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過去の死刑廃止エントリーを振り返りつつ・・

死刑廃止論を語ると言うことはこれまで書いてきたことをまた一からなぞらねばならない・・・そういう事なのですね・・これを定期的にやっている村野瀬玲奈さんや今はもういない水葉さんは良くやっていたよなあ・・と改めて尊敬してしまう・・・

お玉も書く限りはそうありたい。極悪戦争犯罪者までをも許容した死刑廃止か?と聞かれれば、やはり「はい、そうです」と答えるしかないのです。もとよりそんな例外よりも、自分の大切な誰かを殺されたとして、「それでもか?」と問われる方がお玉は「つらい」よ・・・・もっと言えば、自分が殺されかけたとしてもそのように言えるのだろうか?その犯罪者が軽い刑でもし開放されても、それでも「死刑廃止」と言えるのだろうか・・・死刑廃止のお話は感情で語ることは出来ないのです。前にも書いたけど、被害者やその家族が今ある制度のなかで死刑を望むのは「当然」です。彼らのつらさを思えば、「当然なのです」

でもね、今ここで議論している、被害者や遺族ではないわたしたちは?

お玉はなんの力もないけれど、出来るならば二度とこんな事件が起らない社会にしたい・・と思うこと、そして「国家」が人を殺すという事の誤り・・冤罪のこと・・・人権のこと・・なぜ国際社会が死刑制度の廃止に向けて尽力しているのかを考えること・・これらが大事だと思うんだよね。

前にも書いたよね。

お玉は自分自身が絶対に「罪」を犯さないという自信がない・・・・加害者にならないと言い切れない・・人は極限状態になれば残虐な事を平気でしてしまう・・・・民族紛争や過去の戦争を振り返れば、たやすく想像出来る・・

人を数人殺すのは残虐でも、数百人単位で殺すのならば、それは「英雄」なんだろうか?

ちがう・・・・絶対にそれは違う・・

加害者になるかも知れないと感じる時 お玉ブログ2007.9.26 

戦場で相手の国のテロリストを殺す。どうしようもなく残虐な方法で・・ヒョッとしたら無関係かも知れない人を、確証もなく殺す。側にいた子供も殺す。女性も殺す。イラクでアメリカ兵が(もちろんすべてではないでしょう)行なっている戦闘にはこのようなものも含まれています。

本国に帰れば、気の良い陽気なアメリカ人に戻る人が殆どかも知れない。この人が他国で無関係かも知れない人間を殺せたなんて、誰もきっと思えない。

もっと書こうか?

お玉は絶対に殺人者になる事はないのだろうか・・・そんな事はないとお玉自身は即答出来る。自分の大事なものを守るために究極に追い込まれれば、人を殺めてしまうかも知れない。それは今世界中でおこっている紛争地域での様子や過去の戦争を思い浮かべれば、想像出来てしまう。

もしもここで人を殺さなければ自分自身が殺される・・という状況に追い込まれたとき、お玉は果たして、それでも理想高く、自分が殺される事を望めるだろうか・・・お玉には無理かも知れない。

もっともっと書いてみようか?

洞窟に閉じこめられていて、食料がなくなって空腹に堪えきれず、隣には死んだ友人が横たわっている・・この時、お玉はその人を生きる糧にしてしまうかもしれない・・・・

鶴見俊輔さんは、戦時中上官に友人か自分のどちらかに明日人を処刑する命令が下ると聞かされ、結局そのときは自分は免れたが、その後あのとき、自分に命が下っていたらどうしたのだろうか・・と自問自答し続けていた・・・という話を良く講演会でされてます。

戦場で人を残虐に殺す事は一種精神がやんだ状態、麻痺した状態に陥っているのだと思う。

お玉はどうしても性善説なので・・根っからの悪人はいないと信じているので・・・・だからこそ逆におもう。

私は本当にどんな状況でも狂わず、人も殺さず一生を終える事ができるのだろうか。

自分が被害者になる想像ではなく、自分が加害者になるかも知れない事を想像しているお玉は極悪で、冷血だからでしょうか?

 

以下、この続きを書いたエントリー

残虐な加害者になるかもしれない  お玉ブログ 2007.9.27

加害者にも被害者にもならないために・・  お玉ブログ 2007.9.28

 

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(非公開コメント受付中)

Looperさん
Looperさん

 相関関係はないです。Looperさんの理屈を、どうのこうの言うために出したのではありません。議論するつもりはないと書きました。

 自分が言いたいことは、「性格と犯罪と治療を結びつける発想」は、非常に危険だと伝えたいのです。
 取り返しのつかない事になる。

 それを、性格の悪いヤツの単なる揚げ足取りと思われても構いません。


くろねこさん
>>ちなみに、生まれつきの性格というのも原因の一つです。
>「生まれつきの性格」と「犯罪」との相関関係をを示したデータを元に言っているのですか?

