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2023/06
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65回目の夏に
  昨夏、NHKの討論番組に出たとき、日本核武装論を振りかざしてくる人たちの存在にとても驚き、一生懸命正論で「それ、間違ってるよ」と議論をしました。
護憲派も改憲派も大きな声の人の意見が表面上は取り上げられながら進んでいく様子に、これでは一般視聴者にはほとんど何も伝わらないなあと、実はあのとき思ってしまった。

 さて、北朝鮮がもしも核を日本に発射してきたらどうする? という問いかけに対して、その行為の国際的なデメリットについては何度もここで書いてきました・・・・・・でも、北朝鮮が逆切れして、自暴自棄になって、もしも日本に攻撃してきたら。

いま、お玉は、元防衛省の方々の対談本のお仕事をしている中で、彼らが逃げずにそのことを「考えようとしている 」すごさを感じています。もしも北朝鮮が本気で暴れたときのことって、実はいままで、政府は具体的にはなにもかんがえてないし、アメリカが何を考えているのか、本当のところはなにもわからない、というのは、かなり驚きました。

もしも北朝鮮が核兵器を日本に打ち込んできた場合、その報復として、アメリカは核兵器を打ち返してくれるのだろうか? 日米同盟があるからしてくれるかな?そのとき、そのボタンを押す判断をするのはアメリカ?それとも日本でしょうか?
日米同盟があっても、実はアメリカがどういう風に日本を守ってくれるのか、防衛省も把握できていないことがとても多くて、防衛省のお偉い方々がわからない話を、なぜ自衛官でもない普通の人たちが知っているかのように、ネット上で発信できるのか、これはお玉ブログ開設当時から思い続けていたことだけど、今回、お仕事で対談の内容を知るにつけ、リアルな体験がある人の話こそ、改憲派の方であれ、護憲派の方であれ、聞いてみなくちゃわからないと気持ちを新たにしました。

ほんとに、アメリカという国は、日本のために「報復行動」として、核ミサイルを撃ってくれるのか?・・・・ここをつついていくうちに日本核武装論、核抑止論などという方向に、なびく人がいるのかもしれません。まずは、防衛のプロたちがなぜそういう判断をしないのか、(あ、一部にはもちろんいるけどさ、田母神さんね)ここをきちんと押さえるべきかもしれないね。

と思って今日の超左翼おじさんのところをみてみたら、こんな文章書いてはった。

しかし現在、アメリカ自身、核兵器がテロリストにわたることをおそれ、核兵器のない世界を提唱しはじめています。その時に、旧態依然とした核抑止力論を日本がかかげるのは、いかにも時代遅れだと言わざるを得ないでしょう。

本発売まで、後2ヶ月。マニアックで、あまり売れないかもなあなどと思いつつ、読んでほしい。切に思います。

防衛の現場で汗を流す人たちが、憲法九条をいかしつつ、現実的に、戦略的に外国と渡り合っていくことを模索していることを知れば知るほど、お玉ら護憲派も負けてられへんと、65回目の8月6日に思いを新たにしています

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Secret
(非公開コメント受付中)

核抑止論は幻想で最悪の誤謬
 これが草の根の平和運動家だけではなく、国連の事務総長や、アメリカ政府の元高官らにも共有される時代に入ったのですね。その時に、核抑止論にしがみ付くのは正に時代遅れの冷戦思考ですよ。冷戦時代の相互確証破壊が核抑止力論ですからね。それが冷戦終結で核抑止論の形態が変化してきた。つまり、テロ勢力が核兵器で武装するような非対称の「冷戦」構造のぶり返しのようなことになってきた。さらに、国家間でいえば、インド・パキスタン、北朝鮮の核武装であって、核抑止力には何の効果もなく、むしろ、核抑止論に立つ大国の論理を真似て防衛核、核抑止論に立って核武装した。

 こうした状況の中で核抑止力論の誤謬が明白になっている。

 被爆国・日本民族の肉声の立場から、世界で唯一の核兵器先制使用攻撃を受けた被爆者の立場から核抑止力論、核兵器の先制使用に反対することが必要な日本国民の義務であろう。

 被爆者の立場に立つというのは、そういうことだ。口先で被爆者の立場を利用する核抑止力論者の欺瞞にはうんざりだと言いたい。


暑さで死んでます
>そうか、コメントに愛がないので表に出ないのか・・・

ちがうわい、二日間ネットの前にいなかったんだよう!!


連投らしい
そうか、コメントに愛がないので表に出ないのか・・・
で、愛?
ふ~ん。。。

naokoさんへ
>greenstoneさんにもう少し対話を続けて
やっぱりね、実際に顔つき合わせての方が、ずっと実りがあるように思ったりして。
不信感と書かれていますが、確かに本音に近い関係を他者とつくっていくなんて、いつでもうまくいくとは限りません。けれど、少しでもなにか、自分なりの目標があるならば、うまくいかないなりにでもなんとか関係をつくっていかなければ先行きに何も期待できない。その意味で、単に自己保身のための関係に陥らず、互いが発展していける環境だとか素地を大事にすべきですよね。

でもネットではそこまで考えなくてよいと思っています。greenstoneさんにおかれては、実際の人生で色々な人とどんどん関わっていけばいいだけの話です。あくまでネットは、日常とは違うさまざまな他者とあいまみえる機会ではないですか?そこでの対立は、実際の人間関係よりは都合のいい距離を保っていられるので、まああまりヒートアップしなくても楽しくやればいい、なんて言ってみたりして。

さて、このたびの愛はこのくらいでいかがでしょう。
は? 隠し味がないから却下ですか?
あーあ。


どうも。
>naokoさん
そうですね。「互いの不信感」がどうしてできてしまうのかを、もっと丁寧に考えてみることが大事だと思います。
その他、いろいろ言っていただき恐縮です。主張がすれ違うだけではなあ、ということで少し書かせてもらいました。では!


「さま」は遠慮します。
ライ麦狼さん
丁寧に書く余裕がないのでごめんなさいね。

>平等に扱うべき
すべてが同じように大切、となると、そりゃ理念的にはすごいかも知れませんが現実として無理じゃないかと思います。歴史的な出来事を、ひとつひとつ丹念に扱うことがふつうの人間に可能かどうか。やはり、関係の大小から対象の選択が起きて自然だと思うのですが。アメリカ人にとって9.11のテロ事件が大きな意味を持つのと同じように。

>繋がりの無いモノはしったこっちゃ無いの?
本当に関係がないかどうかは、あまり軽率に判断すべきではないと思います。ただ、先に述べたのと同じ理由でエネルギーを割けないことは現実的にありますよね。


よかった!
 〝辛らつ〟とコメントをしていただけるコウトさんが居て頂いてありがたいです。
 こちら(お玉さんのところ)は、いいところで大切な〝ちゃちゃ〟を入れてくださる方(やりちゃん・コウトさんなど)がいらっしゃるので助かります。

 ネット上でも、リアルでも、はにかみからというより、互いの不信感から、「公」の場で自分の「私」の感覚・主観をストレートに表現し合えないというのは、特に最近の日本社会においては最大の問題点と感じています。
 その状況のために、「公(現代ならば客観性・科学的な手法など)」を隠れ蓑にせざるを得ないというのは、程度の問題はありますが、わからないでもありません。わたし自身も、多かれ少なかれ、そのように対話していると思います。

 また、「私」の感覚同士が互いにどこまでも相容れないのが現実というのもわかります。

 そして、『少なくとも打てば響くところまで成長する可能性を見過ごすべきではない』というコウトさんの言葉はまったく同感です(笑)。

 実は、先のわたしのコメントでここのコメント欄が終わってしまったら、どうしたものか、と少々責任を感じていたところでした(苦笑)。

 コウトさん、助かりました。ありがとうございます。


 それにしても、わたしとしては、greenstoneさんにもう少し対話を続けていただきたかった気がしてます。対話をやり通したほうが、互いにとって得るものが多かったのではないか、と。

 あと、ライ麦狼さん。先のコメントでは、わたしは真面目にライ麦狼さんに向き合ったつもり。たとえコメント上のみだろうと、人と人として向き合う以上、人間的な感触や手ごたえを無視してやりとりをすすめるのは、わたしは無理だな。
 仕事上どうしても背に腹は変えられない場合は別だけど、そうじゃないなら、リアルでもそんな付き合いはしない。
 生身の人間の感触抜きで情報だけほしいなら、検索だけですませればいいわけだしね。

 わたしはそう考える、けど?


ご返答ありがとう御座います。
コウトさまへ

記事違いの我侭な質問に、ご返答いただきありがとうございます。

やはりあの太平洋戦争を特別に扱ってしまうのは、「身近で、今の社会を形成する過程で大きな要因のひとつなので、特別な扱いとなる。特別じゃない扱いは難しい」
という感じなのですかね?
また当事者性に関しては、「自分の事・自分に繋がる物事であるという自覚」として捉えられるか? という具合でしょうか?

なるほど、そういう考え方もあるんですね。
自分としては「特別扱いしちゃダメだろ。出来るだけ平等に扱うべきだろ」「じゃあ自分と繋がりの無いモノはしったこっちゃ無いの? 別の扱い方しちゃうの?」という考えが基本的にあったので、コウトさまから説明いただくまで、ピンと来ませんでした。
あの戦争そのものというより、日本人・自分と関連させて、「日本人にとっての・自分にとっての、あの戦争とは何なのか?」 というスタンスのかんがえでしょうか?




