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原発に反対することに保守とか革新とか関係ないよね
お玉@かたやま、 ブログ引退は延期して、しばらくネット生活逆戻り・・です
昨日ツイッターで通販生活読み物編集部の人が
<原発事故はこの国土を手間隙かけて整備し、守ってきた無名の先祖に対する冒涜>
→「保守派の私が原発に反対してきた理由」
中島岳志‐マガジン9 http://t.co/Uy5gBE8 #maga9 
というつぶやきを書かれていて、私が
「 原発に反対することは、右やら左やら保守やら革新やら関係ないということに、
気が付いて欲しいな・・そうしたらきっと運動が拡がると思う。」
と返したら
「 ですね。反対の立場の人も、伝わる語り口が必要と思います。むずかしいけど。」
ってお返事がかえってきて、とても嬉しかったです。
ほかにも
原発に関して、「過去に推進した人たち全員の責任を問わないから、
一緒に脱原発の方策を考えませんか」、という主張を
反対派からもしなきゃいけないんじゃないかと思う。
伊勢崎さん〈伊勢崎賢治さん)の武装解除の現場理論の応用が必要かな。
というつぶやきも、この通販生活の編集部は書いてました。
「正しいことが必ずしも正しいこととは限らない。」という
私の勝手な論理と同じようなことを感じる人がいるんだなあって、
そう思えた時に、私自身がどんなことを発信するべきかがやっと固まりました。
私は何が一番大事かは反原発運動・・ではなく
どれだけ多くの人に原発はやめたいねと言う気持ちを
共感して共にもらえる行動をするのか、だと思います。
原発推進派の持っている知識だって、
今まさに福島原発を停止させるためには必要なことだと思う。
今後推進派の学者だった人が
反原発側にたって活動してくださることだって、
充分に考えられると思う。
運動する側の度量の深さが試されている時かも知れない・・・・
 
Secret
(非公開コメント受付中)

産業界に限らず、危険性をゼロにすることは事実上不可能だし、可能だとしても、経済性などとの兼ね合いで、ある程度の危険性を容認せざるを得ないことは当然である。
しかしながら、今回の1Fの事故は、そもそも、それ以前の問題で、津波などに対する危険性想定の甘さが原因である。
中越沖地震のときのKKの事故といい、今回の1Fの事故といい、大地震のたびに想定外を繰り返されたのでは、たまったものではない。


Chic Stoneさん

>僕が欲しいのは、確固とした足場、疑う必要のない前提>だけなのです。
>科学的な実証という。

「近代」というイデオロギー。
それも酷く機械的な科学観に十分毒されているように見えますが。
実証することは大事ですが、「疑う必要が無い」という言葉が原発問題で出てくるのは歴史の皮肉ですね。

マッハやアインシュタインが貴方のコメントを読めば、苦笑いするしかないでしょう。


GW ・・・ガンダムウイング?
私も遅いレスで申し訳ありません。…言い訳をすると、震災復興と夏場の電力不足を見越しての、この時期のフル稼働(自社だけでなく、川下企業の皆さんも)で、GWと言われてもガンダムウイングにしか思えない状況なもので…ちなみに、私は2×1派です。



この問題の根本的な欠陥として、発言者の立ち位置が大きく影響しているなー、感想をもちました。
ペリフェラルさんの「運動」や「入口」と、私の「エネルギー政策」、時々でてくる「イデオロギー」や「概念」のようなモノ。
それら含めて すまりさんがコメントしてくれていると感想を持ちました。

……00っぽい太陽光発電でもあればなーw




全てリスクがある
>「科学的に実証できるはずのことさえ、共通前提ではない」

全くその通りです。

しかし、遺伝子組替(これがないと作れない医薬品もある)、農薬、食品添加物、色々な製品を作るために必要だったり、中間体や副生物質として発生する化学物質(毒物含む)。

全て同じではないですか?

実際、シックハウスなんて、安全と言われていた化学物質が原因の部分もありますよね。

そんなこと言っていたら、全ての文明を捨て去って、山の中で自給自足するしかなくなってしまう。

化学的に実証されたこと「すら」数年後には「実は大変なことでした」となりかねないのが現実。

そこにある意味「妥協」して折り合いをつけているのが現代社会でしょう。

少なくても、道具を人間が使いだした時から、既にそれは始まっていたのです。
火を使えるようになった人類は、火事という危険を冒しても(そしていまだに火に対する火事と言うリスクは全く解消されていないのに)火を人類は使い続けている。

世の中に完璧はなく、常にリスクが付きまとう。
ただ、リスクを減らすことは常に考えるべき。
ただ、それが生活を退化させるのなら、結果的に支持を集められない。だから今までも生活を退化させるリスク低減策はあまり受け入れられなかったのでは。

>「使える」ことが当たり前の人間に、「使えないということが科学的常識である人間群れが存在する」ことは認識できないのでしょうか。

もっともらしく見えますが、世の中の全てにそれが当てはまることは理解してほしいです。
それを言いだすと、全ての文明的、文化的生活が放棄せざるを得ないことも。

しかし、化学的に実証されていることなら
「元のデータは同じものであって、解釈が違うだけ」
が本来ですよね。

例えば、10万人のうち1人がそれによって死亡するというデータは共通でそれを
「10万人に1人であってもリスクがあるなら使えない」
「その程度のリスクはメリットに対して少ないから使える」
のように。

そこにあいまいな「主観」が入るから収拾がつかないのだと思います。

>僕が欲しいのは、確固とした足場、疑う必要のない前提だけなのです。科学的な実証という。

では、ちょっと怖い話を一つ
労働安全衛生法やその関連法規では
「作業環境基準」
が定められていて、まともな事業者ならこれを基準以下にきちんと保って労働者を守っています。
で、この基準の定め方が
「健康な成人男性が、1日8時間暴露され続けても健康に有意な支障が出ないとされる濃度」
だったりするんですよね。
つまり、ちょっと感受性が高い人や、体格的に影響を受けやすい人は、もしかしたら影響があるレベルまで暴露されるかもしれないという量なのです。
そういう科学的な実証なんですが、それは容認できるでしょうか?
(容認できないと、多くの工場では仕事できなくなりますけどね)

そしてその基準がなぜ、通常の環境基準のように「一生暴露されても大丈夫」ような、十分に余裕のある数値ではないかというと、その大きな理由として
「そんなこと基準にしたら、産業が成り立たなくなる」
から。
つまり、既に現代社会は、労働者の健康を犠牲にする可能性を含んだ基準で物を作って、それによって我々の生活が成り立っているんです。

第一、皆さんの使っている車だって、有害物質を使った表面処理や、重金属使用の部品などが、それらの基準の中で仕事をしている人たちによって作られているんですから。

その恩恵を受けている生活を捨てる覚悟がないのに、ことさら今回の件で
「リスクが少しでもあるなら」
を言うのは、自らの首を絞めているのと同じだと思います。


わかってると思うのをやめただけ
もっと以前の前提、「使えるかどうか」に合意がないことの恐ろしさ、科学すら共通前提でないことに対する恐怖、理解してもらおうというほうが間違いでしょうか?

「使える」ことが当たり前の人間に、「使えないということが科学的常識である人間群れが存在する」ことは認識できないのでしょうか。
現実にある、そして選挙では多分そっちが勝つのです、現実に。

僕が欲しいのは、確固とした足場、疑う必要のない前提だけなのです。
科学的な実証という。
僕はどちらの信者になることも拒みます、言葉の積み重ねと、本当は人間関係とイデオロギーの影響から納得することは断固拒みますから。

多分、僕が何を言っても、どちらにも何も伝わらないでしょうが。科学などもう、ポストモダン以前の古い古い化石なんでしょうが。

「科学的に実証できるはずのことさえ、共通前提ではない」ひたすらそれが恐ろしいのです。


Chic Stoneさん

民間と国策がごっちゃになってますね。
国策でやる場合、実証実験で留まっていては仰るようになるでしょうね。
だから実用化まで含めないとダメだといっているのです。
民間の住宅建材としては四半世紀前から実用化していますね。
今は家電メーカーも自動車メーカーも太陽光発電に力を入れていますが、企業は儲からないことはしません。
ちなみに市場原理を当てはめれば原子力を推進してきた東電は倒産です。

っで、外国での実績。
欧州という枠で見ても再生可能エネルギーの比率が上がってるっていることは事実でしょう。
それは枯渇性燃料から再生可能エネルギーへの移行が進んでいるということです。

思考を巡らすのも大事ですが思弁の中に閉じこもっていてはいけません。
学者が何の根拠も無く「別の技術が100年後には出てくるだろう」などと言ってみたり、枯渇性エネルギーは枯渇しないかもしれないと言われても「ああそうですか。そうなれば良いですね」としか言えません(苦笑
それこそ「大洪水よ我が亡き後に来たれ!」です。
もっと大事なことは目の前で進行している現実を見ることでしょう。


