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戦争の世紀

ヒトはなぜ戦争をするのか? 

の記事のコメント欄が盛り上がってます。うん・・これはキンピーさんのおかげだね。

さて・・週末なので、ちょこっとおさぼり・・・・

古い記事を読み返していたら、こんなのが出てきたので再掲載しておきます。

母の友2006年8月号より

なぜ、20世紀が「戦争の世紀」になったのか

きっとあなたも一度や二度は耳にしたことがあると思うけれど、二十世紀という時代は、しばしば「戦争の世紀」と呼称される。考えたら不思議だ。これほどに文明が発達してさらには国際連盟と国際連合という二つの期間が歴史上初めて創設されて、なぜ戦争がなくならないどころか増えているのだろう?

ナチスにおけるヒトラーの右腕の位置にいたヘルマン・ゲーリングは、戦後にナチスの戦争犯罪が裁かれるニュルンベルグ裁判で、「なぜドイツはあのような無謀な戦争を始めたのか」との質問にたいして、以下のように証言した。

「もちろん国民は戦争など望んでいません。でも実は戦争を起すことは簡単です。自分たちは今、他国から攻撃されていると危機を煽り、そしてこれに反対する平和主義者に対しては、おまえたちは国益を害していると恫喝すればよいのです。これを繰り返せば、国家など簡単に戦争に向かいます。」

こう言い切ったあとにゲーリングは「これはドイツだけの話ではありません。世界中の国に当てはまります。」と述べている。よりによってあなたに言われたくないと反発したくなるけれど、でも確かに真実だ。人は脅威に弱い。近代の戦争のほとんどは、当事国にしてみれば侵略ではなく自衛の意識で始まっている。つまり過剰防衛。先制攻撃をしなければ自分たちがやられるとの過剰な危機管理意識が、戦争への大義名分であり、戦争継続の燃料だ。イラクやアメリカだって同様。

で、ゲーリングの証言を引用すれば、「危機を煽り、」「恫喝する」ためには、媒介が必要となる。つまりメディア。これを言い換えれば、新聞やラジオ、映画などのマスメディアがあるからこそ、プロパガンダ(情報宣伝)が可能となる。

だからこそメディアが発達した20世紀は、文字通りの戦争の世紀となった。

(森達也)

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キンピーさんとnaokoさんに
>持つ者と持たない者が協調していく
これがもっとも困難だから、世界は変わらないのだと思います。naokoさんのように自分は善く生きたいと思う人はたくさんいても、それだけでは足りません。多くの人は、世界がどんどん悪くなることに対してそれを変えられない腹立ちしか表現できない、それが真実ではないでしょうか。エントリとは離れているのでここまで。


戦争を望まない国民が戦争を望むように
仕向けるにはマスコミを使った扇動と恫喝が有効でいとも簡単に戦争ができる。
この記事はそのことを書いていますが、「相手(治者)が悪いんだ」と結論付けては「詐欺は悪いことだ」と言っても詐欺師がいなくならないのと一緒で何回も騙されることになります。
かといって「国民(被治者)が戦争を望んだんだ」というところで止まってしまっては国民の責任を集団の中へ霧散することとなり、こっ酷く何回でも騙されます。
そこから一歩踏み出して、「なぜ騙されたのか」を考えないとこのエントリーが提起した問題に向き合えないように思いますが。

naokoさん
当たり前のことですが、持つ者と持たない者が協調していくしか解決できないのです。その問題にどうやってコミットできるか考えた方がよろしいのではないでしょうか。
このエントリの主命題と同じく、誰かが悪いといっても何の解決にもなりません。
ちなみに私もnaokoさんやちえんさんのように権力に疑いの目を向けることは大切なことで騙されないための第一歩だと思っています。ただそこで止まっては見えてこない。自分自身にも視線を向けて初めてて見えてくるものもあります。


なんだかなぁ・・・。
お玉さんへ

話が「戦争の原因」から「責任追及」になってきていますね。

戦争が起こるプロセスや背景を探りたいというのがお玉さんの希望だということは、記事を見れば感じ取れると思います。

この手の話は、責任論に行きやすいという傾向はありますが、お玉さんは、このエントリーを政治体制や戦争責任を追及したり、善悪を決めることを意図しているわけではないと思いますので、あくまでも歴史的・社会的な視点で考えて、新しい意見があればコメントしますね。


キンピーさんへ
お金儲けは悪いことではない…。

常時、そう胸を張って言える職業についていらっしゃる方は、すばらしいです。

わたしとしては、自分の良心をだましだまし、「だって、しかたないだろ。生きなきゃならないんだから!」という感じです。
苦しいときには、悪(法的にじゃないですよ)にも手を染めている気がします。

ぎりぎりで自分の魂を守り、他者にも悪をなさないですむ道を探ります。

自分を支える深く広い哲学が、痛切に必要になります。

自分自身に何が出来るかって、自分が生きるために、「なるべく悪をなさないこと」ぐらいです。

少なくとも、想像しうる事は、ほとんどの発展途上国では、「悪をなさないで生きること」は、不可能な場合も多いだろうし、下手すれば本当の「殺し合い」にもなるだろうということ。
戦争って、結局そうなんだと思う。


お玉さん
了解しました。
しかし一知半解さんの誤読に一言。

一知半解 さん
何か誤読(私は独裁者などと一言も書いておりません)されているようですので少々困っておりますが、権力者・指導者とは、たまたまであろうが何であろうが、その立場にある者のことを指すのです。


え~~っと、天皇責任の話へ行くなら、一知半解 さんのブログ
戦争の責任についての話なら東西南北さんのブログへそれぞれ持ち帰って頂けますか?もうとっくに記事から離れてるので、仕方ないけどさ・・・これ以上話が広がるのは管理人として困りますので。


ダイスさん、KYさんへ。
 同じ質問なのですが、お二人は戦争の原因は国民の多数派が戦争を支持することにある、としています。そこで質問です。

 1:では、国民の多数派が戦争を支持するのは何故ですか?その原因は?また、少数の国民が戦争に反対し、政府の戦争責任を追及する平和運動について、これを戦争の原因としますか?平和の原因としますか?

 2:戦争を支持した多数の国民と政府の責任は誰に対して同質ですか?また、その責任に軽重はありませんか?他方、戦争に反対した少数の国民は誰に対して責任を果たしたと言えますか?

 


キンピーさんへ
キンピーさんの意見には、賛成できません。

そもそも、日本に独裁者というものがいたのか疑問です。
ヒトラーのような独裁者がいましたか?

東条ですら、たまたまその時期に座っただけの権力者ではないですか。
日本に、本来の意味での独裁者などいたためしがありますか?
(それに近いのは、織田信長ぐらいだと私は思う)

日本の政体とは、集団指導体制に近いものがあり、天皇はその御輿にしかすぎません。

天皇の責任が一番重いとかいうのは、日本の政体というものを理解していないのではないでしょうか。

天皇の責任を問う人たちこそ、真の原因追及の妨げになっていると私は思う。


ちえんさん、
私の言いたいことは、KYさんや十文字さんが言ってくれていますから、事実の指摘だけにとどめます。

>だまされたと感じていたが、平和を望む、戦争反対といえば、殺されたのでいうことができなかったと。

その人は、戦後価値観が180度変わったために、身を守るためやむを得ず嘘を言ったのでしょう。あるいは「周囲はみんな馬鹿だったが、自分だけは賢かったので真実に気づいていた」と言いたいのでしょう。

実際には、大多数の国民が、あの戦争を支持していたのです。

>言うことをきかない人間はつぎつぎと撃ち殺していったのですから。そしてそれをまわりの人たちは恐怖の面持ちでずっとみていたのだから。

いいえ、1億人の国民を、たった数十万の警察や軍隊で殺せるわけがありません。 反対派がごく少数であり、大多数の国民が、政府や軍を支持していたから、彼らにも戦争が可能だったのです。

>恐怖で支配された国民に責任を負わすのはそれは酷です。  命令で犯罪を強制された人間を主犯格だといっているのに等しい。

いいえ、それは間違いです。 繰り返しますが、国民こそが戦争を望んだのです。 もしそれを「だまされていた」というのなら、国民は自ら喜んでだまされていたのです。 

なぜなら、普通の方法では当時の大不況・不景気を克服できなかったから。 それを打開する希望は、戦争にしかなかったのです。

そして当時の支配層が恐れていたのは、共産革命でした。 スターリンの指示による共産革命が日本で起こっていたなら、その後の日本は北朝鮮のような、絶望的独裁国家になっていたでしょう。 「恐怖で支配されていた」のは、むしろ支配層の側だったのです。



KYさんへ
>戦後のドイツはヒトラーとナチスに全ての罪を被せて処刑し、一般人からドイツ第三帝国の罪を免責しました。

>日本でも同じことをしてほしい、そうすれば私達は免責されたのに、と彼らは言っているのです。

身も蓋も無い事をおっしゃいますね(苦笑)。
とはいえ、おっしゃるとおりでしょうね。

あとは、「憲法改正」の為。

仲正昌樹氏の著作「日本とドイツ 二つの戦後思想」には、以下のような記述があります。
(『』内は抜粋)
『…すでに述べたように、日本国憲法では、戦前の「国のかたち」の最も核心的な部分としての天皇制が維持されており、日本の革新勢力が「護憲」を主張すれば、不可避的に、旧体制の痕跡をも保護する立場になってしまう。特に共産党は明確に天皇制に反対しているので、これは明らかに矛盾である。無論、革新政党の側には、そうせざるを得ない理由はある。少しでも「改憲」の可能性を示唆すれば、政権を握っている保守与党の側に、日本国憲法を平和憲法たらしめている九条を改正することを主目的とする「改憲」論議を書き精する為の口実を与えてしまうので、天皇制のことを黙認するという戦略を取るしかない、と彼らは一貫して主張してきた。彼らの価値判断として、九条を守ることが、天皇制を廃止して、過去と決別することよりも重要であったのである。 』

ほぼ左派で占められている天皇断罪派は、上記のような状況に激しいルサンチマンを抱いており、なんとしても天皇条項を消し去り、九条の完全実施を志向するために、「責任、責任」と叫び続け、アジっているのだと思います。

とはいえ、「九条を完全実施したあとは、侵略に備えて非暴力抵抗の準備をしろ」と彼らはおっしゃるので、それは流石にご無体な価値観の押し付けですね(笑)。


KYさんの意見に少々異論があります。
戦争責任昭和天皇の戦争責任を追及する人の中にはそういう人がいるようですが、私はそのように考えたことがありません。
同じことを繰り返さないため。ただそれだけです。

権力者・指導者の責任とは結果に対する責任で、国の方針に留まらず、個々の戦略戦術の成否や遂行中に起こった事象の顛末至るまで。
天皇はその最も責任の重い頂点にいます。

それぞれの責任の所在を明らかにし、それぞれの責任に向き合うことが大切なのではないですか?
ここでの議論で感じたのですが権力者の責任を不問に付したまま、責任の所在を集団の中に霧散させようとする人もいるようです。
霧散はよろしくありません。
結果として誰にも責任が無いと言っているのに等しいことですから。


KYさんに一票!
 KYさん。なるほど、とうなってしまいました。心のモヤモ
ヤが晴れた感じです。


大陸文化
昭和天皇処刑論を唱える方々というのは、「責任の追及」を求めているわけではないように思います。

ただ天皇に日本国民の罪を背負って死ねと、詰め腹を切れと、おまえの死でもって私達の罪を清めろと、そう言いたいだけなのです。

戦後のドイツはヒトラーとナチスに全ての罪を被せて処刑し、一般人からドイツ第三帝国の罪を免責しました。

日本でも同じことをしてほしい、そうすれば私達は免責されたのに、と彼らは言っているのです。私達は天皇を処刑した。天皇を支持する連中も処刑した。だから私達の手はもう血で汚れてなんかいない、と言いたいのです。
別に個人としての天皇の責任などどうでもいいのです。

中国ではそういうことが繰り返され、前の王朝が全否定されて次の王朝が同じことをして滅ぶことを繰り返してきました。
欧州連合がどうなるかわかりませんが、歴史の長さで言えばせいぜい1000年しかない欧州と、4000年を誇る中華帝国・・・科学技術の進展が人間の欲望の増大に追い付かなければ、やがて欧州も中国のように前の政権を全否定して繰り返すような歴史を何千年も繰り返すようになるのかもしれませんね。

日本は1200年も同じ王朝を続けてきたのですから、今さら大陸のやり方を導入するのも馬鹿げていると私は思いますが。


ちえんさんへ
>天皇はやはり犯罪者であったこれを認めることができないうちはだまされつづけていると認識したほうがよい。

これはちえんさんに限らない話なのですが…、

貴方は昭和天皇に対して拘りをもたれたように思えるのですが、では貴方が戦前当事の昭和天皇の立場であったのなら、如何なる行動に出れば「犯罪者」といわれずに済んだのかをひとつ考えてみるべきではないでしょうか?

