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命の大切さ

命の重さのお話は歩み寄れないテーマかも知れないと感じています。
それでも、ああ、そういう考え方もあるんだね、と言う程度にでも 知ってもらえればいいかなあ・・・・ あと、誤解の無いように・・お玉はKYさんも命の重さを実はわかっていらっしゃると感じているのです・・・・

とかいいつつ・・・ごめんなさい、出来の悪い文章しか書けてないです・・

昨日夕方からみんなのコメントを読みつつ、もう少しKYさんと話せるような糸口を探していたんですが・・・・・

今書いたこの文章、読み返してみたら、命の大切さの話だったはずなのに、なぜか疑心暗鬼の話にすり替えられている・・(-_-

人気ブログランキングへ   総合はだいぶ上がってますm(_ _)m

  こっちもぼちぼちです~m(_ _)m

 平和主義者なみんながあまり「勇ましい軍事論」の本を好きになれない、読まないのと同じように、 勇ましい若者達は「お花畑な平和論」の本を読みはしないでしょうし、お互い、そういう嫌なものを目にするときは まず、斜に構え、反論することをふまえて読んでしまうでしょうね・・・・・

お玉はご存じのように東京都知事の石原慎太郎が嫌いですが、 以前彼が書いたエッセーの中で心に残っているものがあります。

たしか・・今の若い人たちにどうやって命の尊さを教えるのか・・というテーマだったように思いますが・・
近頃の親は身内が亡くなってもその姿を子供達に見せようとしない・・葬式や火葬場にも連れて行かない・・
それではいけない、死を隠さず教えるべきだ。
たしかそういう内容だったかな?

死は怖いものではなく自然なもの、だから子供達にもキチンと亡くなった方を見せてあげたい・・・
と言う一点はお玉と同じだったもので、良く覚えているのですが。

同じように命の大切さを子どもに教えようと思いつつ・・・・・
右と左・・ずいぶんと思想的にはかけ離れてしまうものですね。

KYさんが教えてくださった、囚人のジレンマ、なるほど・・信じていても裏切られるかも知れない
・・だから裏切られても良いように、自分も相手を裏切れる準備をしている・・・
核兵器を持つ国には、まさに当てはまるお話です。
また、もっと身近なところではこのネットの中でだって、「お互いをしんじられない」気持ちで 、政治ブログを読んでいる、書いている方々が沢山いますよね。

「このコメント」は果たして「反対思想の工作員の仕業?」ってな文章を結構目にする機会も多く・・・・・
ああ、話がそれてますね。
お玉は「命の話」が書きたいのでしたっけ・・・・

お人好しなお玉はまず相手を信じること、尊重することから命の重さを感じていたいです。
だから、はじめから信じない、尊重出来ないという態度しか感じられない文章に出会うと、悲しみや怒りを覚えて・・・・・ときどき「暴れる」のかもしれない。

そういうお玉自身が、平和主義者なのに・・・・疑心暗鬼がやめられなくて、多分管理上その事に一番悩んでいるお玉ブログです。

人を信じられない事もあるけれど・・でも信じていたい・・・・見知らぬ相手も誰かにとっては「大事な人」

自分にとって大切な誰かのために「戦うこと」ではなく、「信じること」を選択したい・・・・・

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(非公開コメント受付中)

コメント欄での論争はご法度ですか?
論理というものは普遍的な事柄について語るものである。
特殊な事例について述べるならば論理は要らないし、また用いるべきではない。当然そこで語られた事柄は、話者自身ついてのみのものであり、他者に同様の事柄(信念であったり、価値観であったり)を求めることは出来ない。
故に、他者に対して何かを語るとき、そこには論理がなくてはならない。とりもなおさず、それは普遍的な事柄についての物語りになる。
以上により、誰かが否定すれば消失する『価値』なるものは特殊な価値であり、それを他者に対して説くことはできない。

>>三輪耀山さんへ

意味とは価値の一形態である。
なにものかがそれ自身によって生じさせる価値を、意味という。他の存在との関わりの中で生じさせる価値を、意義という。

また、
守るべきものに価値がない場合、守ろうとする行為にも価値はない。
これは前コメントの②より導かれることである。

さらに言えば。
無価値なものに奉仕することはただ無価値なだけであり、正義ではないだけである。同時にそれは悪でもない。
故にそれは否定されないが、同時に肯定されることもない。
何の論理的根拠もなく、正当性の裏づけもなく、個人的にそれを行うことができる、というだけである。


>sutehunさん
>無価値なものに貢献することで価値が発生することはありえないので、②より③『共同体には価値が存在する』が導かれる。

反論;ペットは全て無価値なものであり、飯を食い、糞を散らかす一種の不良債権である。
それに何の価値が生じるのかと言うと、何の価値も生じない。
意味があるだけである。