どうして固執するの?
すべてとは言わないけど。
現在の技術が全て将来使い続けられるなんて、原発容認派も思っていないはずですよ。私だって、今の技術が20年後30年後そのままとは思っていませんから。
実際、20年前には今のように各家庭にインターネットがある前提での社会なんて、想像以外の世界で考えられなかったのに、実現していますからね。

実際、各種自然エネルギーへの研究だって多数進んでいますし、(ただ大半が検証段階で現時点で実用化不可能レベルと判断されているだけかと)、反応制御が核分裂よりやりやすい(というより、反応維持が難しいので、原発のように間違いは暴走につながるのではなく停止につながる)核融合だって研究されています。
また研究と言うなら、使用済核燃料や汚染廃棄物を強制的に核分裂させて、自然の半減期より大幅に短い時間で最終的な安定同位体元素まで持っていく研究も実際に行われています。

一部の反対派(電力不足は我慢。電力不足にならない。すぐ原発止めろ)や推進派(とにかく原発は素晴らしいエネルギーだ)じゃなかったら、本来目指す方向は同じで
「将来は、もっと安全で枯渇しづらいエネルギーに変換すべき」
でしょ。
ただそこまでの道筋の中に、原発をどれくらい入れていけるかの問題で。

>再生可能エネルギーが使えないならウランも枯渇したら、という問いには、「使えない、原発しかない」が支配的なところでは回答がありませんでした。

そりゃ「原発しかない」って極端に言っているところじゃそうかもしれませんね。

でも、現時点でウランより石油の方が枯渇が近い可能性が高いから、なるべく時間が稼げる(もしくは併用で石油を温存する)ウランを使うのは間違った選択とは言えないと思います。

そもそも、反原発も原発推進もないんじゃないかと
「今、必要な電力をどう安定供給するか(コスト含め)」
「将来、燃料の埋蔵量等を考えて、どのような発電体制を作っていくかのプラン」
これをまず考えれば、反原発も原発推進も同じ目標に向かって共同で進めていけると思うんですけどね。

ものすごい単純な考えで悪いんですが。例えば一つの考え方として
「電力停止リスクが小さい各個人家庭は、非常に安く作れるようになった太陽光自家発電で全ての電力を賄う。一般家庭は電力会社から電気を買う必要がない」
「大量に電気を必要としない企業(例:小売業)は、家庭用と基本同じ考え方で、どうしても足りない分は売電を使うか、非常用にディーゼル発電機をスタンバイ」
「大量に電気を使用する企業は、現在と同じ売電(+自家発)を継続」

これだと、電力会社の発電量を大幅に削減できますから、もっと今と違う安定供給プランが考えられると思うんですが。もし各家庭が太陽光発電を一気に買う余裕がないとしても、そのような社会が進んでいけば
「各家庭で月々支払える料金程度で、機器リースからメンテナンスまで請け負う会社」が出てくると思いますし(より多数の人が同じエリアで使っていれば、維持にかかるコストも下がるし、企業として成り立つ)

まああくまで数値的検証のない私の勝手な想像ですが。

ただ私の今の考えとして
「現在ある原発はすぐは止められないでしょ(F1、1号~4号炉除く)」
です。

ただ、将来も原発を作り続けるべきかと言えば
「作らなきゃならないくらい電力需要があるかどうかを見ないと判断できない」
です。

全国レベルで風力や太陽光発電に頼るのは10年程度では無理と思っていますが、ローカルレベル(各家庭や小規模事業所)なら十分可能性があると思っていますから。
例えば、10年後にはほとんどの家庭に太陽光パネルが設置されていて、ディーゼル発電機を万が一のバックアップ電源として備えておくという家が当たり前になっているかもしれないし。

いまどうしても原発が必要なのは、ある程度短い停電なら影響がほとんどない(家庭)と、ある程度影響がある(ある種の企業)、壊滅的影響がある(公共輸送機関や医療、製造業等)をほぼ同一回線で電力提供しているからだと思います。
その系統をわけることができれば、もしかしたら違った将来が見えるかもしれないのでは(上の太陽光もそういう意味の考えです。不安定な太陽光でも、家庭用なら使えるでしょって意味で)

もっと極端な話をさせてもらえば
「原発を安定した大深度(万が一事故が起こっても封じ込めできる)にまとめて作って、世界でその電力を分かち合う」
だって、もしかしたら将来実現できるかもしれませんから、その場合は原発維持になるでしょう。

発電方法に固執する必要はないと思います。
電気に名前も色も付いていないんですから。


全てに反論が
今日見かけた新書では、池田清彦氏は「石油をたくさん使って技術を開発しよう」のようです。

●独自でやってる…御用研究、「エコ信者はわかってない。」、現実として何十年研究してもものになってない、補助金頼り。使えるエネルギー源なのなら市場で勝ってるはず。エコ思想にあおられた補助金詐欺にすぎない。
●外国での実績…ドイツの風力はフランスの原発頼り。

事実かどうかはともかくそのような声が、実際に力があるのが現実なのです。
実用に向けても何も、「永久機関が不可能なのと同様に、科学的に自然エネルギーは文明を支えるエネルギーにならない、それが科学的常識」というのが常識・議論を要しない真実になっている群れが、ネットや政治にとても強く存在しているのが現実なのです。
そして、数十年研究してきて、少なくとも日本では1%もないという事実もあるのです。

言葉の理屈や数式がいくら重なろうと、「イデオロギー群れの信仰」を崩す力などないのです。
そして社会を動かすのは言葉・群れ・信仰で、それには何百万人も何億人も殺す力が、個人が何を信じるかの判断をねじまげる力があるのです。それが現実なのです。

でも、少なくとも僕には、「ランダム化プラセポ対照二重盲険」は充分な説得力があります。
マイケルソン・モーレーの実験と、加速器での素粒子寿命の延長、GPS衛星の時計遅れなどは、相対性理論の充分な証拠です。
ちゃんとした証拠、科学に基づいた議論が、確かにそれでもイデオロギーに囚われている人たちには届かないでしょうがせめて科学で考えられる人たちだけでも説得できれば。
そう願っているだけなのです。


>Chic Stoneさん

実験は大手企業なら独自でやってますよ。
海外では実績のあるものもありますし。
しかし国策として取り組むなら政治的な決断が必要になりますから、決めるべきは「だから実証実験を」ではなく、実用に向けた研究開発です。
山のモノとも海のモノとも知れないけど、とりあえず「実証実験から」では税金が使えませんからね。

>ウランも枯渇したら、という問いには、「使えない、原発しかない」が支配的なところでは回答がありませんでした。

現実を見据えない議論など、我々の実生活に良い影響を与えることは あまり無いでしょうね。


反再生可能エネルギー側
>キンピーさん

「使えない」が僕自身の意見なのではありません。
「別の場では再生可能エネルギーは使えない、というのが支配的だ」と指摘しているだけです。
僕自身は、再生可能エネルギーが使えるのかどうか知りません。判断できるだけの知識がないのです。
だから実証実験を、というのが僕の意見です。
もし使えないと確定したら、人類の何人を生かすか、また人類が作った貴重な文化財や遺伝子資源を宇宙に打ち上げ放送して暴徒から守り、別の誰かに託すかすべきだと思っています。

再生可能エネルギーが使えないならウランも枯渇したら、という問いには、「使えない、原発しかない」が支配的なところでは回答がありませんでした。

僕の知る限りでは…これも正確な引用ではなく誤解があるかも…
○ビョルン・ロンボルグ、マット・リドレーらかなり多数=三十年前もあと三十年、今もあと三十年、三十年後もあと三十年だろう、重質とかもある、楽観的であれ
○ジェイムズ・ラブロック=原発は核融合実用化までのつなぎ
○武田邦彦、「泉の波立ち」=今の太陽光・風力は使えないが百年後には何か別の技術があるだろう
○石井吉徳(他ディープエコロジストなども同じ結論?)=石油にかわるエネルギーはない、「もったいない」で近代的なエネルギー多用文明でない暮らしを
○池田清彦など多数=意味不明、考えていない?
○池田信夫ら=具体的なウラン枯渇後の意見は未見。
○丸山茂徳、「環境問題を考える」など=文明は滅びると確信?煙巻き表現多し


遅いレスですみません
ライ麦狼さん。

私はコウトさんのような懐の深い議論はできません。落ち穂拾い的に、できる範囲で行きます。

"人間の心理"は、非常に幅の広い概念です。例えば人間の欲望(精神的欲求が生み出す感情)もまた「心の働き」なのですから、"人間の心理"です。

>>けれども、科学で全て人間の心理の機序を割り切れるわけではない。添加物「より」放射能の恐怖の方に敏感な人がいるのはかまわないと思っております

【いかがなものか】に応答して、文字通りAよりBに敏感な人がいてもいいのでは・・・ということを言っているだけです。逆に「放射能はピンとこないけど、添加物の方が気になるんですよね」という人がいてもかまわないわけです(もちろんお誘いすることはある。「原発問題もできれば気にしてね」と)。

>では、"人間の心理"でエネルギー政策を定めて構わないとおっしゃいますか?

