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なぜ憲法改正がだめなの?

良い質問を頂きましたので・・


必殺仕事人さん


侵略を否定し自衛権への定義付け等、はっきりさせなければならない
なので憲法改正は必要と思ってます。
護憲派に聞きたいのですが、なぜ憲法改正がダメなのですか?
護憲派は今のあやふやな憲法を自衛権も含め一切放棄とかもっとはっきりと内容を改正するように動けばいいだけなのではないでしょうか?
改正反対なのは護憲派の主張が国民に受け入れられず、自分らを否定される恐怖・またそうなると予想しているからでは?


ここでこの手の議論が不毛に陥る最大の原因は、誰の作った改憲案に反対しているかの明示なしに話し合う事だとお玉は思う。護憲派と言われている人たちにだって、それぞれの思う改憲案を実は心の奥に持っていたりすることもあるし・・・・それと、憲法問題は9条だけの問題ではありません。9条関連の話は小林節さんのお話に絡め、明日以降もう一度書いてみますが、今日は憲法全体の事を少し・・


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 こっちはただ今24位で~す。


   こちらは3位かな・・


 さて、お玉がいつも言っている自民党の新憲法草案という名のトンデモ改正がお玉の中ではたたき台となってます。これを支持する舛添さんはすべて「分かった上で」どうしても改憲したいようで・・・・


 過去に書いたものをもう一度再掲載しておきましょう。


自民党のいい訳2007.4.14より


お玉にできることは、お玉の「持論展開」を聞いてもらうことではなく、お玉が学んだ「憲法」や見聞きした「政治」のお話を遊びに来るみんなに話すこと。なかなか自分言葉で書くのは上手じゃないもので、いろんな所を引用させて頂いてますが・・


今日は今朝の朝日新聞より・・


特集「60歳の憲法と私」は名古屋大学大学院教授の「浦部法穂さん」でした。そう、あのお玉が肋骨にヒビを入れながら読んだ「憲法学教室」の作者。


憲法学教室


「権力=正義」の危険性 ムード


(前略)


 改憲論の中には、環境権やプライバシー権、犯罪被害者の権利など、時代が必要としている権利を盛り込むべきだという議論がある。しかしこれらの権利は憲法に明記されている必要はない。個人の尊重と生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利を定めた憲法13条から導き出せる。13条は包括的な人権保障規定であり、いわば「ドラえもんのポケット」のようなものだ。


 現憲法は国民の権利について「公共の福祉」に反しない限り尊重されるとしている。他人の人権を侵害しない限りという意味だ。自民党の新憲法法案は、これを「公共及び公の秩序」に置き換えた。これは現憲法の人権保障の理念を百八十度転換することにほかならない。


うん・・こういう素人目には細かいことのように見える変更事項が、結構大事なポイントだと思います。


「公共及び公の秩序」といいう表現にしたい自民党のいい訳はこちら・


「公共とはお互いに尊重しあう仲間のこと」


護憲派のみなさんはここ↑を読んでお勉強してくださいませm(_ _)m

 この自民党が作った
「憲法改正にむけた論点」をお読み頂くと、改憲論者及び右派のかた方がおっしゃってる事がそのまま書いてあります。これは護憲派も読んで勉強すべきです。言い換えるとここに書いてある事を基本にお玉記事はご批判を受けてるのがよく解りました。・・・できたらそう教えてくれればいいのに。でもさあ、憲法に素人な方々が「これが正解」のようにお書きになっても、やはりお玉はおかしいよなあ・・としか思えないのです。


どうしても国が自分たちに都合良く書き換えてるとしか考えられないお玉です。


(引用ここまで)


わわ!もう時間だ!!この続きが書けるといいんですが・・ではではまた今晩


##普通、ここにお玉の見解が書いてあるべき何でしょうけど、そこをコメンテーターに補って頂くのがお玉ブログのあるべき姿かなぁ~などと、逃げまくる!お玉!!とにかく、また夜にね!


otamaお玉、人気ブログランキング政治部門に登録してます。いろんな人に憲法と平和を語りたいから、あんまり過激な事は書かないし、むずかしいことも能力不足で書けません・・それでも、お読み頂けましたら、どうか、↓ポチッとお願い致しますm(_ _)m 二つもあってごめんなさい・・・


 
Secret
(非公開コメント受付中)

>お玉さんのところで、そんな人いました?

