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国歌は自由に歌いたい、国旗は自由に掲げたい3
今日は簡単に。

伯爵さんはこんな風には考えていないとお玉は思っているんだよね。↓

>公立学校なんだから、国家権力の意に従わせようとするのは何も問題なし。

てな意見がまかり通るんだったら、やはりお玉はずっとずっと歌うのは嫌だと言い続けてしまうんだけど。
礼儀とか言いつつやっぱりこれが本音かい?って。


ほかにも沖縄での米軍の犯罪について、一番肝の部分(米軍人の加害者が罰せられない)を無視して犯罪率が多すぎると全く記事に関係ない部分にだけ反応してコメントしてくるのなどもそうだし、何のためにうちにコメントしにきてるんだ?


某所で某党の支持者と言いつつ、痛いコメントを続ける方がいて「公安」認定されちゃってましたけど、それと同じものを感じる。

君が代を歌う人の気持ちを上手に表現した、いいコメントと議論もあるのに、間にこういうのが入るとお玉、暑いから見境なく暴れてしまう~




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(非公開コメント受付中)

旬を過ぎてからの連投は
管理する側として、かなりしんどいので、お控えください。


道徳教育の一環なのだから。
 自発性の問題ですよ。「日の丸・君が代」を国土、国民の象徴と考える人は自由にすればいいし、侵略戦争と国民総動員体制の象徴と考える人も自由にすればいい。

 ほんと、これだけのことなのに、青筋立てて業務命令だ、と強制するのは独裁国家の中国、ソ連、北朝鮮と変わらないことに気づくべきなのに、気づかないのは、「日の丸・君が代」を崇拝させ、業務命令だといって従わせたいだけなのでしょうね。

 こんな勢力が平和を乱し、式典を混乱させているのにね。強制がなければ、猛烈な反論もないんですよ。

 すべての原因は、強制する勢力にあります。

 


十文字さん
 あなたが読ませたい相手は私じゃなくてお玉おばさんでしょう。

「リンクを閲覧されない伯爵さんの為に、そこで配られていてサイトに掲載されているビラからの一部抜粋です。」
 この一文は余計ですよ。照れ隠しですか?w

 人に伝えたければ、「リンク先を読め」ではなく、その中身を抜書き・要約するのは当たり前のことです。
 人から指摘されてなるほどと思ったことは、黙って取り入れればいいのです。こちらも感謝の言葉までは要求していませんから。


問題を整理してみましょう
 今回、お玉さまがご立腹された橋下知事の「会場では国旗が掲げられ、国民は意気揚々と国歌を歌っていた。うちでも子供たちに歌わせた。教育現場と国民の感覚はずれている。国旗、国歌は日本の象徴であり、しっかりと教えるべきだ」という発言の発端は、大阪府門真三中不起立事件であると思われます。
http://mid.parfe.jp/kannyo/oosakahu/H21-3-10%28base%29/top.htm

(以下抜粋です)
” 昨年3月の卒業式で大阪府門真市立第三中学校の男子生徒1人を除く卒業生159人と一部教員が国歌斉唱時に起立しなかった問題で、市教育委員会が斉唱開始と同時に着席した8人の教諭全員と校長を、文書訓告や口頭厳重注意の処分としていたことが4日、分かった。処分対象の行為は教員自身の不起立で、府教委は「調査の結果、生徒への着席指導は確認できなかった」としている。国歌斉唱時の不起立で教員が処分を受けたケースは大阪府内では初めて。
 府教委教職員人事課によると、処分は2月20日付。校長と50代の男性教諭1人を文書訓告、20~50代の男女7人の教諭を口頭厳重注意とした。教諭8人はいずれも卒業生の学年の担任と副担任だった。”

 次に、それに反発する『土井たか子が語る! 門真三中の川口先生も語る! 輝け憲法! 許すな「日の丸・君が代」強制!2・1大集会』のサイトです。
http://www.hige-toda.com/_mado12/2009/0201syuukai/index.htm

