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沖縄知事選 伊波洋一さんの著書より・
伊波さんのインタビューを起こす中で、「チムグリサ」という言葉を教えいただきました。

「沖縄にはチムグリサという言葉があります。「肝苦さ」と書きます。同情というものと違って、相手の痛みを共有するような感情を表す言葉です。相手の痛みや苦しみが、我がことのように感じられて心が痛むという表現です。」

普天間基地が移転できたとしても、今度はその移転先の辺野古やグアム、県外の基地周辺の人々が苦しむことになってしまう・・自分たちのつらさをほかの人たちに押しつけることができない、そういう思いを持ちながら、基地撤去を求めつつ、移転にも反対を唱えて活動をしている・・そんなおじい、おばあがたくさんいらっしゃるそうです。

沖縄にだけずっと負担を強いてきた「本土」の私たちにできること、まずは小さな一歩であっても、基地周辺の人々の苦しみを人ごととして眺めずに、沖縄基地問題を知ることではないかな・・・・

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たしかにゼロサムゲームはおかしいです。
しかし富への期待は限りなく膨らむもので、資本主義社会では「一部の自分勝手な人たち(byオバマ)」は知らず知らず富を奪い合っていると。(資本論第三巻・第二編あたり)

っで、自由主義の筋目が共有されていない今の社会は何“主義”なのでしょうか。
少なくとも自由主義の観点から“も”現在の“主義”を擁護する理由は見当たりません。


なんだ、KSFって経産婦のことか。
>ロックは富の獲得を個人の権利としてまうわけやな。
>しかもそれは人間本来の自然な権利であると。嘘つけw
>そしたら後は富を奪い合うしかないやろ。

それはゼロサムゲームの場合にしか通用しない考え方ですよね。大変だよ、キンピーどんが「前提に対して何の疑いも抱かない人」になっちゃう。クックックッ…。

>ま、それはさておき、自由主義の観点からいっても沖縄
>に集中的に負担を押し付けるのは、“主義”の筋目とし
>ておかしいのではないかと思います。

おかしいです。ただ、今の日本人には、「裁判官のチムグリサは共有できない」「裁判員制度なんか廃止しろ」というオピニオンが一定の説得力を持ってしまうところがある…。自主独立防衛への道は険しいと言えます。


やりちゃん

自由主義も結局、保守の敵なのでわ?
http://a9leather.blog66.fc2.com/blog-entry-194.html

ま、それはさておき、自由主義の観点からいっても沖縄に集中的に負担を押し付けるのは、“主義”の筋目としておかしいのではないかと思います。


KSF 48
>資本主義的な人間と社会の関係である物神崇拝

ハハハ…。右系の人々が保守しようとしているのは「今までうまくいってたもの」ですから、是が非でも資本主義でなければならないということでもない気がします。重なる部分は多そうですね。ただ、自由主義の立場から私有や権原の侵害については敏感になると思います。

私がアニヲタ文化的なものに一貫して冷淡なのは、エロスやリビドーを物欲に変換しているからです。それらは無縁社会を促進しますよね。非実在のキャラクターからチムグリサは得られようもない。記号化されて消費されていくばかり。


やりちゃん

歴史とは未来にもつながるものであり、また左翼の疑念は過去の「常識」にも注がれます。
つまり資本主義的な人間と社会の関係である物神崇拝にとって代わり、人間と社会の関係が直接的に現れることになろうかと存じます。


万人による肝苦さ
勝手に予想したキンピー・ビジョンでは、ハイパー・コモンローが醸成されていく中、国家というアクターが解体され、「社会契約?政府?あの時代は大変だったね。その前はもっと大変だったけどさ。」というひと回りした自然状態に人類が到達することになります。ハイパー・コモンローとは、当該ブログのお題である痛みや悦びの共有を手がかりに、日々発見を重ねていく地道な作業の集積の総和に他ならないのではないでしょうか。

っで、それってちっとも左翼的じゃないですね。


>私の理解では主観(subject)と客観(object)の間にある間主観(intersubject)ってこと。

そこまで単純化すると、誤解や曲解も生まれそうですが、その後の説明は一応「○」ですね。
つまり間主観的に生まれる権利は法律という狭義の法ではなく、歴史性・社会性に根付いたコモン・ロー的な広義の法であると解釈してもらえればよろしいかと。
ですから十文字さんの「キンピーが言うことは功利主義ではないのか」という批判は、かなり方向性が違う批判であるということですね。

フッサールはイギリス経験主義やマッハ的光景からヒントを得て、学問の危機を乗り越えようとした思想家ですが、マッハの「世界は感覚によってなりたっている」という意見に、「お前は関係性を見落としている」と批判を加えます。
ここから現象学は大きく展開していきますが、我々の感覚とは常に関係性に影響された感覚であるということです。