あと、内田樹・神戸女学院大学文学部総合文化学科教授が戦争についてこのようなことをおっしゃっておりますので、ご参考下さい。

(以下は抜粋です。なおスーザン・ソンタグとは大江健三郎と往復書簡をしていた哲学者・平和主義者のこと)

ジェノサイドというのは、「めざわりだから異物を排除する」というような「積極的・主体的な選択」ではない。その「異物」によって自分たちの社会がいま占拠され、自分たちの文化が破壊されようとしているという切迫した恐怖と焦燥に駆られたとき、ぎりぎりの「自己防衛」としてジェノサイドは発現するのである。すべての民族虐殺者たちは涙ながらに「自分たちこそ被害者なんです」と訴えるに違いない。

戦争であれ、ジェノサイドであれ、「だれが」それを起こしたのだ、というような問いは無効である。「私がそれを起こした」と確信している人間などそこには一人もいないからだ。全員が「自分こそ最初の、最大の被害者である」と思いこむ人々のあいだではじめて破滅的な暴力は発生する。暴力の培地は悪意ではない。おのれは無垢であるという信憑である。

「だれが」が戦争を始めた。「だれか」が戦争を終わらるべきだ。問題は「だれか」を特定することだ、というソンタグのロジックには「私が戦争を始めたのではないか?」「私がごく当たり前のようにここにいるということがすでに誰かの主体性を侵害しているのではないか?」という問いが抜け落ちている。

ソンタグ的世界では、一方に「戦争とジェノサイドを起こしている」邪悪な「主体」がおり、他方に戦争とジェノサイドを「阻止する」ために駆けつける無垢で知的な「騎兵隊的」主体がいる。

すべては「主体」の意思と決断の次元で語られる。

とても、分かりやすい。

けれども、このあまりに分かりやすい図式にはひとつだけ欠点がある。それは「主体」たちは、絶対に自分が「邪悪な主体である」可能性を吟味しないということである。

スーザン、君のことを言っているのだよ。


naokoさん ちえんさん
naokoさん

>ソマリアへの無視ぶりと比較すると、わかりやすいと思う。

ソマリアについては、国連やアメリカは今も関与していますよ。ただ、映画「ブラックホークダウン」にもあったように、介入に大失敗したため、エチオピアやジブチといった隣国との協力の下に活動を展開しています。
しかし、ソマリアの状況は、イラクやアフガンの比ではないため、他の国々は二の足を踏んでいるのです。


ちえんさん

もし、ちえんさんの論が「正解」ならば、日本は開発独裁の国のような社会不安がはびこっている状態になっていますよ。世界で最も治安がよく、防災体制や環境対策も世界で飛びぬけて優秀な国ではなくなります。

「しかし、社会科学を知るための本があることも知りませんし、誰がなにを言っているかも知りません。読む時間も感情も持ち合わせていません。」「明日からこなくていい。この日本語だけを恐れて、それ以外は聞き流しています。それ以外、考えても仕方ないと思ってもいます。」「なにも情報はなく、ただ民主党と自民党のみにくい権力あらそいを横目に見ているだけです。」「基底にあるのは、貧困と脅迫です。」とありますが、生き死にがかかっているのに政治は信用できない、そんな人たちが起こす行動を、歴史は教えてくれているはずです。その行動を起こす人々が増えつつある国家は、国内政治で手いっぱいか、あるいは、対外戦争したくても、そんな国力なんてないという状態です。

「なにも知らされない、あるいは自分で決め付けるということもだまされているといえます。」というのは、日本国民以前に、ちえんさんご自身の今の状態であると、私は感じます。



ちえんさん、naokoさん
お二人に同じ返事をします。
まずお金もうけは悪いことではありませんし、統計上の10万人の死や悲惨な暮らしよりも、自分の飼っているネコや犬の死を悲しみますし、人間とはそういうものです。

論評も必要な時がありますが、思考の出発点を“私”からすることはもっと必用です。
【集団の一部である“私”は何を考えどうするのか。】
たとえ答えがでなくても考えつづけることが大事なのです。
集団と“私”を切り離した上に、周りに原因の所在と解決を求めるのはとても危ういことで、また ちえんさんのように上からの目線も「なぜ彼は易々と騙されたのか?」の原因の一つだと思います。


人はなぜ戦争をするのか
 たくさんの東条さんがいた。これに同意します。私の祖父も軍国主義者でしたし、晩年は平和主義者でした。

 今を考えた場合、なにも興味がない人がたくさんいます。その人たちはいくらでもだまされて、いくらでも税金を払い、低賃金でも数年すれば、だまっていれば昇給して楽な生活ができると思い、実際に楽な生活をしています。
 これはその人が考えて、だまされてもいいと決めてそうなっています。だまされていても、生活ができることが保障されているからです。

 まわりの賃金の低い派遣やアルバイトの人はどうでしょう。彼らは一言もいうことはできません。人間として下等な生物のごとくに差別されていて、本人たちも差別されていることを十分自覚して怒りをもっています。しかし、社会科学を知るための本があることも知りませんし、誰がなにを言っているかも知りません。読む時間も感情も持ち合わせていません。
 明日からこなくていい。この日本語だけを恐れて、それ以外は聞き流しています。それ以外、考えても仕方ないと思ってもいます。
 なにも情報はなく、ただ民主党と自民党のみにくい権力あらそいを横目に見ているだけです。
 基底にあるのは、貧困と脅迫です。

 なにも知らされない、あるいは自分で決め付けるということもだまされているといえます。

 だまされているからこそ、たくさんの面からものごとを見ようとする意思のない人はだまされているといえる。
 また確実に確定していることに疑問をもつことはそれもだまされているといえる。天皇はやはり犯罪者であったこれを認めることができないうちはだまされつづけていると認識したほうがよい。
 偶像崇拝すること自体が間違いだと私は思う。
 時代を動かすのは主に人間だけど、大きな転機になるのは大恐慌だ。いままで虚像だった人たちはくずれさり、陸軍や海軍が力を確立していったという歴史はあると思う。
 自民党や民主党がいくらせりあおうとも、軍部をつくりあげてしまえば、大恐慌が襲ったとき、政党は軍部の下僕になりさがる。貧困は富裕をにくみ、軍は貧困の吸収体になる。武器をもち、突然暴発するぞとおどし、権力を奪っていく。退廃だらくが軍部を覆い、死の商人である軍産複合体となれあっていく。退廃だらくは競争の激烈な中で生まれ、悪事を競い合い、すべては麻痺していく。
 膨らむ軍事費、圧迫する財政、

 それはアメリカを見てもわかる。
 今そのものだから。ロシアを見てもうっすらみえてくる。

 戦争は、競争によって強制されているように見える。悪をなすものたちが競争をしてより悪質なものが勝っている。後ろからつきあげるために、より悪質なものに負けないために、今よりさらに悪質になっている。すべてを金もうけのために利用する。
 
 なぜ主導したか、お金もうけのためにそういう人間を利用したほうがよいとお金もうけする人が決めたから。
 戦争をしたほうがいいのだと思いこめるように、さんざん歪曲した情報を送り込み、思考を停止させ、麻痺させ、戦争をするほうが楽と思い込ませたから、だまされて人たちは戦争をしようと主導するようになった。単純なことだ。
 長文すみません。


シンペイさんへ
それを捨て去ってから・・

そういう風に言っちゃうと、戦わなかった者が、広島・長崎の原爆投下に後からちゃちゃいれるな(アメリカ国内で)とか、いえちゃうわけで…。また、実際そう言いたくなるのもわかるのですが…。


キンピーさんへ
レスどうも!(はじめまして。)
グルジア問題での金持ちクラブのあわてぶり、何か感じません?
ソマリアへの無視ぶりと比較すると、わかりやすいと思う。
結局、クラブの存続が大切なだけじゃないかな。
とりあえず、自分に何が出来るかという、個人的立場の問題は横においといての話ではあるけれど、ね。


ダイスさん、虎42号さん、ちえんさんへ
>ただ補足させていただければ、前線と銃後の区別が曖昧になったのは、WWⅠからかと。
>フランス革命に総力戦の起源を求めるのが大勢かと思われます。


遅ればせながら、ダイスさん、虎42号さん、ご指摘ありがとうございました。書いては見たもののちょっと自信がなかったので、指摘されるかも…と思ってました。ただ、私には「空襲」というイメージが強くあったので、WW2から…としてしまいました。思い込みはいけませんね。

>罪の元凶は昭和天皇です。

ちえんさん、あなたがそう思うのはご自由ですが、そういう意見は、現実から目をそむけさせるだけで、むしろマイナスだと思います。

そもそも今更責任を追及できませんし、不可能を論じるのは「馬鹿の考え休むに似たり」としか思えません。

だまされた、と仰るなら、なぜだまされたのか…に迫るべきです。
どうしていともたやすく、だまされたのか?

>戦前の人間が言っています。だまされたと感じていたが、平和を望む、戦争反対といえば、殺されたのでいうことができなかったと。

果たしてそうでしょうか?だまされた…と感じていなかったからこそ、だまされたのではないですか。

戦前、日本には無数の東条さんがいたといわれています。なぜそうした人が存在し、主導権を握り、世論を主導していったのか?を考えるべきなのでは?

天皇のせいだから…、軍部が、政治家が悪かった…、などと単純に結論付けているようでは、まただまされることになりはしませんか?


お二人に横槍です。
naokoさん
貧困国の紛争の原因は資本の蓄積が無かったり、政治の不安定化にあったりします。
その重要な要素である資本の蓄積を考えてみても、私も貴方も搾取し、その結果が続くことを望んでいます。
食卓に並んだ料理を見てください。
生産者(国)に資本の蓄積可能な賃金で取引された食材がどれほどあるというのでしょうか。
「日本は」ではなく“私は”何を考え“私は”何をするのか?ではないでしょうか。

ちえんさん
戦時体制と整えていく過程で強制が強化されていくのはそのとおりだと思います。
しかしそこに至るまでのことをお考えください。
なぜ騙されたのでしょうか。
イラク派兵で考えると“私”も“貴方”も“彼”も“彼女”も当事者のはずです。


naokoさん
失礼とは存じますがぶっちゃけ
安全(平和とはいわない)で蛇口ひねれば水が出てくる地に住んでて
ソレをいうのは問題ありすぎですね
今の豊かさを戦争への加担の結果というならそれを全て捨て去ってから言うべきだ


冷戦終結以降…
venomさんのおっしゃるグローバル資本主義のシステム、『強者によるピラミッド』の下で、弱者がすりつぶされるような紛争・戦争が顕在化しているように思われる。
アフガン・イラク・チベット・パレスチナ・スーダン・ソマリア・ルワンダ・グルジア・・・。

しかし、そうした構造は、冷戦時代からすでに存在したと思うのだ。イデオロギー対立の隠れ蓑の下、目立たなかっただけで。

日本の場合、そうしたピラミッド構造の上部で安泰な立場を守るための、イラク戦争支持ではないのか?

金持ち仲良しクラブの面々は、最貧国での紛争の犠牲者の数などに、興味はないという気がする。
(自国民でなければ、人命より、己の利益優先。)

この状況…。
戦争への加担と言うのは言い過ぎなのか?


>Venomにはよく分かっていただけなかったようで仕方ありません。

敬称が抜けておりましたようで申し訳ありません。
大意はありませんので。


べのむさんへ
 結果以外の分析はまるで自分が書いているようでした。

 賛成します。今の日本人がだまされるわけがないと思っている点では違いますが。

 べのむさん、なぜ日本人は一人頭千数百万円の年金を国に搾取されても怒らないのでしょうか?私はたくさんの人がだまされていると思います。もしかするとべのむさんもだまされているのでは?

