(元)?改憲派の小林節が何故いま9条を変えたがらないのか?その2
ただ今、天井で猫かイタチかわかりませんが、徘徊しております・・・多分出口がわからなくなったのか・・ああ・・・・・気になって、今晩は眠れないかも (-_-)
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続き〜〜と言うほどではないけど・・
自民党の新憲法草案のお話をしましょうか・・
なんせ、この2年半何度も何度も書いてきているので、とりあえず過去ログを探してみた・・・
ありました!!
お玉ブログライブドア版2007.4.15
「お玉は憲法の話を続ける」 より一部抜粋〜〜〜〜〜〜〜〜〜
何が日本の憲法の幹や根なのかといえば、立憲主義に基づく「個人の尊重」です。ここは、護憲派、改憲派のどちらの憲法学者も弁護士さんも「大事だ」とおっしゃってます。自民党の改憲案(新憲法草案)は
個人の尊重に価値を見いだしていない。個人よりも集団、国民よりも国を大事にすることに価値を見いだしている・・
これが、昨日の記事自民党のいい訳で取上げた
自民党の新憲法草案で書き換えようとしている、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」へ変換させているところに良く現れてます。
現憲法
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
↓
自民党改正案
(国民の責務)
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。
現憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
↓
自民党改正案
(個人の尊重等)
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
自民党の言ってる新憲法草案ってのはね、枝葉のチャチナ事を改正するんではないんだよ。そこだけは自民党だって認めてることだと思う。憲法の根幹を変えようとしています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜
自民党の新憲法草案というのは個人よりも公が大事、国が大事とうたっています。でね、その延長上に愛国心を憲法に書き加えるような事をしでかしてます。
自民党の議員さん達は国民に監視されるがとってもお嫌です。なので、国民が国を監視する「立憲主義」を何とかなくそうと思っている・・・と言うことがは自民党で憲法を教えていた小林節さんの確かな情報なのです。
改憲派の小林節先生が今、9条を含む全ての憲法を改正したくない理由・・立憲主義を取っ払ってしまおうとする暴挙に出る人たちの集まりの中で今憲法を変えてしまったら、本当に日本が積極的に戦争をする国へと変貌してしまうかも知れないから・・・・・・
この思いが、嫌中にもかかわらず、中国が攻めてきたら・・北朝鮮が攻めてきたら・・の心配よりもずっと大きいから、小林先生は今、改憲するのに反対なのです。
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- [2008/02/07 22:41]
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Comments
私が奉仕すべきは貴方こそである
現憲法の「公共の福祉のみが自由や権利に制限を課せられる」という論理の、何が問題なのかと思いますね。
人にはそれぞれ得手不得手があります。その得意とすることを延ばすことで、他者と相互支援する。この単純なモデルに、自己利益と他者利益の両立が内包され得る。私が得をしあなたも得をする、このゲームに私は熱中する。
しかしここで、「公共の福祉」を「公益・秩序」に置き換えることで何が起きるか。●●●●が勝手に“公”を名乗り、「他者とは私である」と称しはじめる。本来、他者(“あなた”のことですよ)に対して供せられていた利益を、勝手に裁定しネコババしていく。
●●●●とは誰のことか。少なくとも“あなた”のことではない。誰でもない。相互利益で成り立つ“私たち”の社会の外側に、●●●●はいる。
理解し難い概念かも知れません。しかし私は、常に奉仕すべき他者のことを具体的な念頭に置いて生活してきました。それが愛国心です。
自民党ごときが勝手に“公”を設定しても、私の奉仕すべき社会は既にあるのだから、後付けされた“公”などにくれてやるものは無い。
おそらく、現代日本人の公共心の欠如をもって、「公益・秩序」を歓迎する人はいるでしょう。しかし私は、現代人の公共性の無さを許します。
この島国で暮らす同胞への公共心を私は忘れませんが、同胞に「お前も公共心を持て」とは強制しません。まして、私の友でもない●●●●が策定した公益など。
個人より公という考え
そもそも公や愛国心ということが
重要視されるに至った発端があったのではないでしょうか。
きっかけのひとつとしては個人主義の弊害に対する一定の共通認識があったように思われます。
もはや欧米から借り物の個人の尊重では、あるいはそれだけではだめだという危機感です。
そうした意識は「国家の品格」のベストセラー化にも現れていますね。
ただ憲法案の文面作成の過程で、その他の思惑がからみ、センスのなさもあいまって、今のような文になったのではないでしょうか。
けんぽう? 医者で使うやつだろ!(実話)
例えば、憲法は国民のモノ・・と言いますが、
憲法の条文すべてを読んでいる国民て、何%くらいいるのでしょうか?