話を沖縄基地問題に戻すと、基地反対という感情や感覚は現実の経験から生まれたものであり否定することは難しいでしょう。
しかし以前の沖縄であれば、基地容認派が一定数存在しました。
容認の理由は経済的な恩恵があるのではないか、あるいは抑止力として必要とされていたからという理由でしょう。
しかし昨年の衆議院選挙や鳩山政権下での動きの中で、“常識”とされていたものに一定の“現象学的反省”が加えられ、沖縄人民が覚醒したと。
これが基地受入派が言う「パンドラの箱を開けてしまった」ということです。
こうなっては以前のように、経済振興策を約束しては半分以上の事業を本土のゼネコンが持っていったり、抑止力という魔法の言葉で誤魔化すことはできないのです。
基地容認派はこのことを過小評価しているようですが、人間の感情や感覚を過小評価しては、容認派から有効な案が出ることは無いでしょうし、おそらく沖縄県民も日本政府もアメリカも納得できるような案を出すことは無理でしょう。
故に仲井眞氏も基地反対を訴えなければならない事態になっているのです。


間主観
 この言葉が難しいかどうかは個々人の経験や感性によるんじゃないかな?個人的にはそこまで難しい言葉ではないと思ってる。社会学とかでも使うね。ただ、キンピーさんのいう分野では難しいのかも。
 完全にブログのトピックにずれるけど、面白そうなので、ご容赦を…

 私の理解では主観(subject)と客観(object)の間にある間主観(intersubject)ってこと。

 主観は個人が感じたり、思ったこと。他者とは違う場合がある。例えば、楽しかったり、辛かったり。いわゆる意識。
 客観は誰が見ても同じ結論が出ること。これは石、あれは山。いわゆる物体。
 間主観は物体ではないが二者以上で共有している意識のこと。友人同士であの芸能人は綺麗とか、この食べ物がおいしいって事。

 そして、多分、「権利」についてこれを「間主観的」と表現したのだろうけど、まぁ物ではなく、意識として複数人で共有しているため、そう表現するのは適切かと。


十文字さん

フッサールのこと知りたければフッサールの解説書でも読んでください。
さて、十文字さんがご自分が紹介した文書を理解されていると仮定して、その受動的であるという批判に批判を加えるなら「現象学的反省」というものを忘れちゃいませんか?と言いたいですね。
それとフッサールの弟子とはハイデッガーのことだろうと思いますが、ほとんど言いがかりに近いような批判です。


キンピーさんへ
>間主観的といっても分からんでしょうから、そういう書き方をしただけですよ。

 「分からんでしょうから」などと御勝手に見切りをつけられないで、そこのところを詳しくお願いいたします。
 間主観的っていうのは、現象学における間主観性のことですよね?
 日本国憲法には現象学の要素が入っているのですか?

 なお、間主観性についてチョット調べていたら、気になる記述を発見……。
http://www.nagaitosiya.com/b/husserl_intersubjektivitaet.html

”(抜粋)まさに数は力なのであって、多数を占める「正常者」は《上にして下》という両義性を帯びた「異常」を《周縁》として排除することによって《中心》としての秩序を得る。

人はここでフッサールの純哲学的な認識論の社会哲学的含蓄に注意すべきである。フッサールは身体の感覚活動を機能と名付け、「自我は機能的中心である Das Ich ist Funktionszentrum」と言う [Husserl: Zur Phänomenologie der Intersubjektivität 2,S.29] が、注目すべきことに、彼はさらにこの身体システムの機能概念を社会システムの機能概念にまで拡大しようとする。「機能を特徴付けるのは主体の実践的な規定、つまりある一つの目的、それも全社会的組織の包括的目的に奉仕するある特殊な目的の観点でのそれへの適合である」 [Husserl: Zur Phänomenologie der Intersubjektivität 2,S.181] 。

彼は差し当り家族成員の役割機能を例に挙げるが、有機体モデルで<役割=義務>を考えているようである。その場合「機能中心」は家長ということになるであろう。それにしても引用文中にある「全社会的組織の包括的目的」とは何のことだろうか。国家権力の自己保存のことであろうか。-フッサールの主題である間主観性は、身体なき(leiblos)純粋な諸主観の抽象的で対等な《我と汝》の関係ではなく、身体的に社会有機体に埋め込まれた機能的諸関係なのかもしれない。

フッサールの現象学は能動的構成主義を却けた受動的直観主義であった。拙著の最後で確認するように、真理の形態は同時に権力の形態でもある。《客観的に自存するイデア的真理の受動的観取》=《不可触な権力(中心)への盲目的跪拝》とそれと“共に構成される”少数者(周縁)の排除効果である目的論的・予定調和的・自ずからの秩序形成、「他のようにもありうる」という他者性の機能的縮減、これが現象学の帰趨である。

なるほど、ユダヤ人であるフッサールは、晩年ナチズムの迫害を受けたので、彼はファシズムの犠牲者であると言えるが、しかしファシズムに対する抵抗者であったとは言えない。それは彼の受動的直観の哲学には、権力の暴走を能動的・実践的に食い止めるような主体のあり方が欠落していたからである。そして能動的主体が欠落したこの現象学を継承した、フッサールのある弟子が、ナチズムに走ったことは周知の通りである。(抜粋終了)”

