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わたしたちは見てから語ろうよ。

ちょっとした集まりで、お玉のブログのことを言ったら「読んでます~~~」とおっしゃる方がいて・・非常に驚きました・・まあ,、相手の方の驚きはそんなものではなかったようですが・・・・・世の中狭いです・・・・・・ああ、とっても男前の若手弁護士さんでしたが、護憲派アマゾネスのファンのようでした・・・今後ともどうかよろしくね(^^)

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 さて・・・映画「靖国」こじれましたね。

刈谷さんの証言がでてきましたのでかれが言っているのが真実だという意見と監督の発言と・・・・どっちが正しいとは言えなくなりました。ウソとかそういう事じゃあないでしょう。伝わっていると思っていた意思が伝わっていなかった・・及び、もしもこれほど大きな社会問題にならなければひっそりと 上映されるはずだったのに、反日映画だと批判されてしまった・・このことへの出演者の悲しみと怒り・・もあるでしょう・・・・そんなつもりで引き受けてない・・・それぞれの支持者がああだこうだと言っていても解決出来ない・・・裁判になるかも知れないとお玉は感じてます。

それだけに、ここまでこじれた元々は何だったのかを追求すれば、どうしても、どうしても、国会議員が口を挟んだことが元凶とお玉には見える・・たとえ、議員の側に上映中止の意図がまったく無かったとしても・・です。そして、右翼街宣車や日本会議が関わったことも大きな要因です。

で、基金の審査基準ですが、・・・

芸術文化振興基金

外国人が監督だったらだめとか?

政治的主張があったらだめとか??

ここを見る限りそういう基準はないよね・・・

映画「靖国」は反日映画ではなく愛国映画だという右派の方もいますよね。とりあえず、見てみようよ。

内容について語るのはそれからで良いでしょう。

・・・と、ここまで書いて気がついた。

毎日新聞より

映画「靖国」:靖国神社が一部映像の削除求める

ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」(李纓監督)の上映を中止する映画館が相次いだ問題で、靖国神社(東京都千代田区)が事実を誤認させる映像があるなどとして、李監督と制作会社「龍影」、配給元の「アルゴ・ピクチャーズ」に対し、一部映像の削除を求める通知をしたことが分かった。

 靖国神社が11日付でホームページに公表した。「境内における撮影許可手続が遵守(じゅんしゅ)されていないだけでなく、その内容についても事実を誤認させるような映像等が含まれており」と理由を記載。李監督らに「質問と問題映像の削除等の適切な対応を求める通知を行いました」としている。

 毎日新聞の取材に靖国神社は「取材は14日以降にファクスで受ける」と話した。

毎日新聞 2008年4月12日 20時20分

なあ、言論表現の自由ってなんだろう? 

お玉カテゴリー 言論表現の自由

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    otama

 
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(非公開コメント受付中)

宣伝について
国家又は特定の政党、団体等の活動や思想を伝えることを目的としたまたはそういった内容の映画であれば、「政治的な宣伝意図を有してい」たと言えるのではないか。

政治的主張であっても広く助成の対象とすべきと考えるが、一方で、映画がプロパガンダ(政治的宣伝)のために利用されてきた(特に国家)ことを考えると特定団体の思想の宣伝にすぎない場合は許されないと思う。

映画靖国には首相の靖国参拝を違憲だと訴えた原告の主張があるが、映画全体からみると、反日的だと評価がある一方で愛日的だとの評価もある。また「一貫したストーリーを見せるというよりは、様々な場面をつなげた映画。自虐的な歴史観に観客を無理やり引っ張り込むものではなかった。」島村宣伸議員

島村議員は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の会長です。

「戦争の悲惨さを考えさせる映画だが、むしろ靖国賛美6割、批判4割という印象を受けた」横光克彦議員  朝日新聞3月13日朝刊

特定の団体の思想、特定の思想のみを伝えようとしているものでもないと評価可能である。そうである以上、「政治的な宣伝意図を有して」いたにはあたらない。


ライトさんへ
ていねいなご説明、ありがとうございます。

>「検閲」と「事前抑制」の峻別について書いたつもりです。

ご回答ありがとうございます。以下「細かいことを!」と言われるかもしれませんが、ここが引っかかってしまったもので・・・。
まず、「似て非なるもの」とは、一般に「似てはいるがまったく違うもの(あるいは、本質が異なるもの)」のように使われるというのが私の理解です。次に、私の拙い憲法理解では、検閲は事前抑制の一形態と捉えています。「検閲は事前抑制の典型」という説明を目にします。または、「検閲は事前抑制の部分集合をなす概念」とも言えるかと思います(参照URLの中ほどの図)。http://www.ken-group.net/text.htm
ですので、検閲と事前抑制を「似て非なる概念」とする通説による説明が存在するのは承知していますが、私には違和感があるのです。「それぞれ、まったく独立した概念」のようにイメージしてしまうので。通説による説明には「類型」として解説するものがあり、こちらの方がしっくりくるのです。
このあたり、ライトさんはどう思われるでしょうか。
-------------------------------

前回は載せなかったのですが、最高裁の「北方ジャーナル事件」での判示では、狭義説に立ちながらも以下のような文言が見られます。

>・・・表現行為に対する事前抑制は、表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法二一条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうるものといわなければならない。

実際の法適用の段階では、1項を根拠にすればよいのでしょうが、法理論的には21条全体から事前抑制を制限するための観念が汲みとられているようにも読めます(峻別していない)。そして、再掲する声明文も似ています。

>>表現行為に対する事前抑制につながる恐れがあり、検閲を禁止した憲法の趣旨に鑑みても慎重な配慮が求められていたというべきである。

ただし、1項が欠けていて、それはなぜかということですが、ライトさんがおっしゃるように「印象操作」なのかもしれません。しかし、広義説ゆえなのかもしれないし、単に省略しているだけ、あるいは書き落としているだけかもしれません。
少なくとも「趣旨」を使ったからといって、逃げを打っているとは決めつけられないと思います。

>幸運にも、私は、判断を誤らずにすみましたが、この文章を読んだ人は、これを紹介してくださった方のように、検閲、事前抑制として、プロが支持していると考える方もおられる。

以下は、反論というより感想ぐらいの感じでお読みいただければ幸いです。
声明に対しては、「誤解を誘発しやすい文章だ」という批判はできると思います。一般論にも触れておいた方がよかったのでしょう。
ただ、なぜそうなったかというと、よくあるところの専門家が内輪のみで通じるような論じかたをしているせいなのかもしれないし、先述の理由のどれかかもしれないし、要するに「深い意図」が明確になっているわけではないと思います。私からすると非常に「きつい」表現である「卑劣な逃げ口上」、「大衆を扇動」、「反対派言論を封殺する事」と強く非難できるほどの「深い意図」を、はっきりと読み込めるものとまでは思えないのです。
私だったら批判の射程は、「分かりにくい文章を書くな」「誤解を与えるような文章を書くな」ぐらいに留めておくところです。

>私は、卑しくも法律家ともあろう者は・・・でも、私の知る限り、少数説に固執する人に限って、そういう作業を怠る傾向があるように思う。

たいへん納得できるお話です。ここは同意です。

>・・・広義説に立つとしても、本件は事前抑制あるいは、検閲には、当たりません。

はい、それは了解しています。

>・・・こういう構造をさして、私は「プロパガンダである」と断じざるを得ませんでした。

ライトさんを法律家とお呼びしたい気がします。そして、法律家として眼光紙背に徹しられているのでしょう。私のような一般大衆には、「それほどのことかな?」と思えるようなことでも、見えてくる「論理的光景」があるのでしょうね。


