国籍法改正案・・・河野太郎君はえらいと思うな。
2008-11-18(Tue)
自民党議員の河野太郎さんのブログ「ごまめの歯ぎしり」のコメント欄が大変なことになっていたようですね。
国籍法改正案について、相当なバッシングがあったのね・・でも今は閉鎖したけれど、どれ程に炎上したかをそのままさらしている彼って凄いと思います・・・
ごまめの歯ぎしりより
国籍に関するQアンドA
この法案は、簡単に言うと、未婚の日本人男性と外国人女性の間に生まれた子について、父親が認知すれば国籍を取得できるようにする・・というものですよね。
一部右派の方々は偽装認知の可能性を示唆して大反対しているようです・・
珍しく野党も与党もそれなりに賛成でまとまっているらしい法案に横やりを入れ、バッシングするほどに深刻な件数の「偽装認知」が果たしてあるのかどうか・・
それよりも国籍を取得出来ず宙ぶらりんになる不幸なこども達を救済する方が大事ではないかとお玉は思う・・・・スルかどうかはまだ今後検討するのだろうけれど、DNA鑑定だってあるのだし、柔軟さを示していいのではないのかな・・
諸外国の事情(特にヨーロッパでしょうか?)とか見ていると、皆さんいろいろ言いたいこと、あるでしょうね・・
言いたいことを人のブログに書くのならば、特に批判するのであれば、それなりに誠意を持って書きましょうよ。
追記 この記事に・・・心配して鍵コメン下さった方。ありがとう。確かに言いすぎで右翼とくくったのは良くないね。訂正しました。
明日もう少し法案の問題点もふくめ再度書きますが、太郎さんのブログを見ていて、素直にえらいなと思ったので書いてます。
正論で法案反対されている方にのっかって暴言まがいにコメント書くのは絶対に許せないし、そういう風に一部の人が差別的行動になってしまう理由は何かも考えたいな。よいテーマだと思うんだけれど・・
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コメント
国際社会一般で「必要とされる」のであれば、日本もまた、「本来は必要である」のです。
しかし、何度も言いますが、「だからといって、本当に武力に訴えるわけではない」のです。
憲法第9条は、制定時の理念はありますが、現在において適切だと思われる概念は、私は「国際社会においては、紛争解決手段としての戦争は、いまだ肯定されている。日本もその例外ではない。しかし、それを承知で、日本はそのオプションを使わない。」というものになるんだろうと思います。
何度も同じことの繰り返しですが、そうでありながらも、ひとつでも多くの武力紛争を武力を使わずに停止させ、国際紛争を話し合いで解決していく。それを積み重ねていくことにより、「究極の、最終的の紛争解決オプションでさえも、武力を行使しないでやれるのだ」ということ見出していくこと。
これが伊勢崎さんが目指す道なんだろうと、私は思っています。
たまたまテレビを見ましたが、伊勢崎さんはジレンマの中で思考錯誤をしながら動いていますね。言葉の端々に「現実を目の当たりにし、理想がそのまま実現できないから、苦悩している。シエラレオネでは『100%の妥協』も余儀なくされた。でも、夢を持っている。あきらめない。」という気持ちが込められていた気がします。
わくわく44さん
2、3の点について少しお返事します。
>本当に「必要がない」のであれば、今現在には、どの国や地域でも武力紛争など存在していませんよ。
日本には必要ないということです。アメリカのような国のやることと同じでなくていいということ。武力紛争を自ら発生させないように、日本は始めから戦争を放棄しているはずです。その禁じ手を復活させるというなら、なにかの理由づけで戦争を始めることを容認するきっかけになります。それは最終手段といわれても、我慢できずにその手を使う誘惑に勝つことは非常に困難ですよ。
>やはりコウト様は、「戦争アレルギー」があるようです。
アレルギーじゃないと思いますけどね。暴力が好きか嫌いかと言ったら、嫌いですね。現実にそれがなくせないことを知っていても、それを避ける方法を優先した暮らしを選ぶことが間違いとはいえないと思います。それをアレルギーというならそうなのでしょうが。ならずものはぶちのめさないと、家族の幸せが保てない、っていう感覚を持てば、アレルギーから解放されるんでしょうか。^^;
わくわく44さんとコウトさんの議論に横から入るようで
申し訳無いのですが、私はどちらかってとわくわく44さんのご意見に賛同したいです。
理想は勿論武力と戦争の完全否定。
しかし現実に「特に有効な手打たないけど日本国民かえして」というスタンスで
北朝鮮と話し合い(アレが話し合いといえるのなら、ですが)
の結果が現在の状況ですが。
「理想という名の天を仰ぎ見るのは結構だけど
現実という名の足元を否定してはならない」
と思うのですよ。
何度も申していますが、「戦争する必要はない」ですが「戦争を覚悟せねばならない場合もありうる」のは厳然たる事実です。
本当に「必要がない」のであれば、今現在には、どの国や地域でも武力紛争など存在していませんよ。
そして「覚悟」と「やること」も異なります。「死ぬ気で頑張れ」という言葉がありますが、それは「本当に死ね」という意味なのでしょうか?そうじゃないですよね。「そこまで全力を尽くせ」という意味でしかありません。
