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小学生キャラ「タマちゃん」登場

新年度でして・・・お玉は、あまりの忙しさに、バイトを雇いました。
小学校6年生のタマちゃんです。
皆様に紹介しておきましょう。

 

tama


お玉が池小学校に通うタマちゃんは・・・
お玉おばさんが忙しくて、みんなのお相手が出来ないときにだけでてきます・・

で、このタマちゃんはむずかしい言葉の言い回しがよくわからないし、むずかしくて長~~いお話をじっと聞いていることが出来ません。伯母のお玉おばさんに似て、喧嘩が大嫌いなので、議論ではなくタマちゃんが喧嘩だと感じたときはお玉おばさんに言いつけに走ります・・

とっても傷つきやすいので、若いお兄さん方の不用意なひと言で泣いてしまいます・・・
タマちゃんを泣かしちゃったコメントはお玉おばさんによって一喝され、消えることとなります・・

さて、今回は・・・

タマちゃんは、優しい人たちに憲法のことを教えて欲しいと思ってます。
ずっと以前、178ものコメントを頂いたお玉
伝説のエントリー「わかりやすい立憲主義の話」 ・・・・

クラスの40人中39人が賛成してずっとタマちゃんがトイレ掃除を続けることは多数決だから許されることなのかどうか・・許されない、してはならない多数決だとタマちゃんは思い、それをさせないのが立憲主義だとお玉おばさんは思っている・・・

今もタマちゃんはあれにこだわってます。
なので、
タマちゃんにわかりやすく「立憲主義」を説明して下さる方を募集します・・

##憲法の話を定期的に書きつつ皆さんで楽しめるような話題作りへの試みです・・・・・ちょっと待て、お玉が書くんではないんかい?・・「うん、違う」

コギトさん、ほか、常連各位様(^^)

わくわくするよな原稿(コメント)・・お待ちしてます~~m(_ _)m

お玉みたいに難しい政治のお話は語れなくても、平和や護憲についてお勉強してみたいと思われている同志の方を求めて・・ブログランキングに参加しています。

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(非公開コメント受付中)

十文字(衆愚代表)さんへ
(再投稿です)

>そして、考え方の違いを明らかにした後で、子供同士で討論をさせてみたり…。

いいなあ^^ そういうの好きですよ。

>そこで、在日米軍を国連軍に置き換え、自衛隊を国連軍にしてしまえば、日本国の国権が絡まなくてすむわけですから、9条により当てはまるといえるでしょう。

ご説明ありがとうございます。概要が分かってきました。細かいことを別にすれば、「9条により当てはまる」プランだと思います。確かに実現可能性は高くないでしょうが、超大国の恣意的な行動に振り回されずに安全を確保するという意味では、それなりに筋が通っていますね。
こういった話(日本の将来の防衛像)も、機会があれば議論いたしましょう。

>・・・暫く皆さんのコメントを読ませて頂きたいので、私の発言は差し控えますが、「12歳でもわかる立憲主義」には、ある種の意図が隠されているということを明言します。

暫くたったら、あちらのエントリでの「ある種の意図」のご解説、勝手ながら期待しています。
仲正氏の件は、こちらこそお手数をおかけしましてすみませんでした。
それでは、また機会がありましたらよろしくお願いいたします。


ペリフェラル さんへ
私が子供を教えていたとき、よく子どもに質問したのは、「君はどうしてそう考えたの?」です。
そして、考え方の違いを明らかにした後で、子供同士で討論をさせてみたり…。まあ、そんなエエカゲンな授業をしておりました。

仲正昌樹氏の発言については、申し訳ございません。
私もうろ覚えです(論座か何かの雑誌だったような…)。

さて、「『国連軍本部と多数の国連軍基地を設置。自衛隊を国連軍』は非武装ではないですよ」というご指摘がありましたが、その議論の大本となる憲法9条を見て下さい。

第九条

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

以上を見る限り、「日本の国権が及ばない、外国の軍隊の常駐も禁ずる」という解釈はできません。
なぜなら憲法発布後に「外国の軍隊の常駐を禁ずる」ことになってしまえば、即日に在日米軍は総撤収ということになります。そうなるとアメリカにはメリットはありません(ソ連が出張って日本が真っ赤っかになれば、大デメリットです)。
そこで、在日米軍を国連軍に置き換え、自衛隊を国連軍にしてしまえば、日本国の国権が絡まなくてすむわけですから、9条により当てはまるといえるでしょう。

でもまあ、こんな論理はソートーいい加減です。
「9条を字面で追ってばかりで、ホントにそんなことができるんかい?」
と問われれば、「できません」としか答えられません。

では、非武装絶対平和主義の場合は、どうなのでしょうか?

「昔の私の考え方」とおっしゃられるあたり、すでにお気付きになられていると思われますが、「12歳でもわかる立憲主義」で暗示しているのは、まさにその点です。

お玉さまが特別に設けて頂いた、『12歳でもわかる立憲主義~コメント欄より (04/27) 』に対しては、暫く皆さんのコメントを読ませて頂きたいので、私の発言は差し控えますが、「12歳でもわかる立憲主義」には、ある種の意図が隠されているということを明言します。


十文字(デビル)さんへ
私も、半分私信のような投稿になりますが、お許し下さい。>お玉さん。

十文字(デビル)さん、ていねいなレスをありがとうございます。

>子どもを教えていて、そういうテクが身につきました。

子どもと真剣に向き合うことで、教える側の創造性も豊かになるのでしょうね。十文字(デビル)さんに教えてもらったお子さんも、とても貴重な経験をしてるんじゃないか、そんなことを想像します。

>仲正昌樹氏の著作は、ペリフェラルさんと波長が合うかもしれません。

ご紹介ありがとうございます。仲正氏の著作は何冊か読んでいます。あまり一人の著者の本を追っかけることはしないので、確かに波長が合っているのでしょう。なんか、十文字(デビル)さんに見透かされたみたいで、ドキリとしましたね。
ただ、「『憲法9条を世界遺産に』に心惹かれつつも、実践的には「穏和な平和主義」を選択するしかない」という文言は、どこかで聞いたような気がするのですが思い出せなくて。ご紹介の本からでしょうか? よろしかったら引用元をご教示願えれば幸いです。

>私とて、以下の様な投稿をマガ9に送ったりしました。

マガ9は、ごく一部しか読んでいないもので・・・その他のご投稿何点かも含め、興味深く拝見しました。その感想を書く場ではないので控えますが、同意できる点は幾つもありました。

>・・・討議は大いに結構な事です。
>・・・リスクについてキッチリ述べる・・・

ここは、まったくおっしゃるとおりですね。

>はたまた、「侵略される蓋然性がない」という論理をとことん突き詰めて、「これこれこのようなうんたらすんたらの理由により、侵略される蓋然性は全く無く、日本は非武装でも絶対に大丈夫です。以上!」という非武装論を、われわれ大衆に提示するのがスジなのではないでしょうか。

いやー、そこまでは言えないんです。「蓋然性はほとんどない」とは言えても、「全く無い」とまでは言えない。「絶対」という言葉もそうそうは使えません。神ならぬ身としては。「個体としての人間は、皆いつかは絶対に死ぬ」のように僅かな局面でしか使えません。

>そしてその後に続くのは、日本が侵略される事を前提とした「非暴力抵抗論」なのですから、「何をおっしゃるウサギさん。」という訳であります。

なるほど。「ウサギさん」の議論の運びを以下のようにすれば、内容への賛否は別として「こういうことを訴えたいのか」と、理解していただけるものになるのでしょうか。

1.日本が侵略される可能性(この場合は「確からしさ」と同義)は、百万に一つしかない。
2.しかし、百万に一つはある以上、それには備える必要がある。
3.その場合でも、武力抵抗よりは非暴力抵抗の方が、市民を守るためにはリスクが少ない方策であると考える。
4.私、ウサギは非暴力抵抗を、日本国の戦略として採用することを提言する。

これは、昔の私の考え方に近いですけど。

>・・・「日本に国連軍本部と多数の国連軍基地を設置し、国際司法裁判所と国際刑事裁判所を移転が支部を設置し、自衛隊を国連軍にする。」と応えておきます。

発想は面白いと思います。私も自衛隊を国連に提供することを考えたことがあります(確か、昔の「小沢構想」もそうだったかも)。
でも、「国連軍本部と多数の国連軍基地を設置。自衛隊を国連軍」は非武装ではないですよ。それとは別個の防衛プランではないでしょうか?