東西南北さんへ
東西南北さん
反論ありがとうございます。長くなってしまうので、今回はこの辺で失礼させて頂きますが…

>稲田自民党議員らは、文化庁に対して事前の上映を求めた、と事実を認めています。

「事前上映」を求めた事実はないと、本人が会見で釈明しております。私は、この辺に、この人の政治センスのなさを感じますけど、言ってる事は、本当なんでしょう。

>テレビ朝日「サンデープロジェクト」の番組での「靖国」の宣伝・配給を担当する「アルゴピクチャーズ」の岡田裕社長の言明。
>2008年4月7日付けの毎日新聞も以下のように事実を報道しています。

どちらも、「事前申請」の例であって、「事前上映」の申請の例ではありません。しかも、細かい事ですが、稲田サンの言葉と、勉強会という性質を考えれば、フィルム提出しか求めていないと考えるのが、自然だと思います。

間に文化庁が入っているから、彼らが「試写会」を言い出した、又は、アルゴの側が、稲田サンの要求を勘違いしたという可能性も考えられますが。

それよりも、私は、大手マスコミが表現の自由だ何だと「乗せられた」要素について、アルゴの行動が深く関わっている事に大変危機感を覚えます。公開に積極的だった「シネマート六本木」を敢えて引き止めたのは、ほかならぬアルゴの中の人達であって、「協調行動する為」に、今、公開して貰っては、困るという意図が見え見えなんですよ。

でも、それに煽られた人達は、当初の「表現の自由」で振り上げた拳をどこに下ろしたらいいか分からず、「稲田議員の行動」に結果を結びつけたり、「肖像権問題で圧力」といった、本末転倒な議論を持ち出して、何とか「表現の自由が危ない」という神話を守ろうと、迷走しているようにしか見えません。

私にしてみれば、一企業の手前味噌な戦略で、単館系の弱小映画館が、表現の機会を奪われた事の方が、遥かに重大な「表現の自由の危機」だと思いますが、そこの所は、当人達にとっては、どうでもいいらしい。

>一般公開後に、映画館へ見に行けばよいものを、事前に「見たい」と文化庁に求めたと稲田自民党議員らは事実を認めています。

それは、後付の理屈でしょ。映画の視聴の目的が、勉強会であるならば、何も議員が自費で各々、映画館に見に行く必要はありませんし、効率が悪く、又、資料の提出を求めるのは、よくある話ですが。

私から見れば、あなたは結局、何とか稲田サンという悪党の罪名を見つけたいと、色々あと付けの理由を考えているようにしか見えません。私も、稲田サンのような人には、正直、好感をもちませんので、気持ちは何となく分かりますが。

>政権政党である自民党所属の議員が公開前の映画について、事前に上映を求めるような行為をしているのに、漫然とこれを放置し、容認しているのが自民党なのです。

当の文化庁自身が、本件行為につき「何も問題ない」と判断し、「今後も同様に対処する」と言っているのに、何故立法権の側が敢えて「悪うございました」と言わねばならないと?


ライトさんへ
 1:「稲田先生の説明によると、事前に申請しただけであって、事前に公開しろとの要求は、していない」「私は、事前事後を問う必要はないと思います。」

 稲田自民党議員らが、事前上映を求めたか否か?稲田自民党議員らは、文化庁に対して事前の上映を求めた、と事実を認めています。

 一般公開後に、映画館へ見に行けばよいものを、事前に「見たい」と文化庁に求めたと稲田自民党議員らは事実を認めています。

 この点、配給会社側も以下のように事実を述べています。

 テレビ朝日「サンデープロジェクト」の番組での「靖国」の宣伝・配給を担当する「アルゴピクチャーズ」の岡田裕社長の言明。

 「――去年の10月、文化庁(の職員)が来て、「試写会をやってほしい。(フィルムの)プリントを貸して欲しい」と言われた。「特定の試写がしたい」と言うので、「どんな試写か?」と聞くと、「国会議員」との答えだった。それは誰なのか聞いたら、「稲田朋美さんら」ということだった。文化庁が(公開前の映画を)見せてほしいと要求することは、めったにない。」

 2008年4月7日付けの毎日新聞も以下のように事実を報道しています。

 「08年2月12日に自民党の稲田朋美衆院議員の事務所が文化庁に対して週刊新潮の記事内容の確認と、映画の視聴を要望した。これを受け同庁は議員側の意向を仲介する形で、製作した龍影側に上映会の開催を要望した。」

 このように自民党所属議員らが公開前の映画について、上映を求めたことが明らかであるのに、自民党は放置し、容認しています。

 政権政党である自民党所属の議員が公開前の映画について、事前に上映を求めるような行為をしているのに、漫然とこれを放置し、容認しているのが自民党なのです。

 

 


今消しましたけど・・はあ・・右でも左でもいらっしゃうるンですねえ・「工作員陰謀説」何ぞを書いて来たがるようなウヨな方は受け付けない。ここはお玉のブログですので、ルールに従って、行儀良く意見は書くように。

せっかくコメント欄をコソッと全面開放にしていたのに・・承認制に戻しておこうっと


ベリフェラルさんへ
ベリフェラルさん、大変良い反論を頂き、感謝致します。

>ちょっとここが分かりにくかったのですが、何と何が「似て非なる概念」なのだろう?

「検閲」と「事前抑制」の峻別について書いたつもりです。

>「法律家としての知性を疑う」とまでおっしゃるのはどうでしょうか。この会長さんは広義説に立っているのかもしれませんよ

ありがとうございます。広義説。これを出してくださる方をお待ちしておりました。

おそらく、ベリフェラルさんは、「広義説」という説の存在を御存知であり、それが判例通説に支持されていない事もご存知かと思います。だから、この文章を読んだ時、「ああ、この論者は、広義説に立っているかも」と判断されたのでしょう。

しかし、何も背景知識を持たない一般の人が、状態で、この文章を読むとどうでしょう?

検閲あるいは事前抑制の問題として、プロの法律家がそれを問題視している、となると、実際に違憲(との実務的解釈が成り立つ)のか、あるいは単なるこの人の個人的解釈なのか、それを見分ける事は、非常に困難を伴います。後者である、という事を知っているという点においては、幸運にも、私は、判断を誤らずにすみましたが、この文章を読んだ人は、これを紹介してくださった方のように、検閲、事前抑制として、プロが支持していると考える方もおられる。

私は、卑しくも法律家ともあろう者は、判例通説によって、ほぼ解釈が確定している事について、一般の人向けに反対の解釈を述べる時、少数説である事を言明するのが、最低限のマナーだと思います。でも、私の知る限り、少数説に固執する人に限って、そういう作業を怠る傾向があるように思う。

加えて、実務的に事前抑制の問題にも、検閲の問題にもならない事を知りながら、一般論に全く触れず、敢えてこのような「きつい」言葉を一般大衆に投げかける行為に、プロとしての自負心の無さを残念に思っています。そして、こういった我々の論難に対処する為か、「事前抑制に「つながる恐れ」」であるとか、「検閲を禁止した憲法の「趣旨」」であるとか、お茶を濁す所だけは、一人前なのが、非常に腹立たしい。

猶、釈迦に説法とは思いますが、広義説に立つとしても、本件は事前抑制あるいは、検閲には、当たりません。本件行為は、審査権限を持たない主体が、相手方の任意によりなした行為ですので、審査の実体を欠いていますんで。

結論まで理解しながら、それを隠し、猶「○○の問題だ」と言って、扇動する。情報が非対称である為に、それを受け取った側は、「○○の問題」ではなく、「○○だ(とプロが判断している)」と考えてしまう、こういう構造をさして、私は「プロパガンダである」と断じざるを得ませんでした。