さあ、お玉さんのところはどうでしょう?私も改憲の是非についてここでは論議したことがないのでそういう人がいるかどうか何とも言えませんね。私の人格そのものを非難してきた人はいましたけど‥。

>「扇の要」は一致しています。「もって」「一指たりとも触れてはならない」という論理も、誰が言ってます?

私が理解できると言ったのは、基本的人権に関する点であることを言い添えておきます。また、愛国者さんがそう仰ってないなら私の誤解だったのでしょう。

>どこを指しているのでしょうか?

具体的には申しませんが、現実と乖離しているところですかね。本当に憲法を遵守したいのなら、現実に守れるものでないと。あと、有事や非常事態の際の対応について何も規定が無いのは、やっぱり非常にマズイと思います。


一致点が鮮明になってきました!
>平和憲法を崇め奉り「錦のごとく振り回す」人たちについて…
お玉さんのところで、そんな人いました?

>なぜそれ(=平和憲法を崇め奉り「錦のごとく振り回す」人たちについて言及)を平和憲法を否定したごとく…
「崇め奉り」「錦のごとく振り回す」という表現は、如何なものでしょうか。

>平和憲法の根本理念が「永久不可侵」だと言われるのは理解できます
「理解できる」のですよね。一致しましたね。最初からその線でコメントなさっていれば…

>が、私はそれ(平和憲法の根本理念が「永久不可侵」)をもって「平和憲法」に一指たりとも触れてならないとは思わない。
「扇の要」は一致しています。「もって」「一指たりとも触れてはならない」という論理も、誰が言ってます?
>現憲法にも重大な欠陥はあるから、根本理念はそのままに欠陥部分を訂正すべき
どこを指しているのでしょうか?愛国者としては、象徴天皇制は「根本理念」とは相容れないと思っておりますが、現段階は「訂正」の段階ではないでしょうね。一定の国民的支持を得ていますし、戦前のような「権能」を持っていませんので。


どうも議論がかみ合ってないようですね。
私は別に平和憲法の根本理念については、このコメント欄で、何ら肯定も否定もしてません。平和憲法を崇め奉り「錦のごとく振り回す」人たちについて言及しただけなのに、なぜそれを平和憲法を否定したごとく解釈されるのかがわかりません。

ちなみに、平和憲法の根本理念が「永久不可侵」だと言われるのは理解できますが、私はそれをもって「平和憲法」に一指たりとも触れてならないとは思わない。現憲法にも重大な欠陥はあるから、根本理念はそのままに欠陥部分を訂正すべきだと思っています。


日本国憲法と大日本国憲法は根本が違う!
>なんで同列に置くことが許されないのか?
そういうこと言ってます?「許されるかどうか」の問題ではありません。「命」をどう思うかでしょうね。また、ここでは「一部の人間」の「論」を論じているのではありません!あなた自身のコメントそのものを論じているのです。

>「平和憲法」の中身をうんぬんしている…
ここのテーマは何でしょうか?もう一度ご確認ください。あなたがご理解なさっていない?のは、憲法第13条・第97条の根本です。
特に基本的人権は、「侵すことのできない永久の権利」として、「現在及び将来の国民に与えられる」「信託されたもの」という考え方は、歴史的に考察しないと理解できないでしょう。
その意味で「平和憲法」の根本理念は、上記の条文歴史的背景をふまえると、「永久不可侵」なのです。その対極は天皇制です。自民党の改憲案が「秩序」を「尊重」するのも、大日本帝国憲法の「臣民の権利と義務」論の復活です。
「対極」という発想は形式論理的な意味における「対極」ではありません。


平和憲法は、神聖にして侵すべからずなんですか?
>天皇制は人間の命・平等を否定する思想と制度であり、平和憲法は命を尊重する制度・思想です。全く逆の思想と制度なんですね。同列に置くことができないのは当然でしょう。

この見解には全く賛成できません(これを説明すると長くなるのでしません)が、仮に愛国者さんの主張どうり「逆の思想と制度」だとして、なんで同列に置くことが許されないのか?

