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立憲主義と民主主義

立憲主義は大事だよ。


 国家を縛るという側面があるから、大事なんだけど、実は国民が間違った道へ暴走したときの歯止めという意味があるんだよね。これは長谷部先生が「 これが憲法だ 」の中で語っている。国民の大部分がまちがった道へ暴走する・・・

 このときそれを「ダメだ」といって止めるのは誰なんだろう。いいえ、、、、もちろん、みんな知ってる。それは裁判所であり、、国によっては憲法裁判所というとくべつなきかんまであるのよね。
 立憲主義を大事にしてればそういう歯止めはきちんとかけられるはず・・・・・
でもね、それって平和なときのお話で、国民が間違った道 (長谷部先生はまちがったデモクラシーって言ってた)に暴走するときって、きっと国家も裁判所も何もかもが 暴走 しているんじゃあなあい?
そのときに、その暴走を止めるためには何が必要なんでしょう?どうしたらいいんでしょう?
 そんなとき、まちがったことを「まちがっている」と発するのは、そして行動し闘うのは裁判所や国ではないよね。
それは私たち民衆なんだよね。

お玉が記事の中で考えたかった本当のことはここでした。

 さて、タマちゃんですが。。。。クラスへ帰った彼女はどんな行動をとればいいのか。松竹おじさんもいってるけど、タマちゃんが逃げることで第2第3の犠牲者が出てしまう可能性が大。本来クラスの暴走を止めるはずのタヌキ先生は生徒たちが怖くて介入できずにいる。さあ、タマちゃんはどうする?

 容易なことではないけれど、タマちゃんがやらねばならないことは 闘うこと 。
でも、クラスのみんなと闘うのかな?いえそれは違うよね。超左翼おじさんもそんなこといってたでしょ?タマちゃんはじゃあ、何と闘うの?

 それは掃除当番は、みんなでしなければならないという考え方を一人ずつに説得してわかってもらうこと。少しずつ仲間を増やして、自分だけのことではなく、みんなのことを考える大切さをタマちゃん自身の手で伝えなくちゃいけないんだよね。

 立憲主義が大事だよ。これはお玉だってわかってる。でもね、そこが脅かされそうなとき、そのすばらしい理念だけでは立憲主義を守ることはできないんだよね。守るためにお玉たち一人一人の闘いが大切。多数派民主主義が暴走しかければ、民主主義を持って少数派は闘わなければいけない。

・・・・なんか偉そう?
 お玉はね、立憲主義の大切さを伝えつつ、でもそれを守るのは民衆自身なんだよってことが言いたかった。頭のいい学者さんたちが立憲主義は大事だよっていってくれても なんでそれがうまく伝わらないのかを考えたかった。ましてや自明なことだとか、立憲主義は理念だから云々。。。あのね、そういうふうに言われちゃうと理論的にものを言えないお玉はもう、何も語れなくなっちゃうんだよね。  

 そんなお玉の素朴な 「なんで?」 と松竹おじさんの以前から思っていた疑問がどうも似ているらしいと気がついて、今回の記事上 の往復書簡??(というより、記事交換?)になったんだけれど…

お玉おばさんの悩み(立憲主義と民主主義) 

お玉おばさんの悩み 2 立憲主義と民主主義 

お玉おばさんの悩み3(立憲主義と民主主義) 

お玉おばさんの悩み4(立憲主義と民主主義) 

立憲主義と民主主義 

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(非公開コメント受付中)

マルティン・ニーメラー牧師の言葉です。
ナチスが共産主義者を弾圧した時、私は不安に駆られた
が、自分は共産主義者でなかったので何の行動も起こさなかった。
その次、ナチスは社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが自分は社会主義者ではないので何の抗議もしなかった。
それからナチスは学生・新聞人・ユダヤ人と、順次弾圧の輪を広げていき、そのたびに私の不安は増大した。が、それでも私は行動に出なかった。
ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。
だから行動に立ち上がった。
が、その時はすべてがあまりにも遅かった。



人権は多数の人が容認するところから制限されていくかも?


