冷静に論理することと感情で批判すること
2008-09-06(Sat)
感情のある批判をするのであれば、一人称の「私」を大事にして欲しいとお玉は思う。
自民党だから、アメリカだから、左翼だから右翼だから「こうなんだ」という書き方は
お玉には人ごとのように思えてしまう・・
いえ、いつもというわけではないのです。でも長文で持論展開をされている中に、では「あなたは?あなたはどのようにして考え、行動しているのですか?」と問いたくなる瞬間を感じることがあるのです。 「~であるべき」「である」「~すべき」という表現を使うなかに怒りのような部分を存在させるとしたら、それはあなたの思う~すべき、~であるべき、であるということを自覚して欲しい・・・・・・
ここがね、読んだ人に「一人称の私の話」ととらえられなくて、「これは左翼(右翼)の意見だな」とレッテル貼られる原因にもつながっているんだろうなあなどとかってにおもってる。 みんなが同じ見解な訳はないのだから・・
それは、よその人気ブログを読んでいる時にも感じることがあるし、お玉自身の過去記事の中にも感じる時があり・・・・自戒しつつこの文章も書いているのですけど・・
批判記事を書く時のお玉はどうなんだろうか?渦中に存在する「私」として記事を書けているだろうか・・・高みから見下ろしたり、してないかな?
もちろん冷静な目で一歩離れて論じることはとても必要だけれども、冷静に論理することと感情的に批判することは違うから。感情のある批判をする時はやはり「私」というものを存在させたい。感情で書いているのに、それが正論のように見せるのはお玉は違うと感じる・・・・
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コメント
一知半解さんへ
一知半解さんは感情が介在すると「事実の認定」歪むと仰せでございますが、事実の認定の”事実”は人間の意識とは切り離された客観的な世界で生起する事象であります。しかし、その事実を”認定”として、主体たる人間が認識として感覚器官から取り込み解釈する過程は、経験、知識、感情など個人史をも含めた精神諸力の発露たる意識を媒介することなしには”事実認定”は成立しません。いみじくも一知半解さんがロマン・ロランの言葉をひいておられることはそのことの逆説的証明に他なりません。
私は感情を排しても事実は歴史年表のように語ることはできるが、何故それが起こり、そのことによりどんな影響が及ぶか、それに対して何をなすべきか、は語ることはできない。
一知半解さんなら語ることができるのでしょうか。リンク先の他もいろいろとよませていただきましたがおもいっきり握り拳モンで感情こもっているようにおもいましたが。まあ、結構楽しく読ませていただきましたよ。お礼のポチもしておきました。
猫が一番よかったッス。ではまた(^^)/。
拙ブログネタに使わせていただきましたので、コメント&TBさせていただきました。以下↓そのリンク先です。
駄文失礼。
・情緒に流されるべからず
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-128.html
感情発露も時と場合でしょうね。
ただ、感情の基となる視点が違えば反応も真反対になるのはやむをえませんけど。
豊かな感性と豊かな認識のつながりはあくまでも一般論ですが、感情の高まりという意味ではありません。そいう点は例えばニヒリズムに対しても当てはまると思います。
>感情にまかせて思考するというのではありません。
実際にそうではない、という方もいるでしょうし、それであれば、私も心配じゃないのですが…。
前回のコメントで挙げた例は、具体的には、赤旗の報道ですね。完全な勧善懲悪の視点で見ている点が、非常に危なっかしい。現実の世界に水戸黄門がいればそれでもいいのですが…(笑)。
左だけじゃ不公平なので、も一つ例を挙げると、ネット上の嫌韓・嫌中傾向なども非常に危なっかしいと思う。
人間だから、どうしても好悪の感情があるし、偏見もある。
確かに我々日本人から見て、中韓の人々の思考や行動というのは不愉快な場合が多いのは否定しないが、だからといって、相手を侮ったり、民度が低いとか、好悪の感情で相手を測ったり、対応すべきでないと思う。
(これについては、最近拙ブログでも記事にしたので、参考にしてもらえればと思います。以下リンク↓です。)
最近の嫌韓・嫌中傾向についての雑感
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-122.html
ネット上を見ていると、豊かな感情を持った人は多いんですけど、必ずしも豊かで深い認識があるとは思えないのです。むしろ、その逆が多いのではないでしょうか?