ライトさんへ
時間もなくて返事ができませんが少しだけ。
>国が生活の面倒を見てくれる、確かに福祉国家には、一定程度必要なのだけれども、この種の「恩恵」には、本当に民主主義を愛する物であるならば、懐疑的であるべきです。

私は、俗に言う「大きな政府」を望んでいるわけでなく、また上からの「恩恵」を期待するものでもありません。国家というものがある以上、政府には国民の平穏な生活を保障する義務があり、それを為し得ない国家、あるいは政府は存続させるに値しない、と言いたいだけです。それは、民主主義国家であれば有権者が判断することであり、そのためのツールとして代議員をリコールする権利を考えたのです。手続きを重視せよとのご意見でしたが、現在の制度上でいくら手続きを踏んでもまっとうな政治ができていかないことを考えれば、単にあるべき論を語るだけではダメで有効な手段をほかに探さなければならないと思います。
 なお、議員の力を弱めるからうんぬんとの意見には、本当に人間のための政治を目指す人なら支持されるだろう、そうでなければ国民の目が節穴だという見解を示しておきます。主権はお題目でなく、本気で行使すべきものです。ふんぞり返った人々には、正しいものは見えません。日本国民はみな傲慢で主権を与えられる価値などないのかどうか、やらせてみればよいではないですか。


ライトさんへ
横レス失礼します。

>おそらく、当人達はプロだから、「事前抑制にあたる」「検閲にあたる」と言ってしまえば、法律家の面子が丸つぶれになるから、「危険性があるぞ~」と逃げ口上を用意し、一方で、似て非なる概念であり、バカでも分かる「検閲」という非常にインパクトの強い言葉を、大衆扇動の手段として使っています。

ちょっとここが分かりにくかったのですが、何と何が「似て非なる概念」なのだろう?ということです。コウトさん宛のコメントで使われているのと同じ意味合いでよいのでしょうか?
よろしければ、確認させて下さい。

次は反論です。今回も議論を限定します。映画『靖国』問題が、事前抑制あるいは検閲にあたるのかどうかという事実関係を争点にしたものではありません。

>ちなみに、検閲は、21条2項の問題、事前抑制は、同条1項の問題であって、きちんと峻別しなくてはいけません。
>ごっちゃに論じている時点で、私は、彼らの法律家としての知性を疑います。

うーん、「法律家としての知性を疑う」とまでおっしゃるのはどうでしょうか。この会長さんは広義説に立っているのかもしれませんよ。この説は、「21条2項の検閲の禁止の原則が、事前抑制の禁止の理論を定めたものと解する見解」ですから、「表現行為に対する公権カによる事前抑制はすべて検閲の問題となる」のです。

>>表現行為に対する事前抑制につながる恐れがあり、検閲を禁止した憲法の趣旨に鑑みても慎重な配慮が求められていたというべきである。」

だとすると上記の見解は、この説に沿ったものとして理解できます(「恐れがあり」のような表現方法の評価--プロパガンダであるかどうか--は、ここでは問いません。会長が広義説に立っていると決めつけているのでもありません)。
この広義説の妥当性はともかくとして、これについての確認をとらぬままで、「ごっちゃに論じている」ことをもって「知性を疑う」とまで言い放ってしまわれるのはどうかと。
まさか、広義説に基づいて論じることが自体が、「知性を疑う」に値するとおっしゃっているわけではないと思いますけれど。


コウトさんへ
コウトさん、反論ありがとうございます。

>国が自分たちの生活の面倒をきちんと見てくれるという安心感を持てないのはなぜなのでしょうか。

そういう考え方が、まずいんじゃないでしょうか。国が生活の面倒を見てくれる、確かに福祉国家には、一定程度必要なのだけれども、この種の「恩恵」には、本当に民主主義を愛する物であるならば、懐疑的であるべきです。それよりも、民意を実現する為に、手続的民主主義を徹底して重視していこう、というヨーロッパ的な考え方の方が、私はいいと思う。

日本人は、「国民」を「主権者」と、なかば専制君主のようにふんぞり返るが如き存在であると教え込まれる一方、手続的民主主義を随分おろそかにしているきらいがあります。

>統治されるものとして黙って従っていることなど到底できません。

でも、現実問題として、統治されているという現実には、かわりありません。私は、意思を実現する方法にこそ、注意を払うべきだと思う。統治者に民意を伝える方法、それは殆ど選挙しかありません。

>方法さえあれば、政治家を反故にしても国民がよりよい政治を実現できるよう動くことが望ましいと思います。

それは、逆に代表制を蔑ろにする考えだと思いますよ。確かに、仲間内なら、それでいいかもしれませんが。議員が、代表としての全政治責任を負う事が求められるのであり、それ故、議員は、民意に耳を傾けても、盲従する必要はないのです。もっとも、議員にそんな緊張感はないじゃないか、とおっしゃるならば、それはおっしゃる通り。でも、それは、選挙という手続的民主主義を通して、民意を反映していこうとする、我々国民の努力が足りない面も、一因にあると思います。

>可能ならば国民が代議員をリコールする権利を与えられるべきです。

それは、本当の意味で民主的とは言えないと思いますよ。リコールは、強大な権限の裏返しであって、強大な権限がある故に、被治者が「最後の手段」として、リコールを使い得る、という事です。議員の場合、選挙がある上に、言わば国策レベルの話をしなければいけない時、一部の利権勢力が結集することで、首を切られる事を恐れるならば、誰も怖くて建設的な提案など、できません。それは、代表制を崩壊させ、議会の権限を著しく低下させます。議会が弱くなれば…あとは、もうお分かりですね?行政権が、極端に強くなるって事です。

むしろ、今ある選挙という制度をきちんと生かしていく、この気概が無い日本人が、事あるたびに主権者主権者と、お題目のように言っている事を、私は、非常に奇異に思います。


東西南北さんへ
東西南北さん
反論いただき、ありがとうございます。

>すべての映画について、上映公開前に試写会をするのではなくて、上映公開後に国会で議論すればよいのでは?上映公開前に試写会をするのは何故ですか?

稲田先生の説明によると、事前に申請しただけであって、事前に公開しろとの要求は、していないとの事。加えて、試写会については、配給会社が言い出した事である事は、先にも申し上げたとおり。 私は、事前事後を問う必要はないと思います。本件については、すでに助成がおりており、製作もされているのですから、稲田サンにとっては、本件助成につき、何ら権力を行使し得る余地を残している物ではありません。

権力行使を伴わない以上、その議員の行為については、責任を問うべきではありません。責任とは、権限に付随して発生する物ですから。

>仙台弁護士会は会長声明で次のように表明しております。

私は、ある企業の法務部門で働いているのですけれども、日本の「専門家」と言われる奴らが、こういう卑劣な逃げ口上を用意して、大衆を扇動し、反対派言論を封殺する事こそ、言論の自由を危険に晒す事だと思う。日本の自称プロは、実にこの手の輩が多くて、困ります。

これは、東西南北さんの責任ではなく、この国の、プロ意識もない腐った一部の法律家の責任なのだけれども、最後の方をよく見てください。

>「政治権力」に携わる国会議員が映画公開前にこのような要請を行うことは、表現行為に対する「事前抑制」に「つながる」「恐れ」があり、「検閲」を禁止した「憲法の趣旨」に鑑みても「慎重な配慮」が求められていたというべきである。(適宜、強調ポイントに括弧をつけました)

「事前抑制に「つながる」「恐れ」」「検閲を禁止した憲法の「趣旨」に(以下略)」

おそらく、当人達はプロだから、「事前抑制にあたる」「検閲にあたる」と言ってしまえば、法律家の面子が丸つぶれになるから、「危険性があるぞ~」と逃げ口上を用意し、一方で、似て非なる概念であり、バカでも分かる「検閲」という非常にインパクトの強い言葉を、大衆扇動の手段として使っています。「検閲である」とも、「事前抑制である」ともいえないくせに(まあ、判例通説をきちんと勉強していれば、そんな事は、到底いえませんが)そうであるかのような印象操作をする。こういうのを、典型的なプロパガンダといいます。

