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大切な立憲主義を守るために行動すべき民主主義 2

立憲主義は大事だし(何回も書いてる)
理念をわかりやすく説明することも重要だと思ってる。

立憲主義の意味・・・お玉がこの連載のはじめに書いたことは次の三つ。

国民の1人1人の自由と権利を保障するために国家権力を制限するのが「立憲的意味の憲法」の本質。


例え民主主義によって作られた政府であっても、それが国民の自由と権利を侵すおそれがある場合はその権力に歯止めをかける必要がある

国民の大多数が必ずしも正しいとは限らない、国民の多数意見の暴走への歯止めでもある(間違ったデモクラシーの暴走への歯止め)

これらがすごく大事な考え方だとわかった上でお玉は書いてるつもりなんだよね・・・

 制限とか歯止めとか書いてあるから、じゃあそれが止められなくなった時、私たちはどうしたらいいんだろう?って疑問に思ったんだよね。

タマちゃんのクラスの話が実生活的において行き過ぎた仮定なので、それがダメと言うならもっとリアルに、いうとね。

いまこの不安定な社会の中で、一時的な感情で民衆(国民でもいいけど)が危険なカリスマ性を求めて頼ろうとして・・その結果誤った判断をしないとは、お玉には思えないんだよね。

小泉内閣のときくらいならば「期待はずれ」だとわかるまでにさして時間がかからなかったから良かったけれど…もっと巧妙な展開で大多数が望んでしまうカリスマ性のようなものが現れれば・・マスコミも巻き込んで簡単に暴走するとお玉は思ってる。

そして、そういう場面まで想定して、そうならないために立憲主義の理念をどう生かさないといけないかを考えたい、そして伝えたいそう思っているだけなんだけれど・・・・そういう危惧は立憲主義を語る上で必要のない不安なのかなあ?それは別の問題であり次元が違うって言う人がいて、憲法学者さんと同じようにお玉に言ってくれてるみたいに感じたけれど・・

立憲主義の理念があって、現行憲法さえがあれば、そういうことにはならないの?間違った民主主義はちゃんと歯止めをかけられるの?

もちろん、立憲主義が邪魔で憲法を改正しようとする動きに反対している、お玉たちのリアルな活動ももちろん、そのための努力ではあると思う。

何度も言ってるんだけれど、立憲主義を否定しているんじゃないんだよ。その理念が通用しなくならないために私たちはどうしたらいいの?・・と思ってるだけなんだよなあ・・・・お玉は。

とはいえ、これでいったん終わりにするけどね。

お玉って案外頑固でしつこいので・・きっとまたやる。

お玉おばさんの悩み(立憲主義と民主主義) 

お玉おばさんの悩み 2 立憲主義と民主主義 

お玉おばさんの悩み3(立憲主義と民主主義) 

お玉おばさんの悩み4(立憲主義と民主主義) 

立憲主義と民主主義 

大切な立憲主義をを守るために行動すべき民主主義 

##お玉のわがままな記事に付き合ってくれてありがとう。

記事違いに議論が発展すると判断した2件以外のコメントはすべて表に出してます。

思ったほど書き込みがなかったのは、共感してもらえてないからだろうなあと思ってます・・・・でもみんなのコメントのおかげでまた違う視点から書いてみようと決意も新たになってます。

ある友人に宛てて言った言葉ですけれど・・信じるに足る有効なフィクション(憲法と立憲主義)が脅かされた時に、そのためにリアルに戦える同志を増やしたくて、お玉はこんなブログやってるんだと思います。

otamaいつもいつも、お玉を応援してくれてありがとう!!そしてポチしてくれて、ありがとう! ↓お読み頂けましたら、どうかポチッとお願いします。

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(非公開コメント受付中)

国際人権規約
かわいそうなタマちゃんの役に立つものはないかと「基本的人権」とか「自然権」とかを手始めに次々と検索して行ったら、以下のような記事がありました。

>国際社会は、世界人権宣言60周年を記念して、経済的、社会的および文化的権利が侵害され、また国家からの救済を拒否されたあらゆる人びとに対して司法的救済手続きを保障する、歴史的な決議を採択した。
>12月10日、国連総会は「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約(社会権規約)選択議定書」を全会一致で採択し、歴史的不平等を是正した。
(アムネスティ・インターナショナル・ジャパン http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=560

