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千葉法相の覚悟と願い
第一報が入った瞬間、正直に言えばショックだった。裏切られたような気分にもなった。彼女がいる間は死刑の執行はないだろうと、廃止論者の多くが信じていただろうとも思う。

このタイミングで死刑執行をすることに、どんな意味があったのか、ずっと考えていた。
千葉法相にとってこんなタイミングで執行しても、何もいいことがないのはわかっているはずで、実際野党自民党からは民間の大臣が下していいのかと言われ、死刑廃止側の議員からも厳しいコメントが入り、多くの人が釈然としないものを感じている。

書くのがちょっとつらいです
私は廃止論者で、常連がご存知の通り、何度も何度もこの件をエントリーにあげ続けてきていたので、もしも千葉さんが大臣でなければ執行したことに、いつものように批判的立場でものを言ったかもしれません。
今まで死刑執行に立ち会った大臣はいないそうです。執行の手続きをした自分が見届ける、そして、マスコミに、国民に死刑の是非について、大きな議論にしてほしい、大きな覚悟と願いを受け取った気がしました。

えん罪のこと、被害者救済のこと、終身刑のこと、死刑執行のやり方、他国の状況、重大犯罪の未然防止などなど、考えることはたくさんあって、どれほど話し合ったとしても死刑廃止派が国民の過半数をとることはないと、わかっている、でも死刑は廃止しなければならない。にほんは、今回の千葉法相の覚悟の執行を期に、様々な国がたどった道のスタートラインにやっとたてるのだろうか?
それとも、ずっと後ろまで下がってしまったのだろうか?


お玉の死刑廃止論記事一覧



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(非公開コメント受付中)

弁護士でもある千葉さんが立場によって態度を変えるのは?
 東西の感想ですね。どのような立場であれ、人間が人間を殺す命令などできないとし、態度を貫くことは違法ではない。これが職務などの立場で何ら左右されない人間の立場でしょう。特に、千葉大臣は刑事裁判で被告人・被疑者の生きる人権を国家権力から徹底的に防御する職責を果たす職業人であり、国会議員としても死刑廃止議連に所属する人物である。

 それが法務大臣になったとたんに、態度を豹変させ、憲法の上に、つまり、人間の生きる権利の上に法律と判決、すなわち、国家の暴力を優先する態度に豹変したのである。

 人間の生きる権利を徹底的に擁護できず、権力を握った途端に態度を180度も豹変させる人物の信用は地に落ちたと言わねばならない。


ネッド様

>かと言って死刑を廃止するのは死刑を望む遺族の意思を無視する事になりかねない

そうですね。何十年謝罪の手紙をもらっても、決して赦せるものではなく、死刑以外考えられないという遺族もいます。当然です。


私も以前までは、凶悪犯憎さに、すぐに見せしめの処刑でもいいんじゃないか、と思っていました。

でも、
凶悪犯ほど、死んだらお終い、早々に厄介払いで終わりにしていいのか、と疑問思い始めたのと、
死刑囚に係わる刑務官の苦悩を知って、迷いが出たという感じです。


死刑囚にとって、死刑執行までの待ち時間が長くなればなるほど、明日か、明後日か、と死への不安と恐怖は大きくなる。気が狂いそうになる。宗教に救いを求める。祈る。謝る。それでも恐怖は消えない。

そんなふうに、死刑制度があるからこそ、反省が促されている部分もあるのかもしれない…と思ったり…。

全然考えはまとまりません


お邪魔しました。m(__)m


>そもそも刑が確定してから6ヶ月で執行せねばならないはずの確定死刑囚が百人もいて、確定順ではなく、確定からわずか2~4年未満の死刑囚に執行命令が下るのは何故?と思いますが…。

政治的な理由や、再審請求中の死刑囚が多いためだそうです。
再審請求中の死刑囚を死刑にした時に、国内外の死刑廃止派から非難轟々だったそうで、現在はそういった死刑囚を死刑にするのは難しいようです。
廃止派のせいで遺族が苦しむ、という現実はやりきれませんね。

>獄中生活が長くなると、どんな悪人も多かれ少なかれ改心していくものなのだそうです。
>死刑囚を慮ってるんじゃないですよ。
>そこから、自分の犯した罪を悔い、本当の意味で悶々とした苦しみが始まるのではないか…と考えます。