私はこの戦前の「天皇制」と「平和憲法」の二つに共通する点として、「神聖性」「アンタッチャブル性」などを挙げました。そしてこの共通点が、一部の人間には崇拝の対象になっているから同列に置いたわけです(「平和憲法」の中身をうんぬんしているわけじゃないんです)。

それが平和憲法に「不敬」だからって、許されないと言われるとますます、「平和憲法」が、神聖不可侵な存在に見えてきます。
平和憲法は、決して神聖不可侵な存在ではないはず。憲法自身にも改憲できるという条文があるでしょうに。

愛国者さんの主張を認めると、戦前「天皇」について討論できなかったように、「平和憲法」を討論するなという事になってしまうと私は解釈せざるを得ません。


愛国者さんとも、レッテルを貼る行為は、不毛であるとの共通した見解が得られたようで嬉しく思います。

>あなたこそ「憲法論議の際は、そうしたレッテル貼りをやめていくことが、実のある議論につながる」と思いますので、ご検討の程を。

しかし、そう主張した私自身がレッテルを貼っているじゃないかと愛国者さんはご忠告下さいました。

確かに私は、無意識とはいえ「一部の護憲派は、具体的な反論もせず改憲派を『平和の敵』とレッテルを貼っている」というレッテルを貼ったことになるのかも知れません。

そういうつもりは毛頭なかったのですが、私の言いたかったことは、「相手の言い分に耳を傾けず」「勝手にレッテルを貼り」「相手そのものを攻撃する」のはやめてくれということです。

どうやら、そういう傲慢な相手にまで「レッテルを貼らない」でいられるほど、私も君子ではないんですね。残念ながら(笑)。

ただ、相手がまともに論争に応じてくれる限り、自分からはレッテル貼りはしないよう心掛けているつもりなので、ご理解いただければ嬉しいです。


天皇制と平和憲法は対極にある!
>どうして同列に置くことが、「天皇制を免罪」するとの解釈につながるか私には全く理解に苦しみます。
愛国者の方が理解に苦しみます。根本的なことが違っています。天皇制は人間の命・平等を否定する思想と制度であり、平和憲法は命を尊重する制度・思想です。全く逆の思想と制度なんですね。同列に置くことができないのは当然でしょう。大日本帝国憲法と日本国憲法を読み比べれば判ります。あなた自身が、この平和憲法に守られているのですよ。


何故同列に置けないのか?
>どうして同列に置くことが、「天皇制を免罪」するとの解釈につながるか
ということは同列に置ていないということでよろしいのでしょうか?

同列に置くことが「天皇制を免罪」する理由は、天皇制は人間の命・平等を否定する思想と制度であり、平和憲法は命を尊重する制度・思想です。全く逆の思想と制度なんですね。同列に置くことができないのは当然でしょう。

大日本帝国憲法と日本国憲法を読み比べれば判ります。高校の教科書にも書かれていることです。

あなた自身が、この平和憲法に守られているのですよ。


護憲派からみた改憲の可能性
このコメントは、本筋から離れるのでお玉さん的には好ましくないかも。もし悪ければ削除してください。

先のコメントで「理想は曖昧な方がいい」という趣旨のことを書きましたが、私はその「曖昧さ」が護憲運動への不信感を招いていると思っています。
理想を掲げている条文は、少なくとも現段階ではあまり具体的でないほうがいい。けれど、それは具体的な理想の形を語ることを妨げているわけではない。しかし護憲派は、9条を守ることに重きを置きすぎて具体的な理想像を語ることをあまりないように思います。

護憲が単なる理想を越えて一歩でも現実に近づいていくためには、具体的な世界の姿を描くことが必須です。9条の精神が生かされた世界はどういった姿をしているのか。これがなかなか見えてこない。

平和を唱えることは大切です。草の根から平和への思いと行動を盛り上げていくことが大切。これが護憲派の基本的スタンス。
だが、現実世界は紛争が絶えない。今の世界は草の根のひとりひとりの思いを飲み込んでしまう「力」が跋扈している。この現実とどう向き合うのか。

「戦争がなくなればいい」「武力がなくなればいい」 それは確かにその通りだけれど、なくならないのはなくならないだけの「理由」がある。草の根の思いと行動が、「理由」を解消できるのか? できるとすればどのような方法論で? そして「理由」が解消された世界はどんな姿をしているのか?