国民と民衆
 お玉おばさんさんが言うところの、国民と民衆の違いは何ですか。
 なぜ民衆は正しいのですか。
 国民の暴走を民衆が覆す手段は何ですか。それは憲法に規定されていますか。


立憲主義と裁判所
明けましておめでとうございます。

>本当に普通のオヤジさんへ

法と道徳
 「峻別」をどういった意味で使っているのでしょうか?法領域と道徳領域は部分的に合致します。例えば、契約(法)と約束(道徳)の両概念には当事者の合理的意思に基づいて成立したことは守らなければならないとの共通の価値観があります。ただ契約を破ると国家による介入を受けるのに対して約束を破っても国家による介入を受けません。これをもって法と道徳は区別されます。別に価値的な部分において法領域と道徳領域が部分的に合致していても問題ありません。

>結局、立憲主義とは関係ない、「個々人の倫理観、道徳心が大切」ということですね!私も同感ですが、・・・

立憲主義と関係ないとの主張の根拠が弱いように感じます。既に述べたように価値的な部分において一致があっても問題ありません。法と道徳にはつながりがあるのです。倫理観と道徳心が大切というとどうして立憲主義と関係ないとなるのでしょうか。

>裁判所にはその機能が理論的・憲法的に無いのでは?

明治憲法においても人権についての規定は存在していました。ただし「法律の範囲内において」という制限がありました。結果人権は堂々と法律によって侵害されていきます。この失敗から現憲法の規定には法律の留保はありません。条文を見ていただければ分かると思います。

裁判所には違憲立法審査権(81条)が認められています。法律が憲法に適合するか判断する権限が裁判所にはあります。

一応裁判所には「民主主義の暴走を立憲主義が止める」という機能を備えています。この機能が理論的・憲法的に無いとの主張はどういった意味なのでしょうか?


初心者向けを超えた話では?
年末年始、なかなかパソコンを見られないでいたので、今日まで書き込み出来ませんでしたが、あけましておめでとうございます。

ところで、本当に普通のオヤジさんが

>結局、立憲主義とは関係ない、「個々人の倫理観、道徳心が大切」という事ですね!私も同感ですが、そのために立憲主義や民主主義を持ち出す必要があったのでしょうか。なんか無理感があり、逆に伝わりにくいです。

と仰っているように、私も何か割り切れないものを感じていました。

最終的に、集団の中で不当な目に遭わされている状況から脱出できるかどうかは、個人に勇気があるかどうかで決まるというような話になってしまっては、「部族の掟」くらいしかなかった原始時代も、近代憲法のある現代も大して変わりはないということになってしまいます。どうも、どこかで話がこんがらがって来てしまっているような気がするのですが。

立憲主義を説明するに当たって「クラスの中で、クラスメートのみんなから不当なことを押し付けられている小学生」という喩え話を出すのは、他の弁護士さんのサイトでも見ましたので、それ自体はたぶん、間違ってはいないのでしょう。ただしそれは、あくまで「初心者向けの初歩のお話」として、「立憲主義が正しく機能するならば、否定されるべきこと」の例として説明されているようです。

そして「クラスの中で不当な目に遭わされている小学生(タマちゃん)を救う」というところまで立憲主義で説明するなら、担任の先生(司法・裁判所)に出て来てもらって「いくら多数決で決めたことでも、一人の人にばかりに嫌なことを押し付けるのは間違っています」とみんなを叱って止めさせるしかないでしょう。(私の理解しているところでは)立憲主義とはそういうことだし、小学校のクラスで、みんなが多数決で決めたことを覆せるのは先生しかいないからです。

ところが、今回、お玉さんは「先生は見て見ぬふりをしています」と言われてしまいました。(更に担任ばかりではなく隣のクラスの先生も、そのクラスの人たちもと、どんどんハードルを高くされてしまいましたが、それは本質的なことではないような気がします)これは国家でいえば「立憲主義が機能していない」という状態です。そしてそういう状態をどうすべきかを問うのは、小学校のクラスを喩えにした、初心者向けの「立憲主義入門」の守備範囲を越えてしまっているのではないでしょうか?