 リンクを閲覧されない伯爵さんの為に、そこで配られていてサイトに掲載されているビラからの一部抜粋です。

☆しかし、そんなの絶対間違っている! 
侵略と戦争に明け暮れた「大日本帝国」時代と同じ国歌を使い続ける事への反対や、憲法の3大原則(主権在民・基本的人権・平和主義)にも入っていない、国民の総意によっては廃止も可能な象徴天皇制の永続を「国歌」として願うことへの疑問から、君が代に反対する人がいるのは当然だ! 子どもや教員を「物事を考えずに権力者に従うロボット」にさせるな!
★だから、多くの先生達・市民達が良心に従って抵抗運動を続けているんです!

 そして、この問題の根本としてはこの下線部のところがミソだと考えられます。

 つまり「日の丸・君が代」論者の最終目標は、天皇制の解体にあるといえるでしょう。
 もちろん、象徴天皇制の解体論者は改憲論者になるはずですが、ビラを読む限り、彼らはきっと象徴天皇制の解体は民意に従うべきだが、憲法9条の改正に関しては改憲限界説を採用して、民意を排除すべきという主張をされるのでしょう。
 そういった手前勝手にも思える(もちろん右翼は天皇制こそに限界説を適用させろと主張するでしょう)理屈がどれだけ日本国民に通じるのか、定かではありませんが……。
  
 このような思想が根底にあり、衆目の前で表現活動をしているのですから、右翼が街宣車で飛んでくるのは火を見るより明らかです。
http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=4886;id=#4886

 
 さて、問題は実際に教育を受ける生徒や保護者の立場です。
 このような『天皇制解体論者VS天皇制死守論者』同士の争いを、卒業式会場内外で繰り広げるということは、はっきり言って迷惑この上ありません。
 左翼の先生方の活動が「思想・信条・表現の自由」であるのならば、産経新聞の批判記事や右翼の街宣車での抗議活動もまた「思想・信条・表現の自由」です。
 とはいえ、憲法第12条では「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とありますので、彼ら(左翼の先生方・右派マスコミ・右翼)の活動は憲法違反の可能性もあります。
http://www.wdic.org/w/POL/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC19%E6%9D%A1

 いずれにせよ、この問題は日本国内においては、きわめて少数の人々同士のイデオロギー的な対立ながら、過熱化して周囲の人々を巻き添えにしがちな問題でもあります。
 とはいえ、象徴天皇制への国民的支持は平均して90%という高率を保持している(http://www.woopie.jp/video/watch/f700b4b31018d66a)一方、天皇制廃止論者は軒並み高齢化が進み、後継者がほとんど存在していないということからして、数十年後は天皇制廃止論者はすべて故人になり、問題は沈静化することが予想されます。


 さて、本日は参議院選挙に投票してきます。
 ここ沖縄では自民党公認の島尻安伊子候補が優勢ですが、革新派の逆転の可能性は……、ないでしょうなぁ……。
 山城博治候補=無所属、社民、社大推薦と伊集唯行候補=無所属、共産推薦という二人の革新派が、普天間基地・消費税反対票の喰い合いをしているといる自体、革新派としての選挙戦略の大間違いを犯していますからね。


では、趣向を変えて、
>さっきも書いたけれど、
>両者意見もでそろいましたので
>これでそろそろ終わりにしましょうね。

では趣向を変えて、他国の国歌にツッコミを入れてみてはどうですか?

例えば韓国

「東海(日本海)が乾き果て
 白頭山が磨り減る時まで
 神の護り給う我が国 万歳」


・・・氷河期が来て、海面低下と氷河によって山が磨り削られる・・・

日本の

「さざれ石の
 巌となりて
 苔のむすまで」

砂が砂岩に形成されて苔が定着する・・・みたいに、お互い地学の授業みたいな歌詞だったりしますよね。






みんなありがとう
さっきも書いたけれど、
両者意見もでそろいましたので
これでそろそろ終わりにしましょうね。





君が代の歌詞の意味
 ふつうに読んでみて

 天皇の御世は、千年も万年もつづきますように、われら臣民はさざれ石のごとくものなり、こけむしいわおとなるまでも。

 ふむ。
 戦前の意味はわかりやすい。

 天皇は神であり、その御世は千年も万年もつづきますように、われら臣民は、細かい石でございます。どうなろうともこけむし、巌と成り果てようとも、そのくらいまでも陛下に付き従い努力いたしまするーーー。

