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移植はドナーがいて初めて成り立つものである

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・ごめんね。KYさん。
意図しない、あなたの文章のみへの反論になっちゃいましたね・・お玉の責任です。キンピーさんと同じで、両極を見るのにいいコメントだとお玉も感じたんだけれど・・・・そうはなれないのだね・・ごんさんにもごめん。

愚樵さん
臓器提供推進者のほうが反対派よりも「理性的」とはお玉には思えません。もっといえば・・頭のいい方ばかりが臓器提供賛成派ということもないと思います。


きのう、お友達に教えてもらった(Bさんありがと)、柳田邦男さんの考え方がお玉にはしっくりきているのだけれど・・・・

高知新聞(6月19日)より

柳田邦男さんの評論

(前半省略)

現行法が施行されて間もなく、厚生省(現厚生労働省)の大臣懇談会として、脳死検証会議(座長・藤原研司横浜労災病院院長)が設置され、私も息子の脳死を経験した者として、また設置提言者として、委員の一人になった。脳死と臓器提供の一例一例について、医学的・法的に問題なく行われたかどうかを、細部にわたって検証するのが任務だ。
 検証会議は、これまでに脳死下での臓器提供が行われた81例のうち、51例の検証を終えている。また、それらドナー家族のうち、年月のたった25家族に連絡し、同意を得られた9家族について、精神科医と臨床心理士で構成した心情把握班が面接調査をした。初めて愛する家族の臓器提供という重い決断をした時の心理状態や、その後の心や人生に及ぼした影響について、実態を把握するのが狙いだった
 これらの検証作業の結果、医学的・法的な面では、脳死判定の細部で手違いがあった例が若干見られたものの、脳死判定の結果に影響を及ぼすようなトラブルは生じていないことがわかった。
 また、脳死判定の手続きは一見煩瑣であっても、死者にメスを入れて臓器を取り出すという重大な行為を伴う以上、現行のような慎重さは、まだしばらくは続けるのが妥当と、検証会議の多くの委員は考えている。


 重要なのは、ドナー家族の心情だ。その主要な問題点を記すと、
 1.多くの家族は、大事な肉親の突然の死に直面しての強い悲嘆反応と本人の臓器提供意思を生かしてやりたいという思いの交差する葛藤と苦悩に陥る。
 2.脳死を受け入れられないまま同意する家族と自然死と同じだという家族の両方がある。
 3.同意の決断を迫られた時の迷い・苦悩をサポートしてくれる専門家の不在。
 4.臓器提供を誇りに思い生きる支えにしている家族がいる一方で、「思い出したくもない」「連絡もしてくれるな」という家族や「あれでよかったのか」と悩み続けている家族もいる。
 
 今回の国会審議では、検証会議の委員は誰一人として意見を求められなかったし、このような現実をめぐる議論も行われなかった。いったい検証会議のこの10年間の議論は何だったのか。私は、移植を待つ人々の切なる思いは理解しているつもりだ。だが、移植医療はドナーがいて初めて成立するものである。
 私としては、現状の諸条件を考慮して、D案がぎりぎりの妥協点だと思うが、なぜ衆議院のA案の支持者たちは、ドナー家族が抱え込む現実を黙殺してまで法を変えようとするのか。納得できる説明がほしい。参議院での理性ある審議を期待したい。

お玉は臓器移植法に賛成だけれど、ここで焦って国会決議するのはおかしいと思ってる。

一番問題なのは国会議員は私たちほど真剣に考えているいる人がほとんどいないのだはないか?と疑われることだと思います。

「移植はドナーがいて初めて成り立つものである。」柳田邦夫さんのおっしゃる通り、ここが一番大事なことだとおもうし、だからこそ大事に議論しないといけないのよね。

昨日のお玉の記事のように、伝えたいことが全く伝わらない、人を不愉快にさせてしまう…のでは、決して前には進まない・・ ・・

あえて昨日と同じことをもう一度書きます。

何が一番大事なのか?
命を助けることと同時に、助けたい、助けてあげようと思える人を増やすことだとお玉は思う。逆に減らしてしまうような議論なら、する必要はないし、「すべきじゃない」

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(非公開コメント受付中)