>単に技術・手法をノウハウとして発信するというのは、現実に関わる判断においてはほとんど意味がない。というのも、同じ状況と言うのは二度と繰り返されないし、基本的にすべての経験と言うのは一回きりのものだからです。

はい、私も100%同じ状況まで想定はしていません。ある程度似たような状況で、「戦訓を活かす」というところです。



>他人の主観を探ったり判断するというのは、傍から見ても気持ちが悪いです。それでは単なる覗き見といっしょです

簡単に、相手の性格や考え方、好き嫌いを決め付けて、「あなたは○○が嫌いな性格みたいだ。あなたの発言には△△が無い。無意味なコメントだ」と、言ったりしないように、相手をよく知ろうとしているだけなんですけどね。
「議論や対話は、相手の見方(主観)を知ることにある。そこに興味を持てないなら・・・」と仰ったてる通り、相手の見方(主観)に興味があり、多面的に見てみようとしているだけなんですけどね。それに覗き見といっても、相手の主張に含まれる情報しか見えませんよ。やっている事は、その情報りジャンルの幅を広くしているだけですよ。

不真面目という事に関しては、別に誘導した訳ではないのですが、naokoさんの8/17 01:48:58時のコメントが良い例なんですよね。
特にnaokoさんがという訳でなく、このような場での「戦争」・・・もしくは、9条や軍事が関わる外交の議論全般なんです、
「発言」の問題点・改善点を指摘していたものが、決まって「発言」の中身よりも、「発言者」の性格ゃ人間性を持ち出しての批判が出てくるんですよね。
そういうのが、どうにも不真面目に思えるのです。
もちろんケースバイケースなので、一概には言えませんが。


厳しいですね!
naokoさんの物言いは辛辣ですよね。
意味合いは理解できるので別に非難はしませんが、少々ひっかかるところのみ言及します。

ライ麦狼さんの言うことに案外同感できる部分があるのは、ひねくれているかどうかはともかく、(^^;)
言いたいことをきちんと伝わるようにする意思がみられるからです。
自分の感覚を堂々と表現することは、人にもよりますが勇気が要るものです。なぜなら「私」の感覚というのは第一にプライベートなものだからです。ゆえに、それを覆い隠して生きるのが、大人と呼ばれる生き物であると思っています。「公」に生きていることを隠れ蓑にできるというわけです。
naokoさんの正論に対して、みながみなそれに異存なしとなるような平板な世界であれば、有る意味そう悩む必要はないでしょう。しかし現実は、当事者になれないその他大勢が闊歩する世界が一般的であるはずです。プライベートな言論が互いに交わることなく主張し続ける、それがこの世の真実であるとすれば、そのありようをまず受け止めることからはじめることが、唯一の方法ではないかと思っています。

大人たちの意味のない口上よりは、反大人であろうとする跳ね上がった態度の方がまだしも救いがある、と考えるのは、甘い判断でしょうか?
少なくとも、打てば響くまでに成長できる可能性があるならば、それを見逃すことはしない方がいいかも知れない。


 まずコウトさんのおっしゃっていることには違和感がありません。
 〝当事者性〟を、「自分に繋がる物事であるという自覚」と捉えるということですね。それは、〝感情〟も含まれるでしょうが、コウトさんのいう〝価値観〟に関わるものです。つまり善悪の判断・評価において、生身の自分を脇に置くことをしないということ、でもあります。
 単に技術・手法をノウハウとして発信するというのは、現実に関わる判断においてはほとんど意味がない。というのも、同じ状況と言うのは二度と繰り返されないし、基本的にすべての経験と言うのは一回きりのものだからです。

 それから、ライ麦狼さん。自分の主観が嫌いと言う人が、他人の主観を探ったり判断するというのは、傍から見ても気持ちが悪いです。それでは単なる覗き見といっしょです。意味のある対話には決してならない。
 むしろ社会における〝不信感〟を増大させる行為なので、やめたほうがいいですよ。
 極めて不健全で、ある意味、品のない行為です。
 相手とまともに向き合う気がない、と言う意味で、それこそ〝不真面目〟の極致です。

 そういうご自身の不真面目さに気づかれたら、その時またお話しましょう。


どーしたもんスかね?
>ライ麦狼さんはなんのために考えたいのだろうか?
>戦争について、歴史について考えるのは何のため?
>当事者性をを排して他人事として考えたら、戦争をなくせる、あるいは戦争の被害を縮小できると考えているのかな?
>あるいはなんらかの教訓を得られるとか?

仰る通り「教訓」ですね。
温故知新、過去の歴史を分析して未来に生かしたい。
別に自分が歴史の担い手でなくとも、今起きている事・これから起きる事の判断材料にしたいのです。
それも道徳めいた感情や人間性の話ではなく、技術・手法といったノウハウとしてです。

ただ、実は”当事者性”という言葉の意味を、どう理解して良いか解らないのですが、「”自分に関係している事”と実感しやすいかの目安。感情移入しやすいかの目安」と認識していいんでしょうか?
それなら、確かに、伝える相手が当事者性を感じる情報は、相手に伝わりやすいと思います。ですが、「内実をもたない」というのが、いまいち理解できないのですが? ・・・別に相手がどう捉えるかで、情報の中身に変化は無いのですから。
また当事者性の意味を「情報を発する方が、当事者か否か」としたなら、当事者じゃなかったら「責任回避にしか見えない」というのが、悩んでしまいます。


>ライ麦狼さんは、他人の〝主観〟が嫌いらしい
う~ん・・・確かに”主観”は嫌いですね。他人のだけでなく、自分の主観も嫌いです。・・・と言いますか、議論の邪魔になるとは思っていますし、主観をぶつけ合う議論は嫌いです。
特に日本で「戦争」の事を議論すると、主観や感情のぶつけ合いになりがちです。特に護憲派と呼ばれたり、日比谷公園で叫ぶ団体の人だったり、右翼と呼ばれたり、新宿駅西口付近で街宣車の上でガナる人だったり、・・・軍事も経済も外交も、とってもフリーダムに無視しまくってる姿は嫌いです。
また参考にする情報に、他者の主観や思い込み、感情移入やこだわりがあると、情報の質は落ちると判断します。
交通事故の当事者同士の発言が、信憑性を欠いているみたいに。
願わくば、”悲劇”ではなく、よくある歴史上の出来事として、主観や感情の無い、怒りも悲しみ憎しみも無い状態で、それなりの知識をもとに、多くの人が議論できたらなぁ、と思います。
その願いが、”我”として、文章から漂っていたのでしょうか?
一方で、”現場の意見・生の声”のように、実際に携わった人の意見も重要と思っていて、それが前述の”・・・嫌な話ですが”にかかります。
どーしたもんですかね?



>議論や対話は、相手の見方(主観)を知ることにある。
もちろん、相手がどんな考えを持っていて、どんなプロセスをへて、その考えにいたったか? は興味があり、こちらのブログでも、威力偵察じみた質問や疑問の提示はさせてもらってます。
ただ、凝り固まった議論や常套句の応酬に、別視点のツッコミを妙な角度で打ち込めたなら、見えなかったモノが見えてくるかもしれませんし、より良い発想も生まれるかも知れないので、認め合うだけでも批判しあうだけでもダメなんでしょうね。ブレーンストーミング的な議論も必要かと思います。



>ライ麦狼さんは、自己を、そうした社会の流れから完全に独立した存在と捉えているのだろうか?
まったくもって、独立してないと思っています。

逆にnaokoさんの「わたしは自己を歴史的な流れの中に位置づけられるものとして」というのも、自分が歴史的な流れにおいてどういう位置にいるかで、自分の意見をきめているのでしょうか?
社会や歴史の流れに合わせて、自分の意見を決めなければならないんでしょうか? 
もちろん自我の形成・入手する情報の種類において、社会や時代背景の影響は受けます。ですが、○○についての考え・意見は、○○がどんなものかで決まる筈で、「自分が歴史的な流れで××という立場だから、△△という考え方をする」では無いはずです。
反論というよりも、質問なんですが。


>わたしが特攻について、まじめに議論していないと判断した根拠を教えていただけますか?
あー、naokoさんがというより、この様な場での議論において「日本人としての自分自身のアイディンティティに関わる問題」と扱われねのは不真面目だよな・・・と思っていたしだいです。


記事違いーー
なので手短に。
ローマやモンゴルの兵士がいかに闘っていかに死んでいったか、とかいうのは歴史小説的な興味からは面白いと思います。が、自分の心象風景に照らして受け入れられる範囲ではありません。naokoさんがおっしゃりたかったのは、ある程度自分ごととして物事を捉えられるかどうかという意味かと思っています。

物事を理解・判断する際には、自分がこれまで培ってきた価値観から逃れようがない。ライ麦狼さん的にはそこが問題だと言うのでしょうが、ではいったい私たちは、何を核にして判断するのか。人権という抽象的な問題を考えるときにも、自分が与えられてきた権利を抜きにして一般論を問うことは困難ですね。今の私たちは比較的楽に、飢えや破壊的な暴力から自らを守っていられます。それが当然です。ですがひと昔前にはそれは無理だった。連続している歴史ではあっても、その点で私たちの置かれている立場は特別です。今の私たちが、前提条件の違う歴史上の他者をどう認識すべきか。そこでまさに、今の私たち自身のありようと関連させねば、議論そのものに実態がなくなるだろうというのがnaokoさんの言うことでしょうか。

自分とローマ人たちの共通点を検討するのは骨が折れる作業ですが、先の戦争時の日本人兵士や銃後の人々との距離はそれよりずっと近い。いかに戦後生まれ、民主的教育を受けてきた私たちといえど、戦争を体験した先達が生きてきた時代・状況を想像することはまだ、不可能ではない。現代日本人のアイデンティティは、西欧諸国との関係抜きにはありえない。そのひとつの通過点としてとしても、彼我の戦争は大きな意味がある。

私たちは根無しの放浪者ではなく、この日本という土地に精神的には大きく縛られた人間です。特殊な条件を吟味しながら世界に通じる価値を育てるために自他の関係は大いに役立つはずだし、だからこそ日中、あるいは対米の戦争をどう捉え、なにをすくい取っていくのかが、未来へとつながる重要な課題なのだと思います。

え?ぜんぜん短くない?