感情にまかせて思考するというのではありません。
豊かな感情の基には豊かで深い認識があり、これらは相互に反映しているものと思っています。
911以降のアメリカ、小泉劇場の日本、いずれも単純な感情の下に政治が行われた結果が現在のアフガン、イラクであり、格差が極端についた日本ではないでしょうか。
もちろん感情が基本にあるのは否定しないが、現状を見るとどうも感情に左右され過ぎではないでしょうか。
日本人がリアリストになれないのは、余りにも情緒優先で、判断の際、好悪や善悪の感情に囚われ過ぎているせいだと思う。
リアリストに徹しきれないということは、だまされやすいということになりますね。
たとえば、今でもイラク戦争報道で、アメリカ軍を鬼畜のように報道するのを見かけるケースもありますが、アメリカが悪いからといって醜悪に描き、それに対して許せないという感情をぶつけるような行為は無意味だし、むしろ正確な状況を把握するためには、有害でしかない。
そもそも、世の中には絶対的な悪とかあり得ないし、善悪だけで世の中が動いているわけでもない。それに正義が通れば、問題が万事解決するわけでもない。
感情を大切に思う方は、感情におぼれる危険性をもう少し自覚した方が良いと思う。
感情は大切だが、冷めた頭のほうがもっと大切じゃないかな。
農婦さんに1票
>人間が持っている優しさ、ぬくもりを棄てなければお互い歩み寄ることもできるはずです。戦争の根本は、なんたっ て、物欲からきているのですから。
ベトナム戦争の頃、「怒りをエネルギーに」というスローガンを聞いたことがあります。
スローガンだけに終わらず、怒りも、喜びも、悲しみも、感情を大切にする運動が非暴力に通じることだと思います。
民主党が大統領選挙に勝っても、調査しないでしょうし。
闇に埋もれていくしかないと思います。
証拠は全部消してしまったのだから。証拠もないし。数十年後に本当はこうだったという文書がでるかもしれないけどね。
ケネディー暗殺だって、神のビュレットが殺したのであって、真相は闇の中だし。
ただ、もし仮にアメリカ政府の自作自演なら、本当に恐ろしいことだ。
9.11に限らず、陰謀論は、どこまで言っても「陰謀論」なんですよ。話としてはスリリングでおもしろいので、「物語」としてはいいんですし、まぁ、信じる人が「事実だ」と言うのもいいんですけど、ただ、根拠も証拠もない陰謀論をもって、他人の主張を批判するのはいただけないですね。
お玉さんへ
陰謀論が護憲活動の邪魔って。(笑)
改憲護憲ともに、陰謀論で自己主張するのは、私に言わせれば「自爆」ですから、そこまで憂慮することはないんじゃないかなぁと。
そこは、余裕をもってもいいと思いますよ。そんなもんで物事が左右されるなら、とっくに変化してるんですから
、って改憲論者の私の自爆コメントでした。(笑)
9.11陰謀論にかんしては・・一万字にも及ぶコメントでお玉を改宗させようと頑張る方とかがいてね・思いこみがきつくてブログ上での議論には不向きと判断して封印してますけど・・・・ちょっと怖いので今もお話しする気はありません。
取上げること自体が護憲活動のじゃまだという気持には今も変化無いですしね・・。
>9.11テロは陰謀説は間違いだと感情やマスゴミの報道だけrで断定するような人
などとレッテル貼りに来ること自体がもうすでに「おかしい」となぜわからないのだろうか・・そのやり方では所謂ネットウヨクがお玉の所に来たときと全く同じなのに・・この件お玉の行きすぎた管理の元、反論は一切認めない。
感情だけでどうのこうの言うのは…といっても、はっきりいってろくに反対の根拠を挙げず、9.11テロは陰謀説は間違いだと感情やマスゴミの報道だけrで断定するような人にはそのようなことを言う資格はないのでは?(挙句の果てにはその時だけコメント欄閉鎖してるし・・・論理を優先する人のやることか?)
