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本当のことを言う勇気

 過去ずっと続いてきた習慣や伝統をやめてしまおうとすること・・それはとても勇気のいることかも知れません。
やめてしまおうと声を挙げた側はなぜやめねばいけないかを必死に論じないといけない。 その正しさをいくら列挙しても「文化だから、伝統だから、習慣だから・・」という言葉だけで片づけられてしまう・

悪習だとわかっていながら、やめられないことが世の中にはたくさんある・・

身近な世界にもきっといっぱいあって、本当はやめたいのに、それを言い出せず諦めている人も沢山いる・・本当のことなのに、それを言い出せない人が沢山いる。

その誤ったやり方を「やめてみようよ、変えてみようよ」、と声を挙げることは・・多分・・・政治の世界でも、身近な地域の中でも、とてもとても勇気のいることなんだと思う・・・だって、たとえそれが正しいことだとしても、みんな心の中では思っているかも知れなくても・・・・だれも味方してくれない、ひとりぼっちの戦いになってしまうことかも知れないから・・

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文化と伝統
「伝統を守る」「文化を大切にする」というのは、表向きのスタイルや形式をそのまま維持することではない。

「その伝統がなぜ生まれ、なぜ受け継がれてきたのか」を理解し、伝統の中にある核の意義を見出し、それを今現在にどう当てはめるのか、ということを考えて行動すること。これを「伝統を守る」という。

文化は知恵の積み重ねであり、人々が生きてきた道のりである。だからこそ定着している。

伝統や文化は常に微妙な変化をしている。社会状況、自然環境、科学の進歩など、伝統や文化が維持できない条件が発生したり、あるいは、よりよい知恵を見つけたりしているからである。

ただし、この伝統や文化というものは、盲目的に踏襲され、「悪しき先例主義」となっているケースが多い。これに批判的な人は、若い人に多い。

では、なぜ、「悪しき先例」がはびこるのか。

答えはカンタン。『人間だから』。

自分の利益不利益という打算も原因としてあるのは確かだが、それ以前に「異なるもの」や「新しいもの」というのは、『将来の不確実性』というリスクを常に背負っているのであり、『現状の不満>リスクの受容』『将来の期待>リスクの受容』という条件がなければ、「変化しないことの安心」を選択する。
なぜなら、現状の不満はすでに認識しているものであり、現状の不満を最小限に抑制する「知恵」もまた、人間は見出しているからである。『現状の不満>リスクの受容』が成立するのは、「現状の不満を最小限に抑制しても、生き死にを克服できない」などの切迫した状態あるという条件がある場合である。

ただし、いくら条件がそろっていても、伝統や文化に大きな変革をもたらすのは時間がかかる。新しいもの、異なるものを、理解し、受容し、人々の共通認識とするというプロセスがあるからである。伝統や文化が維持された時間、社会を構成する人々の数が大きければ大きいほど、時間はかかる。

時に、人権を掲げて伝統や文化の間違いを指摘し、すぐにでも改めるべきだとする人がいる。
これがなかなか受け入れられず、「悪しき先例主義」と唱える人もいるが、そうした人たちが大多数の支持を得られない理由を、人権を唱える人たちは少し考えた方が良いように思う。


先例主義
人間は先を予測する力を与えられていながら、誤った先例に従って破滅することでしか行いを改めることのできない哀れな生き物なのかもしれません。

「改革原理主義者」が既存社会の破壊に熱心なのは、それを知っているからでしょうか?
つまり、破滅なくして改革なし、と。


同感、です…


ひとりぼっちたちの絆
ひとりぼっちの戦いになってしまうかもしれないけど、戦いは外とではなく、実は自分が相手なのだと思えば、ひとりぼっちのように見える戦いは、自分を高め、深める作業になるのかもしれない。そして、思い切って声を上げてみたら、実は同じ思いの人がけっこういて、支え合える絆が生まれて、いつか世界は変わるかもしれない。
ひとりぼっちではないかもしれない。ひとりぼっちだなんて、自分を閉じ込めないほうがいいかもしれない。そして、ひとりぼっちでも、それならそれでいいかもしれない。
とりとめなくて、すいましぇん。(^^y-~


伝統≠先例主義
文化・伝統・習慣なんてものは、それらを生み育み発展させる力が備わっていてこその文化・伝統・習慣なんです。

どんな習慣でも、発生した時から悪習だったわけではない。どんな伝統だって、最初から人々を縛るものだったわけではない。文化だって、その必要があるから生れたはずなんです。

文化・伝統・習慣は、それらがその必要があって発展している最中には人々に意識されません。意識されるのは、それらが役目を終えた後。

役目を終えた伝統にこだわるのは、悪しき先例主義でしかありません。



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