それこそ揚げ足取りだと言ってます。私の主張とあなたのご指摘と、どういう「相関関係」がありますか?


よりよい社会を目指すという点 
どんなによい社会でも身勝手な残虐行為は無くならない点
犯罪者が1番悪い点

で一致しているなら、より良い社会を目指しながら、利己的凶悪殺人犯を死刑にするという刑事政策が明らかに誤っているとは言い切れないのでは?

むしろ完全社会が不可能なら、完全社会を指向するだけでは不十分ではないですか?


Looperさん
おはようございます。
 Looperさんが、自分のような無知な田舎人間と話しても何も得るものはないですよね。

 自分は議論するつもりはありません。ただ「賢い人」や「人権」と言う人が、あまりにも「危険な事」を平気で言う事が怖かっただけの事です。


>ちなみに、生まれつきの性格というのも原因の一つです。

 「生まれつきの性格」と「犯罪」との相関関係をを示したデータを元に言っているのですか?
 この発想が暴走すれば、取り返しのつかない本当に恐ろしい事になる。


意図をねじ曲げられてばかりでは疲れる
どうにも、意図が伝わらないのはもどかしい限りですね。もちろん、私の書き方の問題もあるのでしょうが、わざと誤読しているのか?と疑いたくなるのもあります。

>よく言いますよね、犯罪に走ったのは社会にも責任があるのだ、と。
>なら一億総犯罪者ですか?

これは話にならない。

>社会の不完全性に、犯罪などの社会問題の責任を置くという視点は、確かにアプローチのひとつとして有効であると思いますが

これとか、
(完全な社会など想定していませんし、そんなもの目指していない。社会は不完全なものだからこそ、面倒をみる責任があるのでは?と主張している。)

>そもそも「人間の性格」に良い悪いはあるのでしょうか?

これも、ヒドイねじ曲げです。
ホントに悲しくさえなります。

殺人者も、まぎれもなく自分たちの中から生まれた人なのだから、社会のエラーとして抹消するやり方ではなく、自分たちの一員として受け止めて、たとえ更正に失敗し一生刑務所の中だったとしても、その人の人生に最後まで責任を負うべきだという主張が、どうしてそうなっちゃうのでしょう?

ための議論は止めましょうよ。
私は、私の考えを正直に述べ、誠実に議論に参加しているつもりです。にもかかわらず、揚げ足取りや、意図をねじ曲げをされるのは、実に虚しいし、悲しい。意図を正面から受け止めて、堂々と反論していただきたく思います。

ちなみに、「社会の責任論」は、私が死刑廃止を支持する3番目ぐらいの理由です。1番の理由は、冤罪の場合に死刑執行されてからでは取り返しが付かないという点です。


Looperさん
Looperさん、はじめまして。
くろねこと申します。

まずご質問の方から…
 Looperさんの想定どうりの答えではないかと思います。

>犯罪者が理由も原因も語らず分からないままで、かつ謝罪も一切ないままの死刑執行に、あなたは「納得」できますか?

 この段階では納得します。事実である以上、謝罪しなければなおさら死刑執行を望みます。

>また、その人が冤罪だったと後から分かったとして、その時点で明らかに犯人と思われたし、そう本人が自白したのだから仕方がないと「納得」できますか?

 冤罪やあいまいな状態ならば死刑はおかしいと思います。納得しないでしょう。
 あくまでも、死刑執行を望むのは、事実として凶悪犯罪を行った場合の話です。

 まず質問の答えでした。突っ込みどころは満載だとは思います。


>ちなみに、生まれつきの性格というのも原因の一つです。例えば、脳の先天性の異常が原因で凶暴な性格になっていたと後から分った事例も実際あります。もしそれが分っていたら、治療が可能だったかもしれない。それに気付いてあげられなかったのも、社会の責任ではないかと思っています。


 そもそも「人間の性格」に良い悪いはあるのでしょうか?