「国家からの救済を拒否されたあらゆる人びとに対して司法的救済手続きを保障する、歴史的な決議を採択した」ってところにグッと惹かれたのですが、でもそのあとがとってもややこしかったです。

まず、「国際人権規約」というものがあって、

>国際人権規約は、世界人権宣言の内容を基礎として、これを条約化したものであり、人権諸条約の中で最も基本的かつ包括的なものです。社会権規約と自由権規約は、1966年の第21回国連総会において採択され、1976年に発効しました。日本は1979年に批准しました。(外務省 HPより)

そしてその内容は、社会権規約(A規約)と自由権規約(B規約)の二つに分かれています。

>A規約では、労働の権利、社会保障についての権利、教育についての権利などの社会権が保障され、これは世界人権宣言において規定されている“経済的・社会的・文化的権利”に相当する。
>B規約では、身体の自由と安全、移動の自由、思想・良心の自由、差別の禁止、法の下の平等などの自由権が保障され、これは世界人権宣言において想定されている“市民的・政治的権利”にほぼ相当する。(Wikpadia「国際人権規約」より)

そして、社会権規約(A規約)には、これまでは締約国が規約の実施のために取った措置や実施状況を報告する報告制度だけしかありませんでした。一方、自由権規約(B規約)には、この規約に含まれる権利を侵害された人が、国連の規約委員会に訴えることができるという、「個人通報制度」を規定する「選択議定書」という「オプションの規約」があって、それも第一と第二に分かれています。

※市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書(第一選択議定書) (B規約第一選択議定書)
http://homepage3.nifty.com/y-kitamura/webtreaty/human%20rights/Opt%20Protocol-1.htm

※死刑廃止のための市民的及び政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書 (B規約第二選択議定書)
http://homepage3.nifty.com/y-kitamura/justice/ccpr-op2.htm#

日本はA・B両規約共に1979年に批准しています。(一部、国内法との関係で留保)ただし、B規約のオプションである選択議定書は第一、第二共、批准していません。その理由は・・・

>特に第2選択議定書がB規約第6条に基づき死刑の廃止を定めているからである。これに対しては国際連合規約人権委員会から死刑廃止への改善を、またB規約に照らして市民の政治的意思表明権の完全な保障(立川反戦ビラ配布事件参照)と、再三にわたり慰安婦問題の真摯な解決を求められている。(Wikpadia「国際人権規約」より)

ということだそうなんだけど、これだけを読んでも、第二はともかく、第一の方はなぜだめなのか、いまいち良くわからないんですよね。

第一選択議定書については、国会でも↓のように「批准しないのか?」という質問が過去に何度も出ているようなのです。

※B規約の第一選択議定書(個人通報制度)批准に関する本岡昭次議員(当時は社民党 後民主党)による質問主意書
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/syuisyo/121/syuh/s121009.htm

日弁連も昭和61年に要望書を出しています。
※「日弁連 - 自由権規約選択議定書批准促進等要望決議」
(URLも書いたんだけど、「URLが多すぎて投稿できない」と出たので削除しました)

「個人通報制度」って、お玉おばさんのタマちゃんのお話で言えば、タマちゃんが、頼りにならない担任の先生を飛び越えて、校長先生に直訴して先生を指導してもらうっていうようなことでしょう?たとえば、↓の日弁連のパンフなどを読む限りは、とても良さそうに思えるので、

※日弁連発行のパンフレット「個人通報制度に道をひらこう!」(2007年11月発行)
http://www.nichibenren.or.jp/ja/publication/booklet/data/jiyuken_kiyaku.pdf

とりあえず、死刑制度に触れていない第一選択議定書だけでも批准してくれればいいのにと思うけど、どうしてダメなのだろう?と思っていたら、「教えて!goo」で同じ質問をしている人がいました。やっぱり、私には読んでもよくわかりませんでしたけど。(^^;)

※自由権規約選択議定書 なぜ日本は批准していない? - 教えて!goo
※自由権規約選択議定書批准状況 批准国一覧 主な未批准国(2004年1月20日現在)
(「URLが多すぎて投稿できない」と出てしまったので、どちらも削除しました。見たい方は上記の言葉でググってください)

ともかく、今回、国連総会で社会権規約(A規約)にも自由権規約(B規約)と同じような「個人通報制度」のある、オプションの「選択議定書」が決議されたということらしいのですが(探したのですが日本語訳はまだ見つからない)はたして日本は批准するのでしょうか?