>ひげおやじ 様

ビデオクリップ興味深く拝見させていただきました。
話が脳死からそれますが、“堕胎”の話となると日本の方が欧米人(特に米国)から倫理的にけしからん、てことになりますね。

米国で10代で婚外妊娠・出産、その結果ハイスクール・ドロップアウトになる若い女の子は元々貧困・家庭崩壊層のことが多いです。妊娠中にドラッグをしていたため、生まれた子供は重度脳障害、話すことはおろか一生歩くこともできないようなケースがあります。こういう母子はどう頑張っても貧困と犯罪の巣から這い上がることはできないような気がします。

日本のような中絶天国のほうが、まだ判断力のない若年女性の過ちを許容し、その女性がセコンド・チャンスで普通に結婚して子供を産んで、普通の家庭で普通の子供と一生を送ることが多いと思うんですよ。これなんかキリスト教の生命倫理観(特にカソリック)からは認められないんでしょうが、ある意味で人道的には正しいように思うんです。


ごめんなさい
本日の参議院、厚生労働委員会での参考人質疑で、米本昌平さんという方が、欧米の脳死が定着するいきさつや現状を述べられています。

http://www.webtv.sangiin.go.jp/generator/meta_generator_wmv.php?sin=3363&on=1246957946&si=16fd55635181dc18db816b77de69bbc31&ch=y&mode=LIBRARY&un=2b5c00d764669ce291e4009453cff5c0&pars=0.24487036851572064

44分25秒ぐらいからが米本さんの発言です。なかなか興味深いです。


>お金に執着しないで、人を助けたいと思う人ほど儲かるんです。人気があるから。

上記へのコメントは、矛盾存しています。
技術的な事は、判りませんが
臓器移植が難しく、大変なのは
なんとなくそれは、判りますが

医療の現場では、寝る時間も休む時間もほとんど無い、お医者さんが沢山います、
でもそういったお医者さん全てが、儲かってはいません、
儲かっているのはごく一部だと思いますが?

むしろ、難しい=隠れ蓑が=楽
儲かるになっていなければよいのですが?
そうでない事を祈りますね・・・


全てのお医者さんが金に執着している
とは、思いませんが・・・
山本病院の件もありますしね~

私の言う弱者のに裏にいる強者とは
移植を待つ患者の環境がある意味
強者になる場合も在るのかも?

弱者の裏の強者は
過去にも沢山事例が在るのでは?
薬害エイズ問題とかね~その他
数えたらきりが無い

平気で臓器売買が存在する
この世の中で、
脳死患者・・意見をの述べる事すら出来ない、弱者を対象とするのですから
解決しなければいけない事が山ほど
在るのではないのでは
ないでしょうか?



ぼちぼち
終わりにしましょう。お玉さん、長文を何回もごめんなさいね。

通りすがり-0様
> 日本の一般社会では”脳死“そのものに対するコンセンサスがないということですね

A案提出者が、法制局があっても無くても運用上はなんら変わることが無いと明言している、「現行法にある、対象脳死体の定義」の文言の削除にあそこまでこだわるのは、意思無表示の脳死体から臓器摘出を行うときに、前提条件が整わないからだと思います。つまり、脳死は人の死であるという理念を、法文として表しておかないと、コンセンサスが未熟であるため危うくなるためだと思っています。

現行法では本人意思が必須です。この場合は本人が「脳死は人の死」と認めていればOKなわけです。たとえ少数派でもかまいません。しかし、本人意思が不明な人を「脳死は人の死」として取り扱う以上、社会的コンセンサスが得られなければなりません。その部分が不十分だから、法文としてできるだけ明らかにしようということだと思います。

また、アンケートで60~80%の賛同があるといいますが、「脳死は人の死だと思いますか?」みたいな一般的な設問は意味を成しません。「あなたは自分が脳死状態になったとき、死亡とされてもいいですか?」「あなたは自分の家族が脳死状態になったとき、死亡したと認めてすべての治療行為をやめることができますか?」でなければ得られた回答に意味はないでしょう。このような設問の仕方は、アンケートを実施した側も社会的コンセンサスが成熟していないと自覚していることを白状するものだとさえ思っています。