これまでの護憲政党はその姿を明示できていなかったように思います。というより、その姿をまだまだ多くの人が共産主義のように思い込んでしまっている。実際に現在でも護憲政党は、その系統ですからね。9条ネットも実際はともかく、そう思われているでしょう。

小泉安倍の自民党は、まがりなりにも「あるべき姿」を示した。それがペテンあるいは坊ちゃんの戯言という「事実」は明らかになりつつあるけれども、少なくとも示し、一定の支持を得たというのもまた「事実」は否定できない。この間、護憲勢力はそうした「姿」への批判を繰り返したけれども、自前の「あるべき姿」は明示できていなかったように思います。

庶民にとって一番大切なのは、なんといっても日常の生活です。日常の生活を守るための競争しなければならないと思っている。思い込まされている。「競争」が背景にあるから、国同士も競争するものだと思っている。

9条を中心に据える政治は、そうした競争原理とどう向き合うのか? 武も競争原理です。武に訴えるのはよくないことだけれども、完全な武装解除は貧者の最後の抵抗手段を奪うことにもなりますし、実際にアメリカはそうしようとしています。武と経済の両面を駆使して。

国粋主義的な改憲派(好戦的な人たちという意味ではないです)は、日本も武と経済の両面を駆使して覇権主義のアメリカに対抗せよと主張します。これはこれで説得力のある主張だと思います。思いますけれども、これでは結局、競争の無限ループに陥るだけだと考えますし、だから私は護憲派です。

けれど、その護憲派は無限ループを脱出する方法を示していません。無限ループはダメというだけです。ダメというだけでは、そうするより仕方がないという覚悟を決めている人たちに説得力を持ちません。それが今の護憲派の実情だと思います。

9条は、武の面において無限ループを脱した理想の姿を提示するものですが、その方法論までは示していません。その方法論を示すのが護憲派の課題だと思うのです。

今の社会は武と経済とが複雑に絡まりあって、武だけ無限ループを脱するということはできそうにない。無限ループを脱するには武と経済とが同時に抜け出す必要がある。そうした方法論を、具体的な理想論を語る中で提示していけるか。そこが問題です。


憲法改正がダメな理由
私的な意見ですが。というか、私的な意見しか書けませんが。

護憲派にも改憲派にも「原理主義」的な人がいるという指摘は当たっていると思います。護憲の立場からいうと、そのことが護憲運動推進の足枷になっているということもあります。
護憲vs改憲の議論には原理主義者が混ざってしまうのでどうしても水掛論的な様相を呈してしまいがちですが、でも、不毛なレッテル張りをやめて、建設的に議論をすれば護憲派も改憲派も意見の一致点はたくさん見出せると思う。「平和は大切」という思いは双方とも同じだろうし。違いは方法論と憲法の位置づけだと思います。

必殺仕事人さんの意見にもあるように、改憲派は現実と憲法との齟齬を問題にし、憲法を現実に寄り添うように改正すべきだとする。護憲派は憲法を(特に9条)を実現すべき理想と考えるから、その齟齬を超えていかなければならないと考える。

9条に託した理想の姿は護憲派の中でもみなそれぞれ少しずつ違うでしょう。それでいいんですよ。理想だから。だから、あんまり明確にしない方がいいというのもある。まだまだ長いであろう理想への道のりの途中で、理想の具体的な形をあれこれいじっても仕方がない、という以上におそらくは害になります。

それよりも何よりも、理想へ向っていく途中で旗印をいじりたくないという思いが護憲派には強いような気がします。そういう姿勢を改憲派は「教条主義的」と受け取るのでしょう。そう受け取られても仕方がない面もあると(私は)思います。

護憲派がなにより大切に思っているのは、非現実的とも思えるような理想を実際に条文として掲げている「事実」なんだと思います。それがどのような経緯で制定されたものであれ、理想の姿を規定していることには間違いない。そこに「誇り」を感じているんだと思うんです。

国を守るにせよ平和を守るにせよ、上辺だけの呪文ではなんにも効果はありません。現実に行動を伴うことが必要です。そして人間の行動を下支えするのが「誇り」というものです。そのあたりは改憲派の皆さんにも理解していただけると思うんです。9条は護憲派の「誇り」なんです。