 戦前の人間が言っています。だまされたと感じていたが、平和を望む、戦争反対といえば、殺されたのでいうことができなかったと。これは当時の常識といえると思いますが・・・一致できますか?戦争に協力しないと非国民といわれ、ひどいと拷問されて殺されていました。これは一致できますか?たくさんの証拠を提示できると思いますが。そうでなかったということこそが同じことを繰り返す直接の原因にもなると思いますが・・・
 だまされていた、そして気がついたときは行動を起こせば一網打尽にされてしまうだけだという考えが支配的だったし、完全に思考力を失った国民=べのむさんのいう国民だと思いますが、・・は完全に国を突き動かしていますね。だから、だまされたことに気づいた国民は沈黙と恐怖におびえていた、また、完全にだまされていた国民は狂信的に戦争を支持した。と考えるのが、ゲーリングの言った国民をだますのは簡単だということの意味だと思います。
 他国が攻めてくるぞといい、平和主義者をちまつりにあげて、反対できない空気を作ってしまえば、後は国民などなんの苦もなくあやつれる。

 べのむさんはこの事実を一致できていないようです。

 恐怖によってあやつることはいともたやすい。とゲーリングは言っています。言うことをきかない人間はつぎつぎと撃ち殺していったのですから。そしてそれをまわりの人たちは恐怖の面持ちでずっとみていたのだから。

 恐怖で支配された国民に責任を負わすのはそれは酷です。

 命令で犯罪を強制された人間を主犯格だといっているのに等しい。

 罪の元凶は昭和天皇です。彼はヒトラーと並ぶ犯罪者だと思います。ただ、もう死んでしまい。歴史の闇のなかにすべてがなくなってしまいましたが。本当のことをほんの少しでも言ってくれていたら、被害者の苦しみも緩和されたろうに。とびづれすいません


シンペイさん
恐ろしいものだとおもっていますよ。知れば知るほど自分自身も不安になります。

Venomさん
Venomにはよく分かっていただけなかったようで仕方ありません。
そしてこのエントリーが提起した問題を直近のイラク派兵を例にとって具体的に考えようとしたのですが、、、これも仕方のないことだと思います。


キンピーさん
>主はあくまで実質統治している権力です。

政府だって、国民の支持がなければ戦争なんてできませんよ。 それを無理にやらせて革命が起こった結果、ロシア皇帝は権力を失ったではありませんか。

>戦争への渇望や無関心、あるいはそれを具現化した人の塊は道具となりますが

それは、民主主義を否定なさっておられるのでしょうか? だったら平和主義者の皆さんが、いくら戦争反対を唱えても、道具に使われるだけで、無力だということになりますね。

>実際国民を戦争に動員する際にある程度の強制が伴う

国民が反乱も革命も起こさず、その「強制」に従うのはなぜですか? 国民が戦争を支持しているからです。

>イラク派兵の時、なぜ“彼”は易々と騙されたのでしょうか

意味がよくわかりません。 それは「ちえん」さんへの質問ですか?


キンピーさん
>世論に人格も責任もあるワケない

たしかに人格も責任能力もない
しかし、キンピ-さんも「場の雰囲気に流される」という経験おありでしょう
反対や抗議が言い出せない雰囲気、というのは間違い無く存在します
それが「人格など無いけど状況を動かす」世論の能力です
甘く見ると火傷しますよ


Venomさん
no.no.
世論に人格も責任もあるワケないです。
そんなものが主として振舞えることはありません。
主はあくまで実質統治している権力です。
主は目的をもって戦争するのです。
戦争への渇望や無関心、あるいはそれを具現化した人の塊は道具となりますが、実際国民を戦争に動員する際にある程度の強制が伴うのはそのためです。

ところでイラク派兵の時、なぜ“彼”は易々と騙されたのでしょうか。


キンピーさん
>これはどうだか。

英仏独露墺その他、第一次大戦当時の各国首脳の持つ戦争のイメージは、中世のようにプロの兵士が激突する華々しい戦争であり、どうせ短期間で終わると考えていた、という説明が一般的なようですね。 まさかあのような、莫大な犠牲を払う、近代的総力戦になるとは、誰も思わなかったでしょう。

>開戦を望む声は国民の多数派であったでしょう。
>しかし主はあくまで実質統治している権力です。

はあ? フランスは当時から、共和制であり民主主義だったのではありませんか? ということは、「実質統治している権力」は、主権ある国民だったということになりませんか? 形だけ民主制にしても、結局問われるのは国民の民度や政治的成熟度なのではないでしょうか。 だからこそ、お玉さんも以前、「世論がいつも正しいわけではない」というエントリを立てられたのでしょう?

>アメリカの侵略が平和をもたらしているという条件のもとでしか成り立たない理屈

そう、あくまで「アメリカに都合の良い平和」ですね。 それに異議を唱える勢力が、テロや反米活動を起こしますので、アメリカは中東におけるモグラ叩きに忙しく、北朝鮮や中国の脅威へ対応する余力がありません。 その結果、わくわく44さんの言われるように、日本が求める「安全保障」という「見返り」は手に入りにくくなっています。 北朝鮮の核武装や拉致問題の幕引きで得られるような一時的安定は、決して「日本の求める平和」ではないのです。


東西南北さんへ
1:
 その理解で問題ないでしょう。東西南北さんの意見を単純と
感じるのは、そこから国家を敵視する姿勢に繋げているからで
す。
 望ましくない誘導を行っているのか行っていないのか、行っ
ている場合に、それを正せばよい話です。いたずらに敵視する
姿勢には共感できません。また、望ましいか望ましくないかは、
誰にとってでしょうか? 国民は、全員が東西南北さんと同じ
考えなのでしょうか?
 東西南北さんが望ましくないないと判断した広報・宣伝を望
ましいと考える人がいます。多数決によらなければならない制
度の中に身を置く限り、その人にかける言葉は「お前は悪だ」
ではなく「○○の理由であなたにとっても望ましくない事柄で
すよ」という説得でしょう。
 以前「平和主義者の怠慢」という言葉を使いましたが、平和
主義者であろうとするならば、非難・糾弾ではなく、説得を心
がけられることを希望します。

2:
 皮肉が通じなかったようで(それとも判っていてあえて無視
されたのかな? それなら好ましい事です^^;)。
 「政府の存在を意識させない統治が望ましい」という理想論
は根強いものがあります(老子でしたっけ?)。日本が、とい
うよりは東洋が西欧に民主主義の発達で遅れをとった一因でし
ょう。
 生活の問題と戦争の問題をリンクさせて思考するとき、生活
が安定すればするほど、国民は政治(ここに戦争が含まれる)
に無関心になっていきます。このパラドックスは、西欧におい
ても見られます。ギリシャの民主主義において、権利を有する
市民には戦争への参加を義務付けた理由の一つでしょう。
 また、生活が安定した社会は、国民にとって「戦争をしてで
も守る価値が有る」存在と考えられます(考える主語は「国民
の多数派」ね)。

3:
> そのような性格の国家権力は必要です。
 そのように考えられるのでしたら、単純な国家敵視から卒業
されてはいかがですか。

 皆様の議論を拝見していて強く感じることは、20世紀が「戦
争の世紀」であったのは、20世紀が「民主主義の世紀」でもあ
った、という事です。


・Venomさん
>「政府は渋々開戦したのです。」
これはどうだか。
無責任な渇望と無関心な空気は主としての役割を果たさず、常に道具としてのみ機能します。
開戦を望む声は国民の多数派であったでしょう。
しかし主はあくまで実質統治している権力です。
上記のVenomさんの表現は主の責任を見えなくする可能性が大であり、いささか問題ありです。

>「他国が戦争で荒廃したら、日本は大事なお得意さんを失ってしまいますからね。 つまり日本にも見返りがあるから、アメリカの戦略を支持しているのです。」
アメリカの侵略が平和をもたらしているという条件のもとでしか成り立たない理屈ですが、これは政府の意見を代弁したものとしておきましょう。

・ちえんさん
イラク派兵の時、なぜ“彼”は易々と騙されたのでしょうか。


そろそろ
話がそれてきている上に長文です。


だからそれただの屁理屈だって
>階級・国家が存在する以前は国家が起こす戦争は存在しません
あたりまえじゃないですか。
それ「飛行機が開発される以前は航空機事故で死ぬ人はいなかった」とか
「銃が発明される以前に銃殺された人は居ない」とか言ってるのと同じですよ。
「戦争」って言葉が嫌いなら「争い」「奪い合い」「上位にならんと欲する欲望」と
言い換えてもかまいません。
それにきちんと整列された建物、といった国家ないしそれに
順ずる組織が存在した証拠がない地層で石作りの槍や矢で殺された痕がある人骨が
幾つも発見されているのは無視ですかそうですか
あと、民意や民主主義に過度な期待はしないほうが良いと思うのですよ。
確かに現時点では最善の政治形態かもしれませんが
あくまでベターであってベストではありません。
まだ知らない、民主主義より「よりマシ」な政治形態をヒトは見出すかもしれません。
現実に1920年代のドイツ国民は「民意の元に」「民主主義にのっとった選挙において」
チョビ髯の伍長に全ドイツの命運を委ねたのですから。
「民意が独裁を望んだ」場合それをどう思われますか?
そのような例歴史上ナンボでもありますよ?
ナポレオンとかヒトラーとか。
あるいは新潟の人々の多くは「新潟に新幹線を通した」「新潟を潤わせた」
という理由で犯罪者である田中角栄や
何もしてない田中真紀子を「角栄の娘だから」という理由で支持しています。
民主主義とは政治家ではなく市民に責任を負わせる政治形態だと思います。

>病院の運営
例えば極論ですがどこの会社の薬品を使用するか、それひとつを
とってしても「共同で管理」というのは極めて危険です。
当然自分が勤める会社と取引がある、あるいは何らかの形で自分に利益がある
会社のを薬品の質を無視して購入しようとするのは目に見えています。
また薬剤会社も自分の影響を及ぼせる人員を「共同管理者」に送り込もうと
するのは間違いないでしょう。
どんなものにも尋常ならざる欠陥があります。
民主主義もまたその一例、という事です。


naokoさんへ
「支持」してきているのは確かですが、それが「積極的」というのは、小泉元総理ぐらいでしょう。

「何の見返りもない」とnaokoさんは思っていらっしゃるようですが、日本が求めた「見返り」は、「安全保障」です。付け加えれば「日本は不支持ができない立場、状況にある」という側面もあります。
ただし、経済的な恩恵は、アメリカの戦争では日本はほとんど受けていないという話です。

naokoさんが「日本はアメリカの戦争で経済的な恩恵を受けている。だから、戦争を欲している。」というご発言をしたので、「それは違う」と事実を指摘したまでのこと。

「戦争」は非常に複雑なものですから、一面から見てどうこう言えるようなものではない。
本当に戦争を廃絶したいと願う人ほど、戦争反対の声をあまりあげないのは、戦争は起こすのもなくすのも、複雑に絡み合った糸をほぐす作業だということを知っているからです。

余談ですが、お玉さんが戦争の定義についての議論を制限したのは賢明な判断です。国際法における戦争の定義ならば、私はすぐに返答できますが、お玉さんやnaokoさんが考えていらっしゃる「戦争」については、定義を述べようとするならば、記事違いどころではありません、それこそ人類の歴史をどこまで遡ればいいのか、というとんでもないことになってしまいます。

こうした問題については、「一歩立ち止まって考えなおす」ということをお勧めします。これは、私に近い考えであっても、私と正反対の考えであっても同じことです。


近代と欲
ちえんさん、
「政府は加害者、国民は被害者」というのは、単純すぎます。 あの戦争は、国民自身が望んだのです。 国民自身がその反省を怠ると、また同じ過ちを犯す恐れがあります。 

前にも書きましたが、近代の初期においては、国民が国家を自分と同一視し、排他的・攻撃的なナショナリズムに陥りがちです。 第一次大戦起こったのは、欧州各国が、同盟上の義務からこぜりあいに参戦したためですが、例えばフランスでは、普仏戦争への報復を叫ぶ世論も、大きな要因です。 

フランスでは工業化によって「大衆」が出現し、識字率が高まり、新聞などのマスコミが発展し、世論が国家を動かす力を持ったためです。 そして新聞は無責任な好戦論を叫び、「排他的・攻撃的なナショナリズム」を煽りました。 そうすれば読者が喜び、新聞が売れたからです。 そして慎重論・宥和策を説く者は、非国民・臆病者・裏切者呼ばわりされました。 どうです、戦前の日本とそっくりじゃありませんか? 