前に少し書きましたが、脳死は人の死という定義を行うことは、人の人格や人権のよって来るところはその脳の活動による、と規定することを意味します。すると、脳に障害を持つ人が差別されたり人権を全うできない事態が生じないか不安がよぎります。

アメリカの事情については、脳内イメージだけで書きましたので、これ以上議論を深めることは私にはできそうもありません。ご容赦ください。


>ひげおやじ 様

そうすると、日本の一般社会では”脳死“そのものに対するコンセンサスがないということですね。法的に認められても(1997年?)成人の脳死からの臓器摘出は81例は、その反映なんでしょうね。

延命の打ち切りについて、アメリカでは医療費が高いと言うことも一つの要因ですが、脳死以前に、脳卒中等で、植物状態、重度障害が予測される場合でも、呼吸器をはずして臨終を迎える選択をする人の方が大多数です。延命よりクウォリティー・ライフの重視ですね。あるいはこれも経済的な理由によるのかもしれません。重度障害者が必要な高度ナーシング・ケアは医療費と認められないので、重度障害のケアを賄えるだけの経済力のある人はあまりいないということかもしれません(小児は別枠)。しかし、重度障害になって知性が極端に低下し、しもの始末からすべて人任せになって生きるのはゴメンだという、自立・自由志向の文化背景も大きな理由だと思います。身体的苦痛を極端に嫌い、例えばすべての入院患者は、心肺蘇生処置を受けたいかの有無を入院時に明確にすることになっており、間違って蘇生処置を施された場合、患者に余計な苦痛を加えたとして、そのことの方が訴訟の対象になります。

脳死を人の死と捉えるコンセンサスは、一般に成立していると思います。法律も支持しています。これは脳死に反対する人がいないということではありません。反対派は医学会の中にもあります。

脳死の本人同意が高いのは運転免許のを取得・更新時などに意思表示できる機会があり、一般への啓蒙活動が行き渡っているということでしょうか。個人主義なので、実際に事に臨んだとき、家族が成人した本人の意志に異議を唱えることはほとんどないと思います。
それと、やはりキリスト教が文化のベースなので、残された家族は「臓器提供者は神の御心にかなう行いを臨終の時にまで全うした」となり、日本の残された家族が経験するような葛藤はあまりないんだと思います。また病院には神父や牧師のような人がおり(コンパニオンアニマルとしての犬にもよく遭遇する)、医学を超えたレベルでの精神的なサポートも受けられるようになっています。臓器推進派は法改正を要求する前に、こうした地道な啓蒙活動をしてコンセンサスを得る努力をすべきだったのかもしれないですね。


pooさん

>生きる弱者の裏に、お金に執着した
>強者がいて、強者の欲の為に
>弱者の生死を、まるで為替の取引の
>様な感覚で利用されているとしか
>見えませんが?

臓器移植の難しさやリスクを知れば、カネや欲のためだなんて、そんな動機でできるようなものじゃないですよ。

不祥事が発端で沸き起こった「手術をビデオで撮影」の意見については、こうした難しい医療に取り組む人ほど「大賛成、是非やるべきだ」という主張をします。
話は少しずれますが、医療に熱心な医者ほど、薬も出したがりません。私なんぞは頼み込んでやっとくれたのが「ビタミン剤」ですよ。(それも市販でもあるヤツ)

お金に執着しないで、人を助けたいと思う人ほど儲かるんです。人気があるから。


しかし、あまりに薬を出されないと、逆に不安になっちまうな・・・。


日本でも
通りすがり-0様
システムとしてはそう変わらないものになると思いますよ。問題は、そのときドナー(家族を含めて)が一時的に所属している「病院」という社会が、脳死は人の死であると規定している社会である、ということです。
A案が通ったとしても、ドナー家族に対して「助かる命を見捨てるのか?」と問い詰めることが是とされるということにはならないでしょう。しかし、執拗な説得があるかもしれません。ドナー家族から見た「執拗な説得」は、移植をしたい側からすれば「丁寧な説明」という意識しかないかもしれないのです。言葉にさえならないかもしれません。ちょっとした態度の変化や表情の変化など。また、ドナー側は被害妄想に近いほど過敏になっている可能性が高いと思います。