 これでは、犯罪を行っていなくても、個人の「性格」が危険だから、犯罪予防のために「治療」が必要との理屈で、拘束が可能になりますね。

 精神科医と行政と法律関係者がグル組めば…
 自分達に都合の悪い人間は、何もしていなくても「凶悪犯罪を犯す可能性がある性格」だからと、「性格を正しく直す為」に「治療が必要」だと施設に隔離して入れることが可能になりますよね。
 恐ろしい社会になりますよ。

 人を裁く時は「起こった事実」で判断するしかないと自分は思います。


47.8%
47.8%。
これが何の数字かというと、警察庁による統計の結果で、昨年1年間に発生した「殺人及び殺人未遂事件」のうちで親族間で起きたものの割合です。
栃木に至っては73%に上ります。
専門家によれば、長期間に恨みが蓄積されて犯行に到るケースが多いとのこと。
殺人のような重大犯罪を引き起こす要因として、特に死刑廃止論者(まあ私も条件付きの死刑廃止論者ですが)からは「社会の責任」が問われることが多いのだけれど、実はこの場合の社会→家族(親族)である可能性が相当に高い。
家庭という社会環境、血縁という人間関係の濃密さに由来する憎悪が多くの殺人者を育てている可能性。

秋葉原大量殺人事件の加藤智大容疑者が一番に殺したいのは母親、二番目が父親と発言していましたね。
肉親に報復するための最も効果的な方法として、彼らを直接殺さず生き地獄に落とすという手段に訴えた節がある。
他エントリで書いた内容とも重なりますが、まさしく「死よりも残酷な生」ですね。
重犯罪を取り巻く社会環境の改善とは、即ち「家族」に第三者(公的機関?国家?)が介入するということになってしまうのかも知れませんよ。
親族間での殺し合いが未遂を含め全体の約半分を占めるということは、単純に第三者がイメージする被害者感情・応報観念で量刑を語ることは難しいということでもあります。


Looperさんへ
横から失敬ですが、私もLooperさん二動揺の批判を受けましたので…。

>ただ、社会にも、その犯罪を止められなかった、その人が犯罪者になることを止められなかった、という責任があるという視点があるかどうか?の違いです。
>でも、減らすことは可能では?少なくとも、その努力を追求すべきでは?って事です。

社会の不完全性に、犯罪などの社会問題の責任を置くという視点は、確かにアプローチのひとつとして有効であると思いますが、しかし方向性がまかり間違ってしまえば、「街中に監視カメラだらけ」とか、ちょっとスレ違いかもしれませんが、「戦争を防ぐために抑止力(=自衛隊の軍備増強)」といった方向に突き進んでしまうかもしれません。

「そんな方向は違う!」というようにLooperさんは主張されるかもしれませんが、「監視カメラ」も「自衛隊軍拡」も、より完全な社会にするための手段であるとお上や保守派の市民が主張したとき、いったいどうやってそれを「間違っている」と否定することができるのでしょうか?

社会に責任を課すということは、社会に対して「実行する権限」を与えることと同義です。

そういうことで、社会に権限を与えないために、いわゆる「リベラル派」は個人の犯罪をなるべく軽減させるような発言を繰り返してきたのですが、最近の衝撃的な凶悪犯罪の増加により、リベラル派と一般市民との認識のズレがだんだんと広がってきました。

さて、そのような折、どうすれば…。

方法のひとつとしては「死刑制度を維持するが、死刑判決の数を減らしていく」というやり方です。
韓国では、死刑制度はあっても死刑判決が最近では皆無なのだそうです。
さすがに先日の秋葉原殺傷事件では死刑判決は免れないのでしょうが、1,2人の殺人では死刑判決にできないようにする、それを実現するための論理や国民のコンセンサスを成立させる。

十把一絡げに死刑を適応させないのではなく、適応基準を厳しくさせるムードを演出していく方向が、国民にとっても一番ストレス無く、死刑制度を抑制できるのではないのでしょうか?

そして犯罪被害者に対しては、死刑廃止論者がもっとも切実に考え実践して向き合い、被害者の心の回復に貢献すべきだとおもいます。

因みに、犯罪加害者、犯罪被害者との関係性が全く好転することなく、双方(被害者と弁護士団)の「正義」がぶつかり合った挙句、死刑廃止論者にとって最悪の結果を招いたものが、さきの山口県光市母子殺害事件での死刑判決だと思います。


looperさん
よく言いますよね、犯罪に走ったのは社会にも責任があるのだ、と。
なら一億総犯罪者ですか?
結局「罪を犯すことを選んだ」のはその人自身だと思うのですが。
以前米兵にレイプされた女子高生については「原因を作った少女に責任は無い」で
それ以外では「原因を作った社会に責任がある」
そりゃ通らんぞ、と思うのですが