かと言って死刑を廃止するのは、死刑を望む遺族の意思を無視する事になりかねないのでは?
改心するのも個人差がありますし、犯人が生きている事自体を苦痛に感じる遺族もいます。
私は遺族の意志が最優先だと考えています。
ですから死刑と終身刑の両方導入派なのです。

露崎さんの意見を否定するわけではないのですが(むしろ終身刑に限る意見としてならば賛成できます)、死刑を望む人も確かにいるのです。
そこだけは忘れないでください。と言ったところで終わりにします。


ネッド様

そもそも刑が確定してから6ヶ月で執行せねばならないはずの確定死刑囚が百人もいて、確定順ではなく、確定からわずか2~4年未満の死刑囚に執行命令が下るのは何故?と思いますが…。

確定死刑囚が百人もいるってことは、もっと長い間待たされている遺族もいるということですよね。
そちらは後回しですか…。


獄中生活が長くなると、どんな悪人も多かれ少なかれ改心していくものなのだそうです。
死刑囚を慮ってるんじゃないですよ。
そこから、自分の犯した罪を悔い、本当の意味で悶々とした苦しみが始まるのではないか…と考えます。

が、これも個人的な考えなので、ご批判はあると思います。平行線ですね(^^)



>でも、死刑確定からわずか1~3年とか、異例の速さで執行された死刑囚達がいますが、急ぎ過ぎだと思うんです。
>尾形は事件から四年後の、'07年に確定で、もう執行されてしまいました。

そもそも刑が確定してから6ヶ月で執行せねばならないはずですが・・・
四年間は遺族にとって長いと思いますし、反省するまで何年も放っておくというのは現実的ではありません。
四年間が短いというのならば、何年くらいが適当だと思われますか?また、その年数で遺族が納得できると思いますか?

>元刑務官、坂本敏夫氏は
>「刑務官は死刑囚に対して矯正させようと努力をする。
>死んで償えるものではないからである。
>命を奪った被害者のためにも真人間になって死んでもらいたい」
>と言っています。

そもそも「更正の余地無し」と判断されて死刑になるのでは?
どうしようもない状況で殺人を犯したのならともかく、私欲で死刑になるような残虐殺人をするような人間は「真人間」になれると思いませんし、真人間になったとの判断基準もありません。
露崎さんが出した事例のような「信じてくれないから反省やめた」というようなどうしようもない人間もいます。

反省するまで待つ、というのは「反省しなければ生きていられる」という間違った認識を与える事になるやもしれません。
反省したという基準も制定できないと思いますし、本当に反省したかどうかは本人にしか分からないものです。
慎重に、とおっしゃいますが、慎重に「何をどうするか」が問題だと思います。


ネッド様

>反省する気がないのであれば悶々と苦しむかどうか疑問

それもそうですね。

でも、死刑確定からわずか1~3年とか、異例の速さで執行された死刑囚達がいますが、急ぎ過ぎだと思うんです。
尾形は事件から四年後の、'07年に確定で、もう執行されてしまいました。

元刑務官、坂本敏夫氏は
「刑務官は死刑囚に対して矯正させようと努力をする。
死んで償えるものではないからである。
命を奪った被害者のためにも真人間になって死んでもらいたい」
と言っています。



伯爵様

廃止論者ではなかったのですが、いろいろ考えるうちに廃止に傾いてきました。…が、
今は、死刑制度は最高刑として存置したままで、執行は極力慎重に最少に、が現実的とは思っています。

でも、これから先どうしていくかは、刑場公開などして、皆で考えなければならない問題ですね。

人間の絶命するまでを見届け、湯灌、納棺まで…。執行に関わる人達の精神的負担を考えると、とっとと殺せとは言えないです。

死刑判決数が近年で急増したことも問題だと思います。




 遺族が死刑と終身刑どちらかを選べるというのは、ありかもしれませんね。

 今まで見た死刑廃止論者は、残虐な犯罪者の命をまるで尊い宝石のように扱う人ばかりで、読んでも反発しか感じなかった。
 露崎さんが初めてですよ。普通に話せると思った廃止論者は。

 


伯爵様

処罰感情ではありますが、拷問しろとは言ってないですよ…。

四角い穴が開くと同時に意識を失い、落ちてから心停止まで13分強くらい。それで無になれる。

死ねばお終い…そう思っていたからこそ、尾形は控訴も取り下げたし、教誨も受けなかった。
死刑が本人にとって罰になったのかどうか疑問だと思うのはおかしいですか。

遺族が死刑を望むのは当然ですが、それ以上に、心からの悔悟と謝罪を望む遺族もいるのではないですか。
その思いは、時が経てば経つほど膨らんでくるということもあるのではないでしょうか。