ペリフェラルさんへのご返答
>レスをありがとうございます。前回はお名前を省略してすみませんでした。

いえいえお構いなく。()内の言葉はケースバイケースですから。

>巧みな例示ですね。分かりやすくてよいです。

ありがとうございます。子どもを教えていて、そういうテクが身につきました。

>んー、単純に「NO!!」というわけではないのですが、結論的には「NO!!」に近い形になると思います。微妙な言い回しですけどね(苦笑)。

『憲法9条を世界遺産に』に心惹かれつつも、実践的には「穏和な平和主義」を選択するしかない、とおっしゃった仲正昌樹氏に似た言い回しですね(微笑)。
仲正昌樹氏の著作は、ペリフェラルさんと波長が合うかもしれません。
とりあえずお暇がございましたら、此方の本をお勧めいたします。
http://www.bk1.jp/product/02575798
文庫で廉価ながら、読み応えは十分かと存じます。

>長谷部氏も絶対平和主義について、「私的なサークルを通じて広めていただくのは大いに結構です」と述べられています。9マガが「私的なサークル」かどうかは、十文字(デビル)さんは異議がおありかもしれませんが。

勿論、「私的なサークル」からの主張どころか、私的な立場から「非武装の可能性」を、一般大衆に向けて述べることも当然アリだと考えております。
私とて、以下の様な投稿をマガ9に送ったりしました。
http://www.magazine9.jp/minna/maru_111.php
重要なのは、表現の自由が認められた立憲民主主義体制において、知識人が「さまざまな理性的な異論」を提示していくことで、われわれを啓蒙し、更なる社会全体の発展への道を開くことなのですから、討議は大いに結構な事です。

しかーし、私が「あのお方」に異論(というより反論)がありまくりな訳は、レトリックの問題です。
「非武装絶対平和主義」を主張するのであるのならば、例示の中にありました、(「正義の戦争はあるのか?——非暴力でどんな平和をつくるのか」集会報告)のように、リスクについてキッチリ述べるか、はたまた、「侵略される蓋然性がない」という論理をとことん突き詰めて、「これこれこのようなうんたらすんたらの理由により、侵略される蓋然性は全く無く、日本は非武装でも絶対に大丈夫です。以上!」という非武装論を、われわれ大衆に提示するのがスジなのではないでしょうか。
それを、「蓋然性はなくとも可能性はあるからです。(第六十二回)」というのは、幾らなんでもアンマリすぎ、自民党議員でも言わないような禅問答です。
こんな論法を欧米人に使ったら、発狂を疑われてしまいます。
そしてその後に続くのは、日本が侵略される事を前提とした「非暴力抵抗論」なのですから、「何をおっしゃるウサギさん。」という訳であります。
因みに、件のジーン・シャープ氏は、「非暴力行動は平和主義ではない。大多数のケースにあっては、非暴力行動は非平和主義者がそれを行使している。(『武器なき民衆の抵抗』のP68より抜粋)」と明言しております。
ジーン・シャープ氏の理論が、今まで護憲運動に活用できなかった理由の一つは、これであると私は思います。
つまり、「あのお方」の主張は、日本国憲法からもズレている訳なのです。

ちなみに私に対して、「これこれこのようなうんたらすんたらの理由により、侵略される蓋然性は全く無く、日本は非武装でも絶対に大丈夫です。以上!」の、「これこれこのようなうんたらすんたらの理由を、何でもいいから言ってください。」と質問されたとき、「日本に国連軍本部と多数の国連軍基地を設置し、国際司法裁判所と国際刑事裁判所を移転が支部を設置し、自衛隊を国連軍にする。」と応えておきます。
なんだか、『沈黙の艦隊』みたいな話ですね…。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E9%BB%99%E3%81%AE%E8%89%A6%E9%9A%8A

>この解釈ならライブドア版の「護憲パンダちゃん」の呟き、「30条は無くてもいいけど」は、取り下げてもらえるのではないかと勝手に期待です(笑)。

私も同感です。
ちょっと無責任すぎますよね、アレ(笑)。

>下手な表現しかできませんでしたが、こういった流れを表してみたつもりです。

ありがとうございました。
添付された資料を、後ほどゆっくりと拝見させていただきます。

お玉さま。
半分私信のような投稿をしてしまい、申し訳ございませんでした。


十文字(デビル)さんへ
レスをありがとうございます。前回はお名前を省略してすみませんでした。

>えーと、これはニュアンスの問題ですね。

なるほど、私が細かいところにこだわりすぎなのでしょうね。このような横やりしかできないので、煩わしくお感じかもしれませんが、お付き合いくださいまして感謝いたします。

>立憲主義をアンパンに例えるのならば、「立憲主義は権力を縛るもの」はアンコであり、「憲法は『調整問題』の解」はパンであるという風になると思います。アンとパン、そのどちらも欠ければ「アンパン」としての実存が成り立ちません。

巧みな例示ですね。分かりやすくてよいです。

>例えば、以下のような主張に対しては・・・ペリフェラルさんも「NO!!」を突き付けると思います。

んー、単純に「NO!!」というわけではないのですが、結論的には「NO!!」に近い形になると思います。微妙な言い回しですけどね(苦笑)。私は個人的には非暴力志向なので、伊藤氏の「理想」には共感するところがあります。極私的な現実認識&理念としては、「日本が侵略される蓋然性はほとんどなく、軍隊は必要ない。国境警備隊ぐらいに留めておけばよい」です。しかれど、国民の大半が実効的な「防衛サービス」を公共政策として望んでいます。私個人がいらないからといって、「私的な賭け」に国民の皆さんを引きずり込むわけにはいかない。「抑制された必要最低限の軍事力」としての自衛隊は認めます。長谷部氏の唱える「穏和な平和主義」は、よい落としどころだと思います。
ただ、非暴力思想を広めていくことはかまわないと思っています。長谷部氏も絶対平和主義について、「私的なサークルを通じて広めていただくのは大いに結構です」と述べられています。9マガが「私的なサークル」かどうかは、十文字(デビル)さんは異議がおありかもしれませんが。

>・・・30条について、「芸」で解釈する必要があるのでは、とおっしゃられておりましたが、9条解釈論も「芸」であるというのは、長谷部憲法学の真骨頂(憲法条項の「準則」と「原理」との分類)であるのです。

おっしゃるとおりだと思います。その「真骨頂」を念頭において30条の話をしたつもりです。
この解釈ならライブドア版の「護憲パンダちゃん」の呟き、「30条は無くてもいいけど」は、取り下げてもらえるのではないかと勝手に期待です(笑)。また、26・27条も同じく、「国家への命令」であると解釈できます。
ちなみに、この解釈論は私が考えたものではありませんが、ソースが思い出せないので(情けなっ)創唱者名は省かせていただきます。

>ポストモダン派やフェミニズムが、「揺らがせる」だけの論理を構築できているのか、些か疑問です。

ああ、ちょっと狭い文脈に埋め込んでしまいました。以下のように訂正いたします。

「いわゆるリベラルな正義論は、ポストモダン派やフェミニズムをはじめ、コミュニタリアニズム、多文化主義、エコロジズムなどからの批判を受けて、以前から揺らいでいます。リベラルな制度と適合する形で見直していく必要はあるでしょう。」

こう書いたからといって、十文字(デビル)さんのご疑問は変わらなそうです。この論点、エントリからずれていきますので、どうしようかなですが、勝手ながらたまにはということで。ごく簡潔にします。

「揺らいでいる」には、リベラルが打ち倒されるまでにはいっていないということ、矛盾や欠陥を突けば揺るがすことはできる、といった含意があります。
そうしてリベラリズムも変容してきている。ロールズですらハーサニやハート、ヘアーなどの批判を受けとめながら、『正義論』以降「重なり合う合意」という概念を打ち出すなどしてきました。この中期以降の変化を、「ポストモダンの魔術師」とも呼ばれるローティは、「哲学に対する民主主義の優位」という論理に合致するものとして歓迎したのです。