ちなみに、検閲は、21条2項の問題、事前抑制は、同条1項の問題であって、きちんと峻別しなくてはいけません。ごっちゃに論じている時点で、私は、彼らの法律家としての知性を疑います。もっとも、「悪意」ならば、許されざる背信だと思いますが。


審査基準の問題は稲田氏でなく文化庁に言うことでは?
『政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く。』というのはやっぱり「政治的、宗教的な思想性が強い作品は助成しない」という意味ではないでしょうか。「宣伝」という言葉が入っているからといって政治的、宗教的な特定の団体の宣伝のものはダメという意味だろうと限定的に解釈するのは無理があるように思います。稲田議員の解釈のほうが正しいと思います。
そもそも仮に今回の騒ぎが稲田議員が単に誤読しているということだったのなら、最初に稲田議員から問題が提起された時に、文化庁側は稲田氏に「特定の政治的、宗教的な団体を宣伝する意図のものはダメということで、作品自体が政治的、宗教的な思想性をもつか否かは助成の審査基準に抵触しないのです」ときちんと説明すれば良かっただけのこと。でも、文化庁はそんなことは言っていません。
またリ・イン監督もインタビューなどでこの作品は政治的なものではないといったことをいっていますが、監督がそういう弁明をする必要もありません。監督は「特定の政治団体の宣伝でつくったものではないので助成を受けることに問題ない」とだけ言えばいいのです。
以上のことから、文化庁側も「政治的、宗教的な思想性が強い作品は助成しない」という意味合いでこの文章をつくったと考えるのが妥当です。
もしこのような審査基準をもうけていること自体が問題だと考えるならば(政治的、宗教的な思想性が強い作品でも助成の対象にするべきだと考えるならば)、稲田議員ではなく文化庁の側に審査基準を見直すことを求めることです。稲田議員はこのような審査基準があるのに抵触すると思われる映画を助成しているのはおかしいのではないかと問題提起しているだけではないでしょうか。


彼らを信用できないのですよ
ライトさん
>国民を統治するのは、国家です。国家権力は治者であり、国民は、被治者です(中略)「国民主権」についても、「制憲権」を国民が有するにすぎないと解するのが、自然です。
専門的な知識を持たず、政治について漠然とした不満を抱いている多くの国民(有権者)として考える際に、国が自分たちの生活の面倒をきちんと見てくれるという安心感を持てないのはなぜなのでしょうか。私は、政治について現在の政治家たちを信用できるような状況ではないと考えますし、ですから統治されるものとして黙って従っていることなど到底できません。方法さえあれば、政治家を反故にしても国民がよりよい政治を実現できるよう動くことが望ましいと思います。我々が選んだ代表とおっしゃいますが、可能ならば国民が代議員をリコールする権利を与えられるべきです。そのくらいの力を有権者が持てるような政治の仕組みを考えていたいと思います。
 なお、検閲という言葉の使い方が間違っていたならばその部分は撤回します。無知でごめんなさいね。


やっちゃいけないことに右も左もない
お玉さんにお願いしたい事。
・事実は過不足なくきちんと見ること
(見たいもだけ見ないこと)
・結論を先に出さないこと
・途中で事実誤認や思い違いに気づいたら初めの言った事を強弁せず、訂正すること

これを守るように常に心がけたら、お玉さんの発言にもだんだん説得力が出てくると思いますよ。
頑張ってください!


日本映画をこよなく愛する者より
ひと言、述べたい。(1)「お上」の金で映画をつくろうってな腑抜けた根性がダメポ。終生、反権力を貫いた映画作家今村昌平は、「にあんちゃん」で文部大臣賞を受賞したとき、こんなものを貰うようではアカンと自らを戒めた。(2)「お上」の変節がダメポ。(1)の「にあんちゃん(1959)」も、浦山桐郎の「キューポラのある街(1962)」も、森川時久の「若者たち(1967)」も、社会の矛盾、差別、貧困を鋭く訴えた左翼プロパガンダ映画と言っても過言でない作品だが、みんな文部省選定である。当時の「お上」は、日本国憲法の理念「平和・民主・平等」を尊重してたのね。それが、当たり前。(3)(2)と関連するが、助成金対象基準の「政治的云々」の文言がダメポ。んなものは「お上」の都合で、どうにでも解釈できる。(2)で述べた通り。蛇足:言論表現の自由って何だろう?『特定の政治的イデオロギー活動』ってな恫喝にビビらんこと。「9条の会」は9条を護ろうとゆう特定の政治的イデオロギー活動ですが、それのどこが、なぜいけないのでしょうか?分かるように説明してみろよ、このファッショ野郎!じゃなかった女性ですね。こう真正面から切り返すべし。特定でない非政治的イデオロギーによる政治的活動は可だが、んなものがこの世に存在するとはとても思えない、特定の政治的イデオロギーによる政治的活動は不可とゆう社会風潮に与してしまうような発言は、絶対的にマズい。


ライトさんへ。
 1:「助成の適否を議論したいだけの事。そのためには、議員がケーススタディ的勉強会を開く必要があります。加えて、稲田サンは、本件における助成の撤回を求めていない事を見ても、今後同様のケースに備えるための「準備行為」でしかないのは、明白です。」

 ええ。ですから、すべての映画について、上映公開前に試写会をするのではなくて、上映公開後に国会で議論すればよいのでは?上映公開前に試写会をするのは何故ですか?

 2:「最初に「全議員」対象の「試写会」を要求したのは、配給会社側である事をことわっておきます。」

 08年・2月12日に、自民党の稲田朋美衆院議員の事務所が文化庁に対して週刊新潮の記事内容の確認と、映画の視聴を要望。これを受け同庁は議員側の意向を仲介する形で、製作した龍影側に上映会の開催を要望。

 同年・3月12日に配給協力・宣伝会社の「アルゴ・ピクチャーズ」が全国会議員と秘書を対象に試写会を開催。自民、民主党などから議員ら約80人が出席した。

 以上の経過からして、配給協力・宣伝会社の「アルゴ・ピクチャーズ」が自民党議員らを背景とする文化庁との「交渉」の中で、一部の国会銀議員ではなくて「全国会議員と秘書を対象に」を条件としてなら、試写会開催もやむを得ないとしたのであり、「全議員」対象の「試写会」を要求したのではありません。

 配給協力・宣伝会社の要求は、公開前の試写会は極めて異例であるから、公開後に一般有権者と同じように映画館で見てください、というものです。

 公開前の試写会を要求したのは、自民党議員らです。

 3:「安易に「検閲」という言葉を使わないで頂きたい。本件は、事前抑制にすら当たりません。」

 仙台弁護士会は会長声明で次のように表明しております。

 「いうまでもなく民主主義は、広く国民に多様な価値観、意見の違いがあることを前提に、自由な言論を通じて民意を形成していく過程にその本質があり、その意味で言論の自由の保障はまさに民主主義の根幹をなすものであって、憲法第21条の保障する言論及び表現の自由は、民主主義を維持する上で必要不可欠な権利である。映画という表現手段についても表現の自由に含まれることは当然であり、映画の自由な上映は最大限に保障されるべきである。
 
 今回の上映中止の事態は、一部の国会議員の文化庁への要請を契機とした試写会が一つの原因となって発生したものであることは否定できない。政治権力に携わる国会議員が映画公開前にこのような要請を行うことは、表現行為に対する事前抑制につながる恐れがあり、検閲を禁止した憲法の趣旨に鑑みても慎重な配慮が求められていたというべきである。」

 出所:仙台弁護士会HP

 http://www.senben.org/senben/seimei/20-01.html

 


横レスですが
コウトさん
>映画を精査するって、具体的に何をチェックすることなんですか?