冤罪について
死刑廃止論の方の持説のひとつに「冤罪だったらどうするのか」
というのがありますよね
逆の場合はどうなのですか?
名前忘れましたが以前幾人もの人を殺した、という裁判で死刑廃止論者の方や「人権派」の
方の活動により無罪となりました。
数年後また殺人の罪に問われたその人物は無罪になった前の事件も実は自分がやったの
だと自白しています。
しかし法律上彼は以前の事件について裁かれる事は決してありません。
他にも殺人罪で投獄されて、出所後再び罪を犯した人は少なくありません。
その話聞く度色々考えてしまうのですが。
「死刑」にしなくとも後援者たちが「犯罪者の人権」を擁護しようとしなければ後の事件の
被害者達は「被害者」になる事無かったのではなかろうか、と。
ただ私は、どんな理由があろうが被害者の人権と生命は
犯人の人権よりは思い、と思います。
というか、はっきり言って相応の罪を犯すという事は
社会が追い込もうが何だろうが自ら自分の人権を破棄したに等しいと思っています


とみーさん
>個人的な感想ですが、どんなに腐った社会でも不必要に人を殺す人間になるかどうかはその人の意思いかんに最後は委ねられるのではないでしょうか

同じ事を言っていますよ。犯人が一番悪いんだとね。ただ、社会にも、その犯罪を止められなかった、その人が犯罪者になることを止められなかった、という責任があるという視点があるかどうか?の違いです。

>人殺しは多分なくならないでしょう

私もそう思いますよ。
でも、減らすことは可能では?少なくとも、その努力を追求すべきでは?って事です。


くろねこさん
>死刑廃止を言うからには、自分の大切な人が凶悪事件で殺された。
>加害者に死刑を望まない事は出来ますか?終身刑で納得できますか?

終身刑かどうかはともかく、死刑は絶対に望みませんよ。ちなみに私は無神論者ですから、宗教的な理由からではありません。

では、こちらからも質問です。
犯罪者が理由も原因も語らず分からないままで、かつ謝罪も一切ないままの死刑執行に、あなたは「納得」できますか?

ちなみに、私なら無理です。

また、その人が冤罪だったと後から分かったとして、その時点で明らかに犯人と思われたし、そう本人が自白したのだから仕方がないと「納得」できますか?

これまた、私なら無理です。


初めてコメントさせて頂きます。
ここは右派・左派(単純に2極化出来ないと個人的には思っていますけどね)に関わらず活発な議論がされていて、色々刺激になります。

よく死刑廃止論において聞くのが、『自分・もしくは家族が加害者になった場合、死刑という判決に納得できるのか?』という意見ですが、殺害の理由が自分の身を守る為にやむなくとかなら別ですが、お金欲しさに殺したとか生活に疲れて誰でもいいから殺したかったとかという理由ならば、例え加害者が兄弟でも死刑を受け入れるつもりはあります。
もちろん、ニュースで騒がれている犯人とは違い赤の他人ではないのですから心の葛藤はあると思いますが・・・。
そして自分自身が加害者になった場合ですがその状況に陥った場合、冷静な判断がつけられないと想像します。
よって司法の判断こそが正しいとしか言いようがありません。

個人的には死刑制度は消極的支持(微妙な表現で申し訳ないです・・・)なのですが、この国は民主主義国家であり、日本国の国民の多くが死刑制度を支持し続ける以上、それは維持されるべきだと思っています。


東西さん
 東西さんは、その場しのぎの「カラ騒ぎ」が大好きですね。

自分にも身勝手な部分はありますが… 護憲左翼連中や東西さんほど、ひどくはありませんよ。

自分達に都合よく憲法解釈をして、「ワガママやりたい放題」の人たちが言っても説得力なし。

 自分は死刑制度がない状態で、死刑制度を作れと言っていない。
  
 死刑廃止派が「世論や社会」を納得させなければ何も進みませんよ。自分達が正しい事をしている、理解しない社会や国民が悪いの意識では相手にされないはず。 

 現状を変えたければ、どうすべきか?どう説得するか?
という視点があるのでしょうか?