それから、もうひとつ
わたしが特攻について、まじめに議論していないと判断した根拠を教えていただけますか?


ふ~む
他人事と客観は別でしょうに。

ライ麦狼さんはなんのために考えたいのだろうか?
戦争について、歴史について考えるのは何のため?
当事者性をを排して他人事として考えたら、戦争をなくせる、あるいは戦争の被害を縮小できると考えているのかな?
あるいはなんらかの教訓を得られるとか?

しかし…。
あなたもまた、歴史の当事者なんだけど、ね。
その当事者性を無視することは、百害あって一利なしだよ。
その理由のひとつは、周囲から見てそれが責任回避にしか見えないこと。
さらに、当事者性を欠いた物言いは、まるで他者に伝わる内実をもたないこと。そのくせ、実はあなた自身の〝我〟だけは文章から、伝わってくるのです。
失礼ながら、そうした態度は、かなりひねくれた卑怯者に見えます。
ライ麦狼さんは、他人の〝主観〟が嫌いらしい。
しかし、相手は主観のかたまりで、自分の方はそれをもらしていないと思い込むのがそもそも間違いではないかな。

事実は、相手も自分も共に主観のかたまりなのに、ね。
それでいいのだし、議論や対話は、相手の見方(主観)を知ることにある。そこに興味を持てないなら、単に相手の意見にちゃちゃをいれるだけの、それこそ生産性も発展性もないコメントになってしまう。

わたしは自己を歴史的な流れの中に位置づけられるものとして語っている。反論するなら、もうちょっと発展性のある議論にしてくれないかな?

ライ麦狼さんは、自己を、そうした社会の流れから完全に独立した存在と捉えているのだろうか?


「身近」で「特別」
naokoさんへ

コメントありがとう御座います。
やはり「身近」だから「特別」に扱ってしまうんですね。
それがこのような場での議論が、他人事として客観的に議論できず、特攻に関して「アイディンティティに関わる問題」になってしまい、戦術論・手段・技法としての良し悪しを真面目に議論できないのでしょうか?

また、議論と言っても、精神やポリシーに根ざしたモノになってしまい、過去の歴史を分析して未来に活かすというモノではなく、自己の精神やポリシーのありようを求めた、言葉遊びになってしまうのでしょうか?

と同時に、あの戦争以外の戦争にさえ、客観的な歴史分析ではなく、自己の精神とポリシーを求めてしまい、幅広い時代の情報収集や、今現在に世界で起きていることに鈍感になり阻害してしまう。
結果、真面目な議論が出来ない状態になってしまう・・・のでしょうか?

戦争経験者やあの戦争を身近に捉える世代が、死に絶えた後にこそ、当たり前の歴史分析が、客観的に出来るのでしょうね。・・・嫌な話ですが。
人間、自分や親族の人生を滅茶苦茶された戦争に対して、客観的に理論的・技術的に捉えることは出来ないものなのでしょうか?

かといって、完全に他人事の「ジハード」に対して、興味の無い人が誤認しているように、遠すぎる物事は議論や情報収集の対象にすらならないのでしょうね・・・


そうでしょうか
>被爆者支援団体
私からすれば十分「縁もゆかりもない」です
大目に見ても「無関係とはいえない」程度ですね
問題は、実際に被爆者が「アレは我々を侮辱した内容だ」と声を上げたのか、という点だと思います。
本人が侮辱された、と思ってないのに勝手に「アレ貴方達を侮辱したものですよね?そうですよね?そう思いますよね」と
先回りで勝手に善意を押し付ける輩は私大嫌いです。
善意なのは確かな分処置に困ります。
少なくとも、元広島平和記念資料館長・高橋昭博は2001年の朝日新聞の取材に対し
「31年前に見ても差別だとは感じなかったはずで、平和を願う気持ちが伝わる」とコメントしています。

>greenstoneさん
もう来られないそうですが一言。
囮、捨てゴマ、全滅させるための突貫など歴史上珍しくないですよ
「督戦隊」という「国が定めたシステム」は世界中にありますしね。


ライ麦狼さん
たとえば、明治期の日露戦争と太平洋戦争における自国兵士の捕虜に対する政府や軍の配慮という点から比較すると、雲泥の差、どころではありません。日露戦争においては、政府は赤十字などを通して、ロシア側に日本兵捕虜を丁重に扱うよう再三要請しており、また国内の親族からの手紙を届けたり、かなりの気遣いを示しています。また、帰国後の兵士たちには軍からのねぎらいと勲章の授与などもありました。
ところが、大正期頃から、〝日本兵は捕虜になどならない〟などという政府見解がはびこるようになり、捕虜の取り扱いに関する協定にも調印しませんでした。
そして挙句の果てには昭和の戦陣訓が制定され、捕虜となるものを出してはならない、という強制がまかり通るようになりました。
こうして撤退(転進?)時には負傷兵は射殺か毒殺、付近の民間人も処分してから撤退することが現地司令官に義務付けられた訳です。
また、死守せよ、と命じられた部隊には〝玉砕〟以外の選択肢はなく、戦線が崩壊して命からがら逃げ延びてきた兵士たちは、軍の〝恥〟とされて、早々に死に場所が用意されました。
比較検討しても、太平洋戦争時の日本軍および政府が、当時のナチスほどではないにしても、明らかに病的な側面を持っていたことは確かです。

そして、そうした病いをもたらした心性が、〝自暴自棄〟を理由とするのではなく、当時の日本人の責任回避の自己中な保身精神と、人を人とも思わない鼻持ちならない傲慢さと、欧米への根深く強烈なコンプレックスの反動にあるとわたしは感じているのです。そして、そうした日本人の心性は、現代日本人の問題としても特徴的な面があります。もちろん自己中と傲慢さは欧米人ほど破滅的に深刻ではありません。しかし、コンプレックスの方は根深く、それが日本人の精神に複雑に影を落としている、とも感じています。

さらに、特攻をどう捉えるのか、というのは、日本人としての自分自身のアイディンティティに関わる問題なので、元特攻兵の方々もまだぎりぎり生きていらっしゃる今、まだまだ身近な問題だと思うのです。
逆に、ムスリムのジハードなどは自分たちの問題とは捉えにくい。
また、その問題について深く考えることが、直接的には自分自身の切実な問題とも捉えにくい。

日中戦争・太平洋戦争が、なぜ特別か、と訊くなら、あたりまえに特別でしょうね、と答えるしかありませんね。
いつまでも謝罪、謝罪としつこい韓国の人たちの考える〝特別〟とは別の意味で、ですが。

これは一人の〝共同体主義者(コミュニタリアン)〟としての意見です。


特攻とかジハードって割とあるでしょ
何で太平洋戦争の特攻ばかり特別扱い?
・・・というか基本的なトコロで、何故に歴史全般じゃなくて、あの時代のあの地域ばかり扱うのでしょうか?
確かに65回目の夏なんですが・・・日露戦争から105年とか聞きませんよね?
「戦争反対」と叫ぶ人達が、ローマとカルタゴや、元寇・モンゴルの欧州攻め、ナポレオンのエジプト遠征、第一次世界大戦、などを並べて、いろいろと比較検討しているシーンにお目にかかりません。

・・・「ジハードで戦って死ぬと天国いける」的なお話は、コーランに書いてありますよ。まぁ、あの辺りは「イスラムの人って処女厨? 中古嫌い?」と思ってしまうので、詳しくは割愛しますね。 

もし「戦術」に関して語るならば、精神論や哲学めいたものより、軍事史や世界史、文化人類学など、その分野の領域で調べたほうがいいですよ。


greenstoneさんへ
昭和17年の段階で軍令部の兵器開発部門が特攻兵器の開発を行っていたのは、自暴自棄ではありません。それはむしろ彼らの人命軽視の思い上がった思考を示しているのです。
しかし、いかに軍令部と言えども、特攻作戦を連合艦隊に強制することはためらわれました。それは、むしろ彼らの姑息な責任回避の意識からと考えられます。
特攻の実現には現場からの熱心かつ執拗な実行要請が必要だった。神風しかり、回転しかり。
そうした要請を行った指揮官は、みなその責任意識から、自分自身が真っ先に特攻したり、終戦後自決したりしています。
そうした実戦指揮官たちは、非常に純粋な人たちでした。
また、その指揮官たちについていった若者たちも、それぞれに葛藤はあったでしょうが、やはり純粋な若者たちが多かった。
ところが、そうした初期の戦果を、戦意高揚に利用し、誇大に宣伝を繰り返したのは、かなり姑息でずるい連中である、頑迷な自己保身主義者たちでした。
彼らは、その後、特攻を全作戦行動に拡大し、この作戦で日本は本気で勝てると信じているふりをしました。
そして、自分は君たちの後から逝くといいながら、最後には逃げた連中です。
彼らこそが、日本を泥沼の戦争に引きずり込んだのです。自己肥大化した、鼻持ちならない傲慢さで、中国大陸にどこまでも戦線を拡大した関東軍の参謀連中とか、ヒットラーに魅せられてナチスと手を結んだ外務省の連中とか。
そして、多かれ少なかれ当時の日本国民には、彼ら同様の〝誇大妄想的思い上がり〟の風潮がありました。
自暴自棄ではなく、自らの思い上がりが、自分を窮地に陥れたのです。

結局そうした人を人ともみない〝我〟の強さこそが、本人も回りも不幸にするのだと思います。


超特撮おじさんの冒険
>シンペイ氏

>作品自体を見られるかされたのでしょうか?