たしかに立憲主義がいつも正しく機能するとは限らないと思います。超左翼おじさんの松竹さんが仰っているように、ここは生存権を求める人々に裁判所が無情の判決を下すこともあるような国なのかもしれません。しかしその松竹さんにしても、裁判所が立憲主義に基いたまともな判断を下したお陰で、労働者が救われた例も挙げていらっしゃいます。

私も含め、このお玉おばさんのブログに集うのは政治のことも法律のことも、特別な知識のない素人が多いでしょう。ですから、立憲主義について語るなら、それが本来どのようなものなのか、正しく機能していればどうなるのかをまずはよく知りたいと思います。しかる後に、この国で現在、それが正しく機能しているのかどうか、また機能した例と機能しなかった例などを挙げてゆき、そして立憲主義をまともに機能させるにはどうしたらよいか、皆さんで議論できたらよかったと思います。


問題意識を持ってもらうための「きっかけ」
 結局は、多くの人が問題意識を持つ以外に解決策はないと思います。

 民度が高く高度な知性を持った「立憲主義者」の多数が、自分たちの国民を馬鹿にしている状況では120%無理でしょう。もちろん、全員がそうではないと思いますが・・・

 立憲主義以前の問題で・・・立憲主義を進めたい人たち自身が、真面目な対話をする姿勢がない(全員ではありませんが、護憲連中に多いと思います)。
 知識自慢して、自分よりも知識の少ない人間をバカにして、自己満足しているだけ。
 関心を持ってもらえる以前に国民を切り捨てている。
これでは「自爆」です。

 今回の件ならば、有事に「たまちゃん」がどう具体的に戦い抜くべきか?
ですよね。

「タマちゃん」の考えを、どうしたらクラスメイトに聞いてもらえるか?
「タマちゃん」以外でみんなで「トイレ掃除」をしようとする意見の人が自由にモノを言えるのか?
 仲間はずれの「タマちゃん」に、「自分のくだらん正義」を振りかざして「トイレ掃除」を押し付けている「御立派な生徒(コア)」をどうするか?
 やりたい放題の児童は、自分に都合が悪くなると、PTA幹部の「民度が高く、高度な知性を持った親」に泣きつき、教育委員会に圧力をかけたりもする(センセイをコントロールする為)。こんな厳しい状態。

具体的な「たまちゃん」の戦う方法は・・・

①トイレのデッキブラシを振り回す(暴力)。
②クラスメイトにホースで水をかける(暴力)。
③トイレ掃除の手抜きをする(さりげない抵抗)。
④みんなが苦手な算数のテストで100点を取る(他の分野で自らの価値を高め発言力を得る)。
⑤隣の席の男の子が筆記用具を忘れたのをみたら、貸す(困っている人に手を差し伸べる)。
⑥偶然でタマちゃんがインフルエンザにかかってしばらく学校を休んだ後(当然タマちゃん以外の誰かがトイレ掃除を押し付けられている)の「タマちゃん」の対応(時を待ち、いざその時に発言する)
⑦クラス全体で困難な課題が出てきたときに、「たまちゃん」が知恵を出し意外な一面を見せる(人間は意外な部分を見ると評価が上がる)。

この方法は無限にあると思います。


きちんと理解したいけれど
はじめに正直に言っておきますが、僕は立憲主義について正しい知識を持っているとは思っていません。自分なりの、浅い理解に過ぎないと思います。しかし、お玉さんがこのブログを続けているのは、政治を専門とする深い知識を持つ人たちだけでなく、もっと多くのふつうの人たちでもわかるように政治を考えていきたいという理由からではなかったですか?その意味で、お玉さんの書く内容が素人じみているように感じても目を瞑っていました。
 ただそれは、自分が積極的に政治的な事象への理解を深めようという動機を失うことと同義ではありません。自分にできる範囲で学べることは学び、他の人と話し合える共通の土台を持つことは必要なことです。そこまで断った上で、上記のコメントについて補足したいと思います。