「ロールズは近代の原理を歴史的な蓄積に裏打ちされた事実性によって導出するという論理へと方向転換し、そこでの概念がいわゆる「重なり合う合意overlappaing consensus」として提示される。ここにロールズのプラグマティズム的転回があり、その立論はR.ローティに近接する」
http://www5.ocn.ne.jp/~tjmkk/hon005.htmより。
下手な表現しかできませんでしたが、こういった流れを表してみたつもりです。


quine10さんとペリフェラルさんへ
quine10さんへ

>あくまで僕にとってという留保を付けますが、「立憲主義」とはある特定の
>状態ではなく、現実を変えていこうとする場合の立脚点となる「理念」です。

「憲法を知ってしまった者の責任」として、日本国憲法の理念を一般人に解き明かすことをめざし、全国講演、各種執筆活動を行う、伊藤真さんのスタイルに似ている印象を受けました。
しかし「理念」を重視すると、論理そのものが非常に主観的・観念的になる怖れがありますので、留意が必要だと思います。
因みに、私が憲法は「立憲民主主義体制におけるさまざまな(利害や価値観の相違などの)調整問題を解決するための手段(機能)」であると強調したのは、論理が主観的・観念的になることを阻むためです。

>つい最近、生活保護を半ば強引に打ち切られた男性が餓死する、
>という痛ましい事件がありました。
>これは、立憲主義という観点からすれば、明らかに権力に責のある
>事態と申せましょう。

個々別ケースの「不幸」をテコに、国家に対して責任追及する姿勢は、非常にわかり易く、故にリスクも伴うと思います。

例えば、今ここで私が「拉致問題の不幸」をテコに「べき論」を展開したら、貴方はアタマにくると思います。
では、本日判決された「山口母子殺害死刑判決」の場合を例に出されると、貴方は頭を抱えてしまうかもしれません。
・死刑制度は世界的潮流からすれば、廃止の流れが加速している。
・憲法も「第36条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。 」とあり、その理念からすれば、死刑は許されない。
・しかし遺族に対して、「理念に準じろ」と要求するのは、あまりに傲慢である。
以上のことを鑑みると、このような問題は「理念」と「個人」の二律背反状態に陥ってしまい、ただ「権力に責任を問う」という姿勢だけでは、解決できないでしょう。

quine10さんが理念として描いている国家システムは、福祉国家であると思います。
では、どうすれば理念を達成できるのか。
憲法の理念は「国家権力」だけではなく、「個人」とも対立する可能性があります。
憲法を考えるとき、それらの複雑な事象を熟慮した上で、改めて現実をどのように変えていけるかを探究する、という姿勢が大切なのではと思います。


ペリフェラルさんへ

>つまり、権力を制約することが、主に公的領域における通訳不能
>な価値観や世界観を調整するための基礎条件になるのですから、
>「一つに過ぎません」で片付けられる問題には思えません。

えーと、これはニュアンスの問題ですね。
quine10さん宛ての返答の中で述べたことなのですが、
・「立憲主義は権力を縛るもの」という姿勢だけでは、解決不能な問題がある。
・「立憲主義は権力を縛るもの」という姿勢を強調しすぎてしまうと、論理そのものが非常に主観的・観念的なってしまう危険性がある。
ということを踏まえ、あえて『これが憲法だ!』誌上の、「子どもには教えられない話?」を元ネタとしながら、「12歳でもわかる立憲主義」を執筆し、「憲法は『調整問題』の解」論を強調した訳です。

立憲主義をアンパンに例えるのならば、「立憲主義は権力を縛るもの」はアンコであり、「憲法は『調整問題』の解」はパンであるという風になると思います。
アンとパン、そのどちらも欠ければ「アンパン」としての実存が成り立ちません。

それに「権力拘束」については、「ジャイアン(国家権力の比喩)に『社会契約』が付きまとう」とか、「体制側を脅迫する」という記述で、遠まわしに述べていたのですが、やはりその重要性についてキッチリ書くべきだったのでしょう。

とはいえ、表現の仕方に違いはあれど、私とペリフェラルさんのスタンスは、概ね同じであると思います。

例えば、以下のような主張に対しては、
http://www.magazine9.jp/juku/061/061.php
ペリフェラルさんも「NO!!」を突き付けると思います。
この主張のマズイところは、「権力拘束」の理念が、権力(ひいては政府)が存続不能になるまで強められてしまい、かつ「調整問題の解」という機能を無視し、国民の権利を拘束し、ある特定の価値観を国民全員に押し付けかねない(論者が主張する「目的適合的な行動」というものも、あくまで論者の主観の範疇での合理性に過ぎない)ところがあるからです。

ペリフェラルさんは30条について、「芸」で解釈する必要があるのでは、とおっしゃられておりましたが、9条解釈論も「芸」であるというのは、長谷部憲法学の真骨頂(憲法条項の「準則」と「原理」との分類)であるのです。

>いわゆるこのリベラルな正義論は、ポストモダン派やフェミニズム
>から批判を受けて、以前から揺らいでいます。

ポストモダン派やフェミニズムが、「揺らがせる」だけの論理を構築できているのか、些か疑問です。


十文字さんのご意見について
十文字さん、横レス失礼します。

私も長谷部氏の議論には刺激を頂戴しています。ご著書を全部は読んでいないし、読んでも端から忘れていく記憶力弱者なので、十文字さんのコメントで再確認させていただいています。
ロールズ研究もされている政治学者の伊藤恭彦氏は、「現代は共通価値なき価値多元社会である」とおっしゃっています。私もそう思いますし、長谷部氏の所論にも通じていると思います。

さて、ここからは反論に移ります。

>・・・貴方だけでなく他の数多くの人が、 >(個人の権利を守るために)立憲主義は権力を縛るものであるはずです。とおっしゃられます・・・
>つまり、「権力の拘束」機能はあくまで憲法の機能の内の一つに過ぎません。

確かに一つの機能ではあると思いますが、たいへん重要な機能です。長谷部氏も狭義の立憲主義、つまり近代立憲主義をごく簡単にまとめる時は、「近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組みを指す」と述べられています。
異なった価値観が平和的に共存する社会にするためには、基本的な手立てとして、まず公私の区分を決めることで、私的な領域では基本的な自由を保障し公的な領域では公共の利益を追求できるようにする。このように権力が及ぶ範囲をあらかじめ確定しておく(*1)。つまり、権力を制約することが、主に公的領域における通訳不能な価値観や世界観を調整するための基礎条件になるのですから、「一つに過ぎません」で片付けられる問題には思えません。(私なりの長谷部氏理解による)
さらに時代が下がって、社会権の重要性がクローズアップされ、「現代的意味の憲法」(現代立憲主義)となって、いわゆる「先進諸国」は大なり小なり「福祉国家」としての相貌を見せるようになる、というのがオーソドックスな図式ですか。

ちなみに『これが憲法だ!』紙上での杉田敦氏によるまとめでは、「長谷部さんは、もっとも重大かつ危険な権力は国家権力・公権力であるという点では、伝統的な憲法学と同じ考えで、そのため、憲法というものを基本的には権力制限的にとらえようとします。」と述べられ、長谷部氏も肯定しています。

>憲法は調整問題を解決しようとして人々の間に自生的にできた秩序、慣習の一種なのです。

「自生的にできた秩序、慣習」には、ちょっと半信半疑なところがあります。これと「立憲主義は、ありのままの人間が、自然に受け入れられる考え方ではない。少々無理をしなければ理解できないし、身につくはずのない考え方」とは、どう両立するのかに疑問があるということです。慣習ならもっと「自然に」身につくもののような気もするんですが・・・。
まあ、これは長谷部氏に向かって聞くべきことなのかもですが(苦笑)。

>これらの条項は明らかに国民に向けての規定であり、「立憲主義は権力を縛るもの」という方向性からはズレていますよね。

「国民に向けての規定」を「国民が守るよう示された規範」=義務規定と解釈して話を進めます。
まず国民は、「直接的」(条文を文意どおりに遵守するという意)には憲法に従わなければならない義務はありません。例えば24条の婚姻は、本人たちが納得するのなら両性の合意以外の要素が加わって成立してもかまわないし、お互いの内の一方あるいは両方が協力的でなくてもかまわないのです(不幸な結婚生活にはなるかもしれませんが)。