人は価値以外に、意味に奉仕する事もありうる。

>①と④から、共同体は血に塗れていることが導かれる。
>よって、共同体は尊いものではない。

前提条件の設定が間違っている。
共同体の意味が、共同体内の構成員の生命と財産の保全にあるならば、共同体はいかに血にまみれていようとも、その存在価値を失う事はないと言える。

もしくは、共同体の存在の起源が、元来的に血にまみれて、共同体の繁栄を勝ち取る為のものだった場合、共同体は血にまみれる事が正しいとさえ言える。

ま、血にまみれるのが正しいと言うのは、流石の私もおもっていない。

妥当な所で、共同体は血にまみれていても、何等の問題をも生じないのだと言うのが世界的な理解だと思う。
生れ落ちてから、一度も血にまみれた事の無い共同体はない。

相手から血まみれにされ続ける弱い共同体も、相手を血まみれにする強い共同体も、血にまみれていてる事では変化ない。そう言う見方さえできる。

もちろん、これも極論なのだが。でも、世界的にはどう認知された事なのだろう?原理原則や価値判断だけではなく、そう言う現況の評価も行うべきではないかな?
私はそう思う。


あくまで極論であり私見です
sutehunさん

命と言うものに普遍的な価値をつけるならば、と言う前提の発言でした。
いくら一人が尊いと言ったとしても、他の全員が『ごみ』と言ったらその時点で命に価値が無くなるといった意味です。
個々の人間の価値観が混ぜ合わさって出来たものが、共同体と言う化け物です。
無数の人間の意志が入っている以上、sutehunさんがおっしゃった矛盾が生まれ、どんなことをしても、絶対に踏みつけられる人間が出てしまう。
ですが、もし、その踏みつけられる人間を無理矢理にでも無くそうとすれば、共同体の全てに相応の負担がかかりますし、その負担が別の踏みつけられる人を生みます。
目に見える人を救う代わりに、見えない人を虐げる事に耐えられる人は、そういないと思います。
元よりそれは、護憲派の人達が批判する政府や軍隊の役目です。
尊い命を救おう助けようとした行動が、戦争を生む事だってあるのです。
尊い命を救おうとして、他の共同体の数万人を殺してしまう事態だってあります。
私が命を尊いと感じない。
いや、感じたくないのは、尊い命を救おうとした行動により、私や、私の大切な人達がその争いに巻き込まれる事を恐れているからです。
悪意から始まった行動は簡単に止められます、ですが、善意から始まった行動は、どんなに被害が出ても善意に肯定されてしまいます。
もしもの時に、自分は善だからと自己肯定せずに、悪かもしれないという危惧を持って、なるべく誰かを踏まないようにしてもらいたいのです。

ここまで書いて、私は元々尊いという感情を理解していない事に気付きました。
『尊い』という感覚が主観的なものであるために、自分自身を信用できない私は嫌悪し、自分以外の客観評価が可能な『価値』で判断していました。
それが良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが、理解せずに、不適切に『尊い』と言う言葉を使った事は謝罪いたします。


>通りすがりの軍オタさまへ。
あなたの主張は、論理的に破綻している。

①。
血に塗れているので、命は尊いということはできない。
②。
共同体に貢献することで命に価値が生まれる。

無価値なものに貢献することで価値が発生することはありえないので、②より③『共同体には価値が存在する』が導かれる。

④。
共同体は命の群体である。

①と④から、共同体は血に塗れていることが導かれる。
よって、共同体は尊いものではない。
ここから③が否定され、同時に②も否定される。
共同体は無価値であり、それに貢献することは無価値である。

有価値≠尊さが前提としてあれば成立するが、であれば、命が尊くないからといって無価値であることにはならず、当然共同体への貢献のみが価値を生じさせる唯一の行為ではないことになる。
尊さを有価値性の要件としないのであれば、共同体に価値があることを論理的に証明する必要がある。その点であなたの主張には論理的な不備がある。

価値や尊さという語を使ってはいるが、それらはきわめてローカルな概念として用いたのであり、普遍的な価値・意味を示す語として用いたのではない。
との主張をするのであれば、そもそも論理は必要ない。
『わたしは国が好きだから、私個人の意思として国に貢献する』とでも言えばよい。もちろんこの主張では、同様の動機付けによって他者に同じ行為を求めることは出来ない。


なめぴょんさんとお玉さんへ
なめぴょんさんへ
お返事ありがとうございます。
あぁ・・私の書き方が良くなかったですね。
私の書いた『中国』は、中国政府のことで、中国人という意味ではありません。
コメントを書いてる途中で、
『そういえば、中国人には(実質的な)選挙権も無いんだよなぁ・・政府から見れば命も軽いんだろうな・・・』
などと思い、軽く書いてしまいました。
良い書き方ではなかったです。ごめんなさい。