「政治宣伝ではないか?」と思う点を指摘し合うまで。それが民主的に支持されれば、新たな判断基準を作成してもいいでしょう。すべては「問題」を提起しない事には、始まりません。

>それって検閲以外の何物でもないのでは?

他の方にも言ったけれども、言葉の意味が分からないなら、安易に検閲という、非常にキツい言葉を使わないで頂きたい。検閲とは、憲法で「絶対」に禁止されている行為であるが故に、その主体と形態については、厳しく限定し、厳密にカテゴライズされなくてはなりません。でないと、検閲の「絶対的禁止」の価値を没却する事になります。だから、何でもかんでも「検閲、検閲」と言い張るのは、プロパガンダ以外の何物でもありません。

検閲とは、通説及び判例では、「表現行為に先立ち、行政権がその内容を審査し、あるいは表現行為を禁止する事」です。主体は、行政権。だから、ハナから検閲には、当たらない。似て非なる概念に「事前抑制」という物がありますが、これは、広く国家権力を主体とするかわりに、「抑制」という効果が求められますから、事前抑制にも当たらない。

>たとえば戦争映画などで兵士の武勇をもてはやすものは、国民の意識醸成に好ましくないとして上映するなという権利が国家にありますか?

色んな方が言っておられるけれど、上映の適否ではなく、助成の適否の問題です。

>国民を統治・庇護するのが国家だという考え方の妥当性こそ、今問題となっているのではありませんか?

国民を統治するのは、国家です。国家権力は治者であり、国民は、被治者です。「治者と被治者の自同性」などという、カビの生えたような古くさい理屈付けは、それはそれでいいかもしれないけど、あまりにもメルヘンチックで、現実を無視した態度。「国民主権」についても、「制憲権」を国民が有するにすぎないと解するのが、自然です。

>税金を湯水のように無駄にしてきたのは国であったし、それと比較して芸術に対する助成ごときで細かいことに文句つけるのは何だろう

「国」ってあなた…それは、「行政」が怠慢だからでしょ。無論、「政治」がそれを黙認してきた所もあったでしょう。けれども、それは好ましからざる事であって、議員は、自己の良心に従って、行政を監視し、問題点を指摘する事を求められているのは、当然です。小沢は小沢の、稲田は稲田の、志位は志位の問題だと思う点を指摘すればいいわけです。その見解が、国民に支持されるか否かという事は、また別の問題であって、「あのムダ」があるから、「このムダ」を大目に見ろというのは、結論ありきの判官贔屓と言われても仕方がありません。


補足します
助成金のことを抜きにしていたので少しだけ補足します。われわれの税金だから、と誇張して語ることには疑問を感じます。税金を湯水のように無駄にしてきたのは国であったし、それと比較して芸術に対する助成ごときで細かいことに文句つけるのは何だろう、とか思うんだけどなあ。この映画って政治的な宣伝になるんですか?靖国に触らずにいることの方が政治的に問題だと思うなあ。


誰に運命をゆだねたいのか?
Tantrisさん
>その使い道について、我々が選出した我々の代表である、国会議員が精査するのは当然だといっているのです。
映画を精査するって、具体的に何をチェックすることなんですか?それって検閲以外の何物でもないのでは?教科書の検定の問題はさておいても、こどもを教育するための教材ではない映画作品を、いったいなぜ検閲しなければいけないのか、理由を聞きたい。映画は芸術であって、それを見てどう感じるかは個人の感覚でしかないはず。たとえば戦争映画などで兵士の武勇をもてはやすものは、国民の意識醸成に好ましくないとして上映するなという権利が国家にありますか?ハリウッド映画などすべて無条件で上映されますよね。映画で何を訴えようと、成人相手であればそれを判断するのは受け手である個人です。議員が良し悪しを決めることではないと思いますが。そういう、国民を統治・庇護するのが国家だという考え方の妥当性こそ、今問題となっているのではありませんか?


刀匠の人生をゆがめたのは…。
はたして、この映画そのものの存在なのだろうか?
李監督自身の、靖国との向き合い方に問題があったのか?

それとも靖国神社を頂点とする、戦前の国家神道のありかたそのものに内在する歪みに起因するのだろうか?
あるいは、昭和前半の狂った世界情勢の、現代にまで伝わる余波と考えるべきなのか?

もしくは、21世紀日本が抱える人々の心の『闇』の収束点のひとつに、中国人監督が、無防備に足を踏み入れてしまったということなのだろうか?

やはり、『触らぬ‘神(靖国)’に祟りなし』なのか…。


東西南北さん
>だいたい、上映前の映画について、税金を助成しているからといって、助成審査基準に抵触している疑いがあると言えば、どんな映画でも自民党議員が上映前に試写会を行うことが可能なのでしょうか?

最初に「全議員」対象の「試写会」を要求したのは、配給会社側である事をことわっておきます。その上で、文化庁は、今後も同様に対処する事を明言しておりますし、私もそれが妥当だと思います。

道路を作る裁量権は、国交省にあり、それは、議員の力の及ぶ所ではないけれども、「視察させろ」と言えば、よほど重大な理由が無い限り、拒み得ないのと同じ事です。


>これを事前検閲というのではありませんか?

安易に「検閲」という言葉を使わないで頂きたい。少なくとも「事前抑制」と「検閲」の違いも理解できない人が、この言葉を使うと、言葉だけが独り歩きします。本件は、事前抑制にすら当たりません。

>助成対象となった映画を批判したいなら、一般の有権者と同じように映画館へ見に行ってから、事後に国会で批判すればよいでしょう。

映画を批判したいのではありません。助成の適否を議論したいだけの事。そのためには、議員がケーススタディ的勉強会を開く必要があります。

加えて、稲田サンは、本件における助成の撤回を求めていない事を見ても、今後同様のケースに備えるための「準備行為」でしかないのは、明白です。

>事前に試写会をやるというのは明らかに上映を差し止める意図があると言わざるをえない。

「事前に」「試写会をやれ」なんて稲田サンは、要求しておりません。事実関係をしっかりと見てください。 しかも、試写会をやれば、世間の耳目が集まる事は、明白。誰が「差し止める」ために試写会なんてやりますか。全く逆の効果しか生まれませんよ。


右派の方々の人権意識
今度の刀匠の方の件では右派の方々の人権意識がずいぶんと向上したように思います。今頃引き合いに出すのも申し訳ないが、先だっての沖縄の事件の少女の時と比べると、格段の違いが感じられます。個人として映画が観られないのは残念ですが、この変化自体は喜ばしいことと思います。

高齢者も未成年者と同じく、その人権は成人一般以上に配慮されるべきであるのは言うまでもありません。あの時も「被害少女を政治的に利用するな」という声がありましたが、当然、今回もそうあってほしいと切に願います。

複数の右翼団体の関係者が試写会を開くそうですね。右翼の全部がこの映画を潰しにかかっていると思われたくないということで、民族派に属する団体の方たちがとりあえず見てみることにしたとか。一水会の鈴木さんあたりが奔走されたのでしょうか?推移を見守りたいと思います。


問題は、自民党議員が上映前に異例の試写会を要求したこと。
 これに尽きると思います。だいたい、上映前の映画について、税金を助成しているからといって、助成審査基準に抵触している疑いがあると言えば、どんな映画でも自民党議員が上映前に試写会を行うことが可能なのでしょうか?

 これを事前検閲というのではありませんか?

