むしろ「穢れを清める」ほうが重要と思われます。だから精液を地面に落としても死刑だったりします…全く同様の論理で。
そう考えれば、もし神がそれで納得すれば「死刑の代わりに生贄の血」でもよかったはずです。
日本において注目すべきなのが、犯罪被害者やその遺族が差別されることが多いことです。特にいじめ殺人などで顕著に見られます。なぜでしょう?
それは被害を受けた者も、犯罪という「穢れ」で汚されている、と皆が感じてしまう…非常に古い、言葉になっていない神道の考えが生きているのです。
それを解決するには、本来は天皇自らが犯罪被害者および遺族に手を差し伸べ、慰め詫び、適切な服喪儀礼を指示し、その儀礼を満たした者の禊を計らい、共同体に「もう清められたのだから受け入れよ」と命じることが必要になります。
天皇が動かねばならないのは、天皇制の言葉になっていない本質に「天皇の祈りと徳で日本は維持・守護されている」という観念があり、犯罪・天災・戦争などあらゆる災いは天皇の祈りや徳の不足を意味しているからです。
同様に犯罪者やその家族も穢れた存在であり、特別な儀礼が本来必要とされるはず…刑期を終えて釈放されるとき、その穢れ払いの儀式があればより社会復帰は容易になるはずです。
ですがそれは、国家が神の代行をするにもほどがあります。罪を許し、穢れを払うことができるのは神だけのはずです。神道では国家権力と神が結構いい加減に絡まっていますが、例えばクリスチャンにとっては憲法裁判ネタでしかないでしょう。
といっても、本来国家が死刑など刑罰を執行できるのも、神学上「神の代理人」という立場にあるからですが…これは昔のキリスト教国においては言葉で証明され、日本においては言葉にされず曖昧に処理されてきました。
もう一つ注目したいのが、日本は平安時代において死刑がなかった時代があるということです。
そしてその時代は、多くの怨霊が「活躍」し、それを鎮めることが国・天皇・寺社の重要な役割でした。
殺人と死刑の関係で、最も重要な当事者が忘れられていませんか…殺された被害者の怨霊はどうなるのでしょう。
敵討ちの伝統は、どこの文化圏であっても、殺された者の怨霊を鎮める儀式という面も強かったのでは?そう素直にいえないから恨みという被害者遺族の感情を強調するのでは?
そして死刑がその代わりをしてきました、そして死刑が廃止されたとします。怨霊はどう鎮めればいいのでしょう。
西洋では教会が様々な儀式を行うことができます。
(原初的な面がある)宗教共同体が生きていれば、犯罪被害者やその遺族、犯人やその遺族、殺人被害者の怨霊や刑死した加害者の悪霊を共同体が適切に処置できるでしょう。
でも日本では宗教共同体は、特に都市住民では完全に死んでいます。
農村で原初的な神道が生きているとしても、穢れたものを禊ぎ清めて受け入れるより、追放したほうが簡単なのでそうすることが多いようです。
日本で死刑廃止が支持を集めないのは、ここで議論される「抑止」よりも魔術的な面で社会が整備されていないことも大きいのではないでしょうか…政教分離規定があって国家が宗教と袂を分かち、宗教が死んだ国で、どうやって被害者の怨霊を、血で穢れた大地を清めることができるのでしょう?
そして死刑問題だけでなく、原初宗教的な切り口は現代社会を理解するのに、想像以上に重要なのでは?
