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死刑廃止論カテゴリー

>村野瀬玲奈さんのような思い上がった発言は極一般の掲示板では

>受け入れられないでしょう。

>集中攻撃の対象になりますよ。

>>そのような脅し文句をおっしゃるのであれば、ここでコメントすることを許すわけには参りません。あなたは理解していないでしょうが、お玉はここのコメント欄をほぼ全面開放しております。あなたもおっしゃっているように、死刑肯定派が8割とも言われる現状の中、「死刑廃止論」というテーマを取上げ、勇気を持って書いている人たちのリスクも理解出来ずに、そのような物言いをなさるあなたこそ、お玉には受け入れるわけにはいかない。

この言い方がお玉の思い上がりだとおっしゃるのであれば、それは甘んじて受けます。よその掲示板なり、死刑肯定派のブログで晒して頂いて結構です・・

・・・・先ほど頂きましたが・・この程度のコメントを許容できないなんて・・というご意見に対しまして・・・議論として、お玉がおかしいと思ったものには、右派左派問わず今までも何度もジャッジを入れてきております。特に、よそで炎上しているのも何度も見てきているお玉にとって、コメント欄を守ることは管理人としての使命と思っております。他の方のコメントもよくお読みの上、配慮ある書き込みをお願いしたいです。

世論の8割は死刑肯定派なのです・・何をそれほど脅してまで持論展開する必要があるのでしょうか・・・8割の世論に見放されつつも「死刑廃止」を訴えている人間の排除をするまえに、そこまでいわれ、叩かれ、時に炎上という行為によって封じ込められてまで訴える事をやめない者たちの話を、なぜ聞いてみようとは思わないのでしょう?

死刑存続論の方々、あなた達は圧倒的に強者なのです。そこをふまえた上でお玉のコメント欄に書き込んでくださいますように・・お玉は決して炎上なんかさせない。そういう腹のくくりをしていなければコメント欄を公開しつつ、このようなテーマで記事を書くことは許されないと思っております。

死刑廃止について、リレーエントリー「お嬢さま、玲奈と死刑廃止を考える」

第1回 とりあえず(luxemburg)
第2回 お玉おばさんでもわかる政治のお話(お玉おばさん)
第3回 とむ丸の夢(とむ丸)
第4回 華氏451度(華氏451度)
第5回 doll and peace(ぷら)
第6回 薫のハムニダ日記(ハムニダ薫)
第7回 とりあえず(村野瀬玲奈)
第8回 喜八ログ(喜八)

村野瀬玲奈の秘書課広報室 死刑廃止カテゴリー

A Tree at ease  死刑に狂奔する日本

お玉カテゴリー 死刑廃止論

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m(_ _)m 二つもあってごめんなさい





 
Secret
(非公開コメント受付中)

被害者
僕が死刑廃止論者であっても存続論者であっても、その議論で被害者や遺族を救うことなんてできません。
被害者およびご遺族の心は多様で複雑で、同一個人でも定まるものでもないでしょう。他人にも自分にも理解できるものでもないでしょう。
僕にできるのは「同情」「祈り」ぐらいです。

国にもできることはほとんどないでしょう、特に政教分離がある今は。
せいぜい金、精神・心理治療のフリーパス、そして心の傷に関する精神医学の研究に投資する、あとお礼参り予防、犯行の情報公開ぐらいですか。

無神論者としては人の心の自らを癒す力、それを働かせるきっかけ…運命が救うことと考えます。
また信仰ある人ならば神が救うと考えるでしょう。
その方々ご自身の家族・真の友人も力になることもあるでしょう。
要するに宗教・精神の次元の問題で、政治の次元ではないと言っていいぐらいなんです。

せめて太陽が誰にも光をくれるように心にも光がありますよう。


トモさんへのお返事
トモさんから私へのメッセージ
http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-172.html#comment2428
へのお返事が遅くなってごめんなさい。

このメッセージの前にトモさんと私の間に私のブログのコメント欄で次のやりとりがありました。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-528.html#comment
いきさつをご存知ない一般の読者の方にまずお知らせしておきます。

さて、今回のトモさんのコメントへのお返事を遅ればせながらさせていただきたいと思います。

私がここでトモさんに申し上げたいことはそんなに複雑なことではなくて、二つだけです。一つ目は、死刑制度の不合理性について私が述べて死刑に反対したからといって、私が特定の、あるいは一般の被害者遺族の感情について無頓着であるとは思わないでください、ということ。二つ目は、いろいろな遺族がいるという話を私がしたのは、死刑を望まない態度と死刑を望む態度のどちらかが遺族の態度として望ましいなどと断定するためではないということです。もしもこの二つの点が私のブログ記事を通じて、あるいはこのお玉ブログに私が書いたコメントを通じてトモさんに伝わっていないのなら、それは私の表現力のまずさなのでしょう。まずいと思った文章があれば修正したいと思いますので具体的にご指摘ください。

ここで長く書くわけにもいかないと思うので、第二の点についてだけもう少し説明を加えます。

>「まず、被害者遺族が例外なく皆犯人の死刑執行を望んでいるというところが疑問です。有名な例では原田正治さんがいらっしゃいます。原田さんは自分の兄弟を殺した犯人の死刑執行を望みませんでしたが死刑は執行されました。」

この私の文章は、被害者遺族にはいろいろな人がいて、いろいろな遺族感情があるという事実を指摘しただけです。すべての遺族がこのような態度を取らなければならないという意味では全然ありません。この文章で言いたいのは、原田さんは犯人の死刑執行を望まなかったのに、その「遺族感情」に反して死刑が執行されたことについての、「死刑制度運用」の非合理性です。トモさんのような「犯人を死刑にしてほしい」という遺族感情は望ましくないと主張するために原田さんの例を出したのではありません。もちろん、原田さんのように考え、原田さんのように振る舞いなさいとトモさんや犯人の死刑を望む遺族に言うためでもありません。

>村野瀬さんは、自分の意見に都合のいい遺族を取り上げて、私のような遺族はそのまま苦しんでも構わないと仰るのですか?