アメリカの場合は、医療費が高いですから脳死状態での治療継続を、望んでもできない場合が多いのではないでしょうか。だからそういう社会的なコンセンサスが得やすかったのではないかと思います(何らかのデータを持っているわけではありません。想像です)。

現在行われている臓器移植は三兆候死以後の移植ですから、今の国民のコンセンサスに抵触しないということです。必要に迫られて認めた、誰も異議を申し立てない、という状態だと思います。議論をされて積極的に認められた(医学界の外、立法・司法の場で)ことは無いように思います。法制局の解釈ぐらいは出ているかもしれませんが。悪く言えば「既成事実→なしくずし」なのではないでしょうか。


現段階では、反対ですね・・・
弱者に死を与えて、同じ弱者に生を
与える?単純にそうでしょうか?
生きる弱者の裏に、お金に執着した
強者がいて、強者の欲の為に
弱者の生死を、まるで為替の取引の
様な感覚で利用されているとしか
見えませんが?

>何が一番大事なのか?
命を助けることと同時に、助けたい、助けてあげようと思える人を増やすことだとお玉は思う。

上手く言えませんが
私もそう感じます。

命の尊さを、どう感じてどう思っているのでしょうか?
政治家の方が心の底から
弱者救済を思い、願っての法案なら、議論余地も在るのかも知れません。


>ひげおやじ 様

ご返答をありがとうございます。ドナーへの圧力について、なぜなのか不思議に思っていたんですが、今日やっと腑に落ちました。こういう同調圧力って、おそらく日本独特の文化・慣習なんでしょうね。在日、同和、女性差別などにみられる逆差別現象と似たようなことが起きることへの懸念ですね。

ちなみにアメリカでは、患者の担当医師と移植チームとは直接関係はありません。これは移植遂行側からの圧力がかからないようにとの配慮からです。脳死判定するのも普通は担当医ではありません。
担当医は患者の治療をするのが仕事で、常に自分のケアする患者の利益が第一の立場です。患者側も自己決定権があるので、医者の薦めには全て従わなければならないと言う考えはありません。脳死が断定されたら、担当医は脳死を家族に告げなければなりませんが、担当医は移植チームと関係ないので、臓器移植への圧力をかけることはありません。

また臓器提供は患者と家族の価値観に従って、あくまで患者側が決めることであり、そのことについて担当医が『薦める』類の事柄でもありません。担当医師は臓器提供というオプションがあることを患者側に告げるにすぎません。そうすることが医療活動のスタンダードとなっているので問う、というスタンスです。

臓器提供の同意がなされた時点で、初めて、移植コーディネーターが患者と家族に接触します。従ってコーディネーターがドナーに圧力をかけるということもありません。

臓器移植は米国政府が管理統括し、移植手術施設はセンター化されているので、各病院が利潤を求めて競争して移植患者の手術件数を伸ばすということはないんじゃないでしょうか。

日本でも現在合法となっている成人の臓器提供では同じかと思っていたのですが、違うんでしょうか?


圧力
通りすがり-0様

直接的な圧力をかけるのは医師とコーディネーターです。確か昨日(7/2)の参議院の参考人質疑中だったと思うのですが、医師の方が「生物学的には脳死は死であって、それは医師の世界ではほぼコンセンサスが確立されています」と発言しています。つまり、脳死体がありレシピエントがいる状態では、医師の立場からすれば移植することが正しい行動なのです。ドナー家族が接するのは「どちらでもいいですよ」というニュートラルな立場にいる人ではなくて、「移植することがあたりまえ」という立場に立つ人なのです。もちろん、法改正が行われたら翌日からすごいプレッシャーがかかるということはないでしょう。しかし、時間と共にそのプレッシャーは増大するでしょう。今まででさえ、「治る人の機会を奪うのか?」といったニュアンスの言葉を聞かされたドナー家族がいたということですから(噂、の範囲ですが)。
高次医療に対する報酬の問題もあります。心臓外科でも年間施術数によって支払われる単価が変わります。今どうなっているかはわかりませんが、たとえば、心臓移植が年間5例を超えると報酬単価が上がる、4例をこなした病院に今5例目のチャンスが来た、こんなときはどうでしょう。医師が冷静に「いやならいいんですよ」という対応ができるでしょうか?
もうひとつ、世間というプレッシャーがあります。治癒例が積み重ねられれば積み重ねられるほど、断ったドナー家族が「提供してあげれば治る人がいたのに・・・」という目で見られることになります。
杞憂ですむとは思えません。