アメリカに押し付けられたものに「誇り」を感じるなんてどうかしていると思うかもしれません。でも、護憲派にはそんなことはどうでもいい。むしろ、押し付けられなければ実現しなったとすら思っている。ある意味、それほどに非現実的な条文なんです。
だが、それを60年にもわたって守り続けてきた。「守り続けてきた」ことが重要なんです。そしてこれからも守り続けることが大切なんです。だから護憲派にとっては、どのような形であれ、改憲には反対なんです。


不毛な議論は、「アンタッチャブルな存在」を利用する場合にも起きる
愛国者さんは、私が「天皇」と「平和憲法」を同列に置いた事にこだわっておいでなようですね。
どうして同列に置くことが、「天皇制を免罪」するとの解釈につながるか私には全く理解に苦しみます。

「天皇」と「平和憲法」を同列に扱うな!という意識。
これこそ、「平和憲法」が、戦前の「天皇」に代わり、神聖でアンタッチャブルな存在だと認めているに等しいと思いますが。

愛国者さんにとって「平和憲法」は「天皇制」と比べてはいけない神聖でアンタッチャブルな存在になっているのですか?

もし、そうだとしたら私が同列に扱ったのは正しかったと思います。なぜなら私の言わんとした事は、「天皇」であれ「平和憲法」であれ、崇拝の対象だったことが前提条件でしたから。
そして、私はそれを利用する人たちについて問題にしているだけなんですよ。

>あなたこそ「憲法論議の際は、そうしたレッテル貼りをやめていくことが、実のある議論につながる」と思いますので、ご検討の程を。

なるほど、そう言っている私本人が、レッテルを貼っているじゃないかとのご指摘ですね。これについてはまた後でお答えします(行数が足りないもんですから)。


確かにレッテル貼りは不毛です!
>憲法制定時には無かった概念「国際貢献」「集団的自衛権」
これは事実に反します。事実に反することを議論することは「不毛」に陥らないでしょうか?具体的には、全米相互援助条約(1947)・ブリュッセル条約(1948)・NATO(1949)には「集団的自衛権」が規定されています。ご確認を。これについては松竹伸幸著『「集団的自衛権」批判』(新日本出版社刊)に詳しい。
「国際貢献」論は日本国憲法前文に出ています。

>不毛な議論に陥らないために
「そんなことを主張したいために例示したのでは」ないと仰いますが、愛国者はあなたの指摘した「戦前の『天皇崇拝』が戦後の『平和憲法崇拝』に変わっただけで、その時代の看板を神聖視し、それをバックに自己を絶対化し、相手に従うよう強要する態度はうり二つ」についてコメントしたのです。また顔を見知っていようが、見知らない人の人格を云々を問題にしてはしていませんので、再検討をお願いします。

>自分たち護憲派を「平和主義者」だと勝手に規定し、対立する改憲論者に「平和の敵」とレッテルを貼ること。
これこそ「不毛な議論」だと思います。理由は、一般論を間違った歴史で議論しょうとするからです。「自分たち護憲派」とはどのような護憲派なのか、「レッテルを貼る」行為とは、いつ誰がどのように貼ったのか、具体的な話が見えてきません。あなたこそ「憲法論議の際は、そうしたレッテル貼りをやめていくことが、実のある議論につながる」と思いますので、ご検討の程を。


>必殺通行人さん
気分を害するということはありませんが、あなたの意見はかなり挑発的だなとは思いました。(^^;

私が重要なこととして明記したのは

「現政府与党に、憲法やそこから導き出される政治規範・行政規範を守ろうとする姿勢が乏しいことです」

ということです。「解釈での問題が出ない様にできるいいチャンス」とおっしゃいますが、仮に憲法9条を「一切の妥協なく、さらに強化し完璧に理想の9条」に「改憲」することにあなたのおっしゃるところの「護憲派」が仮に成功したとしたら、現在の「改憲派」は「再改憲」や「解釈改憲」や「憲法を逸脱する既成事実積み上げ」を一切やめて「新憲法」に従うとお考えなのでしょうか?(私はそんなことはないと思います。)