生涯一特撮者の嗜みとして、押さえるところは押さえていますよ。ウルトラセブンは、優秀なスタッフらの類まれな才能とパッションが見事に結実した奇跡のような作品群であることに異論はありませんが、全部で50話近くあるエピソードの中には「侵略する死者たち」や「恐怖の超猿人」のように残念な仕上がりのものもあります。私の観たところでは「遊星より愛をこめて」もまた然りです。

監督の実相寺昭雄は、美術の成田亨にスペル星人のデザインについて

・皮膚にケロイド火傷を表現して。
・観た者に不快感をもよおすようなイメージを。

と要請しました。成田氏は「私の主義に反する」としてこれに反発。着ぐるみ製作班の高山良策にイメージ画をおこさずに、実相寺の言うがままの簡単なメモを渡すのみに止めました。極めて異例です。スペル星人が白っぽいのは、実は原画が無い為なのです。

実相寺氏としては、「醜いものと醜いものをかけ合せると、それはとても美しくなる」という哲学を貫かんとしていたのでしょう。スペル星人は腕時計をばらまいて、地球人から採取した血液を粉末化します。その粉末がスペル星人のアジトのガラス容器の中で再生されるシーンにはゾッとするような醜悪さがあります。これらある種、野心的な猟奇テイストの試みに、「いつの日か地球人と異星人は分かり合える。」というダン隊員のモノローグが唐突に接続されますが、「とって付けた感」が拭えないラストシーンです。このセリフが活きてくる為には、早苗という女性に恋愛仕掛けで接近するスペル星人・佐竹のキャラクター描写なり、少なくともスペル星人側の論理が伝わってこなければならない筈です。けれども、佐竹はコソコソと動き回り、時に逃げ隠れする単なる不審人物としか描かれていません。核となる主題のない、練り込みの浅い脚本です。

作品内で「ひばく星人」の呼称は無く、無関係な雑誌付録からケチがついた、と言われていますが、これは典型的なネット・コピペ文化の弊害ですね。特撮番組というものは膨大な制作費がかかります。円谷プロは、怪獣のソフビ人形やマシンのプラモデル、レコード等のロイヤリティーに頼らなければ経営は成り立ちません。一方、出版社としても、今をときめく怪獣番組の放映を待って雑誌記事を書いていたのでは、ニュース性も何もあったものではありません。円谷側としても、販促になるわけですから、当然、資料提供に全面協力していました。まして、記事や付録の監修者は大伴昌司です。私の世代では、「かいじゅうのからだのなかはこうなっている」という大伴氏の図解特集に胸を躍らせたものです。大伴氏らの雑誌記事や付録カードは怪獣ムーブメントの中核をなしていたといっても過言ではありません。それらを関係ない、と言うことは、リッチー・ブラックモアはメタルと関係ない、と言うことと同等な違和感を覚えます。どちらも大伴氏発案のコピーだというのに、宇宙忍者バルタン星人の呼称は公認で、被曝星人スペル星人の呼称は非公認というような政治性、ダブルスタンダードを神聖なる特撮の世界に持ち込んで欲しくはありませんね。当時の空気を知らないゆとり世代がそれをやっている。

ゴジラやギエロン星獣だって被爆怪獣じゃないかという指摘があります。しかし「ゴジラ」や「超兵器R1号」には、核問題を正面から受け止める覚悟がありました。「遊星より愛をこめて」にはそれがない。作品を封印した円谷プロの判断は尊重されるべきだと思います。

水爆実験で突然変異したゴジラ。その驚異的な破壊力を抑えられるのは、もはやオキシジェン・デストロイヤーのみ。大量殺戮兵器への転用を怖れた芹沢博士はODの製造法と共に海底で自ら命を絶ちます。当初、一切協力を拒んでいた芹沢博士が、文字通り頭を抱えたり、壁にもたれかかったりしながら懊悩する姿と、昨今のアッケラカンとした日本核武装論って、数万色の液晶テレビが白黒になっちゃうくらいの強烈なコントラストをなしていると思います。

ウルトラセブンは40年以上も前の作品ですが、以下の「超兵器R1号」のセリフは、ここのブログのコメント欄にも出てきそうな気がするくらいです。

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フルハシ
「ダン、これで地球の防衛は完璧だな。地球を侵略しようとする惑星なんか、ボタンひとつで木っ端微塵だ。」
「我々は、ボタンの上に指をかけて、侵略しようとする奴を待っておればいいんだ。」
アンヌ
「それよりも地球に超兵器があることを知らせるのよ」
フルハシ
「そうか、そうすれば侵略してこなくなる」
アンヌ
「そうよ!…使わなくても、超兵器があるだけで平和が守れるんだわ」

--

次のシーンは有名なので、特撮マニア以外の方でもご存知の方が多いのではないでしょうか。

--

フルハシ
「忘れるなダン、地球は狙われているんだ。今の我々の力では守りきれないような強大な侵略者がきっと現れる。その時のために…」ダン
「超兵器が必要なんですね」
フルハシ
「決まっているじゃないか」
ダン
「侵略者は、もっと強烈な破壊兵器を作りますよ」
フルハシ
「我々は、それよりも強力な兵器をまた作ればいいじゃないか」
ダン
「…それは、血を吐きながら続ける…、悲しいマラソンですよ」

--

シンペイ氏は、市民団体が「調べもせず槍玉に挙げた」ことを問題になさっていますが、これもまた伝聞に過ぎない「スペル星人問題なし」についてはアッサリ鵜呑みになさっちゃっているところが気になりますね。一人の特撮者として。

あのレベルのクオリティで軽々しく被爆エイリアンを登場させるの問題あり、というのが私の見解です。必然性ゼロです。実際、海外版では「吸血鬼」という設定になっています。


>お玉さん
コメント欄に混乱をもたらして申し訳ありません。
ただ「まともでない人」と「変な人」の違いは私には分りません。
見知らぬ人を侮辱するような言い方をする方は私にとってはまともでない人です。しかしこの表現が不快でしたら、その点についてもお詫びいたします。

>naokoさん
その大西中将の言葉ですが、私には額面どおり受取れないのです。そもそも昭和17年の段階で特攻は計画されていたわけです。戦局が最終局面に来ていない段階です。
そして天皇に講和を決断させるために特攻を行なったというのは、無理はありませんか?
他に方法はあったと思いますし、そもそも天皇に決断させるのに特攻作戦を遂行することが効果的だと思われますか。

>シンペイさん
北朝鮮は、その方法で常に状況を打開してきたわけです。瀬戸際外交というのは、弱小国にとっては一つの戦略だと思います。
十字軍についてですが、十字軍は特攻ではありません。
あの戦闘は自殺行為だ、と言われるような戦い、あるいは、死を覚悟した戦い、と呼ばれるものと、特攻は本質的に違うと思います。
特攻は、計画的組織的に行なわれた、生存の可能性を、意図的に残さない戦法です。比喩ではなく、死ぬことが義務なのです。

あまりしたくないのですが、特攻の話を少しします。
特攻は、弱い者が追い詰められて行なう作戦だと思います。自暴自棄が、追い詰められた者が、正気を失って自滅行為を行なうことを形容するとすれば、特攻作戦は、日本の自暴自棄を象徴しているように感じます。
神風攻撃、桜花攻撃は、乗組員を直前に脱出させることなど全く考えずに立てられた戦術です。日本軍はそんなことを考えないのです。
魚雷に人を乗せるなんて、常軌を逸していると思いませんか。これらは正気を失った自滅作戦です。
南方では万歳突撃が行なわれました。自爆テロの元祖です。地雷を抱え、「〇〇陛下万歳」と叫んで、装甲車に体当たりしました。もちろん大抵は当たる前に機関銃に打たれ、自爆し、バラバラになりました。
こういうことをやっている軍隊が戦争に勝てる見込みなど一分もないでしょう。
太平洋戦争は、この特攻作戦に象徴されるような正気を失った自滅行為に感じられてなりません。恐らく、戦争前から、勝つ見込みがほとんどないと分っていたことが、このような戦争遂行をもたらしたと思います。

だけど、これらのことが起きたのは、そんなに昔の話ではありません。我々日本人には、こういうことをしでかす素養があるのです。その素養は失われてしまったと考えるのは楽天的過ぎるのではないかと思うのです。

お玉さん、皆さん、ご迷惑をおかけしました。もう現れません。
お玉さんの文章には大変感銘を受けました。


「遊星より愛をこめて」は
記事にするかどうか、考え中ですけど。とりあえず、

>被爆者に縁もゆかりもない人物が噂で聞いただけの代物を自分で確かめようともせず

というのは違うでしょ。やりちゃんもかいてるけど、放映後子供雑誌にこの怪獣(星人)が「被爆星人」という名前で紹介されてそれを疑問に思った被爆者支援団体の方のお嬢さんがお父さんに話して・・・という流れの話ですよね。



失礼
>greenstoneさん ほか

すみません、コメント欄ばかり見ていて、お玉さんの書いているエントリを見逃してました!(^^;)

自暴自棄と最初に書いてるのはお玉さんだった!!

