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2023/10
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戦災国立慰霊碑1

お玉達が三年以上前から、小泉政権を批判して、アメリカのいいなりになる怖さの話をしたりして・・でもリアルにはなかなか伝わらなくて・・・安倍政権の時は安倍さんのとっても偏ってる教育理念が大嫌いで、あのとき、署名を集めて必死でみんなが抵抗していたのに、すんなり通ってしまった教育基本法改正のことも・・・・今となっては理念より質だなんて、又訳わかんない事言い出してるけど、国民の総意が得られてないからそんな話にすり替わっていけるんだよね。

で、安倍さんが今何やってるのかと思ったら

戦災国立慰霊碑

を作るための会を自民党で立ち上げたとか・・・

はあ・・それって国立追悼施設を目指している人たちと一緒にやった方が良いんじゃなあい?そういう動き、本気で民間人の慰霊を考えるのだったら、それは自民党とか、左派とか、そういう隔りなしでやってみようよ。

もともと河野洋平さんや山崎拓さんが考えていたんだとお玉は思っていたんだけれど・・この人達も安倍さんのこの会に参加してるのかな?

 民間人の慰霊施設は太平洋戦争だけに留まらずもっと大きな枠組みのすべての戦争でなくなった方の為のものにして欲しいし、はっきり言って「極右派」な安倍さんの会が作った施設ではあまり大衆が納得したものになるとは思えないんだけれど・・・・きっと歴史資料館とかも併設させるんでしょ。太平洋戦争に限定した施設にする意味がお玉にはよくわかんないよ。

それって遊就館みたいなものも一緒に作っちゃうんじゃないのかい?ものすごく疑心暗鬼なお玉です・・・・

お玉のような左派にこんな風に思われないためにも、自民党の議員さんでも、もう少し穏やかにハト派な人を表に立たすべきではないのかしらん???

ちなみに議員連はこんな方々ヨン

<議連参加議員>
●衆議院議員
 安倍晋三 下村博文 島村宜伸 古屋圭司 三原朝彦 高市早苗 今津寛 
山口泰明 谷畑孝 山本拓 今村雅弘 三ツ林隆志 萩生田光一 坂本哲志
菅原一秀 御法川信英 谷公一 亀岡偉民 土屋正忠 薗浦健太郎 松本洋平
松島みどり
●参議院議員
 藤井孝男 中川雅治 秋元司 岡田直樹 

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懇願
>お玉さんの裁量にゆだねます

これで最後って書きつつ・・でも相手が書いたからと書き続けると終りませんよ。こういう懇願(とお玉は感じちゃった)はお玉があなたを子供だなって感じてしまうから・・・議論の技術としてはお下手だよ。いずれにしても終ろうとして下さってありがとう。



お玉さんにお任せします
一応、「これで最後」と述べた後の投稿なので、これをUPするかどうかは、お玉さんの裁量にゆだねます。

このコメントが、お玉さんが「有意義だ」とおぼしめし、UPしていただけるのであれば、幸いです。

>「判例がある」と言ったのは、わくわくさんですよ。私は、最初から裁判で争われていなけりゃ判例などあるはずがないと述べています。

その発言が不当なのです。
あなたは憲法を持ち出しました。憲法を持ち出して述べる以上、持ち出したLooperさん、あなたがご自分で調べて、判例の有無を述べるのが義務です。
それを私にさせること自体、Looperさんは憲法を侮辱しています。そう思わないのであれば、憲法について二度と語らないでください。憲法に対して失礼です。

>で、別に国管理じゃなくても良いですよ。一宗教法人が国指定の追悼施設になることに関する判例を示してくださればよいのです。

上記と同じ理由により、立証責任はLooperさんにあり、私にはありません。なぜなら、Looperさんは、独自の憲法解釈で私を批判するということをしでかしたのですからね。それぐらいのことができないなら、Looperさん、あなたは、憲法を私を批判するためのただの道具に貶めただけですよ。

>わくわくさんは、今現に遺族を苦しめている合祀取り消し拒否問題では、結局、合祀を取り消さない側の論理を「善意」と捉えるべきだという立場でした。「取り消してあげても良い」が、「取り消すべきだ」という立場ではありませんでした。遺族が裁判にまで訴えている苦しみの解決よりも、勝手に合祀して遺族を苦しめている側の論理を擁護し続けました。

「取り消してもよい」という態度を、普通の日本語では「擁護する」とは表記しませんし、通常の感性を持つ人ならば、そういう思考をしません。単語の使い方と感情が不適切です。

>そんな遺族の心を理解しない方が、「心を理解しない」と他人を非難をしている。ですから、それはおこがましいにも程があるのでは?「心」が分っていないのはどっちなんだ?と厳しく問うたわけです。

それはあなたです。祀られる方の感情もありますが、祀る方も感情がある。祀る側が自分のスタンスを押し付けるのも「良い」とは言えないが、祀られる側も、故人を思って祀ってくれる「気持ち」を尊重しない感情が「良い」とは言えない。つまり、お互い様ということです。

>で、この問題は、靖国神社支持派にとっても、靖国神社が国民に愛されるような神社にしたいのなら、避けては通れない問題であるはずです。そこにきちんと目を向けない靖国派は、ニセ物だと私は思います。

ここでも言葉の使い方が不適切です。「ニセ物」かどうかを判定するほど、Looperさん、あなたは偉いんですか?
思いあがるのもほどほどにしていただきたい。
本当にこれで終わりたいので、この発言に対して私が怒りを覚える発言は慎んでいただきたいものです。

が、このコメントをUPするかどうかは、お玉さんの裁量にゆだねます。よろしくお願いいたします。


締め
「判例がある」と言ったのは、わくわくさんですよ。私は、最初から裁判で争われていなけりゃ判例などあるはずがないと述べています。

で、別に国管理じゃなくても良いですよ。一宗教法人が国指定の追悼施設になることに関する判例を示してくださればよいのです。

で、この間の議論で、なぜ私がわくわくさんを厳しく追求したのか、について述べておきます。

わくわくさんは、今現に遺族を苦しめている合祀取り消し拒否問題では、結局、合祀を取り消さない側の論理を「善意」と捉えるべきだという立場でした。「取り消してあげても良い」が、「取り消すべきだ」という立場ではありませんでした。遺族が裁判にまで訴えている苦しみの解決よりも、勝手に合祀して遺族を苦しめている側の論理を擁護し続けました。

そんな遺族の心を理解しない方が、「心を理解しない」と他人を非難をしている。ですから、それはおこがましいにも程があるのでは?「心」が分っていないのはどっちなんだ?と厳しく問うたわけです。

で、この問題は、靖国神社支持派にとっても、靖国神社が国民に愛されるような神社にしたいのなら、避けては通れない問題であるはずです。そこにきちんと目を向けない靖国派は、ニセ物だと私は思います。

言いたいことは大体伝わったと思いますので、以上で、一応締めとしておきます。


薩摩長州さん
……とりあえずそういった考えは三十年前連合赤軍の敗北(自滅)
とともに否定されたのですが……

それでアジア人民とやらが納得してくれるのですか?
特に韓国などは遡及法という自国が近代国家ではない野蛮人の集まりでしかない事を
全世界に宣言して恥じない人達なのですが。
もう一度言います。
「具体的に」戦争責任とやらの謝罪と反省を行った、と
内外ともに納得させうる方法を教えてください。
そして中国や朝鮮の侵略・虐殺行為はスルーですか?