人間は魔法に支配された存在なのです…合理的な存在ではまったくありません。
僕自身は基本的に科学主義者ですが、人間が魔法の論理に支配されているという現実から目をそらすのは愚かなことだとわかっています。
逆にそのことを誰もが言葉で自覚し、頭の底から「魔」の支配を追い払うことができれば、合理的に抑止や教育だけを考えて死刑廃止ができるかもしれません。
まして天皇制廃止など、どれほど深く自分自身を知る…日本人の魂を呪縛している魔の論理と戦い、科学の論理を叩きこまなければならないでしょう。
この考察は、ごくわずかな知識から出てきたものです。本当に広く深い文化人類学や神学の知識がある人が同様な分析をやれば、非常に深いものが出てくるでしょう。
死刑特有の犯罪抑止力は、死刑の対象となっている犯罪類型のうち
・無期刑の存在で抑止可能な犯罪
・激情犯、確信犯、精神疾患の影響による犯罪、犯行が露見しないことを予定して行われる犯罪、追い詰められて(あるいはそう思い込んで)死刑になるリスクを背負ってでも実行しようとする覚悟の上で行われる犯罪
などを除いた犯罪を対象として働き得るものです。死刑対象犯罪は18ありますが、この種の犯罪はどれも極めて重い犯罪であるがゆえに(ほとんどの場合執行猶予は付かず、娑婆ともいわゆる「まっとうな」人生ともオサラバです)かえって上に挙げた激情犯や完全に追い詰められた人間の犯行が多くなる傾向にあります。事実、ニュースを騒がせる殺人・強盗致死事件は、死刑がその抑止力を働かすのに失敗したケースの一大カタログになっています。よって死刑の犯罪抑止力は極めて限られたケースにしか働かないと言えるのです。
しかし、これは刑罰を科すことが犯罪抑止力を持ち得るという一般原則を否定するものではありません。例えば、田柄さんは駐車違反に対する罰金の例を挙げられましたが、これは顕著な抑止力を持ち得るものです。なぜなら駐車違反は殺人や強盗致死と違い、合理的な判断が容易な状況で犯されやすいものであるからです。刑罰による犯罪抑止力の有無は、一般的抽象的にではなく、犯罪類型や刑罰加重の内容ごとに個別具体的に論じられなければなりません。
これだけだと微小であれ抑止力がある以上、死刑はなお望ましい制度であるという結論(nobuさんや田柄さんのコメントがそうかと)に至りそうですが、下のコメントで述べました通り、死刑のリスクはその微小な抑止力の利益を超えるものですので、結局死刑を廃止したほうが総利益は大きくなると思われます。
・人間には恐怖が通用する
・恐怖が通用するのは生まれながらの犯罪者ではないから
・犯罪が抑止できるのは、人間が恐怖では抑止できないから
・応報刑こそ犯罪の原因・・
う〜ん・・どなたか、これを解説できる方は、いらっしゃいますか?
私には、まったく解りません。
唯一解ったのが
『応報刑を無くせば、犯罪が無くなる』
ことです(笑)
すでに判っていらっしゃるはず・・って・・・まったく解らないのですが?(笑)
人間の理性と感情が犯罪抑止になる・・ですか?
もちろん、その要素もありますね。
ただ、それだけではない。
刑罰の恐怖で、犯罪に手を出さない人達は存在します。
あなたは、恐怖で犯罪は抑止できないと言われていますが、何か根拠があるのでしょうか?
もし、全ての刑罰を廃止したら、何が起きると思われますか?
みんな仲良く暮らしていけるでしょうか?