むしろ国民が戦争を望み、政府は渋々開戦したのです。 しかし戦争で莫大な犠牲を払った結果、国民の戦争熱も冷めました。 フランスは熱狂的な「近代」を、卒業したのです。 日本だって、第二次大戦で膨大な犠牲を払った結果、成熟してきました。 まだまだ価値観は揺れ動いていますが、日本はもはや近代を卒業し掛けています。 

フランスでも日本でも、国民がそう簡単に政府にだまされて、戦争を求めて熱狂することなど、考えられません。 しかし一方で、成熟したはずのフランスが、なぜ核兵器まで含めた軍備を維持しているのかも、考えるべきでしょう。

naokoさん、
>何の見返りもなく、この国の政界・財界は、60年間アメリカの世界戦略を積極的に支持しつづけている

横レスですが、戦後アメリカは、軍需産業の利益のため、戦争を繰り返す構造が続いていましたが、ベトナム以降、人命の損失や財政赤字に耐え切れず、それも困難になりつつあります。 一方でモノづくりは空洞化し、「金融操作による利ざや稼ぎや、特許料・ライセンス料などを主な収入源とする、グローバル資本主義」へと傾きつつあります。 それには世界が平和で、「アメリカに都合良い秩序」が維持されたまま、安定していることが必要なのです。 

そしてその「秩序」は、日本に取っても都合良いということです。 日本は軍需産業の比率が低く、民生品は高級化・高付加価値化が進んでいますから、日本製品は平和な国でなければ売れません。 他国が戦争で荒廃したら、日本は大事なお得意さんを失ってしまいますからね。 つまり日本にも見返りがあるから、アメリカの戦略を支持しているのです。


ちえんさん
話が飛躍しすぎですよ。(汗)

第一、自衛隊がリクルート活動しているってこと自体、戦争の可能性は低いことの証拠です。もし本当に戦争に突き進むというのであれば、徴兵制でなければならず、軍事的脅威の対抗策がMDとかでは済まされないでしょう。

防衛白書や中期防をご覧になればおわかりになると思いますが、現在、正面装備=直接戦闘行為ができる装備については、むしろ削減になってきています。陸自は定員が減少しました。


百歩譲ってちえんさんの意思を尊重するとしても、

>その上に、国家間のやりとりも付随的にあったと思うけどさ。

という認識は誤りです。国家間のやりとりがメインであって、ちえんさんが指摘したことは、すべて「その次」に起こるものです。
現代戦は、戦争継続能力が勝敗を分ける最大のポイントでして、それゆえに「銃後」が攻撃される危険性が高いのです。仮に「銃後」が無傷であっても、投入される人員、資源、カネが半端ではない。
つまり、敗戦はもちろんのこと、戦争に「勝った」としても、被害があまりにも甚大になりすぎて「やんなきゃよかった」となる可能性が時代を経るごとにますます大きくなっているわけであり、「できるだけ戦争は回避したい」というのが、日本を含めた大多数の国家の本音でもあります。
実際、日米戦争でも、日本側は「日米戦争は回避したい」という近衛文麿、東郷茂徳、米内光政らがいましたし、連合艦隊司令長官の山本五十六も「対米戦争反対」でしたからね。

このことを考慮しないと、残念ながら「北朝鮮がテポドンを撃ってくるかも知れない。だから先制攻撃しよう」と危機を煽っている人と同じレベルになります。

この点、冷静になってもらいたいと思います。


欲の絡まない戦争って?
アメリカの世界戦略に日本政府が積極的に加担するのは、国家としての利益を求めてのこと。

衆愚さんへ
当事者同士にのみ責任??
では、朝鮮戦争にソ連の責任はない。
さらに、グルジア紛争にアメリカの責任はない。
イラク戦争にも支持した日本の責任はない。
不思議な話だ…。

わくわくさんへ
何の見返りもなく、この国の政界・財界は、60年間アメリカの世界戦略を積極的に支持しつづけているという見解ですね。
納得できないな。


シンペイさん、十文字さん、ダイスさんへ。
 シンペイさん、十文字さんへ。

 1:戦争の原因である階級・国家と人類の区別と関係について。

 うーん。シンペイさんは人類が人類である限り戦争の原因は人類自身にあるのであるから戦争はなくならない、という結論でしょうか?戦争の原因がシンペイさんのいうように人類自身あるのであれば、戦争を無くすという平和運動の根拠は存在するのでしょうか?要するに、シンペイさんの意見では、人間は戦争しながらも絶滅しないように生きていくしかなく、平和というものは戦争と戦争の間にある時期であり、戦争は不可避であるというのが人類であるが、同時に戦争を回避する努力を否定するものではない、というこのでしょうか?つまり、人類が戦争する存在であるか否かを戦争の根本原因にしているようですが、何度もいうように、階級・国家が誕生する以前には国家の起こす戦争は存在していません。さらに、人類が殺し合いをする存在であるということを証拠づける物的証拠が地理的にも時代的にも普遍的に存在しているという事実はありません。さらには、二度にわたる世界大戦、凶悪犯罪での死傷者と階級・国家が誕生する以前における人類社会での死傷者(注:凶悪犯罪による死因と断定できるもの)を比較してきてください。階級・国家が誕生して文明社会に突入して以降の方が圧倒的に戦争、凶悪犯罪に起因する死傷者数は多い。ゆえに、戦争、凶悪犯罪の原因は、階級・国家にあると規定することは極めて科学的に事実の因果関係を有力に主張しています。生活感のないドグマだと述べた方が居られましたが、とんでもないことです。極めて有力な科学的な学説であって、科学的なヒューマニズムです。

 2:「”医療の専門家”にお任せするのでなく、みんなで共同で投薬・手術をする」と言い換えれば、東西さんのご意見の非合理性がお分かりになる。

 そうではないですよ。共同にする対象は「管理・運営」です。医療の場合で言えば、病院経営を共同で管理するということです。国家で言えば国民が共同で管理する。自治体でいえば、住民が共同で管理する。経済、政治の管理体制において、共同管理にするというものは社会主義・共産主義ではなく、国民主権・民主主義の徹底ということです。現在のキューバが官僚主義でうまくいっているように見えるようですが、民主主義・国民主権を徹底していない国が遅かれ早かれ崩壊し、民主主義・国民主権を徹底する政治、経済体制への移行を開始せざるをえないということです。これが現代最大の課題と言えるでしょう。

 ダイスさんへ。

 1:メディアリテラシー教育の必要性について。

これは当然に賛成なのです。しかし、「最初に善悪を決めてかかるのではなく、その都度判断をしなければならないという事です。」というのは何故でしょうか?まさしく、政府の情報統制が原因して、そこに戦争を導く「悪」が存在しているからこそ、「気をつけなければならない」わけです。ですから、メディアリテラシーは同じ人類が宣伝、広報、報道するにもかかわらず、そこに政府、大企業の報道機関が介在すると戦争の原因が混ざる。これを見抜く目を養成することがメディア・リテラシーであって、要は、「本来ならば政府も報道機関も同じ人類が行う仕事なんだから戦争の原因となるプロパガンダ、情報操作、情報隠蔽、情報統制なんてやるはずがないと思いながらも、歴史を見れば政府や報道機関が戦争の原因となった事実があるんだから不断に監視していかねばならない」ということではないでしょうか?

 2:「政府に任せとけばなんとかなる。(中略)好戦的なんて妄想だよ」 「そういうプロパガンダがあるんですか?」

 これは身近でかなりありますよ。いわゆる「お上任せ」「あなた任せ」というものです。民主主義の責任を論じる場合に必ず述べることです。自民党の森喜朗元内閣総理大臣が総選挙にあって「日本は神の国。有権者は寝ていても構わない」という発言が大問題になったのは、政府の権力者が有権者の主権者意識、民主主義を眠り込ませ、弾圧してきた歴史があるからなんです。

 3:「人権というものは国家以前に存在する自然法、自然権ということです。」「これは、国が国民の人権を守らなければならない理由。」「国が実力をもって国民の人権を担保しなければ、人権は存在「できません」。

 国家が前国家的に存在する人民の自然権、人権を実現しているのであれば、そのような国家権力は人権を侵害していないのであって、人類の自然法、人権を反映し、担保した公権力です。ゆえに、そのような性格の国家権力は必要です。
 

 

 


比較はよくわからないけど
 私の近くで年金を60歳から65歳に上げられて約1200万円くらい国に取り上げられたことについて今怒っている人はまわりに数人います。国が借金を作り湯水のごとくにお金持ちに注ぎ込んだ。何兆円も銀行につぎ込む、その原資は国民ひとりひとりが国に寄付したような、60歳から65歳まで年金をなくした数百兆円というお金。ひとりあたま一千万円以上国にとりあげられて、文句も言えないのが日本人でしょ。これはだまされている人が多いということでしょ。それと戦争をした人たちがよく言っていたことで、戦争反対なんていうことができない国中の雰囲気だったといいます。
 当時の政府がひとりひとりにわからないようにだますでしょ。そしたらへんてこなのが、もっと強制しろといいはじめる。少し我慢した人が数十人にひとりくらいおいしい思いをする。餌と鞭で国民を脅したりすかしたり、する中で文句も言えないような社会になっていた。
 今でもそうでしょ。人のために一生懸命やる人、まじめにこつこつとやる人が馬鹿にされているでしょ。こずるく、抜け目なくやる人が上にかわいがられて出世しているでしょう。たくさんの人がやる気を失いしょんぼりとしているでしょ。まわりを良く見ればそんなの無限にあるじゃない?そしてその上にワーキングプアでしょ。食うかくわずの人が数千万人もこの数年で日本に生まれたわけでしょ。軍隊が必死にリクルートしているわけでしょ。
 常にあめと鞭で、国からのだましと、脅迫、欲得を利用した弱者同士でいがみあう状態にさせているわけでしょ。
 そういうふうにして戦前は戦争反対ということができない状態になっていたわけでしょ。治安維持法なんかがあって、三人であって話をしてはいけないなんてものもあったわけで。
 隣組なんかもお互いに監視して警察に通報する密告社会でもあったわけで

 だましと恐怖とお互いを監視しあう状態が人を脅迫的に戦争へと向けていった。

 そういうことだった。そういう事実を無視すると、歴史は繰り返すと思うよ。

 その上に、国家間のやりとりも付随的にあったと思うけどさ。


naokoさんへ
>わたしたちの社会そのものが、その経済的繁栄のために、「戦争を求めている」という事実に、どう直面したらよいのだろう?

そんな事実は、もう60年以上前の話ですよ。

朝鮮戦争での特需景気は、結果的に見れば「日本は戦争のおかげで儲かった」となりますが、もし、日本が米軍の占領下になかったり、あるいは米軍が単独介入でしかないというのであれば、特需景気どころか軍事侵攻されていたかもしれないほど、日本国内は恐怖と緊張の中にいたわけで、朝鮮半島の戦争を歓迎していたわけではありません。
また、戦争勃発前には、すでに日本は、満州事変勃発時に戻りつつあるほどの驚異的な復興が実現していたのが事実です。戦争特需は、復興のきっかけではなく、「復興の速度を早めた」というのが適切だと思います。

「いざなぎ景気」は、オリンピック開催に伴うインフラの急速な普及や大量消費社会の出現に伴う内需拡大によるものであって、ベトナム戦争の影響が皆無とまでは言いませんが、特に日本に影響があったとは言えません。

「平成景気」は、完全に小泉構造改革による規制緩和に伴う設備投資の増大です。ただし、その前に「ばらまき」と揶揄された小渕内閣の公共事業拡大(財政出動)が基盤となっています。イラク戦争が与えた影響はそれこそ皆無です。

日本のような加工貿易を主とする国においては、戦争はむしろ歓迎しません。輸送ルートの治安悪化や資源調達コストの増大、「販売先を失う」というマイナスしかないからです。
今現在、朝鮮半島に戦闘が勃発しようものなら、日本株が売られ、逆に株価が下落し、航路の安全も保障できず、むしろ景気が悪化します。