>しかし戦争をも辞さないと言ってはダメでしょう。そこまでの脅しができる国なら、もう九条なんて話ではなく、本当に戦争ができる国として自他ともに認めなければいけません。
ですから、「戦争をも辞さない」というのがダメならば、「では、最終的なものは何なのか、何をもってそれが最終といえるのか」ということを示していかなければならないはずです。
また、9条を改正して戦争ができる国にするというのも、ひとつの選択肢ではあります。でも、それを絶対に選択しろというのではありません。
「本来は戦争をも辞さない覚悟が必要だが、それでも、あくまでも9条を貫徹する」というのもまた、ハードルは極めて高いでしょうが、『目標』や『夢』としては、私は「あり」だと思います。
さらに、「いや、武力に訴えることがない方法でも、最終的な解決手段があるはずだ」とあくまでも追求する姿勢だって、当然「あり」です。
ただし、現時点においては、残念ながら、私の発言について納得できない、あるいは反論したいという気持ちをもって『戦争にまで至る前にやることは腐るほどあります。未来をつくるにはまず手を携えて進むことです。』と述べることは、ただの「現実逃避」に陥りやすい、それこそ「もっと怖ろしい事態」を招きかねないということを、お心におとどめください。
今現在は「武力行使」は、「紛争解決の最終手段として、人々に認知されている」のです。この厳然たる事実を認めてこそ、コウト様ややまべ様のご意見が、より深く、より幅広いものになります。
>もうひとつは、わくわく44さんが問うているのは「こども」に限定した話なんでしょうか?
子供に限った話ではありませんよ。今回は婚外子の国籍付与に関する話なので、「子供」に触れましたが、もちろん、大人にも同じことが言えます。
自己責任については、記事違いとなりますので、私も軽く述べるにとどめますが、私は「自己責任」に関しても、双方とも壮大なる誤解があると思っています。
>国というものを通じての関係よりも、人間同士の直接的なかかわりを大切にしたい
これも二者択一の話ではないと思います。お互いが関係性の端緒になることもあるでしょうし、リンクしてシナジーを出すかも知れません。私は特にどちら、ということにこだわりがあるわけではないです。
最後に、やはりコウト様は、「戦争アレルギー」があるようです。
ご自身の「戦争」「武力の行使」についての感情をベースにした論の展開になっています。それは別に悪いわけではなく、人間としては当然だとは思いますが、しかし、他人の論を理解するに、そのスタンスはいかがなものか、と思います。
わくわく44さん
あなたの真摯な態度は理解したいと思います。残念ながらずっと議論に明け暮れているわけにもいかないので、簡潔にお返事だけしておきますね。
>『もし、国外で日本国民がその身体に危害があったときは、救出保護するために行動しなければなりません。(略)結論を言えば「戦争をも辞さない、つまり、やれることは全部やれ。」です。』
ここ、疑問です。ひとりの人間の命をどれほど大事にするか、という議論はあまり意味がないにしても、人質とされた自国民の救出のために宣戦布告する必要はないということをはっきりさせましょう。実際にやることは、もしかしたらテロ組織との取引かも知れない。そこに対話や圧力や、いろいろな条件を含めるかも知れない。しかし戦争をも辞さないと言ってはダメでしょう。そこまでの脅しができる国なら、もう九条なんて話ではなく、本当に戦争ができる国として自他ともに認めなければいけません。
もうひとつは、わくわく44さんが問うているのは「こども」に限定した話なんでしょうか?海外で日本人成年男女が危険な目に遭う可能性は大いにあります。しかしこどもでなければ、自分で責任を持て、国の保護は限定される、ということなのでしょうか。そもそも、国籍取得の問題と、海外での邦人保護とを安易に一緒にするべきでないように思いますよ。なお自己責任の問題をここで論じることは、なるべく控えていただきたいと思います。
同じ日本人に対する真摯なお気持ちは尊重します。しかしながら僕は、国というものを通じての関係よりも、人間同士の直接的なかかわりを大切にしたいと思っています。その方がずっと現実的だと考えるからです。
最初に立ち返って話をいたします。
『もし、国外で日本国民がその身体に危害があったときは、救出保護するために行動しなければなりません。
では、その「救出保護」のために、何を政府はなすべきか。
結論を言えば「戦争をも辞さない、つまり、やれることは全部やれ。」です。』
国籍によってもたらされる「最低限の保護」とは、こういうことです。
普段の生活がどうこうなのではありません。いざ、何かがあったとき、ということにおいて、われわれがその子のために戦争をも辞さない覚悟でその子たちの保護を政府に国民に要求し、自らもできる限りのことを行う覚悟を決められるかどうか、そこが問われているのです。
>その先、本当に我々がこどものことを大事にしたいのならば、戦争にまで至る前にやることは腐るほどあります。未来をつくるにはまず手を携えて進むことです。
まず、コウトさん、私に対する反論になっていないことをご承知でしょうか?