「護憲」が否定されるのが怖いのか、と挑発のようにおっしゃいますが、私が怖いのはむしろ、憲法の原則(基本的人権の尊重、国民主権、平和主義、立憲主義...)についての理解がないままに2005年10月28日発表の自民党改憲草案程度の、民主主義の縮小を志向する改憲になんとなくの賛成する人が多数を占めることです。それはお玉さんも何度も本文記事でおっしゃっていることです。

「一切の妥協なく、さらに強化し完璧に理想の9条に変え」るということを「今の勢力分布の国会」に期待できないことはわかっているのに挑発するような発言はやめませんか。とりあえずは、今の憲法にしたがった、民主的な政治・行政が徹底されることが先決です。

このコメント欄の小さなスペースでまだよく知らないあなたと議論を続けるのには無理があるし、20行を越えたらお玉さんに読んでもらえないので(笑)このへんにしますね。


不毛な議論の始まりは、相手そのものへの人格攻撃から始まる
>事実上天皇制を免罪することになりませんか?

そんなことを主張したいために例示したのではありません。
私はいつの時代にも、その時代の看板(主義)を高らかに掲げ、自己を絶対化し他者を従わせようとする、いわば「虎の威を借りる」連中がいると指摘しただけです。

そのくせこうした人たちは、その看板(主義)を実は信頼していないようで、その看板(主義)に疑問を呈する者がいれば、激しくどついてきます。(信頼していたら、何も怒らずに喜んで正々堂々と説明するだけで済むはずでしょう)
その時の攻撃手段として使われるのが、「相手の主張への反論」ではなく「相手そのものへの人格攻撃」なのです。これが使われると議論は常に不毛になります。

相手の主張そのものに反論せず、相手の人格をうんぬんし始める人がいますが、それは自分の主張に自信がない証拠にほかならないと私は見ています。

こうした不毛な議論に陥らないために、みんなで協力して論じて行きたいものですね。


中国の核兵器は日本に向いている
「中国の核兵器は日本に向いている」
と右の人から良く指摘されています。これは事実でしょう。

しかし、アメリカの核兵器も日本に向いているはずです。(そもそも、核兵器を「向ける」のは容易で。ソフトの座標設定を変えるだけ)

中国政府の理性は信用できないですが、同時にアメリカの理性も信用できません。現在のアメリカの政権は、狂っているかスパイに乗っ取られている疑いがあります。(田中宇氏によれば、わざと自滅しているようにしか見えない、とのこと)

核兵器をなんとかして無効化したいですね。レーザー兵器を大量に配備すれば無効化できるかもしれません。

レーザー兵器は三輪さんのところでいろいろ議論されています。レーザー兵器があると防衛は非常に有利になるそうです。私の頭の中でもいろいろ考えてみましたが・・同じ結論です。

その反面、他国の領土への攻撃には使いにくそうです。他国がレーザー兵器を持っていた場合、レーザー兵器を使って侵略するのは不可能です。


>でもこれってあまたひしめく改憲派ブログも同様に「護憲派って反日で非国民」と思ってlお玉達護憲派は散々そのレッテル貼られまくってます・・

ああ、そういえばお玉さんも同じような目にあっているんですよね。右でも左でも相手を認めずレッテルを貼る人には困ってしまいますね。

思うんですが、右でも左でもそういった人って精神構造が似ているような気がします。ただポジションが左右違うだけなんですよね。


歴史の偽造は空疎だ!
>戦前の「天皇崇拝」が戦後の「平和憲法崇拝」に変わっただけで
この二つの用語を同列に置くことこそスリカエそのものです。形式論理の最たるものです。治安維持法で国体護持のためと称して人権と民主主義を徹底的に抑圧し、その成果を踏まえて他民族を侵略し、内外の民衆を塗炭の苦しみを課した天皇制と、その反省のうえに作られた憲法を同列におく=相対化することは、事実上天皇制を免罪することになりませんか?

ドイツではナチス礼讃は「平和の敵」です。イギリスの王子でさえも父親から叱られたのとは全く逆のことを主張しているのではありませんか?

>自民党の新憲法法案は、「公共の福祉」を「公共及び公の秩序」に置き換えた。
60年代は、この公共の福祉を使ってデモやストライキを抑圧したのに、それすら投げ捨てて「秩序」を強調した。そこに意味がある!