また通説の立場からも、国民の憲法上の義務規定は12条の一般義務規定と26・27・30条があるだけです(15条4項問題は除くとして)。それすら具体的な法的義務を定めたものではなく、せいぜい倫理的指針か、立法による義務の設定を予告している程度の意味と解されています。10条、24条などは「国民に向けての規定」ではありません。

さて、国民は法律には従わなければならない義務があります。その法律は憲法によって正当性を担保されているのですから、究極的には国民も憲法に従っているのだと言えそうです。しかし、それは原理的な面でという意味です。あまりに個々の条文の字面に従うという面を強調すると、多くの条項が「国民に向けての規定」=義務規定と拡大解釈されてしまいかねず、「直接適用説」と変わるところがなくなってしまいます。
やはりここは、憲法の条項は(ごく一部を除き)基本的には国家へ向けての規定であると解釈することが妥当です(そして、間接的になら国民に適用されることがある--解釈技術上の問題として)。
そこで30条などは通説的に「意義が乏しい」と軽く扱うか、あるいは、まさに「芸」が必要になってくるということでしょうか(笑)。
例えば30条は、「国家は適正な法の定めるところにより、公正に税を徴収する制度を構築しなさい。そのような方法でなければ、つまり恣意的な方法では国民に納税の義務を負わせてはならない」と読むことによって、授権的及び制限規範として理解するのです。

以上のように日本国憲法は、「立憲主義は権力を縛るもの」という方向性からは、基本的にはズレてはいない最高法規です。この仕組みの上に立って、価値調整を行うということでしょう。

*1 いわゆるこのリベラルな正義論は、ポストモダン派やフェミニズムから批判を受けて、以前から揺らいでいます。リベラルな制度と適合する形で見直していく必要はあるでしょう。


十文字(デビル)さんへ
ご返答どうも。

まず、根本的なところで齟齬があると困りますので、確認のために。
あくまで僕にとってという留保を付けますが、「立憲主義」とはある特定の状態ではなく、現実を変えていこうとする場合の立脚点となる「理念」です。
従って、「憲法にこう書いてあるのだから、これが立憲主義なのだ」とは単純には言えません。
憲法に書いてある事ですら、「これは立憲主義という観点から見た場合にどうなのだ?」、と問うことはいつでも可能なのです。

繰り返し述べますが、立憲主義とは現実世界(このエントリーの比喩で言えば、タマちゃんの一人トイレ掃除当番)を変える上での(極めて重要な)準拠点であって、すでにどこか(日本の憲法でも、アメリカでもフランスでもよいですが)に存在する「何か」ではありません(少なくとも僕にとっては)。

さて、せっかくご返答を頂いたので、このエントリーから逸脱しない範囲で、僕の考えを述べたいと思います。

つい最近、生活保護を半ば強引に打ち切られた男性が餓死する、という痛ましい事件がありました。
これは、立憲主義という観点からすれば、明らかに権力に責のある事態と申せましょう。

この場合、抵抗権に相当するものは、食糧配給のボランティアになるでしょうか(餓死してしまったら、抵抗もなにもあったものではありませんので)。
この例示は、すでに「抵抗権」なる概念が、それを発揮する個人が「権力によって生殺与奪を握られていない」、ということを前提としています。

どんな統治形態でも、立憲主義という理念に照らせば、必ず落ち度があります(これは断言できます)。
従って、立憲主義に立脚する限りは、個人の抵抗権に留まることなく(それが重要な権利である事は僕も認めます)、現実をどのように変えていくべきか、を述べなければならないと思います。
少し穿った見方をすれば、「抵抗権」は抵抗する個人に責任を押し付け、権力の責任を不問にするイデオロギーとして通用してしまう恐れすらあります(そういう意味では、自己責任論と親和性があるかもしれません)。

やや散漫ですが、以上のようなことを考えました。


 1:「クラスの40人中39人が賛成してずっとタマちゃんがトイレ掃除を続けることは多数決だから許されることなのかどうか・・許されない、してはならない多数決だとタマちゃんは思い、それをさせないのが立憲主義だとお玉おばさんは思っている・・・」

 そのとおりです。タマちゃんがトイレ掃除をずーっとすることを否定することが立憲主義の原則です。なぜならば、学校は、みんなのものだから、みんなで役割分担して交代制で掃除することが人間の自由だからです。そこで、2つ問題が生じます。

 第一。タマちゃんが自主的にトイレ掃除を継続することを望んだ時。

 第二。タマちゃんが継続してトイレ掃除することに対し、「嫌だ」という意思、あるいは、「やりたい」という意思を共に示さなかった時。

 第一の場合には、原則は、みんなで役割分担して交代制で掃除をすることですから、タマちゃんがトイレ掃除ばっかりやりたいと自主的に望んだとしても、それは「わがまま」となります。しかし、掃除をしていることには変わらないのであるから、クラスの合意があれば了解となるでしょう。

 第二の場合には、原則は、みんなで役割分担して交代制で掃除をすることですから、交代制に反することをやっているタマちゃんの行為は憲法違反となります。タマちゃんは、「やりたい」とも「やりたくない」とも意思を明瞭にしていない以上、憲法の原則である「みんなで役割分担して交代制で掃除をする」という基準を適用せねばならない、ということです。

 以上のことを、タマちゃんとクラスの子供たちに教育する職務を担っているのが学校の教員であり、三権分立で言えば、裁判官の役割ではないでしょうか?

 この場合、学級会は議会です。学級委員長は議長です。


再び、quine10さん へ
>タマちゃんにこうアドヴァイスしたところで、事態は少しでも改善する
>でしょうか?

>であるなら、タマちゃんへのアドヴァイスは、それが間違いではないに
>しても、些かも立憲主義に基づくものではありません。

それは全くその通りです。
なぜなら私のアドヴァイスは、立憲民主主義制が全く機能していない状況下での対処法、つまり「抵抗権」について述べたからです。

ところでちょっと立憲主義の話をしますが、貴方だけでなく他の数多くの人が、
>(個人の権利を守るために)立憲主義は権力を縛るものであるはずです。
とおっしゃられますが、では何故、

第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

等々といった条項が憲法に盛り込まれているのでしょうか?
これらの条項は明らかに国民に向けての規定であり、「立憲主義は権力を縛るもの」という方向性からはズレていますよね。

これについては、ブリタニカ国際百科事典の「立憲主義」の解説を読めば手っ取り早いと思います。<()は私の註>

「…そこ(註:近代立憲主義)では国民の一定の範囲における国政参加を前提に、権力分立構造を通じて国民個々人の権利、自由(註:つまり自然権)の保全をはかろうとする意図が明確にされ、それを具現する成文憲法を制定することが肝要であると考えられるようになった。立憲主義に立脚する民主制が立憲民主制であり、君主制と結合している場合が立憲君主制である。(抜粋修了)」

つまり、「権力の拘束」機能はあくまで憲法の機能の内の一つに過ぎません。
その本質とは、人それぞれに違う価値観を持つ人々が寄り集まって国家を構築するあたり、とある人間の「自然権」が不当に侵害されたり、異なる価値観の者同士の闘争が激化しないように調整しなければならない。そして憲法は調整問題を解決しようとして人々の間に自生的にできた秩序、慣習の一種なのです。
このように理解すると、第10条、第24条、第30条、の説明が合理的にできると思います。

さて、この「多数決によってタマちゃんのトイレ掃除が永続しました」ケースは、民主主義によって決定されたかもしれませんが、これは明らかに衆愚政治の一種です。
本来、立憲民主制であるならば、衆愚政治になる前に、憲法による調整機能が働いて、タマちゃんの「自然権」が侵されなかった筈です。
しかしそうならなかった以上、このクラスには「憲法」が存在しないわけです。

そこで出てくるのが「抵抗権」です。
抵抗権は二つに大別され、その一つに、あくまで合法性の枠内で、個人の良心のみを拠り所に抵抗する「市民的不服従」が挙げられます。

例を示せば、この方が仰っているようなことです。
http://www.magazine9.jp/juku/062/062.php
勿論、私のアドヴァイスも「市民的不服従」の範疇に入るものです。

しかし貴方の、
>タマちゃんへのアドヴァイスは、先生へもクラスメートへも働きかけるもの
>ではありません。
>である以上、上記のタマちゃんへのアドヴァイスは、この事態を少しも
>改善する見込みはありません。
という危惧されるお気持ちを認めないわけにはまいりません。
勿論、私とて「例のお方」の主張されることを日本で実行して、(小学校のクラスレベルならともかく)国家レベルの問題が解決するなどさらさら思っておりません。
このケースでもタマちゃんに暴力や他の差別待遇を押し付けてくる可能性があります。

