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大切な立憲主義を守るために行動すべき民主主義

本当に世間が暴走した時にそれを止めることができるのは
理念としての立憲主義ではなくて、私たち民衆の一人一人の闘う気持ちなんだ。
ということがお玉は言いたかったんだと思います。

立憲主義の考え方はとても大事なのです。
これを憲法改正論の中で否定することはお玉も許せない。
立憲主義は弱者を守るために必要な理念です。
国を縛るという表現も間違いではないでしょう。


普通に今の日本で生活していく上でその理解でいいのかもしれない。

今回のお玉の設定しているタマちゃんのクラスは 撞木鳥さんがおっしゃる通りハードルが高いかもしれない。本来立憲主義的役割を果たすべき先生を「機能しない」といってるのですから・・


でも、守ってもらえるから大丈夫という考えが蔓延しそうな違和感をお玉はぬぐえなかった。
今、実際に「闘っている」人たちにとってそれは自明なことなんだけれど、そうでない大多数の人たちには一番大切なものが脅かされる時に真に行動しようという気持ちまで持っていくことは、とうていできないと思ったんだよね・・

松竹さんはヒットラー時代のユダヤ人弾圧までに行われてきたはじめは「小さかった」弾圧をなぜ止められなかったかという例を出して説明してくれてたけど・・

お玉さん流立憲主義への疑問・4

お玉は「茶色い朝」という本を思い出したよ。

茶色の朝茶色の朝
(2003/12)
フランク パヴロフヴィンセント ギャロ

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立憲主義の大切さを伝えるだけでは片手落ちだと思った。
だからこそ、それを脅かされそうな時、それに気が付く人たちの存在は大きい。それに気が付ける人たちはきっと一番に被害を受けるだろうけど、その時に私たちはどう行動したらいいのか?

実はね、長谷部先生と杉田敦さんの「これが憲法だ」での問答を見ていてね、それを初めて読んだ二年前には絶対的平和主義が立憲主義とは相いれないというところばかりに目がいってしまって・・これもまたとても大事な視点で「その時の正義」が必ずしも絶対に正しいわけではないので・・・・ でもじゃあ私たちはどうすればいいのかを語ってくれてない。

これが憲法だ! (朝日新書)これが憲法だ! (朝日新書)
(2006/11)
長谷部 恭男杉田 敦

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そうそう、その絶対的平和主義と立憲主義が相いれない話に関して・・

実はあるブログ(まだ連絡が貰えず、許可がもらえてないので名前はふせるけど)で書いてあったなかなかの立憲主義のお話・・(原文ではなくお玉流にアレンジさせていただいてます。)

愛と正義のアンパンマンは町の住民が 迷惑して困らされている悪のバイキンマンをやっつける。
でもいつも住人は自分では戦わないで正義の味方のアンパンマンに戦ってもらっている・・
ひょっとしたら実はアンパンマンだってだんだん、正義の味方だけではなく欲や悪意が出てきておかしな行動をすることがあるかもしれないのに・・住民はアンパンマンには文句は言わない。だって「愛と正義」のアンパンマンだもの。

パン屋のジャムおじさんに作られたアンパンマンは
バイキンマンのいたずらに対して暴力をもって罰を与える。
その罰の根拠は「愛と正義」なんだよね。

アンパンマンは愛と正義という抽象的な価値判断でバイキンマンを罰している。(暴力的に)アンパンマンがあの国の住民の平穏を守る英雄であっても、本当は、立憲主義国家にとって脅威となるはずですよね。・・でもここの住人はそのことに文句を言わない・・アンパンマンに絶対的について行くんだよね・・愛と勇気の人だもの、みんなの英雄だもの・・アンパンマンのいうことは絶対に正しいもの・・

この話はさいごに、アンパンマンが間違った判断をした時には住民がジャム工場に泣きついて、パンの供給を止めればいいという落ちになってます・・・

いえ、泣きつくだけではだめかもね、今まで何もせずアンパンマンに正義の判断を任せっきりにしていた住人達はそれに気がついて、みんなでジャムおじさんたちの組織に抗議しなければなりません・・脅かされている立憲主義を守るために・・みんなで力を合わせなきゃ。  

お玉おばさんの悩み(立憲主義と民主主義) 

お玉おばさんの悩み 2 立憲主義と民主主義 

お玉おばさんの悩み3(立憲主義と民主主義) 

お玉おばさんの悩み4(立憲主義と民主主義) 

立憲主義と民主主義 

大切な立憲主義をを守るために行動すべき民主主義 


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立憲主義と法治主義、そして人民主権と民主主義
おひさしぶりです。