ですから、そういう質問に繋がるようには書いてないつもりなのですが、やっぱ文章下手ですね・・・ワタシ。
ともあれ、まずは回答する前にお返ししたい。現行のエネルギー政策もまた「潤沢な電気を使って、豊かで便利な生活をしたい」という"人間の心理"に応じるために進められてきたのではないでしょうか?と。それだけではないですが、主要な駆動因でしょう。
その"人間の心理"を優先して、大事故が起こればどうなるかということを「ま、考えないようにしよう(想定内は考えているとのことだが、怪しいところあり)」として放置してきたのですが、それもまた「嫌なことは見ないようにしたい」というある種の"人間の心理"が作用していそうです。

おおざっぱな回答ですが、それのみで定めていいとは言いませんが影響は排除できないし、かなり配慮することになるでしょう。
ドイツにしても、エネルギー政策の転換にあたっては、チェルノブイリ以降の「原発は恐ろしい」という心理的要因が相当影響しているはずです。でも、ドイツの脱原発がそれほど進んでいるわけではない。日本も、「放射能が恐い」で直ちに原発が止まるということはないと思うのでご安心?下さい。

>たぶん、"この話なると~平行線のまま"なのは、原発反対派の人が、科学的な根拠に対して明確な反論もできず、あやふやな"人間の心理"を持ち出し言葉遊びに興じているのが原因ではないでしょうか?

確認ですが、「この話」というのは「現状での代替手段について」という話です。この議論においては、あなたが「言葉遊び」とか言っているのは大元は「運動論」の話です。流れでああなってますけど、分けて論じているつもりです。

で、「この話」についての詳細は、アエラ4月11日号「原発全廃でも困らない統計数字が告げる真実」に出ています。
動画だとhttp://www.youtube.com/watch?v=PLJVLul6Wz0
エネルギー政策はhttp://www.isep.or.jp/images/press/ISEP_Strategy110404.pdf

>何かを決める時に、"人間の心理"を持ち出すのは不真面目すぎると思います。

何かを決める時に、"人間の心理"を考慮するのはよくあることです。
例えば消費税を上げることを決める場合、当然ながら消費者心理が冷え込むことが予想されますから、景気動向を見ながら上げ幅を決めたりタイミングをはかるということをやるわけでしょう。

最後に運動論の話に戻ると、「放射能が恐い」は運動のベースではありますが、(キンピーさんが先に書かれているように)「入り口」でもあります。以前書いたようにそこから学習していって、問い直しをした上で判断を下せばいいのでしょう。


常識はいずれ変わります
ソフトバンクの孫社長が脱原発、自然エネルギー推進の政策提言を行う財団を設立するとのこと。
思い切りがいいですね。

雇用対策ですが、原発周辺での雇用ばかりでなく殊に被災地での雇用崩壊、第一次産業が継続できない問題などで大規模な政策転換が必要になると思います。
今回東電関係の復旧作業者の被曝が気がかりですが、こういったことを勘案すると単に雇用確保だけでなく、労働環境をいかに考えるかもまた重要な課題です。あえて言わせてもらえばたとえ自然エネルギー関連の事業であれ、労働者の健康に悪影響を及ぼす職場であれば断固反対するくらいの判断が必要だと思います。

要するにこれから先、未来に向けて私たちがどんな世界をつくり出していけるのかを最大限検討し、人と自然にとって最適な環境を担保していくことが大事です。

その意味で、使用済み核燃料の問題はまあ、論外だと思っています。どうにか処理せざるを得ないのは現実ですけれどね。


>Chic Stoneさん

http://www.fepc.or.jp/present/jigyou/world/sw_index_03/index.html

問題の立て方がおかしいですね。
永遠に有限のものに頼ることは出来ないから、再生可能なエネルギーの必要性が問われているのです。
枯渇性エネルギーか再生可能エネルギーかの二者選択ではなく、「どうやって再生可能エネルギーに移行するか」という問題です。

またエネルギーは供給の問題と、使用する側の問題がありますが、使用環境を固定的に捉え、変化が無いことを前提に議論を組み立てるのは科学的だとはいえません。
使用する側の問題は、使用する環境によって、あるいは人の意識によって変動しますからね。
しかし枯渇性エネルギーは限りが有るから枯渇性と言うのです。
発見されなければ100年後にウランが枯渇するとすれば後は石炭のみ、発見されれば少し余裕が出る程度。

日本が今回の事故でエネルギー政策を見直すなら、各国のエネルギー政策にも影響を与え、ウランはもう少し余裕が出るかもしれません。
しかし原子力政策に固執し「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」では、あまりにも無責任であり、余力があるうちに再生可能エネルギーの開発・活用を最大限高めた方が良いでしょうね。
それでも足りない分は人間が適応していく以外にありません。
ま、無いものねだりしても、無いものは無いので当たり前ですが。


原発は怖いが・・・
こんばんは。

日本は世界でもっとも自然災害の多い国。
地震・雷・津波・火山・土砂災害・洪水・台風・大雪・・・
 世界でこれほど、何から何まで自然災害が「フルセット」でそろっている国もない。

 でも、自分たちは、日本の国土にこうして生きています。先人の知恵と大きな犠牲があったからです。今回の大震災も多大な犠牲が出ていますし、自然災害が原因で起きた原発問題も続いている。

 今回の原発だって、東電の代わりに、ご立派な「おフランスの何とか公社」が原発動かしていても防げたかと言えばどうだろう?同じような事故起きていたと思います。
 もしも連続で大津波と大地震が来た場合、原発は耐えられるのか?

 自分は原発については、もう少し依存率を落とすべきと思います。今は30%でも徐々に15%程度(半減)に落としていく。さらに新エネルギーの技術がつけば、さらに落としていく。日本のような自然災害が多い国では、原発は事故が起きた時のリスクが高すぎる。

 中国韓国は自然災害リスクが、日本よりもとんでもなく低い。同じ技術レベルで無理に原発作れば、日本が先に放射能で滅びる(自然災害で最悪のケースが起きれば)でしょう。

 原発は新エネルギーまでの「時間稼ぎ」と割り切った上で、日本独自のエネルギー政策を考える時だと思います(中国・ロシア・アメリカとは違ったエネルギー政策が必要、かといって自然災害ほとんどなしの原発依存フランスのマネはできない)。
 上手くいくかどうかは分からないが、コスト(電気料金のアップ)がかかった上でも、新エネルギー政策必要でしょう。ついでに電池技術(電気をためる技術)も。日本が出来ることが見えてきた気がしますね・・・

これだけは、日本が世界一にならないと・・・
蓮舫さんの支持者に叱られてしまうな。

 あとは、今の原発立地地域の雇用対策。反原発派は、単に反対ではなく、原発立地地域の雇用についても少し考えてくれれば・・・
 茨城・宮城・静岡は、原発政策がどちらに転んでも何とかなると思うが、青森・新潟・福島・福井・島根・愛媛・佐賀・鹿児島などは何か雇用対策が必要だと思う。



それ以前の前提
ネットの別の場では、「再生可能エネルギーで文明を支えることはできない」が、「科学的常識」となっています。

その大前提が違うのに、どう原発の話ができるのでしょう。


心理ですか
>あやふやな"人間の心理"を持ち出し言葉遊びに興じている

僕はベリフェラルさんの冷静でわかりやすい議論を評価しますが、ライ麦狼さんの言説も充分意味があると思うので少し述べてみます。

簡単に言うと、ライ麦狼さんの捉え方は社会を基準にした俯瞰的なものであると思えます。みなが共同して暮らす場である以上、全体を考えて価値判断をするのは必要なことですが、残念ながらここでは個人の感覚が入る隙がありません。ですから、たとえ被曝した当事者であっても第三者的な評価に甘んじろというような響きを受けてしまいます。

翻ってベリフェラルさんの書く内容は、必ずしも賢くもなく正しくもないかも知れない個人の感情を受け入れています。それは全体から見れば最善の選択ではないかも知れない。もっと社会論理的に筋の通った「正しい」考え方があるのでしょう。しかし、そこで否定される個人の感情や感覚は果たしてまったく意味のないものかどうかが問われていると思います。

>「安心」の方が偉いなんて、誰が決めたんだ?
    決めたそいつは、責任取る気があるのか?