そこで、「例のお方」がしきりに否定される抵抗権のもう一つ、非合法的・暴力的手段までを是認する「革命権」の出番となるのです。
一例として「バットを持って大暴れ」を挙げましたが、「非合法」の覚悟を決めたのならば、もっとエゲツない手(PTAや教育委員会にチンコロ、蛇口全開で一晩放置etc)が色々考えられます。

こうして「目には目を、非道には非道を」という風に、非道を行った結果、そのコストが非道を行わなかったときよりも何十倍も高くつくことを示すことで、非道な秩序に「革命」を起こし、真っ当な秩序、つまり立憲主義を再構築するのです。

しかしまあ、以下のサイトで指摘されているように、
http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/demo/review/MZT031228_resistance/
「抵抗権」、それも「革命権」の使用はむやみやたらと使うべきものではありません。
故にこのケースにおいては、まずは「市民的不服従」を実践しつつ、「革命権」の行使を匂わせ、体制側を脅迫する手法が、タマちゃんにとってベターであるといえるでしょう。

とはいえ、ベストであるのは、タマちゃんの「自然権」が侵されない、立憲民主制をハナから構築しておくことであるということは言うまでもありません。

因みに余談なのですが、長谷部恭男・東大教授が、「絶対平和主義は立憲主義と相いれない」と指摘されるのは、憲法の理念に準じた挙句、侵略により憲法を失い、「革命権行使モード」(これを止めるのは侵略者の完璧なる弾圧か、侵略された全ての人々の良心に依存するしかない)になる位ならば、初めから合理的自己拘束をかけたうえで自衛隊を認めてしまったほうが、日本に住むほぼ全員の利益になるからなのです。

(真に勝手ながら、一部訂正致しました)
1.×quine10へ→○quine10さんへ
2.×非侵略者全員→○侵略された全ての人々

ご了承の程、宜しくお願い致します。


新バージョン(3)
(5)六年生になって・・・

先生   トイレ掃除の当番は、今年もみんなで話し合って決めてくださいね。

学級委員 もう、「強制はだめだ」とは言わないんですか?

先生   皆さんはもう六年生になったのですから、言わなくてもわかるでしょう?

少年E  掃除当番のやり方は、今まで通りでいいと思いま~す。

少年F  だめだよ、もう六年生になったのだから、まず学級会のルールを自分たちで決めるところから始めようよ。

少女A  多数決の結果に従わずに「わがまま」をいう人がいると困るので、時には「強制」も必要だと思いま~す。

少年G  でもそうすると・・・

少女A  たまちゃんが、「私は先週やったので、今週は他の人にやってもらいたい」と言ったのは、「わがまま」ではないと思いま~す。

少年G  それはそうだけど・・・

学級委員 では、わがままを言う人に限っては、多数決の結果に「強制的に」従ってもらう、ということでいいですか? いいと思う人、手を挙げてくださ~い。

たま   本当にこれでいいのかなあ・・・ていうか、掃除当番の話はどうなったの? 今まで通りでいいんでしょう?



新バージョン(2)
(3)さらに翌週・・・

学級委員 では今週もトイレ掃除の当番を決めたいと思いま~す。

少年D  やはり、トイレ掃除はたまちゃんが適任かと・・・

たま   私はもういやです。今週こそ、はなわくんにやってもらいたいで~す。

はなわ  ばくは、花沢さんがいいと思いま~す(どうせじゃんけんになるなら候補者が多いほうが自分にあたる確率が下がるもんね・・・)

花沢   なんで私なのよ! 私より永沢くんのほうが上手でしょ!!

(中略)

学級委員 ほかにありませんか。では、名前が挙がった10人の中から今週の当番を決めたいと思いま~す。皆さんでじゃんけんをしてください・・・はい、では今週の掃除当番は花沢さんにお願いします。

(4)このようにして・・・

五年三組ではだんだんと、掃除当番をする人が増えていきました。最初のうちは二週続けて同じ人が当番になってしまうこともありましたが、当番経験者が増えるにつれて、まだやっていないのに「いやだ」というのはわがままだ、と言われるようになり、半年もしないうちに、全員が順番に担当するという「公平な」ルールのもとで、皆が納得して掃除をすることができるようになりました。



新バージョン(1)
ごぶさたしております。

オリジナルバージョンの難点は、いまいち「立憲主義」との対応がはっきりしないところだと思います。そこで新バージョンを考えてみました(といっても内容は去年のままですが)。こちらでの議論の一助となれば幸いです。

なお連投になりますことをお許しください。

***

(1)お玉が池小学校の五年三組で、トイレ掃除の当番を決める学級会を行なっていす。

先生   みんなで話し合って決めてください。但し「強制」はだめですよ。

学級委員 誰にやってもらったらいいでしょう。推薦はありますか?

少年A  は~い、たまちゃんがきれい好きなので、たまちゃんにやってもらったらいいと思いま~す。

学級委員 ほかにありませんか。では、多数決で決めたいと思います。たまちゃんに掃除当番をしてもらったらいいと思う人、手を挙げてくださ~い・・・はい、40人中39人が賛成ということで、今週の掃除当番はたまちゃんに決まりました。

たまちゃんは、みんなの意見に従って、一週間トイレ掃除をやりました。

(2)そして翌週・・・

学級委員 は~い、では今週のトイレ掃除当番を決めたいと思います。

少年B  たまちゃんが掃除するととてもきれいなトイレになるので、もう一回やってもらいたいと思いま~す。

たま   私は先週やったので、今週は他の人にやってもらいたいです。

学級委員 たまちゃんは、だれにやってもらったらいいと思いますか?

たま   はなわくんがいいと思いま~す。

学級委員 ほかにありませんか。では、多数決で決めたいと思います。、たまちゃんがいいと思う人手を挙げて・・・はい、39人ですね。はなわくんがいいと思う人・・・おや、1人だけですか。では、今週もたまちゃんにお願いします。

たま   わたしはいやです。先生も「強制」はだめだと言ってたはずなのに、どうしてわたしがやらなければいけないんですか?

少年C  だったらじゃんけんで決めればいいと思いま~す。

学級委員 なるほど、じゃんけんで決めるんだったら「強制」ではないですよね。では、たまちゃんとはなわくんでじゃんけんをして決めてください。

じゃんけんに負けたたまちゃんは、なんかおかしいと思いつつ、もう一週間トイレ掃除をやりました。



十文字(デビル)さんへ
 レスどうもです

>今回の皆様の投稿を見る限り、散見してないような気がしますが…。

 今回は2コメントですね(僕の投稿の時点で2/11だから散見でよいと思いますけど)。
 名指しは炎上の元ですので、自重しておきます(お玉さんの許可があれば別ですけど)。

 で、僕へのレスと「12歳でも~」を読みました。
 それに関する感想は色々とあるのですが、本エントリーの立憲主義というテーマからはズレそうなので、それも控えておきます。

 ただ、

>結論とするならば、「クラスの秩序」が調整機能を回復していると判断していない間、タマちゃんはトイレ掃除を保留する事が最も望ましい合理的対処法であると、私はタマちゃんにアドバイスする。

 これにはイスから落ちそうになりました。
 タマちゃんにこうアドヴァイスしたところで、事態は少しでも改善するでしょうか?
 
