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お玉おばさんの悩み(立憲主義と民主主義)
タマちゃんの独り言
タマの学校がおやすみになったので・・松竹おじさんとのお約束通り、もう一度お玉おばさんに立憲主義のお話を書いてもらおうと思ってるの・・・
でもなんだかお玉おばさん、悩んでいるみたい・
 
お玉の独り言
お玉は、立憲主義を取上げるたびに悩んできました。うまく説明出来ない。
自分の心の奥まで落ちていない事を上っ面だけで説明しているような、そんなもどかしさがずっとあってね・・・
 
伊藤真さんの講演会へ行って、いったんは納得したつもりになって、その後は彼のお話を焼き直すような形でここで説明してきました。
そのお玉ブログが立憲主義を取上げた究極の形が「タマちゃんの掃除当番」のお話でした・・・・伊藤真さんに教わったお話をお玉なりにアレンジして書いたものです。
 
ところがこのお話はとっても反響が大きく、そして大きな批判を受けました。その時はお玉は立憲主義は大事だからとにかく守らねばならない・・という一身で書き連ねていたんだけれど・・・実はそれからずっと、心の中で何か引っかかりがあるんだよね・・
立憲主義が大事って憲法学の先生はみんなおっしゃるけれど・・・・
その大事な立憲主義がうまく機能して民主主義が健全な国ってどこにあるんだろう・どこにあったのだろう・・・・・立憲主義が大事だよってみんなにわかってもらうことはとっても大切だと思ってるけれど・・・その大事な立憲主義はどうしたらちゃんと「使える」様になるんだろうか・・・これがわかってないからタマちゃんの掃除当番のお話は、納得出来ない人が続出したんじゃないかな・・・
以前の記事を再掲載してからもう一度、考えてみたいな・・
タマちゃんはどうすれば良かったのか。民主主義ってなんなのか・・
せっかく松竹おじさんが考えてみようと言ってくださってるから、この年末年始は立憲主義や民主主義についてもう一度考えてみます。
 
立憲主義・・とは?(お玉がお勉強して理解していたつもりのこと)
国民の11人の自由と権利を保障するために国家権力を制限するのが「立憲的意味の憲法」の本質。
例え民主主義によって作られた政府であっても、それが国民の自由と権利を侵すおそれがある場合はその権力に歯止めをかける必要がある。
国民の大多数が必ずしも正しいとは限らない、国民の多数意見の暴走への歯止めでもあるのです。
 
お玉が池小学校 六年三組で、トイレ掃除の当番を決める学級会を行なっていました。
学級委員 「は~い、ではトイレ掃除当番を推薦で決めたいと思います」
少年A   「は~い、たまちゃんがきれい好きなのでぜひやってもらったらいいと 思います~~」
学級委員 「では~たまちゃんにお掃除当番をしてもらったらいいと思う人、手を挙げてください~~~はい・・40人中39人が賛成と言うことで今週の掃除当番はたまちゃんに決まり~~」
たまちゃんは、みんなの意見で一週間トイレ掃除をやりました。そして翌週
学級委員 「は~い、では今週のトイレ掃除当番を決めたいと思います」
少年B  「は~い、たまちゃんが掃除するととてもきれいなトイレになるので、もう一回やってもらいたいと思います~~」
学級委員 「では、、たまちゃんでいいと思う人手を挙げて~~・・はいはい、40人中39人が賛成してますので、今週もたまちゃんにお願いします」
たまちゃんはなんかおかしいと思いつつ、「でも多数決で決ったんだから・・」と納得して、もう一週間トイレ掃除をやりました。
そして、次の週・・
学級委員  「では~~今週もトイレ掃除の係を決めます」
少年C    「やはり、トイレ掃除にはたまちゃんが一番かと。」
学級委員  「では・・手を挙げてください。たまちゃんが良いと思う人~はいはい40人中やっぱり39人が賛成なので、今週もたまちゃん~~お願いします~」
たまちゃん 「おまえら、いいかげんにしろ!!!!」