お玉さん、これで最後です。
これで、この件に関する最後の投稿になろうかと思いますのでご容赦を。

Looperさん、あなたが示したのは『国家が一つの宗教法人だけを国の追悼施設とすることは、思想信条の自由や政教分離の侵害です。だから、今後は靖国は使えないのですよ。そこに異論がありますか? 』というものです。

追悼施設として利用するに、なぜ「国家管理」が必要となるのでしょうか?そこまでしなくても「一宗教法人の靖国神社を、国家の追悼施設として『利用する』だけ」なのですから、帰属先が国家である必要はありません。
従って、『宗教法人の国家管理化が憲法違反かどうか?』という質問自体、Looperさんが、この問題に関しては、憲法からの視点では考えていないということを、これ以上ない根拠で示したわけですよ。

そして、『一宗教法人が国指定のなんらかの役割を果たす』が『特権を受けることは、これに明確に違反する』かどうかについては、判例が出ています。

こういう具合に話ができないなら、憲法を持ち出して語るのは、今後一切、お控なさるのがよろしいかと思います。


お玉さん、この件については、このコメントで終わります。本当に申し訳ございません。


シンペイさま お玉さまm(_ _)m
お玉さまのジャッジがはいったところで、掟破りの4コメは心苦しいのですが・・・

2つだけ簡潔に、ひとつは、シンペイさまの気分を害した「目を皿」発言を謝罪させていただきますm(_ _)m。すっかり老眼のおっさんゆえの粗相をお許し下さいませ。

もうひとつは、明治維新以降、一貫して民衆を侵略戦争へとかりたて、そしていまなお戦争をなさんとする政治勢力を、我々民衆が民族的責務にかけ政治的・軍事的に一掃 することが最後的に責任を全うすることであると私は思っています。血債を返さねばなりません。

血債=『墨で書かれた虚言は、血で書かれた事実を覆いきることは出来ぬ。血債は必ず同一物で償還されねばならぬ。支払いが遅れれば遅れるほど、利息は増されるのだ』

くわしくは、またご縁がございましたらということで、失礼いたします。


「靖国」に関しては、日本人の間ではひとつの統一した結論は出ないでしょう。
基本的に「靖国」の前身である「東京招魂社」は慶応4年(1868年)6月2日に「江戸城西丸大広間上段の間に神座を設け、官軍戦没者のための招魂祭を行な」ったことを、その起源としているわけですから。「賊軍」の戦没者は全くまつられていない。
太平洋戦争における東京裁判よりも苛酷な、勝者による一方的な敗者への「報復としての儀式」が、「靖国」の起源なのです。
だから、自分が当時の官軍の末裔だと感じる人にとっては「靖国」は正しい尊崇すべきものだし、自分は賊軍の末裔だと感じる人にとっては「靖国」は憎悪の対象にしかならない。
右とか、左の問題じゃないと思う。
この問題でいくら理屈をつけて議論しても、戊辰、西南、2.26といった日本人同士の内戦の記憶を感情的に掘り起こすだけで不毛だと思うけれど・・・


そうねえ・・
お玉の記事からは離れて行ってるし・
コメントはどんどん長くなってきてるし・・
出来ればわくわくさんちでエントリたててやってもらえるとうれしいなあ。



わたしが言うのもナンですが
わくわく44さんもlooperさんもそうケンカごしにならずに

ただlooperさんに一言
>判例にも持ち込めないほどの分かり切った常識
あいにくと法律において「分かり切った常識」というのは存在しません。
「法律に明記されている」か「前例が存在する」かのどちらかです
その「常識」とやらが自分ひとりにしか通用しないものである可能性もあるのです
「無理強いするつもりはありませんけどね」「どうぞお示し下さい」
といった相手を馬鹿にするような態度
(実際はどうあれ私にはそう感じられました)は
控えたほうが良いのではないでしょうか
まあ私も多々あるのですが


判例は?
>はい、裁判はありますよ。判例もあります。

では、判例をどうぞ。
宗教法人の国家管理化が憲法違反かどうか?
に関する判例をどうぞお示し下さい。


Looperさん
>靖国は、なぜ取り消しをこれほど拒むのか?ここに目を開こうとしない限り、私の言ってることは永遠に分からないでしょう。

目を開くも開かないも、靖国のテーゼがそうなんでしょう。それ以外に答えようがありません。

それと、Looperさんが言っていることが永遠にわからないのは、そもそもLooperさんの発言自身が「靖国否定ありき」だからです。結論が先にあって、それに辻褄を合わせるような論は、Looperさんに思想的に賛同する人以外には理解されないでしょう。

>まー、見たくないという方に、私も無理強いするつもりはありませんけどね。

ほら、この言い方が失礼千万なんですよ。ものの言い方に気をつけなさい。

>判例とは、裁判の結果として生まれる物ですので、裁判が無ければ判例もありませんよね。

はい、裁判はありますよ。判例もあります。私に対して『これはこれは驚きました。』『こんな事は極左~極右まで、すべからく常識だと思っていたんですが、そうじゃなかったみたいですね。』とまで言い切るぐらいなのですから、私に説明を求めず、ご自分で判例を調べてください。それぐらい、Looperさんには容易であると私はみなします。

>で、靖国神社が戦後、政府の管理から一宗教法人となった理由は憲法です。また、その後の国家管理化運動でも、宗教法人のままでは憲法に抵触するからと、靖国神社の非宗教化がその前提となっていたなど、靖国派の人でさえ、宗教法人のまま国家管理となれば憲法に抵触するのは議論不要の常識でしょう。

はい、これはLooperさんの「思いこみ」ですね。
「非宗教でなくても憲法に違反しない」という人もいますよ。これも、私に根拠の提出を求めないでください。あなたが調べてください。『これはこれは驚きました。』『こんな事は極左~極右まで、すべからく常識だと思っていたんですが、そうじゃなかったみたいですね。』と私に対して言いきるんですから、それぐらいのことは造作もないとみなします。

>で、それが確定していない?判例がない?それは、裁判に持ち込めないほどの分かり切った常識だからで、それを覆そうだなんて愚か者がいなかっただけのことでは?

私がいつ「裁判がなかったから、判例がないから確定していない」と述べたのでしょう?
判例を調べずに憲法を持ち出すから、こんな頓珍漢なレスポンスが来るのです。

憲法まで持ち出して、そして弁護士さんのところで貴殿と討論をしたことがある私に対して、見下した態度で述べる以上、私が指摘したところは、ご自分でおできになるとみなします。
できないのであれば、発言を全部撤回してください。


肝心なところが抜けてます
わくわくさんのお返事で、一貫して欠けているのは、

>靖国神社も護国神社も、遺族の意志に反する合祀の取り消しを要求され、裁判に訴えられても一貫して拒否し続けています。合祀がもし「好意」なら、なぜ取り消すという「好意」の発揮は拒否するのでしょう?

という質問への答えです。
あなた自身は、「取り消しを認めても良い」という意見を持っていたとしても、この問への何の答えにもならない。
「俺は良いと思うけど、なんでだろうね~、わかんね~な~」
って、言ってるだけ。

靖国は、なぜ取り消しをこれほど拒むのか?ここに目を開こうとしない限り、私の言ってることは永遠に分からないでしょう。まー、見たくないという方に、私も無理強いするつもりはありませんけどね。

> 憲法第20条の解釈に関しては、さまざまな学説や判例があり、確定はしていません。それを知っているからこそ、あえて「確定した根拠はあるのですか?」と聞いたのです。

判例とは、裁判の結果として生まれる物ですので、裁判が無ければ判例もありませんよね。

で、靖国神社が戦後、政府の管理から一宗教法人となった理由は憲法です。また、その後の国家管理化運動でも、宗教法人のままでは憲法に抵触するからと、靖国神社の非宗教化がその前提となっていたなど、靖国派の人でさえ、宗教法人のまま国家管理となれば憲法に抵触するのは議論不要の常識でしょう。靖国派も非靖国派も、その常識を前提としていろいろな運動をしているというのが現実でしょうね。

で、それが確定していない?判例がない?それは、裁判に持ち込めないほどの分かり切った常識だからで、それを覆そうだなんて愚か者がいなかっただけのことでは?