今議論されているのは死の定義の問題だと書きました。たとえば、「生命維持に欠かせない器官の欠損」を死とした場合、移植の手術室に並んだドナーとレシピエントの二人の体は二つの死体ということになります。違いは欠損した器官が脳か心臓かということであり、心臓の場合のみ現在の医療技術で取り替えることができるという現実です。

表面からは見えないですが、「人権のよって来るところはその人間の脳にある」ということとすることでもあります。
どうも医療技術が踏み込んではいけない領域にまで足を踏み込みつつあるような気がします。では、移植治療はいけないのかというとそうも言い切れない自分がいます。


>ひげおやじさん

安心して下さい。年間何千例という死体移植のあるアメリカと10数年でわずか80何例という日本では、小児脳死移植が合法になっても、ちっとも進まないだろうことは、火を見るより明らかだと思うんですが。

圧力云々の話は、私はどうしても理解できないんですが。家族か自分の生き死にが掛かった深刻な場面で、なぜ他人(医療側)のいうことや、顔の見えないレシピエントから圧力を感じるのか?
脳死なんて、「私は信じてないので判定もしないでくれ」と、医者から持ちかけられたときに伝えさえすれば、そこでその話は終わりですよ。
そこで医者が手を抜くとかなんとか心配しなくても良いです。どっちにしても助かりません。脳死になったら医学的にはもう死んでるんですから。
脳死判定とは、死亡確認の手続きです。


連投陳謝
すいません、書き忘れを一言。

テレビで見たような気がするのですが、臓器提供者の家族も提供された側も、心無い非難にさらされることが少なくないようです。とにかく投票率を上げないと、善意が寄り集まってすばらしい結果が得られたのに、全員が不幸になるという羽目に陥りかねない状態で強行するのはやはり認めがたいですね。


割り込んで申し訳ないですが
まず、「脳死」という概念はいつからあるのでしょうか?まだ延命装置のなかった頃にこの概念があったとは思えません。人工呼吸器などが一般化して、現在の「脳死」と呼ばれる状態の人が出現しだしました。
更なる医学の進歩で、臓器の移植が可能になります。心臓移植が可能になると、当然移植する心臓が必要になります。しかし心停止が「死」の条件ならば「生きた臓器」が手に入らない。
話は変わりますが、「死」はデジタルなものではありません。いわゆる健康体の状態から、生命維持装置のどこかに不具合が生じて生命維持が不可能になり、やがてはすべての構成細胞が死んで、完全な死を迎えます。死を定義するということは、その過程の途中でどこかに生死の線引きをすることです。「脳死」を死とするということは、その線引きを変えましょうということです。
さて、どこかの頭のいい人が考えました。どうしたら「生きた臓器」が手に入るか?そこで目をつけたのが、昔はありえなかった「脳死」状態の人です。もちろんその時点では「脳死」という概念はありませんから、その人は「生きている人」なんですが。ほとんど死んでいる人だから(しかしまだ完全に死んでいない--その当時の定義からすれば)殺してもいいことにしよう。しかし、そう言ったのでは身も蓋もなくて受け入れてもらえないから、「脳死」という名前をつけよう。(決して非難しているわけではありません)
上記は、調べたわけではなく私の脳内のイメージにしか過ぎません。が、大きく外れていることも無いように思います。
自分なりの答えもまだ出せてはいないのですが、今の状況で採決をして法律として決めようというのは反対です。「議論が不足している」論を無責任な先送りと非難する人もいるようですが、私はそうは思いません。20%の投票率で多数決で決めるのはやめようということです。投票率をもっと上げなければならないということです。
A案支持者には提供臓器を増やさなければいけないという焦りがあるように思います。現状を見ればそれも仕方がないなあという気もします。が、私は本人意思は欠かせないと思っています。現在は本人意思の事前表明と家族の同意が必要です。ここから本人意思をはずして家族の同意だけで・・・というのがA案ですが、それなら家族の同意をはずすほうが筋ではないでしょうか。
まず、自分なら生命維持装置をはずしてもらいたいが、家族ならできない、という意見が多くあります。次に、遺族に「本人意思」という逃げ道があります。家族の決定だけの場合、選択の結果に後悔が生じたときの気持ちの逃げ場はありません。また、どちらを選択しても後悔することがあるようにも思います。
さらに、家族にすごいプレッシャーがかかることは火を見るより明らかだと思います。河野太郎氏は「拒否すればいいのだ、強制はされない」といいますが、それで収まるとはとても思えません。また、提供を求める医師を悪いとも思えません。(もちろん程度問題ということはあります)
現時点では、健康保険証や免許証などで意思表示できるようにする、大きな議論を起こして国民の関心を呼ぶようにして投票率を挙げる活動をする、どうしても即効的な効果を求めるなら家族の同意を省く、このあたりが妥当で限度だと思うのですが。
ところで、家族のない人の扱いは誰が決めるのでしょうか?やはり本人意思が欠かせませよね。