私は「戦争をも辞さない覚悟」とは言いましたが、「戦争しろ」とは言っておりません。むしろ「実際にやることは違う」と言っているかと思います。
そして、技術論はいくらでも話せます。しかし、それが「最終」で「決定的」かどうかは、正直言ってわかりません。もしかしたら、コウトさんや私が期待したことが、「実は間違い」であり、「余計に悪化させた」ということになるかも知れません。
>広く豊かな心を持てないこどもたちに対して、大人がしてあげられることはなんでしょう。
>一歩間違えれば地獄に落ちるから、決して油断せず歩きなさい、今日の友は明日の敵ですよと教えることでしょうか。
コウトさんは何だと思いますか?
私は答えを持っていないかも知れない。持っていても、それはコウトさんが納得できないものかも知れない。
コウトさんは、答えを持っているのですか?その答えは、私やその他の人々を理解させ、納得させられるものですか?
>最後にもう一点。紛争解決の最終手段は戦争ですか?お玉さんがずっと引用している伊勢崎さんの具体例は何だったのか・・・
残念ながら、目下のところは「戦争です」という答えしかありません。伊勢崎さんの具体例についてですが、みなさん、大きな誤解をしています。伊勢崎さんは、「紛争解決の最終手段は、今現在においては、武力に訴えること」ということを前提にした上で、「武力に訴えないで、話し合いで、平和裏に解決しよう」と努力されているのです。そして、その努力を継続していくことによって、「武力に訴えないで紛争を解決できる国際社会を実現したい」という『目標』と『夢』に向かって活動をされているのです。
決して「紛争の最終的な解決手段は武力行使ではない」という非現実的な認識の下でいるわけではないことは、踏まえておくべきだと思いますよ。
コウト様
>人間同士の共存を進めていく上で、争いごとを最終の解決手段と認めている限りは、人類のこれから先の問題はなくなりません。
これは国籍に対する「覚悟」とは別の話かと思います。
現実的に、戦争が紛争解決の最終手段として人類に認知されている以上、「何がなんでも」という『気持ち』を表するときに「戦争を辞さない」という言葉を出しているのであって、本当に戦争に訴えるべきだ、としているのではありません。
「覚悟を持つ」ことと「実際に何をするのか」ということは別だと考えます。
やまべ様
>自らの最高法規を無視する「覚悟」を持つ国が付与する国籍などに、誰が価値を見出すでしょうか。
私は改憲論者ですが、憲法論に深入りすると記事違いになりますので、改憲護憲という話とは別に言えば、「武器を持って救うことができるというように、物理的には『戦争を辞さない覚悟で救う』ことが可能なのに、最高法規を遵守せねばならないために、その方法を断念した」ということを、どう判断するか、ということになるかと思います。
「あくまでも救う、保護することが大切だ」とするならば、現行憲法の規定の方が誤りなのであって、改憲という選択になるでしょう。
もう一方で「せっかく人類が手に入れた平和憲法を遵守せねばならない。その法の範囲内での最大限の保護と救出の道をあくまでも探るべきだ」という立場の方もいます。
どちらが正しいか間違いかは、それこそ「一方の長所が、そのまま他方の短所」という話であり、まさに『どちらを選ぶか、どちらのリスクを背負うか』という話になるかと思います。
やまべ様とコウト様に対して、私がお聞きしたいことが1つあります。
『では、「戦争を辞さない覚悟」ではなくて、どんな「覚悟」が、「最終的な、なにがなんでも」という「覚悟」としてわれわれの胸に刻むことができるのだろうか?』ということについてです。
おそらく、すぐに返答できるような生易しい問いかけではないと思います。場合によっては「人の永遠の課題」になるのかも知れません。が、これは、追い求めるに価値があるものだと思います。
改憲論である私が言うのもなんですが、これは私にとっても、追い求めるに価値があるものだと考えています。この答えを、私が自信を持って見出したとき、おそらく「改憲」が「護憲」になるんだろうと、私は思っています。
十文字様
>子供の命よりイデオロギーを重んじるという「覚悟」に関してては、私的観点から申しまして、軽蔑致します。
単純に「子供の命」と「イデオロギー」が「選択できるもの」であるならば、私はやはり「子供の命」を選択したい感情があります。
ただ、残念なことに「イデオロギーを軽視することにより、子供たちの命が、かえって危機に頻する」ということもあるのです。もっといえば「目先の子供たちの命を救おうとすれば、もう一方の子どもたちの命が危機にさらされる」ということがありうる、ということです。
だから、私は国籍法改正に関して、賛否双方に問いかけたのです。自分とは反対側の考えを「正当とする」という前提のマインドを常に持つことは、私は非常に大切なことだと思っています。
>『われわれは、戦争も辞さない覚悟で、この子たちを守っていける
>覚悟を持てるのだろうか。』ということを自ら問いかけ、