この点は何度も述べておりますよ。生まれながらの犯罪者はいない。これが恐怖で犯罪を抑止できない事実、根拠です。犯罪を抑止しているのは恐怖ではなくて、家庭環境、職場環境、社会環境、教育環境、国家環境の内で公共的、人類的、人間的なぬくもり、思いやり、やさしさなどの経済的、精神的、社会的な行為、仕組み、制度です。他方、生まれながらに犯罪者ではない人間を抑圧しているのが家庭、職場の恐怖支配、虐待、放置、切捨て、社会褒章削減、教育条件の現状放置、悪化、戦争などです。
恐怖で犯罪に手を出さない人が存在するということは、実はその人間が今まで社会から受けてきた愛情があるからなんです。恐怖が抑止してるんじゃないですよ。それは表面であり、現象。人間の本質でも現実でもないんです。生まれながらに犯罪者ではない人間が犯罪を実現するのは何故か?人間らしい扱いを社会から受けずに抑圧されているからです。そこに恐怖を与えても無力だということです。
子供が実の両親を殺害することを決意したその瞬間に涙が流れて止まらないのは決して死刑の恐怖感が作動して抑止されているのではない。両親から受けてきたぬくもりや愛情の欠片がぬぐいがたく真実として心にあり続けているからです。他方、涙も流れないで表情も変化しないで両親を殺してしまう子供があるとして、それは社会による恐怖がたりなかったから恐怖と制裁による犯罪抑止力が足りなったから子供は両親を殺す瞬間に冷酷だったんでしょうか?そうではない。ここに犯罪抑止力の真実があるのであり、人間の真実があるんです
「もし、全ての刑罰を廃止したら、何が起きると思われますか? みんな仲良く暮らしていけるでしょうか?」
東西は現状で応報刑の廃止、死刑の執行停止、廃止を主張しているのであり、教育刑の廃止を主張しておりませんよ。主権者として人間として自民党と公明党の社会保障削減はおかしい、教育政策もおかしい、雇用政策もおかしい、企業の職場支配、労働条件低下もおかしい、人間が潰されている。ですから、連帯、協力して自民党と公明党の人間抑圧を止めさせながら、死刑執行の停止を求め、廃止へ進んでいこうと提起しているんです。死刑について現状維持であれば、最低限でも死刑囚が生存している現状を維持するということなのですから執行停止運動には連帯できるでのはないでしょうか?これが死刑存置派の現状維持ではないでしょうか?
・恐怖が通用するのは生まれながらの犯罪者ではないから
・犯罪が抑止できるのは、人間が恐怖では抑止できないから
・応報刑こそ犯罪の原因・・
まぁ、「そういう面もある」ということしか言えないですね・・・。
犯罪の動機が多種多様であるのと同様、犯罪抑止の動機もまた多種多様ですから、一概にこれだ、というのはないと思います。
人が違えば行動は異なるし、同じ人でも条件や感情等の要因で行動が異なるわけですからね。
あと「犯罪」というのは、あくまでも「法やルールに反している」というのが前提ですから、「殺人は正当」という社会だと、人殺しは犯罪にならないですからね。
全否定まではしませんが、「それがすべて」というには根拠がなさすぎて、正直理解に苦しむところです。
応報刑を廃止して、教育刑を残す・・ですか?
あの・・初犯の人間にとっては、どっちでも関係ないでしょ。
教育刑だろうと、恐怖を与えることに変わりないですよね?
前のコメントで、あなたも認めていますし(笑)
そもそも、刑罰には二つの役割かあります。
一つは犯罪抑止。
もう一つは再犯防止です。
あなたは、刑罰の恐怖が犯罪抑止の役に立たないと言われているんですよね?
あと・・刑罰の恐怖で犯罪を止める人間はいない。それは表面であり、本質ではない・・ですか?
あの・・それって、表面的だろうが、犯罪抑止効果があるってことでしょ(笑)
あなたが、刑罰の抑止効果を認めないのが、本当に不思議です。
すでに宗教になっているのでしょうか?