>世界中の多くの人びとが、自らの諸権利、とくに適切な住居、食料、飲料水、そして衛生、健康、教育、ディーセント・ワーク(人間らしい労働)への権利の侵害に苦しんでいる。しかし、彼らは、それらの権利の保障を求める能力や権限を否定されている。とくに貧困層や、社会の片隅に追いやられた人びとは、司法的救済手続きの利用が困難な状況に置かれている。
>アムネスティはすべての国ぐに対して、この経済的、社会的および文化的権利の実施に向けた歴史的一歩が、諸権利が侵害されているすべての人びとのために、現実のものとなるよう求めるものである。アムネスティはすべての国ぐにに対して、2009 年の署名開放期間中に選択議定書の締約国となり、同議定書の早期発効を確実なものとするよう要請する。(上記アムネスティのページより)


Venom様
>「暴走の仕方が違うから」だなんて、日本人だけを異常者扱いする必要はありません。 戦後一時期、対米追従こそが名誉を回復する方法だっただけです。 
アメリカがかつての力を失った今、これからはどうなるか分かりませんけどね。 ひょっとして何でもありの戦国時代になるかも。

異常者扱いするつもりはありませんけど、少なくともアメリカ追従というか極東軍事裁判をそのまま受け入れたこともっといえば日本人が自らの歴史の評価とそれに対する裁断を行わなかったことが今の左の方たちの日本の軍備拡大に対するアレルギー体質の一因になっているのは間違いないんじゃないかと思いますけどね。


>「日本とドイツとでは暴走の仕方の質が違うからこそ日本に枷が必要ということには納得がいく」

ドイツに「枷」がないのは、連合国がドイツを対ソ防波堤、つまり第三次大戦が勃発したとき、英仏に代わって矢面に立って戦うことを期待したからでしょう。 だからアメリカを始め連合国は全ての罪をナチスに押し着せて、ドイツ国民を免責し、再軍備させた。 ドイツ人もしたたかだから、アメリカのポチの役割を引き受けることで、軍事面での戦後復興を果たした。

それに対し日本はベトナム戦争当時、アメリカの要請を断って、憲法改正や核武装、ベトナム参戦などを拒否した。だからまだ日本は免責されず、戦犯国として便利なサンドバッグにされ、南京や慰安婦などでネチネチいじめられるのです。 

「暴走の仕方が違うから」だなんて、日本人だけを異常者扱いする必要はありません。 戦後一時期、対米追従こそが名誉を回復する方法だっただけです。 
アメリカがかつての力を失った今、これからはどうなるか分かりませんけどね。 ひょっとして何でもありの戦国時代になるかも。


すいません。わからなかったんで単純に質問しただけで論破する意図はありませんでした。

ご飯食べながら読んでてわかったんですが、十文字さんの上記の意見は簡単に言えば「普遍的な妥当性があるならドイツも非武装にするべきであり、そんなものないからこそ日本の武装も認められる」ということですよね?

ちなみに僕は非武装絶対平和主義者などではなく「そういう経緯をたどったからこそ政治家も有権者もしっかりしなければいけませんね」といいたかっただけでつまりは「別に言ってみただけで、私の意見で他の人を説得するつもりは無いですよ」ということです。
理解力不足ですいませんでした。


森の賢者様へ
>最終的にプロの軍人が士気の高い素人を完全に制圧したところって、どこですか?