 助成対象となった映画を批判したいなら、一般の有権者と同じように映画館へ見に行ってから、事後に国会で批判すればよいでしょう。

 事前に試写会をやるというのは明らかに上映を差し止める意図があると言わざるをえない。

 

 

 


自衛隊員は写されてもいいんじゃないかな?
「愛国心がある」と、隊長から褒められると思うけど・・。
「イラク戦争反対!」とか言ってたんじゃないんでしょう?

やっぱり、見ないと分かりませんね。


「写すな!」の権利もある
 写される側の権利にも配慮してないから、今になって削除しろといわれてるんだろ、「表現の自由」を標榜しているが、写される側にだって「写すな」あるいは「そこは写すな」という権利はあるだろ。
 独りよがりな自己中心的な考えはやめたら。お玉さんたちだけが正義じゃないんだよ。


長々と失礼します
ひろとさん
>微妙な違いですが、わざわざ主張ではなく宣伝と書かれていることに意味があるのだと思います。

主張であるか、宣伝であるかは、主観の問題です。マイケル・ムーアのようなのを、宣伝と見るか、主張と見るか、その基準が明確化されていない以上、それは詭弁の謗りを免れません。ちなみに、「大辞林」によると、「宣伝」とは、「主義主張や、商品などに関する知識・効能を広く人々に説明し、理解を得ようとする事」とあります。つまり、宣伝とは、「主張」の「媒体を通した手段」に過ぎないとも言えるわけですよ。

村野瀬玲奈さん
>助成金は稲田議員や政府が自らの営利事業で自ら額に汗して稼いだ私的財産ではなく、すべての国民から預かった「税金」ですよね。

だから、問題視しているんでしょ。私は、問題ではないと思うけれども、問題かもしれないという指摘を議員がしてくれなければ、私たち国民は、問題かどうか、判断する機会さえ与えられていなかったって事ですよ。

リ監督が自費で、ようつべにでも、アップしてたんなら、だーれも問題にしていません。自分の論理のおかしさに気づいてください。

お玉さん
>で、映画「靖国」は?わたしたちは見てないのに語れない。でもさ、見た国会議員の中にも、自民党議員の中でさえ、この映画が問題になる理由がわからないと言っている事実があるよね。

今回の問題は、「助成の適否」が問題なのであって「上映の適否」が問題なのではありません。又、問題であるか否かは、議員が、問題点を抽出して、大衆に喚起する必要があります。従って、「問題であると思う」と考える人が、「問題かどうか議論しよう」といわないと、永久に「問題」は、闇の中に葬り去られるという事です。これは、とりもなおさず、「表現の自由、言論の自由」の侵害の最たる物、盲いたる民と事なかれ政治屋だけの暗黒社会が待ち受けているという事です。


RE びっくり ほか
村瀬さん

>助成金は稲田議員や政府が自らの営利事業で自ら額に汗して稼いだ私的財産ではなく、すべての国民から預かった「税金」ですよね。

もちろんです。だから、その使い道について、我々が選出した我々の代表である、国会議員が精査するのは当然だといっているのです。もちろん、「この映画に税金を投入することに大賛成」の人々が、自ら、あるいは彼らを代表する議員を通して、自説をがんがん主張することに反対する気はありません。それは当然のことです。

要するに、村瀬さんは、国民主権という観念に基づくように見せかけつつ、国民主権を否認しているのではないかということです。

ひろとさん

おっしゃることはよくわかります。ただし、私は、一定の審査基準に従うことで、中立性を保てるというご意見には懐疑的です。主張と宣伝を実務的にどのように切り分けられるのか、理解できません。従って、先のコメントの引用元にあるとおり、映画製作に直接公費を支出すること自体をやめるべきだという意見です。

いずれにせよ、文化行政のありかたについては、(私とひろとさんの間にみられるように)国民間にも意見の相違があり、そこで国民的合意を形成するために、国会議員が積極的に議論するのは当然、かつ好ましいことであると思います。その1点において、私は稲田議員の今回の行動を支持します。

ちなみに私は、(他の点では)稲田さんの支持者でも自民党支持者でもありません。

なめぴょんさん

上映中止により「靖国」がみることができない状況は大変よくないことだと思います。ただ、これについて、責めを負うべきは、街宣車を繰り出す右翼の人々と、映画館でしょう。

映画館も、右翼が怖い、とか言うが、脅迫とかの事実があるのならば、被害届を出せばいいのだ。まず、彼らのだらしなさを皆で責めるべきではないか。だいいち、こういう、表現の自由を自ら守る気概のない人々は、今度の騒動があってもなくても、右翼を怖がって上映しないほうを選んでいたんではないかな?


政治的な「宣伝」意図
>宗教的又は政治的な「宣伝」意図を有しないもの

政治的な「主張」が禁じられているわけではありません。主張と宣伝では意味が異なります。微妙な違いですが、わざわざ主張ではなく宣伝と書かれていることに意味があるのだと思います。映画は表現物ですから、撮る側の主張が入るのは当然です。

税金だから、政治的なものはダメだとは思いません。どのような思想主張であれ、要件を満たせば援助されるチャンスを与えることにより中立性を確保すればいいだけのことです。


びっくり
助成金は稲田議員や政府が自らの営利事業で自ら額に汗して稼いだ私的財産ではなく、すべての国民から預かった「税金」ですよね。

政府は国民全員が納めている税金で運営されていることを知らず、さらには、国民が主権者であることを知らないとしか思えない、政府や政治家に対する従順性というか奴隷根性を血肉化している人の意見が多く見られることに改めてびっくりしています。政治家は納税者の納める税金によって養われているのにね。


三輪さん
>それと、台湾人の靖国反対メンツですが、あれは元中国人でしょう?
現地住民のふりをしていると、台湾国内でも非難されているメンツです。

高金素梅氏のことでしょうが、この人は父親は外省人、母親は台湾原住民のタイヤル族の人です。だから元中国人でも、台湾原住民の血を継いでいることも事実です。別に「現地住民のふりをしている」わけではありません。


まだわからないんですか?
もう、見る見ないの問題じゃないんですよ。
反日か愛日かでもない。
映画の作り方そのものに問題があったんですよ。
政治家が介入したからこじれたって・・・・・・・・
そんなこと言ったら、あらゆる被害者は泣き寝入りしとけ、ということになりますが?
自力で訴えられないなら黙ってろ!ってことですか?
左派は政治家との連携は一切しないんですか?
もっともこの映画に関しては、すでに右左の問題ではないですが。


90歳の刀匠の方、その人生の後半を真っ黒に塗りつぶしましたね、この映画は。
自分の姿や言葉が多数の人を傷つけてしまう。そう言う末路を用意した中国人監督。

鬼畜以外の何の言葉も思いつきません。
正直言って、凶人の仕業ですな。

刀匠のお爺さん可哀想過ぎます。
正直、その事だけでも「靖国」と言う映画に良い評価を与える者は糾弾されてしかるべきだと思いますがね。

どんな精神の持ち主があの映画を支持しているのでしょう?
私にはとんと理解ができませんね。
それと、台湾人の靖国反対メンツですが、あれは元中国人でしょう?
現地住民のふりをしていると、台湾国内でも非難されているメンツです。
その事を隠蔽するなど、公平な報道姿勢とはとうてい思えませんね。


運命の子
この調子では上映はしばらくお預けになってしまうかもしれませんね。思えばこの映画は最初から今の日本では、すんなりと上映できるような条件にはなかったのかもしれません。(具体的に「誰のどういう差し金であるか」とかいう以前の、政治的、社会的な状況として)