シンペイ様
道具を武器にしない人の意志が必要ですね。


それは違うと思うのですよ
>scottiさん
>武器があるから戦争をする
それは違うと思います
ヒトは文字より先に武器を作りました。
黒曜石の槍などをみればヒトは有史以前から武器を持ち争いをしてきたのが一目瞭然。
また武器を作らなければ爪も牙も毛皮もない裸のサルは生き延びられなかったでしょう。
それによく言われますがダイナマイトは本来安全なトンネル工事のために作られましたが
ヒトはそれをすら戦争の道具にしてきました。
第一次大戦で飛行機が戦争に使われた際ライト兄弟は怒ったそうです。
「軍人は空をすら殺し合いの場にするつもりか」
答えて曰く「そのとおり、何が悪い」
今ある武器を無くせばまた新しい武器を用意するでしょうね、ヒトという度し難い生き物は。
残念ながら争いとヒト、いやあらゆる生命は切り離せないと思います。
だからこそ一番タチの悪い生き物である人間は争いをコントロールしなければいけないと思うのですよ。
そしてコントロールとはただ嫌がり忌み嫌うだけからでは
生まれない、私はそう思います。
争いと戦争から生まれた技術がヒトの良い発展に応用された例も多々ありますからね。
ただ、だからといって戦争と争いを肯定する気は毛頭ありませんが


戦争は
武器があるから戦争をするのでしょう。武器があるから戦えるのでしょう。20世紀が戦争の世紀であるとするならば、武器のもつ破壊力が20世紀が最大になったということでしょう。武器が増える限り争いは起こり易くなり、拡大していくのではないでしょうか?
米国は圧倒的な武器を背景に、本土での痛みを負わないから、外国で平気で戦争を起こすようにも思えます。


naokoさんへ
(衆愚的回答)
 
 戦争はあくまで当事者同士(イラク戦争であるならばアメリカとイラク)に、その戦争に対する責任のほとんどを占めているというべきであり、非当事国である国々までに道義的責任があるとするならば、問題はややこしくなる。

たとえばアルゼンチンの例で言えば…

(Wikipediaより)……大統領に就任したフアン・ペロンは、第二次世界大戦で得た莫大な外貨を梃子に工業化、鉄道などの国有化、労働者保護などの政策を推し進めた。こうしたポプリスモ的な政策は当初は成功したが、すぐに外資を使い果たしてしまい、さらに貧民(デスカミサードス:直訳すれば「シャツ無し」だが、ここでは「上着無し」の意味)から聖母のように崇められていた妻エバ・ペロン(エビータ)が死ぬと傾きだしていった。

とあるのだが、そのアルゼンチン国民に対して「第二次大戦中に他者の命を食ってきた」として、その道義的責任を問うのは不可能であるといえよう。
 同様に西ドイツも、冷戦構造を生かして特需を得たといえるが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3
このことに関し、ドイツ国民に対して道義的責任を問われたという話は聞いたことが無い。
 この様なケースで特需を得た国は、世界経済は連動している為、数多の国(1970年以降は産油国が最大の特需獲得国であると思える)が「道義的責任を問われる共犯者」となるのだが、日本の一部を除き、数多の国々ではそのようなことに説得力を感じる事はないであろう。

 ゆえに、naokoさんのようなセンチメンタリズムに囚われて思い悩み、無駄な時間を費やすよりも、日本国としては如何にして戦争状態になることを回避するか、戦争に直接加担し銃口を向き合うことが無いようにするかをまず重点的に考えることが肝要であると思える。

 とはいえ、真に人命を尊重するならば、武力の存在も必要悪であると認めざるを得ない(伊勢崎賢治氏もおっしゃっておりました)というところが、また難しいものなのだが…。


戦争が好景気を招くという事実
第二次大戦後、日米同盟のもとで、日本が関わった戦争は、全てこの国に好景気をもたらした。

1、朝鮮戦争→特需景気
※これで日本経済は戦後の荒廃から息を吹き返した!
(潰れかけのトヨタも持ち直した。)

2、ベトナム戦争→いざなぎ景気
※アメリカの北爆開始と同時に、昭和40年不況から一転、戦後最長の好景気が、米軍のベトナム撤退まで続いた!
(その後、石油ショックに…。)

3、9.11~アフガン侵攻~イラク戦争
※「失われた10年」の大不況から、一転、いざなぎ景気を超える戦後最長の好景気「平成景気」が、ブッシュ退陣の今年まで続いた!
(今年、夏より本格失速…。)

このように、他国を戦場とし、他国人が血を流す戦争の恩恵によって、今日の日本の経済的繁栄は築かれた。

その意味で、全ての日本人は血塗られた戦争の恩恵を蒙っているといえる。
まさに、わたしたちは他者の命を食ってきたのだ。

そのことを、わたしたちはどう自覚したらよいのだろう?
わたしたちの社会そのものが、その経済的繁栄のために、「戦争を求めている」という事実に、どう直面したらよいのだろう?


東西南北さんへ
> 政府のプロパンガンダには真実が含まれていることが原因し
> て戦争が起こるのですか?
 戦争の原因は別。その原因を国民が妥当と判断するかしない
か、判断の材料を提供するのが、宣伝・広報。宣伝・広報は、
戦争に対して賛成・反対のどちらの勢力もしている。
 より真実を含む宣伝又は、より国民の要望に沿った宣伝を行
った勢力が支持される。ただし、宣伝・広報の演出技術という
ものがあるから、要注意。
 この「要注意」の部分が、最近ではメディアリテラシーとし
て注目されている。
 最初に善悪を決めてかかるのではなく、その都度判断をしな
ければならないという事です。

> 「政府に任せとけばなんとかなる。(中略)好戦的なんて妄
> 想だよ」
 そういうプロパガンダがあるんですか?
 東西南北さんの主張を鏡に映しただけですね。やっぱり単純
だなぁ…

> 人権というものは国家以前に存在する自然法、自然権という
> ことです。
 これは、国が国民の人権を守らなければならない理由。国が
実力をもって国民の人権を担保しなければ、人権は存在「でき
ません」。
 東西南北さんが通っていた中学校・高校では、ずいぶんと端
折った説明をしていたんですね。


またまたバランス悪いので
勧善懲悪的思考は現実味がありませんが、「正義」と信じて国民を扇動する迷惑な人たちもいるのは確かで。
日本が派兵した直近のイラク戦争はどうだったでしょうか。
けっこう成功したんじゃないでしょうか。
多少反対はあったにせよ目的は達成されました。
現地に派遣された自衛官は、あわよくば戦闘に加わろうとしていました。

あの時、政府やメディアが垂れ流す情報を信じた人もいたのも確かで、派兵に賛成した人も少なからず嘘の情報に踊らされたのも確かでしょう。
“彼”はどうして易々と騙されたのでしょうか。


もっと根幹的に言えば
「国家と戦争」を述べることは可能ですが、それが今回の主題ではないと思います。お玉さんは、おそらく「戦闘行為が起こっている状態」を「戦争」として捉えているんだろうと思います。

それを踏まえて、もっと根幹的なことを言えば、『当事者双方を仲介し、物理的な衝突を強制的に禁じる存在がない』ということが、お玉さんのお題に応える最も近い答えになろうかと思います。

国内であれば、行政組織であれば警察があり、正当性のジャッジは裁判所があります。かつて地域コミュニティが機能していれば、町内会やご近所もそうした機能がありました。学校で生徒どうしがケンカをすれば、教師が間に入っていましたよね。
こうして、国内においては、対立する当事者双方の間に入って仲介し、不法行為や実力行使を強制的に抑止することができるわけです。

国際社会にはそれがあるにはありますが、いかんせん、国内のようにはいかない。仲裁役の勧告に従う義務も、建前としてはあっても、実効性が確実にあるかといえば、必ずしもそうではない。だから「起きてしまった」というケースが多いんだろうということです。
20世紀は、まさに、それが極端に出てきてしまった。だから「戦争の世紀」と呼ばれる状態だったんだろうと思います。しかし、日本も戦国時代は、「縮小版・戦争の世紀」だったわけです。その規模が大きくなったという理解が、おそらく近似値だと考えます。

そして、「対立」とは、何も「贅沢な欲望」に起因するものに限るわけではありません。むしろ、「不必要な欲望」が原因であるならば、まだ「失うリスク」を冷静に考えて「やめる」という選択をとることもありますが、「生き死にがかかっている」ような重大事となれば、ダメ元で、ということで軍事力を発動することが多いのは事実です。
双方がともに「生き死にがかかっている」という状態になったら、まさに難しく、そして長期化する「戦争」になってしまいます。その代表例が「飲み水が確保できない」「作物が育たない土地、気候」からの脱出を求めた「侵略」ですね。

ゆえに、「生き死にがかかった状態」をどこまでなくすことができるのか、そして「争い」が起こったときに、いかに仲裁役が「実力行使」に双方とも至らないように実効性のある措置がとれるのか、これが問われているんだろうと思います。


ダイスさんに一票
>今日の民主主義と国民軍による国家間戦争は、直近のルーツはどちらもフランス革命でしょう。
>この二つはセットなんですよ。

私もこの認識は正しいと思う。市民革命こそが20世紀の戦争の原因。左翼はここをしっかり見据えるべし。

考えてみてください。もし、市民革命以前にゲーリングがいたとして、彼のプロパガンダでWW1や2のような大規模な国家間戦争が起きたかどうか? 考えられないでしょう(ユダヤ虐殺は起こったかもしれないけど)。

市民が王から独立して国民国家なるものを作ったからこそ、国民同士が戦争するようになった。国民の中に「私は○○国民」という意識がなければゲーリングの扇動なんて誰も耳を貸しません。そして戦争が、もっとも協力に国民に国民意識を植え付けるんです。日本国民が日清・日露戦争に狂喜したのも、そのことによって日本国民という意識が芽生えたから。そういう国民に支えられて日本政府は日中戦争、太平洋戦争に突入した。

ドイツでも事情はよく似たようなもの。イギリス・フランスに比べれば国民国家の建設が遅れたドイツは、遅れたがためにかえって国民意識が高揚した。その下地がなければゲーリングのプロパガンダもさほど効き目はなかったでしょう。

騙される方にも騙されるだけの理由はある。東西さんのいう平和運動とは、一度ならず騙されたのだから、もう騙されないようにしよう、というのものではないですか? だから騙す方を敵視する。でも、騙す方も騙される方も同じ国民だというのが民主主義国家の複雑なところ。


無力なわたしでも生きているなら
>口喧嘩も戦い方を変えた規模の小さい戦争ですよ
んー、それはちょっと・・・
戦争の定義にだけこだわるのは無意味でしょうが、互いを知った者同士の争いは戦争ではないと思います。戦争はやはり政治的な色合いが強く、異なる集団の勢力争いと考えた方がしっくりくる。

それから、共同、というのは大事なところだと思うのですが、どういう形で共同性を活かせるのかが問題ですよね。個人の意欲を引き出せない、形式主義に陥った共同行為には賛成できない。それが社会主義が失敗した原因のひとつではないですか?シンペイさんの言う「欲」以外にも、人には互いを認めてともによい関係をつくって生きる資質もあります。それが九条だとか国際連合だとか、いわゆる理想主義の元になっているんだと思いますが、現実にそれらがうまく機能しているかどうかはまた違う問題ですね。人間の持つよい資質をいかに活かしていけるか、そのへんが、「本質」問題とも相まって人類の未来の鍵となるのかなあ、と感じますがいかに。


東西南北様
あなたの思想はよくわかりました。

ただあなたの主張には具体性が何もない。身近なものが何一つない。しかもなぜそう思うのかは自明のこととして処理されているから考える参考にすらならない。

議論はもうおなかいっぱいです。
私にはあなたが生きている人間のように見えません。
なぜあなたはそんな硬直したドグマに囚われているのですか?