 この事態(タマちゃんの一人トイレ掃除当番)を招いたのは、タマちゃんではありません。あくまでも比喩に則るなら、学校の先生とクラスメートです。
 タマちゃんへのアドヴァイスは、先生へもクラスメートへも働きかけるものではありません。
 である以上、上記のタマちゃんへのアドヴァイスは、この事態を少しも改善する見込みはありません。

 比喩を離れて述べますと、(個人の権利を守るために)立憲主義は権力を縛るものであるはずです。
 であるなら、タマちゃんへのアドヴァイスは、それが間違いではないにしても、些かも立憲主義に基づくものではありません。

 以上、返答へのレスになっていないことについてはご容赦を。


結局の所
司法と軍事力を持つ存在である教師が、職務放棄しているのが、根本的な問題であるようにしか見えません。


quine10 さんへの返答
>「理由があれば」「多数派の賛同があれば」(あるいは「理由があって多数派
>が賛同すれば」)タマちゃんの一人トイレ掃除当番が首肯され得る、との意見
>が散見されますが、首肯されうると考える人たちは次の疑問に答える必要が
>あります。

今回の皆様の投稿を見る限り、散見してないような気がしますが…。
それと、私の「12歳でもわかる立憲主義」を保護者各位の参考資料まで含めてお読み頂ければ、わかっていただけるのでしょうが…。
でもまあ、せっかくですので大人向けにまとめてみましょう。

まず、憲法とはある国の政治を成り立たせている枠組みであり、したがって、憲法の最も大切な部分は、その国の政治のありようについてどういう選択をするのかということである。
そして、私たちにとって憲法が必要とされているのは、多様な考え方をする人びとの共存の為である。
このことにはさまざまな含意を持つが、そのうち一つは、人びとの共存を危うくするような選択肢はあらかじめ排除する、というコミットメントを、憲法がしているということである。

さて、この「多数決によってタマちゃんのトイレ掃除が永続しました」ケースはどう判断されるべきか?

この多数決という手法について、小室直樹・東大法学博士は次のような趣旨のことを述べている。
・多数決は効率的に物事を決めるための、一種の便法であり、多数決で決まったことが正しいなどとは、誰も保証していない。ただあるのは、「多数の意見を、全体の総意とする」という約束事のようなものである。
・多数決の本質を難しい言葉で言い換えれば「擬制」、つまり一種のフィクションである。
・欧州では多数決の名の下に、少数者の意見が無視されるのでは本当の民主主義ではない可能性があるということで、近代デモクラシーの時代になっても、「はたして多数決は適当か」という議論は絶えずあった。
・少数者の意見を尊重する為のシステムとして、アメリカの連邦議会には「フリー・バッター」制度が設けられていて、少数意見を持つ議員の演説時間は制限しないこととなっている。これは彼の演説を聞いて、意見を変える議員が現われるのを期待しての制度である。(因みに連邦議会の議事進行では、多数派と少数派の差が少ない場合、なるべく話し合いで妥協点を見つけるという慣行がある)

つまり、多数決が「正しい」などとは断言できない制度である。

以上の事を鑑みて、このケースを分析すると、以下のようになるであろう。

・「多数決によってタマちゃんのトイレ掃除が永続しました」ケースにおいては、ただえさえ「正しい」とは言い切れない多数決という手法を、さらに胡散臭くつかっており、さらにそれを絶対化ている(公正な選択が保証されるような理想的選択状況からは程遠い)。その結果、タマちゃんの自然権を侵害はされた。
・それにもかかわらず、タマちゃんには何らその侵害(トイレ掃除で時間や労力などを失うこと)に対しての対価(席順自由選択権・給食おかわり自由権などなど)が支払われてもいない。
・こういう状況下においては、生徒一人ひとりの自然権を保証する故にしたがっていたはずの「クラスの秩序(ルール)」は、タマちゃんにとっては「抑圧装置」に過ぎない。
・この「抑圧装置」に実力行使までもが伴っている(例えばタマちゃんをトイレまで引きずっていくなど)ならば、社会契約説の観点からすれば、タマちゃんは自身の自然権を侵害する「抑圧装置」を破壊する為、バットを持ってクラスで大暴れして反撃してもよいということになる。これが革命権と呼ばれるものであるが、実際にこのようなことが頻発すれば、けが人続出、秩序もヘチマもあったもんではない。
・ゆえにこの様な状態を回避する為、「クラスの秩序」には人びとの共存を危うくするような選択肢はあらかじめ排除しておかなければならない。そして、場合によっては「民主主義」すらも抑止しなければならない。(これが長谷部恭男教授の指摘する「民主主義の力とその限界」であり、「憲法典による権力の制限が民主主義と衝突しうる」事態の一例ともいえよう)

憲法とは、立憲民主主義体制におけるさまざまな(利害や価値観の相違などの)調整問題を解決するための手段(機能)であり、それがアルファでもありオメガでもあるのだ。

結論とするならば、「クラスの秩序」が調整機能を回復していると判断していない間、タマちゃんはトイレ掃除を保留する事が最も望ましい合理的対処法であると、私はタマちゃんにアドバイスする。


理由があれば(あるいは多数派が賛同すれば)よいのか?
いつも読ませてもらっています。
興味深いエントリー&コメントで、初めてコメントさせていただきます。

「理由があれば」「多数派の賛同があれば」(あるいは「理由があって多数派が賛同すれば」)タマちゃんの一人トイレ掃除当番が首肯され得る、との意見が散見されますが、首肯されうると考える人たちは次の疑問に答える必要があります。

それは、
「理由があれば」「多数派の賛同が得られれば」首肯され得る、タマちゃんに課せられる行為はどこまでなのか?(トイレ掃除までなのか?、学校内すべての掃除までなのか?、トイレ掃除給食当番までなのか?あるいは、タマちゃんにクラスメートの一人一人がビンタすることまで首肯されるのか?)という疑問です。

さて、首肯され得る派は、どこまで首肯するのでしょうか?

一応エントリーとの関連を述べると、首肯され得ないとする立場が(少なくとも近代)立憲主義だと思います。


「12歳でもわかる立憲主義」:社会契約説と立憲主義
今回、立憲主義のお話をする、十文字(衆愚代表)です。1年前に塾講師(塾長)をしていて、小学生から付けられたあだ名は「デビル」。理由は、「先生は悪魔超人だから」などと言いながら、宿題をいっぱい出していたからです。


さて、立憲主義といわれても、なんだかさっぱりわからないでしょうが、『ドラえもん』だったら知っているでしょう。今回はそんな話をします。

その前に、タマちゃんは、ある日突然、誰かから自分の持っているものを取り上げられたりすることや叩かれること、あるいは「こういう考え方をしろ」と命令されることは嫌でしょう。
人間にはこういうことをされない権利があって、それを「自然権」といいます。

でも、『ドラえもん』の世界では、いつもジャイアンが、「お前のものはオレものもの、オレのものはオレのもの」と言ってのび太のものを取り上げたり、ぶっ飛ばしたり、あるいは「オレの歌を聴け!」なんて言って聞きたくも無い歌を聞かせたりするのです。こういうことをジャイアン主義と呼びましょう。

そこでドラえもんは秘密どうぐを出しました。名づけて「社会契約~!」です。

これを使えばあら不思議。
たとえばジャイアン、ドラえもん、のび太、スネオ、静香の5人が集まってケーキを切り分けようとしたとき、「オレが切ってやる。そして一番初めにケーキを選らばせろ!」とジャイアンが言ったら、次にジャイアンがする事はすぐにわかりますよね。そう、一番大きく切れたケーキを自分のものにするのです。
しかし、突然「社会契約」から、こんな音声が出てきました。
「警告!!。ケーキヲ切ルモノハ、一番最後ニケーキヲ取リ、残リノモノハ順番ヲジャンケンデ決メナサイ。」
これを聞いたジャイアンはドッキリ。なぜなら、この警告を無視したら、「革命モード」になり、いきなりジャイアンの苦手な母ちゃんが所構わず現れて、「剛~!!(怒)」と言ってジャイアンを百叩きにするのです。「社会契約」は正しくない事をする人をこらしめる能力があるのです。
だから、警告を聞いたジャイアンはいそいそと定規を持ち出して、きっちり五等分になるように、ケーキを正確に切り分けることになります。
もちろん、「お前のものはオレのもの」などといったときも、「警告」→「革命モード」→「母ちゃん出現」となります。
この「社会契約」という秘密どうぐは、いつもジャイアンの周りを付きまといます。なぜならジャイアンは仕切りたがり家で、なおかつ「社会契約」がいないところでは、すぐにジャイアン主義になるからです。ちなみに、もしスネオがジャイアン主義になったら、こんどはスネオに「社会契約」が付きまとう事になります。

しかし、この「革命モード」にも欠点があり、ジャイアンとジャイアンの母ちゃんが大暴れした結果、肝心のケーキを蹴っ飛ばして台無しにしたりすることもありますし、いきなり呼び出されるジャイアンの母ちゃんも大迷惑です。おいそれと使えるものではありません。

そこで、「社会契約」に組み込まれていて、「警告!!」とジャイアンに呼びかけていた付属ソフト、名づけて「憲法」を、ジャイアン、ドラえもん、のび太、スネオ、静香の5人がみんなで大事にして、みんなで「革命モード」にならないように気をつけるとします。これを「憲法」を成り立たせるということで、ひとまず立憲主義と呼びましょう。

さて、タマちゃんは「憲法」が出したカタカナ言葉を読んで、とっても公平だなとか、インチキできなくすることを言っているとか思いませんでしたか?