独房で悶々と後悔に苦しめという意味です。




>「死刑は償いにはなりませんし、覚悟のできている人間にとっては、罰にならず、楽になるだけです。
>死んでしまえば、何もつらい事はないし、すべてが終わるのだから楽です」
>と言っています。

加害者の心情を慮る必要はありません。
罪に対する罰として死刑があるわけで、加害者が償いにも罰にもならず、楽になる、と言ったところで問題になりません。
楽だというなら楽にしてやれば良いのです。
いちいち個人個人でもっとも苦しむ刑を行う、というのは現実的に無理があるでしょう?
遺族の意思で死刑か終身刑を選ぶくらいの自由は欲しいとこですけど。

>なら、楽になどさせてはいけない、独房で悶々と苦しみ続けろ、というほうがその男にとっては罰になるのではないですか。

反省する気がないのであれば、悶々と苦しむかどうかが疑問です。
また、終身刑で刑務所で過ごす事になる場合、三食付きで娯楽もあるようですし、開き直ってるような人間にはむしろ快適に過ごせるのではないでしょうか?

北朝鮮の強制収容所並の環境で強制重労働を行うとか、毎日死なない程度に拷問するとかでない限り、死刑廃止には反対ですね。


 なるほど。本来は生まれてきたことを後悔するほどの拷問を加えた上で、最高に苦しい死を与えるべきですね。
 ただ、自分の感覚的な話ですが、さすがにそこまではしないほうがいいという気がします。国民の過半数の支持もえられないでしょうし。

 拷問死がさすがにやりすぎで支持も得られない以上、すんなり死刑でいいというのが私の感想です。

 でも露崎さんの気持ちは理解できます。



>伯爵様、ネッド様

その男は
「死刑は償いにはなりませんし、覚悟のできている人間にとっては、罰にならず、楽になるだけです。
死んでしまえば、何もつらい事はないし、すべてが終わるのだから楽です」
と言っています。

なら、楽になどさせてはいけない、独房で悶々と苦しみ続けろ、というほうがその男にとっては罰になるのではないですか。

遺族は生涯苦しみ続けるのに、その男は苦しみから解放されたのか、と思い疑問がわいてきたのです。



露崎さん>
>尾形は一審では反省の姿勢をしめしていたのに、その後の裁判で
>「死刑になりたくないためのパフォーマンス」
といわれたことで、何を言っても無駄だと、反省も謝罪>もしないと決めたそうです。

ようするに「反省しても信じてくれないからやーめた」ですね。子供の我儘ですか。
これだけの凶悪犯罪ですから、そういった非難は当然です。それくらいの事で反省をやめたという事は、所詮「その程度の反省でしかなかった」という証明ですよ。

この場合の反省というのは「やった事を後悔し、二度とやらない為にはどうするかを考え、実践する事」です。
ようするに周りが信じようが信じまいが関係無い事なんです。
「反省の姿勢を示す」のと「反省する」はイコールにならない事もあるのです。

加害者側の心情を慮る必要はありませんよ。
「反省させてから死刑にして苦しめてやりたい」というのならともかく。
反省しない奴は反省しないし、反省してるかどうかの判断基準もありません。

この事例を以って死刑に疑問を持つのはなぜ?と思います。
死刑を廃止すれば解決する、という問題ではないでしょう。


 別に反省しなくていいですよ。
 反省したら、殺された人が生き返るわけではないのですから。残虐な犯罪者は、罰として死刑になる。それで十分です。



こんにちは
死を受け入れる代わりに反省の心を捨て、被害者、遺族や自分の家族のことを考えるのをやめました
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
これは、千葉景子法相の命令により処刑された2人のうちの1人、尾形英紀(33)の手紙です。
青木理氏の『絞首刑』という本で取り上げていました。すでにご存知でしたらすみません。

埼玉・熊谷4人拉致殺傷事件と呼ばれた事件。

'03年8月、風俗店長ら2人を殺害、2人に重症を負わせた尾形は、'07年4月に一審、さいたま地裁で死刑判決を受けると、弁護士による控訴手続きを強引に取り下げ、自らの意思で死刑を確定させてしまいました。
以後、尾形は弁護士を退け、宗教教誨も受けず、外部との交流もほとんど絶ちました。