東西さんの意見を読んで
 横入りスミマセン。

>戦争は政府が起こしたのですよ。

 という意見は、あまりにも政府(国家)と人間性とを分けすぎていると思います。
 結局のところ、東西さんの観念の中に、「人類の人権、民主主義を徹底させるには、共産主義しかない!」というものがあり、そこから意見を述べられているように見受けられるのですが、例を挙げて共産主義一つをとっても、キューバのように「光」に当たるものもあれば、北朝鮮や中国共産党といった「闇」もあるのです。
 というわけで、共産主義が「光」にも「闇」にも転ぶのは、人間性の「光」と「闇」が如実に反映してしまうのが共産主義という国家制度であるということなのでしょうが、何れにせよそのような説明の仕方をしなければ、アメリカよりも遥かに信頼度の高い世界の情報が集まるといわれるキューバと、世界最悪のプロパガンダ国家の北朝鮮との落差を説明できないと思います。

 これをもっと平たく言えば「民度の違い」と呼ぶのでしょうが、何れにせよ人類が今の文明社会に依存した、肉が食えたり車に乗れたりする生活を送るには、共産主義なり資本主義なりといった「主義」を持つ国家制度の下で生活をしなければならないのです。

 そこで、「国家」というシステムは人々の生活を守る事もするのだが、反対に人々の生活を脅かす事もするので、お玉さまが挙げられたような問題意識をつねに持ち続ける事で、「国家」が人間性の「闇」を反映しないようにする事が肝心かと思います。

>人類の人権、民主主義を徹底するのであれば、共同生存、共同労働、
>共同管理・運営を実現すればよいのです。国家も「管理の専門家」
>にお任せするのではなく、みんなで共同で管理・運営していく。
>職場も同様にしていく。

…、「”医療の専門家”にお任せするのでなく、みんなで共同で投薬・手術をする」と言い換えれば、東西さんのご意見の非合理性がお分かりになるかと思います。

 因みにキューバは官僚国家といえますが、国が基本的に貧しい事に加えて、ノブレス・オブリージュが徹底されている為、官僚の汚職が一切ないそうです。
これまた人間性や民度の違いといえるのでしょう。


それは屁理屈だと思う
じゃあわたしも一言だけ
>このブログでの戦争の定義は国家が起こす軍事闘争ですよ
いやそれはもうただの「何が何でも国家を否定する」為の屁理屈だと思うのですよ
「国家が形成されてからの闘争を戦争」というなら
もう理屈も理由もなしに「国家が存在しないのに
戦争など存在しない」のは当然ですね、確かに。
私はそうは思いません。
「戦争」とは極端な話「争い」「奪い合い」を言い換えただけと思っています。
口喧嘩も戦い方を変えた規模の小さい戦争ですよ、と思います。

>共同生存、共同労働、共同管理・運営を実現すればよいのです
それ、ただの社会主義でしょう。
既に実に無様な形で歴史に否定されてます。
闘争心はともかく人には欲があります。
「俺はあいつより儲けたい」「彼よりたくさん食べたい」
「彼女よりハンサムな男をモノにしたい」と
考える限りそのような体制は絶対上手くいきません。
「動物牧場」という小説がそれを見事に描いています。
それに人には向き不向きってモノがあります。
肉体労働が得意な人、物資流通の管理が上手い人、
他人を上手くノセてやる気を出させるのに向いている人。
そういった能力の差や効率という物を無視し
ただ集まってだらだらと作業をする、それじゃヒトの進歩は無いと思うのですよ
それとも東西南北さんはヒトは規律良く集合して文化を推し進めるより
ただ群れるだけであるべきといわれるのでしょうか。

あと、「選挙で選んだ政治家が戦争を起こした」のなら
その責任は間違い無く国民にあります。
安部を選んで近隣諸国との関係が悪化したのも、
福田を選んでもうアレがナニでンな状況になったのも
(我々が直接選んだわけではありませんが)
間違い無く私たちに責任があります。そのような「責任転嫁」を否定し
「政治の結果に対する責任」を国民が背負わねばならないのが民主主義です。
私はそう考えます。


ダイスさん、シンペイさんへ。
 ダイスさんへ。

 1:うーん。どうも論点が摩り替わっているような気がします。政府のプロパンガンダには真実が含まれていることが原因して戦争が起こるのですか?つまり、それが国民を騙すということですよ。ゆえに、政府のプロパンガンダなどの情報統制が原因で戦争を政府が起こすわけでしょう?違いますか?国民がプロパンガンダをしてわけではありません。戦争の責任を国民へ転嫁することは卑劣ではありませんか?戦争は政府が起こしたのですよ。一億総懺悔論は政府の戦争責任を軽減するものであり、むしろ、民主主義の責任論を言うのであれば有害無益ですよ。国民が政府権力を監視し、その暴力面を暴きだし、追及する力が弱まるじゃないですか?「政府に任せとけばなんとかなる。政府も人間集団なんだから国民と同じなんだから戦争なんてしたくないし、好戦的なんて妄想だよ」というような悪質なプロパガンダに騙されませんか?

 2:「そもそも東西南北さんが、こうしてコメントを残されているのも、国があなたの人権を保障しているからではありませんか。人権以前に、あなたが生存しているのは国のおかげでしょ。」

 これは違いますね。人権というものは国家以前に存在する自然法、自然権ということです。ですから、東西がコメントを自由にできる原因は人類、人民の人権擁護の運動です。国家が東西に人権を「与えている」のではありません。これが事実の因果関係、すなわち、科学です。ですから、諸国の国民は自国の国家、政府に対し、自然権・人権を実現する不断の運動をするわけです。そして、このような前国家的な自然法、人権を実現していく運動が立憲民主主義であり、平和の原因なのです。そこで、前国家的な自然状態の人間の自由とは何か?という問題が浮上するのであって、階級・国家が誕生する前の人類の生活権、自然法、人権について中学生・高校生の学校教科書の知識を踏まえて述べたわけです。

 シンペイさんへ。
 
 お玉さんから注意が入っていますので、一言だけです。というか、このブログでの戦争の定義は国家が起こす軍事闘争ですよ。憲法9条と日米軍事同盟が機軸なんですからね。そこで、階級・国家が誕生する以前には戦争は存在しないと述べているのです。なお、このような戦争の定義は通説的な見解です。「戦争とは政治の延長である」という定義が有名ですね。

 階級・国家が誕生する以前に人類が殺し合い、奪い合ったという証拠が、地理的にも時代的にも普遍的に出なければなりません。例えば、極一部の集落の極一部の場合における人類の化石から、その「死因」を事故ではない「殺人」だと断定し、動機が何なのかの確定も必要になります。シンペイさんのいうような人類の本性・特質が「殺し合い、奪い合う」というようなことを証拠づけるものは「ゴロゴロ」出てきていません。むしろ、その逆です。「ゴロゴロ」出てきているのは、階級・国家が誕生する前の人類は共同で助け合い生存し、共同で労働し、共同で集団、集落を管理、運営していたという証拠です。要は、戦争は人類史の極々、最近に階級・国家が誕生した後に発生する現象なのです。つまり、今まで共同生存、共同労働、共同管理していたが、生産力が高まり「管理の専門家」という支配階級が発生してきたところに戦争の起源があるわけです。ですから、人類の人権、民主主義を徹底するのであれば、共同生存、共同労働、共同管理・運営を実現すればよいのです。国家も「管理の専門家」にお任せするのではなく、みんなで共同で管理・運営していく。職場も同様にしていく。つまり、民主主義、国民主権を徹底していくということです。これが平和的生存権です。


ちえんさん。
>「一般の人たちが恐怖で、声をあげられないなんて当たり前だ。」
当たり前だとは思いません。
声を上げないのは認めているのと同じで、戦争が始まればそんな人たちは協力者になります。

また目的遂行のために戦争を選択した権力者が同胞に向かってすることは人間の本質を利用したものですよ。
危機感を煽る→同胞のために逃げずに戦う
国益を害する→集団からの孤立(排除)
あとは、“敵”を同等の人間とは思わせないようなプロパガンダを繰り返せば良いだけです。
“相手”の手の内を深く知ることや、戦争に協力的・無批判な人の心理を知ることは、ちえんさんのような方の願いを達成する時に大きな武器になると思います。
しかし、ちえんさんは戦争を誰かのせいにし、戦争に協力した人は騙されているか恫喝されていたとしておきたいようですが、それが戦争を止める力になるか甚だ疑問です。
なぜなら意識・無意識のうちに戦争に協力する人たちと同じだからです。
国がどのように振舞うかはその国の国民、すなわち貴方の問題であり私の問題ですよ。


利用することされること
長らく参加できないうちに「ヒトはなぜ戦争・・・」のコメント談義が終わっている・・・^^;

>新聞やラジオ、映画などのマスメディアがあるからこそ、プロパガンダ(情報宣伝)が可能となる。
僕らが情報をどう扱うかっていうのが、もしかすると一番難しいところなんじゃないかと思います。情報に踊らされてしまうことをやめるにはどうすればいいか。ごく簡単にいうなら、自分の血肉になるような情報をつかむ生き方をすること。偏見を持たず、まず自分から飛び込んでありのままを知ること。そのためには、大きな媒体から知識だけを調達してもダメだということです。
 話が違いますがダイスさんの書かれている、国あっての我々、という認識について。確かに今のわたしたちは日本という国に住み、その中ではじめてよい暮らしをすることができています。ですが、国のありようになにも問題がないわけではない。というか、問題だらけです。笑 だから、権利を当然として批判だけするのでなく、この社会でどうやって生きていきたいか、そのために国や地域に対してなにを求めるかを考え、話しあって行動していくべきだと思います。
 余談ですが、井戸を掘って水を得るのも、それが必要なところであれば大事なことですね。日本ではそんな身近なレベルで生活を見つめることができなくなっているので、遠い他人が行う行政を批判するしか手がないわけです。でもそれが住民のエゴでしかないのなら、やはり民主主義の価値が問われますね。


雑感
私の言いたいことは、ダイスさんやわくわく44さんが言ってくれているので、助かります。

ちえんさんは、歴史や社会を余りに単純化しすぎだし、昔の日本人を今の日本人の尺度で測る、という致命的な欠陥があります。 「政府=100%悪、人民=100%善」という図式は耳に快いでしょうが、「自分だけ良い子ちゃんになりたがっている」ようです。 実際は、「国民自身が戦争を望んだ」のです。 それでは戦争の反省につながらず、また同じ過ちを犯す恐れがあります。

ではなぜ国民が戦争を望んだのか? 戦前の日本が、日清戦争・日露戦争・第一次大戦と、戦争するたびに領土や賠償金を手にして豊かになり、国際的地位も上がり、国民に「戦争とは良いものだ」という、単純なイメージが植えつけられていた点が上げられるでしょう。 これには「近代」という時代が国家・民族の青春期に当たり、国民国家の形成とナショナリズムの高揚を経て、多大な犠牲を払った挙句、やっと成熟して大人になる、という説があります。 

ヨーロッパ諸国は第一次・第二次大戦の惨禍を経験してやっと、「近代を卒業」し、「脱近代」の時代に入り、EU統合へ進んだというものです。 アメリカはまだ、近代を卒業できていないようです。 日本はやっと、近代を卒業しかけている段階でしょうかね? 戦前の日本人が戦争を支持したのは、国民としての成熟度・発展段階がその程度だった、ということです。 

それに対し、第二次大戦で敗北した日本は、いっぺんに戦争アレルギーとなってしまったのです。 今でも右派・左派に分かれて論争が続くのは、敗戦による価値観の混乱が続いているのでしょうが、そうした論争により、日本人はずいぶん成熟してきたと思います。

古田 博司 著 『東アジア「反日」トライアングル』 (文春新書) によると、中国はやっと近代の入り口に立ったばかりであり、韓国は近代の最中、 北朝鮮に至ってはまだ中世にいるのであり、東アジアで唯一ポスト近代にある日本は、こうした異時代の国家群に囲まれ、彼らのナショナリズム高揚の道具にされているのだそうです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166604678/qid=1131083327/249-6669429-8320356

とするならば、東アジアでEUのような共同体を作ることなど不可能だし、中韓朝が戦争を起こす可能性の方が高い。 日本はそれに対する備えを怠るべきではないでしょう。


ちょっとだけ突っ込み
あ、このまま戦争の定義の話するのだったら東西南北さんちでやってね。



東西南北さん
>なぜなら、戦争とは国家が起こすものであって、階級・国家が存在しないのに
戦争など存在しないのです
それってつまり「争いや奪い合いは戦争じゃない」と言い換えてるだけに過ぎない
のではないですか?
物的証拠なら「黒曜石の槍に貫かれた頭蓋骨」など本当に探すつもりで資料調べれば
ナンボでも出きますよ?
物的ではありませんが状況証拠としてなら人類の原型である
サルやゴリラは食料を奪い合って殺し合いしますよ?
国家など形成していないスズメバチは異種族に対して
相手のコロニーを殺しつくす「絶滅戦争」起こしますよ?
そもそも東西南北さんの「戦争の定義」を聞いてみたいものです。
「正式な文章による宣戦布告」ですか?
連合赤軍による殺人は「戦争」ではないので肯定されるのですか?
ちと「国家が悪」という結論ありきな発言に見えてしまいます。
「国家」という組織無しで文明を維持するのは可能なのか
ものっそ知りたいのですが。