私は私のブログ上で死刑について書いた文章の中で、そのようなことは主張していないし、そのように感じさせる書き方もしていないつもりです。私は死刑制度への反対を表明しておりますが、それは、遺族が苦しんでもかまわないということではありません。

>遺族になって多くの葛藤と苦しみを味わったからわかります。

私の感情は私の個人的なことですし、犯罪被害の遺族になったときのことは想像できませんので、お答えしにくいです。ひょっとしたら、トモさん以上に犯人を憎み、仮に有期懲役で判決が確定したら、刑務所に爆弾を投げ込みたいくらい憎しみに燃えるかもしれません。でも、それと同時に、犯人を殺したとしても、殺された私の身内は帰ってこないこともわかっていると思います。私がどう感じるにしても、私の感情は私のものであり、トモさんの感情はトモさんのものであり、100パーセント共有することはできないのです。そして、この場合、どんな感情を遺族は持つべき、だということも言えないと思います。

とりあえずこのお返事は、私の記録のために私のブログ上にも残しておくことにいたします。

私の考えをおわかりいただいたことを望みながら、もう一度、トモさんとご家族のお気持ちが安らかなることとお父上のご冥福をお祈りさせていただいて、このお返事を終わります。


WontBeLongさんへ
被害者遺族「のみ」を取り上げるのは、確かに好ましいとは私も思いません。

しかし、社会全般、加害者、被害者すべての立場で認識を共有していかねばならない以上、被害者感情も「考慮せねばならないひとつの要素」であることは事実です。

その中で、被害者遺族の感情を考慮しない議論をしないとなると、被害者遺族についてはまったく考慮しないのと同じになります。
それが好ましいとは私には思えないのですが、どうでしょうか。


被害者遺族の感情
しつこくてすみません,これで最後にします。
「原田正治さんは特殊な例」と仰った方がおられましたが,では,その特殊な遺族の感情は無視されても良いのでしょうか。
また,被害者が天涯孤独の身であり,加害者には親も兄弟も子も配偶者もいる場合なども特殊な例として考慮しないのでしょうか。
などということを考えるとき,被害者遺族の感情を前面に出しての議論は,やはり不適切なのかなと思えてくるのですが。


ものぐさ太郎さんへ
 被害者遺族の感情など国家の秩序のためには無視してよいという理だって、組み立てようと思えばできる。しかしそんなことを誰がしません。動機がないからです。廃止論は結果的にはそうなっているじゃないか、という反論はあるでしょうし、その反論は有効だと思います。というのも、廃止論者とてその反論の動機を共有できるからです。「情の部分での葛藤」をです。

 ですが、存続論者たちは本当に被害者遺族に理解できているのでしょうか? 私には疑問です。私も、それからおそらく廃止論者の多くの人も、遺族の心情など理解できないと思っている。できっこないと思っている。誤解しないでくださいよ。理解したくないと思っているのではない。共感ができなくないわけでもない。ただ共感をそのまま理を組み立てる動機にはしたくない。そう思っているだけです。そう思うのはその共感に大きな疑義があるからです。

 しかし、存続論者は廃止論者の動機を理解できているでしょうか? 「生まれながらの犯罪者はいない。社会にも責任がある」という理が空虚に聞こえるとしたら、それはその理の奥にある動機を共有できないからではないでしょうか?

[2008/01/05 09:02] URL | 愚樵 [ 編集 ] TOP ▲

遺族の人たちはかけがえのない人たちがいなくなったことを認めることができず、消失してしまった身体の感触を思い出で埋めようと必死になってもがいている。もがくことが彼らの生きる術になってしまっている。そんな人できるアプローチなんてないんですよ。できるのはただそばにいることだけ。そばに誰かいることに気がつくのを待つだけ。それしかできない。

 [2008/01/05 21:20] URL | 愚樵 [ 編集 ] TOP ▲

昨年末報道を賑わした事件に薬害肝炎の問題がありました。あの原告団の姿に感動した人は多かったと思います。私もその一人です。私たちを感動させたのは原告団の「連帯」でした。国はカネで原告の分断を謀りましたが、原告団は負けずに「連帯」を守り抜きました。

理と情の対立を解決する鍵は、この「連帯」にあるのではないかと私は思います。犯罪を抑止していく鍵も同様です。

個が分断された状態で個別に情を駆り立てている状況は、護憲・死刑廃止論者の方々が散々に指摘されていますし歴史上にも様々な教訓があります。私たちが歴史を通じて獲得した理が死刑廃止にあり、その理の実現を妨げているのが分断された個の情にあるとするなら、どの方向に向かって進むべきは明らかだと思います。

[2008/01/04 18:29] URL | 愚樵 [ 編集 ] TOP ▲

 被害者遺族の人間、その他の人間、そして犯罪加害者が「連帯」して実現せねばならない公権力としての国家社会とは死刑執行なのでしょうか?死刑執行停止から廃止なのでしょうか?そして、犯罪被害者に対するどのような国家政策を要求する連帯が必要なのでしょうか?


