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残虐な加害者になるかもしれない

もう少し続けようか・・・・


昨日は分かりやすく、戦争という究極に人間が追いつめられやすい、分かりやすいシチュエーションで書いてみました。良い機会ですので、その話をもう少し書きます。


昨日も書いたように、戦争が起ればどんな人でも加害者になってしまいかねない状況ができてくると思うのです。だからこそ、どのような場合でもどんな形のものであっても、戦争を認める事はお玉にはできない。


それに戦争による殺人は「英雄」として歓迎される・・現在のアメリカ軍は躊躇うことなく引き金を引けるようになる訓練をしていると聞いた事があります。そうでなければ自分が死んでしまうから。


もしもはじめから躊躇うことなく人を殺せる感性を持っていて、その人が戦場に行けば「英雄」となるのでしょうか。


一知半解知らずに劣れりさんがお書きですね。


また、そういう立場におかれた人の行動を、残虐だと非難することは簡単ですが、そうさせた環境についても考慮する必要があるのではないかと


そう、ぎりぎりの状況に集団でおかれ、行なわれてしまったこと。虐殺、殺戮・・・その渦中にいた加害者は帰ってきても何も語れない。語る事が出来ない。もしもお玉がその立場でも、やはり自分がどう動いたか、むやみに人を殺さず過ごせたのか・・・確証が持てない、もし手を汚していたとしたら、一生その事は人に話せない。


その場で残虐行為をしてしまった人達を責めるのではなく、そう至らしめてしまったもの、その状況に追い込んだものは何だったのかを、きちんと見つめなければならないと思うのです。加害者になった人の責任ではなく国としての責任・・ですね。


だからこそ、「なかった事」にしてはいけない。あった事は認めなければいけない。ベトナム戦争であれほどあったジャーナリストによる証言がイラク戦争では殆ど何も残っていない。なぜなら、ベトナム戦争のときのことを教訓にアメリカが世界中のジャーナリストを戦場から閉め出してしまったから・・・・


この続き、また明日書きます。(う~~ん、書けるかな・・・)


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Secret
(非公開コメント受付中)

>Sadaさま。
大戦末期の話ですが、私の父は幼少時、戸外で遊んでいて米軍の艦載機から機銃掃射を受けたそうです。パイロットが本気だったのか戯れだったのかは分かりませんが、実包を丸腰の幼い子供に向けて撃ったのは確かです。
父は父で悪ガキだったものだから、弾をあとで掘り出してオモチャにしてたようですが。子供は怖いもの知らずですね。

それはともかく、大きな戦略や戦術とかけ離れたところで、現場レベルでは戦場の「場の力」に取り込まれ、人間は極端な残忍さを発揮するものだと思いますよ。
平時に、当てる気がないとしても幼児に向かって機銃を撃てる人間はそうそういないと思いますから。


>愚樵さま。その2
仰ること、よく分かります。
けれども私が難しいなあと常々思っているのは、人間を愚樵さんが仰る「穢れ」を減少させる方へ向かわせるはずだった高度な技術文明と複雑に組織化された社会が、逆に人間の残忍さへの欲求を増大させているように思えてならんからです。

恐らく、ある種のスポーツやポルノグラフィー、コミックなどがそういった性向を吸収する緩衝材の役を果たしているのでしょうが、それだけでは足りていない。重い暴力犯罪者に対し死刑を求めて声高に叫ぶ「善意の第三者」を見ていると、彼らが殺しのカタルシスに飢え渇いているのを肌で感じますよ。穢れを浄化し心の平衡を回復させてくれる、愉しみとしての殺し、死刑。第三者にとっての、清潔で残忍な娯楽。

私は、死刑の存廃自体はわりとどうでもいいんです。寧ろ、死刑を欲する人間の心が問題だと思ってます。でないと、制度だけを取っ払っても、では現行犯なら法廷に引っ張り出す前に緊急避難的に始末してしまえば宜しい、なんて風潮になりかねないというか、人間の残忍さがただ別の出口を探すだけで終わってしまうんじゃないかと思うんですよ。これは被害者遺族の救済とは、全く次元の異なる問題だと私は考えております。個々人がいかに、己の残忍さと誠実に向き合うかという問題。

