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曽野綾子 三浦綾子 遠藤周作・・

ひさびさに意見が二分して大盛り上がり・・
うちらしい。

お玉も曽野綾子の作品を全て読んでいるわけではなく、特に最近はエッセイとか、対談集とかばかり目につき、読むと鼻につき・・・で「偏見」が大きいのでそこは反省してます。題名だけに反応したと言われればそのとおり・・・でも昨日の記事の中でお玉そう書いてるのに~
思ったことを周りの反応を気にせず書くのがお玉の良いとこなんだから・・(と自己弁護に終始・・)

お玉にその茶目っ気が伝わらなかった十文字さんへの返歌ではないけれど・・・・
お玉はもともと曽野綾子さんの小説は嫌いではなかったのです。
どちらかといえば好きだったかも知れません。
その上でお玉が感じる二人の綾子さんのイメージは・・

クリスチャンで作家の三浦綾子さんの作品からは暖かなキリストの愛を感じます。
自己犠牲の究極に美しい姿を彼女は描ける人でしたし、戦争中の厳しい状況を文にしていても、どこか暖かみを覚えます。

曽野綾子さんの作品からは神の厳しさを突きつけられる感じがします。きれい事で決してすませない。
究極に人間の尊厳として、どちらを選ぶのだと突きつけられるよな感覚になったのは「神の汚れた手」でしょうか・・これは朝日新聞に連載していた頃から読んでました。

まるで北風と太陽のような二人だなとお玉は思います。
もちろん
お玉の少ない読書数ではかっている「偏見」だけれども・・

曽野綾子さんのそういう突き詰めた厳しさの中には、社会批判、政治批判もあったはずだけれども・・・いつの頃からでしょうか?気がつくと、この人の語る教育論も歴史論も社会も・・全てお玉とは「ずれた」ところに存在していました。曽野綾子さんの後ろ盾とか、政治的なつながりとか、夫のこととかはそんな中から知った後付けで・・・・以降彼女の本は「読まなく」なりました。

ああ、お玉がクリスチャンにならない理由は、もちろん昨日書いたことだけではないけれど、しかもそんなことを書いてはダメだと思ったけれど、いつものように今のお玉の感じたものをそのまま出してるから・・・・

同じクリスチャンだけれど、上の二人以上にもっともっと深く、人間の弱さと神の強さと優しさと、神を信じることへの矛盾と死への恐怖と・・それらをいろいろ読ませてくれたのは遠藤周作だったかな。
 お玉は彼がもし生きていて曽野綾子と同じ「改憲派」として、自民党の研究会に出席なんぞしていたら、ちょっと立ち直れないくらい落ち込んでいたかもなあ・・・・そうはならなかっただろうと信じてるけど・・・ 
 

「愛のために死ねるか」という問いは本の題名から切り離して考えるべきですね・・でも昨日の記事でこの本の売り上げにチョット貢献してしまっただろうなあ・・・・












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残念です。
曽野綾子氏および三浦朱門氏の今までの言動に見られる、弱者切捨て・適者生存・特権階級的発想は、クリスチャンとして残念でなりません。ほんとうに聖書を理解していたら決してあのような事は言えないないからです。
お玉さんは、三浦綾子さんに愛を感じるとおっしゃっていますが、とても鋭い指摘だと思います。この二人の違いのはカトリックの誤った教えが根底にあると思います。
4世紀にローマ帝国から国民を強制的にキリスト教に改宗させて以来、聖書に全く関係に無い儀式や習慣が、きリスト教の儀式、教理として後から持ち込まれてました。(ミサ・マリア崇拝・煉獄の教え・神父の独身制・懺悔制度・マリアの神格化・法王の無謬性など)これがカトリックの始まりです。例えば、神父が罪をゆるす力があるとして、懺悔室で信者の話しを聞きます。しかし、神以外に人間の罪をゆるせる者はいない、神父自身も、神に罪をゆるしてもらわねばならない罪人であり、彼が他の人に「あなたの罪をゆるす」と宣言するのは神に対する冒涜です。
また、救いは7つの「秘蹟」と呼ばれる儀式(洗礼・信・聖体・告解・終油・叙品・婚姻)を通して与えられると教えていますが、救いは何かの儀式を受けたり、何かの善行を積むことによって与えられるのではなく、キリストの十字架に身代わりを信じるだけで無条件で与えられると聖書は教えています。
万物の創造主である神は、私たち人間をそれぞれ違う個性と能力を持ったものとして造られ、どんな人も尊いものとして愛してくれています。曽野綾子氏のような権威主義的・威圧的な高慢さはどこにもありません。どうかこのような人たちを見てキリスト教だと思わないでください。