最終的、のラインをどこに置くかで違ってくるとは思いますが、今の世の中でパリコミューンのような革命政府ができる可能性を考えれば、それは限りなくゼロであることについてはご理解いただけるかと思います。

全部ではなくても、大部分の軍人を味方に付けなければ、革命は成功しません。
ベルリンの壁崩壊の群衆だって東ドイツの国境警備隊が機関銃でも戦車でも持ち出していれば「プラハの春」同様に吹き飛ばされていたことでしょう。もっと言えばロシア軍が見逃したからこそあの壁は崩壊したのです。

そしてロシア軍がなぜそれに介入しなかったのかと言えば、単純にNATO軍を敵に回して戦う能力がもう無かったからです。ソビエト体制は成立当初から内向きに閉じた経済圏を形成していますから、彼らの側には崩壊の理由はありませんでした。
彼らが崩壊したのはアメリカとの軍事技術競争を行うだけの科学技術力がもうないことを軍隊がよく把握していたからこそです。彼らは戦わずして敗北していたのです。

ついでに言えば、今現在のロシアを統治しているのはチェチェン共和国で住民を殺しまくったプーチン首相ですよね?対立者に「医者を送り込んで始末する」と公言するような男が指導者になっている現状が「市民の勝利」なのかは大いに疑問に思います。


>日本国民を権利意識の高い市民に脱皮すべきだとお考えですか? 

権利意識の高低はどうか分かりませんが、もっと個人がその能力を引き出される社会になるべきとは思います。

個人の権利が保障されない社会よりも保障される社会のほうがモチベーションは上がるでしょうし、失敗しても這い上がれるセーフティネットがあるほうが冒険をする人が増えるでしょう。
そういう意味において、日本人は世間や「国際社会」に媚びることを止め、自分の足で立ち上がるべきと思っています。

私は「人権」を信じてはいませんが、「人権がもたらす利益」については尊重しています。
(戦国大名がキリスト教を信じなくても、宣教師のもたらす南蛮の文明を高く評価していたように)

ですから、権利を認めさせる方法は、権利が認められた状態のほうがパフォーマンスが良いこと、競争に打ち勝てることを示すことにしかない、と思うのです。
リストラに対してはサボタージュと転職で対抗し、逆に人事的厚遇には高い成果でもってこれに報いること、会社の経営に関われない労働者のできることと言えば、それくらいなのではないかと思います。リストラすれば会社がガタガタになり、資産を吐き出してでも従業員を厚遇すればそれに見合った対価があると分かれば、経営者もこんなことを続けはしないでしょう。そもそも経営というのは人道とは関係のない、むき出しの競争なのですから。


ハリケーンジョー様へ
>「日本とドイツとでは暴走の仕方の質が違うからこそ日本に枷が必要ということには納得がいく」

 ハリケーンジョーさんが、上にあります抜粋文の理屈で、ご自分で非武装絶対平和主義の妥当性を納得され、それを固く信じられているのは、別に私にはとがめる権利はありません。
 無論、多くの人に、ご自身の意見を主張されるのも、一向に構いません。
 それが、近代民主主義の原則なのですから。

 しかしながら、私といたしましては、
あなたのおっしゃる理屈では、絶対に非武装絶対平和主義に賛同することはありません。

 無論、同じ考えの人は多いでしょう。とりわけ、長谷部恭男教授、藤原帰一教授、伊勢崎賢治氏なども、賛同することは無いでしょう。これは彼らの著作・論文をお読みいただければ、ご理解いただけるかと存じます。

 そして、「憲法9条があるから、日本は非武装絶対平和主義になるべきだ」ということを主張され、日本国という国家の名においてそれが実現するということは、私の思想・信条の自由を叩き潰すことになります。
「非武装なんてダメだ」と主張しつづける私が、拘束や排除などを受けるとするならば、それは近代民主主義の原則に反します。

 ゆえに、そのようなことが起こらないように、「非武装絶対平和主義は、立憲主義に反する」というようなかたちで、ある一つの価値観が国家システムを牛耳らないようにしなくてはならない、これが、長谷部恭男教授の憲法論です。

 というわけで、「別に言ってみただけで、私の意見で他の人を説得するつもりは無いですよ」とおっしゃられるのでしたら、話はここまでですが、もし「説得したい。特に批判している十文字(衆愚代表)を論破したい」と思われていらっしゃるのでしたら、以下の私のささやかな疑問に、明確に回答されることが望ましいと思います。