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 ととろさんへ

 私は、もし小学生低学年の脳みそでいないと殺すよと脅されたら、そうなるのではないかと思うんだよね。

 もちろん、最初は、少しづつ改悪していくと思う。

 今の派遣労働のことだってそうだよ。わずか一万円の給料で一月の生活を強制するのが派遣労働でしょう。そんなの小学生だっておかしいと思うでしょう。でも自民党や公明党や民主党を99年のとき支持していた人は、将来そうなるとわからなかったわけですよね。
 寒空のした数万人もの人間が、家も奪われて路上に放り出されることを、理解できなかったわけでしょう?

 うそをつかれてだまされていたといえばいいというものではないし、・・代理人として選挙したのは代理人を選んだ有権者の責任だと思う。

 この派遣法の改定については、小学生低学年と同じレベルであったと思う。後期高齢者医療の問題もそうだし、金融恐慌の問題だって、お金を払えない人が家を買えるなんて馬鹿なことがありえるわけないということに気づかなかったということも、バブルを経験した日本人として、教訓を得なかったのかと言えるくらい、小学生低学年レベルといえる。

 イラク戦争だって、アメリカのうそにだまされて支持したわけで、これも小学生低学年レベルの問題だと思う。


掃除当番の例は一見なるほどなーと想わせるけど、チヨット変だよ。
民主主義はその構成員がある程度の知性がある事が暗黙の前提条件で、例えばチンパンジー等の集団には民主主義は成り立たないといえる。この小学生低学年並みの異常な行動を一般的日本国民がするとは考えれない。これってこのまま低出生率が続くと数百年後には日本国民は0になると言うのと同じで、あり得ない話ですね(笑)。


 今の日本の民主主義を見ているからかな~

 各政党はみな立場をまったく明らかにしない。国民に見えるようにしている政党はない。

 ある党が別の党に質問してもお互いに一切まともに答えない。

 これが民主主義の現実だと見える。

 この日本の民主主義を見れば、将来必ず間違うという前提のもとに、無責任な政党から議員を選べというやり方をしてきたと思う。そして国民がその責任を負う。

 本来なら、これだけ、互いに立場も意見もいわない政党ばかりなら、政府も立法府もないほうがよい。

 まず、国民は、各党が、互いの立場をはっきりさせて、回答を互いにするということをさせなければいけない。

 もし、まともな回答をしない党があれば、その党は選挙に参加できないというくらいの意識はもってほしい。

 変かな~


国家以上に権力を持ちつつあるもの…
それは宗教団体ではないでしょうか?

この国の多くの人々は、今や自分自身の自由を投げ出して、なんらかの支えを欲するようになってきているようです。それも無理はないと言う世情を感じもします。

ところで、もし、宗教団体が法人税(20パーセントぐらい)を納めてくれたなら、今懸念の社会保障の充実ぐらい朝飯前かもしれませぬ。
人々の幸せを願う各団体の皆様、なにとぞご考慮下さいませ。


多数決の誤解
多数決を述べるとき、必ず言われるのは『少数の尊重』です。
これは、マイノリティの権利や利益を保護するというネガティブな意味もありますが、「真理は多数決で決めるものではない」というポジティブな意味もあるのです。

多数決というのは、『コンセンサスを得る手段』ということになります。
いくら正しい理論であっても、それを理解し納得し同意しなければ、その理論は実現されません。いくら正しいことであっても、それが多くの国民に不満や不平をもたらせば、その政策は意味をなくします。

ゆえに、多数決を採用するときに心得るべきことは、「『審議や討論といった、議案成立までのプロセスを最重視すること』と『正しいことには進んで従うという理性と、その理性と感情や思考を常に一致させるだけの人格の向上』が、国民全体こそが保持する義務と責任がある」ということを、われわれ主権者たる国民が、疑いなく抱くこと。