>そしてそれに「YES」と答えるだけの覚悟を決めることなんですよ。
こんなレターを書くのはあまり無いかもしれませんが、今回のわくわく44さんのご意見には賛同できません。
なぜかと申しますと、反面教師としてこんな例をご紹介いたします。
http://www.magazine9.jp/interv/moichi/index2.php
『だから、覚悟というのは、たとえば自分の子どもたちが戦争で奪われたときに、「おまえが憲法9条って言ってたからだ」と責められても、「そうだね、それはそういう覚悟を持って言ってたんだからしょうがないね」って思えること。』
率直に申しまして、アホっぽいですよね!
…まあ、人にはそれぞれいろんな「覚悟」があるかもしれませんが、「子供が殺されても9条を守る覚悟」なんて、私には全くございません。
無論、わくわく44さんもそんな「覚悟」はないでしょう。
こんな極論を平気で放言されるこの御仁は、「9条を守る覚悟」が無ければ、日本から出て行けとでもおっしゃりたいのでしょうか?
話を戻しまして、「この子たちを守る」という手段に関し、「軍隊入隊」でも「パルチザン戦」でも「平和創造ネゴシエーション」でも「家族でトンズラ」でも、日本という国籍を持つ人がいかなる考えを内心に秘めていても、それはそれで別にいいと思います。
それを、「覚悟」という言葉を公的なものにして、あれこれ国民の内心を調査するようなことはあってはならないし、それを行ったらさぞ窮屈な世の中になってしまうと思います。(とはいえ、わくわく44さんは、私的見地の立場から申されているということは承知しております。勿論、この御仁も…)。
しかし、子供の命よりイデオロギーを重んじるという「覚悟」に関してては、私的観点から申しまして、軽蔑致します。
※国籍に関する諸問題に関しての投稿は、別項に致します。スレ違い気味投稿、申し訳ございません。
→わくわく44さん、
今般の問題に関するあなたの主張の骨子は、
「国籍は重要なものであり、軽々に扱うべきではない。したがって、国籍法の改正には十分に慎重であるべきだ」
というものであると推察しております(カギカッコ内は私の表現ですので、ズレがあるかもしれません)。
これはとても整合性の高い主張であり、反対する人はあまりいないんじゃないかと私は思います。
しかしその重要性をいうのに、「戦争も辞さない覚悟」という表現を持ち出すのは、どうなんでしょう。自らの最高法規を無視する「覚悟」を持つ国が付与する国籍などに、誰が価値を見出すでしょうか。
国籍を与えるというのは、その者を自国の法制度のもとで庇護するという意思表示であると見ていいと思います(庇護する方法は他にもあるかもしれませんが)。
ところが、「この者のために戦争も辞さない覚悟が我々にあるか」という問いは、少なくとも日本においては、「この者のために我が国の最高法規を無視する覚悟が我々にあるか」という意味になります。これは、国籍を与えるという文脈においては深刻な背理ではないでしょうか。
国籍の重要性を主張されるのは十分理解できるのですが、「戦争を辞さない覚悟」という表現は、その主張の整合性をひどく損なっているのではないかと思います。
わくわく44さんの言われていることは、感覚的にはいくぶん理解できそうな気もします。要するに、どこまで本気かを示せ、ということなのではないでしょうか。
正確に論を進めることができないことを最初に謝っておきますが、それは結局、他の方のおっしゃる義務と権利の捉え方にも関連することだと思います。わかりやすく言うなら、感情的な理由でたやすく行為を正当化してはいけない、ということですね。
僕が「戦争を辞さない『覚悟』」」という表現に同意できないのは、戦争に対するアレルギーではなくて、自分の本気度を殺し合いでしか示せないという不幸、を離れたいと思うからです。ぶっちゃけ、好きな女がいて、他の男と彼女を取り合いになったとしましょう。^^; そのときに、最後の手段として殴り合い、あるいは殺し合いで女の所有権を決めるというのが、男の本能の中に残っているだろう、と考えます。まあ女じゃなくても土地とか資源とかでも同じかも知れませんけどね。そのときにはそれこそ、男の本物の本気さが発動されるわけで、そのような人の本性を頭に置いた上ならばわくわく44さんのおっしゃることが素直に理解されます。
しかし僕は、わかる気がする、でもそれは認めない、という立場をとります。人間同士の共存を進めていく上で、争いごとを最終の解決手段と認めている限りは、人類のこれから先の問題はなくなりません。すくなくとも僕はそう思います。人と人が、互いに本気になって不幸な現実を変えていくためのやりとりをしなければいけないことには疑問の余地はありません。大事なのはその方法です。
コウト様
「戦争を辞さない『覚悟』」であって、本当に戦争しろっていうんじゃないですからね。だいたい、そこまで覚悟しないといけない事態がいいわけないんですから。(汗)
>身近なこどもたちの幸せさえ保証できないのが現実じゃないんですか?