また、マスコミの話題を独占することについてそれはないと言っているのも解せない。ならば、なぜそう思うのかを言ってほしい。それがないと、2005年の時みたいにマスゴミにだまされるような人間になってしまうと思う。
いずれも、なぜそのようにおもうのかはちゃんとあるのですが、ばからしいのでやめます。
無学無知の私からすれば、感情が人の第一歩ではなかろうかと。理論も理屈も表現できなくても60年生きてれば見えてくるところもあります。「事実の認定」くらい難しいことは無いですし、わたしらは、わずかな教育で以って培われた感性のもとで社会生活を営んでいます。イラク戦にしても確かに見えていない事実(事情?)もあるでしょうが、今見えている現状に感情を持たなければ解決の糸口すら見ることもできなくなります。若い皆さん、大いに感情むき出しで頑張ってください。自分の感情感性に自信を持って、日々勉強をなさってください。私達も現実の生活において、立場立場でものの考え方捕らえ方がまるで180度違うことが多くありますが、人間が持っている優しさ、ぬくもりを棄てなければ、お互い歩み寄ることもできるはずです。戦争の根本は、なんたっ
て、物欲からきているのですから。
結局、最後の最後は公平な自分をどこまで守れるかって事だろうか?
是々非々を守り、真面目に話して来る相手方とどこまで公平さを保って話ができるかと言う事。
あるいは相手がどんな事を言っても、それらしく聞こえる事であっても、確固たる何かを本当に守り通せるか。
難しいね。
自分の主たる軸足であるとか、守るべき価値がどこにあるのか。
私の昔の仲間達はみんな見失ってしまったのを私は現に見てしまっている。
独りであっても、守るべきを正しく知れば即ち孤高。
群れていても、守るべきを見失えば即ち烏合。
私は守るべき何かを見失わないで最後まで自説を論じて行きたい。
感情的で多情多感な”鬱陶しい男”ってのが私の持ち味かも知れないしね。
まあ、どこまで行っても自分は自分って事。煎じ詰めたらそうなるね。
まあ、感情を完全に排せる人間なぞなかなかいないでしょうから、理論のみというのはあまりないでしょうが…。感情の入った文章もあっていいとは思います。
ただ、薩摩長州さんが言われた「イラク人民の塗炭の苦しみを我がものとうけとめる…」というのは、なるべく避けたほうがいいと思う。
所詮そんな言葉を言っても、人は「他人の痛みを我が痛み」とすることは出来ないのですから。こういう思考はえてして、被害者の立場を絶対化し、自らをそれに一体化し、その立場を利用して他を糾弾するという形に陥る危険が多分にあると考えます。
これは左右問わず見受けられることですが、感情が入るあまり、議論の元となる「事実の認定」すら出来ていない人が多いと思う。
ロマン・ロランは「事実の認定」を政治的立場で歪めることを、最大の不正としました。
ネットを見ていると、どうもそうした行為が横行しているとしか思えません。
事実を歪めれば、その分、ちえんさんが言われるように、だまされやすくなる。
そうした意味では、出来る限り感情を排した方がいい…と言うのが私の結論です。
感情でも良いんですよ。 感情は重要なことです。
ポイントは、自分だけ、もしくは一部の少数者だけの感情なのか、世間の多くの人々の抱く感情を代弁し、その支持を得られるか、でしょう。
もう一つのポイントは、ちえんさんの言われるように、「だまされて」そうした感情を抱くのでは、悪い結果しか招かない、ということ。
事実を見極める目が必要で、その点では感情抜きに事実を指摘する、「評論家」の文章も、事実を把握する参考になる。
左右両派の主張を聞いて、どちらの言い分が事実にもとづいているか、見極めるしかないですね。
では緊急事態で、事実をじっくり吟味してる余裕のないときは、何にもとづいて判断するか? 日頃から左右両派の主張を聞いてれば、見る目が養われるものです。
例えば私は、20歳になるまではずっと『赤旗』を毎日、隅から隅まで読んでました。
その後学校やネットで勉強して、別の考えも持つようになりましたが、左右両派の言い分を両方知ってると自負しています。 右派が間違っており、左派が正しい場合があるのも、当然知ってます。