「死を受け入れる代わりに反省の心を捨てた」

これを、凶悪犯の開き直りと、強がっているだけだと一蹴することもできるが、死刑という究極の刑罰が孕む矛盾の一端を抉り取っていると著者は言っています。

尾形は一審では反省の姿勢をしめしていたのに、その後の裁判で
「死刑になりたくないためのパフォーマンス」
といわれたことで、何を言っても無駄だと、反省も謝罪もしないと決めたそうです。検察側が調書を工作したことにも気分を害したと。
死刑の方が楽…このふてぶてしさ…これは遺族にとって残酷な言葉です。
遺族は極刑を望む。
でも尾形にとって死刑が厳罰ではなく救いになってしまったという矛盾。

厳罰を求めるいっぽうで、私もだんだん死刑に疑問を抱いてきました。


遺族の心情
 本日、「闇サイト殺人」という事件についてニュースがありました。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010080700200
 「被害者の女性は趣味のブログを公開しており、そこには被害者に対し哀悼のコメントが殺到した。」ということがWikiに書いてあり、探してみたところ見つかりました。
http://kuishinbounagoyan.blog96.fc2.com/
 食道楽な方だったそうです。
 何の落ち度の無い人がむごい事件の被害者となり、その遺族の心情が如何なるものか、他人である私も少しだけわかるブログだと思います。


はじめまして。
いろんなブログサイトを見てみようと思ってランキングサイトからたどりつきました。
とても興味深い内容で、また訪問させていただきます。


何か?問題でも…もってまわった言い方されるとやだなぁ…
>杉浦 正健氏のことです

そんな重箱の隅を突っつくまねして、何か?問題でも…もってまわった言い方されるとやだなぁ…

 杉浦 正健氏を知ってるなら、左藤恵さんを知りませんか?…

>第2次海部内閣改造内閣・左藤恵
「思想、信条に基づき執行命令書にサインしなかった」
90年12月から約10カ月間の在任中、死刑執行命令を下すことを拒む。後任の田原隆法相時代も処刑ゼロであった。その結果、戦後死刑史上かつてない約3年4カ月にも及ぶ無処刑状態が続く。
 真宗大谷派浄雲寺(大阪市阿倍野区)第11代住職。死刑廃止を推進する議員連盟二代目会長。
 就任後の1991年9月11日、アムネスティ・アムネスティ・インターナショナルのアネット・フィッシャー国際執行委員長が死刑制度の廃止を求めたのに対し、「国民世論の動向が死刑制度廃止を必ずしも積極的に考えていない。現状では慎重に判断していかなければならない」と述べたが、在任中死刑執行命令書へのサインを拒み続けた。死刑執行停止連絡会議(代表世話人:菊田幸一弁護士・当時明治大学教授)関係者が退任直前に左藤法相に面会した時には、起案された「死刑執行命令書」が机の上に乗ったことを明かしたらしい。同会議関係者によると「自分の思想と信条に基づいて執行しなかった」と語ったという。

っていう人なんだけど…しらんかぁ…私だけか…ショックだ…知らんか…しらんかぁ…


初コメントですm(__)m
私は千葉法相が立ち会いをしたということは、もっと評価されてもいいのではと思っています。

鳩山邦夫氏が法務大臣の時13人の死刑執行を行い、粛々と…なんて言ってましたが、実際は壮絶な現場。

千葉法相は老い先短いお婆さんで、保身のために、立ち会いまでするだろうか。
落選し楽隠居できたものを、残りの人生を悪夢にうなされること覚悟で
『見届ける責任があると思った』
と立ち会った。
その言葉は、刑務官など現場の職員達にとっても誠実なものだったし、そこまでして、死刑制度の議論をおこそうとしたのか…とか、死刑存置派の私まで考えさせられました。