 現在の人権派や護憲左翼の態度では、多くの人の支持など得られるはずはないでしょう。仲間内で盛り上がっておしまい。



社会の責任をどうとらえるかでしょうね

個人的な感想ですが、どんなに腐った社会でも不必要に人を殺す人間になるかどうかはその人の意思いかんに最後は委ねられるのではないでしょうか

そもそも完全無欠な社会は人間の不完全性故つくりだせないでしょうし

人殺しは多分なくならないでしょう

なんか論点がずれてるかもしれませんが、俺はお腹が空いて死にそうな人がパンを盗むのは社会の責任だと思いますが、
生き死にとは掛け離れた理由で人殺しするやつまで社会にその更正の責任を負わせるのは疑問です

むしろ、国民主権原理の下で、より良い社会を目指しながら、他方、国民自身が死刑により犯罪者の未来をたつという責任を負担する方が妥当ではないかと思います


死刑を廃止したいなら
日本で実際に廃止したいなら合法闘争を行う事です。

まず、日本でとりあえず死刑執行を停止する方法は、最高裁で「日本での死刑執行は違憲」という判決を出させる事。これが合法的かつ最短に一時停止する方法。(今の所「死刑は合憲」と言う判決しか無いようです。)
この法廷闘争そのものも、「内容によっては」死刑への疑義として心情的な執行の躊躇の支援にもなります。
(ただし、遵法を旨として死刑手続を進められると止められません。)

次に実質的に死刑を廃止する方法は、新しい刑法体系を作って施行または改正する事。

労働運動や各種市民運動もそうなのですけど、実際に力を持ち、効果があり、支持を得られるのは合法闘争だと言うのを、私は労働運動を手伝って実感しました。

先人達の話を聞くと、街宣車を出して他所の会社の前で罵倒のようなアジ演説をする事もあったそうですが、必ず合法的手続きを踏み、裏づけを取った根拠を元に行ったそうです。
ストライキ一つをとっても、色々と順法手続きを取って実施します。

市民デモも警察の許可なので「警察管轄外で行政の管轄である歩道に侵入しない」などの小さな順法にも執行部は注意して統制します。

根拠のある合法行動で無いと後ろの人達は支持してくれないのです。

だから本当に死刑の廃止を真剣に実現したいなら、法案を作ったり、死刑が違憲とできる裁判の方法を考えたり、またはその手伝いをしたり、そういう事をするのが必須でしょう。


フセインの処刑を思い出した。
死刑には、権力側の証拠隠滅って言う側面もあるのではないだろうかと思った。
フセイン元イラク大統領はアメリカの利益のために育てられた独裁者ではなかったのか?
そういうことは何も裁判で語られなかったのではないか?
死刑にはそういう側面もあるのではと思った処刑でした。


くろねこさんへ。
 死刑問題を発言し、自らの態度を明瞭にする時には、くろねこさんのいう被害者の立場にだけたって思考することは完全に不公平な態度です。何故、被害者に立場にだけしか立たないのですか?くろねこさんが、加害者になる場合もあるでしょう?さらに、くろねこさんの大切な人が被害者になる場合があるのであれば、くろねこさんの大切な人が加害者になることもある。くろねこさんは死刑執行停止にも連帯できずに、死刑執行賛成のようですが、くろねこさんは自分の大切な人が加害者、凶悪犯罪者になった時にも「死刑になれ。被害者遺族に詫びるにはそれしかない」と言い放つのですか?それとも自分の大切な人が加害者になった時には「死刑反対」を主張し、被害者になった時にだけ「死刑賛成」なのですか?そうだとすれば、これほどの身勝手なへりくつ・都合の良い正義を社会に押し付けはない。犯罪被害者の声を聞けというのであれば、同様に、犯罪加害者の声も聞く必要がある。くろねこさんの大切な人は必ず被害者なんですか?加害者の場合もあるでしょう?これが「第三者」の立場で公平に死刑問題を判断するということであり、裁判なのです。


単純に考えて
この前の宮崎被告や麻原みたいに、厚生する可能性もゼロ(なんせいまだに反省も謝罪もなし)の悪質な犯罪は死刑しかないでしょう

死刑廃止論者に聞きたいのは、死刑廃止の前に『死刑になるような犯罪を犯さない社会をどうやって作り上げるか』の方法が一切ないし、あっても現実不可能な事ばかり


死刑になるような犯罪を犯さない社会を実現させれば死刑などなくなるのは必然でしょう

そんな意見が聞いてみたいんですがね…


とみーさん、
まず、社会の責任論は、もちろん死刑だけに限りませんし、死刑廃止論の中心問題でもありませんので、その辺は誤解のないようにお願いします。

>また社会に一定の責任が生じるとして、なぜ死刑制度のみ責任放棄なのか

死刑は懲役刑とは全く異質ですよ。
なぜなら、犯罪者の命を絶つということは、明らかに社会からその存在を抹消すると言うことです。でも、社会の責任をきちんと果たすには、その犯罪者の存在ごと引き受けて更正させ、その犯罪の教訓・原因を引き出し、その後の犯罪の根を絶つ、という努力が必要ではないか?と思うのですよ。

>社会が責任を負うのは、殺人者ではなく被害者やひいては未来の社会に対してではないでしょうか?