・日本とドイツとでは暴走の仕方の質が違うとは、どのような違いがあるのですか?
・その「暴走の違い」により、何故、日本にだけ枷(非武装)が必要で、ドイツにはそれが不必要なのですか?
・日本だけが枷が必要である、という考えは、「9条を輸出しよう」と考えられている人々をスポイルする副作用があると思いますが、問題はありませんか?(9条の普遍的な妥当性を、ハリケーンジョーさんご自身が否定していることになりませんか?)
・論理的な問題ではなく、感情的な問題から見ても、「ドイツに9条があればアフガン人はドイツ人に殺されなくてすむから、ドイツも9条を持つべきだ」という考えは、否定されるべきなのですか?
・日本人にだけ、特別な枷(非武装)を設けて、「重すぎるほどの重石」をつけなければならないという発想は、結果として、世界の国々の人々より、「日本人は人種的に劣る」というイメージを、世界に向けて宣伝することになりかねないと思いますが、それは心配ないのでしょうか?
因みに在日米軍の存在理由の一つが、まさにそれなのです。{1971年にアメリカの大統領特使として訪中したキッシンジャーが秘密会談で強調したのも、日本が「膨張主義」的傾向を持ち「大々的に再軍備をすればやすやすと1930年代の政策を繰り返すことができる」ということでした。同時にかれは在日米軍の存在が「日本に侵略的な政策を追求させなくさせている」とも主張しました(日米安保=ビンのふた論)。by荒井信一教授}

 以上、私のささやかな疑問でしたが、多くの人々も、ハリケーンジョー様のご主張を聞くと、上記のような疑問を持つと思いますので、ひとつ、ご考慮願いたいと存じます。

 因みに、ドイツには、一切の武力を放棄するような条項はありません。以下は参考までに添付いたします。
http://maga9.blog.shinobi.jp/Entry/127/


十文字様
>日本以上に暴走し、日本以上の凶悪な戦争犯罪を引き起こしたドイツに対して、「重すぎるほどの重石」が存在せず、結果としてドイツは、コソボやアフガンに爆弾の雨を降らせたのは、「9条ですべての戦力を放棄している」という価値観に、普遍的な妥当性が存在しないからなのではないでしょうか?

不勉強で申し訳ないのですが、僕は
「日本とドイツとでは暴走の仕方の質が違うからこそ日本に枷が必要ということには納得がいく」という主旨で上の意見を書いたのですが、それがドイツのコソボ・アフガン空爆とどうつながるのでしょう?ドイツにも日本と同じような一切の武力を放棄するような条項があるということなんですか?



勝利したのは「市民」
KYさん。

>はっきり言おう。人権思想や資本主義が独裁政治や社会主義に対して勝利したのは、戦争に勝ったからだ。

その見方には賛成ですけどね。勝利したのは権利意識に目覚めた市民なんですよ。アメリカでは、市民が権利意識を持たない人々を駆逐して建国し、その後はアフリカから権利意識のなかった人を「輸入」して使役することさえした。

立憲主義は欧米で普及したのは権利意識をもった市民が誕生して力を持ったから。専制君主は打ち倒されるか、もしくは妥協を強いられた。あちらにはそういう流れがあって、市民には勝利したという自負もあるから、立憲主義も上手く機能するんでしょう。

翻って、日本にはそういう歴史的な流れはない。明治憲法にしたって昭和憲法にしたって、民衆にしてみれば、自ら勝ち取ったものではない。

えっと、KYさんは改憲、つまり自主憲法制定派でしたよね? すると、日本国民を権利意識の高い市民に脱皮すべきだとお考えですか? 

>兵器の進歩は『士気の高い素人』が『プロの軍人』を打ち負かすことを不可能にした。

そうですか? 短いスパンでしか物事を見ていないのでは? 最終的にプロの軍人が士気の高い素人を完全に制圧したところって、どこですか? イラク? アフガン? ベトナム? 東欧だって一時ソ連に制圧されて不幸な時代が長く続きましたが、あなたの理論だとベルリンの壁は崩壊しなかったはず。資本主義が勝利したのは、権利意識の勝利では?