 という意味だと思う。これは戦前、そう教えていたということ。

 この歌を喜んで歌うということの意味は、普通に考えて、自分を人間と考えず、さざれ石と考える。石はなにも考えず、ただ言うなりに生き抜きますと宣言するだけです。天皇の批判をするものを悪とみなし、戦争も侵略もいといませぬーーと戦前は教えられたわけです。

 そういう深い意味をこの君が代は含んでいるわけです。その意味を理解したくない人がいて、どれだけ大勢の人が無知でいて、この君が代を喜んで歌っていたとしても、その意味は、自分はさざれ石で、天皇の奴隷にすぎないのだと誇りをもっているんだと自虐して、大きな声で歌っているにすぎない。

 もちろん、この歌詞をへんてこにゆがめて考えて、捏造している人たちの必死の努力があることは知っているけれど。やはり私は戦前の侵略戦争時の単純明快のわかりやすい説明を信じる。わかりにくい説明の国歌っていったいどういうこととつっこみたくなるからね。


やりちゃん
 大御心の解説ありがとうございます。長文を書いた労に対し、礼儀として謝意を述べたいと思います。
 
 正直私とあまりに違う考え方に、これ以上の感想がないのでここで終わりにしたいと思います。
 では失礼します。


何で強制って受け取るかなぁ
公の場で国旗・国歌への対応を教えている事が
なぜ強制となるのですか?
礼儀という言い方が嫌ならTPOと言い換えても
いいですよ。

仮に国旗・国家または日の丸・君が代が嫌いで
学校の式ですら見るのも歌うのも嫌だ、と思う
のなら(誰か書いてましたが)法律を変えれば
いいのではないでしょうか?
自分たちが(理由は何であれ)気に入らないから
という理由で式を妨害するのはおかしな話ですね。

少なくとも現時点では公的な場では国旗・国家
の対応が決まっているのですからそれに従うべ
きではないのでしょうか。
(日本や世界を含めて)公の場での国旗・国歌
の扱いや法律で定められている日の丸・君が代
を変えたいのなら正式な手順で変えてください。

それが民主的で平和的な手段だと思います。

反対派の行動は公を会社に置き換えてみれば
理解出来るでしょう。
又、スポーツで例えるならウィンブルドンで
赤いテニスウェアを着て試合に出せと言って
るようなものだ、と言えばより分かりやすく
なります。


伯爵さん

分かり合えないこと、つまり一般意思にすらなっていないと自覚されている問題を教育するのですか。
それは単純に一方からの強制になってしまいます。
強制することによって、それに呼応するような形で国旗国歌を題材にした書籍が発売されるようになりましたが、これでは君が代が今後もまな板の上に置かれ、好奇な目で見られ続けることになるのではないでしょうか。
双方にとって残念なことです。

私は学校で「日本の国歌は君が代である」と教えることはかまわないと思いますが、それ以上の行為に関わることは思想信仰の自由への踏み絵となり、全体主義的なすり込みになってきます。
近代的な民主主義国家といわれるような国家ですら、そのような思想に介入する蛮行は「やってはならないもの」となっているのですが、このようなことが日本で行われることに胸が痛みます。