このためには、普段の「人間に対する評価や感情」もまた、洗練されていなければなりません。「正しいことを言うけど気に食わない」というのはNGです。「不良がカッコいい」というのもNG。「正しいことを言うダサイ人こそチヤホヤされ、カッコいいけどバカな男は嫌われる」という国民性にならないといけない。そう思えない人は排斥される社会にならなければならない。これなくして民主主義を採用すれば、衆愚政治に陥る危険性が高まるだけなのです。そして、それは今現在の日本社会の状況が見事に証明しています。

つまり、民主主義というのは、国民にとって厳しく難しい努力と成果を求められる、非常に険しい試練の上でやっと成り立つもの、なのですが、はたしてそれを認識できているかといえば、できていたら、こんな情けない内閣や国会になっていないでしょう。


ちょっとだけ
もしかして連投ならばごめんなさい。
立憲主義への理解は浅いのですが、気になるのでちょっとだけ書きます。
>トイレ掃除当番を推薦で決めたい
トイレ掃除当番は、みなが好んでやりたがる仕事ではないと思います。そのような当番を推薦で決めるというのはどうなんでしょう。はっきり言えば、懲罰の意味合いが含まれることを逃れられないのではないですか?「推薦」という言葉自体は美しいものですが、その実、面倒な仕事を誰かにやらせるという目標設定になっていますね。学級会という場は、そういう心の内面に立ち入った問題をうまく裁く機能を持ち合わせているのでしょうか。たぶんそれは、「教師」のような上位の存在なくしては回避できないややこしい問題をはらんでいるのではないでしょうか。この場合、「教師」はありうべき模範的な解決法を提示、あるいは指導することができます。それがすなわち、多数決でたまちゃんの尊厳を無視するような権力性を制限できる力なんですよね。
 先日民放で、無実の人間を裁いて服役させた司法の硬直性を暴く番組を見ていましたが、権力はいつも正しいとは限らないことを我々は常々よーく理解させられています。では、その権力をきちんと監視する機能を確実に担保することが大切ではないか。マスメディアやネット世論だけでは抑えきれない権力の横暴を、いかに有効に抑え込むのか、そのひとつの答えが立憲主義であるといえばいいのでしょうか。


 多数決原理の最大の欠点は、立場を明確に示さない人間の意見が通るということがあると思います。
 
 どんな正論でも、立場を隠して言う人のいうことは私は信じたくないな。
裏でどんなひどい下心もっているかわからないじゃない?

 立憲主義は、しっかりと立場を明確にして、目的はなにで、将来こうしたいのだという意味なのだと思います。もちろん、それができるということはよっぽど国民が理想に燃えているか、日本のように辛い経験をしたかして、その経験を二度としたくない、政府に間違いを犯してほしくないと思うとき決められるんだと思う。

 だから、立憲主義というのはなかなか変えられないものなんだろうと思う

 どの政党だってどんなことを考えているか立場を明らかにして、選挙を戦っているところはない。それでも国民が投票している。言葉は悪いが適当に投票していると思う。多数決はそれでもいいのだと思う。あとで直せばいいやという考えだから。

 立憲主義は違う。どういう立場で、将来どうすることが目的であると確実に最初から責任をもって決めるのだと思う。

 多数決のように、言葉は悪いが、どうなるかなんてわからない、責任なんかこれっぽっちも持ちたくない。だけど投票しろという命令で得た多数なのだと思う。

 だから、すべてのいままでの与党の悪政も、結局は国民の責任といわれる。国民のレベルが低いや過去を記憶している力が弱いとか、うそにだまされやすいとかそういう原因もある。