お玉さんへ
>政府関係者と一般の国民を同列にしないで・・
う~ん・・中国ではそうだと思いますが、日本ではどうでしょうか?
政治家は選挙で選ばれているのですから、国民と完全に分けてしまうのには違和感があります。
本筋とは関係ない話ですが、前から気になっていたので。




お邪魔します。
前記事辺りから拝見し、気になっていましたので・・・・拙いながら書かせて頂きます。

全ての生き物において、自らの命は大切なものであると思います。
ただ、それを意識できるのが「人間」で。意識している以上、それはとても重いものだと思っています。

命の価値。
「私(と、私自身が意識している存在)」の命は、全世界に匹敵します。何故って、「私」という存在がなければ私は世界を知ることはないからです。
そういう意味で、あくまで自分に対して「かけがえのないもの」であるという意味で、私は「命は価値あるものである」と思いますし、全ての人にそれは言えるという意味で「全ての命は価値あるものだ」と思っています。
「私」の命が大事であること、そして同じように自らの命を大事に思う「あなた」がいること。「私」と「あなた」が共に生きていけるという事を考えていくようにする事が、「命の尊さを教える」ということかな・・・・と、思っています。

済みません、徒然書きましたが・・・・コメントの流れと違いますね。ご容赦の程を。


まあ、結局は極論なんですよ
六月さん

>同じ食事をしながら、まったく逆の価値観にたどり着く

うーん、確かに不思議です。
でも面白いですね。
私はそれを偽善と感じてしまうため、自身を悪人と断定しているわけです。

>一個の確たる意識を持たない巨大な群体
>地球の歴史の中で絶滅した種もいたけれど、生物という相対の中では僅かな変化に過ぎない
そんな大げさな事ではありません。
日本に居る一億三千万人の人間を一つの生き物として見ているだけです。
なまじ数が多いために、力もある。
でも、その力は一人一人の人間の動きから成り立っているので、誰にも操作できない。
それを、微生物などが集まって出来た『群体』言ったわけです。
すみません、読み返したら自分でも突っ込み入りました^^;。

で、その一億三千万の日本人と言うくくりが、どれだけその命を評価することで、命の価値が決まるのではないか、と言う事です。
現実に、多くの人から惜しい人を亡くしたと言われる偉人が居る反面、被害者に死刑になって欲しいと言われる犯罪者が居ます。
前者と後者を、日本国民(一億三千万の群体としての)は同じ命だと、本当に思うのでしょうか?

>私はやはり隣にいる大切な人や、誰かにとっての大切な人の具体的な「命の大切さ」
それを守るために、私達は誰かの大切な人を犠牲にしていると思います。
実際、私達は自衛隊員に『死ね』と言っているも同然の法律を支持し、最初に侵略を受ける人々を犠牲にしています。
事実、浅間山荘事件で、警察の動きを制限させ、誰かの大切な人であった警察官を殺しています。
戦争が起きないように頑張る人、人を殺さないように頑張る人が一番最初に死ぬ状況なんです。
ですが人々は、彼らを貶めたり、必要最低限以下である法律や予算を削減しています。
それは、反論が出来ないため差別し放題だから、面倒臭いから、税金を払いたくないから。
そんな自分達の都合で、欲望で、その人達にとって「大切な命」を危険に曝しているのに、誰もその命の価値を認めない。
単に、それは多くの人がそれと知らずに自分の生活を重視しているだけです。
互いに信頼しあったとしても、ちょっとした、無害だと思える欲望が、結果的に少数を危険な位置に置いたり、ともすれば殺している現実を少しは知ってほしいと言う意味でした。


>あぁ、中国には『命の重さ』など最初から無いのかもしれませんが(笑)
(笑)つきの文章に過剰に反応するのは無粋ですけど、「中国」でくくっちゃうことが「命の重さ」を無視することのはじまりだと、自分ルールとして考えています。いや、田柄さんを糾弾しているんじゃないですよ。
少なくともわたくしが今晩52%の白酒を飲み吐き(2回)してきた目の前の中国人たちの命はわたしにとって重く、かれらもわたしの命にある程度の重さを認めてくれているのだろうと思います。

KYさんへのコメントの続きみたいなのですが・・・。下記の「あなた」は特定の誰かではないことをあらかじめ断っておきますが、「あなたの意見にはまったく同意できないけど、あなたの発言の自由と権利を尊重する」ことが民主主義の第一歩であるのと同様、「あなたの存在は正直わたしにはどうでもいいし、時に不快きわまりないけど、あなたの存在は尊重する。だってかけがえのないわたしも、あなたにとっては同様かもしれないんだから。」