それはその通り。「憲法」はひとりの「自然権」をむやみに傷つけず、そしてみんなで利益を公平に分け合えるようなルールが書かれているのです。先ほどのケーキの話でも、ケーキはきれいに5つに切り分けられ、みんなが不満にならないようになりました。
もし、タマちゃんの教室に「社会契約」があったとき、付属ソフトの「憲法」はこんな事を言い出すと思います。
「警告!!。ジャンケンデ決メルベシ。」
「警告!!。タマニハ教室ノ席順ノ自由選択権ナドノ特権ヲアゲルベシ。」
こうすればタマちゃんにとって、公平か、あるいは不満と満足をあわせて差し引きがゼロとなるでしょう。

さて、これらのことは単に目に見える損得だけではなく、一人ひとりの考え方についてもいえます。
例えば静香が、「最近、捨て犬や捨て猫が多くて可哀想。みんなの家に引き取って育てましょうよ。」と言って、それを聞いたジャイアンやスネオが、「そんなの無理!」と答えたとき、「憲法」はどんな事を言い出すでしょうか?

正解は、何も言いません。
なぜなら、確かに動物を大切にするということは正しい事なのですが、ものには限度というものがあるからです。静香の意見は正しい事は正しいのですが、ジャイアンやスネオの立場をぜんぜん考えていません。人によって「正しい」ことに対する考え方が違うのです。ただ、この場合の静香はジャイアン主義で自分の考えをジャイアンやスネオに押し付けなかったので、「憲法」は静香に対しても何も言わなかったのです。

同じように、私たちの住むこの日本という国には、日本国憲法があり、平和であるように努めましょうとすることが憲法に書かれています。これを平和主義といいます。
しかし平和主義だったら何でもよいかといえば、それもまた限度があります。
もし、タマちゃんが平和の為に何か新しい考えを思いついたとしても、自分とは考え方や立場の違う人がいることをつねに考えて、その人たちが納得するような話し方を、自分自身で考えなければなりません。
この場合、決まって帰ってくる反応は、「タマちゃんの考えたとおりにして、私の自然権はたいじょうぶなの?」でしょう。
それに対して、「日本国憲法に平和主義が書いているから、当然○○○です。」といっても、「憲法」は何も応えてくれないのです。

辞書を読むと、憲法は国の政治や法律の在り方や、国の方針について定めているとかかれています。
でも、もっとつきつめて考えてみると、「憲法」とは、一つの国の中で色々な考え方をする人がいて、色々な問題が起きたりするのですが、「憲法」はそのような国の中にあるたくさんの問題を調節して、ジャイアン主義によってある人の「自然権」だけが認められなくてとても不幸になったり、逆に問題がこじれて大騒ぎにならないように、上手に問題を解決するための手段なのだと考えれば、とてもわかりやすいと思います。

そして、立憲主義とは、そのような憲法を大切にする考え方なのです。

追伸
保護者各位。
参考資料をご紹介します。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/ref/a_theory_of_justice-quote.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E7%BE%A9%E8%AB%96
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/doyou/CK2007032402003183.html


KYさんへ。
 いや、KYさんの説明で合ってるというか、違和感ありませんでした。KYさんが言っていることと同じことを言いたいと思ってください。

 憲法
→人権を守るためのきまり

人権
→全ての人間にある権利。

立憲主義
→憲法を守ることを最優先すること。
 →つまり人権を最優先で守ること

以上を説明すると、人権を守るための決まりというのが、三権分立と国民主権。

 そして、人権はずべての人間の自由と権利。

 ゆえに、すべての人間の自由と権利を実現する手段として国民主権と三権分立がある。

 よって、人間の自由と権利を侵害する国民主権、三権は憲法ではない。

 国民主権、三権分立という憲法を守る決まり、仕組み、手続きが完全であっても、人間の自由を権利を侵害するならば、その決定は人権侵害であり、憲法違反となる。

 だから、たまちゃんの場合で言えば、まず、手続き面が憲法違反でないか、を検討し、次に、たまちゃんばかりがトイレ掃除をすることが人間の自由か否か、この2点を検討することになるでしょう。

 追記:法学と哲学は法哲学というものが基礎法学として存在していますが、KYさんの言わんとしていることは、わかります。哲学は自主性。法学は強制性ということでしょうか?