ライ麦狼さんは、無責任に自分の欲求だけを通したがる人々という括りで論じていますが、人間の基本的な欲求として「健康で幸福に暮らしたい」というものがあるはずで、それを「責任」という観念で断罪するのはちょっと酷いようにも思います。もちろん、無責任で野放図に暮らしていればいいなどとは言いません。ただ、この問題でいえば「自他ともに幸せに生きる」ことが個々人の感覚に非常に依存した事象であること、決して社会の義務論から導かれるものではないことをふまえないと、やはり結果として人間味の欠けた論理優先の議論になってしまうおそれが大きいと思います。

>何かを決める時に、"人間の心理"を持ち出すのは不真面目すぎると思います。

不真面目、かどうかはそこで現れる心理の自己中心性、他者への感受性の欠如を以って判断するのが妥当ではないでしょうか。ここでは論じませんが、近隣諸国とのエネルギー争奪戦を餌に共闘を語る態度は、ちょっとばかり不真面目にも思えます・・・  まあ「真面目」って何? というのが非常に大きな問題ではあるんですけどね。


社会としてエネルギーの確保を抜きに物事を決められないというのは正しいことですし、ただ反対を決め込んで現実を否定するだけで済むはずもありませんが、では現状を維持することしか選択肢がないのかといえばそれも違う。今のエネルギー過度依存社会に違和感を抱くことは間違いではないと思います。その個人としての感覚を少しずつでも現実に織り込んでいくのが社会正義であると考えますし、多数がすべてを決めてよいとする態度とは違う、他の形の合意形成というものをもっと評価すべきだと思っています。


ボクは違うな
「心理=感覚や知覚」こそ重要。
「心理=感覚や知覚」こそ実態を暴く鍵。
「心理=感覚や知覚」こそ科学の入り口。


安全と安心は違う。だが…
「安全」と「安心」は違います。今回の原発に限らず、多くの分野で見かけるフレーズです。…ですが、

≪ 「安心」の方が偉いなんて、誰が決めたんだ?
    決めたそいつは、責任取る気があるのか? ≫

と言いたくなる事は、度々あるんですよね。
もっとも「安全」の方は、責任取りたくないから決めた数値なんでしょうが
(特に、元々は生物系の出身でも、現在は化学に関わる仕事をしている人間からすると…)




>けれども、科学で全て人間の心理の機序を割り切れるわけではない。添加物「より」放射能の恐怖の方に敏感な人がいるのはかまわないと思っております

↑な話は、よく耳にします。
では、"人間の心理"でエネルギー政策を定めて構わないとおっしゃいますか?

たぶん、"この話なると~平行線のまま"なのは、原発反対派の人が、科学的な根拠に対して明確な反論もできず、あやふやな"人間の心理"を持ち出し言葉遊びに興じているのが原因ではないでしょうか?
もしくは、そもそもエネルギー政策に興味などなく、単に心理的に「原発反対」と叫びたいか、自分が不安である事を周囲にアピールしたいだけなのかもしれません。
もし平行線を突破したいなら、"人間の心理"や言葉遊びなんぞより、よっぽど有力な手立てがあります。
それは『積極的な資源確保』です。

「資源を奪ってこい。
 石油でも石炭でも天然ガスでも、何所でもいいからブン取ってこい。
 採掘場所も輸送ルートも安定確保。中国なんぞに渡すもんか」

といったアピールを反原発の人々があまりしてこなかった事も、平行線の原因かと思います。
たぶんですが、伊藤忠・丸紅・三菱といった大手商社が、世界のどの場所で油田やガス田の確保に動いているかなど、考えたことのない人が大半ではないでしょうか?
もしくは、原発の代替が可能な各化石燃料の量と価格と確保可能なパーセンテージを試算していた人は、あまりいなかった事も原因かと思われます。

もちろん、「ゆくゆくは循環型エネルギー」「効率のいいエネルギーインフラと街づくり」は理解しています。
ですが、そこに至るまでの必要なエネルギーを無視し続ける限り、今回の原発事故を経てでさえ平行線を突破できるかわかりません。

個人で「○○が怖い」という分には構わないのでしょうが、何かを決める時に、"人間の心理"を持ち出すのは不真面目すぎると思います。


すまりさん。
回答ありがとうございます。

>その点で、放射能「だけ」特段危険視するのはいかがなものかと言うことです。

『放射能「だけ」特段危険視する』人達への忠告ということで、受け取らせていただきます。

ただ、人間が、何を「より」怖がるかは人それぞれ異なります。そのため、(「だけ」かどうかはともかく)ある人が何かを特段危険視するということはよくあることです。
例えば、頑丈な窓に囲まれている高層ビルの展望フロアは安全なはずですが、高所が苦手な人には実に恐ろしい場所です。特定の生物を非常に怖がる人もいます。放射能の場合は、重い歴史的背景があります。揶揄っぽく「核アレルギー」と表されてきましたが、アレルゲンであるなら「より」危険視するでしょう。
あまりに無根拠な迷信や偏見に基づいた恐怖心には有害なものもあり、それは是正していく必要があるでしょう。けれども、科学で全て人間の心理の機序を割り切れるわけではない。添加物「より」放射能の恐怖の方に敏感な人がいるのはかまわないと思っております。

http://viking-neurosci.sakura.ne.jp/blog-wp/?p=5565
【】内は↑より抜粋(反原発系ではなさそうですが・・・断定はしません)

【それはなぜか?簡単です。人によって「受け容れられるリスク」の多寡にばらつきがあるからです。たとえ0.5%でも発がんのリスクが上昇するのが嫌だ!という人もいれば、どうせ喫煙で生じる発がんリスクに比べたら桁2つも違うんだからどうでもいい!という人もいるのがこの世の中です。】

【放射線が何か体に悪さをするんじゃないか?と疑心暗鬼になってしまう人は放っておけば心の病にかかってしまうかもしれませんし、そういう人が(たとえ確率的影響すら定かでないような状況であっても)域外に退避することは決して責められるべき話ではないと思います。】

【そういうことを考えた場合、「放射線被曝・放射能吸収によるリスクをどう評価しどう避けるべきか」というのはまさに個々人の生きざまそのものに依存するものであり、第三者の他人がとやかく言うことはできないとも言えると思います。なればこそ、個々人が自ら考えて情報を収集し、自ら行動して放射線に立ち向かう。それが重要なのではないでしょうか。】

ちなみに、私は第三者が意見を言ってもいいと思うので、そこが違うところです。

>危険であるが、危険を過小(推進派が良くやる)や過大(廃止派や良くやる)をすべきではないということです。

原則論としては分かります。しかし、「過小」や「過大」という評価は「適切な危険度(安全度でもよい)」を正確に測定できてこそなしえることです。食品でいえば、暫定基準値を信じろということになるのでしょう。ところで、以下は政府側に立つなら「過大」な情報です。http://icbuw-hiroshima.org/wp-content/uploads/2011/04/322838a309529f3382702b3a6c5441a32.pdf

ここでは、日本政府こそが「放射線リスクを過小評価」していることになります。私には、どちらが「正しい」のか断言はできませんが、なにが「適正な危険度」なのかがぼやけてくるのも確かです。最終的には個々が判断することですが、「適正」の信頼度に懸念があるなら悪い方に備えておくという人が相当数出てきても不思議はない。つまり適正の座標点を0、極端に過大を100とした場合、ポジションを50に移すのも立派なリスクヘッジです。
現状では原則論を通すことは、難しい面がありましょう。

>有害であることが分かり切っていながら、現代社会を維持するために有害性を承知で使い続けることもあるということです~

それは、その時点で代替品がないから「やむをえない」ということを前提とした議論です。
品ではなく発電方法ですが、原発の場合は「現状でも代替の発電方法はある」と言ってきたのです。以前、スローガンとしてですが、危険性を秘めた施設・プラントの中で「原発こそが簡単に止められるのだ」という逆説的なメッセージがありました。これもスローガン的ですが「原発を今すぐにでも止めてみろ。停電など起きはしないから」というのもありました(現実には、供給能力に余裕を持たすためなどの理由で節電対策は必要になりますが)。
しかし、この話になるとエネルギー安全保障の議論が持ち出されたりして、いつまでたっても平行線のままでしたが。
簡単に賛同してもらえるとは思いませんが、「すぐにでも代替方法があるのだから、原発というリスクは取る必要がない」という「答え」をこちら側は持っています。

>私の基本的考えとしては「今の人間生活は、ある程度のリスクが必ず必要になる」との考えです。

一般論としては同意します。こないだもどなたかが、「生きていること自体がリスクを伴うのだ」と言っていました。
その上で、許容できるリスク・許容できないリスクは人それぞれ違います。ごくごく当然のことですが、どちらが多数派になるかで原子力政策の未来は決まってくるでしょう。