薩摩長州さま
とりあえず靖国については置いておきまして
なんで>目を皿のようにしてにしてよーく見ると
などと相手を(この場合私を)馬鹿にするような無駄で無意味で馬鹿馬鹿しい
慣用句をわざわざ付けるのですか?
looperさんが書いてるか書いてないか、ただそれだけでしょうに
私の考えとしましては「国の命で戦争に行き、死んだのだから国が供養するのは当然」
もうただそれだけなんですが。

>非宗教の追悼施設
これはlooperさんだけでなく靖国反対派の方が大抵言われるので
どんな風に考えてられるのか、それを聞きたかったのです
そういう意味ではlooperさん向けのコメントで書いたのは間違いかもしれませんね
個人的には死者を弔う、それだけでもう宗教であり、追悼施設とやらから宗教臭を
排除するなど不可能にして無意味だと思っています

あと「アジア人民への謝罪と反省」「戦争責任」と言われてますね
これは依然聞いたのですが誰も答えてくれませんでした
「一体どういう状況になれば謝罪と反省をきちんと行った事になる」のでしょう
中国には無償のODAを兆単位で注ぎ込んでいますが。
朝鮮とはすでに条約を結び幾多の「援助金」を支払い尋常でない額のODAを施し
幾度と無く謝罪した上ドイツと違って国家的責任も認めているのですが。
それともアジア人民とやらが「許さん」と口にする限り未来永劫
天地が滅ぶまで謝罪し続けなければなりませんか?
そして日本国内で中国人や南北朝鮮人が「日本は昔自分らに酷い事をしたのだから」と
国内で犯罪を行うのを容認せねばなりませんか?
そして「戦争犯罪人」として処刑された人々の死は全くの無意味で彼らの処刑という
「罪の償い」は無駄死にでしかありませんか?
そして中国や韓国は近隣諸国に対して行った侵略行為や
虐殺については謝罪も反省も不要でただ日本だけが未来永劫犯罪国家とやらで
あるべきなのですか?
これは日本の侵略行為を正当化しようとしてるのではありません。
ただ「どうなったら責任を果たし終えたと言われるのか」を知りたいのです
実際に罪を犯してない自分の子供が犯罪者呼ばわりされるのが我慢ならないのです。


Looperさん
>勝手に追悼する側の「心」は随分と斟酌されますが、追悼される遺族側の「心」を蔑ろにして平気なのはなぜなのです?
>合祀がもし「好意」なら、なぜ取り消すという「好意」の発揮は拒否するのでしょう?

『もっとも「大きなお世話」という言葉もありますから、前述したように「絶対に嫌だ」という人は合祀を取り下げればいいと思いますし、それを認めるように法整備することは、私は反対しません。』と述べておりますが。

>つまり、あなたは何も見えていないだけなのです。

上記の言葉を精読しないで、他人に「あなたは何も見えてない」と述べることの方が、『あなたは何も見えいないだけなのです。』という言葉が当てはまります。
人の発言をきちんと読まないで、こういう失礼極まりない言葉を使うから、あなた方と同じ立場になる人が「少数派」になるんじゃないんですか?

>それでいて、遺族の心を踏みにじる行為でさえ「好意」と捉えるべきだと言う。これを「視野狭窄」、或いは「無知」と言わずして、どういう言葉が適切なのか教えていただきたいものです。

「大きなお世話」「良かれと思ってやったのが裏目に出た」という言葉の方が適切でしょう。「視野狭窄」「無知」という言葉は、この場合、日本語として適切ではないですね。ましたや「視野狭窄」だの「無知」だのとは、失礼にもほどがあります。発言を取り消してくださいね。

>>拒むも拒まないも、一宗教法人ですよ。
>実質的には違いますよね。
>未だに、厚生労働省が作った名簿に従って合祀を行っている。
>つまり、国が軍務で亡くなったと認めた人を、戦前、戦中と同じように戦後も靖国神社が合祀し続けている。この構図は何も変わっていません。

それは靖国神社が勝手にやってることであって、「厚生労働省が作成した名簿に従って合祀せよ」という法律も行政命令もありません。「お願い」はあるでしょうが、それに靖国が従う義務はありません。靖国が合祀を拒否しても、靖国の関係者で処罰を受ける人もいませんから。
仮に、靖国が名簿を厚生労働省に要求して、それを厚生労働省が開示したというのであれば、これは個人情報の保護等の問題であって、靖国のテーゼとは関係ありません。「他の神社でダメなものは、靖国でもダメ。それを守らなかった。」という問題にしかならないのです。

靖国のことに関して「侵略戦争美化」や「過去の反省がない」「軍国主義の象徴」という視点で、これを問題化している人が多いため、私が上記のことを述べれば、誤解を招く怖れがありますので、念のために言っておきます。
上記のことを言い換えれば、『仮に靖国が「軍人軍属、民間人、外国人等、全員を反省と謝罪の気持ちで追悼する」というテーゼであっても、「それはダメ」ということになります。』という話です。つまり、靖国のテーゼと今回の問題とは、次元がまったく異なることである、という認識を、反靖国の方々は肝に銘じておいていただきたいと思います。

>で、問題の一つは遺族には何の断りも無いことです。遺族の「心」を少しでも大事にするなら、合祀する前に遺族に了解を取るのが最低限のスジではないですか?

まぁ、「ないよりあった方が無難」というところだと思います。

>これに同意して頂けるなら、靖国神社が合祀する場合には、遺族の了解を求めるよう要求しましょう。

お断りします。私は靖国にもご遺族にも利害関係はありませんので。
ちなみに、私自身は、桜が満開になる季節に日本武道館からの流れで散歩したり、お祭りの日に屋台に行ったことぐらいしかありません。私の親族や知人は誰一人靖国に祀られていませんので、参拝する理由がないからです。また、遊就館も(確か)有料なので入ったことはありません。

>そして、沖縄の「平和の礎」に刻まれている名前はどうやって集められたのか?をこそ知るべきでしょう。

私は、それを邪魔したり反対したりはしませんが、他人に「知るべきでしょう」と求めることもしません。
仮に私がそう思ったとしても、「知るべきでしょう」なんて上から目線での言い方はしません。「知ることに意義があると思います。」など、「判断はあなたにお任せします」という表現を使いますね。

>そのカテゴリー分けをする意味を問うているのです。で、何のためですか?

別に私がカテゴリー分けしたわけじゃないので、聞かれても困るんですが、それはともかく、私が思うには、国が「戦地に赴け」と命令して、その結果として「殉職した」のですから、『命令を発した者として、命令を受けた者への報いや感謝』という意味だと考えられます。
会社が、業務命令によって業務に従事していた社員が死亡したとき、会社が葬儀に際して、葬儀を取り仕切ることがありますが、それに近いものだと思います。

>またそんな外したことを平気で言ってちゃだめですよ。
>新設しようしている国立の戦没者追悼施設というのは、敵味方関係なく、内外の全ての戦争による犠牲者(戦闘行為だけでなく、餓死などの戦災死や、思想弾圧による小林多喜二などの戦争犠牲者も当然含む)を追悼し、非戦と平和を誓うのが目的の施設として構想されています。しかも、その建設の是非についての毎日の世論調査では66%もが賛成しています。

別に外したことは言っていませんが。
「それはそれで作ればいい」と言っているし、私はそういうものを作ることに反対はしません。賛成か反対か二者択一で選べと言われれば、「賛成」に回るでしょうし。

>根拠はもちろん憲法20条です。
>「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」
>どう解釈しても、一宗教法人が国指定のなんらかの役割を果たす=特権を受けることは、これに明確に違反するからダメなのです。

Looperさん、あなたと、弁護士のブログで憲法について論じていた私が、その条文を知らないとでも思っているのですか?
Looperさんが述べたことに関しては、判例や学説があるはずです。
憲法第20条の解釈に関しては、さまざまな学説や判例があり、確定はしていません。それを知っているからこそ、あえて「確定した根拠はあるのですか?」と聞いたのです。

>だから視野狭窄なのですよ。
>あなたにとってどうでもいい話だったら、全員にとっても「どうでもいい話」なんですか?