戦争の話から脱線させてしまい、スミマセン。


戦争は感情だけでは機能しないので
全てではないですが戦争の目的は資源確保が優先なので、人殺しは手段であっても目的ではないと思います。一部は該当者はいるとは思いますが、戦争の影響で無感情になるわけではないはず。制圧するのが本来の目的ですので、戦争の中で狂うとか穢れとか楽しむとかの表現はどうも違うと感じます。(一部はいるとは思うが、皆狂ったら目的が達成不可能なので)
それと戦争の影響でレイプした兵士は戦争被害者とかいう発言された方がいますが、仮にいたとしても当人の行動した意志ですので、戦争被害者なわけがないですね。まあ一般人紛れて無関係な人を盾にする戦法を仕掛ける国相手ですから、狂乱するやもしれません。
個人的には平和な社会の裏にこそ、狂うとか穢れとかが蔓延しているのでは?と感じます。


特定の状況に置かれれば...
>sidewinderさま

>特定の状況に置かれれば意外に平然と人を殺してしまうかも

そうでしょうとも。私だって、同じです。

アフリカの猛獣狩りというわけではないですが、私も少しですが狩り”をします。犬に鹿や猪なんか追わせたりして。楽しいですよ。興奮します。なんともいえない高揚感があります。
けれど、最初は恐怖心がありました。止めを刺すときにはやってもいいのかな?”という疑問が湧き上がりましたし、獲物を肉にする作業のときは辛かった。血やまだ暖かい肉の匂いにむせ返りそうでした。
けれど、そんなことは慣れていきます。慣れるとあとに残るのは興奮です。これを追い求めて狩りに出るようになる。

狩猟は一般的でなくても、魚釣り程度なら多くの人が楽しむ。特に今はスポーツフィッシングなどと称して、食べもしないブラックバスなどを引っ掛けて楽しむという所業が人気を得ていたりします。

人間なんて、そんなもんです。動物であろうが人であろうが、自分と関係ないと思っているものは平然と殺せるようになる。逆に自分と関係あると思っているものは、例えトカゲ一匹でも殺された大騒ぎする。そういう手前勝手なものです。

繰り返しますが、人間なんてそんなものです。そんなものですが、だからといってそれでいいのでしょうか?

もし本当にそれでいいというのなら、今頃国家という存在などないでしょう。野蛮で原始的なヒトという種は、多少の道具は手にしたとしても、草原のオオカミか森のサルの群れと同じように狩猟採集で暮らしていけばよかった。
でも人間はそういう方向を選択しませんでした。大きな集団で社会を営む方向を選択した。その方向に歩み始めて発展し、今現在まだ発展途上です。

私は「穢れ」なんて言葉を使いました。もちろんこれは方便です。しかし必要があるから生み出された方便でもあります。社会生活を営むのに、ヒトという種がもつ野蛮な性向は制御する必要があった。だからそうした性向とそうした性向がもたらす状況を「穢れ」とした。

人間と人間社会が生存していくのに、「穢れ」をまったく忌避していくのは不可能です。ですが人間には放っておくと不必要に「穢れ」を増大させる傾向がある。「穢れ」の増大は不幸の増大に結びついていく。だから。「穢れ」をなるべく最小限に抑えるような社会を、というわけです。


>愚樵さま
>誰かを殺すことは楽しいですか?