えーっと。
もう深入りしないことにします。
ただ、外から見て自暴自棄ととるしかない場合でも、何らかの事情がそうさせている内実があるという点もきちんと理解した方がいいのかと思ったり。
日本が無謀な戦争を拡大した途上では、神国日本だとか、戦わねば亡国に到るだとか、色々な動機づけがされたと思います。それらが理性的な判断でなかったとしても、現実には国民すべてが巻き込まれていった。greenstoneさんが日本人の性質を憂う気持ちには、そこに到るまでの歯止めがなぜ効かなかったのかという疑問があるようにも感じます。ひとりひとりを見れば決して自棄になっていたわけではないが、しかし大きな流れに抗うことはできなかった。そこを注視すると、理屈に合わない行動をとった理由がおぼろげながらわかるかも知れません。

あの戦争は仕方なかった、しかし二度と繰り返したくない。

その反省だけをもって、他国に戦争の意思を翻させることは困難でしょう。でも、繰り返したくないならば、どうにかして起こさないようにするしかない。それが人の命を誠実に思う態度なのでしょうし、それが間違っているとはいえない。難しいのは、無慈悲な現実に対してどう向かい合っていけばよいのかということ、やめろといって済むわけでないなら、いったいどうしたらいいのかという問題ですね。最初から答えはありえない、未来のためにひとつひとつを解決しながら働くしかないとも思います。ああ、長すぎた。


もういっこ
>やりちゃんさん

ゴジラと同じくあの時点で「スゴく強くてスゴく恐ろしい武器」
ということで核兵器をあげたんでしょうね。
ところで「練り込みの浅い脚本」とか「作品自体のクオリティが低いので」とか
言われてますが脚本を読むか作品自体を見られるかされたのでしょうか?
わたしは噂に聞くだけなので内容に関して論評するなど怖くて怖くて出来ません。
ちなみにビデオ入手したある雑誌のスタッフが初代原爆資料館館長(当然被爆者)に
「遊星より愛をこめて」を見せたところ「別に被爆者を侮辱した内容とは思えない」と
コメントされたそうです。
あの騒ぎで一番問題なのは抗議活動を起こした人物が問題の映像を
全く見ていない点だと思っています。
被爆者に縁もゆかりもない人物が噂で聞いただけの代物を自分で確かめようともせず
調べもせず槍玉に挙げた、というのは十分非難されるべきではないでしょうか。


どうも判らないなぁ
>greenstoneさん
現時点で核査察受け入れを拒否し、国際的に孤立した状態でなおもツッパリ続けて
周辺諸国に喧嘩売り続けるのが「自暴自棄で自分たちの体制を崩壊するようなこと」
ではないんでしょうか?

>自暴自棄で戦争を始める民族があるとすれば、北朝鮮よりもむしろ日本の方が可能性が
 高いと考えているわけです
・・・・・・・「無防備都市宣言」という「殺されても奪われても強姦されても気にしない」と
声高らかに宣言するようなのが少なからずいるような国が自暴自棄になりやすいって・・・・・
なんでそこで日本「だけ」なんですか?
おまけにネッドさんの言われてるようにありえない仮定だけを繋げて出した結論というのは
他者の共感呼べませんよ。

>神話の話でなく歴史上あるのでしょうか
十字軍とか見れば彼らが理性とか良識とか良心とか投げ捨てて恥知らずな虐殺をした挙句
「キリスト教徒と違って」身代金を払えば開放するという約束を守るというイスラム軍に
投降することなく無駄かつ無意味で自暴自棄な突入かまして全滅した軍っつーの
ナンボでもあるんですが。
あと朝鮮には文禄・慶長の役の際女郎に身を落として加藤清正に抱きつき、高所から飛び降りて
(あるいは堀に飛び込んで)死に至らしめた女傑というのが随分沢山います。
歴史上の事実で証拠もあるそうですが・・・・・・・

あと湾岸戦争で圧倒的な米軍に抵抗したイラクは勝算あってのことでしょうか?
アメリカと戦い続けたベトナムは結果的にはともかく勝算あってのことだったのですか?
仕掛けられた、あるいはしなくてはならないように追い詰められて戦争始めた国って結構ありますよ


>日本人は自暴自棄になりやすいが、他国の人もそうだとは限らない

 特攻の実行責任者大西中将の決断の裏にあったとされる考えは自暴自棄とはとりにくいです。
「特攻が戦局を挽回する可能性はない。しかし、今現在日本に講和と言う選択肢はない。それは国内の強硬派をおさえきれないからだ。この局面を打開できる方はただお一人陛下のみ。われらの特攻に対して陛下が心を痛められない訳はない。必ずや早期和睦の決断を下してくださるはずだ。その時、アメリカ側に対して、日本とこれ以上戦争を続けるのは得策ではない、と思わせることが、交渉を有利に導くための条件となる。特攻にはそういう意味がある」

 逆に金大中さんが、太陽政策の動機として、「朝鮮の人々には自分ひとりが苦しんで死ぬなら、いっそ相手も殺してやる、という〝心〟がある。だから、わたしたちは北の人々を、その心ごと抱きしめなければならない」と言っていたのは、朝鮮人は自暴自棄になりやすい、という意味にとれるのですが?


被爆怪獣の回、見たかったけど。
>日本人は自暴自棄になりやすいが他国の人もそうだとは限らない、ということを言ったつもりです。

その一文がこれだけの反応を生んでいるのだと思うのですが。
北朝鮮が核ミサイルを撃つ可能性がとっても低いとお玉も思ってる。
その上で書いているエントリーとご理解ください。

それと、まともでない人はここにはいない。変な人は時々いるけどね。




たくさんの反応をいただきびっくりしております。
管理人さん、コメント欄を使ってしまい申し訳ありません。
まともな方と思われる人についてのみ、コメントを読ませていただき、ご回答いたします。

>しんぺいさん
北朝鮮を理性的と思っていません。
ただ自暴自棄で核ミサイルを撃つという自分たちの体制を崩壊するようなことを積極的にするとは思えない、と考えているわけです。
>「この世の人間は全員完全完璧賢明理性的で日本人だけが邪悪で戦争大好き」
こんなことも思ったことありません。自暴自棄で戦争を始める民族があるとすれば、北朝鮮よりもむしろ日本の方が可能性が高いと考えているわけです。
>神話の時代から自らの命を犠牲にして死なば諸共自暴自棄!っつー伝承は全世界にあるんですが。
伝承の話ではなく歴史上あるのでしょうか。自爆テロは国家が組織的にやっているとはいいにくいとすれば他にないと思います。

>コウトさん
特攻は、太平洋戦争の早い段階で軍令部で企画されたことが明らかになっています。戦局が押し詰まってからの作戦ではないのでその意味では、「自暴自棄」とはいえないでしょう。ご指摘の通り、作戦に参加させられた若い兵士にとっては自暴自棄とは無縁です。
しかし、そもそも太平洋戦争を始めたこと、中国戦線を拡大していったこと、大和を沖縄に送ったこと、本土決戦を本気でしようとしたこと、これらを含めて考えると、逃げ場を失い追い詰められ自暴自棄になっていった日本の姿が見られるように感じ、特攻の発想も、そうした日本人の思考パタンの一環ではないかと考えるのです(それから太平洋戦争についての議論は勘弁してください、キリがないので)。

>ネッドさん
日本が核ミサイルを発射することはないと思います。
ですから「あるとすれば」と書いたのです。
日本人の方が自暴自棄になりやすいということを修辞的に表現したつもりでした。

>みなさんへ
夏休みも半ばで、どれだけご対応できるか分りませんが、私の言いたいことは、何度も繰り返していますが、北朝鮮が自暴自棄になって核ミサイルを撃つ可能性は極めて低い、ということです。
ご意見を頂くのなら、この点についてください。
自暴自棄についての形容は、どうでもいいのです。
日本人は自暴自棄になりやすいが他国の人もそうだとは限らない、ということを言ったつもりです。
どうか最初のコメントを読んでください。


greenstoneさん>
>さらに言えば、自暴自棄になって、核ミサイルを撃つような国があるとすれば日本くらいではないか、と示唆したつもりでした。
>日本人がそのように行動したとしても他の国も同じように行動するとは限らない、という趣旨です。

ありえませんね。
「もし」日本が核兵器を自前で持ち、「もし」日本が自暴自棄になるような状況になり、「もし」国民が核を撃つ事を容認するような事があると思いますか?
ようするにあり得ない前提で日本を貶めてるに過ぎませんよ。

というか何を言いたいのかいまいち分からんのですが。
もうちょっと分かりやすく書いてくれると助かります。


文脈上必然性のない特攻を持ち出し侮蔑している。
>greenstone氏

キミのコメントを要約するとこうだ。

イ.戦時中の特攻は自暴自棄な自爆テロである。
ロ.テルアビブの空港で乱射事件を起こした日本赤軍は、特攻隊の影響を受けていた。
ハ.イスラムの自暴自棄な自爆テロは日本赤軍を通じて皇国史観の影響を大きく受けている。
ヘ.イ~ハは、実は枝葉末節であり、イスラム人に影響を与えた自暴自棄な思想も、朝鮮人に伝播することはない。従って日本が北鮮の核攻撃に晒される可能性は低い。心配はいらない。

キミの説明では、

特攻隊:自暴自棄
日本赤軍:自暴自棄でない
イスラムテロリスト:自暴自棄

ということになるが、それではリンクが切れているではないか、と指摘している。依然として明確な説明はなされていない。

そもそも、「北鮮が自暴自棄になることはないので、心配ないさ」ということであれば、キミいわく自暴自棄なのだという日本の特攻が、いかに他民族に影響を与えにくいか、という事例を列記すべきところだ。ところが、何故かキミは、全く逆の、いかに影響を与えたか、という事例を持ち出してきている。一体何が言いたいのかサッパリわからない。だから粗雑だと言っている。

キミは、特攻隊、日本赤軍、イスラムテロリスト…というように、特に必然性も無いのに(自分で枝葉末節と言っている)ネガティブなものとしてそれらを羅列してみせた。戦没者への敬意が微塵も感じられない。命が軽く扱われている。言葉の上で大本営と同じことをしているのだ。

--

戦争とは、それ自体が狂った状況である。私は特攻を肯定するものではないが、それにより、戦局が劇的に好転するのが確実なら、採択する指揮官がいても不思議は無いだろう。少数の犠牲が多数を救うとしたら…、というのは普遍的なテーマではある。