その中で、理解してるのは何%でしょう?
あの・・・・条文の数を減らすことって、出来ないんでしょうか?(笑)
十七条までとは、いいませんが・・・・
それと、文章も・・・ですよね。
もっと易しい書き方では、ダメでしょうか?
日本国憲法を英文表記にすることには、 みんな反対すると思います。
読めない人が、出てきちゃいますからね。
でも現状の憲法だって、読めない、理解できない、読みたくない! って人も多いのでは?
例えば・・・・
憲法十三条
『国は、ひとりひとりの幸せを大切にします。
みんなの迷惑にならない限り、自由に暮らしてください。』
う〜ん・・・これじゃダメでしょうか?(笑)
まぁ、馬鹿コメントですが、この観点で改正が議論されたことってないのでしょうか?
大切なことだと思いますが・・・・
ブータンの愛国心
もちろんです。日本に来ている他の途上国の留学生たちは、みんなカナダに行きたいとか、日本に住みたいとか言うけど、その辺が、わたしたちブータン人と違いますね。
わたしは国へ帰るのが楽しみです。ここで学んだことを自分の国のために生かしたい。国はわたしを必要としている。
国へ帰った留学生たちに、王様は一人一人「何を学んできましたか?」と聞きます。わたしは胸を張って王様の前に立ちたい。
ブータンの王様は「幸せ大国」を国家目標として宣言してるよね?
ええ。それを聞くとたいていの外国人は笑うけど、「なにそれ?」て。でもブータンには確かに幸せがある。わたしたちは生活の中でそれを感じる。
たとえ笑われても、自分たちだけがちゃんとわかっていればいい。
経済ではなく、幸せ…。でも開発とかは?
いろんな国が、開発してあげようって話を持ってくるよ。でも、わたしたちは五大国の力は要らない。かれらには入ってきて欲しくない。だからシャット・アウト!
それは徹底しているね。
9条護憲だけではない運動を
私は、リアル活動でも護憲団体に入っていますが、そこで私が主張しているのが、9条護憲「だけ」を言うだけでは、自民党の改憲草案に対抗できないということです。
紹介されている、12条、13条の改憲草案は、ほとんどマスコミ等で論ぜられることなく、滑り込まされています。他にも25条の生存権のことも含めて、憲法を勉強して、もっと多方面作戦で、自民党の改憲案を潰さなければいけません。
たとえ、9条を改憲して、自衛軍を持つべきだという人も、12条、13条が改憲され、ある日突然、道路を造るからあなたの土地を取り上げる、っと言われれば(財産権の侵害)、反対するでしょう。
このように、「敵」(自民党)の改憲草案も良く勉強して、対抗手段を用意する必要があります。
確かに妙な一文ですね。公益及び公の秩序ってのは、誰が決めるのかって話ですものね。
こういうところはどんどん議論してもらって、納得いかなかったら変えるようにしてもらえばいいんですよ。何でもかんでも「個人主義」ってのもまた妙な話ですし。
ただ「愛国心」を書き加えるのになぜ反対なのかも私には理解できません。強要されるからとか愛国心を文言化してどうするとか言われますけど、あなた方に愛国心はないんですか?
この日本を愛す、ただそれだけです。国旗に敬意を表する、ただそれだけ。
憲法に書き加えても問題ないと思いますけど・・・・・
愚民
ベストセラーってのは、普段本を読まないやつが買うからベストセラーになる。
そんな本に良いものがあるわけないだろうね。
死ぬのはやつらださんへ
ただ、お母さんの藤原ていさんの書いた「流れる星は生きている」はすばらしい本でした。
さらに著者が「国家の品格」の中で薦めている新渡戸の『武士道』もまた、名著なのです。
ただ問題は、このせっかくの名著も、読者の恣意的な解釈によって、無条件の日本文化(情の文化)礼賛の根拠として利用されている点です。新渡戸の書には日本文化の重大な欠陥が指摘されているにもかかわらず、そのことを取り上げる人は皆無です。
「国家の…」の作者が言いたいことは、わからないでもありません。昨今の日本社会における情(なさけ)の欠如は目を覆うばかりです。
ただ、著者は少し調子に乗って浮かれ気味に書いてしまったばかりに、警告の書と受け取るべき内容が、多くの読者により、捻じ曲がって解釈され、それを一定の偏向した政治的勢力に大いに利用されてしまったのだと思います。
流れる星は生きている
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