戦争はギャンブルです
ちえんさん、それでは第二次大戦以降の戦争を語るには十分ではありません。
100年も前から、戦争は基本的に総力戦です。「全財産と生命までつぎ込んだ投資」のようなもので、勝つことはもちろん、戦後に回収できる「リターン」を確保することが絶対条件となります。負ければ、全財産と生命を失うことになります。

「絶対に失敗しない」という見込みと自信がないときに起こす戦争とは、「一か八かの大勝負をしないと、もう生き残れない」というものになります。前者の戦争をやりうる国は、今現在はアメリカぐらいしかありませんが、そのアメリカですら、もはや国連のコミットなしでの戦争が成功しないことは、アフガンやイラクで証明されています。

満州事変や日中戦争が日本国民に支持されたのは、権力者が恐怖や恫喝をしたり、国民を無知にしたことも、理由としてないわけではないですが、世界恐慌をなかなか抜け出せずに、困窮極まる生活を脱出するに、戦争がそのきっかけになることを知っていた国民の「気持ち」も含まれています。
言い換えれば、いくら権力者が庶民を「だます」としても、国民自身が「戦争なんてしなくても・・・」という状況ならば、総力戦を継続することは、当時の日本でも不可能です。ましてや、当時の日本国民においてですら「大国」と認識しているアメリカ相手の戦争など、それを支持するに値するリアリティが国民自身になければ、とてもやれるものではありません。

日中戦争から日米戦争への資料は、「アジア歴史資料センター」に残されています。世界情勢はもとより、日本国民感情や経済状況まで細かく調査し、検討した上で「開戦」しました。それでも「無謀」と後ろ指を指されるのです。戦争は「起こしたい」という気持ちとプロパガンダだけでやれるような代物ではありませんよ。


東西南北さん
> 要は、戦争の原因は政府であって、平和の原因は国民の平和
> 運動だという因果関係、すなわち科学ではないですか?
 単純な二元化だなぁ… と思います。平和運動を装った間接
侵略というのも在りますし。
 政府が悪。国民は善。こうしてしまえば楽なんでしょうが、
それは同時に「国民はバカ」と言っているのと同じ事です。
 宣伝によって国民が誘導されるのは事実ですが、なぜ簡単に
誘導されるのでしょうか? 宣伝の中に真実の部分も存在する
からですよ。あるいは、国民が希望する事柄を含んでいるから
と言い替えてもいいです。
 相手に何らかの共感を与える事柄を含まない話でしたら、ど
んなに一生懸命語っても、相手は動きませんって。

>  国民が戦争を支持する原因はどこになるのでしょうか?国
> 民が戦争を支持するのは何故でしょうか?この回答を与えて
> いるのが、この記事であって、ゲーリングの証言ではないで
> すか?
 色々あると思いますよ。まぁ、一番単純なのは生存権への脅
威なんでしょう。だから「脅威論を吹聴する奴」が危険なんで
しょうね。
 もっとも、その事に気付いてしまえば「脅威論を吹聴する奴」
なんか「ちょっと敏感すぎるセンサー」と思えば、「単純な平
和運動家」よりよっぽど社会の役に立ちます。脅威の存在を警
告してくれるし、脅威に備える事自体は悪い事じゃありません
から。

 正直、東西南北さんの論は言葉遊びの域を出ていないと感じ
ています。
 戦争もその他の争いも、基本的に同質ですよ。何処だったか、
弓矢を持った三人が、弓矢を持った二人を挟み撃ちにしている
壁画があったはずです。
 そもそも東西南北さんが、こうしてコメントを残されている
のも、国があなたの人権を保障しているからではありませんか。
人権以前に、あなたが生存しているのは国のおかげでしょ。水
道水を使って生活していると仮定しますが、初期の国とは、国
≒治水管理者としてもそうハズレではないですよ。「対価を払
っている」? お金で払っているのならば、そのお金の価値を
保証しているのは何ですか? 国でしょ。

 国を悪者にしてしまえば楽でいいな、とは理解できますが、
だったらせめて自前の井戸を掘って、貨幣経済に頼らずに自給
自足する覚悟を示して欲しいものです。
 自分に都合の良い場合、国を認めるのであれば、主権者とし
て、自分に都合の悪い国も同じように認めて欲しいものです。
それが、民主主義者の責任のありようだと考えます(民主主義
者でなかったのなら、申し訳ありませんでした)。


kyさんへ
 非国民として平和を望む人たちを監獄へ送った国民もまた、恫喝されていたこと、しかも想像を絶することをされるという恐怖の中にあったことは事実です。
 もちろん、麻痺して自己中心的になって、なにも痛みを感じなかった人たちも多くいたとは思いますが・・

 今でも同じようなことはそこかしこにあるじゃないですか。国民の三分の一が極貧の状態におちているのに、生活保護費をけずれとか、軍事費を増やせとか、・・もし、苦しい立場で、必死に働いている人がそれを聞いたら、言った人間をなぐってもおかしくないようなことを言っている人がたくさんいると思います。
 すべての大人は知っていると思います。そういう事実があることを。ただ、どうしたらいいかわからないのだと思います。もし、自分が周りと違う意見で正しい意見を言ったら、・・社長がいいというなら許されると思うけど、社長がだめだと言ったら、今後数年は冷や飯を食わされると思うと正しいことって言えないでしょ?
 それを国が悪いことやって、だましていたんだよ。今でも、そうだけど。
 右翼をだましていいように使い、暴力団なんかもだましていいように使い、警察も権力としてさんざん使う権力が間違っていたんだから、一般の人たちが恐怖で、声をあげられないなんて当たり前だ。
 そういう中でも、昔のように焼け野原になるよりましだからと平和運動がほそぼそと続いているんだと思う。
 
 人間の本質なんて関係ないといっていいと思う。ほんの兆の数乗くらいの一くらいの原因だと思う。
 原因は戦争がやりたくてやりたくて仕方のない人がメディアを使ってだます。恐怖や恫喝をする。無知の状態にする。弱者が弱者をたたくように強制する。単純にこれだけだと思うよ
 


シンペイさんへ。
 シンペイさんが、人類史において階級・国家が存在する以前に戦争があったと思うのは自由ですが、事実としては階級・国家が誕生する以前に戦争は存在していません。なぜなら、戦争とは国家が起こすものであって、階級・国家が存在しないのに戦争など存在しないのです。これは中学生・高校生の社会科の学校教科書にも記載している事実関係です。階級・国家が誕生する以前の人類史をどうやって確認するのか?という質問については、階級・国家が誕生した後の歴史と同じですよ?異なる点は階級・国家が誕生して以降は、「文字」による文献資料が加わるだけです。しかし、文献資料についても歴史の再現には必ず物的証拠が必要となります。要は、階級・国家が誕生する前の人類史の再現方法は、歴史学というよりは、自然科学なのです。つまり、地質学、人類学、人類進化学、分子生物学の人類への応用、考古学などとなります。

 戦争の問題とは直接関係ありませんが、シンペイさんが述べているような「殺し合い」の物的証拠が普遍的に発見されたということはありませんので、それはシンペイさんの「想像力」に留まるということです。シンペイさんの説である人類は「殺しあい、奪い合う」本性、特質を持つ存在であることを証明するには、階級・国家が誕生する以前の人類史において、地理的にあらゆる時代に普遍的に「殺し合い、奪い合った」証拠となる物的証拠で出なければなりません。


まさに。

軽々しく戦争を言い、反対を腰抜けと罵る。

まるで…バックトゥーザフューチャーの悪役、ビフです。(笑)


総力戦、消耗戦・・・
>戦争自体は昔から絶え間なく繰り返されてますが、WW1以前は前線と銃後というのがはっきり分けられていた…つまり、戦線が点と線での争いに過ぎなかったのに対し、WW2では、前線も銃後も関係なく戦線も面へと変化し、非戦闘員も巻き込まれるなど国同士の総力戦となり、悲惨さが激増したことで、戦争の世紀と言われるようになったのでは…。

現在、国民国家を成立させたフランス革命に総力戦の起源を求めるのが大勢かと思われます。
ナポレオン戦争下、国民軍として膨張した大陸軍に徴用された市民の犠牲は増加、続く米南北戦争下、総力戦を意識したシャーマン将軍等による市民に対する計画的虐殺が行われ(隣国の市民をカタワにして敵国力を削ぐ戦法が有史来至る所で繰り返されているように、総力戦の概念自体は古代から存在している)、前線と銃後の境目は無くなった。
これをもって南北戦争が前線、後方の区分けを葬り去った戦いと位置づけられる。
広く人口に膾炙する歴史認識はこんなところでしょう。

戦闘員、非戦闘員のボーダーレス化(抵抗運動も含む)についてはゴヤのマドリード、1808年5月3日やD.W.グリフィスの国民の創生なんかもよく引用されていますよね。


戦争は手段
何が戦争の原因となるのか。
当事者の対立を仲介する強力な存在がなく、当事者の欲望を掣肘する存在がない。

悪意による対立がある。
善意だと信じていることが、一方では悪意となることもある。
欲望を完全に達成したいために圧倒的優位に立ちたいという悪意もある。
限りある存在の争奪(=生存が関わる)が原因となることもある。

「戦争をしたくない、戦争なんかなくすべきだ」という声を上げている人たちが、なぜか戦争を惹起しているケースもある。

究極的な解決は「戦争をしない方が得になる」というものを見出すことかもしれません。


それ違うと思うな
>東西南北さん
>人類史の中で階級・国家が誕生する前には戦争は存在しなかった
それは違うと思うのですよ。
「階級・国家が誕生する前の人類史」なるものを
どうやって確認したのかは存じませんが
それ以前は食料の奪い合い、(無礼失礼)メスの奪い合いで殺しあってたでしょう。
無垢なケモノ達も本能でそれらを奪い合って殺しあっています。
単にヒトというケモノの数が増えて殺し合い、奪い合いの規模が
大きくなり、工夫するようになっただけです、はっきり言って。
「争い」「奪い合い」の表現が「戦争」になっただけに過ぎません。
それにオッペンハイマーやアインシュタインは
「この世から戦争を無くすため」にアレを作ったんですよ?
勿論争いや、まして戦争を肯とする気はありません。
ただ現実を拒絶しても現実からは逃げられないのですよ。
まあある意味「戦争が全く無かった」のは靴屋の息子が支配したソ連か毛沢東支配下の中国でしょうね。
「内乱」「騒乱」「暴動」「開放」ばかり起こって戦争など
一件も起きてませんから。


“脅威”のスターの実像
私の若い頃は“脅威”と言えばソ連でした。日本に攻めてくるとしたらソ連、ミサイルを打ってくるとしたらソ連。北朝鮮などは、あそこにも変な国があるというくらいで、中国は大きいけれど、まだ、地味で貧乏な国という印象。輝ける“脅威の主役”はソ連でした。日本に米軍基地があるのも、「しょうがないよね、ソ連から守ってもらうんだから」てな感じで、私自身もそう思っていました。「鉄のカーテン」という言葉もよく聞かされて育ったので、頭の中のイメージの地球では、ソ連とその衛生国の国境には鈍く光る鉛色の、巨大な半透明のカーテンがぐるりとぶら下がり、その向こうに透けてみえる人々の顔はみな、まるで個人的な感情など持たないかのように、冷たくこわばっていました。

このメーリングリストの記事はあちこちで紹介されているので、とうにご覧になっている方も多いかと思います。
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/550
TUP速報507号 「テロとの戦い」の真相を探る 050601

私がこれをを初めて見たのは、ここで薦められている、NHK BSでの『「テロとの戦い」の真相』(原題『悪夢の力』)(BBC放送製作)の放映から、一年近く後だったので、番組そのものは見損ねました。(一時、動画配信のサイトにもありましたが、私のPC回線の接続が遅いので挫折)しかし、記事の後半部分の↓こちらの文章の内容だけでも、十分ショックが大きかったというか、興味深かったというか、ズッコケたというか・・・・

■いつか来た道
 ――BBCドキュメンタリー「悪夢の力」を見よう!
トム・ハートマン
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 もし、冷戦があまり必要なかった、いやほとんど必要なかったとしたらどうだろう? もし、じつは冷戦が20年間、大量破壊兵器に関する偽りの脅しででっち上げられていたとしたら?

 もし、同じく「テロとの戦争」がハッタリ同然で、ブッシュ政権により実態以上に誇張されたものだとしたら? もし、私たちが「敵」と思わされているものが、実在はするけれども、イスラムの主流からかけ離れた無法な犯罪者集団によってもたらされる比較的小さな脅威だとしたら? もし、その誇張が主にブッシュ大統領とブレア首相の権力、選挙での勝ち目、地位の三つを高めるために行なわれているとしたら?