一旦戦争という枠を外して書きますが、例えば今は厳しく禁じられているらしいアフリカ大陸での猛獣狩り。これなどは娯楽目的の殺し以外の何物でもないです。対象は人間ではないけれど、高度な知能と反撃する力を持った動物をジープで追いまわして射殺し、それをレジャーだのスポーツだのと称していた。無抵抗なミミズを殺すのはつまらないが、ライオンは殺しがいがある…。人間にはそういう残忍な面があることは確かです。で、対象を動物から人間へと移すには、ちょっとした条件が揃うだけで十分なのではないかという気がします。

私は殺生が嫌いな緩いヴィーガンなのですが、それでも特定の状況に置かれれば意外に平然と人を殺してしまうかも知れません。穢れているのは対象の方だと思い込めるだけの条件が揃えば…。


「穢れ」の少ない社会を
>誰かを殺すことを完全に否定してしまうのは、生きることの否定と同じだと思います

この意見に私は同意です。同意ですけれど反発を覚えます。

誰かを殺すことは楽しいですか? 確かに楽しいという人も世の中にはいるでしょう。では、そういう人はマトモだと思いますか? そういう人と親密にお付き合いしたと思いますか? 誰かを殺すことが生きていく上で不可欠なものであるなら、楽しみながら殺せる人は頼もしい人のはずです。
多くの人を殺した“英雄”は確かに頼もしい存在なのかもしれません。けれど、その“英雄”が自分の趣味で殺しを楽しんでいたとしたら? それでもまだ“英雄”を無条件に頼もしいと思いますか?

誰かを殺すということは、人の心に大きな負債を背負わせるのです。その心の負債を私は「穢れ」と呼んでいます。生きて行くことは「穢れ」にまみれていくことですけれど、それにしても「穢れ」は少なければ少ないほど良い。「穢れ」ることが少ない社会ほど幸福な社会だと私は思います。

戦争状態になると殺しに無感動になる。そうでしょうとも。戦争というとても穢れた状況に置かれ、人の心が穢れにまみれるからこそ、そうなってしまいます。また、大きな不幸に遭うと人の心は穢されてしまいます。かけがえのない人(ある人にとって「かけがえのない人」とは、その人の穢れを浄化させてくれる人)を奪われた人などがその典型です。
正常な(清浄な)状態で無感動でいられるはずがない。人間はそういうものだと思います。穢れにまみれない無垢な人間を純情といい、純情人間に無感動な殺しなどできっこない。人間の本質は純情人間なんです。

穢れを完全になくすことは出来ないにしても、穢れの少ない社会の建設を目指しましょう。それにはまず、平和です。戦争こそ最大の穢れなのですから。


>そういう時代だった
sidewinderさん、それは戦争だったから、なのではないですか。
戦場では、今にも死ぬかもしれないから何をしてもいいんだ、という気持ちになるらしいです。
「死ぬかもしれない」という気持ちの意識の麻薬に羞恥心と平衡感覚を溶かされ、暴走して狂気に走る。
戦争は究極のストレスですね。
人間の心は弱いですよ。


南京大虐殺も従軍慰安婦も悪いのは上層部で実際に虐殺・レイプした兵士はある意味では被害者ですよね。被害者と見られないので同情されず、加害者と見られて声高に非難される。凄く気の毒な立場で、もし自分がそういう立場に置かれたら自殺するかもしれない。


practice makes perfect
>虐殺、殺戮・・・その渦中にいた加害者は帰ってきても何も語れない。

私がかつて勤務していた会社の同僚は、祖父が中国大陸に出征しており、孫に自分たちが普通に捕虜などを殺害していた話を聞かせていたそうです。
祖父が彼に語った言葉は「そういう時代だったし、誰もおかしいと思わなかったからね」。
それが、殺した人の言葉です。

私は人間が発揮するある種の残忍さに無感動なので「あ、そう」と答えるのみでしたが、人はそこがどんな地獄であっても「住めば都」にしてしまうのかもな……と思いましたよ。


ナナシ
今の日本には、自分自身の平穏な人生はどうあがいても絶対に叶わない、だからせめて自分以外の誰かが痛い目に遭って欲しい。より沢山の人々がより酷く苦しんで死んでいけばいい、ただ死ぬだけでなく尊厳を踏みにじられて笑い者にされ、欲しい取るに足らない者として無視されて欲しい……そう考える人が幾らでもいると思います。
それほど追い詰められているのです。
殺人があまり起こらないのは精神的な問題というより、単に武器が足りないからだと思います。
現在の日本において、平和や反戦を訴える声はもはや勝ち組の奢りとして反発を呼ぶだけだと思います。