それでも、「母国での表現活動に限界を感じて来日した、在日二十年の三島由紀夫ファンの中国人監督が作った」というこの映画は、戦後60年余りにして生まれた「運命の子」なのだという気がしてなりません。まだごく限られた人しか観ていないのに、その存在自体がこれだけ物議を醸しているのですから。しかし、それはそれで、けして悪いことではないのかもしれないという気がしてきました。

その立場が右派であるにしろ左派であるにしろ、靖国とそれが象徴する諸々のものごとに対して、私たち日本人にはいまだに冷静に向き合えない「何か」がある。それは日本会議のメンバーや一部の国会議員さんたちだけの問題ではないのでしょう。とりあえず、そのことをじっくりと考え、議論するきっかけにしたらいいのではないでしょうか。その結果、正常に上映できるようになれば、それが一番良いのではないかと思っています。

(ところで、私、「黄色いネコ」は、これ以降、HNを「撞木鳥(しゅもくどり)」に改名いたします。理由は、何気なしに「黄色いネコ」で検索したら、同じ言葉を含むブログがいくつかあったからです。いずれも若い人たちの徒然日記風のブログのようで、政治ブログに出没する中年と間違われることはまずないとは思うのですが、万一、ご迷惑がかかるようなことがあってはいけないので、変えさせていただきます。ついでに申し上げれば私自身は今のところブログは持っておりませんし、こちらのと同じHNで他のブログや掲示板に書き込みはしておりません)


予断は自由。見てからの議論も自由。
「先入観なく感じ取ってもらえるように、あえてナレーションはつけなかった」「見る人の感性によって、いろんな感じ方、とらえ方ができるように作った」監督の言葉です。

靖国を肯定する者、否定する者、それぞれの立場はあるにしても、どれだけ先入観から離れて映画そのものをとらえられるか?
これって非常に刺激的で興味深い「挑戦状」だと思いません?

>わたしたちは見てから語ろうよ
その機会が失われようとしていることに抗議するのは、当然です。


他サイトの見解
はじめまして。

この件について、ここを含め、いろいろなサイトを見て回りました。私は、いかに引用する、"Meine Sache"の意見が最も適格だと思う。

(以下、
http://meinesache.seesaa.net/
から引用)

映画「YASUKUNI」をめぐる議論というのは、安倍前首相が官房長官時代にNHKに圧力を加えたのなんのと騒がれた時に似ています。

安倍さんの時は、NHKの幹部に「中立な番組作りをお願いします」と伝えたら、その言葉に関係あるのかないのかNHKが慰安婦をテーマにした番組の内容を急遽大幅に変え、それが、政治による言論弾圧にあたるのではと批判されました。

今回は、稲田、有村両議員が「この映画は助成の条件を満たしていないのではないか」と問うたところ、街宣右翼が騒いだこともあっていくつかの映画館が上映を中止し、それが言論弾圧にあたるのではないかと批判されています。

決してどちらも<表現者>の口を無理やりふさごうとしたわけではありません。

「中立な番組作りををおねがいします」「助成の条件を満たしていないのではない か」― これらの意見は、どう聞いても何かを弾圧しているようには聞こえません 。

「政治家のことばは重く、時にそれは圧力になるのだ」という人がいるかもしれません。しかし社会のさまざまなことについて意見を口にすることこそ政治家の仕事で、意見を持たない政治家などただの害虫です。

彼らの言葉が弾圧とまで呼ばれる力を持つのはもっと下世話な理由で、それは両ケ ースとも、政治家が<表現者>のパトロンだからです。

NHKは<税金>で運営され、ある種の映画は政府の援助で製作されます。彼らからすれば、パトロンの機嫌を損ねたらオマンマの食い上げですから、その顔色をうかがわざるをえません。だから、政治家のつまらない一言を、いちいち圧力と感じて過剰反応するのです。

そういう人たちの叫ぶ言論の自由など、「政治家は金だけ出して口を出すな」という程度の意味でしかありません。言論の自由という、民主社会においてもっとも大切な原則を私利私欲のために利用する横暴、言論の自由を冒涜する行為とさえ言えます。

言論の自由というビッグワードに目くらましされてはいけません。

この問題で問われるべきは、「中立な番組作りををおねがいします」「助成の条件を満たしていないのではない か」というような、政治家として当然の意見の発露が言論の自由の問題にされてしまうような、そうした状況はおかしいのではないかということです。

政府が表現者のパトロンになるという構造の是非こそを問うべきなのです。

「文化大国」になるために、なぜ政府が助成金を出す必要があるのでしょう?そんなことをするよりも、例えば文化事業の税を控除したり、映画のロケ等をやりにくくしている各種規制を撤廃したりするほうが、ずっと効果的なように思えます(ついでに文化庁の一部署を廃止することで役人も減らせます)。

そうなれば政治家が何を言おうと、それこそ「政治的に好ましくない映画を規制する法律を制定すべきだ」とでも発議しない限り、言論の自由を脅かすことはできません。

NHKにしても同様です。政府がパトロンでなければ、官房長官が何を言おうと、首相が何を言おうと、圧力になどなりはしません。

だいたいパトロンの支援を受けつつパトロンから完全に自由であることなど可能なのでしょうか?

ぼくは不可能だと思います。例えば子供は、経済的に親に隷属しつつ自立した人間になれるとはとても思えません。

親の庇護下にありつつ親に抗うのは、自立した個ではなく、ただの反抗期の子供です。反抗期の子供の親批判などあくまで表面的なものにすぎず、たいていの場合、親の一番醜いところをそのまま引き継いでいるものです。

国にぶら下がりながら言論の自由を叫ぶ表現者たちなど、親の金で暮らしていながら親に暴力をふるい、親が少しでも怖い顔をすると、「親には扶養の義務がある!」などと屁理屈をこねる最悪の子供と同じです。

大新聞、テレビ局、そして助成金を受けて作られる映画…本当に自由をのぞむなら、政府の庇護を拒否して自立すべきです。さまざまな形で国がパトロンにならざるを得なかったのは昔の話で、今の時代、政府の関与しないところで、いくらでも情報を発信できるのですから。



「当たり屋」的行動になってませんか?
>どうしても、国会議員が口を挟んだことが元凶とお玉には見える

私は逆に見えますが…。人の見方はそれぞれですからね。
「表現の自由」を守ることは勿論大切だと思いますが、それでも李監督らの主張やそれを支持する人々の言動には反発を覚えずにはいられません。

そもそも、刀匠とのいきさつや一部出演者に無断で撮影している手法、その後の会見とか見てこういう人間が作るドキュメンタリーが果たして信用できるのかはなはだ疑わしく思います(あくまで見る前の予断ですけど)。
元々、助成金が適切だったかどうかの問題を、「表現の自由問題」にすり替えて、自分が弾圧された被害者のように振舞うさまは、はたから見ていて見苦しいとしか思えませんね。

ましてや、この助成金の支出について問題にした保守派の稲田・有村議員を、まるで「表現の自由」の加害者のように扱い貶めるのは、やりすぎではないですか?日教組とプリンスホテルの問題のとき、会場の提供を取りやめたプリンスホテルが槍玉にされました。今回の場合だったら、映画館が責められてもおかしくないのに、なぜ、護憲派や左翼の方々は、保守系の議員を槍玉にあげようとするんですか?