>立憲主義とは関係ない、「個々人の倫理観、道徳心が大切」という事

掃除当番の話が道徳に帰結するかどうかは、この後の展開を見なければわかりません。たとえばタマちゃんがクラス専属掃除人を辞めたことで、他のクラスメートには不利益が生じます。全体の利益を今後どうやって確保するのか、それはクラス全員に関係することです。これまで人身御供で済ませてこれた仕事を、誰がするのか、それをどう決めるのか、タマちゃんが降りたことで初めてその問題が全員のものとなります。
 これがこの後、立憲主義に関わる事態へと発展するのかどうか、そこまで干渉する気は今のところありませんが、少なくともこれが単に倫理的な問題だけを問うものではなく、全体の利害に関わることだという認識は間違っていないと思います。タマちゃんがことさら自分の主張をしなくとも、強要される役を降りる(あるいは逃げる、反抗する)ことにより、クラスの子供たちは責任の所在を問わざるを得なくなるだろう、との期待があります。理屈でなく、そこで子供たちが民主的に振舞えるかどうかが現実的に試されるはずです。


結局
結局、立憲主義とは関係ない、「個々人の倫理観、道徳心が大切」という事ですね!私も同感ですが、そのために立憲主義や民主主義を持ち出す必要があったのでしょうか。なんか無理感があり、逆に伝わりにくいです。

多くの立法者や学者が、どれだけ頭を悩ませて法の領域と道徳を峻別して来た事か、その努力を少し馬鹿にし過ぎです。そもそも、「民主主義の暴走を立憲主義が止める」と仰っていますが、裁判所にはその機能が理論的・憲法的に無いのでは?私はそう考えています。ですから、裁判所と立憲主義は直接関係もない。そこで、具体的に、民主主義が暴走した場合、立憲主義の何がどのように、それを止めることができるのか理論的に教えて頂きたいです。そして、その何かが暴走を止める事が出来ないから、国民一人一人が闘うことが大切?雲を掴むような話です。

立憲主義の本質は、民主的に決まった法を守る大切さ、民主的に法を創る必要性を、個々人が認識して行動することにあり、当該エントリの示す闘いは立憲主義の補強は可能ですが守る事にはならない、と思います。個々人の認識と行動も、結局、「個々人の倫理観、道徳心が大切」に戻っちゃいますが。
理論的?にものを言ってしまいましたが、法はとても論理的に構成されていると思っていますので、すみませんでした。しかし、護憲の立場で理論武装もなしで、憲法を語り、守れるのでしょうか?


民主主義2タイプ?
連投すみません。「民主主義は多数決ではない」で検索していたら、ちょっと興味深い本がAmazonにありましたので。

『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究』(Amazon より)

>内容(「BOOK」データベースより)
>「ベストな」民主主義を探る比較政治学の現代の古典。狭い経験に依拠するだけの印象論を排し、データにもとづいて民主主義を語る。小選挙区制、二大政党制、議会に対する政府の優越などのイギリス型デモクラシーを理想視する通説に、経験的研究の立場から異議を唱えた古典的著作。36ヶ国の分析から多数決型民主主義だけが民主主義ではないと主張する。

θさん(ブロガーさんみたいです)による四つ星のカスタマーレビュー

>世界各国の政治体制をつぶさに検討して、民主主義のよりよい姿を模索する本。
>まず、民主主義を多数決型とコンセンサス型に分ける。
>多数決型は、少しでも多い集団が数に物を言わせて議決を通す。
>その代わり、政権交代を前提としている。
>コンセンサス型は、話し合いを重視して、出来るかぎり多くの人と意見の一致を見るように心がける。
>従来は、イギリス型=多数決方が民主主義の理想とされており、コンセンサス型は失敗と見られてきた。
>しかし、筆者はさまざまなデータを分析し、コンセンサス型のほうが優れていることを実証する。

>本書はかなり本格的な研究書という感じであり、データや事実が無味乾燥に結構ずらずらと並んでいたりもする。
>読む人は、本腰据えて読むべきだろう。
>その代わり、読む価値はある。

これは読んでみたいかなあ、と思ったけど、ちょっとお高いし(¥3,990 )、私のレベルでは途中で挫折しそうな気も・・・(^^;) 
とりあえず、近所の図書館にあるかどうか確かめて、なかったら購入希望書でお願いしてみようかな。