だから、嫌なら嫌で、それに対応できる法などを作ればいい、と言ってるじゃないですか?!
ただ、『「靖国を解体しないとダメ」とか「今後は靖国は使えない」とか、そういう話ではない。それはそれで、という話だ。』と言ってるにすぎません。私は「AorB」を否定し「AandB」でいいと言っているのです。
それを「視野狭窄」と発するとは失礼にもほどがあります。

>そう思うのでしたら、ぜひわくわくさんも、靖国に、遺族の意志を尊重して合祀取り消しをしろ、という論陣を張って下さい。

お断りします。私は「反対はしません」とは言いましたが、「賛成する」とは言っておりませんので。

>で、靖国神社がこれほど強く合祀取り消しに抵抗する理由をこそ考えてみるべきでしょう。

「あぁ、そうですか」という感情しか持てないですね。Looperさんが賛同者と一緒になさるのは勝手ですが、賛同もしてない人に向かって「視野狭窄」だの「無知」だのというコメントだけはいただけないですが、それがないならご存分に、というところです。


私が、この国の憲法を信じないのは、9条で「反戦」をとなえながら、1条で堂々と「差別」を高らかに謳いあげていること。
基本的人権も、表現や行動の自由も与えない一群の「皇族」という人々を日本の「象徴」という名の人柱にしておいて、なぜ「一般国民」が基本的人権や、表現の自由や、「平和」を享受できるのか?その神経が私には理解できません。
憲法1条の名のもとに「天皇」という不自由で、国民のためにのみ定年もなくひたすら祭祀と公務を無理なまでに続ける「人柱」が存在するから、「靖国の御霊」という「天皇のために死んだ」特権的、差別的な死者が存在し得る。
9条をいくら守ろうが1条がある限り、この国はある時期が来れば、積極的に戦争に突き進んで行くでしょう。
いわゆる「右」ではなく「中道」あるいは「左」といわれるような人々こそがどっと、戦争へ突き進んで行く未来がすぐそこに見えるようです。

つい先日4巻が出たばかりの、よしながふみ作・画『大奥』は現憲法下の近年の「皇室問題」を、パラレルな「徳川将軍問題」に置き換えて見せた、優れて政治的な少女(?)マンガです。
その4巻の冒頭で家光が叫んでいます。「わしはこの徳川の世を存続させるために生れてきた将軍という名の人柱である!」。
現憲法下で天皇という「人柱」を置いていつわりの「平和」をむさぼることの危うさを、このマンガは見事に描いています。


わくわくさん
勝手に追悼する側の「心」は随分と斟酌されますが、追悼される遺族側の「心」を蔑ろにして平気なのはなぜなのです?

> 靖国のコンセプトに合致している人をすべからく祀るというのがテーゼだ、ということなんでしょう。それ以上の意味はないと思います。そしてそれは「好意」と解するべきものだと思います。

靖国神社も護国神社も、遺族の意志に反する合祀の取り消しを要求され、裁判に訴えられても一貫して拒否し続けています。合祀がもし「好意」なら、なぜ取り消すという「好意」の発揮は拒否するのでしょう?
つまり、あなたは何も見えていないだけなのです。それでいて、遺族の心を踏みにじる行為でさえ「好意」と捉えるべきだと言う。これを「視野狭窄」、或いは「無知」と言わずして、どういう言葉が適切なのか教えていただきたいものです。

>拒むも拒まないも、一宗教法人ですよ。

実質的には違いますよね。
未だに、厚生労働省が作った名簿に従って合祀を行っている。
つまり、国が軍務で亡くなったと認めた人を、戦前、戦中と同じように戦後も靖国神社が合祀し続けている。この構図は何も変わっていません。
で、問題の一つは遺族には何の断りも無いことです。遺族の「心」を少しでも大事にするなら、合祀する前に遺族に了解を取るのが最低限のスジではないですか?これに同意して頂けるなら、靖国神社が合祀する場合には、遺族の了解を求めるよう要求しましょう。

そして、沖縄の「平和の礎」に刻まれている名前はどうやって集められたのか?をこそ知るべきでしょう。

>「軍務で亡くなった人」というカテゴリーで祀っても、「それはそれで」という程度しかありません。

そのカテゴリー分けをする意味を問うているのです。で、何のためですか?

>その他の人を国家で追悼しているわけではありませんが、もし、小林多喜二など軍務に関係ない人も祀れというのであれば、そういうのを作ればいいのです。もっとも、そういう意見は少ないとは思います。

またそんな外したことを平気で言ってちゃだめですよ。
新設しようしている国立の戦没者追悼施設というのは、敵味方関係なく、内外の全ての戦争による犠牲者(戦闘行為だけでなく、餓死などの戦災死や、思想弾圧による小林多喜二などの戦争犠牲者も当然含む)を追悼し、非戦と平和を誓うのが目的の施設として構想されています。しかも、その建設の是非についての毎日の世論調査では66%もが賛成しています。

>>しかし国家が一つの宗教法人だけを国の追悼施設とすることは、思想信条の自由や政教分離の侵害です。だから、今後は靖国は使えないのですよ。そこに異論がありますか?

> それが確定した根拠はどこにありますか?

これはこれは驚きました。
こんな事は極左~極右まで、すべからく常識だと思っていたんですが、そうじゃなかったみたいですね。ましてや、わくわくさんは極右じゃないし・・・

根拠はもちろん憲法20条です。
「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」
どう解釈しても、一宗教法人が国指定のなんらかの役割を果たす=特権を受けることは、これに明確に違反するからダメなのです。

>私にしてみれば「靖国だろうが他であろうが、どの宗教であろうが、無宗教であろうが」、はっきり言ってどうでもいい話だからです。

だから視野狭窄なのですよ。
あなたにとってどうでもいい話だったら、全員にとっても「どうでもいい話」なんですか?

>私は合祀取り消しには反対はしませんよ。特定の宗教への信仰が厚いのであれば、精神的な被害はあるでしょうから。

そう思うのでしたら、ぜひわくわくさんも、靖国に、遺族の意志を尊重して合祀取り消しをしろ、という論陣を張って下さい。それが実現できれば、靖国神社の問題のかなりが片付く大きな事なのです。で、靖国神社がこれほど強く合祀取り消しに抵抗する理由をこそ考えてみるべきでしょう。


Looperさんm(_ _)m
>私自身はそのような施設自体の設置に反対しております。

あ! 失礼しました。見落としてました。m(_ _)m 全く同意であります。

>やはり「なぜ、何のために国家が追悼する必要があるのか?」という疑問に帰着します。

私はその疑問のヒントを師匠から授かったとおもっています。それをふまえたうえで新たに「国立の追悼施設」をつくるなら日本帝国主義の侵略戦争で命を奪われた多くのアジア人民への謝罪と反省と反戦平和の決意を込めてつくればいいかと。

まあ、現実的には田母神論文なんぞが出てくるような情勢下にあっては夢物語にしかなりませんが。いずれにせよ、他民族への戦争責任の自覚を欠落させたところでの国家による「追悼」はやがて排外主義的なナショナリズムへと転化するものとなりましょう。

ひさびさにお玉さまのところで3コメいれてしまいました。ここらでおひらきにします。
Looperさんご縁がございましたらまた対話させてくださいましm(_ _)m


薩摩長州さん
>目を皿のようにしてよ~くみると、確かにLooperさんそういってますね。

確かに言ってますが、それは以下のような意味で書いているとも言いました。

>靖国のような施設が今後も必要だと考える人がいるなら、もはや、靖国以外で作るしか方法はないという事を述べています。で、その遺族が靖国にも合祀して欲しいと希望するなら、そうすればよい。ちなみに、私自身はそのような施設自体の設置に反対しております。

というわけで、私自身は非宗教の国立追悼施設も要らないと思っているのです。

その理由は、薩摩長州さんと同じかどうかは分かりませんが、やはり「なぜ、何のために国家が追悼する必要があるのか?」という疑問に帰着します。

上手く言えませんが、国家が戦没者を追悼する=命を顕彰するという感覚には、国民主権や人権主義、人道主義という、人の命の以上の優先事項はないという理念との間に、大きな違和感がどうしても沸いてくるのです。

また、上手い説明が思いついたら追記します。


横槍御免なさいm(_ _)m
はじめましてシンペイさま、よろしくお願いします。

>「非宗教の追悼施設」ってどんなのですか?