ところが、先の大戦末期では、既に特攻により戦局の好転が見込める状況ではなかった。それなのに組織としての決定が、同胞の生命よりも優先されてしまった。命が軽く扱われた。追い打ちをかけるように特攻隊員を「自暴自棄」と侮蔑することもまた、命を軽んじている。断じて看過できない。

--

ウルトラセブン12話「遊星より愛をこめて」は現在封印され、再放送等ではオミットされている。この件について、ネット上で「雑誌の紹介記事のみが問題で、作品自体は真っ当なもの。理不尽な言葉狩りだ。」という一歩的な見解が猛繁殖しているが、それは誤っている。制作者は、練り込みの浅い脚本のまま、核兵器に被曝したエイリアンを登場させた。作品自体のクオリティが低いので、被曝者問題をわざわざ持ち出す必然性があったのか、と問われても擁護できない。作品を欠番にした円谷プロの判断は正しかった。結果として戦災者を軽く扱ってしまったのだから。


意見です
>greenstoneさん

あなたの書いていることにきちんと相対していないと思いますが、自暴自棄で特攻という捉え方について少し意見です。
日本が、というくくりはちょっと頷けません。特攻という手段を考え、実行に移したのは軍の上位にあった一部の人々で、彼らは自らの国の若者たちを犠牲にすることで少しでも国家の面子を保とうとした。あるいは彼らは、特攻に向かった若者に対して傲慢な教唆をしていたかも知れませんが、自分自身を犠牲にするのではないわけですから、自棄であったとは言いがたいのではないでしょうか。彼らは内心、特攻に向かう兵隊を仲間だとは感じていなかった。若者の命を無造作に扱ったことは確かですが、それは彼らの厚かましさから来る態度であって、自らの命を賭けて一矢を報いるという行為を『自分では』しなかったのです。それは自暴自棄でしょうか?

翻って本気で特攻に赴いた若き兵士たちは、自分の命を犠牲にすることに本当はすさまじい悲しみを感じていたに違いない。それを、お国のため、同じ日本の人々のためという目的に置き換えて敢えて苦しみを無視し、死地へと向かったのだろうと思います。

そういう事実を鑑みるに、自暴自棄、という捉え方で済ませるにはあまりに短絡的ではないかと考えます。
もしもこの特攻がイスラム世界に影響を与えたとすれば、若い兵士たちの純真な心、および窮地にあって目的を追求する軍事的方法それぞれが、仲間を思う力なき人々と、イスラム世界において資本の圧迫と闘おうとする野心家たちに対して、魅力あるものとされたからかも知れませんね。


greenstoneさん
現在の北朝鮮の国民全部を飢えさえようが四方八方敵に回して意地ツッパリ!
ってのはそんなに理性的なんでしょうかね

そしてサヨクな方がよく言う
「この世の人間は全員完全完璧賢明理性的で日本人だけが邪悪で戦争大好き」
な理論は一体どこから来るんでしょう

神話の時代から自らの命を犠牲にして死なば諸共自暴自棄!っつー伝承は
全世界にあるんですが。


>sv400sさん
どうか私の原文を読んでください。
訳の分からない人のコメントは相手にしないでください。
赤軍派が自暴自棄などと一言も言っていませんし、そんな意味も全くありません。
長々と書くのが嫌で省略して書いたので誤解を招いたのかもしれませんが。
主旨は自爆テロのように自暴自棄に見える攻撃も、実は日本の影響ではないか、と申し上げているつもりでした。
さらに言えば、自暴自棄になって、核ミサイルを撃つような国があるとすれば日本くらいではないか、と示唆したつもりでした。
日本人がそのように行動したとしても他の国も同じように行動するとは限らない、という趣旨です。


>やりちゃんさん
あなたが無礼な方だと分りました。
あまりお話したくないのですが、分りやすく説明します。
北朝鮮が自暴自棄になって核ミサイルを発射するという話がありましたので、それが可能性が低いことを主張し、日本人自身が自暴自棄になりやすいので、他の国もそのように考えてしまうのだろう、という主旨を書いたつもりです。
そして自暴自棄に見える自爆テロも日本人の特攻の思想が影響を与えた可能性が大きいことを指摘しました。
人類は、無数の戦争を起こしてきました。決死の覚悟で挑む戦争は、いくらでもありますが、始めから死ぬことを予定した作戦を組織的に立てた国は日本だけです。つまり死なないと完結しない特攻作戦は日本独特なものです。
テルアビブ事件の際に、奥平氏が、アラブの大儀のために死を覚悟して戦ったという主旨のことを述べたことがアラブ側に伝わり、彼はアラブの英雄となりました。
そのとき、日本人ゲリラが彼の考えを特攻の思想で説明したと言われています(出展は昔のことで覚えていません)。
その考え方がゲリラ指導者に利用され、戦時中の皇国思想がイスラムの神に置き換えられて、9/11テロ、自爆テロに用いられたといわれていました。
このような組織的「特攻」は、他に例が見られないので、この話は十分根拠があると思っています。
しかし、ここの点は自分の主張の中では枝葉の部分です。私としては、北朝鮮が、仮に自暴自棄であっても核ミサイルを発射することは可能性として極めて低く、その場合を想定するのであれば、他のあらゆる場合も想定しなければならない、ということを申し上げたかっただけです。核ミサイルを発射した場合、中国、ロシアを味方に付けることができません。小国が核兵器を使用することを正当化する方向になりますから。
それから、礼儀を知らない人とは付き合いたくないので、やりちゃんさんとはこれきりにします。「緻密な論理」とは何を指すか分りませんが、あなたの物言いは論理以前の問題です。


青菜に塩…もとい、塩を送る…
>テルアビブ事件が自爆テロのモデル

の元ネタって、『テロ‐現代暴力論‐』加藤朗・中公新書(2002)でしょ?たしか、テルアビブ空港襲撃事件を「自殺テロ」と表現してたような…とおい記憶…現代テロは、ハイジャック(非国家主体の登場)、スペクタクル・テロ(宣伝効果の考慮)、カミカゼ・テロ(自殺テロの出現)、シアター・テロ(宣伝効果を最大化)云々って…その中で、「テルアビブ空港襲撃事件の特徴として、襲撃事件に加わった日本赤軍のメンバーが自殺するという自殺テロ」が初めて起こったことがあげられる。死をもって目的を達成するというテロリズムは、ジハードにおける殉教という形でイスラム世界に大きな影響をあたえた」とされるって、たしかにあったような…
 でも、赤軍派が「自暴自棄」って、初耳さぁね…あれは、シアター・テロ(宣伝効果を最大化)のさきがけってな捉え方が正しいんじゃないの?…あくまで推測…私は新左翼運動のことをよく知らないから、ちょー憶測なんですけど…『テロ‐現代暴力論‐』読んだのずいぶん前なので、はっきり覚えてないんだけどねぇ…で、関係ないけど、『テロ‐現代暴力論‐』加藤朗・中公新書(2002)を読んだのなら、『テロリズム―変貌するテロと人間の安全保障 増補版版』東海大学出版会(2001/10)もいかがでしょうか?…加藤朗さんも「冷戦後のテロ」で執筆に参加してます…そーいえば、お玉さんが編集に関わってる本って、加藤朗先生も執筆者の一人でしょ?…ちがいましたっけ?と カマをかけてみる…


整理しなよ。雑すぎる。
>greenstone氏

特攻隊は自暴自棄で、それらがイスラムの自爆テロに伝播した、というようなことが言いたいのだろうけど、キミの論の進め方では、赤軍もまた自暴自棄でもない限り連鎖が切れてしまうよ。いわゆるミッシングリンクってヤツ。赤軍の乱射事件は断じて自暴自棄なんかじゃない。あれはまぎれもない確信犯だ。反証できるならドーゾ。

私自身は右だが、基本的にここは左翼のサロンの筈なので、緻密な論理構成でないと恥をかくだけだよ。キミがふだん出入りしているような場所とは一味も二味も違うんだよ。


初老のトクさん>
北朝鮮が日本の米軍基地を叩くのは物理的に無理があります。
やるとするなら核ミサイルくらいしか出来ず、それ以外はどうとでもなります。

>つまり日米安保条約から日本が抜け出て北朝鮮と国交を結び非戦条約などを結べば、北朝鮮の脅威は消えてなくなるということです。しかしアメリカがそれを見越して日本を対朝鮮攻撃の前進基地、出撃基地として使うことになれば、間違いなく北朝鮮は日本を攻撃するでしょう。アメリカが核を持って攻撃するのなら北朝鮮も核を使うでしょう。

北朝鮮は自分の都合で約束破りを行う為、条約を結んでも意味がありません。
さらに順序として北が核を使わない限り、アメリカも核を使う事はありません。
そもそも日本が核を撃たれるより、韓国に撃たれる確立の方が高いんですよ。
日本と北朝鮮が戦争状態になる、というのはあまり考えられない状況です。

>攻撃されたら反攻するというのは自然な考えですが、その前に相手に攻撃する口実、理由を与えないことのほうが先でしょう。日本政府の頭の中にまったくない考え方ではありますが。

もうちょっと周辺国の現状を調べた方が良いかと。
日本の脅威は北朝鮮だけではないし、アメリカも日本だけを守ってるわけではありません。
米軍を撤退させたところで日本とその周辺が不安定になるだけです。
というか原因を取り除く、というのならば「北朝鮮が核開発を止めて、拉致被害者を返す」という方向で考えなければ駄目でしょう。


>やりちゃんさん
テルアビブ事件が自爆テロのモデルを示したということです。それまで特攻の考え方はアラブにはありませんでした。そして特攻は一種の自暴自棄と考えています。


整理してネ
テルアビブの乱射事件は自暴自棄なんかじゃないでしょ。初めて聞いたわヨ、そんな珍説。

遠くなってるのは何も戦争だけじゃないみたいね。「断絶だァ(死語)」って感じ?