愚樵さんへ
>・・・(前略)・・・これだけのことです。これしかないのです。
>しかし、こんな言葉が届くと思いますか? こんな理だけで作られたような言葉が。・・・(後略)・・・。

この言葉なんですよ、私が「被害者遺族へ直接アプローチする」というのは。この「これしか言えない」という言葉があってこそ、死刑廃止に向けて最大の難関である「もし自分が被害者遺族ならば」という問題に共に取り組むことができるのです。

「被害者遺族に届かない」ことは、決して死刑廃止を否定する理由ではありません。
死刑廃止の存否は、あくまでも死刑が刑罰として適しているかどうかという、ただそれだけの理論によるべきものだと思います。

ただし、それを人が受け入れるかどうかは別です。

>死刑存続の望む人に考えてもらいたいのは、それは全体のためですか、それとも・・・(中略)・・・遺族たちを後ろ盾にしているだけではないのですか?
>なぜこれに答えられない・・・(中略)・・・自らの心に問い合わせてみることはできませんか?

自らの心に問い合わせてみればみるほど、「答えが出ない」のが正直なところです。この「答え」が出せるならば、死刑の存廃どちらかに積極的な意見になっていることでしょう。ただし、私は死刑を肯定する気はありません。それゆえ、死刑を積極的に存続しろとは思っていません。ましてや、被害者遺族の心情を「後ろ盾」にする気はもっとありません。要するに葛藤し、迷っているのが本音です。


「努力」のことをお述べになりましたが、残念ながら、死刑は、『現存し、大部分が賛同しているもの』です。存置論は、「現状維持」なんですから、特段努力する必要はありません。

しかし、死刑廃止論とは、その『現存し、かつみなが賛同していること』について問題提起をし、変更を求めているのですから、最も努力しなければならないのは、死刑廃止の側だと思います。
これは、死刑に限らず、あらゆる点においてそうだと思います。ゆえに、「死刑廃止の側だけに努力を求める」状態でも、それを受容していただかねばならないと思います。


勘違いするな。
>個人の動機を全体の動機としてよいのか

では、こう言う人の意見が全体の総意と言えようか?言えると思っているなら勘違いも甚だしい。


wakuwakuさんへ
名指しのレスでしたので期待を込めて読ませていただきましたが、正直ガッカリしました。貴殿は私の問いかけの大切な部分をはぐらかして、再びご自分の都合の良い主張を繰り返している。

私は廃止論者の理にも情の裏づけがあるんだとした上で、それを個の復讐感情によって理を組み立てることの疑義だとしました。それを貴殿は「真意はそうでないにしても」にしても一言片付けた。そして「上から目線という印象を持たれたり、あるいは、答えがないのをごまかしていると映る」と、再び自分の側からだけの目線で発言する。

相互に理解し得ないのは、双方に責任があるのです。貴殿はその責任を廃止論者側のみに押し付ける。

そうではないというのなら、なぜ私の問いかけは無視されるのか?
もう一度繰り返しますよ。

死刑存続の望む人に考えてもらいたいのは、それは全体のためですか、それともあなたのためにですか、ということ。あなたの望みのために遺族たちを後ろ盾にしているだけではないのですか? 

なぜこれに答えられないのですか? 答えたくないのですか? 自らの心に問い合わせてみることはできませんか?

被害者遺族への答えなんて、言葉して言うのはとても簡単なことです。
「現実を受け入れなさい。かけがえのない人がいなくなったことを認めなさい。そして新しい人生を模索しなさい」
これだけのことです。これしかないのです。

しかし、こんな言葉が届くと思いますか? こんな理だけで作られたような言葉が。遺族の人たちはかけがえのない人たちがいなくなったことを認めることができず、消失してしまった身体の感触を思い出で埋めようと必死になってもがいている。もがくことが彼らの生きる術になってしまっている。そんな人できるアプローチなんてないんですよ。できるのはただそばにいることだけ。そばに誰かいることに気がつくのを待つだけ。それしかできない。

そしてネットは残念ながらアプローチしかできない媒体です。

死刑の存続を望む人は、それが積極的であれ消極的であれ、遺族のもがく有様に同情・共感を覚え、それを美化・賞賛します。同情・共感まではよいでしょう。しかし、共感の表明、あまつさえ美化・賞賛というアプローチがどれほど彼らを苦しめる羽目になるのかには、まったく意を解さない。それらのアプローチは遺族がもがいている姿を容認しているばかりか、言外にもがき苦しみ続けるよう求めている。「私も同じ目に遭ったら同じように苦しむと思います」なんて、実際のところはそんな目にも遭っていないにもかかわらず、実際にそんな目に遭っている人たちにさらにその役割を担うよう求める。こんなの、自らは安全な場所にいて、愛国を謳いあげて死地に兵士を派遣するやつらと同じですよ。彼らに同情するというのなら、一刻も早く彼らをその場所から逃れられるようにするのが本当でしょう。

ここで一足飛びに死刑廃止論に賛成しろなんていいません。ですが、実際にはかけがえのない人を失っていない死刑存続論者の方は、死刑の存続を望むのが本当は誰のためなのか、よく自分自身に問い合わせていただきたい。その上で、どうしたら被害者遺族にアプローチできるのか、ともに考えてみたいと思います。


参考までに
親族を殺されても死刑を望まなかっ人の例として原田正治さんの名前が良く使われますが、他にもオクラホマ市庁舎爆破事件で娘さんを失ったバド・ウェルチさんも犯人を死刑にすることを望みませんでした。「復讐に喜びはない、怒りで人間は破壊される」と語っておられます。また殺された娘さんも生前、死刑制度について「政府が殺人犯と同じレベルのことをする」と批判しておられたそうです。
韓国で03~04年にあった20人連続殺人事件で家族3人を失った男性も犯人が死刑になることは望まず「死刑は被害者にとってもむごい制度」だと語っておられます。


復讐を望む情(補足)
ちょっと補足です。
私ももちろん,再発防止のための相手の反省は望みます。
そうでないと,刑事罰が全く不要という話になってしまいますから。別に私は何でも民事で片付ければよいと言っているわけではありません。
ついでに言えば,再発防止のための社会システムの改善も望みます。