最後に、私は天皇を崇拝する者ではありませんが、やりちゃんの意見と同じく、天皇の意見は至極ご尤もなことだと思います。


>閣下(伯爵に「さん付け」はおかしいのでこう表記します。)
いわゆる戦後民主教育の申し子のようなご見解ですので、大御心について解説します。皇室への尊崇の念とは、単なる個人崇拝ではなく、皇祖皇宗の遺訓、すなわち日本人が2,670年間どのように生きてきたか、日本人らしさとは何か、を体現あそばされる存在へと向けられるものです。これは、日本国憲法にある国民統合の象徴という概念や、エドマンド・バークらを祖とする保守思想とも何ら矛盾するものでなく、むしろ親和性が高いです。私が二言目には「直近の民意ごときに日の本をどうこうされてたまるか」と書くのには、これがベースにあります。

「強制はよくないね」というお言葉は、「すめらぎがそう言ったから」というサラダ記念日みたいな(古い!!)感覚ではなく、多くの日本人の心にアピールする、日本人であればきっとそうだ、という意味で大御心(おおみこころ)なのです。大日本帝国憲法の要諦は「シラス」であることを想起して下さい。

日の丸、君が代に関して、そもそも、外国では当たり前だ、というのは大変おかしな話で、2,670年間皇室を敬戴してきた日の本には、独自の問題解決の作法があってよい筈です。外国では罰金を取るのか、牢屋に入れるのか知りませんが、私たちは「信じ、待ち、赦す」(古い!!)という道を選ぼうと模索している。勿論、外国の例に習って強制しろ、という声もまた、根強くあることは承知していますが。

--

っで(キ)、長文が苦手だからリンク先は参照しない、キンピーさんのコメントは読まない、というのは大変勿体無い話です。一般意思という用語は、自然状態や社会契約という考え方(フィクション)を補足するために登場します。閣下の大好きな戦後民主主義は、他ならぬロックやルソーの思想の延長線上にある訳ですから、このままでは、「木を見て、森を見ない」ならぬ「葉を見て、根や幹を見ない」状態から抜け出せないことになってしまいます。

っで(キ)、

>景気が良くなっても彼らが正規雇用されることは稀でした。
>なぜなら彼らはフィクションが破綻した時の伸縮剤として、
>高度成長期以前から日本社会に用意されていたものなので
>すから。

「この辺りはマルクスの本に出てくる考え方だ、さすがは左翼の明星だな。」などと分析していると興味は尽きません。くどいようですけど、勿体無いですよ。


もうこれでやめようね
折り合いを付けるのが難しい、どちらの立場が認められても相手側は納得できない、これ以上突き詰めるのは難しい・・・そういう問題なんですよね。

マニアに左翼な人と飲んでいて言われた話。両者ともに譲れない大事な問題なのだから、いっそ、式典自体をなくしてはどうかと....


キンピーさん
 ごめん キンピーさんが真面目に私に向けて書いてくれてるのは伝わってきます。ただ、フィクションがどうこうとか私には理解できません。
 こんなに長い文章に対して、このような返しをするのは心苦しいのですが、アラビア語を読んでるような感覚です。

 とりあえず分かり合えないことがあるということで終わりにしましょう。逆に共感できるところもあるのだし違いをこれ以上突き詰めても意味がないと思います。


ネッドさん
誰でも彼でも表に出してない訳ではないんだよね。
愛があれば何でも許すわけでもないので・・

なんで表に出ないのか、は記事の中で理由を言ってきた(特に、今回に限らずあなたの文章については、これまでもいろいろ指摘してきてるつもり)ですし。。


一知半解さん

あなたの様にブログを持って言論をしている方とただただコメント欄で反論してくる方とは明らかに違うとお玉は思っています。

でも、荒れるのを覚悟して記事をあげている身としては、お玉がしきりを入れた話に横レスされるのは正直しんどい。
表に出ないときは、文章の書きようをかえてほしいと前からお願いしてるつもりです。







やりちゃんさん>
それ、教師のいじめが酷くて自殺した件ですな。
これがきっかけで国旗・国歌法が制定されました。
ようするに「教師の自業自得」でしかないです。

というか教師が思想信条を理由に職務放棄してはいけない」ってだけの話なのにな。
なんでここまで強制よくないとか言う話になってるのか理解できません。
少なくとも、生徒の式典を台無しにする事はどんな理由があろうと許されない事でしょうに。

これもコメント出ないんだろうな。お玉さんの言う愛ってなんだろう。博愛で無い事は確かだけど。


教育上の「強制」について、左翼諸氏の見解を求む。【追記あり】
最近のお玉基準というのは厳しいですね。
表に出してもらえたコメントとさほど、違いは無いはずなのに、出してもらえないとはこれ如何に?
そんなに都合の悪いコメントだったかなぁ…??