自分以外のクラスメートが
戦争すると叫んでも、私は平和を求める。


学級会
トオルくん「やっぱりタマちゃんは悪いことしたんだから、掃除しなくちゃいけないと思います」
かずみちゃん「でも、タマちゃん一人で掃除するのはかわいそうじゃない」
トオルくん「悪いことは悪いんだから、仕方ないだろ」
シンゾーくん「それにさ、多数決で決まったじゃん。それが民主主義だよ」
かずみちゃん「タマちゃんも反省してるんだから、いいじゃない。タマちゃんも悪いかもしれないけど、でもずぅ~っと掃除しなければならないのはひどいと思います。みんな賛成してるのはラクしたいからだけだとでしょ。掃除当番はみんな順番にしようよ」
トオルくん「僕にはタマちゃんが反省してるとは思えません」
シンタローくん「どうせ女なんだし、掃除してればいじゃん」
ヨウコちゃん「それって、どういう意味。女は掃除しろっていう意味?先生っ!シンタロー君が差別してます」
シンタローくん「うるせっ!ぐちぐち言ってたらお前も掃除さすぞ、コラァッ!!」
ヨウコちゃん「先生、コワイです」
かずみちゃん「タマちゃんだけのせいじゃない。みんな知らんぷりしてたじゃない。それに、掃除当番とタマちゃんが悪いことしたのは関係ないと思います。こんなことで多数決はおかしいよ。ヤスオくんどう思う?」
ヤスオくん「僕はみんながいいと思うから。それでいいです」

~~~~~~~~~~~~~~~
すみません。締められません。


同感です
一見タマちゃんがクラス一致で苛められてるように見えますが
何か悪い事をして、その罰として掃除を命じられてるのかもしれません。
先生がそれを止めてない以上なにかよほどの理由があったに違いありません。

そこの所を理解せず表面だけで口出しするというのはそれこそ人権というか主権侵害ですね。


これはいじめですか。
論題は『立憲主義とは何か、口語的に説明せよ。その際、学問的専門用語等は極力使用しないものとする』ですか。
2500年に及ぶ人類の政治的思索の到達点を、『簡単に説明して』などと……。ふざけるにもほどがあるとか、無理に決まってんだろバカヤロウとか、品のない罵声を撒き散らしたい。
でも知りたいなら話してやるぜ。
立憲主義って近代立憲主義のことでいいんだよな? 外見的立憲主義のことだよーとか言わないよな?

近代立憲主義とは、統治者の正当性を被統治者の承認に求める政治思想である。
私の経験的知見より導かれる定義は、以上である。

簡単に言えば、『あんたらは私らを統治しても言いよ』って、統治される側の人間、つまり一般の民衆が認めることで、統治者(これは王家だったり政府だったり武装集団だったりいろいろだろうけど)が、その領域を統治することができるようになる政治的な考え方のこと。
この考え方に従って作られた統治者への『承認状』とでも言うべきものが,憲法。
近代民主主義がその要件の一つとしている『基本的人権の尊重』ってのは、その過程で生じた一種の基準であって、近代立憲主義は別にこれを目的にしてるわけじゃない。
ちなみに、この『統治権の正当性の承認』ってのは統治権力が存在する前提になるものだから、非統治者全員一致での承認賛成が必要なわけ。誰かが反対すれば、少なくともその反対した人に対する統治は不当だってことになるのさ。

多数決による決定は絶対とし、たとえ少数派に対して公平を欠く決定が為されたとしても、その決定の全てを甘受する。これは多数派に全面的な統治権を認めるルールだけど、これを仮に多数決ルールとでも呼ぼうか。
そんなルールがあって、しかもそれを決めるときにタマちゃんが賛成側であったら、タマちゃんはトイレ掃除をしなきゃいけない。なぜなら、『タマちゃんは自分を統治するそのルールを承認したから』だ。
でも、そんな決まりはなくて、あるいはその決まりを作るときも多数決で決めたのなら、タマちゃんはトイレ掃除なんかしなくていい。
多数決ルールがなければその決定に正当性はないし、多数決ルール決めるときに多数決をしたのなら、その成立手続きに正当性がない=ルールにも正当性がないからだ。

自己決定権から、というよりも、他者決定権の不存在から導かれる論理、かな。
誰も、他人を殺す権利なんか持ってない。誰もだ。例外はない。
ものすごく短くなっちゃって、なんか正確性って点で心許ないんだけど、勘弁してくださいな。


東西南北 様
>憲法という理想

憲法が『理想』なのではなくて、『理想』を実現するために憲法があるのではないでしょうか?

>人間の自由を実現する手段が民主主義運動

民主主義というのは『一番多い人が賛成することがとりあえず正しいとする制度』のことで、人間の自由やら人権の擁護やらは制度とは別に追求すべきだと思うのですが。

>結局、立憲主義で問われているのは人間の自由とは何か?ということ。

自由とは『束縛のないこと』であって善であることや正義であることではありません。
憲法とは逆に『正義』を決定するもので、人間(多くの場合、権力者)の自由を束縛することで最大多数の最大幸福を目指す、結果として多くの人間が自由でいられる均衡点を見出すというものではないかと思うのですが。


>人間として~というのはどういうことか?

それは法学ではなくて哲学なのでは?
人間としてそれがどうなのかを決めるのは他人の権利を侵害しない限り個人の自由だと思うのですが??


うーん
憲法
→人権を守るためのきまり

人権
→全ての人間にある権利。

立憲主義
→憲法を守ることを最優先すること。
 →つまり人権を最優先で守ること

・・・多分これでいいはず。

『人権』というのはそもそもみんなが社会で生きていくときに尊重しあうことで仲良くやっていけるなー、と今までの人たちが長い歴史の中で学習してきた個人の権利なので、本来、憲法に明記されていないことでも『人権』にかかわることは尊重されることになっています。

でも明記されていたほうが便利なので、『憲法』というものが作られて、これをみんなで守ることになったのです。これが立憲主義というものです。

人権は個人の権利なので、社会全体の利益と対立するときがあります。
クラスのみんなは掃除しなくて楽だけど、玉ちゃんはずっとお掃除しなくてはいけない、これは人権の侵害です。

このような場合、立憲主義に立てば
『人権が最優先』
なのですから、個人個人の不利益を最小化する方向で、つまりみんなで掃除をすることになるのです。

・・・・こんなものでどうでしょう?


タマちゃんが、一人で掃除をする理由がわかりません。
そもそも、タマちゃんが何故一人で掃除をし、何故大多数がそれに賛同しているかが解らなければ、部外者には賛意も反意も示せないのですけどね。


憲法と民主主義運動。
 憲法という理想を実現する権力の確立を目指して民主主義運動がある。これが立憲民主主義。

 人間の自由を実現する手段が民主主義運動。だから、人間の自由を侵害する民主主義運動は憲法違反となる。

 結局、立憲主義で問われているのは人間の自由とは何か?ということ。

 人間として生きるとはどういうことか?
 人間として働くというのはどういうことか?
 人間として言論するというのはどういうことか?
 人間として労働運動するというのはどういうことか?
 人間として企業を経営するとはどういうことか?
 人間として市民運動するとはどういうことか?
 人間として政治運動するというのはどういうことか?
 人間として政治権力を握るというにはどういうことか?
 人間として家庭を持つというのはどういうことか?

 

 


タマちゃん、可愛いですね!
昔フランス人形だったコギトは、これから山奥に竹の子堀りに行ってきます。2日ほど音信不通になります。

憲法談義?よく分からないけど、遅れて参戦します。



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 08年4月17日 木曜日  年金から保険料を天引き  後期高齢者と重度身障者の年金から保険料を天引きする。       先日も書いたが、家内も重度身体障害者だが、銀行口座の手続きの用紙を入れてあったが未だに詳細な保険料や説明はきていない。       と
[http://www.asahi.com/national/update/0417/NGY200804170005.html 「空自イラク派遣は憲法9条に違反」 名古屋高裁判断] {{{ 自衛隊イラク派遣の差し止めや派遣の違憲確認などを求めて全国の市民3千人以上が提訴した集団訴訟の控訴審判決が17日に名古屋高裁であっ...
以前このブログの読者の方から、 「どんどん政治のインチキを暴いて下さい」 との応援メッセージを賜ったことがあります。 最近確かに「政治のインチキ」 という言葉から連想される騒動に事欠きませんが、 その中でも特に私が引っかかってしまう茶番が 「ガソリ...
日本の知事さん、市長さんもこれぐらいのことは出来ると思います。 ダライ・ラマを名誉市民に=パリ市長、議会に提案へ(時事通信) - goo ニュース 2008年4月17日(木)08:30
 憲法9条違反の違憲判決が出ました(名古屋高裁)  裁判所は,  「イラク特措法が合憲であったとしても、活動地域を非戦闘地域に限定...
 特に 山口県内の人 に読んで欲しい.衆議院補選山口2区の自民党新人に「山本繁太郎」という人物が立候補した.さて,この人物の名前,どっかで見たことがないだろうか.とりあえず,朝日新聞の記事の引用から行ってみよう.自民・民主の一騎打ちに 衆院山口2区補選(...
南極海で調査捕鯨を行っていた日新丸が帰港した15日をはさみ、調査捕鯨に対する妨害行為について、私の知る限りで3種類のニュースがNHKで流さ...
2008/04/17 ■世界の食料危機 日本がすべきことは多い (16日赤旗) http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-16/2008041602_01_0.html  前回の記事でも、少し...
 Like a rolling bean (new) 出来事録さん経由で知りました。 関連投稿「自Endと同時併行、民主党にも「喝~~~ッ」と気合いを入れるTBP「民主党政治」をスタートさせました。」 TBP民主党政治「電子投票法合意、民主の担当筆頭理事・福山哲郎参院議員事務所に電...
過去の時代はともかく、今を生きる自分は、人が差別されず、虐待されず、自由に、豊かに、人類が平和に、暮してゆく世の中を、見ていたい。誰もがそう思うはずだ。だが現実には、どれだけチベットで人が虐待されても、朝日新聞もNHKもフジテレビも、それを遠巻きにしか伝
あちらのお方、私からのトラックバックを受け付けてくれなくなるそうです。 なんでも私が「民主主義の原理を理解しないおかしなブログ記事をたくさん書く怪しい人」で「ブログ周辺でうろうろすることはこのブログの管理人である私(村野瀬さん)の『生活の平穏を乱す』」...
沖縄県北谷町で'''在沖米海兵隊員の息子2人'''が「万引き(窃盗)」で'''店の従業員に身柄を拘束'''されていたところ、沖縄県警署員より先に来た米憲兵隊が少年らの身柄を拘束、捜査要請にも応じず基地内に...
子猫の動画ってとにかくかわゆくていいもんですねぇ。 ワタクシのようなオサーンでも、思わず顔がほころんでしまいます。 そんな動画をご覧...
08年4月16日 土曜日  造幣局の通り抜け  今朝、大阪造幣局の通り抜けに行きましたが、雨に降られたのと大勢の人手でほとんど写真は映せませんでした。  しかし、造幣局の桜の品種の多いことは驚きです。     集合写真その1 {/arrow_r/}(こちらをクリック)  
 私もかつての被害者だったのだけど,中傷被害を訴えていた某ブロガーの個人情報(住所)を,何とニフティが中傷行為を行っていた悪質行為者 (自称大学教授) 本人に漏らしてしまった事件が起こったそうな(笑) これはもうプロバイダとしてのニフティが責任放棄をした,重大...
2008年 04月 9日 19:47 JST [ニューデリー 9日 ロイター] 国連食糧農業機関(FAO)のディウフ事務局長は9日、食料供給の不足は当面続く見込みで、価格も高止まりするとの認識を示した。  事務局長は当地で記者団に対し「食料価格が急速に上昇し、世界中で非常
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お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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