復讐を望む情
何度もお邪魔して恐縮です。
皆様のコメントを拝読して,ひとつ思いが至ったことがあります。
他人から損害・危害を与えられたとき,与えた者に対する復讐を望む気質の人と,そうではない人がいるのではないかということです。
子供の頃から最近までの記憶を辿ってみますと,私は,他人から害を受けたとき,その回復は望みますが,復讐は望まない気質だと思います。
例えば,金銭的に被害を受けたときは,相手に弁済は望みますが,相手が同じ損害を被ることは望みません。また,身体的に危害を受けたときは,その治療などへの協力は望みますが,相手に危害を加えることは望みません。
しかし,世の中には,具体的な害を被ることによって生じた精神的な被害を,復讐によって回復することを望む人も多くいるのだということが,おぼろげながら理解できました。
私は,精神的にクール過ぎるのかも知れません。
そうだとすると,そのような人達の「情」に死刑廃止を理解してもらうのは困難なのかなと,少し絶望感を持ちました。
やはり絶望するしかないのでしょうか。


順序があるのでは?
国家が仇討ちという復讐権を取り上げてから死刑制度でバランスを取ってきましたが、無くすとどうなるのでしょうかね?

仇討ちも自分で手を下すのを法が認めない代わりに死刑制度があるからと感情を慰める事も、新たな殺人も防いできた側面は否定できないでしょう

ならば何故死刑制度反対派は順序として終身刑を確立してから死刑反対を訴えないのでしょう?

戦地売春婦問題をきちんとした証明も証言の裏付けもとらずセカンドレイプだの高齢者だから証言があやふやなのは仕方ないだの、感情論で擁護されてる方々が死刑制度には感情で人を裁くのは許されないと言うのは大きな矛盾ではないでしょうか?
死刑制度廃止されて自分の娘が殺されたら自分なら間違いなく相手を殺します


愚樵さんへ
消極的な死刑存置論者は、何がなんでも死刑を存続しろと思っているわけではありません。ただ、「もし、自分が被害者遺族になったら」とオーバーラップして、その葛藤で「廃止に賛同しきれない」というのが現状だと思います。

このブログで死刑廃止論の方々の発言を見ると、真意はそうでないにしても、『被害者遺族にそれを言えるのか、というのは反則』とか、死刑を望んでいない原田さんの例を出すのは、上から目線という印象を持たれたり、あるいは、答えがないのをごまかしていると映ることもあります。

答えがないなら答えがないでいいんです。今現在答えを持っていることが重要なのではなく、「難しいことだが、被害者遺族へのアプローチを模索している」という姿勢を表明することが大切なんです。
それを表明するだけでもずいぶんと違うものだと思います。


村野瀬玲奈さん
秘書課広報室ではお世話になりました。死刑について語っているサイトを探していたらここにたどり着き村野瀬さんをここでもお見かけしたので、問いかけてみます。

「まず、被害者遺族が例外なく皆犯人の死刑執行を望んでいるというところが疑問です。有名な例では原田正治さんがいらっしゃいます。原田さんは自分の兄弟を殺した犯人の死刑執行を望みませんでしたが死刑は執行されました。」

私は父を殺されて優しい父を思い出すたびに犯人への怒りへと結びつき、あれほど楽しい父の思い出がむちゃくちゃになりました。私が普通に父を思い出すことができるようになったのは、犯人に死刑が執行されてからです。父を殺した憎むべき存在がもうこの世に存在しないということを実感して初めて父を思い出すことが犯人への怒りと結びつかなくなったのです。今ではようやく父の思い出で笑える時間も持てるようになりました。

原田さんですか?私は父を喪ってからふさぎ込むだけの毎日ですから存じ上げませんが、お話を伺う限り非常に人間のできた方だと思います。しかしそのような方は極少数なのです。私も身内を殺人という行為で喪うということをドラマなどを見たときに想像したこともありましたが、これほど酷いものだとは思いませんでした。村野瀬さんは、自分の意見に都合のいい遺族を取り上げて、私のような遺族はそのまま苦しんでも構わないと仰るのですか?遺族になって多くの葛藤と苦しみを味わったからわかります。原田さんは特殊で、多くの遺族はそんな気持ちにはなることができないと思います。


「被害者遺族への直接的なアプローチ」の前に
wakuwakuさんのまとめが存続論の総意であるならば、存続論の感情的根拠が明らかになってきたように思います。

自分でも理と情の対立図式を提示しておいてなんですが、本当に理と情を厳密に区別することなどできません。少なくとも人間が理を組み立てる動機は情にあります。

例えばです。被害者遺族の感情など国家の秩序のためには無視してよいという理だって、組み立てようと思えばできる。しかしそんなことを誰がしません。動機がないからです。廃止論は結果的にはそうなっているじゃないか、という反論はあるでしょうし、その反論は有効だと思います。というのも、廃止論者とてその反論の動機を共有できるからです。「情の部分での葛藤」をです。

しかし、存続論者は廃止論者の動機を理解できているでしょうか? 「生まれながらの犯罪者はいない。社会にも責任がある」という理が空虚に聞こえるとしたら、それはその理の奥にある動機を共有できないからではないでしょうか?

wakuwakuさんは
>死刑廃止論の決定的な欠陥部分は、「被害者遺族への直接的なアプローチ」がないこと
と指摘しました。しかしこの指摘は、「被害者遺族の感情がもっとも大きな動機」もっと言うと「最後の砦」といっているように聞こえます。つまり
「被害者遺族は廃止論の動機を理解できないだろう」→「私は被害者遺族に理解している」→「だから私も廃止論の動機を理解できない」という心理的防衛線を張っている、と。

ですが、存続論者たちは本当に被害者遺族に理解できているのでしょうか? 私には疑問です。私も、それからおそらく廃止論者の多くの人も、遺族の心情など理解できないと思っている。できっこないと思っている。誤解しないでくださいよ。理解したくないと思っているのではない。共感ができなくないわけでもない。ただ共感をそのまま理を組み立てる動機にはしたくない。そう思っているだけです。そう思うのはその共感に大きな疑義があるからです。

私だって自分のかけがえのない人を奪われたなら、復讐の念に駆られると思います。ですが、これはあくまで私個人の動機です。かけがえのない人を持つ多くの人が同じように考え、そう考えるということに共感を持つとしても、それらはあくまで個人個人の動機でしかありません。個人の動機を全体の動機としてよいのか? これがその疑義です。

少し話が脇にそれますが、これは新自由主義に対する疑義でもあります。誰もが個人としてはカネがほしいのは間違いない。だが、それを全体の動機としてよいのか?