お玉心と秋の空(?)ならぬ、変わりやすいコメント基準には、正直なところ、戸惑うばかりです。

ぼやきはこれぐらいにして…と。
気を取り直して再度コメントいたします。

以前、「首長は教育現場に個人的信念を伝えることを自制しよう」という記事へ付けた拙コメント(2010/07/04 00:49:17)において、『国旗・国歌に対する「強制」は、教育上必要な「強制」に過ぎない』ということを私は主張させていただきましたが、お玉さん、キンピーさんを始め、どなたからも黙殺され、反論をいただけませんでした。

そこで改めてお伺いしたいと思います。

問1.「守」という基礎段階の教育において、国歌・国旗に対する教育を強制することの是非について。

問2.この問題は、一般市民に対する「強制」だと思いますか?思いませんか?


是非、この二点における左翼諸氏皆さんの見解を開陳していただきたく存じます。

【追伸】
これ以上の議論を、ブログ主さんは望まないようです。
「教育上の強制」という点について左翼諸氏の考えを伺っておきたい私としては大変残念ですが。

そこで、お手数ながら、私の質問にお答えいただける奇特な(笑)方がいらっしゃいましたら、下記拙記事までコメントをお願いします。

◆日の丸・君が代強制問題は、決して「思想・信条の自由」の問題ではない。
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-180.html


 権力で強制?
 国旗に対する礼儀・自国の国歌を歌えるようにする。別にごく普通の教育でしょう。台形の面積を求める公式を教えるのと同じことでしょう。それを権力による強制とか正直わけわからんです。

 やりちゃんは大御心とか書いてるぐらいだから、天皇陛下が言ったことは絶対のようですね。私にとっては国民統合の象徴で、敬意は払うけど崇拝はしていません。天皇陛下は政治には口を出さない存在だと思っています。
 ですから天皇陛下がこの問題になんとおっしゃったかは私にとっては判断基準にはなりません。

 ようは教員が、式典の主催者として当然の態度をとればいいだけ。国旗国歌はとうに普通の国民のものになっています。



伯爵さん

なるほど。
しかし伯爵さんが左翼に期待する部分も実は同じ目線なのです。
資本主義もフィクションの部分を取っ払うと実に味気の無いもので、フィクションへの期待がなければ経済は大きくなりません。
しかしそのフィクションが周期的に破綻して不況になるわけです。
破綻に懲りずフィクションに戻ろうとするのは資本主義社会である限り続くでしょうが、「不安定雇用を作り出してでもフィクションに戻るのだ」と言われると、「おぃおぃフィクションより生きてる人間の方が大事でしょ」と左翼は言うわけです。
伯爵さんにはこの部分で応援していただいていますが、これらも決着はついている問題だと言われる方もいらっしゃるでしょう。
少なくとも私が住んでいる町では、もうウン10年も路上死が多発し、その方たちを何とか支援したいと思っている人たちを警察は監視するために、「防犯」目的で町中に監視カメラを付ける(我が町が日本で最初です)。
そして防犯カメラの前で糞ヤクザがシノギのために日雇い動労者をボコって金銭を奪っても誰も逮捕されない。
抗議すればコームシッコーボウガイです。
公権力の行使に一般的意思があると考える人からすれば、「抗議することが間違っている」となるのでしょう。
結核の発生率は発展途上国の難民キャンプ並で、国境無き医師団の指定地域です。
しかし放置され続けています。これもきっと解決済みだからでしょう。
景気が良くなっても彼らが正規雇用されることは稀でした。
なぜなら彼らはフィクションが破綻した時の伸縮剤として、高度成長期以前から日本社会に用意されていたものなのですから。
現在の日本の労働条件は日本の釜ヶ崎化に過ぎませんが、これはフィクションが肥大化した結果でもあるのです。
フィクションの肥大化によって決着済みとするのであれば、働き方の問題や根本の経済問題を決着済みの問題として扱う人がいても不思議ではありません。
しかし現実にはフィクションはフィクションであって、そこに軋轢があるのでれば何も解決していないのです。