書き足りない点はありますが、長くなりましたのでこの辺にします。


危険性
ペリフェラルさん

>基準値以下と言っているのはみな単品レベルの話で

確かにそうです。
しかし、食品添加物も同じではないですか?
合成着色料と、合成保存料と、合成香料、その他たくさんの食品添加物だって、個別に危険性を計算していますが、人間が一年間さまざまな化学物質をトータルで受けることを考えて基準値は設定されているでしょうか?(安全係数はかけているでしょうが)
その点で、放射能「だけ」特段危険視するのはいかがなものかと言うことです。
もちろん「放射能は安全だ」とは一言もいいません。
危険であるが、危険を過小(推進派が良くやる)や過大(廃止派や良くやる)をすべきではないということです。

>で、お聞きしたいのですが、その彼我における危険度の差について、もっと具体的にお教え願いたいです。例えば、「よっぽど」というのは100~120倍ぐらい危険度に差があるということを指しています・・・という風に。

具体的指標は分かりません。
しかし多くの化学物質が、一生それを単品で受け続けた時、健康に「有意な差が出ない」という基準に安全率をかけて、許容限度を算定されていることは知っています。
これは「食品添加物を否定的に主張する人」がよく指摘しています。
労働環境基準はもっと緩く
「健康な成人男性が、定年まで1日8時間暴露されても健康に’有意な悪影響が出ない’」が基準ですから。

喫煙に関しては、「特段原発だけが危険なわけじゃなよ」という、今の放射能怖い風潮へのあくまで皮肉です。
(でも喫煙って、安全係数なしでも危険領域なんですよね)

>何年後か10年後といった目標を立てて、その間、国を挙げて代替エネルギーの開発と普及に傾注します。経済的にもソフトランディングは可能だと思いますが、もちろんこれはやってみなければ分からないでしょう。というかやる価値があります。

ごくごく当たり前のことだと思います。

かつてインターネットが復旧した時、アナログからデジタル(ISDN)が推奨されていたが、一気にADSL、そして光へと変わっていきました。
ISDN推進時は、それをベストと思って推進(利用)していたんでしょうが、それ以上に良いものがあればあっさり切り替えるのが社会だと思います。

原発はリスクがある発電であり、それを技術によって安全に使えるようにしているだけで、よりリスクが少ない発電が有効であれば、そちらにシフトするのは当然でしょう。

いわゆる原発推進派や容認派と言われている人も、原発の代替発電で有効なものがあれば、利権が絡んでいる一部の人以外そちらを選ぶと思いますよ。

別の例ですが、かつて一部(しかしかなりの割合の)メッキで六価クロムが使われており、その有害性は昔から知られていました。
しかし、代替(例:三価クロム)使用には、品質の維持等の問題があり、長年保留になってきました。
しかし、代替がある程度めどがついた途端、一気に切り替えが(法的なものもあり)進みました。
有害であることが分かり切っていながら、現代社会を維持するために有害性を承知で使い続けることもあるということです(反対する人だって、じゃあ自分の車の耐久性や安全性が大幅に下がったら?と聞かれて「構いません。それくらい払います」と言う人は少ないでしょう)

原発も同じく、リスクはあるが現状ではやむを得ない(と私は思う)。
しかしそのリスクを回避できるのならするのは当然。

また、どんなものでも「小さな事故や不祥事を多数出すところは、重大事故を引き起こす可能性が非常に高い」という点、及び他の原発が同じかそれ以上の天災を受けながら安全に停止したことも考えて、今回は
「どんなものでも、管理の甘い会社は事故を起こす」
ということが現実になっただけ。

前にも書きましたが、住宅街の隣にある工場が
「数万人を殺すことができる有害物質を貯蔵している」
ことも事実なんですから。
でもそれを「きちんと規則を順守して、保守点検の履行により安全を確保している」だけです。

津波へのぜい弱性を昔から指摘されていながら改善せず、事故隠しや検査漏れを多発していた企業が起こした事故と、原発自体の危険性とは分けて考えるべきだと思います。

私の基本的考えとしては
「今の人間生活は、ある程度のリスクが必ず必要になる」
との考えです。

それを排除したら、ほとんどの食品は食べられませんし(添加物ゼロで全てそろえるのは無理)、自動車は発癌性物質を必ず出しています。
ただそれが「人体に有意に悪影響を与えない(はず)」というレベル内で許容しているだけ。

実際、将来私が癌になったとして、それが
「自然に発生する割合の中か」
「食べてきた食品の添加物のせいか」
「放射能のせいか」
「好きなエチルアルコール飲料のせいか」
が分からない程度なら、世間で「安全」とされているだけで、本当は食品添加物が癌発生の原因だとしても、自然発生率に比べて大幅に可能性が高くない以上「自然発生」とされている。
そういう社会に私たちは生きている(生きていかざるを得ない)ということも考えないと、いわゆる風評被害は避けられないでしょう。

長いのでこの辺で


東北の復興や原発の危機的状況を脱するには、多くの人々の協力が必要です。

しかし危機への見積もりの甘さと現実とのギャップが不安の原因なのですから、そのことについて建設的な批判をするのは当たり前です。
不安を不安のまま放置して良いということではないでしょう。


ななみさんも言っていますが…
4月1日のコメントで、ななみさんのおっしゃっている〝実際に傷ついていている人々の助けにならないばかりか不安をあおるばかりで有害になる反対派の言説にうんざり〟という感覚は、わたしも強いです。
政府や東電の対応が拙いのはみなだれでもわかっていることです。菅さんとかも、とても頼りない。
しかし、彼らとて必死なのです。こんな巨大地震が来たときに重大な立場に立っていたかった人などいません。せめて、しっかりやるよう応援したいのは、国民の多くの気持ちです。
原発反対運動が、そうした多くの国民の素直な気持ちを上から目線で馬鹿にしたり軽んじたり、まったく理解しないばかりか逆なでするようなものであるならば、多くの人々からそっぽを向かれるのは当然です。
自分の我ばかりが強くて、他者の思いを感じきれないのが、大方のサヨクの最大の欠点ではないですか。

原発反対!と、東電しっかり!は両立するのです。


風評被害の原因は現状を正確に説明せず、甘い見通しを垂れ流した政府機関・東電・「専門家」にあります。
岡田幹事長のところでも書いたのですが、言葉に対する信用を取り戻すには政府自らが「外部の視線」を取り入れることです。


風評被害って
政府の放射能レベルの発表など信じられない!とか、本当はもっと広範囲に汚染が広がっているに違いない!とか、生物濃縮がすすんだら、近海魚は全く食べられない!とか、さまざまな勝手な憶測から、疑心暗鬼になって、安全だと確信できるもの以外、口にするもんか!という人たちが起こしています。
福島第一から三十キロ圏内など入ってたまるか!とか、福島から来た人で汚染を洗い流した証明持ってない人は、絶対泊めない!とか、疑心暗鬼になって、なんとか絶対安全な地域に逃げたいと言う衝動を持っている人たちも要注意。そういう人たちは、まず絶対に福島へボランティアには行かないし。

最悪な連中は、フランス人とか外国人に多いけど、そういうヒステリックな連中が国内にもいる。
インドとかも日本製品はすべて輸入禁止とか、まあ、生意気になったもんだよ、まったく。
M9の地震と38mの津波の直撃を一気に受けて、自国の全原発が持ちこたえるって国の人、教えて欲しいヮ、ホント。


野菜の顔
>福島産や茨城産の農産物全く買わない人が多いでしょう。

先日、某大手スーパーで被災地の野菜を特価で売って応援する企画をやってました。そういうのは、やろうと思えばできない話じゃないんですよね?福島の野菜だって、出荷停止になってなくても風評で売れないものがたくさんあるでしょう。ガイガーカウンターはいかつくて食品とイメージが全然合わないですけど、必要だというなら用意するしかない。ただ、そこまでして被災地の農家を応援する手間や意欲を誰が担保するかが問題です。

その意味で、他人まかせでなく、と書いてます。できるところから始める。情報や人力を共有できるネットワークをつくる。中央だけが発信力を持つなんて嘘でしょう。地方の時代って言ってたのは何の話だったのか。

顔の見える野菜という言葉がありますが、ちょっとねじって「野菜の顔」を愛する余裕が僕らにあるかを考えたい。


農産物については、まず放射線を測る器具と数値判断出来る人間が必要
こんばんは。
 風評被害の茨城に住んでいる、地元産野菜ばかり食べている、くろねこです。

 一部の反原発連中や一部の共産党議員候補やら一部学者が得意になって竜宮城大宴会やっていたり、通産省幹部やら東電やら御用学者たちの自己保身に呆れています。
 お前ら後で覚えていろよーと言いたくなっております(反原発や共産党支持者でも、まともな人が沢山いるのは十分に承知しています)。