暫定的な護憲と、将来の改憲
私は9条改憲派ですが、清和会の影響がある内は9条改憲に反対します。自衛隊・海上保安庁は憲法違反状態ですが、現状では仕方ないです。

軍事力はひとつの「保険」ですが、危険で、非常に悪用されやすい。近代になってから侵略は国際法(慣習)で禁止されましたが、それでも侵略の欲求は抑えられず、防衛を口実とした侵略行為は無数にありました。私が専守防衛以外の防衛を認めないのは、「専守防衛以外の防衛」は侵略の口実になる可能性が高いからです。

しかし、悪用されやすいからといって軍事力という保険そのものを消し去るのも間違いです。

権力者への猜疑のあまり、外部勢力への猜疑を否定するのは間違いです。両方とも猜疑し、自分たちを搾取するかもしれないと疑いの目で見る必要があると考えます。

軍事にフェチ的な感情を持つ人は多いようです。ひとつの保険に過ぎない、使われないほうが良いに決まっている保険、過去に悪用が多かった危険な保険。日本国土の「防衛手段」(=保険)は軍事以外にもいろいろ(資源自給、複数航路・輸入経路、教育や技術力)あるのに、軍事に過剰に思い入れを持つ人が多いです。軍事フェチですね。

日本の従米派は、米軍に憧れ、米軍に魅了されているのでは、と推測しています。軍事フェチと従米派がかなり重なっているように見えます。

シーレーン防御はアジア各国の海上警察(および非常時の海軍)に守られていて、米軍は役に立っていません。しかし、従米派は米軍のおかげでシーレーンは守られている、と思いたがっています。米軍の強力な兵器や軍事力を有効利用されていると思いたがっているのです。あんなのただの凶器であり、ゴミなのに。米軍の軍事力は、ほとんど「強盗」の道具です。

米軍の兵器は、防御には極端にオーバースペックです。その上「侵略的」な兵器の割合が非常に高いです。攻撃的な空母が多数、核ミサイルが大量、通常兵器も非常に強力などなど「他国に攻め込む」ことに特化されすぎています。「国防総省( Department of Defense)」というのは嘘ですね。

先に軍事力は「悪用されやすい」と書きましたが、むしろ「悪用」すなわち攻撃のほうが本来の軍事力の目的です、ほかの村・部族・地域を襲って略奪する道具が兵器の始まりです。どちらかというと防御のほうが軍事力の派生的な使われ方です。

米軍に限らず現状の兵器は「攻撃」に特化されすぎているのではないか、と疑っています。もともと兵器は攻撃の道具ですから。

もっと防御に適した兵器(=防具)が考えられるのではないか。他勢力を攻撃するには「使えない」、しかし他勢力から攻撃されたときには有効に使える兵器・道具・方法論は研究されてよいと思います。

歴史的に見れば、「城」が防御用の兵器(=防具)でした。「城」は占領地を確保するためにも使われたので、必ずしも防衛的とはいえませんが・・。


村野瀬さんへ
政府与党が改憲しようとするのが現行憲法の有効性とは思えません。
改憲論議が出る前から9条問題はありました。
それは自民党がと言うかも知れませんが、社会党政権でも自衛権と自衛隊を認めて政局運営しました。
憲法制定時には無かった概念「国際貢献」「集団的自衛権」
これが大きな問題になりどうとでも取れる様な表現ならばはっきりさせる必要があるでしょう。
貴方方護憲派は一切の妥協なく、さらに強化し完璧に理想の9条に変えれば今後このような解釈での問題が出ない様にできるいいチャンスなのに、なぜそこまで現行憲法にこだわるのですか?
お玉さんが取り上げてくれた質問にも書きましたが単に護憲派の声が届かず国民が改憲派を支持するのではないか?
その恐怖があるからではないですか?
改憲派にとっても護憲派にとってもさらに自分らの主張をはっきりと憲法に反映させるチャンスなんですよ?
国民投票で護憲派が否定されるのが怖いのかな?
又国民の世論を投票という形ではっきりさせないで世論が世論がと騒いでも意味ないと思います

また、これは村野瀬さん個人ではなく護憲派全体への質問です

村野瀬さんのコメントになるほどねと思う部分を引用して質問しました。
村野瀬さん、気分を害したら謝罪しますのでコメントでもメールでも下さい


一知半解知らずに劣れりさん
>改憲派の一個人として、是非やめていただきたいと思うのは、自分たち護憲派を「平和主義者」だと勝手に規定し、対立する改憲論者に「平和の敵」とレッテルを貼ること。