「偽装認知の危険性」を唱えている人に対しては、私は、まさに問いかけています。身近な人の幸せすら重くみない人が、「国籍の重み」を述べても説得力などないと、私は述べているつもりです。
やまべ様
>今ここでは、「日本国籍」が主題になっているんですよね。それなのになぜ「戦争も辞さない覚悟」なんて言葉が出てくるんでしょう?
私は「日本国籍」というのは、日本国政府と日本国民が、「この者のために戦争も辞さない覚悟が我々にあるか」と問いかけられるほど重いものであり、その重みがある分、私たちに信頼を与えてくれるものだと考えています。
逆に言えば、「国籍」にそこまでの信が置けないというのは、日本国政府と日本国民が、同じ同胞であるはずの私たちにでさえ、そこまでの信頼を確信させてくれない、悲しい国家国民なんだなぁ、という淋しい状況になってしまうと思うわけです。同じ同胞ですら絶対的な信を置けない状況で、どうして諸外国の人たちから信を置いてもらえるようになるのでしょうか、ということも、同時に問いかけたいと思います。
記事違いになって申し訳ないですが、日本人の悪いところは『戦争』というものにアレルギーを持ちすぎている点にあります。
戦争は回避しなければならないものであり、紛争も、話し合いで平和的に解決すべきであり、を武力行使に至らないように、外交や国際交流等、常日頃の努力をしていかなければならない。
このことは論を待たないと思います。
しかし、国際社会は、まだ「戦争」のオプションを捨てているわけではない以上、同時に「戦争に至ってでも」という覚悟もなければならない。
『戦争をも辞さない覚悟を持って、戦争を嫌悪し、そして戦争をなくしていく。』という矛盾した心構えを持たなければ、結局、日本国民の生命財産、自由と権利を守っていくことができないのが、残念ながら、現在の国際社会の冷たい現実であるということも、踏まえていただければと思います。
→わくわく44さん、
今ここでは、「日本国籍」が主題になっているんですよね。それなのになぜ「戦争も辞さない覚悟」なんて言葉が出てくるんでしょう?
「日本国籍」を取得した時点で(あるいは申請した時点で)、「私の身に何があっても、日本政府は戦争という手段で私を救おうとすることはない」という一文に同意署名したことになるのではないでしょうか?
