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正しさをこえる優しさ

 正しいこと、正義だと思うことを伝えるとき、伝えたいと思うとき、強くなれる気がします。強さというのは「信念」につながるように思えて、お玉も「強さ」があるから5年もこんなブログを続けつつ、平和活動を続けていられたんだと思います。
 思い返せば初めのうちは「強さ」を求められるような場面の連続で、なんだか、バーチャルに反対派の人と「戦っている」気分で記事を書いてること多かった。
 でももともと、「戦うこと」がリアルな生活でも大嫌いなお玉は戦う気持ちで記事を書くことに疲れて、面白くなくなって・・・そうじゃなくて、正直に素朴に(この気持ちは初めから変わらないけど)、思っていることを素直に伝えることのほうがお玉にあっているって、そう思って、今も続けてる・・・時々暴れるけど~

 正しさをこえる優しさのようなものがあるとして、うまく説明できないのだけど、それは「弱さ」ではないと思えます。正しさというのはどんな場面であれ、振りかざす強さを伴うと、伝わらないことのほうが多い気がする・・・・・・・だから、できれば「優しさ」は「強さ」よりも大事にしたい・・・・・

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(非公開コメント受付中)

昔のアニメの主題歌から
みなさま
 今回のテーマは、短くまとめるのは難しいですねぇ。(テーマが深いからです。)
 かわりに、と言っちゃなんですが、昔のアニメの主題歌の詞です。

 (主人公・マルス)
 男は強くなくてはと 人はときどき言うけれど
 戦うために生きてゆく それでいいのだろうか
 悪いやつらを やっつける 
 それはだいじなことだけど
 いつかぼくにも本当の強さがわかる日がくるよ

 (お姉さん役)
 マルス マルス あなたはやさしい子
 マルス マルス それでいいのよ

 『ジェッターマルス』のエンディングテーマです。僕が物心ついたころにやっていました。(鉄腕アトムの弟分みたいな感じです。)えらく印象的なことばです。
 
 で、(ネット上でも対面してでも)わいわい話して
 「なるほどそうか」
 「君の言うことにも一理あるねえ」
 「そりゃなんとかしなくちゃいけないねえ」
ということになったら、その次には、みんなで協力してなんとかする、ということになるんだから、そうなったら、誰がそのことを言い出したか、というのは、二の次になります・・・よね?
(そのほか、論争に勝ったとか負けたとかも、二の次に。)

 なお、内田樹先生の『ためらいの倫理学』(角川文庫に入っています)の中の「戦争論の構造」「ためらいの倫理学」は今回のテーマとかなりかぶっていますよ(たぶん)。

              田渕 大樹(ぶっさん)
               5月31日(月)記す


ごぶさた。
余計なこと言わん方がよいかも知れんけど。

互いの正しさで対立してしまうのは人間の性質みたいですよね♪
強さとか優しさとか、言葉でいうといろいろありますけど、結局のところどうしたら一緒に生きていけるかってことのように思います。

自分の感じることを適度に抑えて、まわりと協調することを第一とする態度は従来の日本人の美点とも考えられてきました。優等生的、女性的、抑制的、まあなんでもいいんですけど、その態度が全体をうまくまとめる役割は評価すべきです。

近頃本当に思うんですけど、一知半解さんが引用してる聖書とかの言葉が諭すように、私たちがみな知らずのうちに傲慢な生き方をしていることを、やはり自覚すべきなのかも知れませんね。
誰しも自分を優先させることから逃れられはしないし、それは生き延びていく上で仕方のないことではあるにしても、果たして正しいと言い切っていいものだろうかと思います。

私たちはみな間違っている、それを互いに許しあうことができるかどうかで、共存の可能性が芽生えるのではないかと考えています。

そういう自分はどうかって?そりゃ、正しいんじゃないですか?笑 自分の間違いも他者の過ちも同じく認めようとしています。間違ったこともするけどそれが人間です。ああ、こんな自分で悲しいなあ!!