 地元からすれば、農産物への放射線の「数値が測れない」と全く手の打ちようがないです。
風評被害を小さくするためには、農産物の「放射線を測る機械」と「データを判断できる人間」が一番必要です。
役所も頑張っていますが、足りないんです。
 データが出て、安全にもかかわらず、上手く売れなければ地元の努力が足りないだけの事です。

 当分の間は、「原発の恩恵にだけあずかっている」、「東京や神奈川の連中」は、福島産や茨城産の農産物全く買わない人が多いでしょう。
 福島や茨城の野菜をドンドン「排除」したら、今後、東京・神奈川は、野菜不足で大変なことになるでしょう。例年よりも価格が大きく上がるでしょう。

でもGW明けくらいからは東京や神奈川の人間でも、冷静に判断できる人が増えてくるのかなと思っています。

 補償については・・・風評被害分全部もらえるのならばありがたいが・・・現実を見れば(補償全体の金額や優先順位・福島県浜通り・特に原発周辺の現状)を考えれば、茨城では金額的には厳しいと思っている人が多いと思います。

 ただ原発問題中が解決しない間の「資金繰りだけは何とかしてほしい!」と思う野菜農家もあると思う。
 どさくさに紛れてJA以外の金融機関がセコイ事(強引な貸しはがし)をやらかさなければ良いのですが・・・


>普通の主婦・お母さん感覚として「嫌だ」という思いは実体験に基づいた非常に意味のあることです。 (キンピーさん)

おっしゃるとおりだと思います。

>原発は嫌だという感覚だけで活動するのは危険だと思いますし、ある意味おかしい。(すまりさん)

【だけ】に留まる人もいたかもしれません。が、私の知る限り継続的に関わろうとする人達は、その感覚をベースにした上で学習して、「たまる一方の放射性廃棄物のつけを、子々孫々に回してはいけない」etcといった複数の理由を獲得していきました。その中からリードする人が出てきます(基本は水平ネットワーク指向ですが)。

>今のレベルの放射能なら、そっちの方がよっぽど危険です。

体外被曝の恐れ、(基準値以下と言っているのはみな単品レベルの話で)飲み水・野菜・食肉・牛乳(魚からも出た)・大気(呼吸)などからの複合的な体内被曝の恐れ。これら多方面にわたる経路から迫ってくる「放射性物質の恐怖」に、日々向き合わされているわけです。
「ひとりの人間が浴びる放射線量を計測し、その人の健康上のリスク評価をする場合には、全ての放射性核種と全ての食物からの被ばく量(外部と内部)を考慮にいれなければならない。」とも言われております。

で、お聞きしたいのですが、その彼我における危険度の差について、もっと具体的にお教え願いたいです。例えば、「よっぽど」というのは100~120倍ぐらい危険度に差があるということを指しています・・・という風に。

>ましてや喫煙など論外です~

おかげさまで思い出しました。ひとしきりそういう議論があったことを。
喫煙をやめた例では、これを機にきっぱりというのと、妊娠前後だけやめるという人がいました。やめない言い分は「煙草はリスクを承知した上で、自分で選択したものです。分煙には協力します。でも、原発由来の放射線を浴びるリスクについては選択・承諾した覚えはありません」という自己決定論からのものが代表的でした。
結局、「ここは原発問題に取り組む場であって、煙草の問題はまた別個にやってくれ」ということに落ち着くのですね(フリートークで出るくらいならいいのです)。

>「自分の主張の欠点とリスク」

言ってきたつもりなんですが世間は狭いようで広く、あまり浸透していないのでしょう(あと、説明したからといって「一気に反原発に傾く」かどうかはかなり疑問)。

まず、以前から、夏のピーク時はやや苦しいが、それを除けば原発を停止しても電力供給は可能であるという主張はしてまいりました。ただ、そこに安住はしません。電力料金の体系の変更、ネオンや自動販売機の制限などで節電を進めます。生活の見直しで一部不便になる「欠点」はあり、そこに覚悟は求められるでしょう。
しかし「エネルギー浪費社会」から転換するといっても、そんなに昔に戻ろうということではありません。明日すぐ原発を廃絶するのではなく(国民次第ですけど)、何年後か10年後といった目標を立てて、その間、国を挙げて代替エネルギーの開発と普及に傾注します。経済的にもソフトランディングは可能だと思いますが、もちろんこれはやってみなければ分からないでしょう。というかやる価値があります。

短いコメントでは限界があるので、例えばここをお読み下さい。
http://news.livedoor.com/article/detail/5464326/
(こういう人が増えてくれば、あるいは今年は脱原発元年となるやもしれません。)

書物もいろいろありますが、手頃なものとしては『日本版グリーン革命で経済・雇用を立て直す』(新書y)。アマゾンのレビューが有用です。


放射能レベルに関して不安とか安心とか言う以前に、政府が作っている基準に、農作物がひっかかって出荷できないのだから、どうにもなりません。
これから、海産物にも規制が作られるらしいし、規制がなくても銚子港で水揚げが拒否されたらどうにもなりません。
また、こうした農産物や海産物を、政府の基準を無視して草の根で引き取る運動と言うのは論外です。おそらくほとんど誰も買いません。

ともかく今回の福島原発に関連しての農業・漁業・観光のダメージは計り知れませんし、計画停電による産業界への影響も、ボディーブローのように尾を引くことも間違いありません。
それよりも深刻なのは、廃墟と化した福島沿岸部の遺体の捜索、瓦礫の撤去、港湾の整備などあらゆる復旧作業を〝原発〟が阻んでいるということです。
このままでは、福島第一の30km圏内は、そのまま見捨てられた廃墟と化してしまう可能性すらあります。
東京電力が原発被災者へ今月配る補償の一時金は各戸へ100万円づつだそうですが、最終的な補償はどれほどになるのでしょう?

また、二度とこのようなことに陥ることを防ぐために、現在稼働中の原発や休止中の原発に関しても、これから安全性の向上に、相当のコストをかけねばならないでしょう。

もろもろ考え合わせると、原発は、ずいぶんと高くつきました…。

しかし、風力・地熱・太陽電池などの代替エネルギーが整ってくるまでは、火力に頼らざるをえないとなると、円安やリビアなど中東情勢なども、気になるところです。急激な石油価格の高騰が今度は心配になります。


「嫌だ」という感覚は、実際に起こった現象に対して持つ感情ですから、原発推進派も反対派もその事実を受け入れなければなりません。
「論理的におかしい」と言ったところで、現実に経験したことによって不安に思う人々にとっては意味の無いことです。

そして政府・東電が言うような、今のままの放射線レベルという仮説に基づいた安心は受け入れられにくいと思います。
現実には事故以来、核のコントロールを失い、放射線物質の流出が続いているわけですから。

科学とは理論であって、理論とは現象を分かりやすくするためのものです。
理論がしなければならないのは、経験から出た現象を分かりやすく説明し、考える材料を提供することです。
けっして現実を否定するための似非理論であってはなりません。


連帯
>そういうコンセンサスがはやく国内で生まれて欲しい。

生まれて欲しいではなくて、つくっていくしかないと思いますよ。自分たちでやろうという気がなければ、他人頼みでしかいられないでしょ。

電力不足だから原発を止められない、ですか。今は、ですよね?将来的にもずっと、ではないですよね。
社会を変えていくことで、電力消費の少ない社会をつくっていくことができるでしょう。そのために、今から知恵を絞っていくことが大事だと思います。

農家の窮状について、国からの支援だけを恃むのでなく国内のあらゆる人たちが一緒に生きていこうという意志を持つことが必要ではないかと思います。出荷できない野菜をなんとか他地方で買い上げていくことができないか、法的に可能な方法はないか、消費者グループで支援できることはないか、地元で相互扶助の制度ができないかなど、官民問わず全方面でバックアップをしていく意気を生みだしていくべきです。


気になるのは、今回の福島・茨城・千葉などの農家の放射能による出荷停止の被害額は、いったい誰が補償してくれるのだろうか、ということです。
東電なのか、政府なのか、それとも誰も保証してくれないのか。
しかし、実際問題、このような状態が数ヶ月続いたら、農家の中には首をつるひとたちも多く出てくるでしょう。
また、これも放射能流出による海外からの観光の激減による被害は、誰が補償してくれるのでしょう??

さらに、補償額に耐え切れず、東電が国有化されたとして、その時、新たな原発建設に税金が投入されることを国民はよしとするでしょうか?