そして、明けましておめでとうございます。

立憲主義を語る上で考えなければならないのは法治主義なのではないでしょうか。

学校やクラスで言えば校則やクラスでの決め事ですね。

トイレ掃除の当番を決める方法を生徒間で民主的に話し合ったのかどうか。
先生や委員長、当番を決めるときの司会が推薦者を求めて多数決で掃除当番を決め、翌週も同様の方法で決めることの是非を考えるというプロセルが無いことに違和感を覚えたとともに、そのプロセスが無い状況の中で立憲主義を説明しようというのは、無理なのではないかでしょうか。

個人の人権のぶつかり合いを、みんなの幸せ(公共の福祉)で折り合いをつけ、最終的には憲法に則って作られた法律によって個人の人権のぶつかり合いを裁いてゆく。

そうした流れの中に、タマちゃんや他の生徒、先生をどう当てはめてゆくのか。

たとえば、クラスのみんなで決めた決め事(法律)が主権在民の民主主義を前提にした憲法に則っているのかどうかを考えて、クラスの一人一人と話しあいながらクラスの決め事が間違っていたから、決め事を作り直そうというところへもって行ければ、立憲主義の大切さというものが見えてくると思うのですが・・・

たとえば、トイレ掃除は各クラスから一人が当番として出て全クラスの当番で行なうという決め事が学校にあるとしたら、その決め事そのものがどうなのかを問うとか・・・

もしそうした前提があれば、決め事が生徒会で作られたものであるならば生徒会に請願という形で決め事を変えるように提案するとか、生徒会役員に口利きしてもらうとか主権在民を前提とした立憲主義における法治国家の下での戦い方というものが描けるはずなのですが・・・

そんな中で、トイレ掃除当番の制度を変えるために学級委員として生徒会の役員になろうとタマちゃんが考えて、生徒一人一人と話し合うということになれば、主権在民の民主主義における選挙の重要性なんかも描けるはずなんですが。

いずれにしろ、憲法第十二条でなぜ「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と書かれているのか。

国民がサボっていれば立憲主義を前提にした民主主義はなりたたないとわかっていたからではないでしょうか。
お任せ民主主義が続けば、民主主義そのものが危うくなることは自明だったんでしょうね。

民主主義の否定は、まさに衆愚により圧倒的多数が最悪の選択をする可能性があるから行なわれてきたのではないでしょうか。

しかし、一度決めたことは面子のために修整できないという今の日本政府のような頭の固いことを民主主義は想定していないと思うのです。間違えても最悪の事態になる前に修整する。

そのためにも、少数の意見が押しつぶされることがあってはならないからこそ、表現や言論の自由があり集団・結社の自由があるのではないでしょうか。

さらに、なぜ議会への請願が一人でもできるのか。多数の署名が必要の無い請願ができる理由も少数意見を潰さないためだと思うのです。

少数意見が金や組織という多大な力により多数意見より反映されやすい政治状況にあることも、日本の政治の現実ではありますが、多数による暴走を止めるには少数意見を圧殺しない法的根拠を失わないことが必要になるでしょうね。

タマちゃんの場合、法的な話や民主主義のプロセスが抜け落ちていたから納得できない人が多かったのかなと思っています。



やっぱり難しかったんじゃ?
>思ったほど書き込みがなかったのは、共感してもらえてないからだろうなあと思ってます

他の人たちが書かれているように、お玉さんのおっしゃる「闘い」に共感するにはまず、内容を理解できないといけません。でもタマちゃんにその闘いを具現化する行動が見られなかったことで、いったい誰に対してどんな態度で臨めば問題への適切なアプローチとなるのかがわかりませんでした。そこで僕は、タマちゃんの消極的行動事例(や~めた)を通じてクラス全員が参加するきっかけを提示したつもりでした。もう少し言えば、タマちゃんに代わる掃除当番を選び出す過程の中で、暴力的な決定をも視野に入れた政治展開が見られただろうと思います。クラスのこどもたちが本当に民主的な意思を持っていなければ、互いの利害をうまく調整することはできない。従って誰かが次の犠牲となることも大いに考えられました。しかしそういう過程を通じて、やはりそのような方法ではクラス全員の真の合意は得がたいことに気づき、いかにすれば合意形成が可能かをみなが考えるようになるのではないか、そこまでは思い至っています。
 ただ、お玉さんがそんな悠長で面倒な話をここに用意すべきなのかは別問題ですね。もう少しわかりやすい話をした方がよいなあ、とは思います。

余談ですが、十文字さんは未完の作家さんなのですね・・・

>『自己犠牲の精神』に満ちた、「愛と正義」は(略)それにかかわってしまった人々に、かなりの精神的打撃を与えてしまう

ここらへんは、我々の理想への期待とその実現困難性のギャップを突きつけるゆえに、真摯であればあるほど厳しいシーンを眼前に佇んでしまうことになるのだと思っています。夢を見たかったのに、現実よりもなお厳しい世界を見せられた、ような。ミーシャさんは『オメラスから歩み去る人々』について書かれていますが、作者さん(アーシュラ・ル・グィン)は心温まる御伽噺では済まない現実を直視して、そこに人間の本来の性質を描きたかったのではないかと思ったりします。人を愛するには、ありのままを受けいれなければならない。本当のことを見る人々は、愛ゆえにそこから目をそむけないのかも知れません。お玉さんや松竹さんの言う「闘い」は、そういう意味を含んでいると思います。