ああ、これ、よく分かるよ。でもこれってあまたひしめく改憲派ブログも同様に「護憲派って反日で非国民」と思ってlお玉達護憲派は散々そのレッテル貼られまくってます・・・

ようは護憲派とか改憲派って言う前に・・人間としての度量とか、器。。。てな事を書くと、自爆しそうだ~~今日のお昼にこれ関連の記事を挙げますね。


レッテルを貼る行為が、議論を不毛に終わらせていると思います。
お玉さんの言い分はわかるものの、改憲派の私から見れば、どうもそればかりだとは思えません。

護憲派の方々を見ますと、かなりの確率で憲法原理主義者が存在します。ダメなものはダメという社民党の土井たか子みたいな人ですね。

正直言ってこの人たちとは対話になりません。理屈で話そうが、情に訴えようが、問答無用で改憲派を「平和の敵」と勝手に規定し、ウソをついてでも相手のことを非難・罵倒してきます。

この手の人たちのおかげで、護憲派というのは話が通じないと思う改憲派の人たちは結構多いのではないかな。

改憲派の一個人として、是非やめていただきたいと思うのは、自分たち護憲派を「平和主義者」だと勝手に規定し、対立する改憲論者に「平和の敵」とレッテルを貼ること。

我々改憲派だって、日本の平和と安全を思えばこそ声を挙げているのです。
それを何の根拠もなく曲解し「平和の敵」だと決め付けるその『傲慢』さ。

私は、こうした「憲法原理主義者」の方々は、戦前ならさぞかし立派な「国粋主義者」として活躍していただろうなと思います。

戦前の「天皇崇拝」が戦後の「平和憲法崇拝」に変わっただけで、その時代の看板を神聖視し、それをバックに自己を絶対化し、相手に従うよう強要する態度はうり二つじゃないですか。

従わないものには、戦前なら「不敬」とか「恥を知れ」と罵倒し、現在はそれが「平和の敵」に変わっただけで行動様式は実に似ています。

ですから、憲法論議の際は、そうしたレッテル貼りをやめていくことが、実のある議論につながると信じていますので、護憲派・改憲派問わずお願いしたいなと思います。


憲法論議
最近感じるのは、いろいろなメディアで憲法について言及している色々な肩書きつきの人達の多くは、ナイター見ながら野球解説しているオヤジとあんまりかわんないなぁ~ということ。
護憲・改憲どちらの立場でもいいけど、まずは憲法というものを真剣に学ぶことからはじめないと。


あ、書き忘れました。m(__)m
自民党HPの「公共とはお互いに尊重しあう仲間のこと」の中に、『「独りよがり」の人権主張』という言葉がありますが、「独りよがり」とは具体的に何なのかわかりませんので、自民党はまず、そこを具体的に言うべきなのです。

というか、「独りよがりの人権主張」という言葉を使う時点で、自民党は「人権」の理解がないことがばれてしまうのです。世界人権宣言でも読んで出直してほしいものです。


政府与党行政に憲法を守らせることが改憲よりも重要。
久しぶりのコメントです。
必殺仕事人さんの発言にお返事するなら、「誰の作った改憲案に反対しているかの明示なしに話し合う事」が問題だとおっしゃるお玉さんの発言のほかに、もう一つ重要なことがあると思います。

それは、現政府与党に、憲法やそこから導き出される政治規範・行政規範(たとえば政治資金についての透明性を高めることがどの一つ。自民党にはその規範が乏しいですよね)を守ろうとする姿勢が乏しいことです。今の憲法を守ろうとせずに自分たちに都合の良いように変えようとする姿勢がある限り、どのような憲法に改憲しようとむなしいことです。

現実に、政府与党が解釈改憲も含めてあらゆる手段で今の憲法を変えようとしているということは、今の憲法が全体として立憲主義の点から十分な力を持っているということでもあります。

現憲法の「文面」は十分にクリアーで、「自衛権も含め一切放棄」と書き直す必要があるのでしょうか?必要なのは、政府与党権力側に憲法(とそこから導かれる政治行政規範)を守らせることだと思います。



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