私は、殺人者についても負うべきだと思います。その人を殺人者にした何らかの原因が必ずあるはずですから、その原因を探ること、と同時に、同じ人間として生まれたその人の更正をはかる努力を止めてはいけないと考えるからです。例え、結局上手くいかなかったとしても、それも、一つの重要な失敗事例として、社会が学ぶべきことが必ずあるはずだと考えます。また、それしか尊い犠牲を生かせる道はないのではないか?という思いがあります。

ちなみに、生まれつきの性格というのも原因の一つです。例えば、脳の先天性の異常が原因で凶暴な性格になっていたと後から分った事例も実際あります。もしそれが分っていたら、治療が可能だったかもしれない。それに気付いてあげられなかったのも、社会の責任ではないかと思っています。


ご無沙汰しています。
お玉さんの記事に、私の名前があるのを見てびっくりしました。

もう死刑についての記事を書くことはないと思っていたのですが、宮崎勤の事件は、今の私の問題意識に通じる大きなものだったので、エントリーを上げました。

細々と再開しておりますので、ご連絡を兼ねましてコメントさせていただきます。


社会責任論には一定の説得力がありますが、やはりそれは多少の批判があります
まず、およそ現代の日本にあって殺人がとてもわるいことであるとの認識すらもてないのか
仮にその認識すらなく反対動機が形成不可能なら、責任避難はできませんが、一般人の大半がそーであるとは想えません。

専ら利己的な理由から一生懸命生きていた誰かを殺したなら、同様に命を絶たれる程度の個人的責任非難を課されるほどに法益を侵害しています

また社会に一定の責任が生じるとして、なぜ死刑制度のみ責任放棄なのか
社会が責任を負うのは、殺人者ではなく被害者やひいては未来の社会に対してではないでしょうか?

そうかんがえるならば、
死刑制度は必ずしも責任放棄ではありません

社会をよくする努力をしながら死刑制度を維持することも矛盾しないのでは?


原点に戻りましょう。
お玉さんこんばんは。

 死刑廃止を言うからには、自分の大切な人が凶悪事件で殺された。
 加害者に死刑を望まない事は出来ますか?終身刑で納得できますか?

 この意識があるかないか?死刑廃止を言うならば、終身刑でもよし。
単にそれだけです。

 理屈などは、後からどうにでもなります。

 自分の大切な人が殺されても、犯人は死刑にしなくても良い。終身刑でも良い。
 このような意識の人たちが過半数を超えた時が死刑廃止のタイミングだと思います。

 死刑廃止派の人たちは、自分達の高度な知性や科学的論理的へりくつ・都合の良い正義を社会に押し付けるのではなく、まず犯罪被害者の声に、丁寧に耳を傾ける事が一番必要ではないかと思います。



社会の責任
> 私は、特に護憲や平和を語る人びとが、犯罪被害者の立場と向き合わないで議論をすることは反対です。

過去ログには残っていると思いますが、
死刑が、格段に遅れている被害者救済の免罪符になっているという面もあるのではないか?犯罪を発生させた社会の責任をより自覚することこそ、犯罪被害者を責任をもって支える基盤となるのではないか?という視点での死刑廃止論でもあるのですが、なかなかご理解いただけていないようですね。

私は、EUなどで死刑廃止と被害者救済が進んでいる背景には、人権思想の定着と共に、社会の責任の視点も重要な基盤となっているのではと思います。

以下は、EUから日本へのメッセージです。なお、ここでは社会の責任については触れられていません。
http://www.deljpn.ec.europa.eu/union/showpage_jp_union.death_penalty.php

あー、またこういうこと書くと、「社会にだけ罪を着せるのは間違いだ」といった的外れな批判が来るのかな~?

一番悪いのは、当然犯罪者本人です。だから、刑罰を受けるのです。しかし、そいつを生んでしまった社会もまた、その事を真摯に受け止めて反省し、再発防止や被害者救済などの努力をする責任があるのでは?って事です。


お玉さまへ
>逆にあなたはこの本を読まれてますか?