中国だって長い目で見れば、まだまだわかりませんよ。


 立憲主義が崩壊するときは、核兵器がアメあられと降ってくる時代でしょう。
 シェルターが必要で、五年くらいは表にでてこれないだろうし、大気はこっぱみじんに吹き飛んでいるでしょう。アンモニアのアメが降り、硫化硫黄のアメも降るでしょう。

 それを国民が望むのであれば、立憲主義はなくなるんじゃないかな。

 そこまで経営者は馬鹿なんだろうか・・そこまで馬鹿ではないと信じたいけれど、アメリカのは馬鹿かも・・


ハリケーンジョー さんへ
>9条ですべての戦力を放棄しているのは一度こういう形で暴走してしまった日本に対する重すぎるほどの重石であってそれには妥当性はあるんじゃないかな。


日本以上に暴走し、日本以上の凶悪な戦争犯罪を引き起こしたドイツに対して、「重すぎるほどの重石」が存在せず、結果としてドイツは、コソボやアフガンに爆弾の雨を降らせたのは、「9条ですべての戦力を放棄している」という価値観に、普遍的な妥当性が存在しないからなのではないでしょうか?

…、という突っ込みは、おもにネット右翼の方からよく指摘されるものです。

「非暴力絶対平和主義は、立憲主義に反する」という、長谷部恭男教授の理論は、これらの現実を俯瞰した上での結論なのです。
http://kiyosakari.blog105.fc2.com/blog-entry-18.html
現実から乖離し、あまつさえそれを正当化するような理論は、所詮は「タコツボの中の物神信仰」(by丸山真男教授)でしかありません。
立憲主義を考察するには、そのような厳しい事象を的確に把握してなされるべきであると、私は愚考します。

以上、衆愚っぽくない精神が、いっぱいいっぱいの投稿でした。


疑問というかいつも思うこと
日本が太平洋戦争に向かう経緯なんかを見ているとヒットラーみたいなとんでもない悪い意味でのカリスマ性のあるヤツが突然現れて、ラジカルに変わって行ったというんじゃないと思うんですよね。
議会はきちんと機能していたし、選挙だってやってた。その上で国会の中で一つ一つハードルをクリアし、言論を統制する法律を作り、思想を統制し・・・っていうことなんですよね。
って言うことは、逆に言えば今でも政治家がしっかりしなきゃ、もっと言えば国民がしっかりしなきゃ同じような経緯をたどる可能性は十分にあるわけで・・・

9条ですべての戦力を放棄しているのは一度こういう形で暴走してしまった日本に対する重すぎるほどの重石であってそれには妥当性はあるんじゃないかな。まぁ実質、済崩し的に戦力もたされちゃってますけどね・・・


抵抗と独善
「世間」があなたの信じる「正義」と反する場合、正しいのはあなた自身だということを担保するものは何だろう?あなたが独善ではないという根拠は何だろう?

立憲主義だからといって、正義の根拠を憲法におくのはトートロジーだ。なぜなら憲法は「正義を書いたもの」であって、それが正義かどうかという根拠に憲法を用いるのは「憲法は正義だから憲法」と言っているのと同じだ。
この文脈が成り立つのなら、憲法の代わりに「宗教」や「独裁者」を入れても別に社会は成立する。が、そんなものが「正義」であるわけがない。つまり立憲主義の根本である正義の根拠、正義の担保は憲法ではない別のところにあるのだ。

はっきり言おう。人権思想や資本主義が独裁政治や社会主義に対して勝利したのは、戦争に勝ったからだ。フランスは民主主義による義勇兵が君主制の徴兵軍よりも強いことを示した。連合国は枢軸国を打ち倒すことで、民主主義が独裁政治より強いことを示した。アメリカはソビエトを打ち倒すことで資本主義が正しいことを示した。
つまり、より社会の力を引き出し、戦争に勝利する社会体制とその思想こそが正義なのであって、戦争に敗れるような思想や社会制度は誤りなのだ。

今現在まさに民主主義が広まらない原因もここにある。兵器の進歩は『士気の高い素人』が『プロの軍人』を打ち負かすことを不可能にした。だから中国は天安門事件で群衆を虐殺することができたし、イスラエルも安心してガザの人々を虐殺できるのだ。

素人が軍人を打ち倒すには、軍人の背後に居る一般市民を打ち倒さなければならない。ちょうどベトナムの映像がアメリカ市民を打ち倒したように。
情報戦が必要だ。ガザも今後十分に映像を提供することができなければ、国際世論の盛り上がりも無く、このままイラクのように虐殺されて終わるだろう。

インターネットの広がりは必ずしも弱者が有利になったことを意味しない。中国を見れば分かる通り、どのようなものであれ、情報は分断し歪曲することが可能だ。複数メディアを支配すればクロスチェックを欠かさない市民をも騙すことさえ容易い。

我々に何ができるだろうか?
勝ち馬に乗り、圧殺する側に立つ為に努力することもできるだろう。それと同じくらい負け組にてこ入れして彼らが殺されないようにすることもできるだろうが、そうすることであなたに何の得があろうか?