死刑存続の望む人に考えてもらいたいのは、それは全体のためですか、それともあなたのためにですか、ということ。あなたの望みのために遺族たちを後ろ盾にしているだけではないのですか? 

後ろ盾にしていることを存続論者は共感と呼びますが、その共感こそが「被害者遺族への直接的なアプローチ」を難しくしていると私は感じます。その共感により、遺族たちはその加害者を死刑にする望みが個別のものではなく社会の望みであると勘違いするようになってしまった。あの本村氏でさえ、最初は「自分の手で殺す」としか言っていなかった。この時点ではまだ彼の望みは個人の望みでしかなかったし、彼もそう認識していたはずです。


 初めまして 年明けから重いテーマですね。兼ねてから疑問を持ちつつも、なかなか答えの出せない問題です。死刑が犯罪抑止力に成るかどうかは判りませんが、「自らの権利を温存しつつ 他人の権利を侵害する」と言うのはどんなもんでしょうか。頭に浮かぶのは「光市母子殺害事件」であり世田谷の「一家殺害事件」です。後者はまだ犯人すら判っていませんが果たして彼らは「人」と呼べるのでしょうか。稀に冤罪で死刑が執行されてしまった例が有る事は知っていますが、光市の場合、犯人が心のそこから反省しているとは思えません。それでもやはり「死刑廃止は先進国の証」なのでしょうか。


死刑より苦しいこと
私は死刑よりも自由を奪われた「生」(せい)のほうが苦しいと思います。
仏教思想からで申し訳ございませんが敢えて説明致します。
仏教では生老病死が四苦とされていますが、老病死は全て生があるから発生すると解釈されます。故に生は苦しみであり、決して快楽とは解釈されないわけです。
死刑を存続させても、それが免れることのできない「死」を早めるだけに過ぎない以上、犯罪の抑止にはなりません。むしろ自殺のできない者が他者を害することで、他者によって「生」に終わりを告げてもらう方法をとる可能性があります。
毎年3万人もの人が「生」の苦しみから逃れる為に「死」を選んでいる事実も頭に入れておいてください。
あなたは「生」より「死」のほうが苦しいですか?
私ですか?私は人間という生物である故、苦しみである「生」を全うしようと思っています。はっきり言ってかなり苦しいです。でも「死」は、あわてなくてもいずれ必ず来るものと楽観しています。


斉藤誠さんへ
「しかし、最近のエントリー、コメント欄、関連リンクなど…読めば読むほど死刑廃止が遠のいているような印象を覚えます。 失礼を承知で言わせてもらうと、ここにいらっしゃる廃止派の方々は、憲法や人権、立憲主義などを深く勉強なさっていますが、勉強しすぎて感覚がズレているということはないでしょうか?
殺人は、最低最悪の人権侵害ですよね、殺人者は、日本の最高刑で罰する必要があります。 現在の最高刑は死刑です、しかし、それが廃止されるということは、殺人罪の刑罰が軽くなるってことですよね。 一般の方々や被害の関係者、死刑賛成の方々にはなかなか飲めない論理です。 それなのに、殺人は社会のせいとか犯人の人権とかを前面に主張することは大多数の国民を意固地にしているだけではないでしょうか? 」

あなたは本当にお玉が何も分らず、きれい事だけで被害者遺族の気持ちも分らず死刑廃止を訴えているとお思いですか?違いますよね。もしそうならば、このような書き方をあなたはしない。もっとあなたは知的に文章を書ける方です。あなたが時々発作的にお玉の所に来て「叫び」のようなコメントを残されていくのは何故なのでしょうか・・・お玉は構わないけれど、でもあなたらしくない・・死刑存続を感情論だけで訴える事はあなたでなくても多くの日本人ができることです。

 http://otama.livedoor.biz/archives/50592171.html

[2008/01/02 18:36] URL | お玉おばさん [ 編集 ] TOP ▲

>wakuwaku_44さん

「被害者遺族に向かって死刑廃止論を主張してみなさい」と言わんばかりの主張は反則だと思いますが、それでも答えてみようと思います。

>1.当事者たる被害者遺族が死刑廃止を納得するためにどうするのか、そしてそれは被害者遺族が納得しうる根拠があるのか。

まず、被害者遺族が例外なく皆犯人の死刑執行を望んでいるというところが疑問です。有名な例では原田正治さんがいらっしゃいます。原田さんは自分の兄弟を殺した犯人の死刑執行を望みませんでしたが死刑は執行されました。あなたは原田さんの意思に沿ってこの犯人の死刑執行に反対したでしょうか、それとも、原田さんの意思に逆らってこの犯人を死刑にせよと主張したでしょうか。原田さんを「納得」させる答えは可能でしょうか。

また、殺人ではなくて過失致死で人を死亡させてしまった場合、被害者の遺族が「過失致死であれ人を殺したことにはかわりなく、私は深く傷ついているのだから、死刑を受け入れて罪を償いなさい」と強く要求し、世論に訴えたら、その遺族を「納得」させる答えは可能でしょうか。