田柄さん
>命の重さを感じない人間が存在する以上

それはきっと誰の心の中にも存在する事ではないでしょうか。
それはあなたの中には存在しませんか?
でも、だからといってその「感じない」は決して未来永劫「感じない」訳ではないと
お玉は思うのです。
お玉はね、KYさんがおっしゃった先進国の富裕層にしか存在しない
命の重さというものも確かに存在するのでしょうが、
特定の国を指してレッテルを貼るような
「命の重みを感じない」という話ではないと確信するのです。
日本も含めた国々の政府関係者や財界人と一般の国民を同列にしないでほしい・・

あなたの知らない誰かは、きっと命の重みを知る誰かなのだから・・
一つの国だけど、そこにいる人は皆、一括りに出来ない別人格を持つ人間なのですから・・


現実として
>命の重さの話は歩みよれない

そうですね・・その通りだと思います。
何故なら、もともと命に『重さ』はありませんから。
つまり、正解が存在しないということですね。

社会を維持するフィクションとして、『命の重さ』は使われています。
ですから、社会を守るためなら『命の重さ』は無視されていますよね。
イラクやアフガンで殺されていく人や、中国の法輪功の人達・・・あぁ、中国には『命の重さ』など最初から無いのかもしれませんが(笑)

相手の命の重さを・・という気持ちは、よく解ります。
しかし、命の重さを感じない人間が存在する以上、その考えは破綻すると思います。

家族や友人など、同じ想いの人達には通用するでしょうが・・・・




「死を憎まば、生を愛せよ」-徒然草

お玉さん、思想云々はともかく、がんばって下さいね。(^.^)そんなことないのかもしれませんが、三浦などにできることがあったらいつでも言って下さい。

命の大切さに、理由なんていらないと思います。

息子がいま、三歳半。かわいい盛りです。生きていてよかったな、と日々思います。


相当数の命が消費されて居るからそこ
通りすがりの軍オタさん

同じ食事をしていても、それに対する視線は違ってくるんですね。
私はここ5年位、お肉を意識的に食べないので、時々食べると「おおお、美味しい~。私の為に命をありがとうございます」としみじみ思える様になりました。
自分の生を尊いと思わないということは、その元となった多くの命に意味が無くなってしまうと思っています。

多くの命を奪うからこそ尊くない。
多くの命を奪うからこそ尊い。
同じ食事をしながら、まったく逆の価値観にたどり着く・・・。うーん、不思議です。

>命の価値というものは、(中略)一個の確たる意識を持たない巨大な群体にどれだけ貢献できるかで決まるものです。

「一個の確たる意識を持たない巨大な群体」の意味が分かりかねるので、なんとも言い様が無いですが、同意できない何かを感じます。
仰っていることのイメージは「地球の歴史の中で絶滅した種もいたけれど、生物という相対の中では僅かな変化に過ぎない」という風に受け取れたんです。
それを言ったらお終いよ的な。
同意できないと思ったのは、私はやはり隣にいる大切な人や、誰かにとっての大切な人の具体的な「命の大切さ」を前提に話したいなと思うからです。
(後者は、「私」にとっては具体的ではないですが)


勿論、これは私見の極論です
意見の一つとしてお読み下さい

命が尊いと言う割には、私達は血塗れ過ぎます。
私達の一回の食事で、相当数の命が消費されて居るのです。
だから、私は命を尊いとは思いません。
命の価値というものは、そもそも社会を構成する存在(日本では国民ですね)と言う、一個の確たる意識を持たない巨大な群体にどれだけ貢献できるかで決まるものです。
国家や軍ですら、その群体に仕える一つの機関ですし、よほどの重要部位で無い限りは構成する一億もの数のほんの末端など、気にも留められません。
穿った見方をすれば、命が尊いものと言う事は、単にこの群体の細胞が互いに食い合わないようにするものですし、信じる事は群体の結束を高めるためのものです。

平和主義者には二種類居ます。
純粋に平和を願うものと、前者を利用し、平和に乗じて侵略を企てるものです。
普通の群体に属する人間ならば、本来は後者を嫌うもののはずで、どちらも前者のために軍の存在を肯定するもののはずです。
実例を挙げろとおっしゃるなら、日本を除く、民主国家は基本そうです。

……長くなりすぎました。
最後に、お玉さんは右派左派と簡単に分けていますが、どちらも属さない現実主義者など、片方だけでも十以上の思想に分けることが出来ます。
反対思想という者は、左派なら左派内部で発生する事もありますので、反対=全て対立派閥と考えるのは孤立を生みます。
そこは御気をつけた方がよろしいかと。



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Author:お玉おばさん
お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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