肩の力を抜いて
掃除当番から立憲主義を考えるのは少し大変だとも思いますが、ちょっと気を楽にして書いてみました。

タマちゃんは、みんなのためになるのなら自分が掃除をしてもぜんぜん構わない、という気持ちでやっていたのかも知れません。でもみんながあまりに冷たいので、嫌になってしまうんですね。タマちゃんはみんなと助けあって生きていると思っていた。でも現実にはそうではなかった。みんなは利己的に打算で生きていたわけです。
 タマちゃんはみんなと同じように、誰かを犠牲にしてやっていくことは嫌だと思っている。だから気持ちの上ではみんなと距離ができてしまったままです。困りますよね。今までと同じように、みんな一緒で仲間だとは思えない状態に置かれてしまったのですから。タマちゃんがクラスのみんなと闘いたくないというのは、できることなら今までどおり、みんなとは仲間のままでいたいからです。敵に回すなんてこと絶対に嫌なんです。
 こんなタマちゃんですが、思うに一番楽な方法は、わたしもう掃除やらない、したくない、と宣言してしまうことかも知れません。いやいや掃除を続けて被害者意識を持たされるよりかは、マシな選択でしょう。で、十文字さんが書いているようにトイレは当然汚くなります。みんなは気分悪くなります。みんなは、そこでどうやって状況を変えるのでしょうか。
 タマちゃんに積極性を求めないプランを、きまぐれに提示してみました。煮詰めていないところはご勘弁。


暴走してしまう前に
私も「この国は立憲主義でやってます」という看板が立っていただけでは何にもならないと思います。看板がどうであれ、本当に国全体が暴走しかけておかしくなってしまっていたら、もう、捨て身で自分自身を「歯止め」にするしかなくなってしまうでしょう。でもそれは、とても勇気のいることだし、正直言って、自分に出来るかどうか自信はありません。

できることなら、そこまで世の中がおかしくなってしまう前に、何とかしたいものです。〝自然権〝にもとづくとはいえ、立憲主義もまた、人々が国家というものを成しながら、互いを不幸に陥れることなく生きて行くために、近代になって発明された「道具」のひとつに過ぎないものだと思います。不利な立場に立たされた一人一人の人が「立憲主義というものがあるのだから、それを利用して自分たちの権利を守ろう」とか、「立憲主義を楯に戦おう」という意識を持つか持たないか、そして周りの人たちがそのことに理解を示せるかどうかでも違ってくるんじゃないでしょうか。そのためにもお玉おばさんのようなブロガーさんには、これからもがんばっていただきたいと思います。


話は少し変わりますが、自分以外の少数者を犠牲にすることで成り立つような社会に生きるかどうかが問われているということで、私が思い出すものに、アーシュラ・ル・グィンの『オメラスから歩み去る人々』という短編小説があります。(ハヤカワ文庫『風の十二方位』所収。ル・グィンはジブリの『ゲド戦記』の原作者です。原作とジブリ映画はほとんど別物だけれど・・・)

いつともわからない時代に、誰もが平等で互いに尊敬し合い、豊かに平和に暮らしている美しい共同体がありました。でも、そこにはひとつだけ恐ろしい秘密があって、それは〝生贄"に選ばれた一人の子供を地下牢のような場所に閉じ込めて、幼い頃から地獄さながらの虐待を加えながら生かしておくことと引き換えに、その共同体の平和と繁栄が保障されているという寓話です。そこではすべての子供たちは一定の年齢(十三、四歳?)になると、その事実を知らされ、自分自身の目でそれを確かめに行かなければなりません。そして大多数の子供たちは、その後も何事なかったように成長してそこで生きて行くのだけれども、一部の人たちは・・・というお話。ル・グィンは私の尊敬する作家ですが、あれを読むと本当に怖い人だなあとつくづく思います。


間違ってる事て、何が間違いかが人それぞれで、圧倒的大多数が支持してる事柄ならば、それが例え憲法に違反してても強ち間違いとは言えないのでは?その時は憲法その物が間違いだとも言えたりしてさ(笑)。国民の総意として憲法があると思うから、その場合は憲法を変えるべきですね。掃除当番の例は極端すぎだと思うね、それは国民全員が幼児以下の馬鹿だと言ってるようなものだね(笑)。