目を皿のようにしてよ~くみると、確かにLooperさんそういってますね。

私はLooperさんとは微妙に立ち位置が違いますんで、横槍となることをあらかじめお詫びしたうえで・・・ ちょっとだけ。

ワタシ的には別にいいと思います。仏教諸宗であれ、神道、基督教、回教なんでもありで。そこが問題の核心ではないので。我が師の松尾氏がさきに紹介させていただいたリンク
http://www.kyoto-seika.ac.jp/matsuo/magazine/backnumber/04.html
のなかの■ 国立墓苑の建設で問題は解決するのか? というセクションのなかで「ここで、私はひとつの重要な問題提起をしたいと思う。国家が戦争での死者を祀る、慰霊するという行為の是非という問題である。ここで「戦争での死者」という場合、それは軍人の戦死者だけでなく、空襲での民間人死者も含めてのことである。  これは国民国家という存在をどう考えるかという問題、安全保障とは何かという問題である。」以下に目を通していただければ、シンペイさまのご同意がいただけるか否かは別にいたしまして、包括的な論理はおわかりになるものと思います。

それと、「宗教は麻薬」といっておられますが、それについてのマルクスの見解は当方の拙いブログではありますが、http://kangun.blog123.fc2.com/blog-entry-107.html でちょこっとですが書かせていただいておりますのでよろしかったらどうぞ。

そして最後にもうひとつ、”君が代”が明治・大正から昭和の敗戦にいたるまで、こんにちの卒業式「日の丸君が代」など問題にもならないくらいの、徹底した国家暴力による支配に担保されて「たんなる慣例」でしかなかったことを指摘させていただきます。

ほいではまたご縁がございましたらm(_ _)m


Looperさん
>靖国に頑なにこだわっているのは、私じゃありませんが?
>靖国のような施設が今後も必要だと考える人がいるなら、もはや、靖国以外で作るしか方法はないという事を述べています。

私がLooperさんに言っているのは、靖国がどうであれ、全戦没者対象の国立追悼施設が必要と思うのであれば、それはそれで作ればいいだけの話だ、ということです。特段、靖国に触れる必要すらないということです。

>「靖国の解体」というのは、「国務で亡くなった人を追悼する国家施設」という役割を、今後は一切させないという意味です。

その「一切させない」という「こだわり」が理解できないのです。他の追悼施設に干渉したり妨害するのなら話は別ですが、そうでないなら、「靖国は靖国でやったらいい、別の施設は別の施設でやったらいい」それだけの話です。

>しかし、政府が合祀リストに関与することも、遺族の希望確認なしに勝手に合祀するのも一切止めるべしという意味です。で、それで何が不都合なのですか?

人の追悼の方法なんていうのは、それこそ千差万別、追悼する「心」があるかないかだけだと思います。
もっとも、Looperさんのように「なんで、そこまでこだわるかなぁ?」という人もいますが、嫌なら嫌で合祀をやめればいいとは思いますよ。

>それでこそ、全ての"心"に叶うのではないのですか?
>で、靖国はなぜそうしない?

靖国のコンセプトに合致している人をすべからく祀るというのがテーゼだ、ということなんでしょう。それ以上の意味はないと思います。そしてそれは「好意」と解するべきものだと思います。もっとも「大きなお世話」という言葉もありますから、前述したように「絶対に嫌だ」という人は合祀を取り下げればいいと思いますし、それを認めるように法整備することは、私は反対しません。

>靖国支持派は、なぜ他と同じ一宗教法人となる事を拒むのでしょう?

拒むも拒まないも、一宗教法人ですよ。

>靖国神社が、今現在もこうした遺族の意志の無視という暴挙が平気で行えるのは、こうした視野が狭窄しているからとしか言いようがありません。

「親切心が仇となった」という言葉。靖国に関しては、「視野狭窄」や「暴挙」というネガティブな言葉よりも、好意的な言葉の方が適切です。

>軍務で亡くなった人だけを国家が追悼するのはなんのためか?という意味を理解していれば、自ずと理解できるはずです。

できません。
「軍務で亡くなった人」というカテゴリーで祀っても、「それはそれで」という程度しかありません。
その他の人を国家で追悼しているわけではありませんが、もし、小林多喜二など軍務に関係ない人も祀れというのであれば、そういうのを作ればいいのです。もっとも、そういう意見は少ないとは思います。

>これも、個人の問題と国家の制度の問題とのすり替えです。

『まず、この当たり前の事に誰も応えられていない。タマが外れっぱなしなのはそのためです。 』に対応した言葉です。もし、すり替えたと感じるのであれば、それはLooperさんの文言が誤解を招いたのですから、相手を非難するのではなく、ご自分の言い方を訂正してください。

>しかし国家が一つの宗教法人だけを国の追悼施設とすることは、思想信条の自由や政教分離の侵害です。だから、今後は靖国は使えないのですよ。そこに異論がありますか?

それが確定した根拠はどこにありますか?

>で、遺族の"心"とその意志に素直に従うことを、なぜ靖国神社は拒否するのか?

それが靖国のテーゼだからでしょう。私にはわかりません。そこに問題があるなら、「嫌なら合祀を取り消す」という法整備なり行政指導なりをすればいいだけの話であって、それ以外をどうこうする必要はないと思います。

>「誰も気にしない?」「勝手にさせておけ?」
>そんな事言ってるから、視野狭窄なのですよ。

あなたのような「靖国を嫌悪する」人に視野狭窄と言われたくないですね。
別に靖国が解体されようが残ろうが、そもそも私の親族は靖国に祀られていませんから、どうでもいいですけど、少なくともあなたよりは視野は広いし、柔軟ですよ。
私にしてみれば「靖国だろうが他であろうが、どの宗教であろうが、無宗教であろうが」、はっきり言ってどうでもいい話だからです。

>で、本当は、靖国からの合祀取り消しをすると困る人たちがいる。遺族の意志を無視してでも、合祀取り消しを拒否するのには理由がある。
>そこを見ない議論はダメでしょう。

私は合祀取り消しには反対はしませんよ。特定の宗教への信仰が厚いのであれば、精神的な被害はあるでしょうから。ただ、合祀を取り消して困る人って、どういう人がどういう理由で「困る」のかは、はっきり言ってわかりません。予想するに、せいぜい「なんとなく嫌だ」という感情的なものだと思いますけどね。


ちょっと聞きたいのですが
「非宗教の追悼施設」ってどんなのですか?
亡くなった人を悼むというのはもうそれだけで
十分な宗教だと思うのですが。
っていうかなぜそんなに「非宗教」に拘るのですか?
マルクスだの毛沢東のいうように「宗教は麻薬」とでも言われるのですか?

そういえば法的に君が代が日本の国家となったのは1999年
(それ以前はたんなる慣例でしかなかった)と先日知ってビックリ)


わくわくさん、
> なぜにそこまで頑なにこだわるのか、はっきり言って理解できません。

靖国に頑なにこだわっているのは、私じゃありませんが?

>Looperさんが「今後国務で亡くなった人を追悼する"心"の施設」を作りたいならば、それはそれで作ればいいんです。

靖国のような施設が今後も必要だと考える人がいるなら、もはや、靖国以外で作るしか方法はないという事を述べています。で、その遺族が靖国にも合祀して欲しいと希望するなら、そうすればよい。ちなみに、私自身はそのような施設自体の設置に反対しております。

>別に靖国を解体するしないは、その話とは別です。靖国を解体しないと、その施設が作れないわけでもなければ、靖国で祀られているからといって、他で祀ってはいけないなんてこともないんですから。

「靖国の解体」というのは、「国務で亡くなった人を追悼する国家施設」という役割を、今後は一切させないという意味です。神社を取り壊せとか、宗教法人格を取り上げろといった意味ではありませんし、純粋に宗教法人の一つとして、他の法人と同様に、そこに追悼して欲しいと希望する遺族は、今後もどうぞ追悼して貰えばよい。しかし、政府が合祀リストに関与することも、遺族の希望確認なしに勝手に合祀するのも一切止めるべしという意味です。で、それで何が不都合なのですか?それでこそ、全ての"心"に叶うのではないのですか?
で、靖国はなぜそうしない?
靖国支持派は、なぜ他と同じ一宗教法人となる事を拒むのでしょう?