 でも、働きながら、国民は一生懸命うそにだまされないようにしようと思って多数決にかけてきたけど、その結果がこんな体たらくなんだと思う。

 多数決主義は後から反省する、民主主義も責任をもって判断してもらう努力をする、立憲主義は立場をしっかりして、確実に最初から責任をもって結果をだす。

 立憲主義は、今の国民の責任ではなくて、過去の国民が決めた最初からの責任、多数決や民主主義が間違うことを最初から、立場をもって意見をいうことで、間違いをしないために決めてきたこと。絶対にこれは正しいと決めて、真剣に責任をもって決めたこと。

 民主主義はあとから反省すればいいやと、責任はもちつつも、妥協や政争によって、あとから反省すればいいと決めて実行しているもの。

 多数決主義は、適当の産物で、間違いをしてなにがわるいという程度の立場で決めること。

 


どうなんだろう
『憲法の条規の存在理由、意義、目指すものを踏まえた公権力の発動』
『現状(社会状況など)と理想(憲法)との狭間において、国家国民にとって最大の利益(生命財産や人権の保護など)を実現すること』
この2つの視点で国政を機能させていくのが『立憲主義』だと考えますね。

憲法が目指している「理想」とは、具体的に落とし込んだものは、基準がファジーで定義が定まっていないものも多いですが、抽象的に言えば『憲法が目指すものは、国民の幸福』ということにあるんだろうと思います。


それよりも、お玉さんは、実にいい「あいまいさ」をこのエントリーに記してくれました。

『国民の多数意見の暴走』とありました。
掃除当番で「ずっとタマちゃんだけが」というのが「暴走」と言えるかどうか。タマちゃん側からみれば「暴走」であっても、全体からみたときに「妥当」ということもあります。
逆に言えば、「タマちゃんが掃除当番から外れる」というのが、タマちゃんから見れば「正当」であっても、全体からみたら「迷惑」ということもある、ということですね。

『民主主義』そのものも、「民主主義って、具体的に何なの?」という問題もあります。
また、民主主義であればいいというものでもありません。環境問題のように、科学的な面で「正解が唯一無二のもの」であるものは、「正解か不正解かだけが問題」ですから、これを完全に実施するとなれば、異論など許してもいけなし、存在してもいけないのですから、独裁政治の方が好ましいということもあります。
しかし、独裁は暴走する可能性も高いですが、暴走したら止まらないという怖ろしさがあります。「アリの一穴」になると、もはや修復不能にまで陥ることになる。なので、独裁は極力防ぎ、かつ、強力な制限でのみ「例外として」行う必要がある。では、どうやって制限するのか、どこまで独裁を認めるのか、という「絶対に失敗が許されない」課題が出てくる。

つまり、何が言いたいのかというと、今の日本国民に大切なのは、「憲法を疑え、民主主義を疑え」ということ。「疑う」というのは、憲法を否定したり改正したり、民主主義を破壊することというイメージを持たれやすいですが、そういうイメージを抱くことが、逆に憲法を危うくしていると感じています。

結果的に憲法の一部の条文を改定することもあるでしょう。私も改憲派です。しかし、それはあくまでも「結果」であって、それよりも大切なのは、『憲法をもっと深く理解する』『憲法の原点に立ち返る』こと。改憲だろうが護憲だろうが、これは避けて通れないと思います。

護憲の側は、「本当に護憲でいいのか?」という視点で検討し、その結果として「いや、これが最良である」となれば、改憲の人をより説得することができます。だから「疑いの目を持つ」のは、むしろ護憲の側にこそ必要です。

反対に、改憲するにしても、それをきちんと踏まえない改憲だと「あなたは何を理想とし、どこに向かおうとしているのですか?」ということで、護憲を説得することはできない。場合によっては同じ改憲派ですら「いや、あなたは信用できない」となってしまいます。従って、改憲の側に必要なのは「護憲が正当な考えである」ということをしっかり認識すること、その上で「あえて改憲」という思考になること。

憲法も民主主義も、盲目的に絶対正義にしたり、打倒すべき敵と敵視するものではない、ということですね。



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Author:お玉おばさん
お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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