D案がぎりぎりの妥協点
柳田さんの論説は私も読みました。「D案がぎりぎりの妥協点」だというのには、私も同感です。もし衆院を通過したのがA案なら、私は「強欲」なんて表現はしなかったでしょう。
(ホンネをいうとC案、もっと言うと臓器移植禁止ですが、そこまでいくと、これまた強要になりますから)

けれどA案は、どうも「強欲」のにおいがする。臓器移植を待ち望む人には、可能性を少しでも広げるという意味でA案が好ましいというのはわかります。しかし、A案提案者たちが本当にある種の「目的」(←カッコ付き)を持っていたなかったのか、疑わしい。

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090629-02-0901.html

A案提案者が採決前にビラを配ったということは報道されていますが、上記リンクによると、彼らがライバル視したのはD案だったのだそう。C案だというのならわかるのですが、患者団体が反対だということまで持ち出してD案に反対というのは、「脳死を人の死」とすることが「目的」だったのでは、と疑いを捨てきれないのです。


「議論を尽くしていない」という声を、よく耳にするが、そもそもこの問題は、どんな理論を使おうとも、どんなに時間をかけようとも、結局は「両立しえない、2人の生と死」ということに変化が生じるわけじゃない。

強行採決や拙速にすぎる採決という批判もあるが、麻生首相はD案支持でA案には反対票を投じたのである。つまり、「議論を尽くす」こと自体が無理な話であるという証拠なのであって、これは言い換えれば、国会で毎年必ず議事にならないといけない問題だ、ということになるのだろうか。

そのことは、お玉さんが引用した柳田邦男さんの評論に端的に表れている。
柳田さんの発言は、『検証をいくら続けても、おそらく結果は同じだろう』ということしか意味しない。
この「ことしか意味しない」というのは、「いったん法律ができても、毎年見直すことが必要だ」というこの上ない証拠なのであって、シンプルで頼りないコメントだからこそ、逆に物事の重大さが表れているいい例だろう。

A、B、C、D、E案、臓器移植そのものに反対といろいろな意見があるが、いずれにせよ、この問題については、常にジレンマと向き合って、自分自身の昨日の見解を全部変更することも辞さない気持ちで、自分の見解を述べるときは、ドナー側にも、移植を受ける側にも、実際に臓器移植を行う医療機関関係者に対しても、変なレッテルを貼ったり、あるいは非難するようなコメントを抜きにして、「悩める人」として述べてもらいたいと願う。
そうでなくても、彼らが最もジレンマに悩み、苦しむことになるんだからね。


そうか、なぜ噛み合わないのか
わかったような気がします。
お玉さんは、「脳死=人の死」説をとっていて、それが前提だからなのですね?。

>何が一番大事なのか?
命を助けることと同時に、助けたい、助けてあげようと思える人を増やすことだとお玉は思う。

この「助けたい」の中に、脳死と判定された人は含まれていないのですね?。

だから、あとはドナーの家族の感情の問題だけとなるのでしょうか。

反対派は「家族の感情」を考慮しろとだけ言っているのではないと思いますよ(もちろん、それも大事ですが)。

反対派はまず、「脳死=人の死」に疑問を持っているというのが根底にあると思います。
だから、「助けたい」の中に脳死と判定された人も含まれているのです。

そして、国が、「移植を望む人」がいるから「脳死=人の死」と決めてしまいそうなところに危機感を覚えているのではないでしょうか。
本来は、人の命の線引きを周囲の必要性から決めるべきではないはずですから。