読んでおりません m(- -)m 。
しかし、ご紹介にありました『犯罪被害者の声が聞こえますか』(東 大作 (2006/04/21)講談社)は、大変面白そうな本ですので、機会がありましたら、図書館などを散策して見つけ出して読みたいと思います。

犯罪被害者支援は大変重要な事ですね。

さて、蛇足ですが、犯罪被害者支援の方策の一つに、修復的司法というものがあります。
参考までにコピペとアドレスを記述いたします。

http://www.unafei.or.jp/activities/kensyu_123.htm

他方,被害者運動の高揚が見られ始めた時期と前後して,現行刑事司法制度の抱える種々の課題について新しい角度から対応すべく,被害者,犯罪者,地域社会が主体的に参加して,犯罪によって生じた損失・影響に対する解決策を考えようとの動きが始まりました。すなわち,修復的司法アプローチの登場です。修復的司法は,①犯罪に対する被害者中心の対応であって,②犯罪によって最も直接的に影響を受けた被害者,犯罪者,それらの者の家族,地域社会の代表が,③犯罪によって引き起こされた損失・影響への対応に,直接的に関与できる機会を提供するものです。それは,犯罪者が,被害者及び地域社会に対し,三者の対話プロセスを通じて,犯罪者の行為によって生じた侵害に対して直接責任を負い,かつそれを履行することによって,①被害者の感情的又は物質的な損失を,可能な範囲で回復し,②犯罪者に適性(competency)開発の機会を付与し,かつ,実りのある地域での生活に,再度受け入れられる機会を与え,③地域社会を(再)構築することにより社会の安全を強化することを目的としています。


十文字さん
>1.まず、購入でも図書館で借りてきてもよいのですので、森達也氏の『死刑』を入手してください。

読んでます・・・

最後に貼られているリンク先・・それも嫌だったけど、友人に教えてもらって、よんでます・・・・それみて、書いてるようなこのエントリーなものでね・・・・

逆にあなたはこの本を読まれてますか?http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-58.html


反対意見
>でもね、今ここで議論している、被害者や遺族ではないわたしたちは?

私は、特に護憲や平和を語る人びとが、犯罪被害者の立場と向き合わないで議論をすることは反対です。
というより、戦争による被害者に対しては、その立場に寄り添う事を厭わないのに、犯罪による被害者に対しては「第三者的」な態度を取ろうとする事はおかしいのではないのでしょうか?

「第三者的」態度で、死刑制度を考察する資格があるのは、基本的に現実主義者でなければ相応しくないと思います。

さて、死刑制度を問題とする本で、巷で高評価を受けている本に、森達也氏の『死刑』があります。

http://www.magazine9.jp/interv/mori/mori.php

わたしもこの『死刑』を読んで、森達也氏の評価を変えました。
(森氏の『日本国憲法』という著作に対するアマゾンのカスタマーレビューに星一つの評価にして、「このままではマイケル・ムーア監督に一生勝てない」と書きなぐった挙句、削除された位です)

森氏は、死刑廃止派だけではなく、きちんと死刑存続派(=犯罪被害者)にインタビューをしており、そのときのしんどい状況を克明に記述しております。

「もし犯人が死刑にならずに刑務所から出てくれば、私が自分の手で殺す」という発言をした、山口県光市母子殺害事件遺族の本村洋氏に対しても、直接対面に「気持ちが乗れない」と正直に告白しつつ、頑張ってメールで木村氏と意見交換をしております。

言うまでもなく森氏は死刑廃止派です。それゆえ価値観の違う人びとと対話をすることは大変苦しい、その苦しい中でどのような言葉を返せばよいのかを全力で考え、口にしております。
犯罪被害者、死刑存続派と向き合ったときの章は、この本の真骨頂だと思います。

実例を挙げましょう。
1.まず、購入でも図書館で借りてきてもよいのですので、森達也氏の『死刑』を入手してください。
2.次に。以下の高橋哲哉氏の発言をお読みください。
http://homepage2.nifty.com/shihai/report/041023takahashi/1.html
3.両者を読み比べてください。

さて、如何でしょうか?
一方は熱と血肉を持った人間の発言であり、もう一方は無機質でつるんとしたロボットが喋っている様な印象を私は受けましたが、皆様は如何でしょうか?