 連投失礼
 もし千葉大臣が、就任直後に死刑を執行していたら。
 「私は死刑に反対だが、自分の職務は果たす。その上で国民には死刑廃止を訴えていく」

 これなら死刑の是非とは別に、評価をえられていたことでしょう。


 自分が死刑に反対だから職務を放棄してきた千葉大臣。自分が国旗・国歌に反対だから職務を放棄した教員。
 左翼の好む人たちは、どうにも国民から支持されませんね。

 ただ今回の大臣の行動は、職務を果たした上で国民に訴えたのですから、悪くないと思います。
 願わくば最初からそうしてほしかった。


なんでこのタイミングなんでしょうね?
法律的には執行は当然でしょう。
しかし意外でしたね。千葉法相の過去の言動から死刑反対派が期待したのも事実です。実際死刑が執行されるたびに法務大臣を非難していた廃止派は沈黙を守っています。その点お玉さんは立派ですね。現職閣僚が落選しても大臣を続ける、きわめて異例です。そして死刑執行。
官僚に負けたと書いている死刑囚の姉と称する人物がいますが共同通信では千葉法相は(死刑執行を法務官僚側から説得されたとの一部報道に対しては「まったく当たっていない。法相を拝命することは当然ながら、そのような職責を負うと当初から念頭にあった」と述べた。)と配信しています。
結局立場が変われば普段の言動と反する事もやるって事ですね。政治家は信用できませんね。


うろうろ
私は存続・廃止どちらともつかずにうろうろと悩んでいるのですが、死刑制度よりは被害者遺族の諸々様々なケアの方に興味あります。
以前、スピリチュアブームで江原さんがTVに出まくっていた時の番組。
姉妹を殺された両親を訪れる江原さんの話は、犯罪被害者・遺族のケアが貧弱なんだなぁという印象を受けたのです。
わが子を2人も殺された両親に江原さんは「あなたたちは犯人が処刑されたら自分達も死のうと思っているね」「でも、姉妹はそれはやめてくれと言っていますよ」
両親の号泣
と、ここでTVの前の視聴者は涙涙なのですが、私も涙が止まりませんでした。
娘たちが殺された後、この両親が“犯人が死刑になるまでは生きよう”と、最後には自分の死を最終目標にしないと生きる糧を持てない事に。
本来、それは江原さんがする事じゃないと思いましたし、今まで何故この両親が心のケアもされないままに放置されたんだろうと、本当に悔しかった。

私たちは犯人が死刑になったら溜飲を下げて終わってしまうかもしれないけれども、その後残された人達は本当に幸せに生きる事ができるのか?と疑問に思った時、初めて自分が殺したんだから殺されて当然と思っていた事が、被害者・遺族のためというよりは自分の満足のためだったなぁ・・・と回顧したことから、死刑存続に疑問符が付き、どちらとも決められないままに迷っているところです。
積極的な廃止派ではないのですが、存続に疑問を持っていると言うと、大体被害者や遺族の気持ちを持ちだされるので、やはり制度についてどうしても向き合わないといけないようです。
まとまりないですが、思った事をつらつらと書きました。


杉浦 正健氏のことです。
「弁護士出身で、また真宗大谷派の信徒であることから、2005年の法務大臣就任時に「死刑執行のサインをしない」と発言した(1時間後に撤回)。法務大臣在任中の2006年9月にも法務省側から提示された死刑執行命令書への署名を拒み、小泉純一郎の自由民主党総裁任期満了に伴う内閣総辞職の同月26日まで死刑は執行されなかった。1993年に後藤田正晴が法務大臣として死刑執行を再開して以降、死刑執行命令書に署名しないまま退任した法務大臣としては最長在任記録である。」



法相が死刑を執行を行うのは法律に定められた職責です。

彼女は死刑反対論という持論を持っていますが、この死刑がそういった私利私欲のために行われたのだとしたら・・・。

この法相の心根を空恐ろしく感じるのです。

法律に定められた死刑を別の目的で執行した。
人の命をもてあそんだように思えてなりません。

死刑反対論者の彼女は法相を辞退してその姿勢を見せるべきだったと思いますね。


宮崎あおいなんかチンピク度=ゼロ
コケシ女の出てくるオリンパスの「こころとからだ、にんげんのぜんぶ」というCMをみせられる度に「たかがデジカメごときで何言ってのヨ」とゲンナリする。

一方で、社会契約とは、自然人の「あの野郎、ブッ殺してやる」から「困っている人を助けなくては」に至るまで、およそ「にんげんのぜんぶ」を公正、明大、慎重、適切、かつ誠実に履行されることを期待して委託されるものである。

要するに、「公正、明大、慎重、適切、かつ誠実に審議の結果、貴方への加害者は死刑にはなりませんでした。お気の毒ですが。」というケースはアリだが、「死刑を選択肢にも含めませんでした。」は決して許されるものではない。そのような瑕疵のある社会・政府は、社会契約で留保されているところの革命権の行使に正当性を与える結果を生むことになる。反動で、「我々は更に誠実で漏れがありません。死刑?任せて下さい。」という「ぜんぶの党」がファナティックに躍進するかもしれない。急進的な革新はしばしば大きなひずみを伴うものだ。