これはもちろん、日本国民として生まれてきた私にとっても同じことです。たとえば私が外国で犯罪に遭い、日本国による庇護を願ったとしても、もし私を救う手段が戦争しかないのであれば、私は諦めておとなしく異国の土に還ります。まぁしょうがないですよね。これまで日本国籍があるおかげでさんざんいい目を見てきたんだから、それくらいは。
だから、「この者に日本国籍を付与し、日本国民として受け入れるか否か」を考えるときに、「この者のために戦争も辞さない覚悟が我々にあるか」なんてことを考慮する必要はまったくないんです。そんな覚悟はそもそも求められていないんだから。
そのような(戦争という手段による)庇護を冀う人は、他国の国籍を申請すべきでしょう。
「戦争も辞さない覚悟」なら猿山の一群やスズメバチの巣にもあるでしょう。「子どもたちの笑顔」に価値を感じるのは人間だけです。
お玉さんの言っている報道されたあの子供たちが北鮮に拉致され、解決する為に私の元にも召集令状が届いたら、私は応じますね、とても恐ろしいし、悩みはすると思いますが。
戦争も辞さない覚悟で、というところにちょっと・・・
そんなことを当然と考えたら、世界中で戦争は増え続けてしまいには世界の破滅ですよ。そりゃ国が国民を保護することはあっても、戦争も辞さないってどこの話なんでしょうか。さっき911の映画見てしまいましたが、あれほどのことがあったからアメリカは戦争への引き金を引けた。でも、テロリズムに勝つための戦争で自国の兵士を含め非常に多くの人々を犠牲にしましたね。
わかると思いますが国民を守るためというのは方便なのですね。実際には人命よりもはるかに大事な利益がなければ、戦争は起きません。ああ、エントリを逸脱してます。最後にひとこと。国籍がどうであろうと、身近なこどもたちの幸せさえ保証できないのが現実じゃないんですか?まずできることからですよ。
DNAがどうとか教育がどうとか、「子どもたちの笑顔」がどうとか、これらはすべて小手先の話であって、どんどん『国籍』の価値を下げていると思います。
無国籍の子どもたちに国籍を付与するかどうかというのは、一見すると「排除の論理」に見えるかも知れません。
しかし、これはむしろ逆なんです。『われわれは、戦争も辞さない覚悟で、この子たちを守っていける覚悟を持てるのだろうか。』ということを自ら問いかけ、そしてそれに「YES」と答えるだけの覚悟を決めることなんですよ。
無国籍の子どもたちに対する国籍付与の条件設定と審査は、むしろ、われわれが「この子たちを最後まで受け入れる覚悟を持つために」行う、自分自身への審査なのです。
子どもたちへの条件をより厳しくすべきだという思考を抱くのであれば、われわれ自身が、より高度な覚悟をもって、常日頃から「同じ日本人」に対するいわれなき差別や格差を嫌悪する感情を抱くようにしていかなければならない。
「与えるべきだ」「子どもたちの人権が最優先だ」と感じる方々は、そこまでの覚悟を持って『国籍を与えろ』と述べているのでしょうか?
「偽装認知」「日本人のDNA」を問題視する方々は、今現在の『同じ日本人』に対して、上記に掲げた覚悟を常日頃抱いているのでしょうか?単なる「排除の論理」に成り下がっていないでしょうか?
双方とも、もう一度、「同胞を受け入れる」というのがどういうことなのか、考えなおすことが大切になってきたなぁ、と感じます。
移民や国籍法の前に「少子化対策」が先です。
日本はやれることやってない。
やまべさんへ
>法制度の話をしているんですよ。
銀行の銀行は日銀。法の法は憲法。日本の憲法には「日本人とは何か」が謳われていなければなりません。大日本帝国憲法よりは薄まってしまったけど、現憲法にもそれはある。理念がある。国民として誇りに思います。
→KYさん、
>日本人らしさがあるものが日本人なのです。
>日本人らしさには外見や肌の色のように遺伝子に起因するものもあるでしょうが、その本質はむしろその行動と心象にこそあるべきです。
法制度の話をしているんですよ。
日本国籍を持つ者が日本人です。それ以上でもそれ以下でもない。
法制度上、日本国籍を付与するうえで、どのようなtestが必要かという話です。
名は体を表す、とはよく言ったものです。
もし、私が子供の母親なら、その国の国民になれば今よりもずっと良い生活が出来る可能性がある国があったとして、そのために、その国の底辺で生きる人やアウトローの世界の人にお金を払って子供の父親になってもらう、などという冒険は冒したくありません。というより、その国にそういうことに応じてもいいと思う人たちがいくらでもいるとしたら、それだけでその国への幻想は打ち砕かれ、子供と一緒にその国で生きて行こうなどという考えは捨てたくなるでしょう。
それと「ホームレスなら金で認知するだろう」というのも、考えてみたらすごく失礼な話のように思えてきました。「ホームレスは失うものがないはずだから、何でもするはず」という見方なのでしょうが、たとえそういう身の上になったとしても、そんな人ばかりではないはずです。そういうことを言う人たちは、自分がもし金に困れば、そのくらいのことは当然のようにするつもりなのでしょうか?