せっかくキリスト教の話が出たのですから、合わせて聖書も読んでみましょう。
 私はクリスチャンではないのですが、聖書は昔、少々読み込んでおりました。

 皆様のコメントを読んでいて、新約聖書の一節を不意に思い出してしまいました。

http://www15.plala.or.jp/moriyabc/message07-3-4.html

聖書箇所:マタイ7:1~5

7:1 さばいてはいけません。さばかれないためです。
7:2 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
7:3 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
7:4 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。
7:5 偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。


 まあそういう事で、皆様も曽野綾子さんを如何こう言う前に、ちょっと聖書を読んでみれば、きっとステキで有意義な時間を過ごせるかもしれませんヨ。


わくわくさんの言葉から
この話題、もう旬は過ぎたようですけど、少し。
曽野氏については、人によって好き嫌いが大きく分かれるのですね。本のタイトルへの反応について、僕はそれよりも内容、という意見を述べましたが、曽野氏その人への評価は定まっていません。もっともらしいことを言うなら、一冊読んだくらいで判断できはしないというところです。財団のトップであったとか政治的な行動とか、おおまかにしか知らないのですが、自分なりの印象として興味深い人だな、と感じます。先のエントリで多くを述べているわくわく44さんには直接答えていませんが、

>人間は完璧じゃないっていう何よりの証明じゃないでしょうか。だから、人間ってのはやめられないんですよね。

に反応させていただきます。曽野氏が真の意味でイエスの教えを体現しているとは思えない、自分の感情に惑わされているのではないか、と思わないことはないにしても、彼女がまったき人格者であったらそれは別人ではないか。つまり、他人からみて間違ったことを平気でしているとしても、それが人間じゃないか、と思ってしまうような魅力があるのですね。まあ、好き嫌いで擁護しているのかも知れませんが、たとえ自分とそりの合わない人間であったとしても、何かの魅力を感じる、そういう他人が無数に集まっている世の中だから、かえっておもしろいのではないか、とも思っています。何を偉そうに、って感じではあります。実際に曽野氏のような人と行動をともにする機会があれば、反対の立場をとって対立するかも知れない。しかしみな自分と同じ意見であれば生きることは何も楽しくないでしょう。人とぶつかってこちらがしてやられても、相手も人間なわけです。それが面白くないですか?他人と一緒の世界に生きるというのは、嫌いなものを排除して別世界に生きることではなく、好き嫌いを感じながらともに生きること、だと思うのです。その姿勢からすると、どんなことも受け入れて楽しめれば最高なわけで。言うは易きことですが。


随分前に「聖母の騎士」というカトリックの雑誌で曽野氏の政治家の汚職問題についての記事を読みました。当時、新聞でこの汚職問題が連日報道され批判されていたのですが、曽野氏は、汚職という他者の小悪を批判する前に自分の悪を見ることが必要だと述べていたように思います。また、亡命したペルーのフジモリ氏を自宅に保護したことについて曽野氏はキリスト教の隣人愛ゆえと説明したと思います。それでいながら、日本で台風等に被災した人々に対しては避難先で必要な物や食べ物くらいは自参するようにと言われたと思います。曽野氏のキリスト教的隣人愛は、政治家に対しては発揮されるようですが、本当に苦境にある人に対してはそうではないように思われます。曽野氏は洗礼を受けて地上の教会に属しているかもしれないけれど、キリスト教徒、つまりキリストの弟子とは言い難い人だと私は思っています。