もちろんこの電力不足に今稼動している原発まで止めろとは誰もいえません。しかし、かといって原発の新設ができないのは、もはや自明の理です。

なんといっても、食っていくためには、電気の使用量を激減させるというわけにはいかないのだから、代替発電を開発するしかないです。そちらにどれほどデメリットがあるとしても、です。あれこれ組み合わせて、技術的な問題として克服していくしかないでしょう。

そういうコンセンサスがはやく国内で生まれて欲しい。


嫌だと言う感覚
原発は嫌だという感覚だけで活動するのは危険だと思いますし、ある意味おかしい。


だって、その原発に反対している「普通の主婦・お母さん」が、なぜか冷凍食品やレトルト。化学物質満載の食料を「安くて便利」と買いこんでいるのも事実です。
今のレベルの放射能なら、そっちの方がよっぽど危険です。ましてや喫煙など論外です(しかし普通の主婦・お母さんで喫煙者は決して珍しいわけじゃありませんし、原発を嫌だと言う人が、子供の前で平気で喫煙する姿を実際に何度も見ています)

嫌だと言う感情から、有効な運動が発生することは否定しませんが、それが理論的に整合しないなら、その運動は決して受け入れられるものじゃないし、もし受け入れられたらもっと酷い「感情により理論的に整合性のあることを否定する」ということが正当化されてしまいます。

わくわくさんのおっしゃっていることがまさにあたっています。

正直に言えば、原発が論点になるのがおかしくて
「どのような生活をしていくべきか」
の結果が、原発が必要か否かの判断になるはず。

だって、日本の電力使用量が、今の経済を保ったまま半分にできるなら、原発をわざわざ作る必要など全くなくなるんですから。

私が信頼するとすれば(そして国民が最終的に選ぶとすれば)

「自分の望む社会ができた時のリスクもきちんと自ら認めて説明し、その上でそれをどう解消するかを言える側」

ではないでしょうか。

原発推進派なら、どのくらいの安全コストをかけなければ、原発の最悪の事態が発生する可能性を抑えられないか。そしてそれが電気料金にどれだけ反映されるか。どの段階まで想定したらどれだけコストがかかるかを明確に提示する。

原発反対なら、電力の安定供給(波力・風力・太陽光全てそれには十分ではないことを認めて)に対して、どれだけリスクが生じるか。

自らの主張に不利なこともきちんと説明できる側に、最終的に国民の支持は集まるのではないでしょうか。

現状では、反原発も原発推進もどちらも、そこまで踏み込んでいないから、権力側の原発推進が勝っているだけでしょう。

反原発側が

「自分の主張の欠点とリスク」
をきちんと明確に認めて、それについて真摯に説明したら、一気に反原発に傾くと思うんですが。

逆に、どうしてそういう度量がないのかと歯がゆいのも事実。

私は、電力が安定供給されて、経済がきちんと成り立つなら、どんな発電手段だろうが、電気は電気だと思っているし、原発はリスクが高い発電のことも理解しているつもりだから、それを避ける良い方法が提示されるなら、即反原発になびくと思います。

原発の安全性に不安があるわけではないが、それでも効果(電力)が同じなら、より安全な発電手段の方が良いに決まっていますからね。


>中でも「普通の主婦・お母さん」が運動の中心になっていると言われました。

普通の主婦・お母さん感覚として「嫌だ」という思いは実体験に基づいた非常に意味のあることです。
日本の反核運動の原点も台所から反対が始まったのですし、今回もそうです。

エネルギーも経済も人間社会が豊かになるために必要なのであって、エネルギーや経済のために人間の社会があるのでは無い。
これを転倒させた空論は、現在 現実を突きつけられる度に、よりいっそう空虚なものとなりますが、原発をなんとか無くしたいと運動してきた人々も、普通の感覚を軽く扱ってきたのではないでしょうか。
お玉さんからウチにいただいたコメントの中に、「うれしそう~~に放射能の危険性を笑みを浮かべて話す嫌な左翼」という言葉がありましたが、子供に何を食べさせていいのか分からなくなっている母親の前でそのように振舞うのでしょうか?
そうであるならもはや活動家は運動の中心にはなりえない。
いや、そもそも中心などではなかった。
歴史の屑篭に入りたくなければ、「嫌だ」という普通の感覚に寄り添い、共に経験を共有し学ぶことでしょう。
そういった普通の感覚に寄り添うということで言うと「まともな保守」なら実体験に基づいた経験に学ぶはずですから、革新・保守の違いなど無いでしょうね。


まだまだ
机上で単なる議論するような余裕はない。どうすれば一般市民に伝わるかということに興味のなさそうな人のコメントはこれ以降、受け付けられないかも知れないです・・


>「 原発に反対することは、右やら左やら保守やら革新やら関係ないということに、気が付いて欲しいな・・そうしたらきっと運動が拡がると思う。」

んーと、だいぶ前から特に市民運動系の反原発・脱原発はシングルイシューを指向しておりましたよ。反原発に同意してくれるなら思想信条は問いません。ただ、これが反原発派の総意とまではいっていなかった。社会党や共産党や新左翼等の「党派性」に縛られている人もいましたから。

で、シングルイシュー化が運動の拡がりにどういう効果があったかですが、拡がるための基礎条件を整えたということで意味があったと思います。
チェルノブイリの大事故以降に、運動は大きく拡がりました。多種多様な人々が集まってきました。デモ(当時からパレードという言い換えはあった)や集会の服装や雰囲気は、典型的な左翼の赤旗デモとは明確に一線を画すものでした(彼らも端の方に少しいたけど)。中でも「普通の主婦・お母さん」が運動の中心になっていると言われました。
比較的慎重な故T氏も、(文献が手元にないので記憶に頼って書きますが)「このままいけば脱原発に向けて大きく前進できるのではないか。とても手応えを感じています(大意)」といった内容の話をしておられました。手放しで楽観されていたわけでもありませんが。

「結果」はご存じの通りです。運動側に反省点はあるのでしょうけど、結局は相手側の壁が厚すぎたとしか私には言いようがない。
今回を期に、はたして日本が脱原発の方に向かうのかどうかは定かではありません。あんまし楽観はできない。うまくいかなかった場合、運動側の「失敗」を言挙げして「そら見たことか」という論調が出てくることは十分予想できます。それもまた、「いつか見た風景」なのですが。

>原発に関して、「過去に推進した人たち全員の責任を問わないから、一緒に脱原発の方策を考えませんか」、という主張を反対派からもしなきゃいけないんじゃないかと思う。

これ、形式的には「取り引き」ですよね? でも、はたして「全員の責任を問わない」という保証を全ての反対派からとりつけられるかというと無理っぽい。反対派は、何か強力な司令塔があって号令一下動くような「組織」ではありませんし、数だって流動していますから。一部のグループが「全員の責任を問わない」と確約したって、他の人たちが厳しく糾弾してくるかもしれません(反対派の「恨み骨髄」を多少なりとも知る身としては、可能性大)。「取り引き」として考えた場合、推進派にさほど「うまみ」はない。

そうはいっても、否定しさるものでもないなと思い直しました。「少なくとも私たちは責任を問いませんから」というアプローチの仕方はあるのではないかと。後で恨みを買わないように、気を配って丁寧にハンドリングする必要はありますが。


こういうときにこそ「真正面から受け止め、逃げる議論はしない」ことが、反原発派には求められます。

原発がストップしたままでは、電力供給が減ることは確実です。
新たに発電所を建設しないならば、『その減少した電力量の生活を「一緒に我慢しよう」と呼びかける』『節電の生活方法を提案する(それでも足りるとは思えないが・・・)』など、ここまで触れないと説得力に欠けてしまいます。

次に、「原発の新規建設反対」と唱えるならば、前述の『減少した電力量での生活や経済に甘んじる覚悟』があることを提示するか、あるいは、代替エネルギーの存在を言わなければなりません。

その代替エネルギーですが、長所ばかり述べるのはフェアではありません。
太陽光発電は、原発供給分をカバーするならば、広大な面積の平地を要することや、天候に左右されるなどのデメリットを開示した上で、そのデメリットの享受を国民に迫るつもりでなければなりません。地熱発電にしても風力にしても同じことです。

反○○の人の特徴として、反対の対象について、デメリットやマイナス面ばかり述べ、自身が支持する対象について、メリットやプラス面ばかりを述べるという、「自分勝手」と受け止められかねない言動が多々見られます。こういう姿勢では、支持を多くすることは難しいと考えなければならないでしょう。

今回の原発にしても同じです。「それ、みたことか」的な言動があまりにも多すぎる。
そもそも原発のシェア率が多くなってきた最大の理由は、オイルショックによる原油の安定確保に懸念が生じたためです。今も、原油価格は上がってきており、火力偏重になれば、電気料金の上昇はこの程度では済まされないでしょう。「燃料の確保」という点からのリスク分散で原子力があるという部分をネグってはいけない、ということです。