始めまして
関心のあるテーマでしたので寄らせていただきました。
突然のご無礼をお許しください。
北朝鮮が自暴自棄になって日本に核ミサイルを撃ち込むというシナリオは、可能性としては極めて少ないと思います。もし、その場合を想定するなら、他の外国も含めてシナリオを検討すべきだと思います。キリがないのです。あらゆる可能性を想定しなければいけないことになると思います。
「自暴自棄」ですが、歴史的に「自暴自棄」になって戦争を続けた国は日本だけだと言われています。自分たちが自暴自棄になって特攻を繰り返したので外国も同じようにすると考えてしまうのでしょう(中東の自爆テロは日本赤軍のテルアビブ事件がモデルになっています)。
仮に、自暴自棄になって核ミサイルを撃った場合、それを防ぐことは、Patriotでも困難と言われています。
しかし、日本本土にミサイルを撃った場合は全面戦争になります。日米安保は発動しますし、自衛隊も出撃するでしょう。そして恐らく中国は参戦しないと思います(∵メリットがないから)。
北朝鮮の体制はなくなるでしょう。幹部が捕まれば戦犯となって処刑されます。
そんなことを北朝鮮であっても選択するとは思えないのです。そしてそんな気も、おこさないようにするために
核の傘があるのでしょう。抑止力ですから、実際にこちらから核ミサイルで反撃するかどうかは語られる必要はないと思います。
そして核の傘がなくとも、実現性の極めて低いシナリオだと思います。


出発点を考え直そう
北朝鮮が攻撃して来るという前提で物事を考えるから先に進まないのではないでしょうか?北朝鮮が軍事的に対峙しているのは米韓であって日本ではありません。ただ日本に米軍の対朝鮮攻撃基地があるので、北朝鮮がこの前進基地、出撃基地を叩こうとするのは軍事的常識でしょう。日本が局外中立を徹底して保つことが出来るのであれば北朝鮮も日本を攻撃対象にはしないでしょう。北朝鮮としても米韓に加えて日本とも戦端を開くような重荷を背負いたくはないでしょう。
つまり日米安保条約から日本が抜け出て北朝鮮と国交を結び非戦条約などを結べば、北朝鮮の脅威は消えてなくなるということです。しかしアメリカがそれを見越して日本を対朝鮮攻撃の前進基地、出撃基地として使うことになれば、間違いなく北朝鮮は日本を攻撃するでしょう。アメリカが核を持って攻撃するのなら北朝鮮も核を使うでしょう。
問題は日本が日本を盾にしたアメリカの軍事戦略から自由でいられるのかという点にあるのでは?
攻撃されたら反攻するというのは自然な考えですが、その前に相手に攻撃する口実、理由を与えないことのほうが先でしょう。日本政府の頭の中にまったくない考え方ではありますが。


scottiさん
報復したい、などとは一度も書いた覚えはありません。
ただ攻撃してきたら反撃するから攻撃するなよ、というのが抑止論であり我々の考えなのですが。
まして広島、長崎の報復をなどとは一度も書いておりません。
「書かれている言葉以外に妄想して自己の意見を述べる人たちに」などとかかれてる以上
ご自分も書かれてる文章以外の事を推測と妄想と自分に都合のいい流れへの誘導などされないでください。
あと、真面目に話をしている場で(笑)などと書かれるのはあまり愉快ではないので
遠慮願えませんか?


ご自分の意見はご自由に(笑)
書かれている言葉以外に妄想して自己の意見を述べる人たちにご自由にとしか申し述べられません。(笑)
私は誰にも強要していませんよ。


>scottiさん
私は被爆二世です、と告白すればいいですか?

だから自分の意見に従え、という事ですか?

>日本国憲法の前文に戦争放棄の覚悟が述べられていますね。
>平和とは報復しないと覚悟することだと、私は思っています。

自衛は認められています。
さらに報復というのは米軍が行う事になっています。
平和というのは「平和を維持する覚悟」が無いと駄目です。
報復しない覚悟というのは何もせずに死ぬ覚悟でしかありません。


物事には落とし所を
scottiさんへ

>日本国憲法の前文に戦争放棄の覚悟が述べられていますね。
>平和とは報復しないと覚悟することだと、私は思っています。

 scottiさんが核による報復を強要されるのが厭なように、殺される覚悟を強要されるのが厭な人もおります。
 そして日本の憲法は、いかなる理念もそれを人に強要する事を否定しています(第19条)。

 そういうわけで間を取って、核による報復は認めないが、ミサイル防衛に関しては認めるという立場は如何でしょうか?
 日本に核ミサイルが落ちている状態は、日本人が殺されている状態であり、平和とは言えないでしょう(憲法25条に反しているかもしれません)。
 そこでミサイル防衛ならば、日本人も日本にミサイルを撃ち込んだ国の人々も殺す事は無く、ただ兵器である核ミサイルのみを破壊し、そして日本国憲法に反することもありません。
 
 なおこのミサイル防衛に対する反論は大まかに二つ有り、一つは命中率の不確かさ、もう一つはコストですが、命中率に関しては兵器の進化に関する歴史を見れば論ずるに値しない事ですし、コストに関して「ミサイル防衛より福祉に金を廻せ」と主張しながら、同時に「殺される覚悟」を強要するのでは、余り説得力は無いでしょう。


疲れる、勝手な妄想
勝手な妄想しないで下さいね。
私は被爆二世です、と告白すればいいですか?
日本国憲法の前文に戦争放棄の覚悟が述べられていますね。
平和とは報復しないと覚悟することだと、私は思っています。


scottiさん>
>私達が核攻撃されたら、それで終わりにしましょう。

相手が核を撃って、さらに攻撃してくるとは考えないのですか?
そこで終わりといって何もしないのでは相手はまた核を落とす事に躊躇しなくなりますよ。

>報復して何になるの?

何をされても何もしない、というのでは国が成り立ちません。
戦争のハードルを下げるだけです。

>それから北朝鮮の経済力は山形県の半分程度だそうです。
>世界有数の日本の軍事力で、北朝鮮を恐れるのなら、中国の防衛費の増加など、そんなに恐れることではないのかもしれませんよ。

前半と後半の文章が繋がってないので意味不明です。
中国の軍事費の増加は恐るべきものですし、中身を見ると明らかに「侵略できる装備」を増やしています。
脅威を感じない人は、何も知らない、と言ってるのと同じですよ。


核で怯える米国?
私は核抑止論について語ったつもりはありません。
報復の思想について感想を述べただけです。
核抑止論は、核がテロに渡る恐怖で役に立たなくなって、核廃絶に進んでいるとの理解の方が進歩的ではないですか?
核抑止論が時代錯誤になっているのが現状でしょう。
それに、現代社会の脅威は武力だけに限らず、中国が日本と貿易停止すれば、日本の社会には相当の脅威でしょう。
相互依存している現代社会では武力にだけ特別の脅威を感じません。
それに命はひとつ、私は仮想の脅威まで心配して生きていく必要もないと思っています。


scottiさん
「殴られても殴り返しません」ではなく
「まず最初に殴られないようにしよう」が「抑止論」なのですが。
「私たちが核攻撃されたらそれで終わりにしましょう」というのは
失礼ながら核ないし他国から攻撃されるという可能性を自分とは全く関係ない他人事と考えてる証です。
もし戦争が起こったとしても自分と家族の生命と財産が損なわれるなどありえないと思っている証です。
わたしは1943年に徴兵された親戚が中国の捕虜となり、帰ってきた時には
自分が1937年の南京大虐殺に参加した、と思い込み(洗脳されたようです)罪悪感と罪の意識で
精神が壊れていくさまを見ていました。
「殴られる」というのはこういう事だと理解したので「殴りたい」とは思いませんが「殴られる」というのが
痛いとか罪の償いとかでなく心底危険だと理解しています。
だからわたしは核を絶対許さないし戦争は認めません。しかし「殴られても殴り返さない」と口にする人は戦争という殺し合いを
ゲームかルールのあるスポーツだと考えているに違いないと思っています。


相手国が報復を恐れて核を打たないようにするのが核抑止論です。
「広島・長崎で被爆した私たちは米国に核攻撃しましょう」ではなく、「我々に米国への核攻撃能力があれば広島・長崎には落とされなかっただろう」という考えになります。考え方が思考停止でずれています。
(あくまで考え方です。核の恐怖がまだ知れ渡っていなかったため、日本が核を持っていても当時は抑止にはならなかったでしょう)

ちなみに、核の恐怖を訴えることも弱いけれど抑止力の一つですし、核をもつ能力があることも抑止力の一つです。

基本、相手側に打撃を与えることがないと抑止力足りえません。
そのための日米安保で、核の傘なんですよ。
米軍が日本を守って且つ相手国を攻撃する-だろう。というのが抑止力です。ですから、日米は緊密であり、同盟国なのだということを喧伝する必要がある。そうでなければ周辺の敵性国家に足元を見られるだけですよ。
実際、中国やロシアが露骨に動き始めているのは日米が揺れているからですね。


驚いた
私達が核攻撃されたら、それで終わりにしましょう。
報復して何になるの?
それは、広島・長崎で被爆した私たちは米国に核攻撃しましょう、と言っているのと同じなのではないですか?
平和を願っているブログで報復の思想には驚きました。

それから北朝鮮の経済力は山形県の半分程度だそうです。
世界有数の日本の軍事力で、北朝鮮を恐れるのなら、中国の防衛費の増加など、そんなに恐れることではないのかもしれませんよ。