「死刑は国家の名による殺人だ」とか言っちゃう人は、そもそも国家とはそういうもので、ゆえに少なくとも今日明日の見通しが立つのだ、ということが全く理解できていないことを自ら告白している。ヒューマンネイチャーの聴き込みが足りないわ。ダン・ビ・ルビ・ドゥン・ダン♪


死刑廃止論者は大いに反省すべし
制度としての死刑廃止論まで取り下げる必要はないが、これを機に、死刑廃止論は、自分たちが「逃げていた」問題について、もう一度考え直してもらいたい。

「許されるなら、あいつを殺したい」と思う被害者遺族や友人知人は多いだろう。死刑廃止論者は、その人たちの気持ちを、「結果として」汲み取ってはあげない、思いやらないことになる。
悪人がのうのうと生き残り、善人が死にゆく世の中など、誰も望んではいないと思う。そのことにも、死刑廃止論者は矛盾した「結末」を望んでいるのと同じことを述べているのである。

私が言いたいのは、死刑廃止論を取り下げたり、死刑存置に変更せよというものではない。ただ、死刑廃止を望むならば、この2つの十字架を背負う覚悟も同時に持て、ということである。

これからは「死刑を望む被害者遺族に、あなたはどう向き合いますか?」という質問に対して、「死刑にしても解決にはならない、癒されない」とか「死刑を望まない被害者遺族もいる」などということを述べないこと。

死刑存置論の私が、あえて「敵に塩を送る」とするならば、死刑廃止論者にとって、私が出した設問に対しては、答えが見つからないなら見つからないでいいのだ。
大切なのは、その課題があることを踏まえつつ、それでもなお見出そうとすること。それこそが、死刑廃止が誰にも納得のいく実現の仕方に近付く道なのだと気づいてもらいたい。


ネッド。さん

うちも産経とってますが、産経の記事はちょっとやりすぎですね。
それを真に受けるのもどうかと思いますよ。

さて、この法相の判断の是非ですが、日本の行政自体が「水際作戦」「排斥」を第一としていますから、行政機構全体のあり方(理念)を議論せずに最後の「死刑」だけを議論しても個人に責任を負わせるだけですから、それはそれでしんどいことかと思います。


左藤恵さんのことでしょう?
左藤恵さんの選挙区にすんでますから、知ってますけど…今は引退されて、娘婿さんの左藤章さんですけど、落選してたような…でも、それは個人的信条ですよね…国の方針じゃないですよねぇ…執行書に署名しなかったら…国として討論しなきゃいけない問題を法務大臣が署名しなかったら、執行されませんって、なんか変だと思いますし、法務大臣に死刑廃止の権限があるのとは、別問題ですよね…といって、死刑をしろ!なんていってるわけではありません…私は、死刑廃止モラトリアムに賛成ですから…
 では、言い方を変えます…「法務大臣の職務には死刑執行も含まれる」ということです…ネッドさんがいうように、「死刑廃止論者が法相になるべきではない」とまでは思いませんが、法務大臣には、死刑執行(の署名)も含まれるという事の覚悟をしてほしいです…
 もっとも、法務大臣の(引継ぎの)申し送りで、死刑執行書の署名をしないで、なし崩しで「死刑執行モラトリアム」へ持っていけばいいんじゃないか…法的に廃止にしなくても、死刑執行をしなければいいんだということなら、それもありなのか、とは思いますけど…私は曖昧になかった事にするって得意ですけど…とすると、毎回、法務大臣には、死刑執行廃止論者をつかせないといけないわけだし…以下略…で、ぐずぐずにぐだぐだにするって、わけでしょうか?
 この時期に死刑執行すれば、あーだ、こーだって言われるに決まってます…それでも、思想は自由、現実は現実。を受け入れて、しかも、執行に立ち会ったという…私は経験論って嫌いですけど、死刑執行に立ち会った死刑廃止論者として、千葉さんの言葉は重くなると思いますが…死刑廃止論者の方々は、それでも「人殺し」とでもいうんでしょうか…


おっと。訂正。
どうやら死刑執行命令書にサインしたのは任期切れ前日の、7/24だったようですね。
ギリギリ民間人ではない時でした。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100728k0000e040042000c.html