評論は、自分がどういうことをするかを述べないで一般論をいう。
簡明だと思いました。
自分の意見を、当事者になったつもりで考える。それも納得できます。
もし、そういうように右翼でも左翼でもできたら、いいのにね。
私はこんなにも容易にだまされるんだという認識を日本人がもつべきだと思います。まるで赤子の手をひねるように、頭がいいと思っている人たちがひねられて利用される姿は、見ていて嫌でした。
馬鹿だからだまされるんじゃない。うそを周到に用意している人たちがいるから、その裏事情を知らない人はたくさんだまされる。ただそれだけのことだ。
ただ、イラク戦争のようにあまりにもしょぼいうそは数年どころか数ヶ月でその悪質さは暴露されたと思う。
高齢者医療の問題でも四年前に議論されたときは一切批判されなかった。まったく情報すらながされなかった。でも実際に制度をはじめるとあまりのひどさに重度に病気を悪化させたり、屈従と痛みを我慢する人たちが強制的に作られて、悲鳴が上がった。
これもまた、マスメディアの堕落と言える。HIVの問題も今静かに日本で爆発しているし、薬害の問題もあいも変わらずおきている。
なかなか伝わらない情報を問題意識をもって探すことがどれだけ大変か。
日本に罪の大きい問題を報道してくれるマスメディアができたらいいな。
そしたら、少しはだまされる人も減るだろうな~。数千万人くらい減れば、社会もよくなると思うな
すっかり夏休みではありませんが自ブログの更新をひと月放棄してた薩摩長州です。
お久しぶりでございます。日々の更新お疲れ様です。
さて、常々私が思うのはロゴス(理論)は車のハンドルで、パトス(情熱)はアクセルなのだと。ハンドルが進むべき道を決めなくては、思うとことへはゆけない。アクセルを踏まなければ車は前にすすまない。
主客の相互関係を機械的に切断したところでは到底ロドスへ辿り着くことはできない。
イラク人民の塗炭の苦しみを我がものとうけとめる主体があればこそ見えてくるものがある。でなければ、もっともらしい理屈も所詮はスコラな他人事にしかならない。学生時代によくいわれました。「一般論で語るんじゃね~ょ」「あんたはどう思い、どうするつもりなのか」ってね。評論家であってはならないと。
劣化ウラン弾というのは恐ろしいですね。
http://www.tgk.janis.or.jp/~blessing/REKKAURAN/lekkaulan.html
何を感じ、何をなさねばならないか、そのための理論だとおもいます。
ちょっと長かったかしら。m(_ _)m
高みだろうが、感情をむき出しにしようが、要は議論の核心をついた言い方がどうか出来るかだと思う。
ネゴシエーションと同じく、本質がつけるかどうか。
そりゃ、冷静に努めるべきだと思うが隔靴掻痒な議論の仕方が一概にいいとは思わない。
読者はバカばっかりじゃない。感覚感情むき出しで理論展開しても、それなりに判断するものと思う。
私にとって、感情はエネルギーだよ。
論理は翼だ。批判は弾だ、飛んでくる時もあれば、撃ち込むときも有る。
私なんか感情剥き出し、皮膚や背中の感覚で判断するタイプですがね?
それが”貴方のブログって知性派ですね”と時々言われる事があって、凄く凄く困惑する事があります。
う~~ん・・くろねこさん。
>代表例が「しんぶん赤旗」でしょうか・・・
物腰柔らかくおっしゃってるけどさあ・・・それも一つの「反共」というとらえ方の中でのレッテル張りだね。記事違い・・
お玉さん、おはようございます。
ちょっとした工夫ですが…
感想に関しては、「私は(自分は)、○○と考える(思う)。」という表現を使うだけでも交通整理できるのですが…故意に使いたがらない人が多いのかな。
話し合う相手に、白旗を上げさせたいという欲求が強すぎるから「無理」が生じるのでしょうね。
感情でモノを言っているのに、さも理屈で言っているように強引に装うから滑稽。だからボロも出る。
代表例が「しんぶん赤旗」でしょうか・・・
もちろん、感情でモノを言うことは悪い事ではないと思います。
という事で感想文でした。
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