 解説の程、ヨロシコお願いいたします。


十文字(衆愚代表)さん
Saizwongさん


間主観的といっても分からんでしょうから、そういう書き方をしただけですよ。


相手の意見を価値がないと判断するのは言論の自由の権利によってではないですね。述べる権利は言論統制とは真っ向からぶつかります。


横レス失礼!
>よって権利と権利がぶつかり、仮に片方の意見が価値の無いものと判断されることも
>あろうかと存じますが、それは避けようのないことです。

その発想こそがまさに、”多数者の利益のためには少数者の犠牲はやむをえず,どんな事柄でも少数者よりも多数者を優先すべきだと考え「最大多数の最大幸福」を社会全体の倫理的な最終日的にする。”、という「功利主義」という思想に他ならない、と人は言うのでは?


人民は自由に意見を述べる権利を有しておりますが、それは全ての人民が享受している権利です。
よって権利と権利がぶつかり、仮に片方の意見が価値の無いものと判断されることもあろうかと存じますが、それは避けようのないことです。


憲法
 そもそも、憲法9条も国家間の軍縮条約も法であり、基本事項として道義は法と剥離するものであってはいけません。
 また、主張することそのものは別個に個々人は構築した考えを持って自由に述べる権利があり、これは憲法の21条によって保護されている部分かと。


.
>紛争解決や交戦のための兵器になるなら、削減していくことです。

外務省の軍縮課の取り組みがそれですね。
もちろん軍縮を道義的に主張できるのも9条があるからです。


紛争解決
広い軍縮は少なくとも日本・アメリカ・中国・ロシア・韓国・北朝鮮、それぞれが持つ兵器を同時にかつお互いの同意を持って削減することではじめて成り立ちます。

憲法9条の理念を引き合いに出すのならば、それは侵略しないことではなく、たとえ侵略に使用できない防衛専門であっても、紛争解決や交戦のための兵器になるなら、削減していくことです。


.
>広い軍縮を実現

そのツールが憲法9条ですね。
ま、沖縄基地問題のエントリーとは若干違う話になってきますので、あまり突っ込んだ話はしませんが、ランドパワー中国とシーパワーのアメリカの間に他国を侵略しない日本が存在することは、地域の軍縮にとって非常に良いコトです。


.
>私は普天間の安易な県外移転を進めるよりは、アジア太平洋地域にある全国家で協議して少しづつでも広い軍縮を実現する方が現実的で良いという考えなのでこのエントリーにある方達に同意します。

私も同意見ですね。「基地」に反対している人の多くが、「基地」単体を見ていて、極東のミリタリーバランスどころか、外交問題全般に疎かったり興味なかったりして、とても不真面目な印象をうけますもの。
沖縄の基地問題を真面目に解決したかったら、対中国で経済でも軍事でも、ある程度の外交カードを揃える必要があるのに・・・。もちろん日本だけでは揃えられないので、多国で強調して揃えるんでしょうね。
そーゆーことも、もっと議論して欲しいです。

という訳で明日、APEC会場近くで色々な団体に、関係者のふりして潜り込んできます。


この記事に賛成
 私は普天間の安易な県外移転を進めるよりは、アジア太平洋地域にある全国家で協議して少しづつでも広い軍縮を実現する方が現実的で良いという考えなのでこのエントリーにある方達に同意します。

 他人事にしていけないというのも賛成です。今は沖縄にあるけど、状況が変われば隣に基地がやってくることは十分にあるわけで、自分の側のこととして考えるべきです。

 基地の場所がどこだからOKって話じゃないんですよ、間違いなく。


.
元沖縄県知事の大田さんもグァムやマリアナ諸島は沖縄と同じような運命を辿ってきたと仰ってましたし、じっさいグァムでも基地反対住民もいるんですよね。
ただ沖縄との違いはアメリカ領だということ。
沖縄は本土復帰を選択し、グァムはアメリカ領であることを選択している。
当然、地位協定も違う。
ここが沖縄に基地を押し付けるのと全く違うところです。

とりあえず基地はアメリカに持って帰ってくださいと。



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「資本主義的生産様式が支配する社会の富は、「膨大な商品集積」としてあらわれ、個々の商品はその富の基本形態としてあらわれる。」 そんで商品が貨幣に仮装し、現在は紙幣に仮装していると。 そういう事...
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Author:お玉おばさん
お玉なブログを展開する、とんでも博愛主義者。愛は海より広くそして深くありたい!と願っていたが、叶わないときは暴れる傾向にあり。昨年某国営放送局のやくざな討論番組に出たせいで、年恰好がバレちゃって・・・・・・ま、お玉に会ってみたいと思ってくださる読者の方は、お玉がいろいろな形でかかわるイベント、コンサートの会場へGO!

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