これは君が代の問題とて同じことで、フィクションで塗り固めても、史実や出所が変わるわけではありません。


大御心
>式典で国旗掲揚・国歌斉唱の何が問題なの?

問題はおおあり。言うまでもないことだけど、文部省とアカ組合の板ばさみにあって自殺した校長がいる。これらを踏まえてテンパっちゃた米長名人に、今上陛下が「強制にならないようにね」と述べられたのは有名な話。

日の丸、君が代や平和運動を、右翼や左翼からフツーの人々の手に取り戻すのは長くて険しい道のり。権力で強制ってのは手抜き。


キンピーさん
 以前十文字さんにも書きましたが、リンクは読まないことにしています。もし良いことが書かれているのなら、ご自分の言葉にしてから書いてください。

 で、正直キンピーさんのおっしゃることって、私にはさっぱり理解できんのです。式典で国旗掲揚・国歌斉唱の何が問題なの?で私の中ではおしまいなんです。
 キンピーさん自体は、保護者で出席するのですから、立たなくても歌わなくても何の問題もないし。

 ただ、この問題は非常に小さいことだと思ってます。私が左翼に期待するのはこんなどうでもいい決着がついてしまってる問題ではないんですよね。
 私が期待していることはキンピーさんもお玉おばさんも伝わっていると思います。そちらでは一致できるのだからそれでいいと思います。


伯爵さん

やりちゃんがまとめてくれています。
http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-876.html#comment12860
一般意思というものはホントは無いのですが、便宜上は有ることにしているのです。
みんな大人なんだからフィクションの中で上手く折り合いをつけましょう、と。
しかしそれを絶対的なものとする人がいると、「おぃおぃ、フィクションなのに何言ってんの?」となるわけです。
君が代・国歌に関して言うと、一般意思あるいは伝統なんてものを持ち出すと、史実をぶつけてフィクションの中に戻っていただこうという私のような意見も当然出てくるでしょう。
私のような意見は、君が代を歌いたい人にとっては、空気を乱す輩でしかないのですが、それでちょうど良いのではないでしょうか。
できれば君が代のように拙速なことをせず、合意できるような歌を作った方が、ちょっとは地に足がついた「国歌」になるのでしょうけど。


すすぎは一回でいい時代。
国旗、国歌は国家への帰属意識、連帯感を発揚するものなので、感情抜きの議論などというものができる訳がないですね。不可能。むしろ感情をよく見つめることが問題への理解を助けると言えます。

それが正しいかどうかは別として、国旗、国歌から気持ち・感情が離れるということは、国を挙げて何かをやろう、という時代ではなくなってきていることを示しています。ゆえに、TVCMで必死に洗濯している男が出てきても、「何やってんだ、アンタ。」という感想しか生まない。


物事を思考する上で謙虚になるべきは「有権解釈でないものは、あくまでも一意見にすぎない」ということ。
一意見でしかない存在が、他人様や社会体制を批判するときは、できる限り客観的かつ「感情抜き」の根拠を提示して行うべきであって、それができないなら、「意見」という前提を崩さずに述べるべきである。批判はご法度だ。

批判は対象の価値を下げ、信用を失わせる効果を及ぼす可能性がある行為であることを踏まえて、もっと丁寧な姿勢で臨むべきなのに、それがわかってない人が多すぎるな~。

こんな思考と感情で「平和」を切望するなど、矛盾しているといつになったら気づいてくれるんだろうか・・・?