返歌に返歌
 お玉さまへ
 
 遠藤周作をオススメするお玉さまのお気持ち、私には理解できます。
「キリスト教の持つ最大の救いの能力は、聖書に描かれるゴルゴダを上るキリストであるとしている。罪人として拷問の末汚れにまみれ、自分を磔る十字架を背負い、しかも衆人から激しい罵声を浴びつけられ姿が歴史上もっともみじめな、しかし美しい人間であるとしている。誰にも認められず、汚く惨めな自分をどこまでも無限に傍らにいて見守る人、それがキリストであるとしている。」というのはWikipediaからの抜粋ですが、遠藤周作が描く、この二律背反的なキリスト像は個人的に大好きです。
 このキリスト像は初期作品の「おバカさん」から、晩年の作品である「深い河」まで、貫徹しているのではないでしょうか。

 「お玉は彼がもし生きていて曽野綾子と同じ『改憲派』として、自民党の研究会に出席なんぞしていたら、ちょっと立ち直れないくらい落ち込んでいたかもなあ」というのは、完全にありえませんと断言します。
 単純に「方向性が違う」ということで説明がつくと思います。無論、歴史には興味があったのは当然ですが、彼が最大のテーマとしていたのは「人間そのもの」だったのではないのでしょうか。
 勿論、改憲して大東亜戦争と同じ状況になる(思想信条の自由が抑圧される)のはイヤだったでしょうが、そういう政治などの小難しい話は人任せにしたでしょう。
 なにしろ、狐狸庵先生のことですから。

 「遠藤周作がもし生きていて」という仮定ならば、そんな護憲・改憲などのつまらない話より、この映画を観た感想を、彼に是非お聞きしたかったものです。
http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/passion/

P.S
 遠藤作品を読むと、政治とか憲法改正・護憲とかいうものは、人生における、ほんの一部の物事に過ぎないような気になってしまいます。


カソリックってよくわからない
曽野、遠藤両氏はクリスチャンと言ってもカソリックなわけで・・・
プロテスタントより、さらによくわかりません。

同じくカソリックである麻生首相の年来の主張、「靖国神社無宗教化案」も、今いち良くわからない私です。
これは歓迎すべき案なのか、それともむしろ危険な案なのか。そもそも、麻生氏はこのことについてどれだけ本気なのか・・・


神様のこと
人間にだけ都合のいい神様はいないと先輩は言いました、まことにその通りだと思いました。


>曽野綾子さんの作品からは神の厳しさを突きつけられる感じがします
クリスチャン且つギャンブラーであられる曽野綾子氏の厳しさって何なんだろう?
私は、著作を拝読したこともないし、作品と言っても以前銀河テレビ小説で息子をモデルにした「太郎の青春」ってのを目にしたくらいしかないが、TVでの発言なんか聞くと他人に厳しい割に、自分には結構甘いんじゃない?

いつだったか、NHKBSの世界潮流でイラク問題を取り上げたとき司会をつとめていて、基本的認識が全く出来てなくて参加者も呆れかえっていたけど、恐らく彼女は、欧米が自らの過ちを糊塗するために振りまいた、アラブvsユダヤ三千年の確執なんて言説をまるまる信じているんじゃないかなと其のときは思った。

君之視臣如土芥 則臣視君如寇讎

って感じだよ。


お玉さん
「本」は「反論」してくれません。読む人がそれをどう読むのか、によって、同じ本でも「解釈」が分かれます。
さらに、「どんな状態で読むのか」によっても、同じ本でも「解釈」が分かれる。

極端に言えば、その「本」を書いた作者ですら、書いたときと出版された後では「精神」が異なることもあるでしょう。

もちろん、一貫して同じというのもありますし、同じ方向でも深さが増すことがあるときだってある。

今日「正義」と思ったことが、明日「正義ではない」になる。昨日「正義ではなかった」ことが、今日は「正義」になった。

人間は完璧じゃないっていう何よりの証明じゃないでしょうか。だから、人間ってのはやめられないんですよね。


このエントリの方がよっぽど参考になります
>思ったことを周りの反応を気にせず書くのがお玉の良いとこ
わかりました。^^;

神を信じるか否かというのは個々の人の内面の問題ですが、他者との関係において政治性を帯びてしまうのは残念ですね。内面の葛藤があれば勢力争いなどをする動機は生まれないはずですけども。

>この本の売り上げにチョット貢献
微々たるものですよ。書店に置いてなかったし。
というか、「みんなの9条」買ったまま積ん読になってたんですけど、読んでみるといろんな視点からの話、おもしろいですよ。アフィリエイトなんか置くスペースないと思いますけど。



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