そうした点を踏まえて、脱原発を主張するならば、原発に(積極・消極いずれも)賛同する人も話を聞いてくれると思います。原発のデメリットだけをあげつらっても、人は聞いてくれないし、もし、その程度で聞いてくれる人が多くなるのは、むしろ危険です。その経験は70年前に日本も経験していることをお忘れなく。


この国では原発は無理があったのではないでしょうか。
今よりさらにより安全に、というのは、コストがどれほどかかるものやら…。それでも、絶対安全とは言えないでしょう。さらなる原発建設は諦めた方がよいと思うのです。
第一、新たな原発誘致を認める地元が、これ以降存在するとは思えない。あったとしても、地域住民の間で深刻な亀裂が生じそうです。
ですから今稼動している原発以上に、基数を増やすのはもはや不可能でしょう。
ですから、好むと好まざるとに関わらす、電力が足りない分は、当分は火力に頼るとしても、二酸化炭素排出量を考慮して、地熱・風力・太陽電池など代替エネルギーを早急に積極的・大々的に開発していかざるを得ないです。
悩んでいる暇はないでしょう。


放射能汚染には、もう参りますな。
仕事の関係で関東を離れられませんから。
それに、計画停電のうっとうしさときたら、もう、やってられません。
もちろん、工場もやってられません。
電力周波数が違って他人事の、関東に住んでいない人が、原発を使うなというのは簡単だが、だったら代替施設も考えてほしい。
風力発電とか、ガスタービン発電とかね。
太陽光もいいが、発電単価がバカ高いからね。
もう一度言うが、何でもいいから、計画停電だけは、はやくやめてほしい!


脱原発に必要なもの
私が考えるに、それは
「国民が、今より生活レベルが低い状態を容認できること」
じゃないでしょうか?

原発が作られてきた理由の一つに、国民が
「もっと便利で快適な、良い暮らし」
を求めた部分があるでしょう。

果たして今の現代人に、パソコンや携帯電話を使わずに、家電製品は冷蔵庫とトースターと炊飯器程度。
電気はこまめに消して、夜10時になったら就寝。
店は夜7時には閉店して、コンビニなんてもってのほか。

そうすれば、夜で歩くこともなく、家でやることもないから早く寝るしかない。
深夜レンタルビデオやコンビニに行くこともできず、携帯電話やパソコンのような電気依存の生活を便利にする(=なくても生活できる)ものはできるだけ使わない。

当然、そういう生活になると消費が冷え込むから、更に景気が悪くなり、社会保障もある程度絞らざるを得ない。

反原発、脱原発を言うのは構わないと思います。
ただ、それを行った場合、当然起こる連鎖的な不具合を考えるべきだと。

また、今回の地震で多数の原発が「安全に停止した」ことも事実です。

原発以外にも、化学工場とかのように、事故によって多数の有害物が大量にまき散らされてしまうものは、現代社会では多数あります。

エンジニアのはしくれ(途中で別路線に業務命令にて異動になったが)として言わせてもらえば、技術で安全な物ばかりではなく、相当危険なものも多数ある。
火力発電所だって実は原発より遥かに高圧の蒸気を使っており、万が一爆発したら周囲に甚大な被害をもたらすし、化学工場だって、激烈な有害物がタンクに何トンと貯蔵されているところは珍しくない。

原発も化学物質も、その他たくさんの危険なものも、それを技術によりコントロールして人間は今の生活を作ってきた。

だから本来原発推進も原発反対もなく、
「それが人間の現在の技術レベルで制御可能なものか」
「制御するにはどれだけの安全マージンとコストをかける必要があるか」
「それをした場合、実際にそれを実用レベルで使うことが可能かどうか」
を考え、客観的にそれらを検証して
「だったら使える(使えない)」
にすべき。

放射能は怖いが、同じように塩素もフッ素もホスゲンも高圧ガスも、災害規模は違うとはいえその地域を一瞬にして死の世界にする力があるし、それは通常の住宅街のすぐ近くにあったりする。

今回の福島第一原発は
「津波の被害を過小評価していた」
ことが原因ではないか。
事実、同じ津波被害地域にある女川原発は、施設破損はあっても設計通りきちんと停止していることもまた事実。

あくまで私の考えであるが
「原発はきちんとした技術によって制御可能なもの」
「今回の事故は、過去にも多数事故を隠していた東電が、数年前に既に指摘されていた、自然災害リスク過小評価を改善しなかった怠慢によって引き起こされた」
「これだけの大震災でも、他の原発はきちんと停止していることから、きちんとした設計と制御と管理がなされていれば、原発は十分実用に耐えるものである」

と考えています。

長文失礼。

追伸。
これを書いている私は、今でも放射能は通常以上の値を示し続けている地域に住んでいます(いわゆる原発によって復興が遅れている地域)。でもそれであっても単純に原発反対を言う気にはなれません。
なぜなら、原発は本来制御可能な技術であり、しかしどんな技術も安全に対する見積もりを間違えれば事故が起こるものと考えているからです。

実際、化学工場で有害物質が漏れた事故は何度か聞いたことがありますが、それで「その物質を使うな」と運動が起こったことはありません。
なぜなら、その物質をきちんと管理しなかった会社が悪いのであって、きちんと管理していればそのような漏洩はないことを皆理解しているからでしょう。
原発も同じだと思います。

再度、長文失礼しました。


>じゃあそのためにはどうしたらいいのか

私案として。。

・放射性物質ダダ漏れ状態の現実に向き合い、病的な清潔好きを改め、絶対安心・絶対安全なんてものを放棄する。

・幼児児童に対する無料検診と、被曝が疑わしき病気に対する全額補償制度と生活支援制度の設立。

・節電に励みつつ、当面のエネルギー政策は休止中の火力発電所でまかない、原発は順次 再生可能エネルギーに切り替える。

・財源を捻出できなかった場合、「東北復興税(仮称)」を10年ないし15年、その後規模を縮小して「原発の尻拭い税(仮称)」を継続的に所得税法人税に上乗せする。


ま、ななみさんにはこのエントリーの野良猫さん宛てのコメントがそのまま当てはまりそうですね。
http://a9leather.blog66.fc2.com/blog-entry-247.html


そうじゃない人もいる
ななみさん

確かに目立っている反原発系の人の中にはそういう人がいて、だからこんな記事を書きました・・でも、反原発運動をずっと以前からつづけつつ、今まさに被災地の人たちのために支援をしている人はそんなひとの何倍もいます。ここは、わかってほしい・・・


原発には反対なんですが…
実際に傷付いている人々の助けにはならないばかりか不安を煽るばかりで有害になる(買い占めや関東民の移住を加速させ、被災地支援が後回しにされる)反対派の言説にはうんざりしています。
政府や御用学者は嘘ばかりだと言うならば、じゃあそのためにはどうしたらいいのかを語るべきなんじゃないでしょうか。
率先して弱者を見捨てようとしているようにしか見えないのに、それでいて以前と変わらず人権派を気取っている。醜悪です。


原発事故以降、まず目の前の危機に対して責任を問うてる場合ではないし、みな協力するべきだと主張してきました。
今もそういう考えです。
しかし今後の話はまた違う問題であって、伊勢崎理論を応用するならツイッターにも書かれているように、「一緒に脱原発の方策を考えませんか」という条件付きです。
さらに感覚的な話をすると、、http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10839026826.html
ここで中学生に罵声を浴びせる大人を見ると、いまだそのような段階ではないと思っています。
しかし今後さらに現実を突きつけられ「原発は嫌だな」という意識がもっと広く共有されだした後に、ようやく伊勢崎理論の出番ということになろうかと存じますが、それでもなお許すことによって生じるモラルハザードという問題に向き合わなければなりません。

ここをちゃんと見極めて発言していかないと、リーマンショック以降の世界で行われたように、「信用」のためだけに巨額の支出を強いられることになります。



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少し前の話になるが、マガジン9:http://www.magazine9.jp/で中島岳志さんのコラムを読んだ。これが、ちょっと気になり続けている。
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東京消防庁ハイパーレスキュー隊員を始めとする数多くの自らの命を顧みない無名の人々の献身により,第一の危機は乗り越えることができた.危急の事態に「圧倒」される初期状態からぎりぎりのところで巻き返しに転じ,何とか事態をコントロールできる可能性が芽生えてきた...
私は、やっぱり嫌いです… 私は、何か知ってるわけじゃないが、わからないってことを知ってる… 反原発、脱原発を非難してるわけではありません…運動というものを非難してる、ここに尽きます…それに伴うすべてのデマゴーグを非難してます…それが、最初の記事「反...
「ヘーゲルはどこかで、すべて世界史上の大事件と大人物はいわば二度現われる、と言っている。ただ彼は、一度は悲劇として、二度めは茶番として、とつけくわえるのを忘れた。」(マルクス・エンゲルス全集) ...
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