 お玉おばさん
 同じ日本語を使っていても、互いに全く分かり合えないことってありますね。反対派の主張は私には理解できません。
 逆にお玉おばさんも、私らの言うことは意味がわからないんだと感じました。

 結局どちらが多数派になるかで決着するしかないのでしょう。

 さて選挙が目の前ですね。
 一人一人が自分の一票に願いをこめて投票しましょう。民主主義国家はそれがシステムの大前提ですからね。
 


楽しくなってきたので
世界連邦運動に参加しているやりちゃんに楽曲の提案。

ゴスペルバージョン?
http://www.youtube.com/watch?v=Kg9B3FBLfdI&feature=related
ノーマル
http://www.youtube.com/watch?v=zssTsCVhK-4



World in Union 歌詞

私には夢がある。とっても貴重で、とっても誠実な夢
全ての世界はつながっている。そう、世界は1つ
全人類が共に集まり、一つの精神、一つの心を共有する
全ての主義、全ての人種……一度一緒になれば、それは二度と離れ離れにはならない。
自分の中の『ベスト』を探すんだ、自分が出来る事はきっと見つかるさ
勝つ時も、負ける時も、そして引き分けの時もあるだろう、でも、全てが『勝利』なんだ

(サビ)
世界は1つの『共同体』
自身の運命を登る時、新しい世紀は始まる
高い山に直面するだそうし、荒波うねる海を渡らなければならないときがあるだろう
そんなときこそ歴史を認め合い、尊厳を持って生命を讃えるべきなんだ

自分に出来るベストを尽くし、目的を成し遂げればいいんだ
勝つ時も、負けるときも、そして引き分けの時もあるだろう、でも、全てが『勝利』なんだ


タイトルで海綿体が充血しました…。責任とって下さい。
私の書き方が悪かったですね。「っで」以前で「素直に読んじゃダメ」というのは引用した歌詞についてです。オチがあるんです。

--

権力をコントロールがなぜ不可能かというと、シスターの言うような「権力は老獪だぞ」ということだけでなく、ある者は「日本共産党に投票すればいい」と思い、ある者は「イケメン活動家に投票すればいい」思い、ある者は…etc、そして、結果は現職最強でチャンチャン♪というようなことが往々にして起こる、と言いたい訳です。王や皇帝が主権者であれば、このようなことはおきませんが、主権者と呼ばれる個体が国民のように複数の場合には、「一般意思」というフィクションを持ち出さなければなりません。結果、国民主権もフィクションになります。

それならば、政治権力を、たとえ暴走したとしても大したことがないように小さくしてしまえばよいではないか、分散すればよいではないか、というのが私の持論です。保守漸進一辺倒でしたが、最近はリバタニアリズム風味もまぶしてみました。


いやん、やりちゃん~
過去にお玉は「立憲主義の理念があって、現行憲法さえあれば、大事なものはいつも守れるんかい?【気をつけないと足下すくわれる~)」って疑問書いてるもん~
でも、あれだけ偉そうに国家権力に従わせることに問題なしって書いてるのに、国家権力をコントロールだなんて、言うからおかしくて・・思わずほめちゃった。



ネトウヨはバークやヒュームを知らない(twitterの経験)
>シスターお玉

チッチッチッ…。素直に読んじゃダメですよ~。勘のいいキンピーどんは元ネタに気がついているから、ちゃんと牽制球投げてきてる。こういうのがココのブログの面白いところ。

っで(キンピー風)、民主国家において被治者が権力をコントロールするなんてぇ芸当はとてもムリ。なぜならば、主体が一億数千万もあるから。国民主権なんてぇのもフィクション。なぜならば、主体が一億数千万もあるから。神戸の市長選挙の経験でよくわかってるでしょう?