あけおめ、ことよろでお願い致します
あけまして、おめでとうございます。
ことしも、宜しくお願いします。

 さて、本題です。
 私は、この『タマちゃんの掃除当番』というシュチュエーション自体が、立憲民主主義など機能せず、しいていえば、『奴隷制が存在するアテナイの民主制』の状態であると思えてしまいます。
 つまり、民主制でタマちゃんを掃除奴隷に任命した(しかも、タマちゃんを除く満場一致で)ということです。
 タマちゃん自身は、「タマはお友達ともめるのが嫌いなんだ」と言っておりますが、クラスメイトはタマちゃんをただの掃除奴隷としか見ていません。
 なぜなら、同じ人間としてみているのならば、「反対給付」という人類共有の心理が働きます。この「反対給付」とは、「なにか贈り物をうけとった者は、それに対して心理的な負債感をもち、なにかお返しをしなければならない」という、レヴィ=ストロースという高名な構造主義の社会学者が論証したものです。
 しかしながら、「反対給付」という心理は、奴隷やモノに対しては働きません。(ゆえに、人類は階級社会をつくりあげたのかもしれません。)
 たとえば、お玉さまの家に、自動的に動く掃除機があったとしても、お玉さまはその掃除機に対して、「心理的な負債感」など持たないでしょう。では、その自動的に動く掃除機がイキナリ喋りだし、「お玉さんも掃除しなさい。私とあなたを平等に扱う為の法律を作りましょう」などといったら、お玉さまはどうしますか?
 
 『タマちゃんの掃除当番』というシュチュエーションの話に戻りますが、お玉さまや松竹さんがおっしゃっているように、説得するのは当然ですが、その間、トイレ掃除はどうなりますか?
 まあ、暴力であれ、非暴力不服従であれ、状況を改善させる為の「たたかい」をしている最中は、トイレは汚いままでしょう。そうなると、その責任をすべてタマちゃんにおしつけ、タマちゃんに制裁を加えようとするクラスメイトもいるかもしれません。いえ、絶対にいるでしょう。

 そのときの「たたかい」こそが、まさに「命がけ」になるのです。松竹さんのおっしゃっていることの裏には、そういうこともあるのかと、私はとらえましたが、如何でしょうか?

 いずれにせよ、リベラルな立憲主義に基づいた政治体制を、一から作り出すということは、タイヘンなことですね。


立憲主義の勘違い
「自主憲法とは言えない」というのが、「立憲主義の精神を理解できていない」最大の理由です。(憲法の条文そのものは、この議論の外なので触れません。)

「憲法に規定しているから」という前提で動くべきは、あくまでも『国家権力』であって、主権者たる国民ではありません。

主権者たる国民自身は「なぜ、憲法にこの規定があるのか」ということを、常に自分に社会に問いかけ、答えを探していくことが責任といえます。
つまり、「憲法に定められているから」と国民自身が考えてしまっては、主権者たる地位を、わざわざ捨て去ることになってしまうのです。

例えば憲法第97条ですが、憲法で規定しているから国民に基本的人権があるのでしょうか?

『この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。』

基本的人権は、憲法が国民に付与したのではなく、憲法は「保障した」にすぎません。言い換えれば『この憲法は、「日本国民には基本的人権がある」ことを前提につくられた』ということになります。

そうすると「では、なぜ、日本国民には基本的人権があるのか?そもそも基本的人権というのは何か?」という課題が出てきます。

でも、このことは憲法には規定されていません。憲法はあくまでも、主権者たる国民が国家権力を制御するためにあるのであって、基本的人権を定義するためにあるのではありません。

あくまでも、基本的人権を定義し、基本的人権の重大さを認識するのは、国民の責任ということになります。

お玉さんの命題はそこにあるのです。
「なぜ、民主主義なのか?なぜ多数決なのか?」「多数決って、そもそも何なのか?多数決である必要性は何か?」
これをクラスで問いかけ、見出していくことで、「国民にとっての立憲主義」が認識できていくんだろうと思います。それはそのまま、「国家権力に対して、主権者たる国民は何を突きつけたのか」ということを、さらに双方に認識させる最大の武器にもなると思います。

憲法は、国民にとっては、「与えられるもの」でもなければ、「決められている」というものでもありません。
憲法とは、常に国民自身の手によって「つくりあげていくもの」という認識ができれば、改憲だろうと護憲だろうと、憲法論議ももっと深みが出てくるんだろうと思いますね。



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