しかし人間はパンのみによって生きるのではない。人は金銭だけでは幸福になり得ない。「負け組」が人生を楽しむ術を見いだした時、負け組というレッテルは無意味になり、幸福の総量によって人生の勝者となる。

我々にできること、それは自分と自分の周りの人間を幸福にすること、それを全ての人間がするように勧めること。それしかないのではないかと思う。他人の不幸でメシウマとか言ってる奴だって、不幸な隣人に囲まれているより幸福な友人とともにあるほうが楽しいに決まっているのだから。

長文失礼いたしました。


変容
立憲主義という「理念」と立憲主義を守ろうとする「気持ち」、どちらが大事ですか?

こんなことを尋ねると、立憲主義を大切だという人からは、

立憲主義という理念を理解して、それを守ることが大事。だから、どちらも大事

という答えが返ってきそうですね。でも、そういう答え、私はツボにはまっていると思います。

立憲主義を、例えば「伝統」に置き換えてみましょう。そうすると、

伝統をよく理解して、それを守ることが大事。

ということは言えるはず。

立憲主義を含む「理念」も「伝統」も、どちらもフィクションという意味では同じ。いずれもよく理解すればするほど、上手く守ることも出来れば上手に悪用することも出来るようになる。悪用するのは

「理念」や「伝統」の核心を理解していないからではないのか、

と、そんな声も聞こえてきそうですね。その声に、その通り! と相づちを打ちたいと思いますが、同時に、そこでは「理念」や「伝統」を変容させていく力もセットになっている、と指摘させていただいたい。そこを掴まないとツボにはまります、と。

立憲主義は、それを変容させていくことも辞さない精神がないと守れません。たとえ立憲主義が守れても、立憲主義が守ろうとする大切なものを守れなくなる。

ついでに言っておきますとね、9条は立憲主義を変容させていこうする力の現れです。だから9条は守らなければならない。

...私の勝手な理解ですが。


立憲主義の「理念」をみんなにわかってもらうために
お玉さんの懸念はもっともなものだと思います。というか、私を含めてここを読んでいる多くの人が共有しているはずのものだと私は信じています。

しかし

「立憲主義は国民の多数意見の暴走に歯止めをかけるためのもの」
 ↓
「立憲主義の理念と現行憲法さえあれば歯止めがかかるのか? そんなことはないはずだ」
 ↓
「いまのままでは多数意見の暴走に歯止めがかからない。これは立憲主義の危機だ(立憲主義が脅かされてる)」
「大切な立憲主義を守るため、私たち一人一人が闘う気持ちを持たなければ・・・」

という議論はいささか短絡的だと思います。いつのまにか話がずれてしまっているのです。

私の主張は以下の一点だけです。

「立憲主義の枠内における、民主主義のプロセスとしてのたたかい」と「立憲主義を守るためのたたかい」を区別すべきだ

これは決して単なる言葉遊びではありません。具体的に言えば、「普通の選挙における投票」と「憲法改正のための国民投票における投票」とは全く異なる意味を持つ、ということです(投票は、たたかいというにはあまりにもささやかなものですが)。この両者の違いをわかってもらうことこそが、立憲主義の「理念」をわかってもらうことだと言っても過言ではないでしょう。

「立憲主義の枠内における、民主主義のプロセスとしてのたたかい」が大事だということはわかります。それを否定しているわけではありません。私はただ「立憲主義を守るため」という言い方をすべきではないだろうと主張しているだけなのです。なぜなら、それは立憲主義の「理念」をみんなにわかってもらうことの妨げになると思うからです。




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でも、お玉が愛を感じたら記事違い、長文、連投、暴言でも表に出すことはある・・ようは、愛です・・愛!また、TBも同じような基準で判断させて頂きます

マガジン9条読んでね~♪
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