戦うタマちゃん
私はお玉さんや松竹さんのように、護憲派の法律家の先生たちに直にお会いしてお話を聞いたことはないから、初めはどのへんが「違和感」だったのかもよくわかりませんでした。やがて「立憲主義なんだから、そんなこと(少数者や弱者の権利)は保障されて当たり前、みたいに言うばっかりで、実際には保障されなかったりすることをあまり問題にしていない。それと立憲主義の存在自体が無視されてしまうような事態になったら、どうするかに触れていない」ということなのだろうかと気づきました(違っていたら御免なさい)

しかし、だからと言ってタマちゃんが「立憲主義」なんかまったく当てに出来ないという状況の中で、たった一人で(少なくとも初めは)「戦う」ことを決意することが正しい答えなのだというのも疑問ではありました。いえ、そのこと自体ではなく、「法」という社会システムの問題だったはずなのに、いつの間にか、タマちゃんがどう生きるかという、個人の「実存的な戦い」になってしまっているみたいなところが、ちょっと・・・・・と思ったのです。

誤解のないように言えば、私もタマちゃん個人の人生としてはそれが正解かもしれないと思っています。「天は自ら助くものを助く」という、セルフヘルプの効能は、真実ではないかと感じていますから。(タマちゃんは、一見大人しいけれども、本当は芯の強いしっかりした子なのでしょう。何しろお玉さんの姪御さんだから)しかしだからと言って、他人にそれを押し付けたら、何かといえば「自己責任」という言葉を振り回し、「まともな仕事につけないのは本人のせい」とか、うそぶいてはばらない、市場原理主義のガリガリ亡者と同じになってしまうような気がしたのです。

もし、タマちゃんが、四面楚歌の中で一人で立ち上がったり出来ない、周りを説得したりする勇気もない、心の弱い臆病な子だったら、ずっとトイレ掃除を押し付けられても、それは仕方のないことなのか?私としては、そんなタマちゃんであったとしても救われる道はないかと考えてあげたかったのですが。

もちろん、私も「戦うタマちゃん」のような人が増えることには賛成です。世の中を変えていく、あるいは「おかしな方向に変えないようにする」にはそれしかないだろうと思います。『茶色の朝』は私も読みました。自分で買って読んだ他に、後から一冊買い足して友人二人に贈りました。もしかして、ちょっと「引かれた」かなと気になっていますが(笑)でも、現代の我々にとって、大事なことが書かれてあると思いましたからね。


アンパンマンについて
>その罰の根拠は「愛と正義」なんだよね。

 アンパンマンの「愛と正義」を、「愛と正義」たらしめているものを一言でいえば、『自己犠牲の精神』です。

 逆に言えば、『自己犠牲の精神』なき「愛と正義」は、真の「愛と正義」ではありません。

 これが、「アンパンマン」の、根底を成す思想です。

 しかしながら、「あるブログ」の人って、そういうところを全く見ずに、『罰の根拠は「愛と正義」のアンパンマン』などを創作する、そのとんでもないセンスに、衆愚ながら小説を書いて新人賞を狙おうとムチャしている小生といたしてましては、正直あぜんとしました。

 さて、『自己犠牲の精神』なき「愛と正義」は、それにかかわってしまった周囲の人々の、フィジカル・精神の双方に深刻なダメージを与えることが多い。これは現実をみても、ありありとわかることです。

 では、『自己犠牲の精神』に満ちた、「愛と正義」は…。
 これまた、それにかかわってしまった人々に、かなりの精神的打撃を与えてしまうんですね。
 この現象を、とある人は「涙腺爆破」と形容したりしております。
 創作をする人間にとって、極めて興味がある現象です。

 具体的に、それを実行した人をあげるとするならば、古典的な例としてはイエス=キリストです。(因みに、原作者のやなせたかし氏は、聖公会のクリスチャンです。)

 予断ですが、とあるゲームの冒頭にて、「あんぱんっ」、とかなり妙なことを言っているヒロインが出る、そんな面白いゲームが存在するのですが、これは、『アンパンマン』に対するオマージュ、つまり、「アンパンマンの根底に流れる精神」を暗示している表現だったかもしれません。

 当然ながら、そのゲーム作品のメインテーマ、ならびに目論みは…。

 そういうわけで、二次創作をするのでしたら、まずは原作者の意図が何かを把握し、それに対してのリスペクトが必要なのではないのでしょうか?
また、そういう深慮が全く見えなければ、「パソコンゲームを作っている人々」にすら、結果的に知性の面で劣っていることを、万人に見せ付けてしまうことになりますヨ!

http://www.froebel-kan.co.jp/anpanman/first.html
http://www.bk1.jp/review/0000007975 


あけましておめでとうございます
お玉さんの記事はいつも敬意をもって拝見しております。しかし今回の連載には全く共感できませんでした。「立憲主義の大切さをわかりやすく説明する」というのがもともとのテーマだったと思うのですが、前記事のコメント欄で Looper さんがおっしゃっていたように、話がどんどんずれて行っていると思います。このまま終わってしまうのでしょうか?