>非宗教どころか、キリスト教でもイスラム教でも問題などまったく起こりませんし、誰も気にしないでしょう。

これはヒドイ決めつけですね。
実際に、靖国に合祀を取り消せと訴えている方たちは幻なのでしょうか?
私も、自分が希望もしないところで勝手に追悼されるのは嫌ですけどね~。

>そもそも『"心"の問題』なのですから、やり方やあり方もまた心の問題なのであって、「こうでなければならない」なんて決まりはどこにもありません。

「こうであってはならない」というのは当然あります。
例えば、遺族の"心"を無視する行為です。
靖国神社が、今現在もこうした遺族の意志の無視という暴挙が平気で行えるのは、こうした視野が狭窄しているからとしか言いようがありません。

>第一、自国民と他国民がどうとか、小林多喜二がどうとか、ここで問題になること自体、わけがわからない。

軍務で亡くなった人だけを国家が追悼するのはなんのためか?という意味を理解していれば、自ずと理解できるはずです。

>身内や関係者など、自分と近い人ほど意識するだけであって、それこそ「心の問題」でしょう。それを視野狭窄だと非難できるほど、Looperさん、あなたは普段から自分とはまったく関係ない、知らない人のために心を痛め、弔っているのですか?

私の言ってることとずれまくっていることに気付きませんか?

> あるいは、「自分の身内でも、命の重さは他人と同じだ」と冷たい扱いをしているのですか?

こりゃ呆れた。それが冷たい扱いなんですか?で、私はそんな話はしていませんが?

>自分と関係ない、見ず知らずの人にまで思いを馳せることは、意識しない限り、普通は「思いもよらない」ですよ。

これも、個人の問題と国家の制度の問題とのすり替えです。
国家が、見ず知らずの全ての人に平等に思いを馳せなくてどうするのです?
例えば、個人はどんな施設に追悼してもらおうと自由です。しかし国家が一つの宗教法人だけを国の追悼施設とすることは、思想信条の自由や政教分離の侵害です。だから、今後は靖国は使えないのですよ。そこに異論がありますか?

で、遺族の"心"とその意志に素直に従うことを、なぜ靖国神社は拒否するのか?
"心"の問題を言うなら、なぜあなた方はその点を誤魔化すのか?
「誰も気にしない?」「勝手にさせておけ?」
そんな事言ってるから、視野狭窄なのですよ。

で、本当は、靖国からの合祀取り消しをすると困る人たちがいる。遺族の意志を無視してでも、合祀取り消しを拒否するのには理由がある。
そこを見ない議論はダメでしょう。


なんでこうも堅いんだ・・・。
Looperさん

なぜにそこまで頑なにこだわるのか、はっきり言って理解できません。
Looperさんが「今後国務で亡くなった人を追悼する"心"の施設」を作りたいならば、それはそれで作ればいいんです。
別に靖国を解体するしないは、その話とは別です。靖国を解体しないと、その施設が作れないわけでもなければ、靖国で祀られているからといって、他で祀ってはいけないなんてこともないんですから。非宗教どころか、キリスト教でもイスラム教でも問題などまったく起こりませんし、誰も気にしないでしょう。

そもそも『"心"の問題』なのですから、やり方やあり方もまた心の問題なのであって、「こうでなければならない」なんて決まりはどこにもありません。

第一、自国民と他国民がどうとか、小林多喜二がどうとか、ここで問題になること自体、わけがわからない。
身内や関係者など、自分と近い人ほど意識するだけであって、それこそ「心の問題」でしょう。それを視野狭窄だと非難できるほど、Looperさん、あなたは普段から自分とはまったく関係ない、知らない人のために心を痛め、弔っているのですか?あるいは、「自分の身内でも、命の重さは他人と同じだ」と冷たい扱いをしているのですか?

>まさに、それは一人一人の故人の"心"を思いやれるか?という問題です。

自分と関係ない、見ず知らずの人にまで思いを馳せることは、意識しない限り、普通は「思いもよらない」ですよ。
本当に"心"を思いやるというのであれば、そういう人たちの"心"もまた、思いやれないといけないはずですよ。ましてや「視野狭窄」なんて思考することなどご法度ですよ。


naokoさん

>一方で、過去の戦争を肯定したいと言う欲求に動かされている人々が作る慰霊碑に、いかなる鎮魂が成されるものやら。
>無念のうちに死んでいった兵士たちの魂が、心配で眠れなくなるやも知れませぬ(笑)。

そのコメントを聞けば、戦没者の親族で怒りの念を禁じ得ない人が出てくるかも知れませんね。

『過去の戦争を肯定する理由』を一度お考えになった方がいいかと思います。
中には歴史を美化する人もいるでしょう。過ちを認めたくないだけで強情を張る人もいると思います。でも、過去を肯定する人は、決して少ない数ではありません。10人いれば10の思いがあります。そして、1人の人間の気持ちや思いもまた、肯定と否定が常に交錯し逡巡しているものです。


全体的にみて、思いやりを持てと言っている人ほど、思いやりを持てていないのが不思議ですね。


あのヒステリックで狂信的な局面の多かった戦争
それを語る上で、
宗教としての国家神道や神格天皇制が、思考停止した当時の軍や政治状況において中心的な装置として働いたことは明らかです。
当然、そうした当時のヒステリックな国家神道の頂点に位置した靖国神社という装置への警戒は、理解できるところです。
右とか左とか関係なく、ね。

一方で、過去の戦争を肯定したいと言う欲求に動かされている人々が作る慰霊碑に、いかなる鎮魂が成されるものやら。
無念のうちに死んでいった兵士たちの魂が、心配で眠れなくなるやも知れませぬ(笑)。


心の問題
> Looperさんへちっともタマが当たっていないようですが、その最大の理由は”心”でしょう。

そうですね。全ての人の命とその思想信条を「平等」に思いやる"心"の問題でしょう。

とりわけ、自国民と他国民と、その命の重さに優劣など本来あるはず無いのだという視野が狭窄していないかどうかも大事でしょう。

靖国に祀られている人と小林多喜二とに、国を思う「心」に優劣がつけられるはずなどない。
戦争でなくなった兵士と民間人、自国民と他国民の命の重さに優劣などあるはずがない。

まず、この当たり前の事に誰も応えられていない。タマが外れっぱなしなのはそのためです。
そして、これに賛同することは、靖国神社の現代的意味を否定することと同義です。

過去の靖国の役割への評価は様々あるでしょう。しかし、信仰の自由が当たり前の現代にあって、「神社」である靖国が今後軍務で亡くなった軍人を勝手に合祀する権利も意味も、もはや存在しません。

今後国務で亡くなった人を追悼する"心"の施設を本当に作りたいのなら、靖国を解体し、国立の非宗教の追悼施設を作るしか方法はありえないのです。

まさに、それは一人一人の故人の"心"を思いやれるか?という問題です。


な~んにもこだわることはない!
な~んにもこだわることはない!