>民主党の枝野幸男幹事長は、千葉法相が死刑執行命令書に署名したのは参院議員の任期(7月25日まで)が切れる前の24日だったことを明らかにした。

これを踏まえると、何故7/27にこんな事を言ったのか謎です。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100727/plc1007271234009-n1.htm

>千葉景子法相は27日、民間人閣僚となって初めての記者会見で、法相の権限である死刑執行について「死刑は大変重い刑であり、これまでも慎重に対応されてきた」と述べ、従来の方針通り死刑執行命令には署名しない考えを示唆した。

とても慎重に考えて死刑執行したようには見えません。
死刑反対派は千葉氏に対して批判せねば、普段反対している事と矛盾が生じますよ。


千葉氏が行ったのはパフォーマンスでしょう。
廃止論者であり、ずっと死刑執行を拒否してきたわけで、民間人になった途端執行するというのはパフォーマンス以外の何物でもありません。
議員のままだったら執行してなかったでしょうね。

仕事としては当然の事をしたわけですが、少なくとも千葉氏を人間として信用は出来ません。

そもそも死刑廃止論者が法相になるべきではないと思います。

>にほんは、今回の千葉法相の覚悟の執行を期に、様々な国がたどった道のスタートラインにやっとたてるのだろうか?
>それとも、ずっと後ろまで下がってしまったのだろうか?

こういう言い方は凄く嫌ですね。
「試験賛成派は遅れている」と断言してるわけですから。


普段善良で、家庭人としても社会人としても申し分のない夫や息子の一言、

「犯罪者はとっとと死刑になればいい。」「死刑囚のために議論するより、政治家は年金や雇用について議論しろ!」

人間はやはりこういう怖い一面があるのでしょうか?反論できませんでした。千葉さんの思いが議論につながりますように。


それは違います。
「死刑執行モラトリアムが政府見解と国会の承認でもない限り、死刑執行を止める権限は法務大臣にはないのです… 」
それは明らかに違います。法務大臣が執行命令書に署名捺印しなければ執行は行われません。
自民党政権時、宗教的な問題から執行をしなかった法務大臣がいました。


逡巡に
 法務大臣がその職務を執行したに過ぎない…という趣旨のblog記事(http://blog.livedoor.jp/shunzo480707/archives/2869815.html)を読みました…死刑反対であろうが、元アムネスティだろうが、人権派弁護士だろうが、元議員だろうとも、現「法務大臣」であり、死刑を執行するという職業であるのだと…
 死刑執行に立ち会ったとも聞きました…そこにどんな逡巡があったのでしょう…神の前には全ての罪びとは許されると聞きます、全ての人は許されて、仏に帰ると聞きます…では、死刑囚はどこに行くのでしょうか…死刑執行に立ち会った彼女は何を見たんでしょうか…
 死刑執行モラトリアムが政府見解と国会の承認でもない限り、死刑執行を止める権限は法務大臣にはないのです…
 私は千葉さんを存じ上げませんが、議員という制約から離れてからの活動に興味があります



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2010年8月7日(土)  当ブログの 【8月4日の記事】 や 【7月30日の記事】 で、国会議員の定数削減問題を論じ、【8月4日の記事】の最後に、「国会議員自らが身を切る」 というと 『議員定数の削減』 となっていることを 「おかしい!」 という議論を高め、 マ
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asahi.com(朝日新聞社):死刑執行に立ち会い、千葉法相「根本からの議論が必要」 - 社会 落選後になぜ?廃止論者の死刑執行 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)  議論を起こすための死刑執行って お隣がテポドン発射 → アル中「核武装の議論が必要だ」レベル...
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プロフィール
Author:お玉おばさん
お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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お玉が思う迷惑コメント

基本的に愛が感じられないコメントはダメ、 (臨時追記)人が知恵熱だといってるのにばんばん記事違いなコメントをこれでもかと送ってくる愛のないものは、完璧にお玉基準的アウト。お玉基準がわからない人は、文句があればよそで愚痴いってOK !基準に対しての文句は受け付けません~~~ここはお玉のテリトリーだもん。なのでよろしく。/p>

  記事違いなコメント

馬鹿な文章のコメント

長文(1000字以上)コメント

連投コメント は表に出ません。

でも、お玉が愛を感じたら記事違い、長文、連投、暴言でも表に出すことはある・・ようは、愛です・・愛!また、TBも同じような基準で判断させて頂きます

マガジン9条読んでね~♪
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