私は俗物なので…
一知半解さん以降…形而上過ぎて、殆ど意味不明…理解不能だ…泣き言です…ふーん、、、わからん…


やさしさ、大切ですよね。
やさしさに触れただけで、自分がきよめられたような気にもなります。

「我が窮状」の歌詞にもありましたが、今必要なのは「静かに通る言葉」なのだと思います。
その為に「やさしさ」はキーワードだと思います。
 


角野卓造じゃねーよ
橋田壽賀子の安保観は聞いたことがないのですが、「おんな太閤記」では、豊臣秀吉の正室でありながら、秀吉亡き後、世を平定する実力のある徳川家康に一定の理解を示すねねと、侍の妻として討ち死にしていく淀の方の対比が描かれていますね。

平成22年の世に民族自決を掲げて闘おうとする方々に対し、リバタリアンは、「権力以外から沸いて出たパターナリズム」と言い、保守主義者は、「我々が現に見聞きしている民族とは全く異質」と分析するでしょう。「ふるさと」って一億円で創出する性質のものだったの?みたいな違和感でしょうか。


己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せよ
人の求めるものは、つまるところ「自己肯定感」です。

満たされない肯定感を、赤ん坊なら泣くことで周囲に求めます。でも、大人となるとさすがにそうはいかない。それで戦うんですよ。自己肯定感を求めて。「正しさ」という武器を手に。

私は正しい。オマエは間違っている。ゆえに私は肯定される――大人は、そうやって自己肯定感の奪い合いをします。しばしば徒党を組んで。例えばサヨクという徒党。右翼という徒党。徒党の中では互いを肯定し合いつつ、敵を否定して更に自己肯定感を高める。

「正しさをこえる優しさ」は「弱さ」ではない、とお玉さんはいいます。然り。それは、相手を否定しなくても十分に強い自己肯定感を持っているということだから。逆に、「正しさ」にすがらなければならない人間は弱いんです。

(ニーチェの用語でいうと、「正しさ」に依存することは「ルサンチマン」。何者にも依存しない強さをもった人を「超人」という。)

人は誰でも肯定されたい。言い換えれば愛されたい。が、愛の奪い合いほど不毛なことはない。奪い合いはそもそも愛の原理から外れているんです。愛の原理は贈与なんです。贈与し合えば愛は増殖する。だから、イエスさんは“己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せよ”と言ったんです(ホントかな?)


革命詩人ハイネ
ワタスは安保否定プロ独樹立後改憲論者ですww。そんなワタスたちは時代の流れにこうするのではなくてぇ~、時代の流れに乗らねばなりません。改憲攻撃あっての改憲阻止、戦争あっての反戦平和ですからぁ~!

「革命詩人ハイネによれば、知恵の女神は、オリンポスの山で、男女の神々が裸で酒や食物を酔いくらって楽しんでいたとき、こうした喜びのさなかにあっても、よろいをまとい、かぶとをかぶり、槍を手から離さなかったそうである。ギリシャ神話の知恵の女神が身をもって示した知性の暴力性を、現代の革命的前衛が自己の組織的実践としてうけとめるかどうか―七〇年代における革命の時代の到来は、このようなものとして準備されているのである。」(本多延嘉著作選第二巻より)

民衆に優しくなければ正義じゃない。強くなければ正義は貫けない。余談ですがぁ、ペンギン村のスッパマンが正義たりえないのは民衆に優しくないから。水戸黄門が正義なのは民衆にやさしいから。と、おもふ。


お玉さん、お気づきですか?

『正しさをこえる優しさのようなものがあるとして、うまく説明できないのだけど、それは「弱さ」ではないと思えます。正しさというのはどんな場面であれ、振りかざす強さを伴うと、伝わらないことのほうが多い気がする・・・・・・・だから、できれば「優しさ」は「強さ」よりも大事にしたい・・・・・』

と言った時点で、お玉さんは、すでに「振りかざす強さを伴うと、伝わらないことのほうが多い『正しさ』」をふりかざしてしまっているのですよ。

答えが明確に見えないもの、どうしても矛盾が起こってしまうもの、こういうものは、知れば知るほど「断言」するのは難しくなる。一方に軸を置いても、完全に軸を置ききれない。

だからといって、事実に反する嘘は無責任を引き起こす。だから、客観的な証拠なり、具体的な事実なりを示す「責任」が起こる。それを踏まえた上で持説を考え直し、修正していって、徐々にでも「責任ある発言」を心がける。

でも、理想は理想として捨て切れるものではないし、事実を知れば知るほど持説との葛藤が生まれてきてしまう。

この繰り返しなんですよ、本当に考えている人たちというのは。

「優しさ」といっても、何をもって「優しさ」とするのか、ということによっては、態度はずいぶんと違ってきますよね?