Looperさんへちっともタマが当たっていないようですが、その最大の理由は”心”でしょう。

かつて、私らの最高指導部であった松尾眞氏はいまは在野にあってこう言っておりました。

---------------------------------------第4号
靖国問題再考

靖国神社が「国家のために戦争で命を捧げた人」を「英霊」として祀る施設であるということである。そこに祀られている人びとのほとんどは、朝鮮の植民地化への道をひらいた日清・日露戦争を戦った人びとであり、中国への侵略戦争を戦った人びとである。これを「英霊」と呼び、祀るということは、単にそれらの死者を弔うということではなく、彼らの戦った戦争そのものを肯定することを意味するのである。死者を弔うのであれば、それらの人びとのお墓にお参りをすればよいのであって、元々は国家の戦争施設として創られた神社で、しかもそこに「英霊」として祀られている「国家の兵士」「侵略戦争の兵士」に対して参拝することにはならない。(抜粋)


詳しくは以下のリンクを参照くださいまし
http://www.kyoto-seika.ac.jp/matsuo/magazine/backnumber/04.html
----------------------------------------

「英霊」(括弧付き)が戦った戦争は、他国からの侵略や抑圧支配に人間の解放と尊厳を守る為に命を賭し戦ったものではありません。自国帝国主義者の反動的戦争政策に抗することができず、他国を侵略し他民族を抑圧することを通して自らも不幸にいたる、加害者&被害者の両側面をあわせもつ者が「侵略戦争の兵士」なのです。

資本主義の帝国主義段階特有の経済構造に源をなす現代戦争の規定性を捨象し、暴力行為戦争一般に解消したり、国民社会と国家との乖離を国家一般に一元化して語ることは、たんなる政治談義程度のものであるならばそれもありでしょうが、ことはそう単純なものではないのであります。

最後に、私はこちらでよくいわれている「右」と「左」について、その分水嶺は”他民族”とどう向き合うかだと思っています。

長文失礼しました。たまの書き込みということでお許しあれm(_ _)m


靖国に祀られることは、「追悼」だけじゃなく、「顕彰」や「感謝」の意味があることを忘れてはならないでしょう。

>1.靖国神社に祀られている人だけが国のために命を落とした人ではない

祀られているのは、「国の命令で命を落とした人」でしょう。 その人だけの主観でいくら「国のため」だと思ってても駄目。

>2.靖国の本質的役割は国民戦争動員装置であった

あなたご自身が、「そんなものに乗せられて、戦争に動員なんてされないぞ!」と思ってらっしゃれば、それでよろしいのでは?

第一、「死んだら靖国に祀ってやるから安心して死ね!」と言われても、ホイホイその通りにした人がどれだけいたか、いくら戦前でも疑問ですね。

だけど遺族にすれば、肉親の死に意味がなかったと言われるのは、耐えられないことでしょうね。 だから「顕彰」や「感謝」が慰めになる場合も多い。

あと、「遺族が望まないのに祀るな」と言われても、お墓や位牌は別にあるわけだし、遺族の家庭から位牌を奪い取るわけでもないし、遺族以外の第三者が勝手に顕彰・感謝を捧げるのは、遺族に何の害があるのでしょうか?

「○○さんを応援する勝手連」みたいに、勝手にやらせとけば良いんでは? 気に入らなければ無視してれば良い。


こだわりすぎ・・・かな?
Looperさんが集中砲火を浴びているようですが、その最大の理由は「心」でしょう。

靖国神社が戦前戦中に果たしてきた「機能」をみれば、確かにLooperさんの発言が最も正解に近いです。

しかし、「その前に、追悼施設」なんです。祀られている人官軍や軍人など偏っているのも確かですが、何も追悼施設は靖国に限った話ではなく、その他の神社や教会もありますから、靖国で祀られていない人に関しては、そこで追悼すればいいだけです。

戦前戦中といえども、他の宗派で軍人と民間人の戦没者を同時に祀っているところもありますが、「特定の檀家だけ」「特定の地域だけ」「特定の集落だけ」なんていうのはザラです。

さらに言えば、「靖国と教会と、2つの異教で同時に祀ってある」ということが、信仰心がよほどなければ、ほとんど抵抗なく受け入れられている。

第一、人の心の話である『追悼』に、合理性なんかはそもそもない。「ご冥福をお祈りする」以外の理由なんて、特に必要ないですよ。

靖国は官軍の戦没者を主に祀っていますが、それはそういうコンセプトで作られた神社なんです。もっとも、時代が時代なだけに、「戦争で命を捧げる」というのが高邁なものであったというのはあるでしょう。でも、それが今の時代にどれだけの意味をなしているのか、といえば、そこまで目くじらを立てる必要があるほどの意味はないと思いますね。


>そして靖国神社が、好き嫌いに関わらず、国民を戦場へ駆り出す精神的な支柱を与えるという役割を果たしてきたことは客観的事実。つまり、死んでも愛国者として靖国神社に祀ってもらえるというお墨付きを与えることで、国民を戦場に駆り出すという役割こそが、靖国神社の国家的な役割だったのだろう。

これは、不正解と言い切れませんが、正解でもないですね。

離れ離れになって死んでも、魂は靖国に集まるんだから、同じ戦死者に対しては「そこでまた会おう」という待ち合わせであり、残された家族や地元の友人に対しては「魂は靖国にある。靖国でいつでも会えるじゃないか。」ということで絆を断ち切らないという意義の方です。
これをひとことで言えば「俺は一人じゃない。家族のそばに、仲間と一緒にいつもいる。」ということですね。

第一、「死んでも愛国者として祀られる」ことや『戦陣訓』が死を怖れないモチベーションになんてなりっこない。「死」を選ぶときは、「家族を守る」「ふるさとを守る」という、名誉も忠誠心もへったくりもない、時代がいつであろうと変わらない、理屈抜きのものを守る以外に、人間としては存在しませんよ。
人の「生きたい」という欲求は、そんなもんで覆るようなヤワなものではありませんし、ましてや「教育勅語」ごときで洗脳されるような代物ではありません。


ほへ?
looperさん
>反論になってない
いや、あなたが「軍人以外は入って貰っては困る」と
書いてられるから「軍人以外の人も奉られてますよ」
「愛国とはいえ『状況を混乱させる』行動をした人は祭られてない」
と書いてるのですが。
上でも書きましたがじゃあ日本歴史上最低最悪のクズテロリストである連合赤軍も
国を思ってのことだから靖国に奉るべし、と仰られるのですか?
それはどうかと思うなぁ。
まあ韓国では併合反対派(というか併合消極派)の伊藤博文を
暗殺して朝鮮併合を推進したテロリストを
義士として奉っているようですが。

>「国民総動員装置」
いや、近代戦争において国民総動員はある意味当然ではないですか
まして相手は「色付異教徒には死か殲滅か」なWASPですよ?
戦いを賛美してはいけないですが戦う以上勝利すべく全力を尽くすのは当然かと


ちと修正しました


Looper様
Looper様

靖国に祀られている明治以後の英霊は、公務中に亡くなられた方々です。民間人の犠牲者とここが違うところです。
現代でも、警察官が公務中に殉職すれば、どのような扱いになりますか?民間人の被害者と全く同じでしょうか?

2には、同意するところはあります。黒船来航や、薩英戦争等、軍事力が無ければ生き残れない事は、充分に悟った筈です。だからこそ、富国強兵のスローガンの下、官民一致で近代化をやり遂げたのだと思いますが、時代背景を鑑みて、靖国がその精神的支柱の役割を担うのは、何ら不自然ではないと思います。それらを光と影のどちらの面から捉えるか、と言う事ではないでしょうか。

お玉さん、終戦記念日に、靖国反対派が「九条を守れ!靖国解体!」と言うデモをやっているのを目にしましたから、当然彼らと同じ考えでいらっしゃるのかと思いまして。失礼致しました。



反論になってない
なんとも・・・
民間人も合祀されてることを示すことがなにか反論になるとでも思ってるの・・・

1.靖国神社に祀られている人だけが国のために命を落とした人ではないので、靖国に普遍性も合理性もない。

2.靖国の本質的役割は国民戦争動員装置であった。

これらの指摘に反論できてないと、反論としての体を全くなさない事を、理解してくださいね。


そこが神社であるなら
少なからぬ者の忌諱に触れて当然。

太政官布告で神仏混淆を廃し土着の神々を分祠もしくは抹消した経緯は、神田明神などの例を持ち出すまでもなく郷土史をひもとけば判ること。
靖国神社曰く、「神さんは分祠出来ない」等と云いつつ神道が嘗ての祭神や仏をを破却してきた整合性の無さも問題。