正当防衛
誰かを殺すことを完全に否定してしまうのは、生きることの否定と同じだと思います。

人間は自分以外の生命を食べるということで奪うことでしか生きていけないのです。たとえその相手が人間だったとしても、自分が生き延びるために殺さなくてはならないのならば殺すべきです。

人間は社会的生物ですから、人間どうしの生存競争は即ち戦争です。
たとえどれだけ文明が発達して人間どうしが話し合いを持つようになったとしても、環境が有限である以上、いずれは殺しあって自分の生存を確保しなくてはならないのは明白です。

それを拒否し、忌避するのは、生きるという行為そのものから眼を背けることだと思います。



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さて、お約束の(?)鳩山式ベルトコンベアについてである。これをまたもや【穢れ】でもって括って話をしてみたい。
ソウルにあるシネカノン直営映画館、CQNミョンドン(明洞)で、毎週金曜日に「今村昌平監督回顧展」をやっています。私は今村作品と言えば『楢山節考(1983年)』と『黒い雨 (1989年)』くらいしか観たことなかったのですが、これを機会に昔の作品も観てみようと思います。
「無期懲役といっても刑期が決まっていないだけで、7年もすれば出てくる。日本は終身刑もなく犯罪者に著しく甘い」といった発言に対し、「たしかに、無期懲役は終身刑ではないが、無期懲役の平均は21年6ヶ月だ」などと言って反論している人をときどき見かけますが、こういう
戦争というものは、始まってしまえばどちらがどれだけ正しくとも本当の意味での勝ち負けは存在しない。そして、殺人という重い行為は肉体よりも心を破壊する。殺された人間、殺した人間、そして、それらから愛を受けていた沢山の人間の心を破壊する。心を破壊されると人は理
自分ってどちらかと言えば必要悪としての死刑を合理と考えているし、死刑存置論者なんで殊勝にも理論武装してみようと思う。どーせ、自分って冷たい男だしい、話がややこしくなるので加害者の人権、被害者遺族の気持ちなんつー
 既に御存知の方が多いと思うが、来年5月に日本で「9条世界会議」が開催される。これは「武力によらない平和の実現」という日本国憲法9条の精神を世界に広げ、全世界的な常識にするための運動である。呼びかけ人は、井上ひさし氏・加藤登紀子氏・佐高信・高遠菜穂子氏・
(人気blogランキング参加中)ビルマで、軍政による民衆への弾圧の懸念があり、僧侶らの抗議デモに警告が出ていると新聞が告げています。kimera25さんが取り上げ、駐日大使館や本国の諸機関、マスメディアへの緊急行動を呼び
先ほど(日本時間2007年9月27日14時26分)、アムネスティ・インターナショナルから、ビルマ情勢に対する緊急声明が配信されて参りましたので、お知らせいたします。------------------------------------------------資
伊吹文部科学大臣はひどかった。畑違いの元大蔵官僚だったせいか,上司である首相が血迷っていたせいか,そもそも教育について全く無知だったせいか,理由はいろいろあるだ...
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昨日、流血・僧侶幾名銃殺の事態に憤りを覚え、はがきを封書にして抗議文を郵送した。〒140‐0001 品川区北品川4丁目8‐26ミャンマー在日大使館 在日大使殿(03)ー3441-9291そして昼の休憩時にネットを観てびっくり!ふざけろ~!おまえら地獄に堕ちろ!何を
たったいま(2007年9月27日午後2時30分)、アムネスティ・インターナショナルより、ビルマ民主化運動の情勢緊迫化についての行動要請が参りました。※国際事務局(ロンドン)発 : 2007年9月26日※日本支部(東京・大阪)発
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お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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