考える時間がとれなくて返事しないままでしたが・・・
美人とヤクザですか。あんまりその手のは考えたくないですけどね・・・
やはり、女性に声を掛けることを犯罪と同一線上で論じるのはやめておきましょう^^;
先のコメントで書いた「誘惑」に勝てないどうこうというのは、犯罪に手を染める人間の心境を推し量ってみたわけなんですが、その誘惑、言いかえれば動機を考える上で東西南北さんの書いていることが関連しますね。人は何の理由もなく悪にはまることはない。理由なき犯罪なんてものも、心底になにかの欲求があるのだろうし、そこらへんまで掘り下げる余裕はないので割愛します。
応報刑に関してですが、刑罰に抑止効果があるということ、これは他の人も書いていますが、認めます。ただ、どの程度抑止できるのかという点で疑問はあります。特にこどもに対しては、悪いことをしたらこんな目に遭うんだよと教育するよりは善なるものの価値をしっかり見出させる方がよほどよいはずです。現代ではそれがまったくできていないと感じます。
つまるところ、どんな生き方をしたいかが個人個人の心にちゃんと見えているような状態ならば、目的を達成するに障害となる行為を選ぶ確率は激減するでしょう。理由なくいらいらする、ささいなことで暴力に走るなど、今の時代に特徴的な現象も、内面からの安定なくして解消できないと思います。それが、刑罰よりも他の手段を選ばせる理由です。
私は「死刑はなお望ましい制度であるという結論」には至っていませんよ。誤解されそうだから、最初に私は「死刑廃止支持」であると書いたのですよ。私の考えはむしろペリフェラルさんに近い。死刑廃止を推進する上で、抑止力や冤罪を主題にする事がふさわしくないと考えているのです。死刑廃止を訴えている人の多くは仮に、抑止効果があるとはっきりした場合でも、冤罪の全く起こりえない制度が出来たとしても、死刑廃止の考え方を変えるものでは無いと思います。(自分もそうです)
でも、「冤罪防止」「被害者支援」「犯罪発生防止研究」「再犯防止研究」が必要だということは合意できないでしょうか?
どれも死刑の存廃に関わらず必要なはずです。
死刑廃止・存続の議論に費やされるエネルギーを、なぜ上に使うことができないのでしょう。
あと、どちらも死刑議論の背景にある自分の人間観・宗教観を一歩引いて分析・反省し、それらの多様性を認めることはできないでしょうか。
>「…死刑制度に意味がある(抑止効果がある)という考え方も否定できない。」
というコメント部分に応答するつもりで書いたのですが、確かに私の書き振りではnobuさんが死刑存置論者に見えてしまいます。完全に私のミスで、全く申し訳ありません。
当該コメントを訂正するとnobuさんのコメントと不整合が出ますので、この場を借りてお詫びと訂正をさせて頂きます。
う〜ん・・平行線ではないですよ。
同一線でしょう(笑)
ただ、少し観る位置が違うだけでは?
例えば、人は理由なく悪にはまらない・・ですが、
人は、もともと悪でしょう。
東西南北さんによれば、愛情や教育の足りない人間は、犯罪者になるようですから。
『生まれながらの犯罪者はいない』のではなく、
『生まれながらの善人はいない』が真実に近いのでは?
だからこそ、教育が重要なのですね。
あと、刑罰の抑止効果は認めるが、どの程度かは疑問・・ですが、
その通りだと思います。
ただ、少しでも抑止効果があれば、意味はあるでしょう。
それによって助かる人がいるわけですから。
最後に、どんな生き方をしたいのか・・以降の部分に関しては、その通りだと思います。
『内面からの安定』が必要・・これが達成できれば、問題は解決でしょう。
しかし、これを1億2千万人すべてに求めるのは、不可能では?
もしも、遠い将来に達成できたら、その時点で、刑罰以外の手段を取るべきだと思いますが?
う〜ん・・やっぱり平行線ですかね?
それとも離れてますか(笑)
ですから、「死刑廃止を推進する上で、抑止力や冤罪を主題にする事がふさわしくないと考えているのです。死刑廃止を訴えている人の多くは仮に、抑止効果があるとはっきりした場合でも、冤罪の全く起こりえない制度が出来たとしても、死刑廃止の考え方を変えるものでは無いと思います。(自分もそうです)」という見解が正しいと思います。
殺し合い、人殺しに対して反対しているのが死刑廃止論者ですので。ただし、その理由は多様であり、認めて当然です。東西のように科学の立場で反対もいれば、宗教的、精神的な理由で反対の人もいるでしょう。
僕は「抑止」の話より先にやることがある、と申し上げただけですが?