そもそも世の男性が女性から「赤ちゃんが出来たみたい」と言われて、ハッとするのはどうしてなのでしょう?もちろん、相手の女性と結婚していて子供を待ち望んでいた時なら、ただただハッピーでしょうが、そこまでする覚悟が出来ていなかったり、そうしようにも大きな障害があるという場合には「これは困ったことになった」と思うのではないでしょうか?「金を払って子供を認知してもらえば簡単に不正が出来てしまう」というのはあまりに安易な言い方だと思います。
私はキリスト教徒ではないのですが、昔、興味を持って読んだ聖書に「あなたの量るその秤で、あなたの値も量られるだろう」とかいう言葉があったのを思い出しました。
偽装結婚、いまでもありますよ。それに密入国、コンテナで運ばれているのが摘発されている現場を見たことあります。特定アジアの人間でしたよ。それに偽装認知するおことに親になる覚悟、そんなのあるわけがないじゃありませんか?あるくらいならお金で認知などしませんよ。たとえば別の話ですが銀行口座を売る人たち、それが悪いことに使われるのを全く予想していないでしょうか?みな目先のお金欲しさに、(それもわずかな金額です)後先など考えず、若しくは犯罪となることなどものともせず手を染めます。特に特定アジアの国からの密入国、犯罪の発生率、を考え、また先刻のオリンピックにおける特亜の留学生、とても普通の人とは思えない方々の長野でのふるまいを考えると空恐ろしくなります。日本自治区にするつもりですか?
城内実という人の記事(
http://www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/)を読めば、彼の差別意識に左右される方々の気持ちがよくわかりませんね。その記事の下劣さに呆れるばかりです。問題はどうやって受け入れた子をケアする体制がとれるかです。日本人として立派に社会が育てればいいではありませんか。若者人口がどんどん減る日本、日本人になってくれる子供がいるのはありがたいことです。
罰則強化とDNA鑑定で9割の反対派は収まると思うね(何が何でも廃止と叫んでるのは少数)
なぜ法務当局がやりたがらないのかがナゾです。
夫婦の場合、別れたら他人だけれど、親子は一生親子です。法的に親子であると言うことは相互に扶養の義務もあるわけなのですよね。どこかの掲示板ではホームレスに金を払って認知させるのだろうとか、それをやくざが仲介するのではないかとか言っているようですが、そういう立場の人に父親になってもらうという不安はないのでしょうか?
その「父親」が将来、病気で動けなくなったり、認知症になったり、自治体から生活保護を拒否されたりした時に、もし他に面倒を見る家族がいなければ、当然、その子に責任が行ってしまいます。あるいはこれは義務とは言えないでしょうが、多額の借金を作って返せなくなった時なども累が及ぶでしょう。もちろん、認知した男性にとっても子供が小さいうちに母親にもしものことがあればその子を育てなければならない立場になるわけです。
偽装認知を心配されている人たちは、お金しか目がない人間はそんな先のことは心配しないし、その時になったら、逃げてしまうだけ、と言われるかもしれませんが、親子になると言うのはそんな簡単なものでありません。そのことはどこの国の人だってそう思うでしょうし、まして可愛い我が子の未来です。母親なら考えると思うのですが。
>やまべ様
天皇がDNAによって天皇なのではないように、日本人はDNAによって日本人なのではありません。日本人らしさがあるものが日本人なのです。
日本人らしさには外見や肌の色のように遺伝子に起因するものもあるでしょうが、その本質はむしろその行動と心象にこそあるべきです。
たかが数グラムのタンパク質ごときに我らの文化や国家を託せるわけもありません。我らの誇りは我らのものであって、科学者の試験管ごときに決められるような軽いものではないのですから。
河野太郎のブログにコメントしている有象無象はともかくとして、ここにコメントしている良識ある(と思われる)人たちの見解としては、DNA鑑定が必須要件とされれば問題なし、ということでいいのかな?
それと、次の記事も含めて、お玉さんが「かわいそう」という感情表現をまったくしていない、という点にも留意したい(冷たい人だね、まったく←おいおい)。人権という観点からの救済は、感情的なものではなく、単なる不公正の是正にすぎないのではあるまいか。
偽装日本人って・・・そもそも偽装認知してくれる日本人がいるのなら、現行法でも結婚偽装で入国しちゃうだけの話ではないかと。
どちらかと言えば不法滞在者を雇用する側のほうをきちっと摘発すべきだと思うのですけれどね。子供はまあ、「日本人のDNA」が有ろうが無かろうが、日本で日本人として教育すればそれはもう日本人でいいのではないでしょうか?
お玉さんはやさしい方で人を疑わない方なんですね。私も恋愛関係だけでなく性売買での交渉で生まれた子供でもまた愛人関係によりうまれたこどもでも本当に日本人との間に生まれた子供なら救済されることには仕方ないと思っております。しかし国籍を与えるということは親子関係だけではありません。先にも「わくわく」さんが述べておられるように大変なことです。本当の親子の認知の申請ならばDNA鑑定を必須事項として設けてなんの不都合があるのでしょうか?