1)本当に世間が暴走した時にそれを止めることができるのは

本当に世間が暴走したら、だれにも止められないと思います。「国家も裁判所も何もかもが暴走した状態」で「その暴走を止めるには何が必要か」と問われ、「行動して闘うのは私たち民衆だ」と言われても困ります(だから松竹さんも、そうなる前になんとかしなければ、とおっしゃっているわけです)。その時、あなたには闘う気持ちがあるか? と問われるのは、愛する人のために命を捨てることができるか? と問われるのと同じ「いかがわしさ」を感じます。

2)本来立憲主義的役割を果たすべき先生

以前もコメントさせていただいたと思うのですが、お玉さんのたとえ話の最大の欠陥は「憲法」がどこにも出てこないことだと思います。

もちろん「憲法」さえあればそれだけで何の問題も起こらないというわけではありません。「憲法」のもとに具体的な「法制度」がつくられ、例えば学級会で憲法違反になるような決定がされた場合には、それを無効にすることができなければなりません。仮に「たぬき先生」がそのような「機能」を担っていたとして、しかも今回提示されたように、実際には「機能していない」のだとすれば、大変困ったことです。しかしそのことによって「立憲主義が脅かされた」と言えるのでしょうか?

「憲法」さえあれば、タマちゃんは学級会の決定に対して「それはおかしい」と言うことができます。さらには役に立たない「たぬき先生」に代わる新しい「法制度」をみんなで考えて作ることができるかもしれません。「たぬき先生」が機能していない現状では、それは簡単なことではないでしょう。しかし、そういう主張ができるということこそが「憲法」の存在意義であり、「たぬき先生」が機能していなくても、「立憲主義」は立派に機能していると言えるのではないでしょうか?

逆に「憲法」がなくても、全ての問題が最終的に「たぬき先生」の裁定で解決してしまうようなクラスも考えられます。お玉さんが引用して下さったアンパンマンの世界に似ていますね。でもそれは「立憲主義」以前の「賢人による独裁」なわけで・・・「脅かされている立憲主義を守る」以前にまず、みんなで勉強して「憲法」をつくらなきゃ、と言う話になるはずです。

3)立憲主義が脅かされる時

本当に立憲主義が脅かされるのは、「憲法」が(立憲主義の理念に反したものに)変えられてしまう時です。それだけは何としても防がなければなりません。そのためには、国民投票が実施される前に、立憲主義の「理念」をみんなにわかってもらう必要があるのです。

4)クラスのみんなと「たたかう」ことへの違和感

タマちゃんの「たたかい」は、「権力」によって脅かされている大切な「立憲主義」を守るための「たたかい」ではなく、立派に機能している「立憲主義」の枠内における「民主主義」のプロセスとしての「たたかい」だと言えるでしょう。「民主主義」のプロセス - 話し合ったり多数決を取ったりしながら社会的な意思決定を行うプロセス - においては立場を異にする「国民」どうしが「たたかう」のは当然のことであり、松竹さんが例に挙げられていた「解雇される労働者の人権を守るための、憲法25条をよりどころとしたたたかい」もその一例だと言えます。「労働者」も「使用者」も、立場の違いはあっても同じ「国民」なのですから。だからタマちゃんは、クラスのみんなと「たたかう」ことへの違和感を感じる必要はないのです。

5)私たちはどうすればいいのか

立場の弱い人を守るために、今、実際に「闘っている」人たちには敬意を表します。しかしその闘いは、「民主主義」のプロセスとしての「たたかい」であり、「憲法をよりどころとしたたたかい」であり、国会も裁判所も「暴走」したりせずに(まがりなりにも)機能した状態での「たたかい」だと言えるでしょう。だとすれば、少なくともそのような闘いが可能な程度には、我が国の「立憲主義」は機能していると言うことができます。

しかし近い将来、「憲法」が(立憲主義の理念に反したものに)変えられてしまうとすれば、そのような闘いすらできなくなってしまう(本当に命がけの闘いになる)可能性があります。そうなってしまっては手遅れなのです。手遅れになる前に何をすべきなのか。私は何よりも、立憲主義の「理念」を正しく説明することが重要だと思います。



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お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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