65年目のヒロシマ
今年も8・6ヒロシマへいってきました。たくさんの方の話を聞いて参りました。そのなかでも女優の斉藤ともこさんが講演のなかで、自身の介護活動のなかで出会った、体内被爆者の親御さんのだれもが、「人の痛みを知るには同じ痛みを受けてみればいいというけれど、原爆の痛みだけはもうだれもうけてはならないものだ」と言っていたと話しておられたことに深い感銘をうけました。

あらためて核というのは、観念的に相対化された恐怖の均衡であるとか、報復の論理で語りえるようなシロモノではないのだということを実感いたしました。

反戦地主の知花昌一さんの話もとても勉強になりました。辺野古移設は容易ではないでしょう。凄いことになりそうな予感が・・・ 



シンペイさんも触れているように、『もしも北朝鮮が本気で暴れたときのことって、実はいままで、政府は具体的には なにもかんがえてないし、アメリカが何を考えているのか、本当のところはなにもわからない というのは、かなり驚きました。』という部分については、あまりにもお玉さんはストレートに受け止めすぎだと感じる。

このことについて、大々的に言動しかねない人に対して漏洩するというのは、「国防の穴」を外国に示すようなものであって、安全保障上極めてナーバスな事項であることを踏まえれば、そういう言動にならざるをえないということも勘案して欲しいもの。

こういうと「考えているけど、機密だから言えない」と言えばいいという人もいるだろうけど、「考えている」という時点で、いわゆる反戦平和の人たちが騒ぎだして、それが漏洩につながりかねない「アリの一穴」になるようなものだから、そういう言動もできないんだよね、こういうのは。

だから、本当のところは「しっかり考えているか、何も考えていないかは、わからない」というのが答えになるかと思う。

北朝鮮が暴発したときに、アメリカが核で報復する可能性は極めて低いと思う。仮に核兵器で北朝鮮が攻撃してきても、シンペイさんの言うように、通常兵器でも十分に勝てる相手なのだから、政治的配慮が優先されて、核による報復はないだろう。

>しかし現在、アメリカ自身、核兵器がテロリストにわたることをおそれ、核兵器のない世界を提唱しはじめています。その時に、旧態依然とした核抑止力論を日本がかかげるのは、いかにも時代遅れだと言わざるを得ないでしょう。

これを無批判に取り上げるのは、評価できない。
日本の核抑止論が旧態依然としたものならば、なぜ北朝鮮は核開発をしたのか、中国が核を削減しないのか、それについて触れていないから。それに触れずして、自国政府を「時代遅れだと言わざるを得ない」という感想を抱くのは、やはり「結論が先にありき」の思考だと言わざるをえない、と指摘しなければならないだろう。

ともかく、日本の反戦平和を主張する人たちは、ナーバスな話を、あまりにも簡単に考えすぎているきらいがありすぎ。
そんなカンタンなものなら、とっくの昔に解決しているはずなのだ、という考えに発展してもらいたいもの。

鳩山政権による「普天間基地国外移設問題」についても批判はあるだろうけど、あの問題で「辺野古移設」を批判する理性のなさに、私はがっかりしているところ。
私に言わせれば「誰がやっても、結論は辺野古になるんだよ」というものであって、仮に社民党や共産党政権であっても、日米関係を良好なものにしたければ、程度の差こそあれ、お玉さんたちが満足する結末などなりようがないんだよ。(辺野古移設は中止になり、国外移設が決まっても、おそらく『10年から20年後に国外移設』ってことになり、逆にいえば、10年から20年は普天間に基地がある、という状態だ、ということ。)

いろんなところで厳しい言い方をしてきたけど、少しは自分の考えに疑問を持とうよ。じゃないと、ほんと、これ以上の支持や応援を受けることは期待できなくなるよ。


いやそれは
>もしも北朝鮮が本気で暴れたときのことって、実はいままで、政府は具体的には
 なにもかんがえてないし、アメリカが何を考えているのか、本当のところはなにもわからない
 というのは、かなり驚きました。

分かってても立場上口に出せないというのがあるだろうし
対策を練ろうとしたらそれだけで「軍靴の音が」って言い出す人が沢山居るからではないでしょか
手札を晒して相手ビビらせる事ができるのは本当に強い手札を持ってる時に限るんですよ。
世間では100㌔も飛ばない迎撃ミサイル用意するのが「隣国への侵略」などと大声上げる人沢山居るし。
「国家戦略局設立」の際には「戦略」という文字が入ってるからという理由で
「軍靴の音が」と言い出した人が少なくなかったし。

ぶっちゃけた話「軍靴の音」だの「憲法九条」だの「愛国心の押し付け」だのといった言葉で
戦略的選択肢がかなり削られているのはお分かりなんでしょうか?


あり得ません
日米安保は集団的自衛権条約
(同盟国への攻撃を自国への攻撃とみなす)
になっているでしょうか?
否です。
米軍への核攻撃命令はアメリカ大統領だけが出来ます。
そのような、国益に反することは議会が許さないでしょう。
米軍が反応するのは、「自国の死活的利益に対する脅威」に対してだけです。
裏返せば、基地にピンポイントで攻撃があったとしても(日本無関係に)、日本中の在日米軍が総出で動く恐れさえあるのです。


どもです
被爆二世としてはやはり虚心ではいられない8/6。
自分としては核武装を肯定するつもりはありませんが時に理性とか良識とか可能性とか
そういったものを投げ捨てて戦争を始める国、というのは間違いなく存在するのを我々日本人は
誰よりもよく知っているわけで
核に限らず通常兵器で攻撃された場合死者に向かって
「あなた達が死ぬとは思わなかったからあなた達の命を守る準備はしなかった
 でもいいよね、私ら争い事について考えるのヤだし」
失礼ながら世界情勢がどう変わろうと憲法九条絶対死守!とか非武装中立を
主張する人は私からはそう見える。
それにアメリカの言う「核兵器のない世界」というのは「俺以外は核兵器を持たない世界」
ですからね。
なんで沖縄基地とかの米軍は信用しないのに「核兵器のない世界」って言葉だけは
信用するんだろう?
悲しいことだけど、残念なことだけど為政者と呼ばれる人たちは常に最低最悪の事態を
想定してそれに備えるべきなんではないだろうか。
例えば本当に本気ですべての国々が核も核の製造法も廃棄した、そんな世界において
(この場合当然核が使用された場合に備えるノウハウも廃棄されてますよね)
もしどっかの誰かが核兵器を隠匿していた場合、その誰かの暴走を止める手段は存在しません。
そんな状況も覚悟の上で「核のない世界」と発言されているのでしょうか


お玉さん、はじめまして。
ゆうこ と申します。

このエントリを引用させていただいたのでトラックバックを送信しましたが、反映されないようです。
(最近、なぜかそういうことが起こっています)

コメント欄で失礼いたしますが、
弊ブログの記事URLを載せさせていただきます。
(8月6日の原爆忌)---
http://upishi.blog5.fc2.com/blog-entry-1384.html
(その後、お玉さんの記事を読んで)---
http://upishi.blog5.fc2.com/blog-entry-1385.html

またブログを拝見しに参ります。
失礼いたしました。


本は期待してます
「超左翼おじさん」での10回の取材メモ「防衛省元高官と防衛研究所OB達の対話」を読んで、さらに、この本に興味が出ました…ただ、同時期に出版されるちょー高額の本を購入する予定なので、買うかどうかは微妙ですが、図書館に注文はします…買えよ!と突っ込みは可…それでも、こーいう本を読んで、何が正しいのか、どーいう選択がよいのかを自分の中で対話したいと思います…

 ところで、お玉さんも「防衛省元高官と防衛研究所OB達の対話」に同席されていたのでしたら、是非、取材メモというような裏話的なものを出版時期前後に書いていただけると、うれしいです…読書の共有体験には役立つという希望です…

>防衛省のお偉い方々がわからない話を、なぜ自衛官でもない普通の人たちが知っているかのように、ネット上で発信できるのか

 私もふしぎですけど、webが「だれのものでもない」からではないでしょうか?…推測ですが…誰かのものであったり、あるいは限られた人や権利のものであれば、その場所は権利がある人だけものであると思うのですが、誰のものでもない公共なものであるからこそ、多様な意見もあるんだと、考えてはいかがでしょうか…当然、気に入らない意見もあります。しかし、それはwebだけに存在するわけでもありませんし、そこは大人の判断で多様な意見を取捨選択するということです…どんな判断なのかは、不明…嫌な意見や嫌な奴は実生活には、山ほど存在しますでしょ?…もっとも、私は瞬間湯沸かし器で、新聞も読まない、ニュースもほとんど見ない、何も知らないバカで暇人ですけど…


>もしも北朝鮮が核兵器を日本に打ち込んできた場合、その報復として、アメリカは核兵器を打ち返してくれるのだろうか? 日米同盟があるからしてくれるかな?そのとき、そのボタンを押す判断をするのはアメリカ?それとも日本でしょうか?

おそらく報復に核を使う可能性は少ないと思われます。
北朝鮮相手なら通常戦力で充分過ぎですし。
核を使う判断はアメリカがするでしょう。
日本が要請すれば別でしょうけど。

>防衛の現場で汗を流す人たちが、憲法九条をいかしつつ、現実的に、戦略的に外国と渡り合っていくことを模索していることを知れば知るほど、お玉ら護憲派も負けてられへんと、65回目の8月6日に思いを新たにしています

手枷、足枷付けられた状態の中で、現実的に防衛を考える自衛隊の方には頭が下がります。



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▼65回目の夏に http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-879.html#cmt ・・・ ほんとに、アメリカという国は、日本のために「報復行動」として、核ミサイルを撃ってくれるのか?・・・・ここをつついていくうちに日本核武装論、核抑止論などという方向に、なびく
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Author:お玉おばさん
お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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