これは言い換えると、わかってくれない人を前にしたギリギリの環境にいた者と、わかってくれている人々に取り囲まれた快適な環境にいたものとの違いが如実に現れたのでしょう。

やはり苦しみの中からしか良いものは生まれず、苦しみに対する挑戦と奮闘をしていた森氏には、今回かなり見直してしまいました。


とはいえ、あまりにも犯罪被害者に寄り添ってしまうと、護憲論者の人でも以下のような発言をすることもあるので、舵取りが大変難しいのですが…。

http://critic2.exblog.jp/3251270/
http://critic5.exblog.jp/8783749/


尊敬なんて言っていただくと面映いですが、もし私の死刑廃止関係の記事に興味を持ってくださる方がいらっしゃれば、こちらのカテゴリーにまとめてあります。(リンクもこちらに貼りなおしてもらったほうがわかりやすいと思います。)

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-category-4.html


おたまさんの提示していただいた極限事態での殺人行為は正当防衛もしくは緊急避難にあたるのではないでしょうか?

それらと、全くの自由意思で自らの欲望のおもむくまま、幸せな人の命を強奪する行為を同列には扱えないと思います。

被害者感情を想像しながら、第三者的立場でしか語らないのも納得できません。
もし自分が被害者家族だったらとみなが考えられる国なら、死刑制度もやむを得ないとなるのが自然ではないですか?



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朝日新聞の「死に神」記事がまだ騒がれている。しかし、問題の肝心の部分をほったらかしにしたまま批判を楽しんでいるという感じがして、あまりいい気がしない。 13人の死刑執行を指揮した鳩山邦夫法相。死に神という表現がふさわしいかどうかは別としても、この法務大...
最新の記事一覧・・・5月分はコチラ、6月分はコチラ   最初に、地方競馬の話をチョット。今日18日に川崎競馬で、3歳 牝馬クラシックの交流重賞「関東オークス」が行なわれる。<川崎は ナイター競馬シーズンなので、20時10分発走。>  で、JRAか
便宜上お玉の記事にTrackBackを送るが、ここで取り上げたいのはコメント欄のLooperちゃんの死刑に対する捕らえ方だ。非人間的なお玉のたわごとなどどうでもいい。
誰もが知らない人を少しずつ殴りながら生活をしている今の世の中です。 運悪く少し多く殴られてしまった人が「誰でもいい」と殴り返しに行っても全く不思議ではない。
「慎重にも慎重な検討を加えた」死刑執行に鳩山法相 6月17日12時27分配信 読売新聞  鳩山法相は17日午前11時から、法務省19階で記者会...
08年6月18日 水曜日  憂楽嘲(ごまめの翁)ブログの目次 1・今日の新聞の切り抜き{/arrow_r/}(ここからお入り下さい) 2・今日も後期高齢者{/arrow_r/}(ここからお入り下さい)
 昨年の半ばに、六ヶ所の原燃工事現場で働く若い人たちの中には16歳で雇われている者もいることを友人からのメールで知った。実際は18歳以上でないと働けないが、雇われるためにウソを言っている。そして、その人は親を自殺でなくしていて、働く場を求めてここに来ている...
 もはやまともなマスコミは数少ない。問責決議への首相の対応の是非を問う世論調査も、政権与党の顔色をうかがっているのか調査をサボタージュし報道管制を敷いている。  こう言う時には、選挙民の声を当然言うべき事として代弁してくれる記事は貴重である。願わくは下
アムネスティの会員の知人が、今月死刑執行があるかもしれない、と警告していたとおりに、本日17日、宮崎勤死刑囚ら3人の死刑が執行された。 発表会見でハトポッポー法相は「慎重の上にも慎重に検討した結果、絶対に誤りがないと自信を持って執行できる人を選んだ。数
このロイターの写真じゃあなあ・・ アクセスが減るだけだよね! じゃあオグシオでもはろうか! これ毎日からです。ちょっと古い5月下旬頃。 で福田の話を貼ります。 選挙はいやだ! 消費税は上げる! ということのようです!********************http://www.47n...
前回のエントリーで、南京大虐殺について取り上げましたが、この問題を論ずるとき、必ずといっていいほど問題となるのが資料や証言の扱いで...
本日(2008年6月17日)、我が国で死刑が執行されました。 ※死刑制度存廃国の現状 ====================================== 【2007年度調べ】 法律上...
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Author:お玉おばさん
お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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基本的に愛が感じられないコメントはダメ、 (臨時追記)人が知恵熱だといってるのにばんばん記事違いなコメントをこれでもかと送ってくる愛のないものは、完璧にお玉基準的アウト。お玉基準がわからない人は、文句があればよそで愚痴いってOK !基準に対しての文句は受け付けません~~~ここはお玉のテリトリーだもん。なのでよろしく。/p>

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