遺族の「納得」「だけ」を主張の主眼にすえるなら、このようなことまで考えなければならないと思います。

ちなみに、原田さん以外にも殺人事件の被害者遺族で死刑廃止を訴える人はたくさんいます。さらにちなみに、私のブログには死刑賛成の被害者遺族と死刑反対の被害者遺族がお一人ずつコメントを残していかれました。立派な返事かどうか全く自信はありませんが私はそれぞれの方に精一杯返事しました。私の返事に興味ある方は私のブログの「死刑廃止」カテゴリーの記事の中から探してご覧ください。

>2.当事者たる被害者遺族が、死刑廃止によってもたらされる何かしらのマイナス(物理的・精神的な側面を含む)を甘受しなければならないことと、その理由は何か。

死刑を廃止しつつ、被害者遺族の経済的、精神的両面を支援する政策の実施は可能であり、死刑制度だけが被害者遺族への癒しだと決める理由はありません。その精神にもとづいた記事も、十分といえるかどうかわかりませんが私は自分のブログで書きました。

もう一つ。凶悪犯人に死刑を望む声をあげる人だけが犯罪を憎み被害者を思いやっていると言わんばかりの主張も反則だと思います。1981年にフランスで死刑廃止を担当したロベール・バダンテール法相が1970年代に弁護士として担当した凶悪犯パトリック・アンリは別の凶悪殺人事件の裁判が行なわれている裁判所の前に集まった群衆に混じって「犯人に死を!」と叫んでいたのです。また、幸いなことにお玉ブログにはそのような人はいませんが、死刑廃止を訴えるブログ記事に書き捨てのヘイトコメントを残していく人たちが本当に被害者のことを思いやっているかどうか私にはわかりません。

[2008/01/03 16:24] URL | 村野瀬玲奈 [ 編集 ] TOP ▲

 かなりみんながきちんと議論しようとしている中、あなただけがだだっ子のようにまくし立ててます・・そういう姿勢ならば「水掛け論」以下のコメント欄にしかなりません。お玉はそんな物はいらない・・今のあなたの書き方では、読む価値すら見いだせません。話し合う余地を与えない文章を書きたいのならば、あなたのブログでどうかおやり下さい。TBして頂くだけで充分です。および、そちらでお玉のことを晒して頂くことも構いません・・

村野瀬玲奈さんはこの件についていくつものエントリーを立ててます・・あなたの疑問に答えられる物もいくつも提示し続けてきています。でもたぶん、何を書こうが、あなたには届かないのでしょうね。それも致し方ないとは思います。でも今あなたがやっていることは、単なる文章の暴力に等しいよ・・もう少し話し合える度量のある文章でかくことができないかな?

[2008/01/03 00:39] URL | お玉おばさん [ 編集 ] TOP ▲


親族による殺人。
こんばんは。
リレーエントリー読ませていただきました。
一年以上前にこれだけのことをやっておられたとは、脱帽であります。
中でも「ぷら」さんのお話には、非常に共感を持ちました。
実は私の親も非常に厳しくて・・・・・。

さて、死刑論議でよく言われる「愛する人を殺され残された家族の気持ち」という問題ですが、これは確かに簡単に割り切れるものではないでしょう。
犯人を死刑にすれば、家族に平安が訪れるわけではない、としか言えないとも思います。

しかしここで改めて日本の殺人事件の内容を見てみると、殺人事件の実に4割以上が親族によるものです。
http://hakusyo1.moj.go.jp/nss/list_body?NSS_BKID=48&HLANG=&NSS_POS=151

見ず知らずの他人に家族を殺されるよりも、家族に殺される確立の方がはるかに大きいのが日本の実態です。
また見ず知らずの他人を殺すような人間は、家庭的に恵まれない可能性が高いでしょう。

死刑によるよりも、家族の人間関係を見直すことの方が、犯罪の抑止につながるように思います。


斉藤さんのコメントがすべて
タイトルの言葉につきます。
死刑廃止論の決定的な欠陥部分は、「被害者遺族への直接的なアプローチ」がないこと。ただそれのみです。

それ以外の点については、存置論のほとんどが踏まえているし、理解もしている。
言い換えれば、死刑存置論は「消極的な存置」であり、「情の部分で葛藤している」ということでもあるわけです。

人間は感情の生き物といわれます。感情なしに生きている人はいません。だからこそ「わかっちゃいるけど・・・」が多いわけで、「理性に情をあわせる」ということをしていかねばならないのです。

個人攻撃をするつもりではないので、批判ではなく、あくまでも課題として受け止めていただきたいのですが、村野瀬さんのコメントは一方通行なんです。別に私個人は被害者ではありませんからいいですが、村野瀬さんの言葉を被害者遺族にはさすがに言えないなぁ、と思います。
でも、その「さすがにいえないなぁ」という時点で、「正しいんだけど、受け入れられない」ということになってしまう。

それに対する答えを持ち合わせてはいないかも知れませんが、でも、それでいいんです。その点で悩んでいる、あるいは困惑しているということを素直に言うだけでも、存置論からみても、「じゃ、一緒に考えよう」ということになるんです。その時点で死刑廃止に向けて一歩前進です。

お互いに課題を見出してそれを克服していこうとしていけば、おそらくお玉さんや村野瀬さんの理想に一歩でも近づくと思います。そういう意味で、受け止めてもらえれば、と思います。


あ、マズイ!
お玉さん、すみません。バカやりました (・_*)\

薬害肝炎の原告団を被告団なんて書いてしまって...、恥ずかしい。で、コメント修正しようとしたら、順番がおかしくなったかも。ゴメンナサイ

仮)山田二郎さん
>薬害肝炎原告団は、理ではなく情を取ったからこそ、多くの支持を集めているんですよ

原告団は理を捨てたのでしょうか? 彼らの理は「薬害被害者には何の落ち度もない」です。その理を通すために連帯したのでしょう。国からの和解案が提示された時点で、一部の者は「利」を得ることができた。「利」を得たいのは情ですが、これは分断された情です。原告団のひとりひとりがこれを選択しなかった。