とすれば、権力の暴走を抑制するにはどうするか。権力をなるべく細かく分散して分かち持てばいい。一院制よりは二院制。中央集権よりは地方分権。最近では裁判員制度という気の利いたものもできてきた。


fellowさん

ま、そういう考えに留まっているなら「正義なき平和」の問題とかに対処できないでしょうね。




やりちゃん

ん~、、「一人の幸福 皆の幸福 」はチープかも(汗
それよりこんなのはどうでしょう?
スポーツなど皆で歌いたい時にはピッタリかと。

『威風堂々』
詞/曲:岩沢厚治

勇気一つ夢遥かに、その地踏み締める威風堂々
胸震わせ心高く、桜集いし威風堂々
輝き射す方へ、新たに続く道


強き力燃え上がれど、瞳静かに威風堂々
尽きる事なきその闘志と、共に立ち上がれ威風堂々
輝き射す方へ、新たに続く道


誇り高き遠き日々よ、希望への誓い威風堂々
時の風よ友の声よ、響け高らかに威風堂々
輝き射す方へ、新たに続く道
輝き射す方へ、新たに続く道


やりちゃん
しまった、「あなたが国歌にしてほしい曲はなんですか」・・・そういう記事にすればよかった~~


>おかしいだろ

いえ、おかしいのはあなたの論理の持って行き方にもあると思うんですけど。

別コメントの教育現場を葬式会社に例えるのも・・・・

あ、ただ、国家権力をコントロールするために立憲主義があって現行憲法が大事であって、そこにご賛同いいただけてるようで、うれしい。


寅さんの歌もこの人
>キンピーどん

新国歌ですか…。こんなのはどうですかね?豪華コンビによる作品です。

作詞    岩谷時子
作曲・編曲 山本直純

一、

われらの国に われらは生きて
われらは創る われらの自由
月日の流れを いつも見つめて
今日より明日へ 道を拓こう
一人の幸福 皆の幸福

二、

われらの愛する われらの子らへ
われらは遺す われらの心
すぐれた昔の 文化を伝え
この日の息吹 深く刻もう
一人の幸福 皆の幸福

三、

われらの山も われらの海も
われらの宝 われらのいのち
明るく輝く 地球の上で
世界の平和 きっと守ろう
一人の幸福 皆の幸福
皆の幸福


民主主義国家においては、国家権力って対峙するものではなくてコントロールするものだぜ。
中国や北朝鮮みたいな独裁国家ならいざ知らず。

あんたらはさ、国が英語教育をカリキュラムとして定めていることを「国家権力による押し付け」と考えてるの?
おかしいだろ


W杯つながりでいうと、やりちゃんの「美しくもあり、哀しくもある」というのはよく分かります。
開催国の南アフリカは国歌は作ったが、言語が統一されていないため、何種類かの言語で国歌を歌うことがあります。
しかしそれをみんな一生懸命歌うわけですね。

さて、日本の場合はどうでしょうか。
戦後間もない頃、君が代が歌えなかった。
「歌えなかった」というのが肝なんですが、それはさておき復興を目指した日本人たちは、自分達の手で国歌を作ろうとします。
これも美しくもあり、哀しくもある。
だが一方で歌詞を読むと「ようやく我々の国が始まる」という期待や希望が感じ取れるのですが、なぜかそれを押しつぶした人達がいた。
一体どういう考えで、国民の自発的な運動を潰したのでしょうか。
加藤周一氏曰く、敗戦直後しばらくは、貧しかったが開放感に満ち溢れていたそうです。
そういった「空気」が国民の側から提示された国歌に伝播したのでしょうね。


「国と地域」ってイヤな言い方
かつて「平和ボケを愛そう」とここに書いたことがあります。この話題でブログこれだけ荒れるということは、いまこの日本では、日の丸や君が代が切実に必要とされていないということかもしれません。

中台の対立が激しかった頃、日本国内の中華学校で、青天白日旗の掲揚と国歌の斉唱が毎朝行われていたといいます。それは誰から押し付けられたものでもなかった筈です。子供たちにはそれが必要だった。美しくもあり、哀しくもある。

美しい国というスローガンにあわす顔もなく、日の丸や君が代が心から離れた日本には差し迫った不幸もない。それでは食い詰める議員や物書きたちが、必死に不幸を「発掘」している。



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