それが欠けている以上だめです。中国残留孤児とその家族の日本への帰国の件でも、蛇頭などによる成りすましがありました。家族の呼び寄せでも発覚は氷山の一角だけかと。家族呼び寄せの偽装は女児殺害のペルー人もそうでした。偽造結婚、これも特に特定アジア国民においておおいです。また 民主党がほかの法案はスルーして、この件にだけ積極的に応じたのは解せません。偽装で日本人になり済ますのは何のためか?経済的、他にもたくさん考えられますね?。国籍を与えるということは大変なことです。性善説で済む話ではありません。
改正法案の文面はもちろん、件のブログ記事そのものをまったく読まずに、ですね。コメント欄だけを、ずーっと読んでいってみる。
すると、自ずから分かってくることがある。
何がダメかって、「父親の認知だけで国籍が取得できる」事が問題なのです。
DNA鑑定等に関する記述が無い以上、あっさりと国籍が取得できてしまうのです。
「国籍を取得できない子供達を救済」したいという意見には私も賛成ですが、それまでの過程を飛ばしてしまっているのでマズイという話を理解していただきたいです。
子供がカワイソウという感情論が一番危険だと思うよ。
そりゃ~カワイソウだがそれはそれ。
そんなことで法が歪んで裁量行政になったらめちゃくちゃになる。
お玉さん
こんにちは。私自身ネットの中で見たこと、関わったことをコメントさせていただきます。国籍法改正案のエントリは、政治ブログ上位常連のかたもさる事ながら、城内実さんのブログの連投も大きいと思います(現在政治ブログランキング4位)。産経新聞の阿比留瑠比さんが「国籍法改正案をめぐり、議員たちも立ち上がりました」というエントリをあげたとき、河野太郎さんの「ごまめの歯ぎしり」に「国籍法に関するQ&A」というエントリがあがったことをお知らせとしてコメントさせていただきました。(その少し前に、オバマさんについてのエントリにコメントさせていただいて、コミュニケーションが成立するかただと思ったからです。)河野太郎さんの「国籍法に関するQ&A」は最初コメントを受け付けていましたが、入力者には見えても他の人からは見えない手法を使っているのではないかがネット上話題となりました。
http://www.nikaidou.com/2008/11/post_1954.php
その後、誹謗中傷や差別的なコメントが多くなったと、コメント欄を一旦非表示にし、意見はメールでと対応されました。
たぶん、その後メールや苦情が更に多くなったのでしょう。
河野太郎さんは「おわび」のエントリをあげコメント受け付けを再開しました。
以上の流れと思います。
法案は法務委員会は付帯決議をつけて全会一致で可決。自民党早坂忠孝議員や馬渡龍治議員は付帯決議作成の努力をわかってほしい旨、ブログに書かれています。
法案内容,問題点に触れないコメントとなりましたが御容赦ください。
お玉さんは、ヒューマニズム、それも「生まれた子どもに罪はない」という観点で唱えていると思います。お気持ちはわかりますし、その方向で国籍法を改正できれば・・・と、私も思うときは何度もあります。
しかし、国籍の付与について、それがどれだけのものか、ということを認識しておく必要はあります。
『日本国籍の付与』は、日本国政府が日本国民として、国内外で保護する責務を負うと決する行為です。もし、国外で日本国民がその身体に危害があったときは、救出保護するために行動しなければなりません。
では、その「救出保護」のために、何を政府はなすべきか。
結論を言えば『戦争をも辞さない、つまり、やれることは全部やれ。』です。
日本政府がやることはないですが、アメリカならば、最悪の場合、特殊部隊を含めた軍隊を送りこんで、武力で救出保護を行うこともあります。もちろん、相手がその国の政府ならば、軍隊を送って武力を行使するのですから、派遣した国との「戦争」にまでなる可能性は十分すぎるほどあります。
戦争の是非を問うことは、ここでは記事違いになるので控えますが、国籍の付与というのは、そこまで踏まえなければならない事柄ですので、「国籍を取得出来ず宙ぶらりんになる不幸なこども達を救済する方が大事」という感情だけでやっていいことでは決してありません。
もし、未婚の日本人と外国人の間に生まれた子どもに日本国籍を付与するのであれば、それこそDNA鑑定などの『その子が日本国籍を付与する資格があるという、確実かつ信憑性が極めて高い証明』がなされなければなりません。
従って、国籍法改正案は、それが完全に抜けているわけですから、DNA鑑定など、複数の鑑定結果を付与した上で「認知」を行った場合に国籍付与、という「条件」をつけることで賛成するべきだと、私は思います。
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