けれど、これを指してだから理なんだ、と言いたいのではないですよ。原告団勝利の要因は情です。行政と原告団の理が対立し、彼らは政治決断により行政の理を退けるよう求めた。政治決断を促したのは情です。それも連帯した情。


理と情
お邪魔します。
「理と情の対立」確かにその面はありますが,それを容認するといつまでも合意はできないかと思います。
例え「理」が勝ったとしても,「情」を力で抑え込んでの勝ちでは,単なる弱い者いじめでしょう。
前にも書きましたが,私は,私の家族が残忍に殺されたとしても,犯人に死刑は望まないつもりです。犯人が死んでしまっては,家族の死が無意味になってしまうと思うからです。家族の存在と犯人の存在が跡形もなく消えてしまって,少し時間が経てば世の中は何事もなかったかのように動いていく,それに私は耐えられないと思います。
原田正治さんのことはこちらのブログを通じて初めて知りましたが,本当の被害者遺族にもこういう方がおられるのだと,自分の思いを強くしました。
このように,死刑の存廃に関して,「情」はかならずしも「理」と相容れないものではないと思います。
多くの方が「情」で納得するときが来て初めて,死刑廃止が社会に受け入れられるのではないでしょうか。


愚樵さま
薬害肝炎原告団は、理ではなく情を取ったからこそ、多くの支持を集めているんですよ。
また、死刑廃止論も理で構成されているように感じられても、情の部分が根本にある事を忘れてはいけません。


薬害肝炎原告団の姿が大きなお手本
死刑を巡る議論、行き着く先はやはり理と情の対立ですか。

斎藤誠さんの
>確かに国家権力は感情でねじ曲げてはいけないものです。
>廃止派の方々の意見のほうが理にかなっていることのほうが多いです。
>しかし、今の主張を繰り返すだけでは非常に遠回りであり、無駄な衝突をしているだけに感じてしまいます。

この指摘は、その対立の有様を象徴しているように思います。残置派の人たちとて決して理を解さないわけではない。ただそれでは情が納得しない、というところでしょう。理が前面に押し立ててられるほどに情の欠落が感じられ、ますます腑に落ちがたい心理的なバイアスが働く。そういったところではないでしょか。

理の主張が腑に落ちることを妨げることになっている最大のネックは「あなたの大切な人が無残に殺されたら」という情に対する問い掛けでしょう。

確かにこの問い掛けに抵抗することは難しい。真正面からNo!とは答えられない。この問い掛けの有効性は認めなければならないと思います。ですが私は、この問いかけの有効性は認めつつも、この問いかけを投げかけてくる者の「正義」には疑念の念を抱いています。悪意が潜んでいるとすら感じられなくもない。

誰だって「あなたの大切な人」と言われれば、自分自身のかけがえのない人を想起します。自分自身の個別のかけがえない人を想起した時点で、人は分断されてしまいます。私は先のコメントで「命の等価なんて嘘」と指摘したとおり、かけがえのない思いは同じでも、その対象はまったく別々ですから。そして分断されたところに「無残に殺されたら」とくる。これは人を無力にする問いかけです。分断され無力化された人々は大きな力を求める。「そんなときに国家が役立つ」と言われれば、多くの人は納得してしまうでしょう。

昨年末報道を賑わした事件に薬害肝炎の問題がありました。あの原告団の姿に感動した人は多かったと思います。私もその一人です。私たちを感動させたのは原告団の「連帯」でした。国はカネで原告の分断を謀りましたが、原告団は負けずに「連帯」を守り抜きました。

理と情の対立を解決する鍵は、この「連帯」にあるのではないかと私は思います。犯罪を抑止していく鍵も同様です。

個が分断された状態で個別に情を駆り立てている状況は、護憲・死刑廃止論者の方々が散々に指摘されていますし歴史上にも様々な教訓があります。私たちが歴史を通じて獲得した理が死刑廃止にあり、その理の実現を妨げているのが分断された個の情にあるとするなら、どの方向に向かって進むべきは明らかだと思います。


事実に関する補足です
ここ
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-85.html
に書いたフランスでの死刑廃止のプロセスは、読んでいただければわかりますが、日本でも手本にしたいくらいのこの上ない民主的なもので、強行採決でも何でもありません。

>ここ数年のフランスの世論調査では、死刑反対は50%台半ば、死刑賛成は40%台前半くらいだそうです。

これは世論の動向であり、国会議員レベルでは、ここ
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-93.html
をお読みいただければわかりますが、2007年2月、死刑廃止を法律だけではなくてフランス憲法にも組み入れるアイデアは苦労なく、上院・下院の合同議会で賛成828票、反対26票で承認されています。しかも、このときの議会構成は死刑廃止法が成立した1981年の左派内閣とはちがって、右派が多数派をとっています。右派、左派関係なくフランスという国の意思であるということです。

「それは外国のことで、日本とは事情が違う」と思われる方もいることは承知していますが、日本で死刑廃止を訴える人が決して被害者を無視しているわけでもなく、荒唐無稽なことを主張しているわけでもないことは強固な死刑賛成派の方にも認めていただきたいと願っています。