世界平和に限らず、どのジャンルの世界であっても、持説に疑問を持ちつつ責任を持ち、覚悟を持つ「強さ」がなけければ、結局のところ、「優しさ」など他人に伝わらないんじゃないでしょうか?


平和活動家=戦闘的な人が多い。
また安保否定改憲論者(民族主義?)は戦闘的な人が多いのかもしれません。
裏返せば、現状追認派(自称リアリスト?)=安保肯定改憲論者(解釈改憲含)=穏健な人が多いということでしょうか。
そりゃ「然り然り」とやっているのですから、穏便には過ごせるでしょう。

平和活動家といわれる人々や安保否定改憲論者(民族主義?)が戦闘的になるのは流れに逆らわなければ守りたいものを守れないことを知っているからでしょう。
そういえばこういう人たちって公権力の監視対象だったりします(笑
私は國体の解体と言っていますが、優しくあって平和と民族の誇りを守ろうとするなら、公権力の変革は必要でしょうね。


「われわれの正しい行いは、ことごとく汚れた衣のようである。」イザヤ書第64章より
確かに自分が正しいと思い込むと、誰しも反対する意見に狭量になりがちですよね。

でも、そこで自分の「正義」を”絶対化”しちゃうと、反対派と「戦う」ことになる。
仮に戦わなくとも、反対派を「排除」することになる。

それが極限まで突き進むと、口では正義を唱えながら、唱える自分自身、ニーチェが言うような「怪物」になってしまう。

「怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである。」
フリードリヒ・ニーチェ


自らが信じる「正義」は、本当に正しいのか?
そしてそれが正しいとしても、そのまま実行することが果たして正しいのか?
ということを自問することこそ、「怪物」にならない第一歩かと。

具体的には、自分と異なる意見を許容する態度を取れるか否かでしょうね。
それが絶対化を防ぎ、ひとりよがりにならないコツでしょう。
果たしてそうした態度を取ることが出来ている護憲派ブログがどれだけあるでしょうかねぇ?

自らの「正義」が社会に受け入れられないことを憤慨している人は、怒るまえに、なぜ受け入れられないのか問い直してみたほうがいいと思う。

受け入れられないのは、社会が悪いからではなくて、自らの唱える正義に何かしら不都合があるからではないか、と自問する必要があるのではないかと、最近つくづく思います。

余談ですが、最近の鳩山政権のお粗末さを見るにつけ、マルクスの「地獄への道は、善意で敷き詰められている」という格言や、カエサルの「悪しき結果に終わった事の多くは、そもそもは良き動機から発していたのである」という格言を想起せずにはいられないこの頃です。


そうですよね。
お玉さん そうですよね。ですが、これは深い論題ですね。話し出すと長くなり、おまけにネット上では(照れくさくて、また自分一人の話ではないため)出せない話も話さないとなかなか真意が伝わらない。難しい!
 
 もう少し寝かせて熟成したら、あらためて投稿するかもしれません。
               田渕 大樹(ぶっさん)


反戦とは否定語なり
前にも書いたんだけど、平和運動家って戦闘的な人が多いよね。平和や幸福をどれだけ具体的にイメージできるか、では人後に落ちない自信が私にはあります。左翼からは平和運動を、右翼からは日の丸と君が代を、フツーの人間の手に取り戻していきます。



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Author:お玉おばさん
お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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でも、お玉が愛を感じたら記事違い、長文、連投、暴言でも表に出すことはある・・ようは、愛です・・愛!また、TBも同じような基準で判断させて頂きます

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