>人間には犯罪の遺伝子はないから犯罪の可能性もないというのは価値観ではなく、事実ですので共通認識ですよ。
前のコメントでも言ったように、遺伝子だけでも育った環境だけでもなく、パチンコの玉がどこに入るか同様予測不能のカオスだ、と僕は考えています。
犯罪の可能性がないなら、なぜ現実に犯罪があるのでしょう。
自分の人間観を「事実」「共通認識」と思い込むのは危険ですよ。
犯罪の原因は人間の遺伝子、素質にないなら社会に原因があるということですよ。家庭環境、職場環境、自治体・国家環境、教育環境などに原因があるから社会を人間らしくしていく運動に意味があるんですよ。人間の特質として労働の遺伝子があるように犯罪の遺伝子があるのならば、社会や政治を「人間らしく」するというのは根拠があるのでしょうか?
人類、人間に犯罪の遺伝子、素質があるという事実があるならば教えてもらえますか?そんな事実は無根だということであり、東西の価値観ではないですよ。事実と価値観は次元が違います。価値観は多様であっても当然ですが、事実、行為については共通認識が必要です。
横からごめんなさい。でもお玉もそう思います。「私はこう思います」という書き方をして頂きたいです。
というのは無理があるでしょうね。
遺伝子に組み込まれた、人という生物の本能(食欲、性欲など)を発揮する方法を間違えれば犯罪になります。
同時に人には、その本能をコントロールし、社会的な動物になれる素養もあるのでしょうね。その素養を伸ばし、自分を尊重するのと同じように、他者を尊重できる人に育てるのが、親だけでなく社会全体の責任なんだろうと思います。
もっとも、今はある程度ワガママで強引でないと生きていけない社会になっちゃってますが・・・
さて、一言でいってその観念というか常識で論を推し進めていくと、例の法律と憲法の関係に行き着きます。全体主義と個人の尊重の問題です。やはり、社会合意=法律に対抗する憲法は事実関係しかないと考えます。多数の社会合意に少数の理論を対置しても、多数意見にも少数意見にも理論はありますし、感情もあります。ですから、どちらが人間の事実関係に基づいているかで争うのが憲法だと考えます。そこで、人間の本能について犯罪可能性、すなわち他人の人権を侵害する行為の可能性を容認しているようですが事実無根なことを説明します。
人間はー匆餽弩イ里燭瓩墨働する火など道具を使う8斥佞鮖箸Νて麕楝歩行をする。以上の4要素を総合した社会的存在である。
人間の本能は/欲∪欲睡眠欲。以上の3要素を総合した社会的存在である。
人間の本能は生きていくための社会的存在です。しかし、人間らしい本能である。例えば、猿らしい本能。豚らしい本能。鳩らしい本能。カンガルーらしい本能。犬らしい本能。レッサーパンダらしい本能があります。人間の本能は人間らしい本能であって、猿や豚などの本能と同列ではなく、還元すれば事実誤認です。人間の本能と猿、豚などの本能は次元が違います。猿の本能=人間の本能ではないです。種族が異なりますから質が異なるのであり比較対象として成立しません。
人間、つまり生きていくための社会的存在はー匆餽弩イ里燭瓩力働を行い内面言語(意識)、文字言語、音声言語で意思疎通を行いF散颪鮖箸ぁ改良していく社会活動の中で人間らしい在り方に発展していきます。
人間は食欲、性欲、睡眠欲を「衝動」として「人殺し」などの反社会的行動を実現する存在ではないです。
/料はみんなで協力して労働して生産して分けます。
異性は両性の合意と社会的労働に基づいて子孫を繁栄させていきます。
睡眠は社会的に安全な環境を創りながら、各個人に実現していきます。
こうして人間の反社会的行動は人間の本能から出てくるものではないことが分かります。すなわち、反社会的な社会構造が人間の意識に反映し、人間の社会性を破壊し、蝕み、ついには人間を反社会的行動に追い込みます。
反社会的な社会構造が人間の反社会的意識、行動の真因なのです。
ご意見を頂きながら、お返事できなくてごめんなさい。
>人間の本能は生きていくための社会的存在です。
その通りですが、その本能の発動の方法を誤れば、社会的には「犯罪」となってしまうという事があるという事です。もちろん、その本能自体に罪があるわけではありません。
面白い議題ですので、どこかでまた詳しくやりたいですが、今回はこれだけにしておきます。また、議論しましょう。
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