以上の二つの点を、リンク先をたどる暇のない方のために強調しておきます。


死刑に賛成であっても、死刑に反対であっても
>村野瀬玲奈さんのような思い上がった発言は極一般の掲示板では受け入れられないでしょう。集中攻撃の対象になりますよ。

何が「思い上がり」なのか具体的な指摘がなくてはなんともお答えしにくいです。(^^;いずれにしても、多数派が少数派の個人に対して「集中攻撃」とは穏やかでないと思います。死刑賛成派の方々がみんなそのように攻撃的な人ばかりだとは思いたくないのですが...。ただ、例えばここ2、3日のこのブログでのコメントの中で死刑存置の立場に入る人であるにもかかわらず私も納得できる穏やかな意見を述べた方がいらっしゃるのも事実ですが、ある種の掲示板などで匿名度の高いヘイトコメントを書き散らす人々が多いのもまた残念な事実です。

お玉ブログにまで来てコメントをしようとする死刑賛成派のみなさん(中でも、どちらかというと強固な死刑賛成派の方々)に私が一つお願いしたいのは、私を含めて死刑廃止を訴える人の書いた記事をきちんと読んでほしいということです。死刑廃止派が何を主張しているのか、すぐに賛成してもらえるとは思っていないけど、主張の内容は少なくとも把握してほしい。相手が何を言っているのか知ろうともせずに議論はできないと思いますから。

>斉藤誠さん

私にも向けられた問いなのでがんばって私の考えを書いてみます。斉藤さんへの反論ではありません。笑

8割の「死刑賛成」の世論の中にはいろいろな濃淡があります。調査の質問の立て方によってもいろいろな結果が出ます。いろいろな質問の立て方に応じた結果の違いを眺めてみると、条件が整えば死刑制度を残さなくてもいい、という人々もかなりの割合でいることがわかるのです。あるいは、死刑制度についてよく知らないので存置方向か廃止方向か決めかねている人もいます。死刑の実態を知って死刑に強い疑問を持つようになる人もいます。(「灰色のベンチから」のKENさんがそういう記事を最近ブログで書きました。)もちろん、強固な死刑賛成派もいます。私の書くことは、それらすべての人に等しく向けられているというよりも、死刑について決めかねている中間派、条件が整えば死刑存置にこだわらない人に主に向けています。(私はすべての人に語りかけているつもりですが、結果的にそうなっていると思います。)

実際、1981年にフランスで死刑が廃止されたとき、世論の63%が死刑賛成、33%が死刑反対でした。それでも、ここ
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-85.html
に書いた経過を経て死刑は廃止されました。ここ数年のフランスの世論調査では、死刑反対は50%台半ば、死刑賛成は40%台前半くらいだそうです。世論だけをよりどころにしていたら、何も訴えることはできません。逆に、日本では、世論が反対しているのに民主主義的とも立憲主義的ともいえない政策が検討不足、説明不足、理解不足のまま強行されることもあります。死刑廃止は過激な主張でも反社会的な主張でもなく、反発はあったとしても、よく勉強した上で主張することに問題はないと考えています。今日明日に実現するとは思っていませんが、「現実的であれ。だが不可能を求めよ」の精神です。(笑)不可能に挑む気概がなければ社会の進歩も技術革新もないからです。

そこでやっとこのコメントの主題にくるのですが(笑)、私はこういう
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-416.html
記事も書いております。死刑には凶悪犯罪抑止力がないという事実を前に、死刑賛成であれ、死刑反対であれ、犯罪抑止のためのアイデアを出すことはできるという考えです。私は、死刑賛成の人々が死刑反対の人々を攻撃するだけで犯罪抑止のためのアイデアが死刑廃止派から出てくるのをただ待っているだけの人々ばかりだとは思いませんので、こういう提案をしてみました。この記事にいただいているコメントを整理しなければならないのですが、まだ手を付けられていません。(汗)この機会に、お玉ブログの読者の皆さんも考えて、私のこの記事のコメント欄でアイデアを出していただければありがたいです。m(__)m


お玉さんごめんなさい!
非公開にしたつもりだったのですがなってなかったみたいです。

都合が悪ければ削除してください。


続きです

確かに国家権力は感情でねじ曲げてはいけないものです。
廃止派の方々の意見のほうが理にかなっていることのほうが多いです。
しかし、今の主張を繰り返すだけでは非常に遠回りであり、無駄な衝突をしているだけに感じてしまいます。
お玉さんもご存知のとおりただ見ているだけの人に理解を求めるのであれば、死刑廃止後にいかにして殺人を減らすかの具体的なビジョンを示すなり、殺人という最悪な犯罪に対する死刑を除いた上での厳罰化などを強く訴えなければ、死刑賛成8割という現状を打破するのは難しく、外国からの圧力による強行採決でしか死刑廃止は叶わないのではないでしょうか?

生意気言ってすみません。
荒らしをよびそうな意見ですので非公開ということで…。

今年も頑張って下さい。


あけましておめでとうございます。
ご無沙汰しております。
お元気でしたでしょうか?

死刑廃止ですか、そうですねー、人権を優先的に保護する内容の憲法を持っている以上いずれは廃止されるものと思っていますし、そうなるべきだとも思います。
要するに自分は死刑廃止派です。

しかし、最近のエントリー、コメント欄、関連リンクなど…読めば読むほど死刑廃止が遠のいているような印象を覚えます。
失礼を承知で言わせてもらうと、ここにいらっしゃる廃止派の方々は、憲法や人権、立憲主義などを深く勉強なさっていますが、勉強しすぎて感覚がズレているということはないでしょうか?
殺人は、最低最悪の人権侵害ですよね、殺人者は、日本の最高刑で罰する必要があります。
現在の最高刑は死刑です、しかし、それが廃止されるということは、殺人罪の刑罰が軽くなるってことですよね。
一般の方々や被害の関係者、死刑賛成の方々にはなかなか飲めない論理です。
それなのに、殺人は社会のせいとか犯人の人権とかを前面に主張することは大多数の国民を意固地にしているだけではないでしょうか?

ごめんなさい続きます。



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