三河武士や坊さんを先祖に持つオイラも、そんな明治政権のこさえた神様なんぞにゃなりたくないと思う一人である。


日本人としての感覚があるなら
神様に向かって『あんたはここで奉られているが中国・朝鮮(米国も?)が五月蝿いからあっちに移ってくれ』っていう感覚はないと思いますが…
英霊も死んだら仏様
例えオウムの麻原であっても死刑になり死ねば仏様として(崇める・崇めないは別として)死後も許さんだとか、葬儀をしたのに『後になってからやっぱ間違いだからあれはナシね~』みたいな宗教観はないと思いますが



looperさま
たとえば日本歴史上最低最悪のクズテロリストである連合赤軍や
バリバリ右翼の三島由紀夫だって「彼らなりに」日本を愛した結果でしょう。
尾崎秀美だって「共産主義とソ連に日本を売り渡す事が日本のため」と
考えた結果でしょうね。
どこかで「基準」を設けなければ収拾がつかなくなります。
ついでに言うと「対馬丸」「阿波丸」の犠牲者達や当時の
外務省職員も奉られています。
更には日本赤十字社所属の看護婦や挺身隊員なども。
「軍人しか奉られてない」という発言をする前に多少は
(ネットされてるのだからせめてWIKIくらい)
調べられたほうが宜しいのではないでしょうか。


再投稿、失礼します
Looper様

靖国には軍人以外で亡くなられた

従軍看護婦

鉄血勤皇隊(沖縄の中学生を主とする戦闘組織)

満州開拓団や義勇軍

空襲警報下に避難誘導や防火に務めた警防団員

国家総動員法に基づく徴用者や船舶の船員

樺太真岡の女性電話交換手の方々

多くの非戦闘員の方々も英霊として祀られています。



安全地帯の護憲派の戯言
初めてコメントさせて頂きます。

アメリカの言いなりになるな、と言うご意見はもっともだと思います。
しかし、護憲派はアメリカに育てられ、現在も利用されているのではないのでしょうか?ご自分たちの活動が出来る事をもっとアメリカに感謝した方がいいと思います。
ご存知でしょうが、戦後、靖国を解体しようとしたのはGHQですしね。

戦災国立慰霊碑って、良い構想だと思いますよ。ともすれば、広島、長崎、沖縄、東京の被害ばかり取り上げられますが、私の故郷(お玉さんの近所)でも1500人近い方々が、空襲で亡くなっておられます。

太平洋戦争限定が疑問?本土において、民間人の戦没者が出たのは太平洋戦争中なのですから、当然ではないかと。
通州事件や尼港事件と言った、大陸内での被害者も加える必要があると言う意味でしょうか??





慰霊碑の目的
こんにちは。
コメントを書くのは、久しぶりかもですぅ。

私は、この保守系議員たちが、慰霊碑を建てることを
提案しているのは、国立の追悼施設を建てることを
阻止するたえなのではないかと思っています。

彼らは、国の追悼施設は、あくまでも靖国神社だと
考えていて、それ以外は許容する気はないようですから。

ただ、靖国神社には、兵士など神社が天皇のために
亡くなったと認めた人しか祀られていないじゃないか
という批判が強いので。
じゃあ、他の戦没者のためは慰霊碑を建てておこうと
言うことではないかと思うです。

で、ともかく先に、早く建ててしまって。
国立の施設を作ろうという話が出た時に、
もう慰霊碑があるから、十分だと主張するつもりなの
ではないでしょうか?








靖国神社とは
自国と自国民を守るために命を掛けて戦った兵士と、自国と自国民を悲惨な戦争に向かわせないよう命がけで戦争に反対し特高に拷問で殺された小林多喜二などの共産党員と、どちらか一方だけが愛国者だと断定ができるのだろうか?

戦場で戦った兵士と、内地で軍需工場などでそれを支え続けた非戦闘員と、その役割に優劣があるのだろうか?なぜ一方だけが、国に命を捧げたと言えるのだろうか?本当に軍人だけを分けることに合理性はあるのか?

以上の答えは全てNOだ。

西郷隆盛だって、国に命を捧げた愛国者であり軍人だった。でも合祀されていない。

そう、決して靖国神社は、国に命を捧げた人を奉るのが真の目的ではないし、その価値基準に普遍性もない。なぜなら、国に命を捧げた多くの人が合祀されていない。

そして靖国神社が、好き嫌いに関わらず、国民を戦場へ駆り出す精神的な支柱を与えるという役割を果たしてきたことは客観的事実。つまり、死んでも愛国者として靖国神社に祀ってもらえるというお墨付きを与えることで、国民を戦場に駆り出すという役割こそが、靖国神社の国家的な役割だったのだろう。

だからこそ、軍人以外には入って貰っては困るのだ。で、そこに普遍的価値、現代的価値はあるとは到底思えない。もはや、国家はイデオロギーを国民に強制できない時代。この時代にあって、靖国神社のこの役割はすでに終わっているし、再現を許す事は民主主義と人権主義の破壊を意味する。

で、靖国に祀って欲しくない遺族の意志をも無視して勝手に合祀するのは、時代錯誤も甚だしいので、即刻止めるべき。


はっきり言って私は「極右派」ですので、何が問題なのか分かりませんね。

「戦災国立慰霊碑」は「空襲などでなくなった民間人犠牲者」を慰霊するものですから、国のために命を捧げた軍人・軍属などを追悼・顕彰する靖国神社や、それに代わる「国立追悼施設」とは全然性格が異なります。

河野洋平や山崎拓は、日本を弱体化させ、日本の軍人・軍属追悼施設を民間人戦没者慰霊施設と合体させ、その「顕彰」の性格を水で薄めてあいまいにさせるのが狙いでしょう。 それも全ては中国や北朝鮮の利益のために。

誰がそんな陰謀工作に乗せられるもんですか。 私はずっと靖国参拝を続けます。 「アメリカのいいなりにならない」ためにも、それが必要だと信じます。

靖国の性格を意図的にねじまげるものでなければ、民間戦没者慰霊碑の建設にも賛成します。


>それって遊就館みたいなものも一緒に作っちゃうんじゃないのかい?ものすごく疑心暗鬼なお玉です・・・・

 遊就館みたいなものを一緒に作っちゃいかんのですか? いや、情報が不確定なうちに「あーだ、こーだ」と言いませんが。
 現在、お玉さんの「反米」は7:3で偽者と疑っています。当然、反米に基づく護憲の主張も偽者と疑っています。



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いろいろと書きたいことは下ることも下らないことも含めて、書こうにも書けなかったこともあり、さまざま頭の中をめぐるのだけれど・・・ ...
最新の記事一覧は、12月分・・・コチラ、11月分・・・コチラ  *印のついた報道記事は、記事の最後のMoreの部分にあるです。 最近、mewが、クリスマスが近づいたな~と感じさせられるのは、 川崎競馬の誘導馬がトナカイさんになる時かな?<写真コチラ> ...
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多忙で UPができませんでした。 お詫びとして この曲をまずプレゼントです。 @@@@@@@@@@@@@@@@ 福原美穂? ”?雪の光” 配信限定シングル 2009年01月28日発売 ファーストアルバム「RAINBOW」にも収録される予定。 花王「アジエンス」CMソングとして起用されている...
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08年12月20日 土曜日  憂楽嘲(ごまめの翁)ブログの目次 1・サタデーずばっと{/arrow_r/}(ここからお入り下さい) 2・朝日新聞の気になった記事{/arrow_r/}(ここからお入り下さい) 下のURLは私の所属している護憲+グループのブログで、それぞれ特徴のあるブログです
A Tree at Ease2008/12/17(水) どうも拉致問題というものがよくわからず、周りの人に聞いてみても、拉致はあったに違いない、とはいうものの、あの計算高い北朝鮮が何のためにやったのか、聞いてみたら誰も答えてくれない。   日本語教師というのなら専門的な語学教師を
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Author:お玉おばさん
お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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基本的に愛が感じられないコメントはダメ、 (臨時追記)人が知恵熱だといってるのにばんばん記事違いなコメントをこれでもかと送ってくる愛のないものは、完璧にお玉基準的アウト。お玉基準がわからない人は、文句があればよそで愚痴いってOK !基準に対しての文句は受け付けません~~~ここはお玉のテリトリーだもん。なのでよろしく。/p>

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でも、お玉が愛を感じたら記事違い、長文、連投、暴言でも表に出すことはある・・ようは、愛です・・愛!また、TBも同じような基準で判断させて頂きます

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