10年で日本が50件でアメリカが2万5千件程
ずば抜けて脳死移植(心臓)の多いアメリカでは、医学(科学)的な理由で『脳死』を考えていいるのではなく、
実は経済効率の観点から判断されているらしいですよ。
全てが民間保険に委ねているアメリカでは患者の治療法方は個々の患者を直接診ている医者ではなく、費用を払う医療保険会社です。
アメリカは当たり前ですが資本主義の国で全ては利潤とか効率とかで判断されている。
そういえば日本も資本主の国で今回のA法案に賛成したのは自民党議員が殆んどだった。

脳死は昔から有ったものではなく人工呼吸器などの救命装置や集中治療室の完備、救急救命医療の技術の発展の産物です。
救命術は進歩したが、完全に治療出来るほどには進歩していない。
脳死者とは死者とも生者ともどちらにも分類できる、或いは両者どちらでもない、現代医学の進歩と限界の隙間の様な不思議な存在です。


生かし続けるには集中治療室のベットを独占し経費がかかるし手間もかかる。
しかも患者が治る見込みが無い(医者に治す技術が無い)
脳(体の一部)は破損していても、大部分(臓器)は正常に機能し立派に生きている。
日本なら死人ではなく生者に分類されて当然であるが、医学上の話ではなくの(民間の医療保険のアメリカでは)貴重な集中治療室のベッドを空けるなどの経済的理由で『死人』に(医療保険会社などの支払い側が)分類しなおしているのが現実らしい。
保険会社としては契約上『生きている』なら保険金を支払い続けなくてはならない。
死人なら治療費は自動的に打ち切られます。
医療保険の会社は経営的に大いに助かる。しかも廃物(産業廃棄物?)の『脳死患者』が『生きている臓器』として再利用できるので医療関係者も大いに助かる。

脳死患者にとっては『金の切れ間が命の切れ目』である。
家族としても、莫大な医療費を実費(保険なし)で払うわけにも行かない。
これではアメリカで年間数千件も脳死者殻の移植が出るはずです。
世界一の長寿を支える医療制度の日本が、遅れている劣悪なアメリカの制度の真似をするなどは正気の沙汰ではない



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*臓器移植法改正の問題についてはリンク先に現在、入れている以下で活発な議論をされているので、参照にして欲しい。 臓器移植法改正案についての意見交換ページ http://www5f.biglobe.ne.jp/~terutell/index.htm *僕個人の考えを整理のため、改めて書くと、僕は臓器
公明党衆議院議員という立場から来る慢心とおごりがよく表れているということでしょうか。  カマヤンさんところで知った丸谷佳織氏。   ...
09年7月1日  水曜日  憂楽嘲(ごまめの翁)ブログの目次 長らくお休みしております。 真相は、あまりにも長時間PCの前に座りっぱなしで、下半身にエコノミー症候群状態のむくみが出て主治医に一日3~4時間と宣告を受けました。映像ブログは時間を要しますので一服させ
本当に移植医療は患者を救うのか? と題して当部ブログに晴耕雨読の早雲さんから下記の趣旨の資料をいだたきました。 『移植の延命効果は限定的』 脳死者から臓器の呈供を受けて移植してもらった人は、かなり長く、巧く行けば健康な人と同等に長生きできる、と思い込
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Author:お玉おばさん
お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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基本的に愛が感じられないコメントはダメ、 (臨時追記)人が知恵熱だといってるのにばんばん記事違いなコメントをこれでもかと送ってくる愛のないものは、完璧にお玉基準的アウト。お玉基準がわからない人は、文句があればよそで愚痴いってOK !基準に対しての文句は受け付けません~~~ここはお玉のテリトリーだもん。なのでよろしく。/p>

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