 そしてもし、世界がこの双子の欺瞞のもっとも衝撃的な側面、つまり1970年代も最近も、まったく同じ連中がそのでっち上げに手を染めたという事実を知ることになったとしたら?

 驚くなかれ、そのとおりになったのだ。 (以下続く)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

> KYさん

>「戦争に駆り立てるメディア」を喜んで見て聞いて頷いていたのは誰だ?

あなたの言われることに基本的には私も賛成です。「私は偉い人たちに従っただけだ。何の力も無いわれわれに何の罪がある?」というのは正しい言い訳ではないと思っています。ただし、いつの時代も私たちと国のトップにいる人たちとの間の、得られる情報の質と量の差は、おそろしく大きいものです。彼らは私たちに知らせたら都合が悪いと思えばそれを隠し、そう信じてほしいことは誇張し、ウソさえつくかもしれない。それをどう見破って正しい判断力を養っていくか、これからの課題も大きいと思います。(もちろん国民の側も、自分たちにウソなどつかない誠実な政治家を選ぶことと、たとえよくない事実を知らされようと、感情的になって行動したりしない、冷静さと賢さを身に着けて行かなければならないとは思いますが)


KYさん、ダイスさんへ。
 ダイスさんへ。

 戦争の原因は政府にあるのではないですか?他方、政府が起こす戦争を防止するのが国民の平和運動ではないですか?要は、戦争の原因は政府であって、平和の原因は国民の平和運動だという因果関係、すなわち科学ではないですか?

 国民が戦争を支持する原因はどこになるのでしょうか?国民が戦争を支持するのは何故でしょうか?この回答を与えているのが、この記事であって、ゲーリングの証言ではないですか?

 KYさんへ。

 ダイスさんへの質問と同じ論点となります。

 


バランス悪いので一言
>『戦争がなくならないどころか増えているのだろう?』

の問いに対する答えが

>『「危機を煽り、」「恫喝する」ためには、媒介が必要となる。つまりメディア。これを言い換えれば、新聞やラジオ、映画などのマスメディアがあるからこそ、プロパガンダ(情報宣伝)が可能となる。

だからこそメディアが発達した20世紀は、文字通りの戦争の世紀となった。』

ですから当たっていると思います。

「なぜ前線も後方も無くなったのか」
「なぜ一つの戦争で多くの民間人が死んだのか」
という問いなら科学兵器の発展(もしくは通常兵器の近代化)が答えになろうかと思います。

それとKYさんダイスさんの言われたようにそれを許し協力した国民の罪は戦争指導者とは別の罪があると思います。
多くの人々がその罪に自覚的であるならば、現代において啓蒙、啓発、戦時体制を整えようとする政府への批判をする者達に対して協力的になると思うのですが、なぜか批判者が逆に批判されるということが多々あります。
KYさんが書かれたように、建設的なアドバイスではなく、ただただ罵倒するといったものもあります。

>なぜ戦争がなくならないどころか増えているのだろう?
これを考える上で、批判者の批判者を批判するのではなく、そういった人々の心理をもっと見ていく必要があるのではないでしょうか。
それと同時に当時の指導者たちの目的は何で、なぜ戦争に至ったのかを見る必要があると思います。


自分の手は白いと思っている偽善者どもへ
一部の戦争気狂いが無辜の市民を扇動して戦争を起こした。だからそいつらを吊るせば戦争は起きない。私達の手は白かった。だと?笑わせる。

「戦争に駆り立てるメディア」を喜んで見て聞いて頷いていたのは誰だ?日露戦争の講和条約に不満で焼き打ちをしていたのは誰だ?関東大震災のときに朝鮮人を打ちのめしていたのは誰だ?非国民を嬉々として密告していたのは誰だ?軍の命令にかこつけて弱い者をいじめていたのは誰だ?みな国民じゃないか?おまえたちの先祖だ。わたしたちの係累だ。俺達の手は白くなんかない。

ドイツ人はナチスに全ての罪を被せて自分たちの罪をなかったことにした。それは欺瞞だから、あの国ではナチスは蛇蝎のように嫌われる。別に彼らが戦争の反省の結果とやらに潔癖だからそうしているわけじゃない。ナチスについてつつき回せば彼らの偽善が暴かれるからこそ連中は必死になってナチスを見ることを禁じるのだ。

人はもともと罪にまみれて生きているものなのだから、それ自体は別に悪いわけじゃない。生きていくにはそれを隠さなければいけないこともある。
ただそれを知ったうえでやるのと、本当にそれで自分の手が白くなると勘違いしてやるのとでは大違いだ。

自分の手は黒い。それは自分の責任とは言い難いけれど、黒いのだ。それを自覚して初めて交渉も提案も受け入れられるものになる。白手袋で黒い手を偽っているような人間の言葉など誰が信じよう?

日本発の平和運動どもがどうしても上っ面のきれいごととしてむなしく響くのは、自分の手が黒いのに純然たる被害者だと臆面もなく主張しているからだ。


・・・かなり失礼な物言いかと思いますが、偽らざる本音として書かせていただきました。

私達の世界には「被害者からの告発」は多く見られます。しかし何の役にも立っていないようです。なぜなら本当に被害者の立場に立てば、唯一の解決策は時間を巻き戻すことであり、如何なる手段をもってしてもそれは不可能だからです。

加害者の立場に立って「可能な償い」をすることこそ我々が真に問題を解決するのに必要な立場なのではないでしょうか?
もちろんその場合の「加害者」とは、公害企業の製品を安価に使って利益を得ていた市民にも及ぶことは言うまでもありません。人はみな加害者足りうるのですから。


暴論?をひとつ
 戦争の世紀の解釈ですが、一知半解さんに一票。ただ補足さ
せていただければ、前線と銃後の区別が曖昧になったのは、W
WⅠからかと。ドイツはパリを長距離砲で砲撃したし、ロンド
ンを空襲しましたしね。

 戦争を一部の国家指導者のモノとして、国民から切り離すな
ら、民主主義を止めちゃえばいいんですよ。
 今日の民主主義と国民軍による国家間戦争は、直近のルーツ
はどちらもフランス革命でしょう。この二つはセットなんです
よ。欧州において、それ以前が王室間の戦争だったのに、国家
間の戦争に変わったのです。また、民衆が主権を主張できるよ
うになった背景に「国民軍の成立」を外す事はできません。
(欧州発の価値観に身を置く限りは、しょうがないです。)

 宣伝により戦争に国民を誘導する事が、可能であり、かつ容
易な事である。これは事実でしょう。
 その上で、「だまされた!」として責任を回避できるほど、
主権者である事は「軽く」ありません。

 あぁ、民主主義って、結構シンドイなぁ(^^;)。


ここが根本のところですよね
 利他的だとかうんぬんも多少はあるのかもしれないけれど、

 99%くらいは、ちゃんと戦争をしたい人が過剰防衛を扇動して、平和主義は売国奴だと脅すこと、あるいは監獄へつなぎ、あるいは拷問で殺し、弾圧して普通の生活をさせないことで、恐怖と恫喝で国民をだますということだと思います。

 このことはイラクでもあるし、アメリカでもあります。

 ひとりひとりの国民が利他的とかうんぬんで戦争は起こるのではなくて、やはり、ゲーリングが言っているように、国民を戦争にひきずりこむことは簡単なのだと言っていることに説得力があると思います。

 これはかなり事実に近いと思うんだけどな~


流石は、確信犯の最高権力者です。
 人間は戦争する存在であるかどうか?それは「わからない」あるいは「戦争しながら生きている」というような「妄言」「想像力」などを非現実のものとしている。人間は戦争などしないし、反対する存在である。それは事実である。だからこそ、国家の権力者である「我々」政府の指導者が戦争を起こす現実的な手段を実行せねばならない。それを熟知していたのがナチスだった。人間は戦争を起こす存在ではない。だからこそ、国家権力によるプロパガンダが必要不可欠あなのだ。これが戦争指導者の証言であったのだ。

 人類史の中で階級・国家が誕生する前には戦争は存在しなかった。戦争の原因は国家のあり方にあるのであって、その国家がマスメディアを統制し、プロパガンダの手段とし、さらに、教育を支配し、労働運動、政治運動を弾圧していくことが戦争の原因なのである。

 


戦争の形態が変化したからでは?
うーん、20世紀が戦争の世紀だというのに異論はありませんが、それって科学兵器の発達に伴って、戦争の形態が大きく変化したせいじゃないのかな?

戦争自体は昔から絶え間なく繰り返されてますが、WW1以前は前線と銃後というのがはっきり分けられていた…つまり、戦線が点と線での争いに過ぎなかったのに対し、WW2では、前線も銃後も関係なく戦線も面へと変化し、非戦闘員も巻き込まれるなど国同士の総力戦となり、悲惨さが激増したことで、戦争の世紀と言われるようになったのでは…。

メディアが、国民を戦争に駆り立てるようになったのは、戦争が国家の総力戦を必要とし、昔のように国家指導者の一存で気軽に戦争できなくなった…つまり、国民のバックアップが不可欠になったからじゃないでしょうか。

まあ、戦前の報道を見ても、戦争に駆り立てるメディアの影響力というのは甚大なので、結局のところ、受け取る側のリテラシーというのが重要になってくるのでしょうね。



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肩こり指数★★☆ ナポレオンというお題でとりあげた近代戦の特質が国民をその気にさせて戦争に突っ込むということにあると書いたのだが、...
以前の記事『いまだに日中の相互理解を阻む「虚報」の害悪について』の中で、百人斬り報道において、その報道を事実だと強弁すること――こ...
「『痛いですか?』とインタビュー 知的障害者ねらい暴行 少年グループ逮捕」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080822-00000929-san-soci あ、手前で殴っといて「痛いですか?」って、こら 痛 い に 決 ま っ て ん だ ろ う が ! クソガキどもが・・・ った
08年8月24日 日曜日  憂楽嘲(ごまめの翁)ブログの目次 1・三つの新聞記事{/arrow_r/}(ここからお入り下さい) 2・時事放談{/arrow_r/}(ここからお入り下さい) 先日の広島と長崎の平和記念式典をファイルに纏め老人党リアルグループ「護憲+」の視聴覚コーナーに http...
電力会社のテレビCMは必要なのでしょうか。 私は関西に住んでいますが、正直なところ関西電力以外の電気を使える のなら使ってみたいのですがとても無理です。 CMはほぼ毎日まんべんなく一日中流れていると思います。 年間何億、何十億になるのではないでしょうか。 ...
 2006年4月に行われた民主党の党首選の頃に書いた民主党は生まれ変わって、『減税』やってみろ!で、朝、民主党の党首選挙にチャレンジしたいとテレビでぐちっている河村たかし議員は、民主党が掲げるべき政策として、庶民の味方となり減税をやってみろって言われて...
 最近、地域や団体の「九条の会」や日本国憲法第9条を護ろうとの意志でブログを書いている人々の間で、沢田研二さんの新譜  【ROCK\'N ROLL MARCH...
これ、人類最大の疑問かもしれません。 なかなか明快な答えはないし、大変ですね~。 お玉さんしかレフリーはできないかも?^^; 興味が...
毎日、イヤ~なニュースばかりで・・・ なんとか自力で爽やかな気分にするのも、ほんと大変だわ。 夏は好きだけど、ただでさえ暑苦しいんだ...
08年8月23日 土曜日  憂楽嘲(ごまめの翁)ブログの目次 1・給油延長か{/arrow_r/}(ここからお入り下さい) 2・400リレー物語{/arrow_r/}(ここからお入り下さい) 先日の広島と長崎の平和記念式典をファイルに纏め老人党リアルグループ「護憲+」の視聴覚コーナーに ht...
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Author:お玉おばさん
お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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基本的に愛が感じられないコメントはダメ、 (臨時追記)人が知恵熱だといってるのにばんばん記事違いなコメントをこれでもかと送ってくる愛のないものは、完璧にお玉基準的アウト。お玉基準がわからない人は、文句があればよそで愚痴いってOK !基準に対しての文句は受け付けません~~~ここはお玉のテリトリーだもん。なのでよろしく。/p>

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でも、お玉が愛を感じたら記事違い、長文、連投、暴言でも表に出すことはある・・ようは、愛です・・愛!また、TBも同じような基準で判断させて頂きます

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