騒ぐことで、もう十二分に宣伝もできました。映画も無事上映されそうです。こういう人たちの「表現の自由」でさえ守られているではありませんか?
そもそも「表現の自由」をそんなに重要に思われるのなら、最初から口を挟まれる恐れのある助成金などをあてにするべきではなかった。この点も非常に見苦しい。

これ以上、「表現の自由」を振り回して、自分たちの主張を通そうと画策するのは止めてもらいたいものです。これでは、まるで「当たり屋」さながらの行動ではありませんか。


ソース提供感謝です。

>『政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く。』

そりゃあ特定な政党の宣伝したり、特定宗教の「宣伝した」映画ならばまずいよねえ・・・創価学会絶賛映画とか、日本会議絶賛映画とか・・
自民党や共産党の宣伝映画とか・・そんなものに助成金出してたらお玉だって怒るかも。
で、映画「靖国」は?わたしたちは見てないのに語れない。でもさ、見た国会議員の中にも、自民党議員の中でさえ、この映画が問題になる理由がわからないと言っている事実があるよね。



ちょっとわからんけど、中国のあんなの…
悲しいくらいよくわかりますよ。
お二人の気持ち…。
こんな難しい訳のわからない国家的騒動に巻き込まれるのは誰だってごめんです。

でも…。
この騒動によって、この国が『いまだ戦後の総括を終わらせていない』ということが、はっきり世界へ伝わるのだろうな。

わたしは諸外国への謝罪よりも、むしろ、かつての日本兵たちの無念を思う。
この国を守るため、と心に言い聞かせて、殺し、殺される極限の死地へと赴き、アジア各地と太平洋に非業の屍をさらした人々の胸の内を。

やはり映画『靖国』は、本来、日本人が作るべき映画なのだと思う。


税金を使われては困るものもある
たぶん他の年度でも同じだったと思いますが、平成20年の募集案内です。

「平成20年度芸術文化振興基金助成金募集案内(その2)」
http://www.ntj.jac.go.jp/kikin/boshuu/old/20-bannai/02/02all.pdf

1 趣 旨
我が国の優れた映画の製作活動を奨励し,映画芸術の振興を図るため,日本映画の
製作活動を支援します。

3 助成の対象となる活動
次のいずれかの活動区分に該当する日本映画(注1)の企画から完成までの製作活動(2ページの表に示す期間内に完成試写を行うもの)で,国内において,一般に広く公開(注3)されるものとします。
ただし,商業的,宗教的又は政治的な宣伝意図を有しないものとします。

(注1)日本映画とは,日本国民,日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画とします。ただし,外国の製作者との共同製作の映画については,独立行政法人日本芸術文化振興会(以下「振興会」という。)が著作権の帰属等について総合的に検討して,日本映画として認めたものとします。


他にも
「芸術文化振興基金助成金交付の基本方針」
http://www.ntj.jac.go.jp/kikin/gaiyou/k-jigyou/k-houshin.pdf

『政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く。』

と書かれていますので政治的主張が入るのはよろしくないかと。外国人監督の是非はちょっと判断が難しいですね。

まあ、国の金=税金で、某大作君の生涯といったドキュメンタリー映画を作られても困るのでこれは妥当でしょう。また、イラク戦争を美化するようなものにも国の金が使われるのは防がなくちゃいけんでしょう?

あと、こういった動きもあるみたいですね。
「映画「靖国」:右翼団体が試写会」
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080412k0000e040055000c.html
『 試写会を準備している別の発起人は「映画を見たが、反日的とは思わない。一部が街宣活動をしたのは事実だが、右翼全体が上映をつぶしたというイメージは事実と違う」と主張している。』


>ここまでこじれた元々は何だったのかを追求すれば、どうしても、どうしても、国会議員が口を挟んだことが元凶とお玉には見える


去年からですよ、揉めてるのは。
議員が出張ってきて騒ぎになるずっと前から。


ソースです
>外国人が監督だったらだめとか?
政治的主張があったらだめとか??
ここを見る限りそういう基準はないよね・・・

ソースです。
http://www.ntj.jac.go.jp/kikin/qa/movie.html
>振興会が著作権の帰属等を総合的に検討し、日本映画と認める場合には、助成の対象となります。

結構、微妙なラインです。「振興会」が「総合的に検討」する必要があるという事らしいですから。

http://www.ntj.jac.go.jp/kikin/qa/apply.html
>5.宗教的、政治的な宣伝意図を有する活動でないこと。

これは、しっかりと応募資格の要件として書かれています。

>ウソとかそういう事じゃあないでしょう。

嘘かどうか…という事は、問題ではありません。肖像権の侵害が問題なのですから。実際に、稲田サンや、現役自衛官の方を承諾なしに映画に登場させている「前科」を見れば、おしなべて知るべき物があると思いますよ。

>どうしても、国会議員が口を挟んだことが元凶とお玉には見える・・

まるで、議員が、自身の良心に従い、官僚の行動を監視する事を指摘、問題化する事が、「問題」であるかのような仰り方ですね。

厳しい言い方ですが、率直な所、そんな人に「表現の自由」を語る資格なんてないと思います。だって、統治なくして、基本権を守れない以上、我々の代表たる議員こそ、最も、口を封じられてはいけない存在だからです。三権の中で、議会が最も民主的に出来ているのは、その為。その統治を蔑ろにしておいて、基本権を語るのは、画餅のそしりを免れない。

問題化する事が、問題なのでは、ありません。(もしあったとするなら)威力業務妨害や、脅迫などが問題なのです。

むしろ、現実に、我々国民が、それを議論する場を持つ事が出来た、これは、とりもなおさず、稲田サンの功績と言わざるを得ない。私は、稲田サンの意見を支持しませんが、稲田サンの功績は、素直に認めます。


民族派5派が『靖国』試写へ
http://blogs.yahoo.co.jp/tamamori_jimukyoku/6342166.html

真の右翼、民族派はこうでなくちゃ。
「見ないことには、どうしようもない」という当たり前の声を挙げた民族派諸君に敬意と連帯の意志を表明します。


ふれてはならないもの TABOO
天皇、日の丸・君が代、靖国に楯突く言論の自由はない! 天皇陛下はニッポン国の象徴であらせられる。日の丸・君が代もまたしかりである。靖国は、我がニッポン国に命を捧げた「英霊」を安んじる聖地。見てはならぬ、触れてはならぬ、語ることも許されない。下々の者達の民主主義のはるか頭上に燦然と輝くニッポン国の魂である。

とマジ思っている人がたくさんおるのでありましょう。そう言う人たちの心の聖地「靖国」だから。さもありなん。私はもちろん革命的ノーサンキューですけど。


明らかに
はじめまして、お邪魔いたします。

私見ですが、普通に考えてこの映画は反日映画でしょう。
何故に日本人でもない反日国家である中国人の方が靖国神社のドキュメンタリー映画を製作する必要があるのでしょうか?

ましてや、愛国映画であるならば、靖国神社が映像の削除を求めたり、刀鍛冶の方が映像の削除を求めたりする事自体がおかしいと普通に感じられませんか?
それに、メインキャスト自体が靖国神社を訴えていると言うことからも明らかでは?

言論の自由は尊重すべきだと思いますが、堂々と反日映画は日本人として止めて頂きたい。



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「国民健康保険特定健康診査等実施計画」なるものが配達されてきた。 いわゆるメタボ検診である。その対象は40~74歳。 知っていたこととは言え、あらためて母がこの検診の対象からはずされているシビアな現実にショックをうけた。 「残存能力で生きろ」その言葉が頭
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Author:お玉おばさん
お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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基本的に愛が感じられないコメントはダメ、 (臨時追記)人が知恵熱だといってるのにばんばん記事違いなコメントをこれでもかと送ってくる愛のないものは、完璧にお玉基準的アウト。お玉基準がわからない人は、文句があればよそで愚痴いってOK !基準に対しての文句は受け付けません~~~ここはお玉のテリトリーだもん。なのでよろしく。/p>

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でも、お玉が愛を感じたら記事違い、長文、連投、暴言でも表に出すことはある・・ようは、愛です・・愛!また、TBも同じような基準で判断させて頂きます

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